ネリエル・トゥ・オーデルシュヴァンクが『ヒーロー』になるまでの物語 作:猫禰捏涅
「ケンカして」
「謹慎〜〜〜〜!?」
翌朝、始業式に行こうと談話スペースに集まったA組を迎えたのは、緑谷と爆豪が盛大なケンカをしてしまい、相澤から謹慎を言いつけられたというニュースだった。
「馬鹿じゃん!!」
「ナンセンス!」
「馬鹿かよ」
「骨頂———」
「ぐぬぬ…」
謹慎の内容として早速寮の掃除を命じられたらしい二人は、散々罵倒されていても反論はしない。
「えええ、それ仲直りしたの?」
「仲直り…っていうものでも……うーん…言語化が難い…」
「よく謹慎で済んだものだ…!!では、これからの始業式は君ら欠席だな!」
「よーやるわ。いこネル」
「うん。…大丈夫かな?」
「ジゴージトクっぽいよー?どっちもバチバチやっちゃったってさ!」
「はー、マジで男子ってバカ」
興味津々でケンカの内容を聞き出していた芦戸と、呆れた様子でため息をつく耳郎に挟まれ、ネリエルはくすくすと笑う。
両方が打撲やかすり傷で済む程度の「ケンカ」など、ネリエルからすれば可愛らしいと言えるほどのものだった。
「皆いいか!?列は乱さず、それでいて迅速に!!グラウンドへ向かうんだ!!」
「いや、おめーが乱れてるよ」
「委員長のジレンマ!!」
一列に並んで歩くA組の列の横で、飯田が張り切っている。
「入学式出れやんかったから、今回も相澤先生何かするんかと思った」
「相澤先生、忙しかったみたいだからね」
「聞いたよ———A組ィィ!」
前に並ぶ麗日とネリエルが話しながら歩いていると、廊下の奥から嘲るような声が響いてきた。
「二名!!そちら仮免落ちが二名も出たんだってええ!!?」
「B組物間!相変わらず気が触れてやがる!」
「さてはまたオメーだけ落ちたな」
「ハッハッハッハッハッ」
切島の指摘に物間は腹を抱えて笑ったかと思うと、急に落ち着いてA組に背を向けた。
「いやどっちだよ」
「こちとら全員合格。水があいたね、A組」
わざわざ振り返りながらポーズを決めて言うために間を開けたらしい。
「……悪ィ…みんな…」
「向こうが勝手に競ってるだけだから、気にやむなよ」
物間の言葉に落ち込む轟を、切島が慌てて励ます。
物間の妙な言動はいつものこととして、A組はほぼ全員が聞き流していた。
「ブラドティーチャーによると、後期ィはクラストゥギャザージュギョーあるデスミタイ。楽シミしテマス!」
「へえ!そりゃ腕が鳴るぜ!」
「つか外国人さんなのね」
「ちょっとネリエルちゃんと
「ほんとだ」
馬っぽい容貌の女子生徒が、片言の可愛らしい日本語で話しかけてくる。
その頭にある鋭い角を麗日がネリエルの角と見比べていると、女子生徒に物間がコソコソと何かを耳打ちする。
「ボコボコォに、ウチノメシテヤァ…ンヨ?」
「アハハハハハハハ」
「変な言葉教えんな!」
女子生徒が物騒な日本語を教えられてそのまま言ってしまった後ろで、物間は拳藤に目潰しで制裁されていた。
「オーイ、後ろ詰まってんだけど」
その時、昇降口の辺りで固まっていたA組に声がかかる。
「すみません!!さァさァ皆、私語は慎むんだ!迷惑かかっているぞ!」
飯田に促されて歩き出すA組の前に、見覚えのある紫色の逆立った髪の男子生徒が出てくる。
「かっこ悪ィとこ見せてくれるなよ」
そう言って歩いてきた心操に、ネリエルはひらりと手を振った。
「心操くん」
「あ…オーデルさん」
心操はネリエルに向かって少々ぎこちなく右手を挙げた。その立ち姿を見て、ネリエルは一つ頷く。
