第五十一話【VALEN'S RESEARCH】
深い森の迷宮を抜け、カヲスに導かれるままに辿り着いた先。
それは、再興を始めたばかりの「エデン」の心臓部――その最深部に位置する科学部だった。
重厚な防護扉が、油圧の軋みと共に重々しく左右に開かれる。内部から漏れ出してきたのは、冷え切った空気と、鼻を突くような強いオゾンの匂い、そして長年放置されていた紙資料が放つ独特の古びた香りだった。
ヴァレン:「おいおいおいおいおい……まさか、エデンは何気に復活したのか……?」
カヲス:「そうだ……私が復活させた………」
ヴァレンは一歩足を踏み入れ、その光景に僅かにセンサーの焦点を揺らした。
科学部内は、およそ軍事施設とは思えぬほどに荒れ果てていた。
床には数年前の黄ばんだ研究レポートや、解読不能な数式が殴り書きされたメモが落ち葉のように散乱している。
天井からは、被覆の剥げた光ファイバーや電力ケーブルが、まるで巨大な怪物の内臓のように無残に垂れ下がり、不安定な放電の火花を時折散らしていた。
ヴァレン: 「……おい、アンタ。ここ、何気に掃除の担当とかいねぇのかよ? 足の踏み場もねぇぜ」
カヲス: 「…………時間は、すべて研究のために費やしている…………。周りの物には、決して触れるな…………」
カヲスの無機質な警告。
その巨大な白い龍の身体が、暗い室内で微かに発光し、進むべき道を照らしていく。
やがて二機は、実験室のさらに奥、最も巨大な演算サーバーが鎮座する広間へと辿り着いた。
そこには、周囲の混沌を嘲笑うかのような圧倒的な存在感を放つ『影』があった。
―――巨大な、赤い十字架。
血のような紅に染まったその機体には、自由を求めてもがき、そのまま硬化したかのような、不気味な四枚の羽が生えている。中央には、断絶された歴史を象徴するような一文字。
『D』
ヴァレン: (まさか……。こ、これって何気に、N・G・ライトが最期に言ってた……本物かよ)
ヴァレンの思考を読み取ったかのように、カヲスがゆっくりと、その十字架へと右腕を差し出した。
カヲス: 「『DISAPPEARANCE』……。過去の事実を、消滅させるための装置だ……」
装置から漏れ出す、地を這うような低周波の唸り。
英雄はついに、世界を無へと還すための深淵の扉の前に立たされていた。
『DISAPPEARANCE』――巨大な赤い十字架が発する、空間を歪ませるような重低音が実験室に響き渡る。
ヴァレンはその威容を見上げながら、隣に立つ白い龍へと視線を向けた。
ヴァレン: 「あ、あんた。いいのかよ? 何気にただの旅人に、そんな機密をベラベラと喋っちまって」
ヴァレンは敢えて挑発するように、軽い口調で問いかけた。
カヲスは数瞬の沈黙の後、巨大な黒い瞳をヴァレンへと向けた。
その瞳の奥には、冷徹な計算以上に、研究に行き詰まった者が抱く特有の「渇き」が宿っていた。
カヲス: 「……何故かは分からん。だが……貴様からは、N・G・ライトと同じ『波長』を感じるのだ。……この理不尽なまでの力……、そして、神の領域へ踏み込まんとする不遜な風格……」
カヲスの言葉に、ヴァレンは背中のスロットを意識した。そこにあるのは、ライトの力の断片――『白メダリア』。
カヲスの直感は、皮肉にもその「遺産」の波動を正確に捉えていた。
カヲス: 「貴様なら……私一人では解けぬこの謎を……、共に解き明かせる気がしてな」
それは、リーダーの命令ではなく、一人の孤独な科学者としての縋りだった。
ヴァレンは仮面の裏で不敵に口端を吊り上げる。
ヴァレン: 「へっ。何気に、面白そうじゃねえか。……いいぜ。何気に暇を持て余してたところだ、何気に付き合ってやるよ」
ヴァレンは「旅人ヴァレン」としての仮面を深く被り直し、エデンの客員研究員としての地位を手に入れた。
正体が露見すれば、即座にこの実験室は地獄へと変わる。
彼は細心の注意を払いながら、カヲスとの奇妙な、そして濃密な『共犯関係』に身を投じていった。
日を追うごとに、二機の思考回路は一つの目的に向かってシンクロしていく。
カヲスはヴァレンの鋭い直感と、時に自身を凌駕する大胆な発想に心酔し、ヴァレンはカヲスの緻密な解析力から『D』の真の恐ろしさを吸収していく。
英雄と混沌。
交わるはずのなかった二つの意志が、皮肉にも『N・G・ライト』という共通の影によって、固く結びつけられていった。
―
『 D 』の解析作業が数日に及んでいたある日のこと。
実験室の電圧計が激しく振れ、二機がデータの整合性を巡って議論を深めていたその時、静寂を破って自動扉がプシューという音を立ててスライドした。
ヴァレン: (――ッ!? 何気に、誰か来やがった!!)
