常闇の邪竜戦記   作:星乃 望夢

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第二十話

アインツベルン城の張り詰めた空気の中、アイリスフィールの悲痛な声が響いた。

 

「切嗣、織姫、セイバー! ……来て、これを見て!」

 

リビングルームに呼び寄せられた僕たちの目に映ったのは、テレビのニュース映像だった。

 

冬木市内で連続して発生している児童行方不明事件。

 

アナウンサーが沈痛な面持ちで読み上げる原稿は、身代金要求もなく、忽然と子供たちが姿を消しているという異常事態を伝えていた。

 

「……魔術師の仕業か」

 

衛宮切嗣が冷徹に呟く。

 

聖杯戦争の最中に起きる不可解な事件。一般社会ではミステリーで済まされても、こちらの側の人間からすれば、それはサーヴァントによる魂喰い(魔力補給)か、あるいは儀式の贄であると即座に断定できる。

 

「ああ。間違いないね」

 

僕は画面を見つめたまま、即座に犯人のクラスを断定した。

 

「これはキャスターの仕業だ」

 

その言葉に、切嗣が鋭い視線を僕に向けた。

 

彼の中に燻る警戒心が、明確な疑惑となって鎌首をもたげる。

 

「……何故、そう言い切れる?」

 

切嗣の声は低く、乾いていた。

 

「この時期の冬木で起きれば聖杯戦争絡みだと推測するのは容易い。だが、まだ姿も見せていない相手を、何故『キャスター』だと特定できる? アサシンやバーサーカーが魔力を求めて暴食した可能性だってあるはずだ」

 

彼の指摘は尤もだ。根拠のない断定は、情報を隠匿しているか、あるいは自作自演を知る内通者である可能性を示唆する。切嗣の手が、コートの――コンテンダーのある位置へと無意識に近い動作で伸びる。

 

僕はそんな彼の殺気を受け流し、静かに窓の外、冬木の街がある方角へと視線を向けた。

 

「臭うんだよ、切嗣」

 

「……臭う?」

 

「ああ。テレビ越しでも感じ取れるほどの、ヘドロのように粘着質で、腐敗した精神から漏れ出る魔力の残滓だ。……この冬木の地脈に、見知った魔力が流れている」

 

僕はアルトリアを一瞥してから、再び切嗣へと向き直り、その真名を告げた。

 

「キャスター、ジル・ド・レェ。……あのフランスの元帥にして、聖女を冒涜する狂える闇魔術師の仕業だ」

 

「ジル・ド・レェだと……?」

 

歴史上の英霊の名。青髭のモデルとなった大量殺人鬼。

 

切嗣が眉をひそめる。

 

「以前、相見えた事があるからね。間違いない」

 

僕はかつての――あるいは並行する世界での記憶を手繰り寄せるように語った。

 

「あの海魔を召喚する螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)の不快な魔力。そして何より、子供たちの恐怖と絶望をあざ笑いながら貪る、あの独特の歪んだ嗜好。……忘れるものか」

 

僕の瞳に宿る確信は、単なる推測の域を超えていた。

 

それは「知っている」者の目だ。

 

「奴はこの街を自分の狂気のカンバスか何かと勘違いしている。放っておけば、被害は二桁じゃ済まないぞ、切嗣」

 

僕の警告に、切嗣は数秒間沈黙し、僕の言葉の真偽を天秤にかけた。

 

だが、僕が嘘をつくメリットがないこと、そして僕の情報がこれまで正確すぎたことを加味し、彼は舌打ちと共にその事実を受け入れた。

 

「……キャスターの拠点を割り出す。アイリ、使い魔を飛ばしてくれ」

 

「え、ええ。わかったわ」

 

切嗣が動き出すのを見て、アルトリアもまた憤然と立ち上がった。

 

「幼き子供を手に掛けるなど、騎士として……いいえ、人として許せる所業ではありません。織姫、私たちも出ましょう」

 

「勿論だ、我が君。あの悪趣味な道化師には、早々に退場願おう」

 

僕はアルトリアに頷き、再び杖を手に取った。

 

ジル・ド・レェ。かつてのジャンヌの盟友にして、神を呪った哀れな男。

 

彼との再会もまた、この聖杯戦争において避けられぬ巡り合わせなのだろう。

 

 

◇◇◇

 

 

夜が明け、太陽が冬木の街を冷ややかに照らし始めた。

 

海から流れ込む湿った冷気と、地熱が混ざり合い、アインツベルンの森には深い朝霧が立ち込めている。その乳白色の帳は、これから始まる捜索の不穏さを予兆しているかのようだった。

 