「すごく鍛えたんだね、強そうになってる!」
半袖の夏服になった制服から覗く筋張った腕、明らかに分厚くなった上半身。
だぼだぼのコスチュームを着た相澤の鍛え具合も見抜いたネリエルは、心操が自分の体を厳しく虐めていることを当然のように見透かし、真っ直ぐに褒めた。
「あー、うん、どうも」
心操はふいっと視線を逸らしたが、ネリエルは気にせずに微笑んで手を振る。
「頑張ってるんやね、心操くん」
「ふふ、そうみたい!」
ニヤニヤと笑うクラスメイト達に何やら小突かれている心操を背後に、ネリエルは自分のことのように明るく笑った。
◇
校長の話は多少長かったものの、始業式は恙無く終わった。
│校外活動《ヒーローインターン》という聞き覚えのない活動の話が出てきたため、A組の誰もがそのことを気にしていたが、教室に戻ってからの│HR《ホームルーム》でも、なんの説明もなく進んでいく。
「じゃあまァ…今日からまた通常通り授業を続けていく。色々あったがうまく切り替えて、学生の本分を全うするように。今日は座学のみだが、後期はより厳しい訓練になっていくからな」
普段通り、相澤は淡々と話を進めている。
しかし、ネリエルの前の席のほうで、芦戸がこそこそと蛙吹と話をしているところをギロリと鋭い視線が睨みつけた。
「何だ芦戸?」
「ヒッ!久々の感覚!」
芦戸は身を竦ませたが、蛙吹は睨まれても特に表情を変えずに手を挙げた。
「ごめんなさい。いいかしら、先生。さっき始業式でお話に出てた“ヒーローインターン”って、どういうものか聞かせてもらえないかしら」
「そういや校長が何か言ってたな」
「俺も気になっていた」
「先輩方の多くが取り組んでいらっしゃるとか…」
蛙吹の質問を皮切りに、教室のあちこちから疑問の声が上がる。
「それについては後日やるつもりだったが……そうだな。先に言っておく方が合理的か…」
HRに集中できていない様子の生徒が多いのを見て、相澤が頭を掻きながら話し出す。
「平たく言うと、“郊外でのヒーロー活動”。以前行った、プロヒーローの下での職場体験…その本格版だ」
「職場体験かあ」
ミルコと過ごした怒涛のような日々をネリエルは思い出す。
その前の席で、「はあ〜、そんな制度あるのか…」と呟いていた麗日が、急にガタンと椅子を揺らしながら立ち上がった。
「体育祭の頑張りは何だったんですか!!?」
「わっ」
驚くネリエルの2つ前の席で飯田が冷静に分析する。
「確かに…!インターンがあるなら、体育祭でスカウトを頂かなくとも道が拓けるか」
「そうだとしても、お茶子ちゃんの頑張りは絶対無駄じゃないよ〜」
「でもォ!」
朗らかに笑いながら、ネリエルは麗日の肩に手をかけて落ち着くように促す。
「│校外活動《ヒーローインターン》は体育祭で得た│指名《スカウト》を、コネクションとして使うんだ。これは授業の一環ではなく生徒の任意で行う活動だ。むしろ、体育祭で使命を頂けなかった者は活動自体難しいんだよ」
「なるほど…ミルコもやってるのかな」
後で連絡してみよう、と思いつつ、麗日を席に座らせる。
「元々は各事務所が募集する形だったが、雄英生徒引き入れの為にイザコザが発生し、このような形になったそうだ」
「あ…早とちりしてすみませんでした…」
説明を聞いて落ち着いた麗日は、きゅっと肩を寄せて小さくなった。
「仮免を取得したことで、より本格的・長期的に活動に加担できる。ただ1年生での仮免取得はあまり例がないこと、│敵《ヴィラン》の活性化も相まって、おまえらの参加は慎重に考えてるのが現状だ。まァ、体験談などを含め、後日ちゃんとした説明と今後の方針を話す。こっちも都合があるんでな」
