沼から這い出た”それ”は誰?   作:オールドファッション

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人間賛歌を与えてみた

【ハーゲンside】

 

「南の勇者さまが討ち死にされた?」

「はい、七崩賢を率いる全知のシュラハトと会敵。その後どうなったかは分かりませんが……生存は絶望的かと」

「何ということだ……」

 

 ああ、南から来たる男。歴代勇者の中で最たる者よ。

 

 そう多くの吟遊詩人に謳われた勇者の死は、北側諸国の端々にまで聞き届いていた。当然、エンデにもっとも近接する国境にも、その訃報は早くに届く。

 

 南の勇者は魔王軍の前線部隊を壊滅させ、魔王軍の補給経路の心臓部であった北部高原最北端にまで攻め入っていた。一時的に補給路を絶ったおかげで、辺境のこの地でも束の間の平穏が訪れていた。

 

「ロルベーアの総督からの返事は?救援は見込めないか?」

「……条件に、帝国の属州になれと」

「ちっ、未だに統一帝国時代の栄光でも追い求めるつもりか」

 

 王子は会議室の壁に掛けられた大陸の地図に短剣を投げつける。刃先はちょうど帝都に突き刺さった。

 

 一千年前の帝国の躍進は凄まじく、この大陸の全てを手中に収めるほどの隆盛を誇っていた。しかし、国家の繁栄は諸行無常のものなれば、永遠の栄華など叶うはずもない。

 

 一つの属州が決起した拍子に、一斉に統一帝国は瓦解した。帝国は現在の国家としては大陸の中でも一二を争う国力を持ってはいるが、過去の栄華に比べれば酷い零落ぶりだ。

 

 この国もまた、早くに統一帝国から離反した属州の一つ。極寒のこの地で育った民は、飢えにも寒さにも強い益荒男たちだ。魔法という軍事兵器があったとして、都市の中でぬくぬくと育った帝国兵士相手に、この極寒の環境下で負ける道理はない。

 

 この国は、魔法という特異な因子を除けば最強の民族国家だ。およそ人間らしい暮らしを経験したことがない未開の民ではあるが、故に人間から逸脱した強さを誇っている。

 

 だからこそ、南の勇者の大躍進は蜜であり毒でもあった。

 

「平穏など、この俺も初めてのことだった」

「この爺もでございます」

 

 日々魔族との闘争に明け暮れることが日常だった民衆にとって、つかの間の平穏がどれだけの幸福だったか。幸福からの落差がどれだけ深かったかは想像に難くない。

 

「民衆はもちろん。兵士の間にも混乱が広がっております」

「あの方はあまりにも強かった。期待しない方が無理というもの」

 

 王子は深くため息を吐く。

 

 いつもはけたたましく吹き荒れている北風の音は珍しく聞こえない。ため息がひどく鮮明に聞こえた。

 

 

 七崩賢『断頭台のアウラ』の襲来は、それからすぐのことであった。

 

 

 機械的なほど足並みが揃った軍隊の行進。鎧を纏い、様々な武器を装備する軍勢は千人以上もいた。その軍勢の誰もが人間であり、そして誰もが頭部を持っていなかった。

 

 比喩ではない。実際に首から上が存在しないのだ。

 

 それは鎧と骨からガシャンガシャンと音を立てながら、休むことなく行進し続けている。それが通ったあとには濃厚な死臭が漂っていた。

 

 不死の軍勢。

 

 断頭台のアウラの魔法によって支配された死人の大軍勢である。

 

「うーん……こりゃ無理だ。白旗でも上げるか?」

「馬鹿ですか若。魔族への降伏は全滅と同義ですよ」

「王子と呼びなさいよ」

 

 高台から不死の軍勢を眺めた王子は清々しいほど匙を投げ出した。傍らに付き添う従者も頷き掛けたが、お役目通り主人の愚策を戒める。

 

「魂を束縛して死後も対象を操る魔法か。悪趣味だな、見覚えのある家紋の鎧も多い」

「ええ、まったくもって醜悪な魔法です……だが、それでも強い」

「そうだな。魔法使いとしての格は俺には分からんが、数による純粋な物量戦は誰だって嫌だ」

 

 兵站も休息も必要としない不死の軍勢だ。戦場においては夢のような魔法だろう。

 

 普通に戦ったとしても勝率はほぼ見込めず、勝ったとして自軍の犠牲はとてつもない。そうなれば、当然狙うは使役する魔法使いの首級だが……。

 

