ネリエル・トゥ・オーデルシュヴァンクが『ヒーロー』になるまでの物語 作:猫禰捏涅
「煙の匂いがひどいね」
「鼻は平気か?」
「うん。嗅覚はあんまり効かないけど」
隊列を崩さないよう気をつけながら進む中、ネリエルは少し鼻をすする。
風向きが少し変わったのか、森の奥から流れてくる風の中に黒煙が混じり、煤けた臭いで嗅覚が鈍らされていた。
「ケッ、索敵できてねェじゃねェかよ!!」
「森に火をつけられた時点で、匂いは諦めてるよ。耳があれば十分やれる」
気遣ってくれる轟に対して、爆豪は何にでも突っかかってくる。それを受け流しつつも、ネリエルは聴覚に意識を集中していた。
「___…っ、敵!!」
故に、気づく。
煙の匂いに紛れ、気配が希薄であっても、僅かな衣擦れと共に
「はぁ___っ!」
「ってェ!!?」
森の影の中から、こっそりと爆豪に向かって伸ばされていた腕を、前脚で蹴り飛ばす。
「チッ!何でこれに気づくかね…!」
悪態と共に、人影が森の中へと溶け込んでいく。体の向きを変えてそちらを睨みつけながら、ネリエルは一行に警告を飛ばした。
「数は一人。だけど、絶対に触れられないようにして。手を伸ばしてくるような奴は、大抵そこが能力の起点よ」
「流石だな…!」
轟がネリエルの横に並び、身構える。
隠密に優れている
「そこに
「分かった。走るぞ!」
「ああ…!」
障子と常闇は走り出そうとする。
だが、爆豪は止まったまま、ネリエルの背を通り越して
「黙れっ!!一人なんだろうが、吹っ飛ばしゃあ勝ちだ…!!」
「爆豪くん!狙われてるのはあなたなの!早く走って!!」
「爆豪!いいから逃げろ!!」
「かっちゃん!!」
「黙れっつってんだろうがァア゛!!!」
誰もが爆豪に何かを言うたびに、全て逆効果になってしまう。ボボボッ、と『爆破』が背後で爆ぜる音を聞きながら、ネリエルは唇を噛んだ。
「とにかく、進路を塞ぐ…!」
轟が前へ踏み出し、大技の構えを取る。
振りかぶられた右手と共に、ズッ、と巨大な氷壁が一瞬で半円状に形成された。
「走れ!!」
ネリエルも氷壁の奥を睨んだまま、体を捻って走り出した。
「爆豪!早く来い!!」
「っオイ!!放しやがれッ!!」
障子の触腕が伸びて爆豪に巻きつき、強引に引っ張っていく。それをチラリと横目で確認した瞬間、近くで声がした。
「君
「っ!?」
咄嗟に振り回した腕に、黒い布が絡みつく。虚空から突然現れた布に視界を覆われたネリエルの横を、誰かが駆け抜けていった。
「っ抜かれた!爆豪くんを!!」
頭に被さってきた布を払いながら叫ぶ。
「爆豪!!」
「クソ
布を放り捨てて開けた視界に入ってきたのは、触腕を振り解き、障子とその背にいる緑谷から距離を取ろうと身を捩る爆豪だった。
そして、そこに手を伸ばす仮面にトレンチコート、シルクハット姿の
「かっちゃんっ!!!」
『爆破』を爆ぜさせる前に、仮面の
否、消えたのではない。
「はい、もーらいっと!」
「この野郎!!返せ!!」
ビー玉をひょいとキャッチして、障子の触腕もネリエルの手も躱し、
いっそ優雅なほどの身のこなしで、放たれた氷の波も『
「返せ?妙な話だぜ。爆豪くんは誰のモノでもねえ、彼は彼自身のモノだぞ!!エゴイストめ!!」
「返せよ!!」
緑谷の叫びに呼応するように、轟が再び氷の波を放つ。だがその先には
「きゃあ!?」
「これ…っ轟ちゃん!?」
道の先にいた蛙吹と麗日が、轟の攻撃に巻き込まれかけて悲鳴を上げる。
「あ…っ悪ィ!!」
「ハハ、ヒーローの卵は大変だな!」
仮面の
そして、力強い跳躍と同時に
軽くなった体は四足のパワーでふわりと押し上げられ、仮面の
「おっと!?」
「手を離せ…!」
木の幹を蹴りながら、鋼鉄の如き硬度を持つ蹄で
「うぉおっ!!躊躇ねえな!」
(
だが“個性”ゆえか、手で触れなければ発動はしないらしい。それさえ分かっていれば、ネリエルにとってはいくらでもやりようがある。
「爆豪くんを返しなさい」
「そりゃ無理な相談だ。我々の主張のためには必要な人材なもんで」
「
「ハハハ…言うねえ!」
ステッキを巧みに使い、
「我々はただ、凝り固まってしまってた価値観に対し、「それだけじゃないよ」と道を示したいだけだ。今の子らは、価値観に道を選ばされている」
「神のようなことを言うのね。あなたはそんな大層なものには見えないけれど」
ストン、と地面に降り立ちながらネリエルがばっさりと切り捨てると、仮面の
「ククク…ますます