そう話を切り上げた相澤は、だるそうに教室の出口に向かって歩いていく。
「じゃ…待たせて悪かった、マイク」
『一限は英語だー!!すなわち俺の時間!!久々登場、俺の壇上待ったかブラ!!!今日は詰めてくぜー!!!アガってけー!!イエアア!!』
何時にも増してテンションの高いプレゼント・マイクにネリエルも揃って返事を返しながら、英語の教科書とノートを取り出した。
◇
「ご迷惑おかけしました!!」
始業式から3日、まず先に謹慎が解けた緑谷が教室に戻ってきた。
3日間の遅れを取り戻す、と息巻いている。
「じゃ緑谷も戻ったところで、本格的にインターンの話をしていこう」
爆豪くんはいいのかな、と頭の片隅で考えつつも、ネリエルは教壇に立つ相澤の話に耳を傾ける。
「入っておいで」
相澤は教室のドアに顔を向け、そう声をかけた。
「職場体験とどういう違いがあるのか、直に経験のある人間から話してもらう。多忙な中都合を合わせてくれたんだ、心して聞くように」
ゆっくりと開いた扉の奥から現れたのは、三人の生徒である。
「現雄英生の中でも、トップに君臨する3年生3名———…通称、ビッグ
先頭を歩いてきたのは、つぶらな瞳をした爽やかな笑顔のがっしりとした男子生徒。
次に水色のロングヘアに、可愛らしい顔立ちをした女子生徒。
最後に、黒髪を長めに伸ばして猫背で歩く細身の男子生徒である。
「雄英生のトップ…ビッグ
「あの人たちが…的な人がいるとは聞いてたけど…!」
「びっぐすりー」
「めっちゃキレーな人いるし、そんな感じには見えねー…な?」
ざわりとザワついた教室のあちこちから、様々な声が上がる。
「じゃ、手短に自己紹介よろしいか?天喰から」
相澤に話を振られた男子生徒が顔を上げる。
その瞬間、前髪の隙間から覗く眼光が鋭くなり、空気を一気に引き締めた。
壇上の天喰と呼ばれた男子生徒はしばらく鋭い視線を保っていたが、何故かカタカタと震え始めた。
「駄目だミリオ…波動さん…ジャガイモだと思って臨んでも…頭部以外が人間のままで、依然人間にしか見えない。どうしたらいい、言葉が……出てこない」
声も体も震わせながら、天喰がだんだんと俯いていく。
「頭が真っ白だ…辛いっ…!帰りたい……!」
とうとうくるりとA組の生徒達に背を向け、黒板に向かって項垂れてしまった。
「雄英…ヒーロー科のトップ…ですよね…」
その頼りない姿に空気は緩み、何人かは疑問を含んだ視線を向け始める。
「あ、聞いて天喰くん!そういうのノミの心臓って言うんだって!ね!人間なのにね!不思議!」
隣の女子生徒がそう言いながら、丸まった天喰の背中を指し示す。
「彼はノミの『天喰環』、それで私が『波動ねじれ』。今日は“
そう名乗った女子生徒が真面目に話していたのはそこまでだった。
「けどしかしねえねえ君はなんでマスクを?オシャレ?」
「! これは昔に……」
「あら、あとあなた轟くんだよね!?ね!?何でそんなところを火傷したの!?」
「……!?それは——…」
大きな瞳をきらきらと輝かせながら、波動は好奇心のままにあちこちに視線を向けていく。
「芦戸さんはその角折れちゃったら生えてくる?動くの!?ね?峰田くんのボールみたいなのは髪の毛?散髪はどうやるの!?蛙吹さんはアマガエル?ヒキガエルじゃないよね?どの子も皆気になるところばかり!不思議」
思いついた言葉をそのまま言葉にしているように、ころころと話題が変わる話し方だ。
