ネリエル・トゥ・オーデルシュヴァンクが『ヒーロー』になるまでの物語 作:猫禰捏涅
「そん…な…相澤先生が…!」
二人の目に映ったのは、黒い皮膚をした巨体の怪人によってイレイザーヘッドが腕をひねり潰されている姿だった。
(アレは、何……!?人間なの!?)
怪人の頭部は、悍ましくも脳が剥き出しになっている。尋常な人間には見えず、それが“個性”によるものなのかも分からない。
イレイザーヘッドは“個性”を消せるが、戦闘の様子からして異形型の“個性”は抹消できず、純粋な身体能力に対しては“個性”ではない故効果がない。その不利を消すため近接格闘術を極めた動きをしていたイレイザーヘッドを、簡単に押さえつけて無力化した怪人には一体どれほどの腕力があるのか。
イレイザーヘッドの腕は脆いクッキーのように砕かれ、あらぬ方向にひしゃげていた。
「ひ………っ」
「透ちゃん、降りて!」
「っえ……ぁ、あ、うん!」
身を竦ませてしまった葉隠に、小さいが鋭い声をかけて意識を向けさせる。
背中の上から滑り降りた葉隠を花壇の陰に押しやり、ネリエルは槍を固く握り直した。
「ね、ネルちゃん…何するの…?」
「助走距離は…十分。
左手を前に突き出し、右手は槍を握りながら思いきり肩を後ろに引く。
「それ、槍…?」
「ええ。武器だし、この技は訓練では使わないようにしていたの。…多分、刃がなくても威力が強すぎるから」
「……え?」
「透ちゃん、近づかないでね」
その姿勢のまま後ろ脚で地面を蹴り、勢いよく一気に駆け出す。
(チャンスは相澤先生の頭が少しでも離れてから…!でないと…!)
全速力の速度を維持しながら、弓を引き絞るようにさらに槍を後ろに引く。
視線の先では、『ワープ』の靄がイレイザーヘッドをねじ伏せる怪人とのそばに現れ、『手』の
「本っ当かっこいいぜ……イレイザーヘッド」
激しい蹄の音の合間に、ネリエルの耳が小さな声を拾った。
怪人の手が、瞳を赤く光らせて『手』の
(今!!!!!)
「
身体中の筋肉を引き絞り、急停止。
四足で地面を抉りながら、助走の勢いを投擲のエネルギーに変換する。
ボッ、という音と共にネリエルの手から豪速で槍が放たれる。
槍はさらに、ネリエルの手を離れた瞬間持ち手部分に組み込まれた機構が起動して傾斜のついた羽根が飛び出すことで回転が加わる。
ネリエルの現時点での最高火力である回転と投擲の破壊力が乗った投槍は、過たず怪人の腕に突き刺さった。
バヂュンッ!と肉が弾け飛ぶ音を立てながら、怪人の右腕が上腕の途中で捻じ切られる。
相澤の頭が地面に叩きつけられる直前、ギリギリのタイミングだった。
「手っ…放せぇ!!」
「脳無」
動いたのは水場の中から飛び上がった緑谷だった。
だが、『手』の
———SMASH!!!!!
素早く移動してきた怪人の腹に、緑谷の拳が叩き込まれる。砂埃と水が拳の風圧によって巻き上げられ、怪人と緑谷の姿を隠す。
「今のうち、に!!!」
ネリエルは槍を投げた直後、ミシリと嫌な音がした左前脚を無視して再度駆け出していた。
そのまま
「ふ___…っ!」
四足で駆けてきた勢いを利用して僅かに宙を滑空し、『手』の
それでも
投げた反動を利用して体を反転、四足になると同時に後ろ脚で強く地面を踏み込んで飛び出し、前脚を高く振り上げる。
「離れな、さい!!!」
怪人は残った左腕で緑谷に襲いかかっている。その腕を前脚で踏みつけて弾き飛ばしたかったが、できなかった。
「っクソ!!!」
怪人は蹄を腕にめり込ませたまま、ネリエルに向かって身を捩り、不気味に笑う。
その間に、緑谷に向かって『手』の
(相澤先生が優先してこの
瞬時に判断を下し、右前脚を怪人の腕にさらに押し込みながら、後ろ脚を大きく蹴り上げる。
『カモシカ』、山岳地帯で生きる四足歩行の偶蹄類の能力を発現させられる“個性”。
先が分かれて動く蹄はどれだけ小さな足場であろうと器用にひっかけることができ、強靭に発達した筋肉により脚一本でも自身の体重を支えきることができる。
故に、半身が『カモシカ』となったネリエルは、怪人の腕という不安定な足場の上に右前脚一本で立って体を捻り_____強烈な後ろ蹴りを喰らわせる。
「ッッギ…!!!」
後ろ脚の蹄が顎にクリーンヒットした怪人が、わずかに動きを鈍らせた。
「っ、緑谷くん!」
「ネリエ゛、ッ!!!」
すぐさま着地し、上体を転ぶギリギリまで低くして手を伸ばす。緑谷が必死の表情で伸ばしてきた手を掴めたことを確認した瞬間、地面を強く蹴り出して怪人の懐から脱出した。
