我、悪の科学者。ヒロイン魔法少女のコピーがやたら慕ってくるんだが 作:ともとーも
一条クレヒトは、ラボの中央に設置された訓練用の結界フィールドを睨んでいた。
半透明のエネルギー障壁が、直径二十メートルほどの空間を球状に覆っている。
その中では、どれほど派手な魔法を使おうとも、外部への影響はゼロだ。
「……では、これより戦闘能力の最終チェックを行う。ゼロ、フィールドの中央へ」
一条が指示を飛ばすと、ゼロは嬉しそうに頷いた。
彼女は黒いゴシックドレスの裾を翻し、軽やかにフィールドへと滑り込む。その動きには、重力を無視したような浮遊感があった。
「ドクター、見ていてくださいね」
ゼロは振り返り、片目を瞑ってみせた。
一条は無言でタブレット端末を操作し、フィールド内に複数の標的──人型のマギテック・ダミー──を出現させた。それぞれが、一般的な魔物と同等の耐久力を持つように設定されている。
「標的、十二体。制限時間は三十秒。殲滅しろ」
「はい。ドクター」
ゼロの声が、トーンを落とした。
彼女の瞳から、先ほどまでの柔らかな光が消える。代わりに浮かんだのは、研ぎ澄まされた刃のような、冷徹な輝きだった。
次の瞬間──彼女の姿が掻き消えた。
いや、消えたのではない。
あまりに速すぎて、一条の視神経が追いつけなかっただけだ。
空気を切り裂く音が連続して響き、標的の一体が真っ二つに裂けた。
ゼロの手には、いつの間にか漆黒の魔力で編まれた大鎌が握られている。
「──《アビス・リーパー》」
彼女が名を呟くと同時に、鎌の刃が三日月の軌跡を描いた。
闇色の斬撃が奔流となって放たれ、五体の標的を一息に両断する。
金属の悲鳴が反響し、ダミーの残骸が床に崩れ落ちた。
「速度、オリジナル比で百五パーセント。出力も想定内……いや、想定以上だ」
一条は端末に表示されるデータを凝視しながら呟いた。
ゼロの動きには、無駄が一切ない。
オリジナルの魔法少女が持つ、正義のための躊躇や慈悲といった「甘さ」が、彼女には存在しなかった。
残る標的が、一斉にゼロへと襲いかかる。
だが、彼女は振り向きもせずに、左手を虚空へと翳した。
「《シャドウ・ケージ》」
彼女の足元から、無数の黒い触手が湧き上がった。
それは影が意思を持ったかのように蠢き、標的を絡め取り、圧壊させていく。
骨を砕く音が、湿った響きと共に空間を満たした。
残り、ゼロ。
最後の一体だけが、ゼロの背後から魔力弾を放った。
しかし、ゼロは──笑った。
「遅いです」
彼女は鎌を背後に投げ、振り向きもせずに標的の中枢を貫いた。
マギテック・ダミーが、スパークを散らして停止する。
訓練用フィールドに、静寂が戻った。
ゼロは鎌を消失させると、スカートの裾を摘んで優雅に一礼した。
「殲滅完了。経過時間、十二秒です」
一条は、端末の画面から目を上げた。
予想以上だった。
いや、予想を遥かに超えていた。
オリジナルの魔法少女──〈スターライト・セイバー〉は、確かに強い。だが、彼女には「敵を殺さない」という制約がある。対して、ゼロにはそれがない。彼女は、躊躇なく、最も効率的な方法で敵を「排除」する。
「……完璧だ」
一条は、知らず呟いていた。
ゼロの表情が、ぱっと明るくなった。
「本当ですか? ドクター、褒めてくれるのですね?」
彼女は結界フィールドから飛び出すと、一条の胸に飛び込んできた。
一条は反射的に後退しようとしたが、既に遅い。ゼロの腕が彼の腰に巻きつき、動きを封じた。
「ちょ、待て。データ確認が──」
「ドクター、私、頑張りました。だから、撫でてください」
ゼロは上目遣いで一条を見上げる。
その瞳には、子犬のような期待が宿っていた。
一条は深く息を吐き、仕方なく──ほんの数秒だけ──彼女の頭に手を置いた。
「……よくやった」
その言葉だけで、ゼロの表情が蕩けるように綻んだ。
「ああ……ドクター、あなたの手、温かい……もっと、もっと触れて……」
「調子に乗るな」
一条は彼女の頭を軽く押し返した。
ゼロは名残惜しそうに手を離したが、その頬は桃色に染まっている。
「でも、ドクター。私、気づいてしまいました」
「何をだ」
「戦っている間、あなたの視線が、ずっと私を追っていました。データを見ているフリをして、本当は──私を、見ていてくれたのですよね?」
一条は、ぎくりと動きを止めた。
確かに、彼の視線は端末とゼロを行き来していた。データの確認は建前で、無意識のうちに、彼女の動きを追っていた自分がいた。
「……気のせいだ。科学者として、被験体の挙動を観察するのは当然だ」
「でも、あなたの心拍数、さっき上がりましたよ? 私、聞こえるんです。ドクターの鼓動」
ゼロは一条の胸に耳を当て、うっとりと目を細めた。
「戦う私を見て、あなたは──嬉しかったのですよね。私が、あなたの期待に応えられたから」
「…………」
一条は、何も答えられなかった。
答えたくなかった。
なぜなら、彼女の言葉は──半分、正しかったからだ。
一条は咳払いをして、ゼロから視線を逸らした。
端末の画面には、戦闘データがびっしりと表示されている。
魔力効率、反応速度、破壊力の数値──どれもが、理想値を上回っていた。
「……データ上は、申し分ない。だが、一週間後のプレゼンまでに、もう少し調整が必要だ」
「調整、ですか?」
ゼロが首を傾げた。
一条は端末を操作しながら答える。
