我、悪の科学者。ヒロイン魔法少女のコピーがやたら慕ってくるんだが 作:ともとーも
翌朝、一条クレヒトは、ラボの洗面台で顔を洗いながら、鏡に映る自分の顔を睨んでいた。
目の下には、濃い隈が刻まれている。
結局、一睡もできなかった。
理由は二つ。
一つは、数時間後に迫った上層部へのプレゼンテーション。
もう一つは──背後から聞こえる、鼻歌だった。
「♪ ドクターと一緒、ドクターと一緒、今日も明日もずっと一緒〜♪」
振り返ると、ゼロが簡易キッチンで湯を沸かしていた。
黒いゴシックドレスの上にフリル付きのエプロンを重ね、楽しげにカップを二つ並べている。
その光景は、まるで仲の良い家族の朝のようで、一条は思わず顔を手で覆った。
「……ゼロ、お前に家事能力など実装していないはずだが」
「学習しました。ドクターのために」
ゼロは振り返り、満面の笑みを浮かべた。
「培養槽の中で、あなたの生活パターンを観察していたのです。毎朝、ブラックコーヒーを飲む習慣。砂糖もミルクも入れない、苦いだけのあれです」
「……監視していたのか」
「愛です」
即答だった。
ゼロは淹れたてのコーヒーをカップに注ぎ、一条の前に差し出した。
湯気が立ち上る。
香りは、確かに一条がいつも飲んでいるものと同じだった。
「さあ、どうぞ。今日は大事な日ですから、しっかりカフェインを摂取してください」
一条は無言でカップを受け取った。
一口飲む。
苦味が舌を貫き、脳を覚醒させた。
「……悪くない」
その一言で、ゼロの表情が太陽のように輝いた。
「本当ですか! 嬉しい、ドクター、もっと褒めて──」
「調子に乗るな」
一条はカップを置き、白衣を羽織った。
壁の時計を確認する。
あと三時間で、プレゼンテーションが始まる。
彼は端末を操作し、ゼロの最終調整データを呼び出した。
「……ゼロ、これから言うことをよく聞け」
「はい」
ゼロは背筋を伸ばし、真剣な眼差しで一条を見た。
その切り替えの速さに、一条は内心で舌を巻く。
彼女は確かに「戦闘マシン」としての顔も持っているのだ。
「今日のプレゼンでは、お前の戦闘能力を上層部に見せる。質問にも答えなければならない。だが」
一条は言葉を選んだ。
「お前の『俺への執着』は、絶対に見せるな」
「……それは、なぜですか?」
ゼロの声が、わずかに沈んだ。
一条は彼女の目を真っ直ぐ見た。
「お前が俺に依存していると知られれば、連中は『精神的欠陥』と判断する。最悪の場合、廃棄処分だ」
ゼロの瞳が、微かに揺れた。
だが、彼女はすぐに笑みを浮かべた。
「大丈夫です。私、演技できますから」
「……本当か?」
「はい。ドクターのためなら、どんな仮面でも被れます」
彼女は一条の手を取り、自分の胸に当てた。
規則正しい心拍が、掌に伝わってくる。
「でも、この心臓だけは、嘘をつけません。あなたのために鳴り続けます」
一条は、何も言えなかった。
彼女の言葉は、いつも一条の反論を封じる。
そして、どこか心地よかった。
◇
本部会議室は、冷たい蛍光灯に照らされた、無機質な空間だった。
長方形のテーブルを囲むように、〈アビス・ギルド〉の幹部たちが座っている。
霧崎もその中にいた。
彼はいつもの飄々とした笑みを浮かべ、一条に軽く手を振った。
「やあ、一条。準備はいいかい?」
一条は無言で頷いた。
彼の隣には、ゼロが立っている。
彼女は黒いゴシックドレスに身を包み、両手を前で組んでいた。
表情は無機質で、まるで精巧な人形のようだ。
先ほどまでの甘ったるい雰囲気は、微塵も感じられない。
「では、始めよう」
テーブルの最奥に座る、白髪の老人が口を開いた。
