第五十六話【不幸のメダロット~DEATH~】
―――ガシャンッ、……。
実験室の奥底、歴史の因果を揺るがす巨大な十字架『DISAPPEARANCE』の前で、あまりにも虚しい、鈍い金属音が響いた。
全力で地を蹴り、ワンダへと肉薄したはずのヴァレンの身体が、一瞬の硬直ののち、糸の切れた人形のように床へと崩れ落ちたのだ。
四分四十四秒。
死神が宣告した非情なタイムリミットが、コンマ一秒の慈悲もなく訪れた。
ヴァレンの頭部パーツからは、バチバチと絶縁破壊を起こした激しい火花が吹き出し、頭パーツが内側から弾け飛ぶ。
基盤が焼き付く鼻を突く匂いが、静まり返った室内へと広がっていった。
ヴァレン: 「フッ……。ここ一番の賭けで……何気に、負けちまったな……」
頭部の大半を損壊し、もはやアイセンサーも音声出力も死に体となりながら、ヴァレンは床に這いつくばったまま、掠れた声を絞り出した。
死神の加護は消え、残されたのは、ボロボロに炭化した一機のメダロットの残骸。
だが、その声には不思議と、一度も宿ることのなかった「安穏」の響きが混じっていた。
ワンダ: 「ヴァレン……。どうして……? どうして……っ!!」
ワンダは、自身の身体の半分以上を癒しエネルギーに変えて放出した代償で、もはや立ち上がる力すら残されていなかった。
欠損した装甲を震わせ、彼女は子供のように泣きじゃくりながら、動かぬ親友の名を呼び続けた。
なぜ、そこまでして自分を、メダロットを消そうとしたのか。
なぜ、これほどまでに残酷な形で終わらなければならなかったのか。
ヴァレン: 「ワンダ……。お前は、……ルクが家出した理由、何気に知ってるよな?」
ワンダは、涙を堪えるように小さく頷いた。
かつての主、宝条ルク。
彼女との騒がしくも美しい日々の裏側に、どれほど深く、鋭い『傷跡』が隠されていたのか。
ヴァレンの記憶が、ゆっくりと、最後の手札を開くように再生を始めた。
――
―――遡ること数十年。まだ世界に『神』による裁きが下る前の、穏やかな昼下がりの記憶。
ワンダがジャンケンに負けて渋々買い出しに出かけ、部屋にはヴァレンとルクの二人だけが残されていた。
西日に照らされたベランダで、ルクは手摺りに身を預け、流れる雲をぼんやりと眺めていた。
その横顔がいつになく大人びて見えた。
ヴァレン: 「なぁ、ルク。……あんた、なんで何気に家出したんだ? ずっと気になってたんだわ」
聞いても良いことなのか、ヴァレンの指先は僅かに躊躇いを見せた。
だが、当時の彼は、彼女という人間が抱える光も影も、すべてを知っておきたかったのだ。
ルク: 「ん~? どうしたの、いきなり。……ふふ、ようやくあたしに興味持ち出したかな~♪」
ルクはヴァレンをからかうように、悪戯っぽく笑った。
だが、その瞳の奥には、簡単に他人には触れさせない鋭い知性が潜んでいた。
ルク: 「ま、いいけどね。……簡単に言うと、進路でもめてプチ家出したって感じかな。……あたしがメダロット学に進みたいって言ったら、両親が猛反対してさ」
ルクの両親は、彼女を医者に育てるべく、幼い頃から徹底した英才教育を施していた。
当時の大人たちにとって、発展のピークを過ぎたメダロット学など、愛娘の人生を託すにはあまりにも不透明な、価値のない道に見えたのかもしれない。
ルク: 「激しく言い争いしちゃってさ。……ちょっと心配させて、あたしの話を聞いてもらおうと思っただけだったんだ。……さっさと戻るつもりだったんだよ?」
だが、運命は、非情だった。
家出から二週間後。ルクの元へ届いたのは、両親の訃報だった。
ルク: 「整備不良のメダロットが運転してたトラックと、正面衝突しちゃったんだってさ。……あたし、家出中に連絡先も変えちゃってたから。……すべてを知ったのは、お葬式も全部終わった後。……笑えるでしょ?」
ルクは笑っていた。けれど、その指先が手摺りを強く握りしめ、白くなっているのをヴァレンは見逃さなかった。
メダロット学を巡って両親と決別し、そのメダロットが運転する鉄塊によって、最愛の家族を奪われた。
ヴァレン: 「メダロットに人生を狂わされたってわけか。……この世に『メダロット』なんていなきゃ幸せだったのにな」
一瞬、彼の心に過ったその言葉は、何気なく口から零れていた。
すると、ルクは一瞬だけ驚いたように目を見開き、次の瞬間、お腹を抱えてプッと吹き出した。
ルク: 「メダロットがいなかったら? アッハハハハハッ!! ヴァレン、何それ! アンタ、面白いこと言うわね!!」
それは、腹の底から湧き上がるような爆笑だった。
ルク: 「ファッファッファッファッファ……ッ!!」
ヴァレン: 「なんだその変な笑い方……」
ルクはようやく笑い疲れると、涙を指で拭い、かつてないほど穏やかで、強い瞳でヴァレンを見た。