まだ聖堂教会からの正式な招集はない。しかし、子供たちが連続して消失するという事態は、神秘の秘匿という観点から見ても、聖杯戦争のルールを根底から揺るがす暴挙だ。

 

一般社会にまで魔術の痕跡が露呈しかけている現状、監督役である言峰璃正が動くのも時間の問題だろうが、それを待っていては犠牲が増えるばかりだ。

 

「僕はセイバーと共に現場へ向かう。キャスターの痕跡を直接追うには、魔術的な嗅覚と機動力が必要だ」

 

城のエントランスで、僕は切嗣に向かって告げた。

 

切嗣は、愛用のトンプソン・コンテンダーの手入れをしながら、視線を上げずに答える。

 

「……僕は裏からマスターを洗う。キャスターがこれほど派手に動いている以上、そのマスターも必ずどこかに尻尾を出しているはずだ。戸籍、土地の購入記録、あるいは最近の不審な入国者リスト……虱潰しにする」

 

「妥当な判断だ。……アイリスフィール、君は切嗣と共にここに残るか、彼と共に居た方がいい」

 

僕は不安げに佇むアイリスフィールへと視線を移した。

 

「キャスターは狂っているが、馬鹿ではない。僕たちが前線に出張れば、手薄になった本拠地、あるいは『聖杯の器』である君を狙って、別働隊や使い魔を差し向ける可能性もある。……切嗣、彼女の守りを頼めるね?」

 

それは提案というより、魔戒騎士としての差配だった。

 

僕とアルトリアという最大戦力が城を空ける以上、アイリスフィールの安全を担保できるのは、冷徹な計算と火力を持ち合わせる切嗣しかいない。

 

切嗣の手が止まる。彼は数秒の沈黙の後、カチャリとコンテンダーを組み上げ、ようやく僕を見た。

 

「……信頼はできない。君という存在は、依然として僕の計算を狂わせる最大のノイズだ」

 

彼は正直に、そして冷淡に言った。だが、その瞳から殺意の棘は消えていた。

 

「だが、その判断力と戦力に関しては、信用に値する。……行け。現場の処理は君たちに任せる」

 

「ああ。吉報を待っていてくれ」

 

それは、奇妙な連携の始まりだった。

 

互いに相容れない思想を持ちながらも、共通の敵、という一点においてのみ、歯車が噛み合った瞬間だった。

 

 

◇◇◇

 

 

冬木市内に入ると、空気は明らかに澱んでいた。

 

新都の近代的なビル群の影、未開発の造成地、そして寂れた路地裏。至る所に、粘着質で不快な魔力の残滓がこびりついている。

 

「酷い……。これが、キャスターの魔力ですか」

 

スーツ姿に変装したアルトリアが、鼻を覆いたくなるような腐臭に顔をしかめる。

 

それは物理的な臭気ではない。無念、恐怖、絶望といった負の感情が魔力と混ざり合い、ヘドロとなって霊的に知覚される「穢れ」だ。

 

「ああ。奴は楽しんでいる。ただ魔力を得るだけでなく、子供たちを誘い込み、恐怖を与え、その魂が最も美味になる瞬間を待って啜っている……」

 

僕は杖の先で地面に残る微かな術式を解析しながら、吐き捨てるように言った。

 

キャスター、ジル・ド・レェ。かつてジャンヌ・ダルクと共にフランスを救った救国の英雄が、神への絶望の果てに堕ちた姿。その狂気は、現代の倫理観などとうに超越し、ただ己のアートのためだけに費やされている。

 

僕たちが川沿いの公園――最後の目撃情報があった場所――へ辿り着いた時、そこには先客がいた。

 

「……む? 貴殿らは」

 

川面を見つめ、鋭い視線で周囲を警戒していた長身の男。

 

二本の魔槍を背負い、整った顔立ちに憂いの影を落とした騎士。

 

ランサー、ディルムッド・オディナだった。

 

「ランサー。奇遇だね、こんなところで」

 

僕が声をかけると、彼は警戒しつつも、すぐに敵意を収めて向き直った。昨夜の埠頭での一件――僕が彼に施した治癒のルーンと、交わした言葉が、彼の中で僕たちへの認識を変えていたのだ。

 

「影の国の王、それにセイバーか。……貴殿らも、この異臭を嗅ぎつけて来たのか」

 

「ええ。この街を覆う不穏な気配、見過ごすわけにはいきません」

 

アルトリアが一歩前に出て、毅然と答える。

 

ディルムッドは頷き、苦々しい表情で足元の草むらを指差した。そこには、小さな靴が片方だけ落ちており、その周囲にはどす黒い体液のような染みが残っていた。

 

