沼から這い出た”それ”は誰?   作:オールドファッション

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※残酷な表現が含まれています。


色んな愛を与えてみた

【マリーside】

 

 頭が痛む。

 

 ベッドに腰掛けた”それ”はズキズキと痛む頭をさすった。頭部には外傷はなく、何かしらの病に罹患している可能性も低い。だが、頭痛の回数は日増しに増えていく。

 

 正体不明の頭痛に悩まされながらも、”それ”は新たな情報の集積を行なっていた。

 

 ――やめてぇ!!もうやめてぇ!!!

 

「……ああ、喧しいわね」

 

 頭痛を感じている頭に、その女の慟哭は酷く響く。

 

 魔族によって親を奪われた子供を育てている聖職者がいると聞いて、”それ”は数日前に教会の孤児院にやってきた。教会の裏庭には、多くの子供たちに囲まれている一人のシスターがいた。

 

 ”それ”は人間が子供を守ろうとする潜在意識が強いことは理解している。特に女性や母親はその傾向が強い。だが、血縁も故郷の繋がりもない他者に捧げる無償の愛とやらは未だに経験がない。

 

 シスターマリーは誰に対しても分け隔てない女性だった。魔族の姿で相対した時でさえ、あれは理知的に対話をしようとしていた。”それ”は、自分に敵意を向けない人間を初めて見たので、興味本位で対話に付き合ったのだ。

 

 会話をする中で、彼女はとても理性的で、精神的にも強い女性であることを感じた。だから、具体的にどこまで精神的な強さを持っているのか確かめたくなった。

 

『どうか子供たちだけは!私はどうなっても構わないから、子供たちの命だけは!!』

 

 無償の愛による精神力には目に見張るものがあった。大抵の人間の意志は痛みによって簡単に折れる。

 

 爪を剥ぎ、目玉を抉り、四肢を引きちぎり、腹わたを引きずり出しても、マリーは出血死するまで痛みに耐え続けた。信仰を捨てた者もいれば、命すらも捧げる殉教者がいるというのは不思議だ。

 

 ここまで他者のために自己を犠牲にできる個体は珍しい。だから、実際にそれを体験してみた。人格の支配権は”それ”のままに、精神と体を模倣する。

 

「さあ皆さん。今日は互いの体を縄で縛って遊びましょう。先生がいいと言うまで目隠しを外してはいけませんよー」

 

 幸い、子供達は従順だった。マリーの言葉に疑いもなく行動し、全員が自ら拘束状態になる。

 

 孤児の一人を抱きかかえ、教会の祭壇に乗せた。まるで見下ろすように、女神様の像が子供を見下ろしていた。

 

 コンッ!コンッ!

 

「せんせー、何の音?」

「うーん?これは大工さんごっこの音ですよー」

 

 所詮は口約束だったが、気まぐれにその言葉に従った。命だけは奪わない。だが、それ以外の方法を人間の記憶から多く学んだ。

 

「統一帝国時代の医療記録だったな。……釘の角度はこれでいいはず」

 

 納屋に置いてあった工具箱から木づちと程よい長さの釘を取り出し、釘の角度を調整しながら眼窩に添えた。

 

 コンッ!コンッ!

 

 木づちを数回、振り下ろす。軽い痙攣発作を起こしたが、命に別状はないだろう。

 

「ロイコトミー……前頭葉と視床を結ぶ神経線維の切除。大昔の人間は意識の座は脳に帰属したものだと考えたわけか。私の見解とは少し異なるな」

 

 処置が完了した子供を下ろし、”それ”は新しい子供を祭壇に乗せた。子供達は従順にただ自分の順番が来ることを待っている。

 

「多くの脳と精神を模倣した私はこう思うんだ。脳も精神も外部情報を受容する器官に過ぎない。世界の外側に、私たちの意識の座は存在するのかもしれないね」

「せんせー?何の話してるのー?」

「ふふ、私たちはこの体よりも大きな存在かもって話ですよ」

 

 首を傾げている子供の頭を優しく撫でる。そして慣れた手つきで釘を打ち付けた。

 

 ――やめてぇ!もう子供たちにひどいことをしないでぇ!!

