第二十二話【不幸のメダロット~HAPPY LIFE~】
ヴァレンがルクの家に転がり込んでから、一か月が経った。
当初の心配など何だったのか。ルクは死ぬどころか、つい昨日、メダリンピックの予選をぶっちぎりで勝ち抜いてしまった。
『不幸のメダロット』と呼ばれた彼を待っていたのは、無慈悲な破滅ではない。騒がしく、眩しく、時に理不尽ですらある――「日常」という名の嵐だった。
ある朝。
意識が覚醒すると同時に、ヴァレンは顔面を押し潰す重苦しい感触と、人肌の熱を感じた。
ヴァレン:「…………」
視界が塞がれている。
目の前にあるのは、柔らかな肌。
――ルクの太ももだった。
寝相が悪い、などという言葉では生易しい。どうやらルクは眠っている間に、ヴァレンを抱き枕か何かと勘違いしたらしい。豊かな脚が彼の顔へ乗り上げ、そのまま強引に押し潰している。
冷たい金属の装甲越しにも分かる、人間の肌の柔らかさと体温。
ヴァレン:(……何気に、重ぇんだよ……)
逃れようと身を捩った拍子に、素肌が関節部分へ触れた。やけに近い体温と、寝起きの彼女から漂う甘い匂いを意識してしまい、ヴァレンの動きが一瞬だけ止まる。
そして、すぐに我に返った。
ヴァレン:「……テメー!! 何回、何気に俺の顔に太もも乗せたら気が済むんだ!!」
ヴァレンが強引に脚を押し退ける。
ルク:「ふぇ……?」
間の抜けた声を漏らし、ルクがゆっくりと身を起こした。
寝ぼけ眼のまま髪を掻き上げる。その動きに合わせて大きく開いたTシャツの首元から、豊かな胸元の輪郭が覗き、朝日に照らされて柔らかな陰影を作っていた。
ルク:「あー……ヴァレン、おはよ」
ヴァレン:「おはよ、じゃねぇよ!」
ルク:「だってアンタの身体、冷たくて気持ちいいんだもん」
ヴァレン:「だから何気に寝る時はメダロッチにしまえっつーの!!」
ルク:「えー! いいじゃん♪」
悪びれる様子もなく、ルクはそのままヴァレンへ抱きついた。
ヴァレン:「お、おい!」
ルクの胸が彼の腕へ押しつけられ、柔らかく形を変える。冷たい金属の身体へ、ルクの熱がじかに伝わってくる。
ヴァレンは慌てて顔を逸らした。
ルク:「何よ?」
ヴァレン:「……何でもねぇ!」
そんな彼の反応など知ったことではないとばかりに、ルクはケラケラ笑って腕を放し、勢いよくベッドから飛び降りた。
ワンダ:「……ヴァレン、もう諦めなよ。この一か月、毎日同じこと言ってるよ」
傍らで一部始終を見ていたワンダが、呆れたように肩をすくめる。
ヴァレン:「お前も止めろよ!」
ワンダ:「無理だよ」
ヴァレン:「即答すんな!」
そんな騒がしいやり取りから、彼らの一日は始まるのだった。
―
朝食を済ませれば、休む間もなくメダリンピックへ向けた特訓が始まる。
ルクにとってロボトルは、単なる趣味でも名誉を求めるための競技でもなかった。
ルク:「さぁ! 決勝トーナメントまであと二か月! これからの家賃も食費も、全部この大会にかかってるんだから、本気でいくわよ!」
ヴァレン:「何気に切実すぎるだろ……」
両親を失い、頼れる身寄りもないルクの暮らしには、ほとんど余裕がなかった。日々の生活費を工面するだけでも苦しく、メダリンピックの優勝賞金二千万円とレアパーツは、彼女にとって贅沢のための報酬ではない。
これから生きていくための、大切な資金だった。
だからこそ、ロボトルとなればルクの表情は変わる。
ルク:「ヴァレン、右腕サクリファイス!」
ヴァレン:「おう!」
ヴァレンの右腕が炸裂し、標的へ凄まじい威力の一撃を叩き込む。だが、サクリファイスは自らのパーツを犠牲にする攻撃。放った直後、彼の右腕は失われる。