「見ての通りだ。私の主は魔術師同士の戦いにしか興味を持たぬが……騎士として、この惨状を見過ごすことはできん。この所業、間違いなくサーヴァントの手によるものだ」

 

「ああ、キャスターの仕業だよ」

 

僕が断言すると、ディルムッドの瞳に激しい怒りの炎が宿った。

 

「キャスター……! 魔術師のクラスとは聞いていたが、これほどまでに外道とはな。戦士としての誇りも、英雄としての矜持もないのか!」

 

「奴にあるのは狂気と冒涜だけだ。……ディルムッド殿。ここで会ったのも何かの縁だ」

 

僕はアルトリアと視線を交わし、彼女の頷きを確認してから、ディルムッドに提案した。

 

「一時休戦と行こう。この無辜の民を喰い物にする外道を討ち滅ぼすまで、僕たちの剣と君の槍を合わせないか?」

 

聖杯戦争において、サーヴァント同士の結託は禁じ手であり、裏切りのリスクを伴う危険な賭けだ。しかし、目の前の騎士は「フィオナ騎士団の一番槍」。その高潔さは、裏切りという卑劣な行為を最も嫌う。

 

ディルムッドは少しの間、沈思した。主君ケイネスの許可を得ていない独断専行。だが、彼の騎士道精神は、目の前の悪を見逃すことを許さなかった。

 

「……よかろう。我が槍にかけて誓う。キャスター討伐の間、貴殿らとは矛を交えず、共にこの悪を討つ剣となろう」

 

「感謝します、ランサー。貴殿の助太刀、百人力です」

 

アルトリアが清廉な笑みを向ける。

 

こうして、冬木の川辺にて、騎士王とフィオナの英雄、そして影の国の魔導師による、キャスター討伐のための即席の「騎士同盟」が結成された。

 

 

◇◇◇

 

 

冬木の地下水道は、キャスターが垂れ流すヘドロのような魔力残滓が水路全体を汚染しており、それが撹乱幕となって奴の正確な位置特定を困難にさせている。

 

どこへ行っても腐臭が鼻をつき、神経を逆撫でするような気配が漂う。

 

探索が膠着し、焦燥が募り始めたその最中だった。

 

僕はふと足を止め、前を行くディルムッド・オディナを呼び止めた。

 

「ランサー、少し背中を貸してくれないか」

 

「……? 何か策でも?」

 

怪訝そうな顔で足を止めた彼の背後へ回り込み、僕はその強靭な背中へ向けて、指先で空中に文字を走らせた。

 

刻むのは原初のルーン――その中でも『幸福』と『祝福』を司る輝き。

 

「なっ……これは!?」

 

身体の芯から湧き上がる温かな力の奔流に、ディルムッドが目を見開く。

 

これは、僕からのほんの些細な(まじな)いだ。

 

けれど、ただの支援ではない。

 

僕は知っているのだ。別の運命、別の物語において、この高潔な騎士が辿ったあまりにも無惨な末路を。

 

主君に裏切られ、騎士としての誉れも矜持も尽く踏み躙られ、最後には血涙と共に聖杯へ呪詛を叫んで退場した彼の絶望を。

 

だからこそ、祈らずにはいられなかった。

 

せめてこの世界、この旅路においては、彼の貫く忠義の路に幸多からんことを、と。

 

「……織姫殿、これは一体。私の霊基が、かつてないほどに充実していくのを感じるのだが」

 

「種明かしをすれば簡単な理屈さ。この共闘は、君のマスターであるケイネス・エルメロイ・アーチボルトを通していない、僕らだけの独断による同盟だ」

 

僕は刻み終えたルーンを定着させ、彼に向き直った。

 

「君が力を振るえば振るうほど、マスターの魔力を消費する。そうなれば、勘の鋭い彼のことだ、君が勝手に動いていることを察知し、強制的に呼び戻すかもしれない。それは困るだろう?」

 

「む……確かに。我が主は魔術の行使に敏感な御方ゆえ、その懸念は否めない」

 

「だから、回線をバイパスした。ルーンを通して、僕から直接君へ魔力を供給する形にしたんだ」

 

僕の心臓は竜の炉心だ。サーヴァント一騎を全力で駆動させる程度、造作もない。

 

ルーンが淡く発光し、ディルムッドの二槍が鮮烈な輝きを帯びる。

 

「これで君は、マスターの顔色を窺うことなく、生前のフィオナ騎士団の一番槍――その全盛期の力を心置きなく振るえるはずだ」

 

ディルムッドは自身の両手を見つめ、握りしめた拳に漲る力強さに震えた。それは、現界して以来感じていた「器」としての制限が取り払われた感覚だったに違いない。

 

「……敵に塩を送る、とおっしゃるか」

 

