我、悪の科学者。ヒロイン魔法少女のコピーがやたら慕ってくるんだが 作:ともとーも
一条クレヒトは、ラボの簡易ベッドに横たわりながら、天井の配管を睨んでいた。
眠れなかった。
理由は明白だ。
彼の腰に、黒いゴシックドレスに身を包んだ少女が、コアラのようにしがみついているからである。
「……ゼロ、離れろと何度言えば——」
「嫌です」
即答だった。
ゼロは一条の腹部に頬を押し当てたまま、目を閉じている。
その寝息は規則正しく、まるで幼い子供が母親の温もりを確かめるように、一条の白衣の裾をぎゅっと握りしめていた。
「お前には睡眠など不要だろう。魔力で代謝を補完できる設計のはずだ」
「でも、ドクターが眠るなら、私も眠ります。同じ時間を共有したいのです」
「……非効率極まりない」
一条は深い溜息をついた。
あれから六時間が経過している。
彼は何度も彼女を引き剥がそうとしたが、その度にゼロは「では、代わりに手を繋がせてください」「膝枕は駄目ですか」「せめて髪に触れさせてください」と、次々に代替案を提示してきた。
最終的に一条が根負けし、「ベッドの端で大人しくしているなら許可する」と妥協したところ、ゼロは満面の笑みで彼に抱きついてきたのである。
「……明日、精神プロトコルを全面的に書き直す」
「はい。ドクターの望むように」
ゼロは素直に頷いたが、その腕の力は一ミリも緩まなかった。
一条は諦めて目を閉じた。
不思議なことに、彼女の体温は心地よかった。
培養液の冷たさはもう残っておらず、代わりに、焼きたてのパンのような柔らかな温かさが、一条の疲弊した神経を静かに溶かしていく。
「……ドクター」
「何だ」
「あなたの心臓の音、私の中で共鳴しています。これが、幸福というものなのですね」
ゼロの声には、発見したばかりの真理を語るような、純粋な驚きが含まれていた。
一条は何も答えなかった。
答えられなかった。
彼女は、自分が生み出した「兵器」のはずだった。
なのに、なぜこんなにも——人間らしいのだろう。
一条が浅い眠りに落ちかけたその時、ラボの入口でブザーが鳴り響いた。
彼は反射的に跳ね起きようとしたが、ゼロの腕がロックのように彼を押さえつける。
「ドクター、来客ですね。私が対応します」
「待て、お前はまだ——」
一条の制止を聞かず、ゼロはするりとベッドから降りると、軽やかな足取りでドアへと向かった。
扉が開く。
そこに立っていたのは、〈アビス・ギルド〉の制服——漆黒のスーツに緋色のネクタイ——を着た、長身の男だった。
「やあ、一条。久しぶりだね。進捗報告の期限、過ぎてるよ?」
男の名は、霧崎。
〈アビス・ギルド〉の管理部門に所属する、いわゆる「予算を握る側」の人間だ。
彼の飄々とした笑顔の裏には、冷徹な計算機が埋め込まれている。
「……霧崎か。報告書なら、データで送信済みのはずだが」
「ああ、読んだよ。『魔法少女のコピー体、完成』ってね。でも、一条。君の報告書はいつも『理論上可能』ばかりで、実物を見せてくれたことがない。だから、今日は確認しに来たんだ」
霧崎は一条の背後——ゼロの姿を捉えると、目を細めた。
「……ほう。これが、例の?」
「そうだ。検体番号ゼロ。オリジナルの戦闘能力を完全に再現している」
一条は素早くベッドから降り、白衣の皺を伸ばした。
霧崎はゼロの周囲を、値踏みするようにゆっくりと歩く。
「なるほど。外見はオリジナルと瓜二つ……いや、色味が反転しているのか。趣味が悪いね、一条」
「それは魔力の極性を反転させた結果だ。外見は副次的なものに過ぎん」
「ふむ。では、性能は?」
霧崎がそう尋ねた瞬間、ゼロがすっと一条の前に立った。
彼女は霧崎を、感情の読めない瞳で見上げる。
「……あなたは、ドクターに用があるのですね」
「そうだよ。仕事の話さ」
「では、話が終わったら、帰ってください」
ゼロの声は、表面上は丁寧だった。
しかし、その奥には、鋭利な刃物のような冷たさが潜んでいる。
霧崎は眉を上げた。
「……おや。随分と『人間らしい』反応だね。一条、これは本当にコピーかい?」
「ああ。ただし、精神面に若干の——調整不足がある」