 

 脳裏で木霊する言葉に”それ”は疑問符を浮かべた。

 

「ひどいこと?痛みは一瞬だけで、苦痛も恐怖もない……命すら奪ってはいないというのに、どうしてそうなるんですか?」

 

 人を害している自覚は全くない。”それ”にとってこれはマリーがしてきたことと同じ、ただの救済行為のつもりだった。

 

「私はあなたの博愛と慈愛の精神を知りたい。共感したいのです。愛を知れば私もあなたのような強さを手に入れることができる」

 

 だから子供達一人一人に心を込めて釘を打った。処置の完了した子供を大事に抱きかかえた。マリーを手本としたのだ。

 

「あなたは愛によって子供達を痛みや苦しみから解放した。なら、私がいま行っている行為も本質は同じはず。私はこの慈愛をもってこの子たちを救済したい」

 

 ――違う!こんなの救済じゃない!!

 

「では、どうして女神様は救いの手を差し伸べて下さらないのですか?どうして、この私に天罰をお与えにならないのですか?」

 

 ”それ”は女神様の神像を見つめながら微笑みを湛える。マリーの信仰心すらも”それ”は模倣していた。

 

「あなた方が残酷だという世界を、一番に望まれているのは……女神様ではないんですか?」

 

 教義も信仰心も持った”それ”は、魔族としての意見を純粋に述べる。そこに偽りや欺瞞は一切ない。

 

 ――あ”ああああああああああああああ!!!!

 

 それを感じたマリーの精神が、ひび割れていくのが感じられる。精神強度の限界を測れたことは喜ばしいことだ。

 

 ”それ”は工具箱の中身に目線を落とした。釘の本数は、孤児たちの数とちょうど一致している。

 

 その幸運を女神様に感謝した。

 

 

 

 

 

 

 

 今は廃港となった港町に、”それ”は一人で歩いていた。尼僧服に身を包み、ロングスカートが潮風で揺らめいている。

 

 町並みはひどく古びており、建物のほとんどが風化して崩れていた。当然、この場所から人の気配は一切感じられない。

 

 漁港から砂浜の方へと移動してみると、浜にイルカの死骸が打ち上がっているのが見えた。その傍らには少女が立っている。

 

 目が合った。嬉しそうに微笑んで手招きしている。

 

 思わずその仕草に釣られて近づいていくと、前髪で隠れていたツノが見えた。だが、”それ”は気にせずに少女に近づいていく。

 

「何だ。君か……久しぶりに人間のお客さんかと思ったわ」

 

 魔族の少女は落胆したが、すぐに笑みを取り戻す。相手が懐かしき同好の士であったためだ。

 

「数世紀ぶりですね。ソリテール」

 

 ”それ”にとって最初で最後の知己、人類のことを研究している同族の名だ。

 

 数世紀前に偶然出会い、共に人間について多くの意見交換を交わした。数十年前にマハトから思いもかけず生存報告を聞いたが、今も変わりはなさそうだ。

 

 ソリテールに連れられて、町外れにある古い造船所に入る。ここが今の住処らしい。

 

 天井付近に巨大な骨格標本が吊るされていた。一見、同じようで全く異なる骨格をしている。

 

「ホオジロザメとシャチですか」

「あら、知ってたの?」

「生物学者も色々と模倣してきましたからね」

 

 骨格標本を眺めながら二人で紅茶と茶菓子を摘む。本来、魔族は料理をする必要がないが、人間研究の一環でソリテールは人間の日常的な習慣を真似ているらしい。

 

「ソリテール。あなたは誰かを愛したことはありますか?」

 

 空のティーカップをソーサーに置き、”それ”は唐突に訊ねる。

 

 ソリテールは間も置かずに答えた。

 

「ないわね。あなたこそ、人間の愛とやらを経験したんじゃないの?」

「感覚として刺激は受容しました。ですが、感情として理解したことはないかもしれません。私たち魔族にはおそらくない概念ですから」

 

 模倣した人間の脳や感情から情報は受け取っている。だが、魚に鳥の感覚を教えようとしても、明確な理解を得られるかは分からない。”それ”も何度か感覚の齟齬を感じてはいた。

 