「お歴々たちがあのザマだ。簡単には取らせてもらえないだろうなぁ」

 

 鎧に刻まれた家紋は高名な騎士や戦士の家系が多い。百戦錬磨の英雄たちや、北側諸国三大騎士の一人まで見かけた。

 

 優れた戦士は近接戦ならば魔法使いに遅れを取ることはない。英雄や三大騎士ほどの手練れなら、あの不死の軍勢を乗り越えてアウラの目の前までたどり着いたはずだ。

 

 ならば、敗因は自ずと見えてくる。

 

 アウラの魔法の発動速度。瞬時に魂を支配できるなら、そもそも戦いにすらならない。効果範囲は分からないが、どのみち近接戦になれば嫌でも近づくことになる。戦士との相性は最悪だ。

 

「うちの兵士たちでも弓くらいなら扱えるが、魔法以上の威力は出ない。三大騎士の一人ヴァールハイト殿なら勝ち筋はあったかもしれんな」

 

 北側諸国で一番の強弓の使い手だ。放たれる弓矢は下手な攻撃魔法などよりも数倍の威力を誇る。

 

 だが、数年前に黄金郷のマハトに敗れたと訊いた。あの騎士の訃報も、北側諸国の人類圏にとっては大きな損失だった。

 

「まあ、お歴々の犠牲のおかげで僅かだが『勝機』が見えた」

「……誠でございますか?」

 

 王子の何気ない呟きに、従者は目を見開く。歴戦の戦士たちがアウラに敗れてきたというのに、王子は勝機があると言ったのだ。

 

 従者の驚嘆の視線を受けながら、王子はまるで弓を射るような動作をした。

 

「簡単な話だ。一の矢が無理ならば、すぐに二の矢を放てばいい。つまり――」

 

 王子の作戦を訊いた従者は、しばらく考え込んだ末に頷く。

 

「確かに、理論上は可能かもしれませんが……問題があります」

「ああ、あの不死の軍勢を潜り抜けられるほどの実力者は限られる。――俺とお前くらいのものだろう」

 

 王子の言葉に従者は深く瞑目する。それはまるで、死者を見送るかのような瞑目であった。

 

「死なれる、おつもりですか?」

「死ぬつもりなんてないさ。お前と違ってまだ嫁も貰ってないからな。俺の代で血筋が途絶えたら、あの世でご先祖様に叱られる」

 

 王子は高台から広がる真っ白な大地を眺めた。緑も生き物の息遣いもなく、ただ一面の銀世界と静寂が支配している。

 

 過酷なこの地で生まれ、それを後悔しない者はいない。だが、それ以上に胸中に芽生えるのは、この荒地を開拓した祖先と、この地を延々と守り抜いてきた英霊たちへの尊敬の念であった。

 

 何があったとしても、この地が血脈を繋ぐ産土であることは変わらないのだ。

 

「私が一の矢になります」

「いや、二の矢にしては俺は顔が知られすぎている。どうせ今回の襲撃も俺が目当てだ」

 

 北の最果ての地にて、この一番槍の王子あり。

 

 数々の戦で一番槍の誉れをいただき、幾度も戦いを勝利へと導いてきた戦さ場の花。南の勇者と共に吟遊詩人に諳んじられた英傑だった。

 

「作戦はどうされますか」

「少数での奇襲。俺が前からただ前進していくから、二の矢はお前が自由にやるといい」

「……前衛だけでも五百はいると思いますが?」

「皇獄竜よりはマシだ。あれを相手にした時は随分と手こずったな」

 

 王子は傍に置かれた長槍を手に取る。

 

 この北側諸国最強の竜種、皇獄竜。その牙から切り出したのがこの純白の槍だ。魔法に対しても高い特効を秘めている。不死の軍勢といえど、この槍の前では意味をなさないだろう。

 

 槍を軽く振って調子を確かめる。まるで木の枝でも振るうように軽々と槍を扱った。

 

 自身の壮健ぶりを実感し、王子は頷く。

 

 

「よし、じゃあ『今から』行くか」

 

 

 傍にいた従者はその場でコケた。鎧がガンシャンと大きな音を鳴らす。

 

「正気ですか若。わざわざこんな晴れの日に奇襲なんて……」

「王子と呼びなさいってば……よく見ろよ。あの青空を」

 

 指差した先には、北の最果ての地では珍しい晴天の空が広がっている。大地に広がる一面の銀世界は、光を眩しく乱反射していた。

 

 それはまるで、光の道のようであった。

 

「勝つにはいい日じゃないか」

 