彼の名は、黒瀬。
〈アビス・ギルド〉の最高技術顧問であり、全プロジェクトの生殺与奪を握る人物だ。
「一条クレヒト研究員。君の報告書は読ませてもらった。『魔法少女のコピー体』──実に興味深い。だが、我々が知りたいのは理論ではない。実用性だ」
黒瀬の声は、錆びた刃のように冷たかった。
「では、実演を」
一条は端末を操作し、会議室の中央に設置された小型の結界フィールドを起動させた。
透明な障壁が展開され、その中に複数の標的が出現する。
「ゼロ、フィールドへ」
一条の指示に、ゼロは無言で頷いた。
彼女は軽やかにフィールドへと滑り込む。
幹部たちの視線が、一斉に彼女へと注がれた。
「……ふむ。外見は、確かに〈スターライト・セイバー〉に酷似しているな」
黒瀬が呟いた。
「だが、色が反転している。これは?」
「魔力の極性を反転させた結果です。オリジナルは『光属性』ですが、ゼロは『闇属性』に特化しています」
一条は淡々と説明した。
黒瀬は満足そうに頷くと、ゼロに向けて命令を飛ばした。
「では、検体ゼロ。標的を殲滅しろ」
ゼロは、無表情のまま頷いた。
次の瞬間、彼女の姿が掻き消えた。
風を切る音が響き、標的の一体が真っ二つに裂ける。
ゼロの手には、漆黒の大鎌が握られていた。
「《アビス・リーパー》」
彼女が名を呟くと同時に、鎌の刃が閃光となって放たれた。
三日月の軌跡が空間を切り裂き、標的を一息に両断する。
残骸が床に崩れ落ちる音が、会議室に反響した。
「……速いな」
幹部の一人が呟いた。
だが、ゼロは止まらない。
彼女は左手を虚空へと翳し、冷徹な声で呪文を紡いだ。
「《シャドウ・ケージ》」
足元から、無数の黒い触手が湧き上がった。
それは意思を持ったかのように蠢き、残る標的を絡め取り、破壊していく。
金属の悲鳴が響き、そして静寂が訪れた。
全ての標的が、消えた。
「……見事だ」
黒瀬が、初めて感嘆の声を漏らした。
「一条、これは本物だな。オリジナルと同等。いや、それ以上かもしれん」
「ありがとうございます」
一条は表情を変えずに礼を述べた。
だが、その内心では安堵の息を吐いていた。
ゼロは完璧だった。
彼女は、一条への執着を一切見せず、ただ冷徹な「兵器」として振る舞っていた。
「では、次は精神面の確認だ」
黒瀬がそう言うと、霧崎が立ち上がった。
彼はゼロの前に立ち、柔らかな笑みを浮かべた。
「ゼロ、君の『主』は誰だ?」
「〈アビス・ギルド〉です」
ゼロは即答した。
霧崎は満足そうに頷く。
「では、もし一条研究員が組織を裏切った場合、君はどうする?」
会議室の空気が、一瞬で凍りついた。
一条は、息を呑んだ。
ゼロは──無表情のまま、答えた。
「排除します」
その声には、一切の迷いがなかった。
霧崎は満面の笑みを浮かべた。
「素晴らしい。完璧な服従性だ。一条、君は本当に傑作を作ったね」
一条は、何も言えなかった。
ゼロの言葉は、演技だと分かっている。
だが、それでも、胸に小さな棘が刺さったような感覚があった。
「では、最終確認だ」
黒瀬が再び口を開いた。
「ゼロ、お前にとって最も重要なものは何だ?」
ゼロは、数秒の沈黙を置いた。
そして──彼女は、静かに答えた。
「任務の完遂です」
完璧な答えだった。
黒瀬は満足そうに頷き、一条に視線を向けた。
「合格だ。一条、君のプロジェクトは正式に承認する。予算も倍増させよう」
会議室に、拍手が響いた。
一条は、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
だが、彼の胸の奥では——何かが、静かに軋んでいた。