常闇の邪竜戦記   作:星乃 望夢

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第十九話

 

「……もし、僕がそのシステムすら凌駕し、抑止力を騙し抜き、あるいはねじ伏せて、恒久的な平和を実現したとしたら。その果てに、僕という個体はどうなる?」

 

切嗣の声は乾いていた。それは希望を見出すための問いではない。自身の導き出した答えの検算を、人智を超えた視点を持つ存在に求めているに過ぎない。

 

僕は壁に預けていた背を離し、ゆっくりと彼との距離を詰めた。

 

「殺戮機械となって人類を管理する、という答えでは不服かい? ……いいや、君が聞きたいのは現象の結果ではなく、君自身の『魂』の結末か」

 

僕は彼の眼前に立ち、その虚ろでありながら、未だ焼き尽くせていない瞳を覗き込んだ。

 

「まず、切嗣。君は致命的な勘違いをしている。君は、人を殺すことを割り切れてなどいない」

 

「……ッ」

 

切嗣の眉が僅かに跳ねた。図星を突かれた動揺。彼がどれほど冷徹な「魔術師殺し」を演じようとも、その根底にあるのは誰よりも深く傷つき、誰よりも嘆いている少年の心だ。

 

「君はその硝子細工のような心を抱えたまま、平和のために血を流し続けている。その矛盾、その悔恨。……その心がある限り、君は永遠に苦しみ続ける性だ」

 

僕は彼に突きつけるように、指先をその胸元へ向けた。

 

「だが、その『割り切れない性』こそが、一つの存在を生み出すことになる。――『自滅因子(アポトーシス)』だ」

 

「自滅、因子……」

 

「そうとも。君が平和のために殺し続けるその悔恨が、血涙が、世界という巨大な器の中に『君を殺すためだけの存在』をいつか必ず受胎させる。そうして君は、その存在に討たれた時、ようやく『死』という現実に安着し、その歩みを止めることができるんだ」

 

それは予言であり、呪詛でもあった。

 

平和を願えば願うほど、彼は修羅となり、その修羅を殺すための正義がまた生まれる。

 

「それがいつになるかは、僕にもわからない。君がまだ人の心を残し、赤い血を流している内か。あるいは――人類の闘争本能をすべて駆逐し、争う気力すら持たない『生ける屍』のような人々だけが残った世界で……君自身が心を失った絶対的な管理機構に成り下がった、その果ての果てに待つ終わりかもしれない」

 

僕は、かつて影の国から覗き見た、数多の並行世界の悲劇を脳裏に描く。

 

管理された平和。停滞した幸福。それは人類史という名の物語の袋小路。

 

「だが、一つだけ確かなことがある。それが宇宙の理だ」

 

僕は切嗣から視線を外し、窓の外、月明かりに照らされた森を見やった。

 

「如何に完璧に世界を統治しようと、如何に絶対的な理を敷こうと。それが人々にとっての『支配』となり、反感を生むのなら、その芽はいつか育ち切り、君という王を殺すだろう」

 

アラヤも、ガイアも、ムーンセルも関係ない。

 

そんな高次元のシステムが動く以前の、もっと原初的な、生命としての在り方。

 

「……忘れるな、衛宮切嗣。『化け物を殺すのは、いつだって人間だ』」

 

人間を守るために化け物となった男は、人間に討たれて死ぬ。

 

それこそが、彼が望む「正義」が彼自身に下す、唯一にして絶対の救済なのだと、僕は静かに宣告した。

 

 

◇◇◇

 

 

重苦しい静寂を残し、衛宮切嗣はその足音を廊下の闇へと消した。

 

彼が去った後の冷え切った空気を払うように、僕は傍らに佇むアルトリアへと向き直る。彼女の翡翠の瞳は、切嗣の背中ではなく、その先にある見えない明日を見つめているようだった。

 

「……さて、我が君。彼の願いは聞いた。次は貴女の番だ」

 

僕は努めて穏やかな声で問う。

 

「アルトリア・ペンドラゴン。貴女はこの戦いの果て、聖杯に何を願う?」

 

彼女の答えに淀みはなかった。それは長きにわたり、彼女の魂を呪縛し、突き動かしてきた唯一無二の悲願。

 

「私の願いは祖国の救済です。時間を巻き戻し、今度こそ国を滅ぼさないように治世をやり直す。それが私の聖杯に懸ける願いです」

 

彼女の声は清らかで、あまりにも切実だった。

 

自らの存在を否定し、歴史を書き換えてでも民を救いたい。その自己犠牲の精神は痛々しいほどに高潔だ。

 

だが、僕はその願いを肯定するわけにはいかない。

 