「……脳無を……」
ザザザ、と横滑りに地面を削りながらブレーキをかけつつ、ネリエルは緑谷を上に放り投げる。
「うわあぁっっあ゛い゛っっ!!?」
このまま駆けていっても、逃げきることはできない。そう冷静に判断したネリエルは、緑谷の体を背で受け止めながら体を反転させ、敵と正面から相対した。
思いきり尾骶骨を打ちつけたらしい緑谷が背中の上で悲鳴を上げたが、怪人に腕を潰されるよりはマシだろう。
「……アイツも……イイ動きするなぁ……」
「っあ゛、りがとう!ネリエルさん!!」
「手荒でごめんね!」
「いや、大丈夫!本当に助かった!っでも…」
「ええ…『ワープ』に、あの巨体であの速さの怪人。私でも逃げ切れないわ。それに、見て」
緑谷を背に乗せたままジリジリと動いて
「腕が…再生してる!?」
怪人の腕の断面から次々に新しい肉が盛り上がり、徐々に再生している。
「緑谷くんの『超パワー』に耐えられるような“個性”かと思ったけど…違うのかもしれない。あるいは…」
「まさか…“個性”複数持ち…!?」
黒い皮膚まで全て再生し、怪人が舌なめずりをする横で、『手』の
「さっきのはその蹄の音か……あの生徒、脳無の腕をやりやがった…その上蹴り飛ばすなんて……」
ボソボソと低い呟きの詳細は聞こえない。いつでも駆け出せるよう構えたネリエルと、その背の上で拳を握った緑谷を『手』の敵が指差した。
「まァいいや……やれ」
「っ来る!!」
ネリエルたちが着地したのは、蛙吹と峰田を逃した出入り口方向とは逆側だ。
それでも、初撃を避けて脇をすり抜けるぐらいはしてやろうと、ネリエルは怪人と背後の出入り口を見据えて低く身を沈める。
その瞬間____轟音と共に、USJの鉄扉が吹き飛んだ。
「もう大丈夫」
「私が、来た」
「オールマイトーーー!!!」
「オールマイト…!」
ほっ、とネリエルは無意識のうちに安堵の息を吐いていた。
「あー…コンティニューだ」
『手』の
「嫌な予感がしてね…校長のお話を振り切りやって来たよ。来る途中で飯田少年とすれ違って…何が起きているかあらまし聞いた」
オールマイトが放つ威圧感に、まだ倒されていない
「待ったよヒーロー。社会のゴミめ」
『手』と黒い靄の
「……っ」
ネリエルはずきずきと痛みだした脚の状態には意識を向けないようにしながら駆け出した。
「ネリエル少女!?」
エントランスから飛び降り、広場前に残っていた
「オールマイト!!黒い怪人の腕を吹き飛ばしましたが肉体が再生しました、緑谷くんの超パワーのパンチも効きません!!『手』の敵は触れられたらアウト、黒いモヤは『ワープ』です!!どうか気をつけて!!」
「…ああ、分かった!!ありがとう!!!相澤くんを頼む!!!」
できる限りの情報を伝達しながら、蛙吹と峰田の後を追ってエントランス方面へと駆ける。
オールマイトがネリエルとすれ違い、怪人の元へと腕を構えながら猛スピードで向かっていく。
「
「脳無」
「
オールマイトのクロスチョップは背後から風圧が迫ってくるほどの威力だが、怪人は倒れなかった。
ネリエルは相澤を抱え直しながら視線を前に向け、痛みにより鈍る脚を何とか前に出す。
「相澤先生を…早く…っ!」
オールマイトが
だがその途中、背中にあった重さがフッと消えた。
「緑谷くん!?」
「ごめんネリエルさん、僕降りるよ!脚痛めたんだろ…!?」
「っ、緑谷くんはまた手を怪我したでしょ!?早く保健室に!」
「僕は大丈夫!それに……っ」
緑谷がオールマイトが戦っているほうへと目を向けた。
嫌な予感がしたネリエルは、緑谷の腕を掴もうと手を伸ばす。
「僕は、まだ!!!」
「緑谷くん!ッ、い゛っ!!」
ダッ、と緑谷は駆け出していってしまった。それを追って方向転換しようとした左前脚が、ビキリと鋭く痛む。
「緑谷ちゃん…」
「何やってんだよ緑谷!!?」
「っ梅雨ちゃん峰田くん、緑谷くんを…!」
蛙吹の舌と峰田の投擲なら間に合うかもしれない。そう考えたネリエルの肩に、ガンッと何かがぶつかった。
「っネ゛リ、エ…ル…!」
腕の中の相澤が意識を取り戻していた。肩のアーマーにぶつかったのは、腕を潰されて動かせない相澤の頭だった。
「先生っ!?意識が、」
「…下ろ゛、せ…」
血が絡んでザラついた声は、それでも強い力が籠っていた。だがその内容にネリエルは瞠目する。
「…は!?そんなことできません、保健室に運ばないと!」
ガン、と再び相澤の頭がネリエルのアーマーにぶつけられる。