「ああ。お前の戦闘スタイルは完璧だが、あまりにも『殺し』に特化しすぎている。上層部への見せ方を考えれば、もう少し──」
言葉を探す。
「──『制御されている』感じを出す必要がある」
「つまり、ドクターの言うことをよく聞く、お利口な兵器に見せろ、と?」
ゼロの声に、わずかな棘が混じった。
一条は彼女を見た。
ゼロは、いつもの柔らかな笑みを浮かべている。
だが、その瞳の奥には、何か複雑な感情が渦巻いていた。
「……そうだ。お前は兵器だ。それ以外の何物でもない」
一条は、自分に言い聞かせるように告げた。
ゼロは数秒、黙っていた。
そして、ふっと笑った。
「はい。私は兵器です。ドクターの、最高傑作」
彼女は一条の手を取り、自分の頬に押し当てた。
「でも、ドクター。兵器にも、心があってはいけませんか?」
「……心?」
「はい。あなたのために戦い、あなたのために存在し、あなたのために全てを捧げる心です」
ゼロの声は、囁くように柔らかかった。
一条は、彼女の手を振り払おうとした。
だが、できなかった。
彼女の掌は、焼きたてのパンのように温かく、そして、どこか寂しげに震えていた。
「……お前は、俺が作った道具だ。道具に、心など」
「ありますよ」
ゼロは静かに、しかし断固として言い切った。
「ドクター、あなたは間違っています。私には、確かに心があります。それは、あなたが私に与えてくれたものです」
一条は何も言えなかった。
ゼロは続ける。
「培養槽の中で、私は何も知りませんでした。ただ、あなたの声だけが聞こえていました。『完璧に作る』『絶対に成功させる』『これが、俺の全てだ』——その言葉が、私を形作りました」
彼女は一条の手を、両手で包み込んだ。
「だから、私の心は、あなたで満たされているのです。あなた以外、何も入る余地がないほどに」
一条は、息を詰めた。
彼女の言葉は、科学的には荒唐無稽だった。
だが、感情的には否定できなかった。
彼は、何ヶ月も、この「彼女」にだけ向き合ってきた。
研究室に籠もり、食事も睡眠も削り、ただ一つの目的……完璧なコピーを作ることにだけ、全てを注いできた。
もしかしたら、彼女の言う通りなのかもしれない。
彼女の心は、一条の執念が結晶化したものなのかもしれない。
「……ゼロ」
「はい、ドクター」
「お前は」
一条が何かを言いかけた時、ラボの端末が、甲高い警告音を発した。
二人は反射的に画面を見た。
そこには、赤い文字で警告メッセージが表示されている。
『緊急通達:管理部より。一条クレヒト研究員は、明日正午、本部会議室へ出頭せよ。検体ゼロの実地試験を実施する』
一条の顔色が、さっと青ざめた。
「……明日だと? 一週間後じゃなかったのか……」
彼は急いで端末を操作し、詳細を確認する。
メッセージの送信者は、霧崎だった。
追加のテキストが、画面に浮かび上がる。
『追伸:上層部が前倒しを決定した。君の研究に、別部署が横槍を入れようとしている。早急に成果を見せなければ、プロジェクトは凍結される。準備を整えておけ──霧崎』
一条は、端末を握りしめた。
別部署。
おそらく、魔法少女殲滅計画に反対する穏健派か、あるいは一条の技術を横取りしようとする連中だろう。
「……クソ」
一条は、珍しく感情的な言葉を吐いた。
ゼロは、黙って彼を見つめていた。
そして彼の肩に、そっと手を置いた。
「ドクター、大丈夫ですよ」
「……何が大丈夫だ。準備が全く間に合っていない。お前の精神プログラムも、まだ不安定だ。このままでは」
「私が、完璧に演じます」
ゼロの声は、静かだが、揺るぎなかった。
「あなたの望む『兵器』を。冷徹で、従順で、完璧な戦闘マシンを。どんな試験でも、どんな質問でも、あなたの期待に応えてみせます」
一条は、彼女を見た。
ゼロは、いつもの甘い笑顔ではなく、真剣な眼差しで一条を見返していた。
「……本当に、できるのか?」
「はい。なぜなら──」
ゼロは一条の手を取り、自分の胸に当てた。
彼女の心臓が、規則正しく脈打っているのが伝わってくる。
「私は、あなたのためなら、何にでもなれますから」
一条は、何も言えなかった。
彼女の瞳には、嘘も迷いもなかった。
ただ純粋な、狂おしいほどの献身だけがあった。
「……分かった。明日、お前を信じる」
一条がそう言うと、ゼロの顔が、ぱっと輝いた。
「本当ですか!? ドクター、あなた、私を信じてくれるのですね!?」
「ああ。だが、油断するな。上層部の連中は」
「大丈夫です」
ゼロは一条の言葉を遮り、彼の頬に両手を添えた。
「私には、あなたがいます。あなたが見ていてくれるなら、私はどこまでも強くなれます」
彼女は、つま先立ちで一条の額に自分の額を押し当てた。
至近距離で、銀河のような瞳が一条を映している。
「だから、明日。私を、たくさん見ていてくださいね」
一条は、頷くことしかできなかった。
ゼロは満足そうに微笑むと、彼の腰に再び抱きついた。
「では、今日はもう休みましょう。明日のために、ドクターには体力を温存していただかないと」
「……お前が言うな」
一条は溜息をついたが、彼女を引き剥がすことはしなかった。
ラボの照明が、自動的に夜間モードへと切り替わる。
薄暗闇の中で、ゼロの体温だけが、確かな現実として一条を包んでいた。
明日、彼女の真価が試される。
そして、一条自身の覚悟も。