【フリーレンside】
窓から差し込む木漏れ日に、フリーレンは目を開ける。穏やかな風の音と、木々の優しい香りが記憶を刺激した。どうしようもない懐かしさと、もう2度と手の届かない空虚さが混在している。
――不思議なことがあるものだ。夢の中で朝起きるなんて。
大昔に焼け落ちてしまったエルフの里の大樹を眺めながら、フリーレンはそう思った。
ぐう。
腹の音がなる。夢の中だというのに、空腹感まで感じ取ってしまった。
『この時代。食べ物どこに保管してたっけ……ああ、そうだ』
ベッドから降りたフリーレンは、寝癖を直しもせずに寝巻きのまま隣家に向かう。外敵のいない環境なので、村のエルフたちは基本的に家に鍵を掛けない。だから誰もが自由に他人の家々を行き来するのだ。
ノックもせずにドアを開くと、食欲を唆る香りが室内に充満していた。暖炉のところに大鍋が置いてある。蓋を開けると、深夜に作ったと見られる冷えたシチューがあった。
フリーレンは、ベッドでスヤスヤと眠るエルフの女性を見下ろす。
フリーレンと同じ銀髪の髪色で、髪の長さはミリアルデくらいだ。あまり長く風呂場にいると睡魔に襲われるというので、洗髪が楽な髪型にしたらしい。それでも時々入浴中に寝ているのを見掛けた。
フリーレンは寝入っているエルフを揺さぶる。
『起きてよフロイライン。お前に昼の食事をさせるのが、このシチューをもらう条件だろう?起きないと私が食べられない』
『うーん、むにゃむにゃ……あと10年したら起きるからねぇ』
『それ餓死するよ』
フリーレンがぽかぽかと頭を叩くと、フロイラインは眠そうに目を擦りながら起き上がる。1日のほとんどを睡眠に費やしているというのに、まだ寝足りないらしい。
『はい。あーん』
『あーん……うん、美味しい。作った人は天才だねぇ……あ、作ったの私か』
『自画自賛じゃん。寝るのが趣味なくせになんで料理が上手なんだか』
『そりゃ、眠りが趣味になる前はちゃんとした生活を送ってたからねぇ』
フリーレンは雛鳥に餌を与える親鳥のように、スプーンでシチューを食べさせる。未だにウトウトとしているフロイラインは目を瞑りながらそれを咀嚼した。
食べさせながらフリーレンはしみじみ思う。自分もズボラなところはあるが、ここまで落ちぶれたくはないと。
『なんで眠りなんかを趣味にしたの?』
何気なく、フリーレンはその質問を投げかけた。疑問に思わなかったことはないが、こうして口に出したのは初めてだった。
フロイラインはゆっくりと瞼を開ける。まるで黄金のような輝きの瞳が、フリーレンを静かに見据えた。
『人生ってね、起きて見ている悪夢みたいなものだと気がついたんだ。だから、起きてても寝ていても変わらないと私は思ったんだよねぇ。夢の方ならたまにいい夢見れるし』
『そう?寝ていたら新しい本を読んだり、新しい出来事を体験できないでしょ。私はそっちの方が悪夢だと思うな』
『まだまだ若いねぇ。新しいことばかりを追い求めるのは若者の特権だ。でも、私は昔のことばかり追い求めてる……古すぎて、もう一生手に入らないものだねぇ』
『それを夢で見ているの?』
『……ふふ、内緒』
フロイラインの掌がフリーレンの頭を優しく撫でる。今まで親鳥のように世話をしていたフリーレンが、今度は子供のように扱われていた。不思議と不快な気分ではない。
『ねえ、フリーレン。もしも私が、寝ている時に悪夢にうなされているようなことがあれば、君が起こしてねぇ』
『うーん……報酬次第かな?魔導書くれるならいいよ』
『ブレないなぁ。あいにく、その手のものは持ってないんだよなぁ……明日、久しぶりに里の外を出て探して来るねぇ』
『よし、たんと食べて精力をつけるんだ』
『早い早い。そんなに急いで食べさせないでぇ』
嫌がるフロイラインに、フリーレンは無理やり食事を食べさせる。
その時のフリーレンの頭には魔導書のことしかなかった。だが今、夢の中だからこそ深く思い返す。フロイラインは、長い人生の無常と残酷さを自分に教え諭そうとしていたのかもしれないと。
