常闇の邪竜戦記   作:星乃 望夢

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第六話

 

目が覚めた瞬間から、僕は事の異常を察知していた。

 

肌を撫でる空気の匂いが違う。

 

大気に満ちる魔力の質が違う。

 

世界の気配そのものが、僕の知るそれとは決定的に異なっていた。

 

僕は今や、常闇の邪竜として「影の国」を治める守衛であり、女王の伴侶たる王だ。

 

自分の庭である影の国と、それ以外の場所の違いなど、意識が覚醒するよりも早く、本能が読み取っていた。

 

ここは影の国ではない。どこか別の、戦火の匂いがする時代だ。

 

「ちょっとジル。私は『最強の邪竜』を呼び出したはずなのだけれど? なのにどうして、ただの人間が召喚されるのよ」

 

不機嫌さを隠そうともしない、凛とした女の声が響いた。

 

そこに含まれるのは静かな怒りと、当てが外れた困惑、そして呆れ。

 

僕はゆっくりと瞼を開いた。

 

視界に飛び込んできたのは、薄暗い石造りの広間と、二人の人物。

 

一人は、狂気を孕んだ巨大な瞳をギョロつかせた妖術師のような男。

 

そしてもう一人は、その隣に立つ少女。

 

燃え盛る炎のような憎悪を纏い、黒い鎧とボロボロの旗を手にした、美しい『黒い聖女』だった。

 

彼女は僕を見下ろし、眉を顰めている。

 

無理もない。彼女が望んだのは破壊を撒き散らす巨大な怪物であって、僕のような華奢な優男ではなかったのだろうから。

 

ジャンヌ・ダルク・オルタ──。

 

祖国を呪い、焼き払うために現れた、怒れる竜の聖女。

 

彼女は、人間としか見えない僕の召喚に舌打ちをすると、苛立ち紛れに剣を振るい、再び“本命”の邪竜を呼び出した。

 

ファヴニール。

 

北欧神話に名を刻み、邪竜という言葉の代名詞として世界的に知られる最強種の竜。

 

空間を割って現れたその巨躯は、城の天井を突き破らんばかりだった。

 

光を吸い込むような黒々とした鱗、禍々しい魔力。それはまさしく「邪竜」という概念が顕現した姿だった。

 

ジャンヌ・オルタが、勝ち誇ったように笑みを浮かべる。

 

「見なさい。これこそが私の求めた力、世界を焼き尽くす最強の――」

 

だが、彼女の言葉は最後まで続かなかった。

 

召喚されたばかりのファヴニールが、ギョロリと巨大な眼球を巡らせ──僕を見た、その瞬間のことだ。

 

咆哮を上げることも、暴れ回ることもなく。

 

その巨体を、ズズズ……と地擦れ音を立てて沈めたのだ。

 

それは、攻撃の構えではなかった。

 

長い首を垂れ、顎を床に擦り付けんばかりに低く下ろす。

 

恭順。あるいは、絶対的な畏怖。

 

何も言っていないのに、自分から「目の前の覇竜に対して頭が高い」と判断し、平伏したのだ。

 

「は……? ファヴニール? 何をしているの?」

 

「オオ……ジャンヌ、これは……!?」

 

狼狽する聖女と妖術師を他所に、僕は鼻を鳴らしてその光景を受け入れた。

 

当然だ。

 

僕はただの「人造魔竜」ではない。

 

影の国での修行と、竜の因子の統合。

 

そして『創造』の起源。

 

それらを駆使して、僕は一つの概念を己の身に降ろしている。

 

神代のブリテンに存在した、島そのものの化身たる邪竜──ヴォーティガーン。

 

かつて騎士王と対峙し、国を常闇で飲み込もうとした神話の卑王。

 

その「常闇の竜」としての在り方を、影の国の王となった僕は再現し、取り込んでいる。

 

最強種たるファヴニールといえど、一個体の竜に過ぎない。

 

対してこちらは、世界の裏側にある「影の国」の王にして、星の悲鳴そのものであるヴォーティガーンの影を宿す存在。

 

格が違う。

 

王の御前だ。頭が高いと断じるまでもない。

 

僕は平伏する黒い巨竜の鼻先に歩み寄ると、怯える子犬を撫でるように、その硬い鱗に手を置いた。

 

「──苦しゅうない。面を上げろ、同胞よ」

 

僕は、平伏した最強種──ファヴニールの上顎に腰を下ろし、そこを仮の玉座とした。

 

必然的に、床に立つジャンヌ・オルタとジル・ド・レェよりも視線が高くなる。

 

「オオオオ!! 素晴らしい、素晴らしい!! 最強の竜をも従えるその威光! 貴方こそが我らの悲願、神への冒涜を成す新たな王ですぞォ!!」

 

ジルがその大きな目を見開き、恍惚とした声を張り上げる。

 

……少し、煩いな。

 

僕は冷めた目で道化を見下ろす。

 

このオルレアン。その惨状の主犯は、目の前の「竜の聖女」ではない。

 

救国の聖女ジャンヌ・ダルクを奪われたことに対する怨恨。聖杯の力を用い、国を憎悪して焼き尽くすという「ジル・ド・レェの願望」が、彼女という偶像を生み出したに過ぎない。

 

彼女の怒りは、現時点ではこの男の怒りの代弁でしかないのだ。

 

「──興が削がれた」

 

僕は右手の虚空を握り、朱色の槍を召喚する。

 

トンッ、と。

 

ファヴニールの上から軽く飛び降り、着地と同時に体内の「邪竜の心臓」を最大出力で駆動させた。

 

ドクンッ!!