 王子の満面の笑みに、従者はただ呆れながら笑い返した

 

 

 

 

 

 

 

 不死の軍勢の後方。そこにアウラとリュグナーは待ち構えていた。

 

 本来ならば不死の軍勢の中央に鎮座していたが、今回は前方に軍勢のほとんどを展開している。前方にいる相手はただ1人の騎士だというのにだ。

 

『七崩賢断頭台のアウラとお見受けいたす!いざ尋常に勝負されよ!』

 

 数分前。その男は象牙のような白い槍を携え、軍馬に乗って不死の軍勢に正面から挑んできた。アウラたちはその凶行に驚きを通り越して、ただ呆気に取られた。ただ1人でこの軍勢相手に何ができるだろうか。

 

 しかし、その騎士が馬上で槍を構えて瞬間、真一文字の刺突が数十の軍勢を吹き飛ばした。

 

「へえ」

 

 空中に舞った鎧を見てアウラは目を見開く。そして同時に、あの男が自分が探しにきた一番槍の王子だと直感した。

 

 南の勇者との戦いによって不死の軍勢は多く損なわれていた。戦力の補給にこんな辺境にまで足を運んだが、噂に違わぬ技量にむしろ安堵が浮かぶ。

 

「あれなら百人分くらいの働きはしてくれるかしら……あまり傷つけずに捕らえなさい」

 

 全ての軍勢に命令を発する。カイトシールドを構えた死兵たちが、突進する王子の前に展開した。

 

「北側諸国の軍馬を舐めるなぁ!」

 

 王子の叫びと共に軍馬は跳躍し、悠々と死兵たちを飛び越えて行く。死兵が予備動作をする前に、馬はすでに敵陣を駆け上がった。

 

 アウラの軍勢は全てが鎧を装備した歩兵であるため、騎兵にはどうしても機動力が劣る。魔法も使わない旧時代の戦術とはいえ、実際侮れないものだ。

 

「馬はいらないわ。殺しなさい」

 

 命令と同時に、無数の長槍が軍馬に突き刺さる。軍馬はそれでも走り続けたが、しばらくしてバランスを崩して倒れた。王子は難なく着地したが周囲は軍勢に包囲されている。

 

 ――ああ、終わった。

 

 用心深いリュグナーでさえ、アウラと同じ言葉が脳裏に浮かんだ。

 

 

「まだだぁ!」

 

 

 だが、終わりではなかったのだ。あるいは始まりですらなかったのかもしれない。

 

 横薙ぎに振るわれた皇獄竜の槍は、前方の兵士を吹き飛ばす。そこから生じた隙間を縫うように、王子は駆け出した。軍馬は機動力に長けているが、小回りは人間の方が有利だ。

 

 ならば、人間の身でありながら、軍馬以上の速さを兼ね備えた者がいたらどうなるか。

 

「どうして、ただ一人なのに……こっちは数千の軍勢なのに。どうして止められないの?」

 

 アウラの軍勢は物も言わねば、考えて動くこともない。いわば魔法によって半自動的に魂を操作している傀儡に過ぎない。それでは戦士としての真価は発揮できない。

 

 本物の英傑を捕らえられる道理はないのだ。

 

「ああ、そこか!首級はそこにあるのか!!」

 

 一瞬だけ開いた隙間から王子はアウラの姿を見据えた。

 

 アウラの背筋に冷たいものが走る。まるで南の勇者と対峙したときのような緊張感があった。

 

 無意識に後ずさりし、軍勢はほとんど前に展開していく。軍師ではないアウラは気づかない。密集した兵がどれだけ動きを制限されるかを。

 

「アウラ様……」

 

 戦況を冷静に見定めたリュグナーが隣から声を掛ける。アウラは迫っている敵から目を話さずに口を開けた。

 

「何を心配しているの?私には服従させる魔法(アゼリューゼ)があるのよ」

 

 いくら最強の戦士といえど、近づかなければ攻撃すらできない。弓兵ならまだしも、相手は槍兵なのだ。

 

 そう自分に言い聞かせるかのように、アウラは思考する。リュグナーもそれは否定しなかった。

 

 ゆえに、それは一瞬の油断を生んだ。

 

 誰が考えられただろうか。唯一の獲物を――投擲するとは。

 

「なっ!?」

 

 一級の槍使いの投擲は、時に一級の弓使いの矢にも並ぶ。流星のごとき放物線を描き、それはアウラ目掛けて飛来した。

 

血を操る魔法(バルテーリエ)!」

 