「天然っぽーい、かわいー」
「幼稚園児みたいだ」
「オイラの玉が気になるってちょっとちょっと——!!?セクハラですよ先パハァイ!!」
「違うよ」
峰田の発言も気にせず、ぴょいと教壇を下りて波動は尾白に話しかけにいく。
「ねえねえ尾白くんは尻尾で体を支えられる?ねえねえ答えて気になるの」
それまでは様子を見守っていた相澤が、鋭い視線を最後に残った男子生徒に向けた。
「……合理性に欠くね?」
「イレイザーヘッド安心してください!!大トリは俺なんだよね!」
慌てて男子生徒はサムズアップを相澤に向けてから、A組の生徒達に向かって何やら耳を傾けるポーズを取る。
「前途———!!?」
生徒達から何か返ってくることを期待しているような沈黙が続いた。
「多難ー!つってね!よォしツカミは大失敗だ」
レスポンスを自分で大声で叫び、誤魔化すように高笑いをする。
「……3人とも変だよな。ビッグ3という割には…なんかさ…」
「風格が感じられん…」
ネリエルの近くでこそこそと男子生徒達が話している。
壇上で笑いを収めた男子生徒は、「まァ何が何やらって顔してるよね」と真顔で言った。
「必修てわけでもない
ふざけた調子を抑え、男子生徒は考え込む様子を見せる。
「そうだねェ…何やらスベリ倒してしまったようだし…」
「ミリオ!?」
「君たちまとめて、俺と戦ってみようよ!!」
拳を突き上げながらのその言葉に、誰もが呆気に取られた。
「え……」
「ええ〜〜!?」
「俺たちの“経験”をその身で経験した方が合理的でしょう!?どうでしょうね、イレイザーヘッド!」
「……好きにしな」
唐突な提案に、しかし相澤は特に文句を言わなかった。
すぐに体操服に着替えて体育館
「あの……マジすか」
「マジだよね!」
瀬呂の恐る恐るの質問に、男子生徒は気楽な様子で準備運動をしながら答える。
「ミリオ…やめた方がいい。形式的に、“こういう具合でとても有意義です”と語るだけで十分だ」
「遠」
一応体操服に着替えてはいるものの、参加する気は一切ないとばかりに遠くの壁に向かって俯く天喰が言う。
「皆が皆、上昇志向に満ち満ちているわけじゃない。立ち直れなくなる子が出てはいけない」
しかし、その発言の内容にA組の空気が変わる。
「あ、聞いて知ってる、昔挫折しちゃってヒーロー諦めちゃって、問題起こしちゃった子がいたんだよ知ってた!?大変だよねえ通形、ちゃんと考えないと辛いよこれは辛いよー」
「おやめください」
芦戸の頭から生えている角をいじっている波動の姿は呑気なものだが、やはりその発言には、A組が通形と呼ばれた男子生徒1人に負けるという意味合いが多分に含まれていた。
「待ってください…我々はハンデありとはいえ、プロとも戦っている」
「そして
それらの発言に苛立った数名の表情が変わり、苛立ちはしなくとも、他の者も戦闘へと思考のスイッチを切り替える。
「うん、いつどっから来てもいいよね。一番手は誰だ!?」
そんな空気を読めていないのか、あえて読んでいないのか、通形は明るく声を掛ける。
それを受けて切島の言葉を遮り前に進み出たのは、遅れを取り戻そうと奮起している緑谷だった。
「おれ」
「僕……行きます!」
「意外な緑谷!!」
「問題児!!いいね君、やっぱり元気があるなあ!」
緑谷がフルカウルと呼ぶ、超パワーを身体中に纏う技を発動し、一歩前へと進み出る。
「近接隊は一斉に囲んだろぜ!!よっしゃ先輩そいじゃあご指導ぉー」
「「「よろしくお願いしまーっす!!」」」
声を揃えたA組の生徒達が、一斉に通形へと殺到する。