ヴァレンの全身に冷たい電流が走った。
もし、今入ってきた者が九年前の戦いを知る重鎮であれば、自分の正体――エデンを壊滅させた『ジョーカード』であることが瞬時に露見する。
ヴァレンは反射的に身を翻すと、音もなく床を滑り、近くにあった巨大なサーバーラックの陰へとその身を隠した。
入室してきたのは、ダイヤモンドのように透き通った装甲を纏う、一機の高貴なメダロットだった。
ハードネステン――後のL班の仲間となるコスモスである。
当時の彼女はカヲスの忠実な代行者として、その瞳に一点の迷いもない光を宿していた。
ハードネステン: 「カヲス様。……頼まれていた過去の実験資料を入手いたしました。こちらに置いておきますね」
ハードネステンは、ヴァレンが隠れているサーバーラックのすぐ横を通り過ぎ、デスクの上に紙の束を置いた。
ヴァレンは息を殺し、自身の排熱ファンを最小出力まで下げて、彼女が去るのを待った。
カヲス: 「ご苦労だった……ハードネステン……。もう……下がっていいぞ……」
カヲスの短い指示。ハードネステンは「失礼いたします」と一礼し、再び自動扉の向こう側へと消えていった。
彼女の足音が完全に遠のいたことを確認し、ヴァレンは冷や汗を拭うような仕草をしながら、物陰から這い出した。
九死に一生を得た、と安堵の駆動音を漏らすヴァレンを、カヲスが不思議そうに凝視していた。
カヲス: 「貴様……。ハードネステンが入ってきた瞬間に、……何故隠れた? まさか……」
ヴァレン: (やべっ……何気に、今の怪しすぎる動きで勘繰られたか!?)
最悪の事態――正体の発覚を覚悟し、ヴァレンがスバルの柄に手をかけようとしたその時。
カヲスは理解に苦しむといった様子で、三本の角を僅かに傾けて言った。
カヲス: 「…………貴様、さては『照れ屋』か?」
ヴァレン: 「……。……。……はは、まぁ、何気にそんな感じだ。あんな別嬪さんの前じゃ、何気に緊張しちまってよぉ……」
カヲスのあまりにも純粋で、かつピントの外れた推測に、ヴァレンの全回路が脱力した。
この男は、天才的な頭脳を持ちながら、他者の「隠し事」や「悪意」という概念を理解するだけの情緒を持ち合わせていない。
その欠落こそが、ヴァレンにとっては最大の幸運となっていた。
ヴァレン: (助かった……。何気に、カヲスの天然に救われたぜ……)
奇妙な信頼、あるいは致命的な誤解。
英雄は再び仮面を被り直し、混沌の龍の隣で、世界の命運を左右する研究の続きへと没頭するのだった。
「照れ屋」という奇妙な誤解を盾に、ヴァレンの潜入生活はさらに深く、エデンの核心へと食い込んでいった。
カヲスとヴァレン――二機は連日、実験室の膨大な熱気と電子ノイズに身を投じ、ついにN・G・ライトが遺した設計図の「解答」へと辿り着いた。
ヴァレン: 「(何気に……、とんでもねぇシロモノだぜ。ただの兵器ならまだ可愛げがあったんだがな)」
ヴァレンは、メインモニターに映し出されたシミュレーション波形を見つめ、内部基盤が冷えるのを感じていた。
カヲス: 「……理解できたか、ヴァレン。……急速チャージ系統のパーツ……、あれは単に機動速度を上げているのではない。……極めて微細な時間軸の『歪み』を生じさせ、未来を先取りしているに過ぎない……」
カヲスが、巨大な赤い十字架――『D』の制御基盤を指差した。
カヲス: 「ライトは、その一瞬の『時間操作』を、物理的な限界点まで拡張した。……この『D』の正体は、物理的な事象を逆行・上書きする、巨大な……『タイムマシン』なのだ……」
ヴァレン: 「……なるほどな。急速チャージのバカげた応用ってわけか。……で? 過去に戻って何気に歴史を書き換えでもするつもりかよ?」
カヲス: 「いや……。書き換えなどという生温いものではない。……過去に遡り、目的とする事象そのものを『消滅』させる。『DISAPPEARANCE』……。これを使えば、例えば……N・G・ライトの『死』という事実さえ、最初から無かったことにできるのだ」