「……やはり、そうか」

 

僕は小さく嘆息し、選定の杖を床に突いた。

 

「我が君。貴女の願う『救済』は、魔術的な定義においては人類史の改変……即ち、剪定事象の形成を意味する」

 

「剪定……事象?」

 

聞き慣れぬ単語に眉を寄せる彼女へ、僕は残酷な世界の理を説く。

 

「歴史とは大樹のようなものだ。幹となる正史に対し、可能性の枝葉は無数に生まれる。だが、進歩なき世界や、あまりに逸脱した世界は、宇宙の寿命を無駄に浪費するものとして『剪定』され、消滅させられる。貴女が過去を改変し、ブリテンの滅びという確定した歴史という幹を強引にねじ曲げれば、その世界は『誤った枝』と見なされ、人理の抑止力が全力で刈り取りに来るでしょう」

 

「そんな……。私は、ただ民を……」

 

「わかっています。それは確かに、ブリテンの人々を誰よりも愛し、その安寧を願う貴女だからこその願いだ」

 

僕は一歩踏み出し、彼女の双肩に手を置く。そして、魔術の理屈よりも遥かに重く、彼女の心臓を抉るであろう「真実」を口にした。

 

「けれどもアルトリア。それは、貴女を信じ、貴女を王と仰ぎ、貴女と共に生きた人々の想いと生き様を、全て『なかったこと』にするという……この上ない冒涜的な願いだということを、考えたことはあるかい?」

 

アルトリアの瞳が大きく見開かれる。

 

「……冒涜、だと? 私が……?」

 

「そうだ。貴女が王にならなければ、円卓の騎士たちが貴女に捧げた忠義はどうなる? 貴女の笑顔を守ろうと散った兵士たちの最期は? 貧しくとも、貴女という王を誇りに思い、懸命に生きた民の営みはどうなる?」

 

僕は彼女の瞳を射抜くように見つめ続ける。

 

「貴女が『やり直す』ということは、彼らが流した涙も、喜びも、苦しみも、その生涯の全てを無価値なものとして虚空へ消し去るということだ。彼らの生きた証を、彼らが選んだ王である貴女自身が否定して、どうするんだ」

 

「あ、ぅ……」

 

アルトリアの唇が震える。それは彼女が直視することを恐れ、無意識に蓋をしてきた矛盾だった。

 

「僕は貴女の騎士だ。そして、その路に(しるべ)の知恵を授ける魔導師だ。だからこそ、耳障りの良い言葉で貴女を慰めたりはしない。この残酷な事実も、君に教えるのが僕の務めだ」

 

僕は彼女の肩を抱き寄せ、諭すように語りかける。

 

「我が君、アルトリア。僕は貴女が過去の罪や過ちに心を痛め、夜毎悔恨に苛まれているのを知っている。あの丘で流した血の赤さが、今も貴女の瞼に焼き付いていることも」

 

「……織姫、私は……」

 

「故にこそ、君には過去ではなく、今、この旅路を悔いなく歩んで欲しい。過去を消すためではなく、過去を背負い、未来へ進むために剣を振るって欲しい。その為の助力を、僕は惜しまない」

 

僕は彼女の涙を指先で拭い、王としての誇りを呼び覚ますように告げた。

 

「騎士王よ。貴女が真にブリテンの王であるのならば。貴女を信じて想いを託して逝った民の為を願うならば。彼らの生きた歴史を変えるのではなく……彼らが信じた王が、胸を張って『誇れる旅路』を往くことこそが、彼らの魂への最大の報いではないだろうか?」

 

その言葉は、静寂の中に深く染み渡り、頑なだった少女の王の心を、ゆっくりと、しかし確実に解きほぐしていった。

 

過去の亡霊としてではなく、今を生きる王として。

 

死にゆく定めのブリテンを憂うのではなく、かつてそこに輝いた黄金の夢を、永遠に誇るために。

 

アルトリアは長い間、俯いていた。

 

やがて、深く、深く息を吸い込み、顔を上げる。

 

その瞳に宿っていた、過去への逃避という名の陰りは、僅かに晴れていた。

 

「……貴方の言葉は、剣のように鋭く、そして痛い」

 

彼女は自嘲気味に、けれどどこか憑き物が落ちたような穏やかさで呟いた。

 

「ですが……そうですね。私の魔導師がそう言うのなら、今の私は、その言葉を道標としましょう。まだ、願いを捨て去ることは出来ませんが……少なくとも、今この瞬間は、過去の修正ではなく、現在の勝利のために剣を振るいます」

 

「ええ。それで十分です、我が君」

 

