ネリエル・トゥ・オーデルシュヴァンクが『ヒーロー』になるまでの物語 作:猫禰捏涅
体育館の影にいた、
すぐに消えてしまったが、その圧力の強さ、大きさはよく覚えている。
(あの気配と、同じくらいの強さを緑谷くんから感じた___!)
どちらも感じたのはほんの一瞬だ。だが、ネリエルは本能的に二人の力を
「どういうことなんだろ…」
言うなれば強者の存在感を肌で感じたわけだが、今の緑谷からはそういった気配は全く感じられない。多少体が鍛えられているだけの男子高校生、といった雰囲気だ。
「あの痛み…程じゃない!!」
緑谷の体はガタガタと震えている。それでも相澤のほうを真っ直ぐに振り向いた彼の右手の人差し指は、赤黒く腫れ上がっていた。
「先生……!まだ……動けます」
「こいつ……!」
ネリエルの腕の中で、麗日がわっと両手を挙げた。
「やっとヒーローらしい記録出たよー」
「ええ、でも手が酷いことに…」
「うわほんまや!?」
「指が腫れ上がっているぞ。入試の件といい…おかしな“個性”だ……」
「スマートじゃないよね」
痛そう、と麗日と揃って苦い顔になる。
緑谷は右腕を押さえて苦しげに背を丸めていたが、突然ボボッ!という爆発音が上がり、爆豪が緑谷の元へと駆け出した。その形相は鬼のようだ。
「どーいうことだこらワケを言えデクてめえ!!」
「うわああ!!!」
止めたほうが、とネリエルが飛び出そうとした瞬間、掌から噴出していた爆発がフッと消え、爆豪の体が伸びてきた布にがっちりと捕まえられた。
「ぐっ…んだこの布、固っ…!!」
「炭素繊維に特殊合金の鋼線を編み込んだ『捕縛武器』だ。ったく、何度も“個性”使わすなよ…俺はドライアイなんだ」
相澤の目がぎらりと赤く輝いている。個性すごいのにもったいない、とネリエルと他のクラスメイト達の内心も一致した。
爆豪が大人しくなったのを確認し、相澤が“個性”と捕縛武器を解く。
「時間がもったいない。次準備しろ」
緑谷と入れ替わりに峰田が入り、八百万も「行ってまいりますわ」ともう一つの円のほうに大砲と共に入っていった。
「指大丈夫?」
「あ…うん…」
「冷やしたほうがいいんじゃない?水道に…」
「いやっ!まだ、種目あるから…」
「そう…?」
緑谷は麗日の言葉には頷いたが、ネリエルが水道に誘導するのには首を振る。
そうこうしているうちに、八百万も大砲により500mを大きく上回る記録を出し、戻ってきた。
「次、持久走な。女子は1000mでトラック二周半、男子は1500mで三周半と四分の一だ」
「毎回思うけどコレ男子中途半端だよなー」
「それな。何周走ったか分かんなくなるし」
「ロボットが周回数もタイムも記録してる。男子は25メートル後ろだ、早よ並べ」
「あ、私端の方で走るね」
「うん、行ってらっしゃい」
トラックのスタートラインに21人全員が並ぶ中、ネリエルは少しクラスメイト達から離れ、トラックの一番外側に“個性”を発動して並ぶ。
「あ、端っこ?その“個性”だとそうだよね!」
「うん、離れて走るようにするけれど、あんまり近寄らないように気をつけてね」
「オッケーオッケー!」
一番外側にいたピンク色の髪と目をした女子生徒がネリエルから離れ、トラックの内側に寄る。ネリエルは「ありがとう」と微笑み、スタートの合図を待った。
『ヨーイ、START!』
ドゴッ!と土を抉るほどの踏み込みと共に、スタートラインから飛び出す。
後ろから聞こえてくる「早っ!!?」という声を置き去りに、ネリエルは一気に脚の回転数を上げて加速した。
「…あ、飯田くんだ」
ものの数秒で100m地点を走り抜けると、後ろからドルルルルル、というトルク音が聞こえてきた。
「長距離では負けんぞ!ネリエルくん!」
「さすが!」
追い抜きざまに放たれた飯田の言葉に好戦的な笑みを溢し、さらに速度を上げる。