その瞬間、ハラリと通形の体操服が
「あーーー!!」
「今、服が
「ああ失礼、調整が難しくてね!」
急なほぼ全裸に耳郎が悲鳴を上げ、通形はいそいそとズボンを履き直し始める。
それを大きな隙と見て、緑谷が飛びかかった。
「——…!」
だが、緑谷の蹴り出した脚は通形の顔を、
「顔面かよ」
容赦ない緑谷の攻撃にそう呟いた通形に、レーザー、テープ、酸、もぎもぎ、様々な遠距離攻撃が浴びせかけられる。
「いないぞ!!」
遠距離攻撃によってできた土埃の向こうに、通形の姿は無い。
どこへ行った、と見回すA組の面々に対し、近接主体であるにも関わらず前線ではなく、『カモシカ』の姿で中間辺りを位置取っていたネリエルは、素早く後ろを振り向いた。
「響香ちゃん!」
「まずは遠距離持ちだよね!」
「え!?ぁ、ギャアアアア!?」
ネリエルの警告に耳郎は身構えたものの、突如として背後に現れた通形——しかも全裸の姿に悲鳴を上げる。
「ワープした!!」
「すり抜けるだけじゃねえのか!?どんな強個性だよ!」
前線にいた生徒達が慌てて振り返るが、後方への援護は間に合わない。
「おまえらいい機会だ、しっかりもんでもらえ。その人…通形ミリオは、俺の知る限り最も
突然消えて、突然別の場所へと飛び出す。
その繰り返しを素早く行いながら、通形は後方支援組のみぞおちに拳を叩き込んでいく。
「POWERRRR!!!」
遠距離持ちの生徒達をあっという間に戦闘不能にしてしまった通形は、息ひとつ乱さないまま、残る生徒達に向き直った。
「あとは近接主体ばかりだよね」
「何したのかさっぱり分かんねえ!!すり抜けるだけでも強ェのに…ワープとか…!それってもう……無敵じゃないすか!」
「よせやい!」
上がった悲鳴にそう言いつつ、通形が構える。
「何かからくりがあると思うよ!」
絶望しかけた数人の思考をゆり戻すように、緑谷の分析が始まる。
「『すり抜け』の応用でワープしてるのか、『ワープ』の応用ですり抜けてるのか、どちらにしろ直接攻撃されてるわけだから、カウンター狙いでいけばこっちも触れられる隙があるハズ……!何してるかわかんないなら、わかってる範囲から仮説を立てて、とにかく勝ち筋を探っていこう!」
ブツブツと呟かれる分析は理にかなっている。
それを聞いて、ネリエルは微笑んだ。
「うん、合ってる」
「! ネリエルさん、もしかして通形先輩の“個性”を知ってるの…!?」
「調べたもの。有名な先輩だから、気になって」
ネリエル自身の『探し物』と合わせて、あちこちで情報を調べていた結果の副産物だ。
通形ミリオが活動している事務所は超有名とは言えないものの、コアなファンというものはどこにでもおり、注目株のヒーロー候補生として様々な記事になっていた。
ネリエルに視線を向けた通形は、ニコッと笑った。
「知ってたんだね!もしかして、君が向かってこないのも作戦だったのかな?」
ここまで、ネリエルは最初の位置からほぼ動いていない。
それは単なるサボりではなく、通形を知るが故の対策である。
「通形先輩こそ、得意なのはカウンター…ですよね?」
「…うん、話には聞いてたけど、ホントに
先手で相手の攻撃を透かし、自身の攻撃は通すという戦闘スタイル。初見では対応しにくいが、知っていれば対策も容易に思いつく。
単に、
幸いにしてフィールドは開けており、ネリエルは技能的にも“個性”の能力としても視野が広い。
それらを有利と取ってゆったりと構えるネリエルに、通形は僅かに嫌そうな顔をした。
「———だけど!」
フッ、と通形の姿が地面の中に沈み込む。