 リュグナーは自身の血を硬質化し、操れる最大量の血を前面に集中させる。体で回避するよりも、血液の流動の方が早かったからだ。

 

 だが、皇獄竜の牙から作られた竜槍。にわか作りで張った防御ではまるで意味をなさい。軟土を刺し貫くように血を操る魔法(バルテーリエ)を穿った。

 

「アウラ様!」

「……っ」

 

 槍は、先ほどまでアウラが立っていた場所に深く突き刺さっている。止められなかったとはいえ、槍の勢いはいくらか落とせた。

 

 だが、アウラの胸中に浮かんだのは安堵ではなかった。一瞬でも視線を逸らしたことへの後悔の念が噴き上がる。

 

 ――あの男はどこだ!?

 

 アウラは視線を槍から逸らし、前へと向ける。

 

 軍勢をかき分け、眼前まで駆け上がる王子と目が合った。

 

 鎧全てを外し、全身に無数の傷を負っている。武器すらも持たず、それでも伸ばした手は数尺という距離にまでアウラに迫っていた。

 

 常軌を逸した行動への恐怖。そして、すぐに勝利への歓喜へと変わった。

 

服従させる魔法(アゼリューゼ)

 

 疾風のごとき歩みが牛歩へと変わっていく。王子の精強な白い魂が、アウラの支配の天秤に乗ったのだ。片方の上皿にはアウラの漆黒の魂が乗っている。

 

 アウラの服従させる魔法(アゼリューゼ)は対象と自身の魂を秤に乗せ、魔力が下回った方の魂を支配する魔法だ。いくら戦士として強かろうが、相手の魔力はほとんどない。勝敗は明白だった。

 

「勝った」

 

 アウラが思い浮かべた言葉が声となって発せられる。だが、声の主はアウラではない。目の前の相手から溢れた言葉だ。

 

 王子の浮かべたそれは、今まで支配してきた者たちの表情ではない。それはまるで、勝利を確信したような得意げな笑みだった。

 

 ザッ!ザッ!ザッ!

 

 アウラからは完全に死角の位置から、今まで息を潜めていた従者が白いローブを纏いながら迫っていた。完全に雪景色と同化していた従者は、ロングソードを構えている。

 

「しまっ!?」

 

 アウラは感知能力で背後から迫る伏兵の存在を察知した。しかし、すでに時機を逸している。

 

 アウラは服従させる魔法(アゼリューゼ)の発動中で身動きが取れない。リュグナーも、先ほどの防御で多く血を失った。血を操る魔法(バルテーリエ)を発動させるのには時間が掛かる。

 

 すべてが相手の策略の内であったのだ。

 

「その素っ首、貰い受ける」

 

 伏兵から放たれた刺突は、正確無比な一撃だった。喉元から鮮血が吹き出し、白い大地を赤く染め上げる。

 

 膝をつき、地面に倒れこんだのは――王子だった。

 

「な、なぜだ……”ハーゲン”?」

 

 絞り出すような声で、王子は信頼していた従者に声を掛けた。主君を裏切ったハーゲンは、ただ首を傾げている。まるで自分がしたことを理解していないようだった。だが、次第に顔が青ざめて行く。

 

「えっ……なぜ、私は?ああ……ああ!若様!ジーク様!!」

 

 ハーゲンは地に伏した王子を抱き起こすが、すでに息は絶えている。支配の天秤に乗っていた魂も消失していた。それは、服従させる魔法(アゼリューゼ)が完了する前に対象が死亡したことを意味している。

 

「あああっ!なぜだ!!なぜ!なぜ!なぜ!なぜ!なぜ!」

 

 ハーゲンは爪でガリガリと頭を掻き毟る。皮膚を突き破り、頭蓋に到達しても指は止まらない。まるで、脳に寄生する虫を掻き出そうとしているようだった。

 

「なぜ呼び戻した!私はとうに、こいつらと同じ死兵だというのに!!」

 

 意識の水底で重たい瞼を開き、”それ”は這い上がる。ハーゲンの意識を食い破り、久しぶりに魔族の肉体に体を戻した。此度は騎士の甲冑に身を包んでいる。

 

「なるほど、愛国心。祖霊信仰。そして国に殉ずる自己犠牲。故郷や国という共同体を基盤にした思想が私たちを強くするわけか……生まれた場所に愛着を持たない私には難しい概念だな。家族というものもしばらく体験させてもらったが、あれへの関心はハーゲンの意識下でも持てなかった。同族相手なら湧くものなのだろうか」