すぐに男子生徒達の最後尾集団が見えてきて、ネリエルはできるだけトラックの外側を回りながら「ごめんね!」と声をかけた。
「うおおおおお!!?」
「迫力やっべえ!!」
「二人だけ違う競技してねえ!!?」
「ばっばばばばるんばるんンンン!!!」
やはり驚かせてしまったことを申し訳なく思いながら、女子生徒の集団もできる限り外側から追い越す。
男子生徒の何人かの視線は、どうしてもネリエルの揺れる胸に注がれてしまっている。
「ごめんねー!」
「ネリエルちゃんはっっっやい!」
「やばい振動が!!!」
「すごいわね」
「うおおおお……」
ドドドッ、ドドドッ、と規則的な足音がグラウンドを揺らす。軽々とトラックを一周し、さらにもう半周したあたりで生徒達の塊を追い抜く。
残り一周、飯田の背中は遥か前にあり、さらにもう一周分ネリエルより速くトラックを回ろうとしている。
加速するのが得意と言っていたとおり、長距離でのギアの上がり方にはネリエルが追いつくことはできなかった。
『ピピ…1分13秒』
「よっし!!!」
『ピピ…1分32秒』
「あー!」
ゴールはトラックの反対側で、男女共に統一されている。飯田にはさらに二度抜かされてから少し遅れてゴールし、ゆっくりとスピードを落としてクールダウンしながら“個性”を解いた。
「500mもそっちのほうが多いのに!すごいわ、私の完敗ね」
「いやしかし、ネリエルくんはものすごく外を回っていただろう!多分1200mぐらい走ってるんじゃないか!?」
クラスメイト達を跳ね飛ばさないようにと配慮した結果、ネリエルはトラックをかなり大回りで走ることになった。確かに1000m以上は確実に走っていただろう。
「怪我させちゃうわけにはいかないから、そこはね。でも、同じ条件だったとしても、加速力と持久力は飯田くんに負けると思う」
「ふむ、だが1kmも走ってその程度しか疲れていないなら十分じゃないか?それに『カモシカ』は偶蹄類でそれほど持久力がある動物じゃないだろう。よく鍛えられていると思うぞ!」
「臓器は人間のものだから」
「なるほど、心肺機能はそちら準拠なのだな!」
「二人とも早すぎるよ〜〜!私まだ一周目だよ!!?」
「がんばれ〜〜〜!」
麗日がひいひいと言いながらネリエルと飯田の前を走り去っていく。八百万がネリエルに次いで女子の中でトップ、蛙吹も上位あたりの位置をキープしている。
麗日は少し二人より遅れており、服と靴、手袋だけが空中に浮いて走っている透明人間らしき女子生徒と、黒髪をおかっぱに切りそろえた女子生徒と並んで走っていた。
「あの二人っ、やっばいね!でも気にせずゴーゴー!」
「あ゛〜、ウチ持久走マジ無理なんだって〜…」
泣き言が時折聞こえてくるが、それでも手抜きはせず全力で走っているあたりさすがヒーロー科の生徒である。
「…あ、緑谷くんだ。がんばれ〜!」
「ぁ、う、うん…!」
最後尾にいたのは麗日たちではなく、右手を動かさないように庇いながら、覚束ない足取りで走っている緑谷だった。あまりにも顔色が真っ青で、ネリエルは思わず飯田と顔を見合わせる。
「ひどい顔色…本当に大丈夫かな…?」
「あれは指が折れているだろう。早く治療をしないともっと悪化するというのに!」
「リカバリーガール、だったっけ。“個性”で傷を治せる先生!」
「ああ。骨折も治せるとは聞いたことがあるが…」
そんなことを話していると、先頭集団が続々とゴールし始める。
時折手から氷を出して滑っていたためかなりの速さだった髪が赤白ツートンの男子生徒、補助ソール付きの運動靴で走りながら酸素缶を『創造』して吸っていた八百万、直線で爆風を使って距離を稼いでいた爆豪、途中で四足で跳ねていきラストスパートをかけた蛙吹、身体能力の高さを随所で見せるピンク色の髪と肌の女子生徒、猿の尻尾を持っている男子生徒あたりだ。
(個性豊かですごく楽しい!)