「愛ってどういう感覚?」

「一概に表現するのは難しいですが……胸の内から溢れる感情を、相手に捧げようとする奉仕的欲求のようなものですかね。あるいは保護欲というべきか」

「肉体的な快楽とは違うの?人間の辞書では生殖行動を愛し合うとも言うでしょう」

「それは肉体の快楽でしかありません。愛は、言うならば精神的な充足感と安定がもたらす快楽です」

「へえ、複雑ね」

 

 ”それ”はソリテールを一瞥する。思えばそれなりの付き合いだ。恋愛感情はないが、思い入れのような感情はあるかもしれない。

 

「試してみます?」

 

 ”それ”は自分のスカートを軽くめくって見せた。下着までは晒していないが、太ももの黒いガーターベルトが目に映る。

 

「遠慮しておくわ」

「そうですか」

 

 予想通りの返答が間を置かずに返された。特に何も感じず、”それ”は新しい紅茶を注ぎ始める。

 

「そんなことを訊きたくて、わざわざここまでやって来たの?」

「そうですね。明確には違いますが」

「?」

 

 首を傾げているソリテールのカップにも、”それ”は紅茶を注ぐ。互いの瞳が交差した。ソリテールの瞳に映った自分の顔を深く覗き込む。

 

「私と初めて会った時のことを覚えていますか?」

「ええ、もちろん」

「では、私の顔も覚えていますか?」

「顔?」

 

 ソリテールはパチクリと瞬きをした。顔なら、いま目の前にあるじゃないか、と言いたげな表情を浮かべている。

 

「私の本来の顔ですよ」

「そんなの、自分で確認したらいいじゃない」

「ダメなんです。誰かの認識が重要なんです。誰かの肯定が必要なんです」

 

 ”それ”は両手で顔を覆った。指の隙間から、濁った瞳だけを覗かせる。

 

「最初の頃は、主人格の意識が強かった。魔族の精神力だけで、簡単に情報を統制できていたのです」

 

 集積した人間の情報が百人や千人を超えようと、特に問題はなかった。元々、人を模倣する魔法(ペルゾーニンリッヒカイト)には、模倣して得た情報を効率よく処理する副次的な能力があったらしい。

 

 だが、ここ数年になって違和感を覚えた。今も苛み続けているこの頭痛だ。

 

「人間の精神と感情で、一番共感しやすいものは精神的な痛みなのです。痛みは私たち魔族にもある概念ですから……だから、本来は感じることのない心の痛みまで深く共感してしまう」

 

 人間の精神は時として驚異的な強さを見せるが、基本的に弱く、脆い場合が多い。

 

 統合失調症。躁うつ病。不安障害。強迫性障害。PTSD。

 

 どれも、魔族が罹患することのない病。そもそも魔族が精神を病むことはない。だから、最初はその痛みには気付けなかった。

 

 これはどこかの破戒僧に言わせれば、長年蓄積させて刷り込んだ虚像の痛みなのだ。

 

「人間は心を病むことに慣れています。ですが、魔族はそういう免疫がない……精神が磨耗し続けるのです」

 

 前回、意識の水底から這い上がるのに時間が掛かってしまった。水底に沈む残留思念たちの怨嗟の声すらも、”それ”を酷く苛んだ。

 

 だからこそ、休息を求めて懐かしき知己のいる町まで足を運んだ。こうして会話をすることが目的の半分と言ってもいいだろう。自分を知る者と会話を通し、自分の存在を再認識する機会が欲しかった。

 

「私には名前がない。元々、自己認識が希薄なのです。このままいくと、きっと私は私が分からなくなる」

「名前くらい自分でつけたら?」

「今更、それに意味はありません。集積した個体の名称に埋もれるだけです」

 

 ”それ”が模倣した記憶の中に、ある哲学者がいた。自己認識とは、他者との関わりや共同体の中で発展していくものだと論じていた。人間は幼少期に他者から認識され、名を呼ばれることで自己を確立していくのだ。

 

「ソリテール。今の私は……本当の私の姿ですか?」

 

 かすかに震える声で、”それ”は呟いた。今の自分の姿形でさえ、本来のものであったか確信が持てない。

 

 ソリテールはただ微笑みを湛えている。魔族特有の貼り付けたような笑みが、今はどこか薄ら寒く感じた。

 

「そう。あなたは、今の姿を自分だと認識しているの。――ツノの感触すら忘れたみたいね」

 

 ソリテールの言葉で、”それ”は顔を覆っている指先の感触を確かめる。そこには凹凸すらない、人間の額があった。

 

 手を置き、ティーカップの水面が反射する顔を凝視する。

 

 

 ”それ”は今まで、『シスターマリー』の姿を自己の姿だと認識していたのだ。

 

 

 ガシャンッ!!!