 

 魔族の身でありながら、人間の友や妻を持ったのは得がたい経験だった。”それ”は今まで人間の国で体験したものを咀嚼し、自分なりに理解しようとした。

 

「……魔族、だったのね」

「ん?ああ、断頭台のアウラ様でしたね。これはとんだご無礼を……」

 

 ”それ”は未だに警戒を続けるアウラとリュグナーに目線を移す。二人とも、人間の価値観で見ても整った容姿をしているが、それに対して特別な感情は一切芽生えなかった。

 

「……物騒ね。それ下ろしてちょうだい」

 

 アウラは”それ”が手に持っているロングソードを指差した。剣を握った手は震えており、あまりの強い握り込みに血が滲んでいる。もう片方の手が、その手を必死に抑えているようだ。

 

「ああ、すみません。あまりにも人間の中で生活していたものですから、人間の精神に影響されているようです。あなたたちを――殺したくて堪らない」

 

 ”それ”の言葉に、アウラたちの警戒がさらに高まる。”それ”は単純に警告のつもりで発した言葉だったが、状況が状況だけに勘違いをされたらしい。

 

 戦う意思のなかった”それ”は、別の方向を向いて口を開いた。

 

「この先に私が暮らしていた人間の国があります。兵士も民も屈強な益荒男たち。アウラ様もお気に召すかと」

「へえ……良いの?そこで暮らしてるんでしょう?」

「ええ。もう私には必要ない場所なので」

 

 ”それ”が欲しい情報はあらかた経験できた。なら別の人間の体を模倣して、新たな情報を集積する旅に出るだけだ。

 

 アウラはふんと鼻を鳴らす。目当ての人間を殺された腹いせに、”それ”を服従させる魔法(アゼリューゼ)で支配しようかとも思ったが、先ほどの戦いで思いのほか魔力と精神力を削られた。これ以上、得体の知れない相手と戦いたくはない。

 

「あなた、名前は?」

 

 アウラの質問に、”それ”は初めて言葉に詰まる。一呼吸の間を置いて、”それ”は答えた。

 

「メッチェン…いや、ハイヤム?……ハーゲンだったか?」

「ハーゲンって、あなたが成り変わっていた人間の名前じゃないの?」

「……そう、ですね。名前、名前、名前……」

「はあ、もういいわ」

 

 興味を失ったアウラは、国があると言われた方向へ歩き出す。また会うかどうかもわからない相手に、そこまで関心はなかった。

 

 ”それ”もアウラのことに関心がないのか、ただブツブツと誰かの名前をつぶやき続けている。考え込んでいるのか、嘘のように隙だらけだった。

 

「よろしいのですか、アウラ様」

 

 リュグナーの呼びかけにアウラは振り返らずに手を振った。今の”それ”の顔を見て、アウラは”それ”を軍勢に引き入れる気が完全に失せていた。

 

 アウラが支配してきた者たちが、首をはねられる直前に浮かべる表情と同じだ。

 

 深い死相が浮かんでいた。




観測者A「おー、今回は新記録ですね。まさか五年も人間の都市で生活できるとは……アウラたちがやって来なければもう少し記録が伸ばせたかも」

観測者B「帝国との戦争で人間を定期的に殺せたのが良かったのかもな。ただ、魔族って基本的に根無し草だから、愛国心とかの概念がイマイチ分かってなさそうだ。個人主義の弊害でコミュニティーに対する感情も希薄だし」

観測者A「子供が生まれてたら少しは変化あったんですかね。模倣した肉体なら繁殖も可能かと思ったんですが、どちらかの生殖能力に欠陥があったせいか不発に終わりましたね」

観測者B「子供ができた状態で人を模倣する魔法(ペルゾーニンリッヒカイト)を解除したらどうなるんだろうな。模倣している時に怪我して流した血も、解除後には消えるし。多分、他の体液も……」

観測者A「胎児は母親から由来する成分が多いですし、肉体が消失するようなことはないとは思いますよ。まあ、遺伝的な欠損は起きるかも」

観測者B「ふむ、愛情のような人間固有の感情は一種の快楽と受容しているみたいだが、殺意や憎しみといった魔族でも持っている感情は心理的に影響を受けるようだ」

観測者A「共感できる感情から心理的に刺激を促した方が変化が起きると思います?」

観測者B「どうだろうな……うーん」

観測者A「どうしました?」

観測者B「なんか、最後の方で少し処理が重くなったんだよな。まだストレージに余裕はあるんだが……」
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