次々とテストを行っているのでクラスメイト達と自己紹介をし合う時間も取れていないが、ネリエルは全員とこれから仲良くなろう、と心に決めていた。
「ケロッ。中学の時よりもだいぶいいタイムだわ」
「カエル跳びってすごく速いね、梅雨ちゃん」
「得意な走り方なの。あ、お茶子ちゃんだわ」
「ひぃ〜〜〜!疲れたぁあああ!!」
「お疲れ様、お茶子ちゃん」
「よろしければ酸素缶を使われますか?」
「ぜぇ、いいの八百万さん、ありがと、助かる…」
少し遅れてゴールし、ぜぇはぁと荒い息をついている麗日は八百万から酸素缶を借り、思いきり酸素を吸い込んだ。
「っはぁ、もう終わりたいんだけど、まだあるよね…?」
「ええ、後は上体起こしと長座体前屈ですわ」
「腹筋か〜…」
「ああ、上体起こしって腹筋のことなのね。なるほど…上体を、起こすと」
「知らないと分かりにくいわよね。ちょうど四人だから、二人ずつでやりましょ」
麗日の息が落ち着くのを待ち、蛙吹と八百万、麗日とネリエルで分かれる。そのまま始めようとしたところに、小柄な人影がズザァッ!と滑り込んできた。
「ネっネリエル!!!足押さえるのオイラが!!!」
「あ…ごめんなさい、お茶子ちゃんとすることになったの」
「それに男子は男子でやったほうがええよ?」
「チクショォオオオオオ!!!!!」
ネリエルが眉を下げながら謝り、麗日に正論を言われると、峰田は膝から崩れ落ちて拳で地面を叩いた。
「は〜い回収しま〜す」
「ゴメンな性欲の権化がいて!」
黒髪に薄めの顔立ちの男子生徒が駆け寄ってきて、肘からテープらしきものを射出し峰田の体をぐるぐると巻き取った。
隣の金髪に黒いメッシュが入れた男子生徒が、にこっと笑って軽くウィンクしながらネリエル達に向かって謝るが、その姿に麗日の目がじとりと据わった。
「なんかチャラい…」
「えーひど!てか自己紹介しようぜ!俺、上鳴電気!“個性”は『帯電』な!ホラお前も!」
「あー俺?瀬呂範太。“個性”は見たまんま、『テープ』だよ。峰田がごめんな、コイツずっと暴走してて」
「むむむー!!!むむむむ、むむむむむー!!!」
『セロファン』に巻き取られたまま峰田はうごうごと蠢いて抵抗している。瀬呂はそんな峰田を持ち上げ、「じゃ、また」と言ってさっさと去っていった。
「え、もう行くのマジか!またな皆!放課後にでも話そうぜ!」
上鳴はひらひらと手を振って瀬呂の後を追いかけていった。
入れ替わりに、マットを頭上に掲げたロボット達がやってきて、『ジュンビ、ジュンビ』と言いながらマットを敷いていく。
「助かったわね。さ、気にせずにやりましょ」
「あ、うん!そうだね!」
「ネリエルちゃん先でもいい…?私もうちょっと休憩…」
「大丈夫よ」
ネリエルは蛙吹と八百万のペアを見ながら、同じようにマットの上に寝転び膝を立てた。麗日がネリエルの膝を抱え、ロボットから配布されたストップウォッチを構える。
「よーい、スタートー」
号令と同時に勢いよく腹筋だけの力で上体を起こし、素早くまた寝転ぶ。現時点でもかなり体を鍛えているネリエルは、腹筋も薄っすらと割れているほど筋力トレーニングに余念がない。
「わ、すご!早い!えと、6、7、8、」
そのままほとんどペースを落とすことなく、30秒間みっちりと上体起こしを行なったネリエルだが、その程度では少しも息は上がっていなかった。
「ストップ!ネリエルちゃん、46回!」
「ありがと!この記録ってどうなんだろ?」