「断るわ」
「残念だ」
仮面の
「ムーンフィッシュ…『
「この野郎!!貰うなよ!」
「緑谷、落ち着け」
常闇も狙っていたという言葉に、障子が緑谷を宥めながら常闇の前に立つ。
「捕まえる…!!」
代わりに前に出た轟が、これまでで一番大きな氷壁を撃ち出す。
「悪いね、俺ァ逃げ足と欺くことだけが取り柄でよ!雄英生なんかと戦ってたまるか」
仮面の
「はっ!!」
「あぶねっ!」
同時に氷を足場にして駆け上がっていたネリエルが、再び蹴りを仕掛ける。だが本人が言っていたとおり逃げ足が速く、素早く距離を取られてしまう。
「っと!開闢行動隊!目標回収達成だ!短い間だったが、これにて幕引き!!予定通り、この通信後5分以内に“回収地点”へ向かえ!」
仮面の
「させない…!」
「しつっけえな!」
喋っている隙を狙い、木を蹴って頭上の
「く…ミルコなら…っ!」
跳躍力や機動力でネリエルを上回る彼女であれば、確実に追いつけていた。力が足りないことに歯噛みする。
「ちくしょう速え!あの仮面…!」
「ネリエルちゃんでもダメなんて…!」
「諦めちゃ…ダメだ…!!っ…!追いついて…取り返さなきゃ!」
「しかしこのままでは、離される一方だぞ」
障子の背の上で逃げる
「麗日さん!!僕らを浮かして、早く!そして浮いた僕らを蛙吹さんの舌で思いっきり投げて!さらにネリエルさんに蹴り出してもらえれば、すごいスピードで飛んで行ける!!」
「っ、緑谷くん!」
ひどい痛みに襲われているはずだが、緑谷は言葉を止めない。
「障子くんは腕で軌道修正しつつ、僕らをけん引して!麗日さんは見えてる範囲でいいから、奴との距離を見はからって解除して!」
「成程、人間弾か」
「待ってよデクくん、その怪我でまだ動くの…!?」
「おまえは残ってろ、痛みでそれどころじゃあ…」
作戦自体は合理的だ。だが、緑谷の様子は尋常ではなかった。
「痛みなんか今知らない、動けるよ…早くっ!!」
誰の言葉も耳に入っていない。ネリエルは無言で、障子の背中から緑谷を引き剥がした。
「ダメ。緑谷くんは置いていくわ」
「でも___!!」
無理やり緑谷と視線を合わせる。
「障子くんの六本腕は、それだけで
「……っ!!」
「アイデアはいいわ、でも足手纏いなの。お茶子ちゃん、お願いできる?」
静かに凪いだ視線に圧され、緑谷は言葉に詰まった。ずっと心配そうな表情をしていた麗日が、地面に下ろされた緑谷に駆け寄る。
「うん…!」
「緑谷、その怪我でこれ以上動くのは危険だ。爆豪は、なんとかこちらで取り返すから」
障子にも諭された緑谷は、麗日のシャツで腕を固定されながら項垂れた。
少し落ち着いたことで骨折の痛みを自覚したのか、立つこともできずに地面にへたり込む。
「……オーデルシュヴァンク、俺は…」
「分かってる。『
「…ああ。すまん」
『
「轟くんは右、障子くんは左に。私は後ろで、梅雨ちゃんとお茶子ちゃんとタイミングを合わせて蹴り出すわ」
「俺が二人を掴んでおく。轟はこちらのことは気にせず、仮面の
「ああ、わかった」
障子の腕が轟とネリエルの胴体にしっかりと巻きつく。先に障子と轟を無重力状態にした麗日が、その背後で身構えた。
「いいよ、つゆちゃん」
三人を蛙吹の舌がぐるん、とまとめて絡め取る。ネリエルは蛙吹と視線を合わせ、力を溜めるためにぐっと体を沈み込ませた。
「必ず爆豪ちゃんを助けてね」
蛙吹が舌をしならせ、麗日がネリエルに触れて無重力にする。同時にネリエルが力強く地面を蹴り出せば、ものすごい勢いで三人の体は発射された。
「おおおおおお!?」
「く…!」
瞬時に『変身』を解除すれば、空気抵抗も少なくできる。障子が翼のように広げた腕で軌道を操作しながら、ぐんぐんと仮面の
「な……っ」
「凍らせて!!」
仮面の
風圧でもがきながらも、轟がその声に応えて膨大な冷気を
「ぐぁっ!!?」
体の半分を凍らせられた仮面の
「ふ___っ!」
元より巨体の障子と、“個性”により巨大化するネリエル、二人の体重が『
「ぐぁ…っ!!」
その衝撃で氷の塊は砕け散ったが、障子とネリエルの体でしっかりと仮面の
落ちたのは彼が目指していたらしい地点の近くであり、仲間らしき二人の
「知ってるぜこのガキ共!!誰だ!?」
「
「ぅ、ぐ…っやって、やらあ!!」
「何を…」
障子とネリエルに拘束されているにも関わらず、そこから抜けられるようなことを示唆する
(…まさか、あの『圧縮』は自分にも適応できる!?)