夢の中のフライハイトの変わらない姿がただ懐かしく。そして、悲痛なほどの後悔と罪悪感がフリーレンを苛んだ。
【???side】
ひらけた丘の上で、”それ”はただ立ち尽くしている。何をするわけでもなく、”それ”は呆然と虚空を眺めていた。
”それ”の周囲にはぼうぼうと伸びた雑草が密集していたが、それを目当てに集まる虫や小動物の気配は全くない。簡易的に設けられた柵が雨風によって朽ち、あちらこちらに隙間ができてはいたが、その隙間から野生動物や人が入っていった形跡すらない。
生物としての本能から、それに近づくことを拒んでいるようだった。
”それ”の姿は文字通り霞ががった幽霊のような見た目だった。時々ノイズが走っては、違う人間の姿に切り替わっている。性別も年齢も、人種すら様々だった。
「あざがばなぎおんでぐおばぞろじでごぼろろろろろろ?」
無数の音声を合成したような不協和音が、”それ”の口から発せられる。意味がある言葉なのか、ないのかは判断できない。ただ、その声色が、ただただ悲痛に聴こえた。
ガサッ。
草木をかき分けて何かが”それ”に近づいていく。”それ”は久しぶりの人間の気配に顔を動かした。
「どうだい?」
「……たしかに人間の魔力を感じる」
「だが、あれはあきらかに人間ではないぞ?」
人間の男が2人。ドワーフの男戦士が1人。女の声が聞こえたが、前衛が前に立っていて”それ”の位置からでは姿は見えない。
「ろうでんじゃがふぃがばばばばばば」
”それ”は首を90度に傾けて、しばらく男たちを見据えた。そしてその状態のまま歩いて来る。
青髪の男は剣を抜き、上段に構える。他の各々も武器を持って構えを取った。だが、警戒する人間たちを前にしても、”それ”は歩みを止めない。
互いの距離があと数メートルという所まで来ると、”それ”は小さな少女の姿を表した。姿は相変わらずぼやけていたが、その歳相応の無邪気そうな表情を浮かべている。
「わたしはだあれ?」
”それ”は首を少し傾けて男に問いかける。
「……ごめんね。僕には分からないんだ」
男はただ申し訳なさそうに答えを返した。その表情に哀れみや悲しみを帯びている。
男の答えに、”それ”は落胆するわけでもなく、笑顔を浮かべ続けていた。
「あげる」
「?」
”それ”の手には一輪の白い花が握られていた。男に花を差し出すかのように、手を伸ばしている。その瞬間だけ、全員の目が一つの花に集中したのだ。
花は――剣に変わった。
強烈な殺気を乗せた一撃が男を襲う。男はかろうじて剣で防ぐが、完全な不意の一撃に大きく仰け反った。
「何だ……あれは!?」
仰け反りながら、男は”それ”の姿を再び目視した。”それ”は大きなノイズを生じさせながら、様々な姿に移り変わっている。まるで、複数の顔写真をパラパラとめくるように、姿を無数に変え続けていた。
男と共に前衛に立っていたドワーフはすぐさま仲間たちの盾になった。だが、”それ”が変化した者の一撃に弾け飛ばされる。
「ぐっ!?ドワーフにもなれるのか……!」
”それ”が放った斧の一撃に、ドワーフは同族の怪力を感じ取った。
「ぼびじゃほうゔぃらららら?」
「くっ!」
「やりにくい相手だっ」
前衛の2人はひどく苦戦していた。
”それ”は姿を変えると共に、手に持った武器さえも無数に変化させている。複数の武器を使いこなす戦士は珍しくはない。だが、使い手個人の戦術や戦闘理念すらも変化させることはまずない。
たった1人の”それ”に対して、まるで無数の戦士たちと相対しているような錯覚を覚えた。
「女神の三槍」
僧侶の男が女神の魔法を詠唱した。三つの光の線が”それ”に向かって飛んでいく。
「
「!」
だが、”それ”は僧侶の魔法と全く同じ魔法を放ち、女神の三槍を相殺した。僧侶は驚愕の表情を滲ませる。
「女神様の魔法まで扱えるのですか……」
「本当に魔族なのか?」
「さあ……僕たちが戦っているものは何なんだろうな」
”それ”の実態の掴めなさに男たちは戦いあぐねる。正体不明の不気味さが、戦いの中で増大し続けた。
「