ルク:「ワンダ、今!」
ワンダ:「分かった!」
間髪入れず、ワンダの修復行動がヴァレンへ届く。
失われた右腕が復元されるや否や、ルクの次の指示が飛んだ。
ルク:「次、左! 相手が立て直す前に押し切る!」
ヴァレン:「何気に人使い荒ぇな!」
ルク:「文句言う暇あったら撃つ!」
ヴァレン:「へいへい!」
ヴァレンのサクリファイスによる大火力を、ワンダの修復で即座に補う。一歩タイミングを誤ればヴァレンは武装を失ったまま敵の反撃を受ける、綱渡りのような連携だった。
だが、ルクはその一瞬を見誤らない。
敵の動き、ヴァレンの攻撃後の隙、ワンダの行動準備――それらを瞬時に見極め、二機へ的確な指示を飛ばしていく。
普段の大雑把さからは想像もつかないほど、戦場に立ったルクは鋭かった。
ヴァレン:(……何気に、こいつ凄ぇんだよな)
強引で、うるさくて、寝相が最悪で、金にも食い物にもがめつい。
なのに。
ロボトルの指揮だけは、本当に上手い。
そんなルクの指示に従っているうちに、ヴァレン自身も戦うことが少しずつ楽しくなっていた。
そして三時間後。
ぐぅぅぅぅぅ――。
ルク:「…………」
ヴァレン:「…………」
ワンダ:「…………」
盛大な音が響いた。
ルク:「今日はこれくらいにしといたるわ」
ヴァレン:「腹減っただけだろ!」
ワンダ:(吉本だァーー!! めだか師匠……ッ!)
―
――――昼食。
ルク:「がつがつ、もぐもぐ!!」
ルクは安売りで大量に買い込んだ食材を、驚くほどの勢いで胃へ流し込んでいた。
ヴァレン:「……何気によく食うな、お前」
ルク:「もぐもぐ……何よ!」
ヴァレン:「そんなに食ってると、何気に太るぞ。スタイルだけはいいんだからよ」
ルク:「うっさいわね!」
ルクは口いっぱいに食べ物を頬張ったまま、ヴァレンを睨みつける。
ルク:「いつ食料が尽きるか分かんないんだから、食える時に食っとくの! これが超不幸女の生存戦略よ!」
ヴァレン:「どんな戦略だよ……」
口元を汚しながら、それでも幸せそうに食べ続けるルク。
ヴァレンは、そんな彼女をじっと見つめた。
金にがめつい。
食い意地も張っている。
けれどそれらはすべて、両親を失った後も一人で生き抜くために、彼女自身が身につけた逞しさなのだ。
ヴァレンは、この一か月でそれを理解し始めていた。
ルク:「何?」
ヴァレン:「いや」
ヴァレンは小さく笑う。
ヴァレン:「何気に、逞しい奴だなと思ってよ」
ルク:「でしょ?」
ルクは胸を張った。
ルク:「あたし、超不幸女だからね!」
ヴァレン:「それ自慢するところなのか?」
ワンダ:「もう突っ込んでも無駄だよ、ヴァレン」
そんな日々が続いた。
朝になればルクに叩き起こされ、昼は三人で特訓し、腹が減れば安い食事を囲む。金がないと騒ぎ、ロボトルでは本気でぶつかり、夜になればくだらないことで笑った。
ヴァレンがこれまで知らなかった時間。
何の事件も起きない。
誰も死なない。
ただ明日が来ることを、当たり前のように信じられる日々。
それが三か月も続いた頃には、『不幸のメダロット』という言葉すら、少しずつ遠いものになり始めていた。
―
そして、いよいよメダリンピック決勝トーナメント前日。
三人は大会会場近くに用意された選手用ホテルへ宿泊していた。
ルク:「明日は一回せーーん!!」
ヴァレン:「イエーーーーイ!!」
ワンダ:「二人とも元気だね……」
三か月前、自殺を邪魔されたことに不満を漏らしていた男の姿は、もうどこにもない。