「いやこれ、めっちゃすごいよね!?」
「ふう、トップアスリート並みですわ。平均は確か20回前後あたりですもの。私は36回…まだまだですわね」
「百ちゃんも十分すごいわよ」
「この後やるの嫌だ〜!」
「ケロケロ、確かにそうね」
麗日と蛙吹がそう言って笑いながら準備をする。
「よーい、スタート!」
「ふっ、ふっ、っふ、ふぅ!」
「ケロ、ケロ…」
麗日はかなりしんどそうに呼吸をしながら、プルプルと震える上体を持ち上げている。蛙吹はまだ余裕がありそうだ。
「…23、24、25…ストップ!」
「っはー!」
「お茶子ちゃん、25回ね」
「ぐう!平均くらい!なんとも言えない!」
「梅雨さんは29回ですわ」
「ありがとう、百ちゃん」
「ねえ、最下位除籍ってホントのホントだと思う?」
「ええ、どうだろ。流石に脅しじゃないかと思うんだけど…」
「そうに違いありませんわ。教師の方一人が除籍の権限を持っているなんて聞いたことがございませんもの」
「そうかなあ…。ほら、緑谷くん。ちょっとマズそうじゃない?」
「“個性”使うたびに自損しちゃうなら、使い所が難しいよね」
ロボットが持ってきた長座体前屈の器具は二つ、それぞれにネリエルと蛙吹が座って八百万と麗日が記録に回る。
「そう、そうやって背筋を真っ直ぐ、腕も真っ直ぐですわ。そこから前に倒れてくださいませ。器具を勢いよく押し出したりはしないように」
「オッケー。はい!」
「あら、とても柔らかいんですのね!記録は…63cmですわ」
「梅雨ちゃんもぺったんこ!71cm!」
「私、腕が少し長いのもあるかもしれないわ」
「確かに!」
ネリエルも蛙吹も柔軟性は高く、ぺたりと膝に頭がつく。ネリエルは自重で胸を押し潰しながらぐっと腕を伸ばしていた。
記録を終えて八百万と麗日に場所を交代し、器具をセットする。
「では……ふっ!」
「ほっ!」
「モモちゃん、59cmね!」
「ありがとうございます」
「お茶子ちゃんは54cmだわ」
「ありがとう!」
八百万もぴったりと体を折りたたんで胸が太ももで潰されており、麗日も手のひらがつま先まで届いている。ヒーローを目指す生徒らしく、体の柔軟性は十分だった。
「これで全部終わったね」
「先生のところに参りましょうか」
測定を終えた生徒達から記録を聞き取っている相澤の前に並ぶ。
「ハイお疲れ。順に言ってって」
「はい、では私から___」
八百万から記録を伝えていき、ネリエルと麗日、蛙吹も残り種目の記録を伝え終え、「終わるまで待ってろ」という指示に従ってその場で待機する。
「あ、お疲れ様。どうだった?」
「む、ネリエルくんか。俺は少々柔軟性が課題だな!他は割合いい記録が出せたよ。というか、本当に最下位が除籍になるのだろうか!?」
「どうだろうね」
(目が本気だったのよね、相澤先生)
飯田に対して口では曖昧に濁したものの、ネリエルは相澤が大真面目に除籍というワードを出したことを感じ取っていた。
「全員終わったな。んじゃパパッと結果発表。トータルは単純に各種目の評点を合計した数だ。口頭で説明すんのは時間の無駄なので一括開示する」
相澤の前に測定を終えて全員が集合すると、心の準備をする暇もなく淡々と話が進んでいく。
「ちなみに除籍はウソな」
さらりと言われた相澤の言葉に、空気が固まった。
○飯田
点P。きっちり1500m走り、ネリエルを合計三回追い越した。
○ネリエル
点Q。大回りだったので大体1150mぐらい走った。加速力はあんまりない。