はるか後方から巨大な炎が放たれる。辺りの草木を焼き払い、地獄の業火が直線を描きながら”それ”に迫った。
「
”それ”は手に持った杖から同じ魔法を放つ。2つの地獄の業火がぶつかり合い、大きな火柱を上げた。その熱気に、前衛の2人は後退した。
「ばじゅふぁゔぃはぼるがががが」
「女神様の魔法が使えるんだ。当然魔法も扱えるか」
火柱の光が、後方にいたエルフの魔法使いの顔を照らし出す。炎のせいで、夕日の茜色のような色を帯びていた。
前衛が下がったことで、初めて”それ”と視線が交差した。
「ぐ、がばゔぁざさふぁらたぱばかや!!!」
”それ”は突然、地面に膝をついて倒れた。入り乱れたノイズがひどく体を軋ませ、何度も頭を掻きむしっている。
”それ”の謎の行動に、全員が困惑の表情を浮かべた。だが、初めて生まれた”それ”の隙に、エルフだけが杖を構え直した。
「フリー……レ、ン」
それは女の声だった。その声はエルフを名指ししている。
仲間たちは警戒の色を強めた。だが、フリーレンはただ固まっていた。記憶にあった声に、夢で聴いた声音に、脳が震えていた。
「……フロイライン?」
顔を上げた”それ”は、フリーレンと同じ髪色のエルフだった。ノイズと霞は消え、明確な実体を持ってそこにいる。
フリーレンは魔法を唱えることができなかった。
頭の中ではそれがフロイラインではないことは理解している。存在の模倣といっても、所詮はアインザームと同じ生態のものだ。だが、偽物というにはあまりにも正確無比な姿で、何よりもアインザームにはない現実味を感じられる。
頭や脳ではなく、心と魂が、あれはフロイラインだと告げていた。
「フリー、レン……」
”それ”は立ち上がり、よろよろと歩き出す。フリーレンを目指しながら、ゆっくりと近づいていった。
当然、仲間たちはフリーレンを守るように立ちはだかる。だが、それでも”それ”は歩き続けた。剣を向けられても歩みは止めない。遂には剣の切っ先が喉に触れるほどの距離にまで近く。
”それ”は懐から何かを取り出した。
「やく……そく。ま、もれた…ねぇ」
それは一冊の魔導書だった。前衛に守られているフリーレンに、その本を差し出すように向けている。
「……」
フリーレンは遂に杖を下ろす。もう、”それ”と戦う意思は残ってはいなかった。
変わらない姿が、心が張り裂けそうになるくらい懐かしかった。声の1つ1つが、過去への郷愁を誘う。
すぐに駆け寄りたかった。昔のように、またその手で頭を撫でて欲しい衝動に駆られていた。だが、目の前の”それ”はフリーレンの思いを察したのか、顔を横に振る。
「フロイライン。私は、私は……」
「フリー、レン……」
”それ”は優しく突き放すように、その言葉を告げた。
「わたしを、ころして」
フロイラインを除いた全員が目を見開いた。
”それ”は手を広げて、相手の攻撃を受け入れる所作を見せている。相手を油断させるための言動ではない。本当に、死ぬことを望んでいるようだった。
その言葉を発した瞬間、今までで一番大きなノイズが走る。
「殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して」
無数の声が一つの願いを唱え続ける。果てしない苦しみと、悲しみを身の内から解き放っている。
それを見た者の反応は様々だったが、青髪の男が浮かべた表情が、”それ”にとっては深く印象に残った。
男は深い哀れみを顔に湛えていたのだ。
「フリーレン。僕が……」
「いいや。私がやる……やらなきゃいけないんだ」
前衛を押しのけて、フリーレンは”それ”の前に出た。大きな紅玉をはめ込んだ杖の先端を、”それ”に向ける。
「約束だったね……悪夢から覚める時が来たんだ」
「……うん」
フリーレンの言葉に、”それ”はただ嬉しそうに微笑みを浮かべる。涙を流すフリーレンとは対照的だった。
「さよなら。フロイライン」
杖の先端に魔力が集中している。自身がもてる魔力のほとんどを一つの魔法に練り上げているようだ。
まばゆい光を放っていたが、不思議と暖かな太陽を想起させる光だった。