ネリエルの思考が素早くその答えへと辿り着き、同時に明らかに“個性”の起点であった仮面の
だがその瞬間、仮面の
「バッカ冷た!!」
「っぐ!?」
炎に対する根源的な恐怖は、簡単に拭い去れるものではない。障子のみでなく、炎への耐性もある程度あり氷という対抗手段を持つ轟でさえ、反射的に飛び退いてしまった。
だがそれは、
「っぎ、ぃっ!!?」
「は?避けてろよ」
仲間を助けるためだろう、出力は必要最低限に絞られ、範囲も狭い炎の攻撃。
この程度であれば、ネリエルの皮膚表面を多少焼こうとも致命傷には至らない。
その冷徹な、
「もう片方…!!」
炎の
また炎を撃たれる前に仮面の
だが、ゴパッという音と共に地面が抉れ、仮面の
「っ!やっぱり、自分にも…!」
おそらくは、自分ごと地面を抉って圧縮することで緊急避難をした。ならばあのビー玉状のものがあるはず、と目を皿のようにしたネリエルに、再び炎が襲いかかる。
「っづ、ぅっ!!」
仲間への遠慮を捨てた大規模な熱が、ネリエルを焼く。
咄嗟に顔を腕で庇い、後ろに跳ぶ。
「あー、皮膚が強いタイプかよ。単純に厄介だな…もうちょいアゲりゃ焼き殺せるか?」
「死柄木の殺せリストにあった顔だしな!あのカワイイ女の子と紅白帽!なかったけどな!」
黒と赤のコスチュームを纏った
「チッ!!」
「熱っつ!!」
「あなたネリエルちゃんだよね!?そうだよね!?嬉しいー!私、トガです!恋バナしようネリエルちゃん!」
「は?」
黒赤の
「何を…!」
「好きな人がいますよね!?私、分かるの!ネリエルちゃん、恋をしてますよね!」
管状の針が突き刺さる前に、体を逸らして叩き落とす。攻撃は軽いが、少女から投げかけられる言葉にネリエルは困惑を隠せなかった。
その間に仮面の
「ってぇ…!アイツ、俺の腕をやりやがって…!」
「ダッセ」
「うるせぇっ!」
バッキリと折れた右前腕を庇いながら、仮面の
「爆豪は本当にちゃんと回収したんだろうな?」
「当たり前だろ!ここに…、……!?」
全身に火傷のような傷を負っている
「二人とも逃げるぞ!!」
障子が叫び、投げつけられたナイフを振り払いながら腕の一本を掲げた。その手にはいつの間にか、爆豪が圧縮されたビー玉が握られていた。
「人や物をビー玉のように圧縮する“個性”___右ポケットに入っていた
仮面の
「さすがは六本腕!まさぐり上手だな」
「っし、でかした!!」
「待って、それは___…」
爆豪は
それを奪われたにも関わらず余裕のある態度に、嫌な予感がしたネリエルは仮面の
「オイ、何取り返されてやがる。時間切れだぞ」
蒼炎の
同時に、その背後に闇色の渦が湧き出でた。
「っ、あれは!」
「USJの…っ」
その“個性”が生み出す闇の奥から現れたのは、脳を晒け出した怪人___脳無だった。
「___っ!!」
ネリエルの全身に、一気に力が入る。
「ちょうどいい…黒霧、
仮面の