 

 

 ”それ”は手を大きく振り払い、卓上の何もかもを床に叩き落とした。何もなくなったテーブルに”それ”は肘を付きながら項垂れる。

 

 ”それ”の起こした癇癪をソリテールはしばらく無表情で見つめていたが、何を考えたのか造船所の中の厨房へ向かった。戻った彼女は、赤黒い肉塊を乗せた皿を”それ”の目の前に置く。

 

「人間の肉よ。食べたら魔族としての本能が働くかもしれない」

「……」

 

 肉塊を見て最初に胸中に浮かんだのは食欲ではなく、激しい拒絶感だった。

 

 ここ数十年は人間を喰らったことがない。魔法の性質上、人間の血液を摂取することはあったが、人肉を噛みちぎる感触すら忘れかけていた。

 

 独特の野趣の香りに吐き気を催すも、”それ”は震える口で肉塊に齧り付く。久しく忘れていた柔らかい生肉の感触が舌先に触れた。生臭い血と肉の味が、口内に広がる。

 

「うっ!おえぇ!!!」

 

 拒絶感が限界を超え、”それ”は激しく嘔吐した。呆れた様子でソリテールが見下ろしている。

 

「人間は久しぶりって言ったでしょう。それは今朝浜に上がったイルカの肉よ……まあ、それが駄目なら人肉も駄目そうね」

「はぁ、はぁ……頼むソリテール。『私』の姿を教えてくれ。『俺』の自己を教えてくれ。『僕』は……誰なんだ?」

 

 頭痛は今まで以上に強く”それ”を苛んだ。意識の汚泥に沈んだ残留思念たちの声が響き、その反響音が痛覚を増幅させている。

 

 精神が、自己が、激しく磨耗する。穴だらけの精神の中に、無数の意識が蛆のように蠢いている。耐え難い怖気が身のうちを這い回っているのだ。

 

「そうね……教えてあげる」

 

 まるで子供のように縋り付く”それ”を撫でながら、ソリテールは貼り付けたような笑みを湛えている。

 

 答えを呟く唇が、ひどくスローモーションのように感じられた。

 

 

 

「『忘れたわ』。だって、あなた自身には興味なんてないもの」

 

 

 

 ソリテールはただ淡々と述べる。偽りや欺瞞の言葉ではない。当然、悪意もない。ただ、事実を言っただけだった。

 

 呆然とする”それ”を、ソリテールはただ優しく撫で続ける。まるで、割れたガラスに触れるように丁寧で、無機質な手つきだった。

 

 ”それ”の目には、床に散らばった割れたティーカップだけが映っていた。きっともう2度と、この器は紅茶で満たされることはない。




観測者A「どうです?治りそうですか?」

観測者B「うーん……どうだろうな。定期的に悟りの感覚を再帰させて余分な思考情報は排除してるんだが、すぐに不要なデータがウイルスみたいに湧いてくるんだよな」

観測者A「まさか一番共感できるもの痛みとは。たしかに痛みは根源的な感覚です。植物すらも痛覚があるという説があります。しかし、それがかえって精神病のような症状を誘発させるなんて予想外でした」

観測者B「魔族の精神って基本的に自己完結してるからな。そりゃ、精神病にはならないし、精神的な苦痛に対して耐性がつかないだろう。自殺にまで至ってないのは精神構造の差異か?」

観測者A「対象の魔法との兼ね合いも悪いですね。人間生きてたら一度は病んだ経験あるでしょうし、それを何万も蓄積したら人間だったら精神崩壊しますよ」

観測者B「まさか玉座のバザルトさんの一件がここまで影響するとはな。大量の人格に飲み込まれてアイデンティティーを喪失しかけてるぞ」

観測者A「一旦中断して長期メンテナンスでも挟みましょうか?」

観測者B「うーん……いや、続行させよう。魔族なんていくらでも代わりはいるし、せっかくならどんな最後を迎えるか見てみたい」

観測者A「じゃあ、使い潰しますか」
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