「やれるもんなら、やってみなよ!」
緑谷の背後に、影が差す。
しかし緑谷はその姿を見ても冷静に、背後へと蹴りを繰り出した。
「だが必殺!!!」
「うっ!!?」
「ブラインドタッチ目潰し!!」
緑谷の頭部を、通形の手がすり抜ける。
当たらずとも脅威である牽制に、反射的に目をつぶってしまった緑谷はみぞおちに拳を入れられてしまう。
「ほとんどがそうやってカウンターを画策するよね。ならば当然、そいつを狩る訓練!するさ!!」
「緑谷くん!?」
崩れ落ちた緑谷に気を取られた飯田の背後に、通形が現れる。
その他、砂藤や切島、麗日、葉隠も反撃する間もなくやられてしまい、残るはネリエルのみとなる。
「後は君だけなんだよね」
「——…!」
ほんの一瞬、ネリエルが瞬きをした瞬間に通形の姿が地面の中へと消える。
「
そう呟くと共にネリエルは体を捻り、後脚を浮かせて前脚で方向転換をしながら、手をみぞおちの部分に構えた。
「む!!?」
パァン!と鋭い音を立てて、ネリエルの掌に通形の拳が受け止められる。
「受け…止めた…!?」
「マジかよ…っ!」
地面に倒れ伏す生徒達から驚きの声が漏れるが、ネリエルがしたことは至極単純で、狙われるであろうみぞおちに手を
「最初に狙われていたら、対応できなかったかも」
それでもタイミングを外せばもろに攻撃を食らっていたところである。
僅かな時間で通形の攻撃パターンきっちりと見切って合わせられたのは、ネリエルの戦闘技能故だ。
「なるほどね…!」
受け止めていた拳の重さが突然消え、通形の体が文字通りネリエルをすり抜ける。
背後へと沈みこんでいく通形の姿を目で追いながら、体の向きを変え———
「そこまでだ。もう十分だろう」
相澤の言葉に、ネリエルは構えを解いて『カモシカ』も解除した。
「いやあ、君ホントに強いね!全員伸すつもりだったんだけど!あとごめんね、ちょっと向こう向いててくれるかい!?」
「あ、はぁい」
地面に半分沈んだままの通形に、ネリエルは素直に頷いて背を向ける。
「よいしょよいしょ…よし。じゃあ、集合しようか!」
体操服を着直した通形の号令で、地面に横たわっていたA組の生徒達がよろよろと起き上がる。
「皆、大丈夫?」
「なんとか…」
「ネルちゃん、すごいねえ…」
ネリエルと、そもそも戦闘に参加していなかった轟以外、全員みぞおちを押さえている。
しかしそれほど時間を置かずに復活できたあたり、やはりうまく手加減されていたようだ。
「とまァ———こんな感じなんだよね。オーデルさんには止められちゃったけどね」
先ほどまでの気迫をあっさりと消した通形は、A組の生徒達に問いかける。
「俺の“個性”強かった?」
「強すぎっス!」
「ずるいや、私の事考えて!」
「すり抜けるしワープだし!轟みたいなハイブリッドですか!?」
轟々と上がる声に、波動が元気よく片手を挙げた。
「私知ってるよ“個性”、ねえねえ言ってい?言ってい?トーカ」
「波動さん、今はミリオの時間だ」
前に立っているが後ろを向いている天喰が波動を制止するが、あまり響いている様子はない。
「いや一つ!!『透過』なんだよね!君たちがワープと言うあの移動は、推察された通りその応用さ!」
「どういう原理でワープを…!!?」
「全身“個性”発動すると、俺の体はあらゆるものをすり抜ける!あらゆる!すなわち地面もさ!!」
そう言って地面を踏む通形に、麗日が気づく。
「あっ…じゃああれ……落っこちてたってこと…!?」