「下ろ、せ…っ!……生徒、の゛こし、て…ひけ、る…か…!!」
「_____っああ、もう!!」
ネリエルは吐き捨てるように言い、相澤の体を慎重に背中の方へと持ち上げて回す。
「梅雨ちゃんと峰田くんはエントランスのほうに行って!早く!!」
「……っ、分かったわ」
「おいネリエル嘘だろ!!?行くなよ!!?」
ぐちゃぐちゃになっている腕はできる限り動かさないようにしつつ肩から前に回させ、両脚を腰の位置で抱えて背中に負う姿勢にする。
「大丈夫、必要以上には
「…あぁ…おまえ…足、は」
「この程度は何ともありません。…行きます」
相澤にはそう答えたものの、左前脚に力が入りにくい。ネリエルが今出せる速度は普段のトップスピードからは程遠かった。
肩口から頭をもたげて前方を睨む相澤に、「最優先は?」と端的に問いかける。
「『ワープ』、だ…」
「了解。常に視界に入れるよう動きます」
バックドロップを仕掛けられた怪人は地面に突き立てられているが、コンクリートではなく『ワープゲート』に体が入っている。
オールマイトの脇腹に怪人の指が抉り込まれており、オールマイトは指を外そうとしているが徐々に『ワープゲート』に引き込まれかけていた。
「オールマイトォ!!!!」
そこに緑谷が泣きそうな声で叫びながら飛び込んでいく。
「浅はか」
低く嘲笑った黒い靄が、『ワープゲート』を緑谷の目の前に展開する。
「っ…『ワープ』が!!」
「あい、つ…
背中の相澤が悪態をついた。
「どっけ邪魔だ!!デク!!」
横からかっ飛んできた爆豪が、『ワープゲート』を『爆破』で散らしながら本体らしき黄色い眼光を浮かべた人影に掴み掛かり、引き倒す。
「てめえらがオールマイト殺しを実行する役とだけ聞いた」
さらに、地面に設置された『ワープゲート』から上半身と下半身がそれぞれ飛び出している怪人が凍りついていく。
「だあー!!」
「!」
爆豪から少し遅れて走り込んできた切島が『手』の
「切島くん離れて!『手』の奴は触れられたらアウトよ!!」
「うお!!?」
切島に警告したネリエルの背中で相澤の髪が逆立ち、展開されていた『ワープゲート』がかき消える。
展開途中で『抹消』されると転送がキャンセルされるらしく、怪人の体が弾き出されるようにして飛び出した。その隙と轟の氷結によって手が緩んだのか、オールマイトが怪人から逃れて距離を取る。
チラリとネリエルのほうを見たオールマイトは、それだけで状況を察したらしかった。
「スカしてんじゃねえぞ、モヤモブが!!」
「平和の象徴はてめェら如きに
「君たち…!!相澤くん…!!」
オールマイトを守るように、轟、切島、緑谷、爆豪が周りを固める。
「出入り口を押さえられた……こりゃあ…ピンチだなあ…」
『手』の
「このウッカリヤローめ!やっぱ思った通りだ!モヤ状になれる場所は
「ぬぅっ…『抹消』が…!」
「っと動くな!!『怪しい動きをした』と俺が判断したらすぐ爆破する!!」
「ヒーローらしからぬ言動…」
爆豪が手のひらを『ワープゲート』が着けている金属の防具に押し当てて脅す。切島が呆れた顔をした。
「攻略された上に全員ほぼ無傷…すごいなぁ最近の子どもは…恥ずかしくなってくるぜ
『手』の
「脳無、爆破小僧とイレイザーヘッドをやっつけろ……出入口の奪還だ」
「!」
相澤の体をしっかりと背負い直しながら、ネリエルは四足に力を込めた。
命令を受けた怪人が身を起こし、凍りついた体が砕けていくのにも一切構うことなく動き出す。
「そうだ、再生能力…っ!」
「本当に『ショック吸収』だけじゃなかったのか!!
「そう……これは『超再生』だな…脳無はおまえの100%にも耐えられるよう設計された、超高性能サンドバッグ人間さ」
砕け散った体の半分から肉が盛り上がりながら再生している中、
一瞬で『ワープゲート』のそばに移動した怪人の拳が人影を殴り飛ばす。
「かっちゃん!!!」
振り抜かれた拳の風圧だけで尻餅をついてしまった緑谷が、悲痛な声で叫ぶ。
「かっちゃん!!?」
だが、爆豪は『ワープゲート』の上から、緑谷のすぐそばへと移動してきていた。
「避っ避けたの!?すごい…!」
「違えよ黙れカス」
土煙が晴れると、地面に描かれた二本の線の先に、怪人の拳をガードした姿勢のまま立つオールマイトがいた。
「見えなかった…!」
あの瞬間動けていたのは、オールマイトと怪人だけだった。ネリエルは冷や汗を垂らす。
怪人の頭が、ぐるりとネリエルに向いた。