ヴァレンのノリは、完全にルクへ染まっていた。
だが。
ひとしきり騒いだ後、ヴァレンの表情がふと曇る。
ヴァレン:「……なぁ、ルク」
ルク:「ん?」
ヴァレンは少し迷ったあと、居住まいを正した。
ヴァレン:「俺、この大会が終わったら……また何気に野良へ戻るつもりだ」
ルクの動きが止まった。
ワンダ:「ヴァレン……?」
ルク:「…………」
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ、ルクの顔に寂しさが浮かんだ。
ルク:「……あたしのこと、嫌いになった?」
ヴァレン:「違う!」
ヴァレンは反射的に声を上げた。
ヴァレン:「何気に、そんなんじゃねぇ!!」
ルク:「じゃあ、どうして?」
ヴァレン:「…………」
答えは分かっている。
楽しかった。
だからこそ、怖くなったのだ。
ヴァレン:「……忘れたのかよ」
ヴァレンが視線を落とす。
ヴァレン:「俺は何気に『不幸のメダロット』だ」
ルク:「…………」
ヴァレン:「ここまで何も起きなかったのは、たまたまかもしれねぇ。でも、一緒にいれば……いつか必ず、俺はあんたを――」
言葉は、最後まで続かなかった。
ルクが立ち上がり、ヴァレンの首へ両腕を回した。
ヴァレン:「…………!」
そのまま、鋼鉄の身体を強く抱き寄せる。
ルクの柔らかな身体が胸板へ密着した。温かな体温、高鳴る鼓動。首元には彼女の吐息が触れている。
ヴァレンは完全に固まった。
ルク:「アンタ、本当になーんにも分かってないね」
ヴァレン:「……ルク?」
ルク:「不幸?」
ルクは抱きしめたまま、小さく笑う。
ルク:「そんなの、あたしがとっくに上書きしてあげたでしょ」
腕を少し緩めると、至近距離からヴァレンの顔を覗き込んだ。
茶色の髪。
左目の下の泣きぼくろ。
少し潤んだ瞳。
これまで何度も見てきたはずの顔なのに、この時ばかりは妙に目を逸らせなかった。
ルク:「アンタといること自体が、あたしにとっての『幸せ』なの」
ヴァレン:「…………」
ルク:「だから、もうそんな悲しいこと言わないで」
ヴァレンは何も言えなかった。
自分は不幸を振り撒く。
誰かと一緒にいてはいけない。
そう思って生きてきた。
そんな自分へ、この女は「一緒にいることが幸せだ」と言った。
ヴァレン:「…………」
冷たい指先が、恐る恐る動いた。
逃げるためではない。
拒むためでもない。
ヴァレンは、おずおずとルクの背中へ腕を回した。
そして初めて、自分から彼女を抱き返した。
ルク:「…………」
ルクの表情が、僅かに綻ぶ。
その二人の横へ、ワンダも静かに歩み寄った。
ワンダ:「……行こ」
ワンダが、二人の手を優しく取る。
ワンダ:「三人で、ずっと一緒にね」
ヴァレン:「…………」
三人で。
ずっと一緒に。
以前の自分なら、そんな未来を想像することさえ許さなかっただろう。
だが今は。
もしかすると――自分は、生きていてもいいのかもしれない。
誰かの隣にいても。
幸せになっても。
許されるのかもしれない。
ヴァレン:「……あぁ」
ヴァレンは顔を上げた。
そこにはもう、山奥で自らのメダルを砕こうとしていた男の影はない。
ヴァレン:「……おう!! 何気に、最高に最強な戦いを見せてやるぜ!!」
ルク:「その意気よ!」
ワンダ:「うん!」
不幸のメダロットの心に灯った小さな火は、消えなかった。
ルクとワンダに守られながら、少しずつ大きくなって。
いつしかそれは――明日を信じるための、確かな希望へと変わり始めていた。
第二十二話【不幸のメダロット~HAPPY LIFE~】終わり