 

心音が、黒い衝撃波となって広間を揺らす。

 

朱色の槍が、瞬時に変色する。神代のブリテンを飲み込もうとした卑王の影。その常闇の劫火を纏い、光を一切通さぬ漆黒の魔槍へと変貌した。

 

「え……?」

 

ジルの歓喜が凍りつく。

 

僕は慈悲も躊躇もなく、その鉄槌を投擲した。

 

常闇に吼える邪竜の槍(ゲイ・ボルク・ヴォーティガーン)──」

 

轟音すら置き去りにする、闇の閃光。

 

その一撃は、抵抗や防御の概念を無視してジル・ド・レェを呑み込んだ。

 

断末魔の叫びなどない。

 

彼は自分が殺されたことすら認識できぬまま、常闇の魔力によって瞬時に蒸発した。

 

カラン、コロン……。

 

あとに残ったのは、彼が抱えていた「聖杯」だけ。

 

僕は転がった黄金の杯を拾い上げると、呆然と立ち尽くす黒い聖女へと歩み寄った。

 

「ジ、ル……? 貴方、何を……」

 

混乱する彼女の懐に潜り込み、僕は聖杯をその胸板へと強引に押し当てた。

 

「受け取れ」

 

「う、あぁぁぁぁっ!?」

 

聖杯の膨大な魔力が彼女の中に奔流となって流れ込む。

 

ジルの妄執によって作られた不安定な霊基。ジルへの依存によってのみ成立していた狂気の怒り。

 

それらが聖杯という核を得たことで再構築され、世界に「個」として定着していく。

 

彼女はもはや誰かの願望の影ではない。一介の英霊、復讐者として新生したのだ。

 

膝をつき、荒い息を吐く彼女。

 

僕はその整った顎に指を添え、強引に顔を上げさせた。

 

揺れる金色の瞳が、僕を睨みつける。

 

「……さあ、問おうか」

 

僕は至近距離で彼女の瞳を覗き込む。

 

「その怒りは本物か? 創造主たるジルは消えた。それでもなお、この国を焼き尽くしたいほどの憎悪が胸にあるのなら──是非もなし」

 

僕は指を離し、彼女の背中を押すように告げた。

 

「あとは好きにすればいい。怒るも、嘆くも、壊すも、許すも。誰の指図でもなく、お前自身が決めろ。──それが、『生きる』ということなのだから」

 

「──ふざけないでっ……!!」

 

パシィッ! と、乾いた音が広間に響いた。

 

ジャンヌ・オルタは、自分の顎に添えられていた僕の手を、乱暴に払い除けた。

 

その力は強く、拒絶の意志に満ちている。

 

だが、僕を見上げるその金色の瞳からは、先程までの頼りない揺らぎは消え失せていた。

 

そこに宿るのは、地獄の業火すら焼き尽くすような、強烈な自我と殺意。

 

「ジルが消えた? それがどうしたっていうのよ。創造主がいなくなったから、私が消える? 悲しみに暮れる? 改心する? ……ハッ、笑わせないで!」

 

彼女は聖杯の埋め込まれた胸を張り、燃え盛る黒い炎を全身から噴き上がらせた。

 

それはジルの妄執ではない。彼女自身の魂が燃やす、混じりっけなしの憤怒だ。

 

「関係ないわ。あんな狂人がいようがいまいが、私は私よ。私は魔女。裏切りの祖国を呪い、民を焼き、この国を灰燼に帰す『竜の魔女』よ! その根幹だけは、誰にも指図させない……!」

 

彼女は一歩、僕の方へと踏み出した。

 

身長差があるにも関わらず、その威圧感は対等。いや、精神的には僕を見下ろさんばかりの剣幕だ。

 

「それに……よくもやってくれたわね、あんた。私の契約者(スポンサー)を勝手に消し飛ばしてくれたじゃない」

 

彼女は人差し指を突きつけ、僕の鼻先で止めた。

 

「責任、取りなさいよ?」

 

「……ほう?」

 

「ジルがいなくなった分、あんたが働きなさい。最強の邪竜なんでしょう? 影の国の王様なんでしょう? だったら、その力、余さず私のために使いなさい!」

 

彼女はニヤリと、獰猛で、傲慢で、けれど最高に魅力的な悪党の笑みを浮かべた。

 

「勘違いしないでよね。あんたが私を従えるんじゃない。私が、あんたを使うの。あんたも、あのトカゲ(ファヴニール)も、全部まとめて私の駒よ! 生意気な口を利く暇があったら、さっさと街の一つでも焼いてきなさい! ──私の気が済むまで、徹底的に使い潰してやるから覚悟することね!」

 

嵐のような啖呵。

 

助けられた礼の一つもないどころか、罵倒と命令のオンパレード。

 

けれど、その言葉はあまりに「生きる意志」に満ち溢れていて。

 

僕は思わず吹き出しそうになるのを堪え、ファヴニールの上で肩をすくめた。

 

「やれやれ。創造主が消えたと思ったら、随分とやかましい御主人様が生まれたものだ」

 

「あぁん? 文句あるわけ?」

 

「いいや? 退屈せずに済みそうだと言ったんだ。……いいだろう、乗ってやろう。その喧嘩」

 

僕は彼女の不遜な瞳を見つめ返す。

 

どうやらこの魔女は、僕が思っていた以上に頑丈で、面白い「女」らしい。

 

 

 

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