「違うさ」

 

僕は短く否定し、隣で静かに見守るアルトリアと、目の前の好漢を見渡して告げた。

 

「共に邪悪を断つ為、戦場を同じくする騎士への助成……ただそれだけの事だよ。さあ、行こうか。万全の君と我が君がいれば、どんな悪夢が待っていようと恐れることはない」

 

「……感謝する、影の国の王よ。この力、必ずや邪悪を討つ為に使おう!」

 

ディルムッドの瞳から迷いが消え、そこにはかつて神話の時代を駆け抜けた英雄の輝きが戻っていた。

 

僕はその背中を見送りながら、密かに安堵の息を吐いた。

 

この呪いが、彼を悲劇の結末から少しでも遠ざける道標になることを願って。

 

 

◇◇◇

 

 

夕闇が迫り、視界が悪くなる刻限。僕たちは一時的な捜索の打ち切りを決めた。

 

ディルムッドが主の元へ戻ろうと背を向けた、その時だ。

 

「ランサー。少し待ってくれ」

 

僕は彼を呼び止め、ポケットからある物を取り出した。

 

それはコンビニで買った、変哲もない一枚の絆創膏だ。

 

「……? これは、傷を保護するテープか? 見たところ、私に外傷などないが」

 

怪訝そうな顔をするディルムッドに、僕は苦笑しながらそれを差し出した。

 

「肉体の傷じゃない。君の運命に視える、厄介な『女難の相』への処方箋だよ」

 

「女難……?」

 

「君の右目の下にある、その黒子(ホクロ)だ。君にとっては誉れであると同時に、望まぬ女性を狂わせる呪いでもあるだろう?」

 

ディルムッドがハッと息を呑み、無意識に頬の黒子に手をやる。

 

フィオナ騎士団の悲劇。主君の妻グラニアとの逃避行。その全ての元凶となった、見るものを魅了する愛の黒子。

 

「その絆創膏には、魅了の魔術を遮断するルーンを裏書きしてある。それを貼っている間、君の黒子の呪いは封じられる。……僕の言いたいことは分かるね?」

 

僕は言葉を濁したが、ディルムッドほどの男なら察するだろう。

 

僕は知っているのだ。彼の現在のマスター、ケイネスの許嫁であるソラウ・ヌァザレ・ソフィアリが、既にこの黒子の魔力に当てられ、病的な恋慕を抱き始めていることを。

 

それがやがて、ランサー陣営を内部から崩壊させ、誇り高き騎士をまたしても「主君への裏切り者」という泥沼に引きずり込むことを。

 

「……まさか、貴殿は我が主の陣営の事情まで……」

 

「深くは聞かないでくれ。ただの魔導師の勘ぐりだ」

 

僕は彼の手のひらに絆創膏を乗せた。

 

「その呪いがなくとも、彼女が君に惹かれるのなら、それはもう運命だ。僕が関与することじゃない。だが、黒子の呪いによって理性を焼かれているのなら……その回路を断つことで、最悪の悲劇は回避できるかもしれない」

 

彼女が正気に戻れば、ケイネスの自尊心が傷つくことも減るだろう。

 

あの魔術師のロードが、サーヴァントを道具以上の存在として認めるかは甚だ怪しいが、少なくとも「妻を寝取った不義の騎士」としてディルムッドを憎悪し、令呪で自害を命じるような最悪の未来は遠ざかるはずだ。

 

「……織姫殿。貴殿は、どこまで私にお節介を焼くつもりだ」

 

ディルムッドは複雑な表情で、しかしその瞳には温かな光を宿して絆創膏を見つめた。

 

「言っただろう。僕は、君と万全の状態で競い合いたいだけだ。つまらない痴情のもつれで、その美しい双槍が曇るのを僕は許さない」

 

それは、紛れもない僕のエゴだ。

 

けれど、騎士道という幻想に生きる英霊に対して、これ以上の手向けはないはずだ。

 

「……かたじけない。この配慮、痛み入る」

 

ディルムッドは深く一礼すると、躊躇いなくその絆創膏を自身の頬、呪いの黒子の上へと貼り付けた。

 

魅了の魔力が霧散し、彼の顔つきがただの精悍な武人へと戻る。

 

「では、また明日。キャスター討伐の戦場にて」

 

「ああ。良き夜を、フィオナの騎士よ」

 

夜の闇に消えていく彼の背中は、昨日よりも幾分か軽やかに見えた。

 

僕の介入が運命の歯車をどう狂わせるか、それは神のみぞ知る領域だ。

 

だが、少なくとも彼が「騎士」として全うできる可能性が、ほんの少しだけ高まったことだけは確かだった。

 

 

 

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