カヲスの声に、狂信的なまでの熱がこもる。
歴史からその事実を消し去れば、その後に続く因果もろとも消失する。
それは、今の自分たちが立っている「現在」という足場を崩壊させる行為に他ならなかった。
ヴァレンは拳を握りしめた。
N・G・ライトの『死』を消滅させられるならば……『別の者』の死も同様のはずだ。
だが、設計図を読み解いた二機は、同時にこの機械が抱える『絶望的な欠陥』にも直面していた。
カヲス: 「……だが。……やはり、足りない…………。時空を物理的に抉じ開けるには、……現在の我々が集められるすべてのエネルギーを注いでも、コンマ数%の出力にすら届かぬ…………」
カヲスの三本の角が、苛立ちと焦燥に震えた。
原理は解明した。使い方も理解した。けれど、起動に必要な『エネルギー』。
それだけが、この究極の願望を空想の檻に閉じ込めていた。
―
実験室の空気は、日を追うごとに重苦しく、そして熱く淀んでいった。
カヲスとヴァレンが『D』の深淵に潜り込んでいる間も、壁一枚隔てた外界では、歴史の歯車が軋んだ音を立てて回り続けていた。
エデンがラヴドに奇襲をかけて戦争が再び始まった。
戦争は最初の頃こそ激しい戦闘が続いたが、二つの巨大な鋼鉄の意志は、泥沼の膠着状態に陥っていた。
互いに決定打を欠いたまま、国境付近での小競り合いが続く「冷戦」の日々。
だが、その停滞を、一筋の紅い閃光が無慈悲に切り裂いた。
ある日の午後。
科学部の指令モニターが、複数の拠点陥落を告げる警告を吐き出した。
カヲス: 「……またか。…………アークビートルD。……あの男の進撃は、留まることを知らぬようだな…………」
カヲスの低く、温度のない声。
モニターには、エデンの守備隊を単騎で蹂躙し、本部へと着実に距離を詰めてくる『紅蓮の騎士』の姿が映し出されていた。
その映像を見た瞬間、ヴァレンの内部フレームに、文字通り冷たい電流が走った。
ヴァレン: 「(……アークDさん……。何気に、あんな無茶な進軍しやがって。……あんたらしいぜ、全くよぉ)」
アークビートルD。
ルクを失い、死を望んでいたヴァレンに「復讐」という名の生きる目的を与えてくれた恩人。
そして、誰よりも正道を往く、ヴァレンにとっては師とも呼ぶべき存在。
その師が、今、正義のために戦争を終わらせようと迫っている。
一方で、自分はその宿敵であるカヲスの傍らで、世界をひっくり返しかねない禁忌の研究に手を貸している。
自己嫌悪という名の熱が、ヴァレンの基盤を灼(や)き焦がす。
カヲス: 「……アークビートルDさえ退ければ、……実験のための時間は十分に稼げる…………。だが……現在の我が軍の戦力では、あの怪物を止めるのは困難だ…………」
カヲスは淡々と、けれど確かな焦燥を隠し切れずに呟いた。
彼にとってアークビートルDは、ライトの遺産を完成させるための「最大の障害」に過ぎなかった。
ヴァレンは、深く、長く、熱い排気音を一つ吐き出した。
回路の奥底で、一つの決心が固まる。
これ以上、自分を偽ったまま、この暗い部屋で恩人の進軍を眺めていることはできなかった。
自分自身に、そして自分を信じてくれた師に、最悪の形であっても『ケジメ』をつけなければならない。
ヴァレン: 「……カヲス。何気に、そいつはオレが引き受けてやるよ」
カヲス: 「……何……?」
ヴァレン: 「その『アークビートルD』って野郎はな……。何気に、オレじゃないと止められねぇんだ。……だから、オレが行く」
ヴァレンはそう告げると、一度も振り返ることなく、光の見えない実験室を後にした。
かつての師を、自らの手で止めるために。
英雄は、ついに自ら『不実』という名の戦場へ足を踏み出した。
第五十一話【VALEN'S RESEARCH】終わり