「ありがとうねぇ……フリーレン」
優しい極光の魔法が、”それ”の胴体を貫いた。
【フリーレンside】
「それがお前の正体か」
胴体にぽっかりと穴の開いた”それ”に、フリーレンは声を掛けた。
魔族特有のツノと老人のような白髪だらけの頭。瞳は汚泥のようにどす黒く、光は全く宿ってはいない。
中性的な見た目から性別は判断できない。体つきも、大きなローブに身を包んでいるせいでよく見えなかった。
「ようやく……理解した」
「何を理解したって?」
地面に仰向けに倒れている”それ”を、フリーレンは見下ろしながら訊ねた。先ほどの表情から一変して、殺意と憎悪を滲ませている。
フリーレンは、今にも”それ”を痛めつけたい衝動を理性で必死に押しとどめていた。”それ”の中にまだフロイラインの意識が残っているかもしれないからだ。
「『自己犠牲』と『愛』だ。フロイラインを通して、初めて私はそれを共感し、理解することができた。私は彼女で、彼女は私だからである故に」
「ふざけるな。お前とフロイラインは別のものだ」
「私たちの境界線はとうに消失している。それを証拠に、私はお前に対して深い愛を抱いている」
”それ”の言動に、フリーレンは眉をひそめる。”それ”は真っ暗な瞳で、静かにフリーレンを見据えていた。
「なるほど。これが人間の強さか……惜しむべきは、私が死ぬことだ。もっとこの感傷に浸っていたかった」
「死ぬのが怖くないの?」
「きっと、それは生がもたらす痛みの地獄とたいして変わらない。悠久の時を生きていく者は哀れだな、フリーレン」
「……やっぱり魔族とは話が通じないな。いや、お前はたぶん魔族ですらない」
”それ”は嗤う。まるでどこかの破戒僧のように、口に弧を浮かべた。
「私は人だよ。だから、滅ぶのだ。人の本質は滅びへ向かうことだ。人類は今もゆるやかに破滅の道を歩んでいる……人々が生き絶えた大地で、きっとお前だけが最後の生き残りとなる。永劫の孤独に備えるといい」
”それ”の真に迫った言葉に偽りや欺瞞は感じられなかった。”それ”は純粋に、フリーレンに憐憫の視線を向けている。人類の滅びをただ絶望している。
視線を煩わしく思ったフリーレンは、”それ”に杖を向けた。
「最後に言い残すことはそれだけ?」
「そうだな……」
”それ”は自分の体を見下ろした。体の半分ほどが黒い魔力の粒子となって空中に漂っていた。”それ”に残された時間は、あとわずかだろう。
諦観した”それ”は口を開いた。
「私は一体……誰だったんだろうな」
生涯にわたって多くの人類の存在を模倣し、模倣した者の名を借りてきた”それ”に、個人としての名はない。結果的に、それが災いして自分の存在すらもあやふやになった。
自分の本質を見失ったことだけが、”それ”にとって唯一の後悔だったのだ。
それを問われて答えられる者はいない。
「”ニヒト”」
――だが、フリーレンは答えた。
”それ”の瞳にわずかに光が灯る。
「玉座のバザルトが最後に呟いた言葉だ……多分、お前の名前だったんだろう」
「……そうか。ははっ、ニヒトか」
”それ”はフリーレンの言った名前を噛みしめるように呟く。体のほとんどは消失し、顔の半分も魔力の粒子に帰り掛けていた。
薄れゆく意識の中で、唯一脳裏に浮かんだ言葉を、消えかけた口で呟いた。
「ありがとう……フリーレン」
”ニヒト”はそう言い残し、完全に消失した。
鳴り止んでいた風が吹き、生き物たちがざわめき出している。だが、一行は静かにニヒトのいた場所を見つめていた。
「ニヒト……ですか」
「知っている言葉なのか?ハイター」
ハイターの呟いた言葉にヒンメルは問いを投げかける。しかし、ハイターはフリーレンの後ろ姿を見つめながら言いにくそうにしていた。
フリーレンが振り返ってハイターの代わりに口を開く。
「古代エルフ語で、否定や虚無……あとは、存在の否定という意味があるんだ」
フリーレンの説明でヒンメルも合点がいった。初めは、その言葉の意味合いに対してニヒトが笑ったのだと思った。だが、すぐにおかしな点があることに気づく。