僕は微笑み、彼女の前に跪いて手を取った。

 

聖杯の呪縛を解くには時間がかかるだろう。だが、最初の一歩は踏み出した。

 

この歪な聖杯戦争の果てに、彼女が本当の意味で「自分自身」を救える日が来ることを信じて。

 

 

◇◇◇

 

 

重厚な扉一枚を隔てた廊下。

 

石造りの冷え切った壁に背を預け、衛宮切嗣は煙草に火を点けた。

 

ジッ、というライターの音が、静寂の中に乾いた音を立てて響く。

 

深く吸い込み、肺を焦がすような紫煙を吐き出す。そうでもしなければ、先程あの魔導師に突きつけられた言葉の棘が、思考の深淵まで食い込んできそうだったからだ。

 

(……くだらない)

 

口の中で、呪文のようにそう吐き捨てる。

 

あの「織姫」と名乗る魔導士の言葉は、理想論であり、あるいは絶望的な観測論だ。

 

聖杯は万能の願望器だ。奇跡だ。人知を超えた力ならば、僕が思いつかないような「第三の道」で、誰も泣かない平和な世界を実現できるはずだ。

 

そう、信じるしかない。

 

信じなければ、僕がこれまで切り捨て、踏み越えてきた屍の山は無意味になる。

 

だが――。

 

『君の願いは、世界そのものを敵に回す自滅願望だ』

 

『化け物を殺すのは、いつだって人間だ』

 

脳裏にこびりついたその言葉を、単なる戯言だと切り捨てきれない自分がいる。

 

証拠などない。奴が語った「ムーンセル」も「抑止力のシステム」も、真偽など確かめようがない。

 

本来ならば、敵対者の精神を揺さぶるための巧みなブラフだと一蹴すべきだ。

 

けれど、奴の言葉はあまりにも筋が通っていた。

 

魔術師としての冷徹な論理と、人の世の残酷な真理。その両面から組み上げられた推論には、感情論が入る隙間などなかった。

 

何より、「平和のために殺し続ける君自身が、世界にとっての癌になる」という指摘。

 

それは、切嗣自身が心の奥底で恐れ、目を逸らし続けてきた「結末」を、無慈悲に言語化したものだったからだ。

 

(……チッ)

 

苛立ちを紛らわせるように、煙草の灰を床に落とす。

 

その時、扉の向こうから、凛とした、しかし諭すような声が微かに漏れ聞こえてきた。

 

『彼らの生きた証を、彼らが選んだ王である貴女自身が否定して、どうするんだ』

 

『過去を変えるのではなく、民や騎士たちに誇れる旅路を往く事こそが、彼らへの報いではないだろうか』

 

アルトリアへの説教だ。

 

自分のサーヴァントである騎士王に対し、過去を改変するという願いを真っ向から否定し、今を生きろと説いている。

 

(……僕の願いは「人類の絶滅」だと斬って捨て、セイバーの願いは「死者への冒涜」だと断じるか)

 

切嗣は自嘲気味に口元を歪めた。

 

あの男は、僕たちの抱える傷口を正確に見極め、そこに塩を塗り込みながら、同時に包帯を巻くような真似をする。

 

導き手だの、魔導師だのと大層な肩書きを並べ立ててはいたが、結局のところ、とんだ「お節介焼き」だ。

 

聖杯戦争という殺し合いの場において、敵も味方もなく、ただ道理を説いて回るなど、正気の沙汰ではない。

 

だが、その「お節介」な言葉が、頑なだったセイバーの心を解きほぐしている気配が、扉越しにすら伝わってくる。

 

そして、僕自身の芯にも、決して抜けない棘となって刺さっている。

 

「……やりづらい相手だ」

 

切嗣は壁から背を離した。

 

あの魔導士の言葉を肯定はしない。僕は僕の正義を貫く。

 

だが、あの「警告」を無視して突き進むには、衛宮切嗣という男はあまりにも臆病で、理知的すぎた。

 

その背中は、部屋に入る前よりも幾分か重く、しかしどこか憑き物が落ちたような、複雑な影を帯びていた。

 

扉の向こうにいるあの魔導士――織姫という名の、得体の知れない「魔の師」に対して抱いていた警戒心の中に、微かな、本当に微かな敬意が混じったことを、切嗣は否定できなかった。

 

皮肉にも、最も信用していなかったイレギュラーな存在が、この陣営における最大の「良心」のストッパーとなっているのだから。

 

魔術師殺しは、音もなくその場を立ち去る。

 

背後に聞こえる、少女と、それを慰める穏やかな声を、冷たい城の闇に置き去りにして。

 

 

 

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