ルク: 「確かにね! もしメダロットがいない世界だったら、あたしの人生は思いっきり変わってたかもね! ……幸せかどうかなんて分かんないけどさ♪」
そう言って彼女は、彼の冷たい金属の頭を優しく撫でた。
自分の不幸の根源であるはずの存在を、それでも彼女は『幸せの欠片』として受け入れていた。
そのあまりに気高く、無茶苦茶な彼女の意志が、九年後、ヴァレンをこの場所へと導いたのかもしれなかった。
――
ヴァレンの損壊した頭部からは、漏電による細かな火花が散り続けていた。
彼は炭化した腕を震わせ、力なく床に転がったまま、ワンダを――かつてのマスターが最も信頼していた天使を見つめた。
ヴァレン: 「ルクとのあの日感じたものが、何気にオレをここまで動かしたのかもしれねぇな……」
自嘲するような、けれど吹っ切れたような微かな笑み。
ヴァレンは一度だけ空を仰ぎ、意を決したように言った。
ヴァレン: 「ワンダ……。……オレを、殺してくれ」
ワンダ: 「…………!!?」
ワンダの思考が停止した。自身の身体から溢れ出す残光が激しく揺れ、彼女の眼が明滅する。
ヴァレン: 「このまま生きていたところで、何気に『ラヴド』に処刑されるのがオチだ。……オレは何気に、全メダロットを消そうとした大罪人だからな。……仮に処刑を免れたとしても、オレは……オレ自身の手で、何気に命を絶つさ。オレがこの世に留まる理由は、もう何処にもねぇんだわ」
ヴァレンの声は、凪いだ海のように静かだった。
ルクを守るために戦い、ルクを失って復讐に身を落とし、最期には彼女のいた世界を取り戻すために自分たちごと消し去ろうとした。そのすべてのチップを使い果たしたギャンブラーにとって、残された「生」は無意味な残骸に過ぎなかった。
ヴァレン: 「……だから、お前の手でオレを終わらせてくれ」
ワンダは激しく首を横に振った。指先が震え、涙のようなエネルギーの雫が床に落ちる。
だが、ヴァレンは残酷なまでの正論を重ねた。
ヴァレン: 「早くしろよ。……スラフシステムが起動しちまう。……一度機体が再起動しちまえば、オレはまた、この『DISAPPEARANCE』を使ってメダロットを消そうとするかもしれないぜ」
ヴァレンはそれ以降、何も言わなくなった。
問いかけにも、肩を揺らす叫びにも反応せず、ただワンダから視線を逸らして静かに己の終焉を待つ。
拒絶すれば、彼は再び世界の敵として目覚める。
受け入れれば、最愛の友を自らの手で葬ることになる。
ワンダは、震える手を、ゆっくりと持ち上げた。
その腕は、他者を回復するための
自身の身体を癒しエネルギーへと変換しすぎた代償で、彼女の装甲は至る所が剥がれ落ち、内部のフレームが露出している。
ソウスの先端をヴァレンに向けると、逃れようのない罪悪感と悲しみが脳内を駆け巡った。
対するヴァレンは、もはや一切の抵抗を放棄していた。
損壊した頭部を床に預けたまま、彼はただ静かにその瞬間を待っていた。
スラフシステムが起動し、再び彼を「執念」という地獄へ連れ戻す前に、すべてを終わらせなくてはいけない。
ワンダ: 「ヴァレン……さよなら!!!!」
喉が張り裂けんばかりの絶叫。
ワンダの目から、溢れんばかりの光の粒子が零れ落ちる。
ヴァレン: 「ワンダ……元気でな――」
その瞬間。
ヴァレンは、穏やかで澄み渡った笑顔をワンダへと向けた。
「――何気に……」
――その使い古された口癖に、彼が歩んできた孤独のすべての想いを込めて。
―――ド、オォォォォォォォォォォォォォンッッ!!!!!
激しい閃光が実験室を塗り潰した。
まだ『光学エネルギー化』の残滓を纏っていたワンダの放ったレーザーは、通常の出力を遥かに凌駕する純白の奔流となり、ヴァレンの機体を慈しむように包み込んだ。
熱。
すべてを浄化するような絶対的な熱量が、炭化した黒い装甲を、そして数多の悲劇を刻み込んできた『
ヴァレンの身体は、爆音と共に眩い光の塵へと変わり、夜の実験室に高く舞い上がった。
光が収まった後。
そこには、主を失った黒メダリアと白メダリアだけが残った。
かつてN・G・ライトを屠り、そして最後にすべてのメダロットを消し去ろうとした『不幸のメダロット』。
そのジョーカードとしての名は、親友の手による介錯によって、この世界から永遠に失われたのだ。
ワンダは残った黒メダリアと白メダリアを拾い上げると、強く、強く握る。
ワンダ: 「…………っ。……う、……うあああああああああああああああッッッ!!!!!」
ワンダの慟哭だけが響き渡った。
ヴァレンはルクの元へと旅立った。
ラヴドとエデンの長き戦いは、幕引きを迎えたのだった。
第五十六話【不幸のメダロット~DEATH~】終わり