玉座のバザルトと呼ばれる魔族が、どうしてエルフの言葉を使ったのか。
たしかに魔族は人類の言葉を聞いて、その言葉を真似する習性がある。だが、普段は外界とほとんど接触のないエルフの言葉を都合よく訊けるものだろうか。
そして何より、魔族が死ぬ間際にわざわざそんなことを言うのかという点だった。
ヒンメルはフリーレンを見据えた。いつもの無表情な顔を浮かべるフリーレンからは、その言葉の真意を推し量ることはできない。だが、今までの憑き物が落ちたように思えた。
「こんな大魔族が千年以上も人類圏にいたなんて……しかもフリーレン以外、誰もその存在を知らなかった」
「人に成り代わる魔族だ。きっと、誰も気付けなかったんだろう」
「私たちだけが知る大魔族ですか」
「でも、もういなくなった。この魔族は名前の通り、この世界から消えるんだ」
冷たく言い放つフリーレンを見て、他の者たちはおし黙る。だが、ヒンメルだけは苦笑を浮かべた。
「いいや。それはきっと違うさ」
その真意も、ニヒトがいた事実も、フリーレンが生き続ける限り存在する。葬送のフリーレンが、その存在証明を未来にまで連れて行くのだ。
観測者A「さて、観測結果の総括に移りますか」
観測者B「うーん。一千年も見てたからさすがに目が疲れたな」
観測者A「しかし、なんで対象はエルフとだけ共感することができたんですかね?」
観測者B「死に際になって心が通じ合ったとかメルヘンな可能性もあるが、魔族とエルフって精神構造が違うだけで感じ方は似てるんだよな。バリバリに感情をむき出しにする人間よりも、静かに感情を感じて噛み砕いていくエルフの方が教材としては最適だったんだろう……多くのエルフが滅ぼされたことが悔やまれる」
観測者A「人間の感情って魔族にとっては結構刺激強いんですね。何だかんだ、最後まで人間の宗教者なんかの影響を感じ続けてたのもそれが理由か。宗教って危険レベルの刺激物かなにかで?」
観測者B「結局、今まで吸収してきた情報も対象にとって毒にしかならなかったな……やっぱり、人間とは根本的に成り立ちの違う存在だわ」
観測者A「新しい観測個体作ります?能力は別にして」
観測者B「うーん。いや、これに関してはもう答えは出た気がするんだよな」
観測者A「と言いますと?」
観測者B「どっかの破戒僧の言葉になるが、魔族ってのは精神面では割と完成された存在なんだよ。鬱にもならないし、心を痛める概念すらもない。だが、人間は心が弱いからこそ、そこに特殊な精神的強さが生まれるんだな」
観測者A「窮鼠猫を噛むや、イタチの最後っ屁みたいなあれですね」
観測者B「つまり、魔族の精神に人間の要素を足しても意味はないんだ。むしろかえって今回のように魔族を病ませるルートに向かう。たとえ人間の心を持っていても、人を食べない奇特な魔族でも、人間の心を理解した途端に魔族は病むんだ」
観測者A「なるほど、人間との共存以前の問題ですね」
観測者B「人のいる環境下に置くよりも、両者を隔離して育てる方がよほど効率的だな……じゃあ、そういうことで」
観測者A「お疲れさまでしたー」
どうも、初めまして。観測者こと作者です。
ここまでこの作品にお付き合いいただいて、本当にありがとうございます。
また、今回の「フリーレンにコロコロされる魔族オリ主杯 」という企画を立ち上げてくださった丹羽にわかさんにも心より感謝申し上げます。
実は今作が初めての完結作品なんですよね。今まで色々書いてきましたが、ある時ひどく炎上してから長い間ハーメルンから離れていました。ただ、色々思うことがあり、再び活動を続けています。
例の代表作は……現在連載してる作品を書き終えたら更新を始めようと思います。フェイクのアニメが放送された記念で番外編でも書こうかと思いましたが、それは未定ですかね。
今連載している作品で同じくフリーレン原作小説を書いているので、興味がある方々はどうぞご覧ください。今作とは全く別のゆるい作風です。
https://syosetu.org/novel/389763/