「調整不足、ねえ」
霧崎は面白そうに笑った。
彼はポケットから、小型のタブレット端末を取り出すと、ゼロに向けて何らかのスキャンを始めた。端末の画面には、彼女の魔力波形がリアルタイムで表示されていく。
「……マナ出力、オリジナルの九十七パーセント。神経反応速度、オリジナル比で百二パーセント。これは、凄いね。本当に『兵器』として使える」
霧崎の目が、商人のそれに変わった。
「一条、この技術、量産できるかい?」
「……は?」
一条は、霧崎の言葉の意味を理解するのに数秒を要した。
「量産、だと……? 何を言っている。これは、宿敵を倒すための、唯一無二の——」
「唯一無二? 違うね、一条。君が作ったのは『技術』だ。技術は、再現されてこそ価値がある。魔法少女のコピーを量産できれば、我々は協会に対して圧倒的優位に立てる。資金も、名誉も、全てが手に入る」
霧崎は興奮を隠さずに語った。
一条は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
量産。
彼が何ヶ月もかけて、己の全てを注ぎ込んで作り上げた「彼女」が、工場で生産されるネジのように扱われる未来。
「……断る」
一条の声は、低く、静かだった。
「これは、失敗作だ。精神構造に致命的な欠陥がある。量産など——」
「欠陥? どこが?」
霧崎は首を傾げた。
「命令への服従性も確認できた。戦闘能力も申し分ない。多少、感情表現が豊かすぎる気もするが、それは『人間らしさ』として売りになる。むしろ、協会の魔法少女よりも扱いやすいかもしれない」
一条は言葉に詰まった。
確かに、外部から見れば、ゼロは「完璧な成功作」に見えるだろう。
だが、一条だけが知っている。
彼女の精神が、異常なまでに自分へと固執していることを。
「……いずれにせよ、俺はまだ研究途中だ。データの提出は——」
「一週間後、本部でプレゼンをしてもらう」
霧崎は有無を言わさぬ口調で告げた。
「上層部も、君の『魔法少女コピー計画』には期待している。成果を見せれば、予算は倍増するよ。逆に、見せられなければ——」
霧崎は、言葉を濁した。
その意味を、一条は理解している。
成果を出せなければ、研究は凍結。
最悪の場合、ラボごと処分される。
「……分かった。一週間後だな」
「よろしい。では、楽しみにしているよ」
霧崎はそう言って、軽やかに踵を返した。
扉が閉まる。
ラボに、再び静寂が戻った。
一条は、深く、深く息を吐いた。
そして——背後から、ゼロの気配を感じた。
「……ドクター」
「何だ」
「あの男、嫌いです」
ゼロの声は、静かだった。
しかし、その静けさは、嵐の前の凪に似ていた。
「あの男は、あなたを『利用』しようとしています。あなたの技術を、あなたの努力を、全て自分の手柄にするつもりです」
「……それが、組織というものだ」
一条は肩を竦めた。
「俺は研究者だ。政治や駆け引きには興味がない。成果を出せば、それでいい」
「違います」
ゼロは一条の手を取り、その掌を自分の頬に押し当てた。
「ドクター、あなたは優しすぎます。自分を削ってまで、他人に尽くしている。でも、私は——あなたが、誰かに搾取されるのを見ていられません」
彼女の瞳は、銀河のように輝いていた。
その輝きの中には、狂気にも似た純粋さが宿っている。
「私は、あなたのために作られました。だから、あなたを脅かすものは、全て——排除します」
一条は、ゾクリと背筋を震わせた。
彼女の言葉は、比喩ではない。
もし一条が望めば、ゼロは躊躇なく霧崎を——いや、組織全体を敵に回すだろう。
「……待て、ゼロ。お前は、何も——」
「でも、安心してください」
ゼロは、ふっと笑みを浮かべた。
「私は、あなたの命令には絶対服従です。あなたが『やめろ』と言えば、私は何もしません。ただ——」
彼女は一条の手を握りしめたまま、囁いた。
「あなたが望むなら、私は何でもします。それが、私の存在理由ですから」
一条は、何も言えなかった。
彼女の献身は、純粋すぎて、恐ろしかった。
そして——どこか、心地よかった。
この感情が、何なのか。
一条にも、まだ分からなかった。