「そう!地中に落ちる!!そして落下中に“個性”を解除すると、不思議なことが起きる。質量のあるモノが重なり合うことは出来ないらしく…
通形の説明に、ネリエルもその図を想像したが、なかなかに難しい。
「……? ゲームのバグみたい」
「イーエテミョー!!」
芦戸の例えはうまいもので、他の生徒達はなるほどと頷いている。
「攻撃は全てスカせて、自由に瞬時に動けるのね。やっぱりとっても強い“個性”」
そうまとめた蛙吹に、通形は目を伏せた。
「いいや、強い“個性”に
そこまで聞けば、誰もが通形の“個性”の大きなデメリットに気づく。
「あらゆるものがすり抜ける。それは何も感じることができず、ただただ質量を持ったまま落下の感覚だけがある…ということなんだ。わかるかな!?そんなだから壁一つ抜けるにしても、片足以外発動、もう片方の足を解除して接地、そして残った足を発動させすり抜け、簡単な動きにもいくつか工程がいるんだよね」
一見すると強すぎる“個性”に見えていた彼の能力の扱いづらさに、生徒達はざわついた。
「急いでる時ほどミスるな、俺だったら…」
「おまけに何も感じなくなってるんじゃ動けねー…」
「そう、案の定俺は遅れた!!ビリっけつまであっという間に落っこちた。服も落ちた」
そう言って笑う通形の表情に弱さはなく、自信満々に己の額を指で指し示す。
「この“個性”で上を行くには、遅れだけはとっちゃダメだった!!予測!!周囲よりも早く!!時に欺く!!何より『予測』が必要だった!そして、その予測を可能にするのは経験!経験則から予測を立てる!」
そう言いつつ、通形はチラリとネリエルを見た。しかし何も言及はせず、話を続ける。
「長くなったけど、コレが手合わせの理由!言葉よりも“経験”で伝えたかった!インターンにおいて、我々は『お客』ではなく一人のサイドキック!
通形の声は明るいが、真剣な響きが滲む。
「それはとても恐ろしいよ、時には人の死にも立ち合う…!けれど、恐い思いも辛い思いも、全てが学校じゃ手に入らない一線級の“経験”———…俺はインターンで得た経験を力に変えて、トップを掴んだ!ので!恐くてもやるべきだと思うよ1年生!!」
そう締めくくられた言葉に、自然と生徒達から拍手が沸き起こった。
その中で、ネリエルは首を傾げる。通形のつぶらな瞳がチラチラとネリエルのほうを見ていたからだ。
「? 何か?」
「えーっと、オーデルさん」
「はい」
「…どこかでめちゃくちゃ戦ってた経験があったり、するかい?」
通形の問いに、ネリエルはぱちりと大きく瞳を見開く。
「経験を重視して鍛錬をしていると、手合わせの中で相手の
「…それで、私が?」
「うん。めっちゃくちゃブ厚い経験があるように感じたんだよね。それこそ、プロヒーローに劣らないどころか、勝るぐらいのような気がするんだよね」
徐々に、ネリエルへと全員の視線が集まる。
「……ちょっと、
「ん?ズル…?」
「——そういや、体育祭の時も似たようなこと言ってたな」
言葉を濁すネリエルに、後方でのんびりとした様子だった轟が思い出したように言う。
「動物系“個性”の勘、だっけか」
「うーーん……えっとね……」
ネリエルは横目で少し離れた位置に立つ相澤を見た。固い表情をした相澤は、微かに首を横に振る。
「…まあ、そんな感じかな」
「そうなのか。やっぱスゲェな」
「なるほどなんだよね!」
そんな調子でネリエルの
◇
「『サー』!!
とある地方都市の一角、さほど大きくはないビルの一室に、コスチュームを着た女性の報告の声が響く。
「報告は元気に一息で」
「っはい!捜査中の指定
——要注意