眼下に広がる地獄絵図を見下ろしても、僕の心はさざ波ひとつ立たなかった。
燃える街、逃げ惑う人々、そして一方的な蹂躙。
現代人の感性からすれば、無辜の人々が虐殺される光景には義憤を抱き、目を背けたくなるのが正常だろう。
だが、僕はただ「戦火の匂いがするな」としか感じない。
改めて実感する。
僕はもう、人の形をしているだけの竜種なのだと。
しかも、ただの竜ではない。
己の望むもの全てを手に入れなければ気が済まない、傲慢にして不遜な『強欲竜』だ。
だからこそ、隣にいるジャンヌ・オルタという存在にも執着した。彼女がただの泡沫の夢で終わるのが気に入らないから、聖杯の理さえねじ曲げ、僕の手元に留まりうる存在へと昇華させたのだ。
さて、カルデアの諸君が到着するまでは、この虚飾のフランスの惨状を高みの見物と洒落込もうか。
そう思っていた、矢先のことだ。
眼下の一角で、ワイバーンの群れが紙切れのように切り裂かれ、光となって消滅した。
そこに立っていたのは、一人の剣士。
その背中から放たれる、静謐かつ圧倒的な「竜殺し」の気配。
「……ほう?」
その姿を見て、僕はニヤリと口許に三日月のような弧を描いた。
特異点には、歴史の歪みを正そうとする抑止力のように、野良サーヴァントが召喚されることがあるという。
まさか、これほどの大物を引くとは。
「──待ちくたびれたぞ」
僕は躊躇なく、ファヴニールの背から地上へと身を投げた。
隕石の如く着地し、土煙を巻き上げる。
その衝撃に剣士が振り返り、無言で剣を構える。
僕はゆっくりと立ち上がり、その真名を呼んだ。
「よもや伝説の竜殺し、ジークフリート殿とこうして相見えるとはな。……その至高の武技、一戦お相手仕る!」
右手に朱槍を召喚し、切っ先を突きつける。
僕は確かに人竜だ。竜の炉心を持ち、竜の論理で動く怪物だ。
しかし、その根底にあるのは、あの影の国の女王に鍛え上げられたケルトの戦士としての魂だ。
「なっ、ちょっと!? アンタ、さっき『王は動かない』とか言ってたじゃない!! さっさと働きなさいよ!」
遥か上空から、ジャンヌ・オルタの罵声が降ってくる。
確かに言った。興味のない雑事には動かない、と。
だが、今は違う。
目の前にいるのは、竜殺しの代名詞。
その武勇と刃を交えたいと願うのは、戦士の性だ。
これほどに興の乗る展開を前にして、玉座でただふんぞり返っているなど……それは武王に非ず。
そんな退屈を貪るだけの愚王に、影の国の王は務まらない!
「行くぞ、竜殺し! 僕を殺せるものなら殺してみろ!!」
僕は大地を爆縮させ、ジークフリートの懐へと疾走した。
轟音と共に、僕は焦土へと着地した。
巻き上がる土煙の中、僕の朱槍と、彼が掲げた大剣『バルムンク』が正面から激突する。
大気を引き裂くような甲高い衝撃音が、オルレアンの空に響き渡った。
鍔迫り合いの距離。目の前に立つのは、黄昏の如き魔力を纏った高潔なる騎士。
──ジークフリート。
かつて邪竜ファヴニールを屠り、その返り血を浴びて不死身の肉体を得た男。
竜の炉心を宿す僕にとって、これ以上の「天敵」であり、これ以上の「標的」は存在しない。
「……その槍筋、そして身に纏う竜の気配。貴殿、ただの英霊ではあるまい。なぜこれほどの戦士が、魔女に与し、この地を焼く」
ジークフリートは、その悲劇的なほどに真摯な瞳で僕を見据え、問うた。
対する僕は、内側から溢れ出す戦意を抑えきれず、獰猛な笑みを深くした。
「理屈など、影の国に置いてきた!」
僕は叫び、槍を押し込む。
「僕はただ、貴殿という『竜殺し』の伝説に、僕の槍が届くかどうかを試したいだけだ。来い、ニーベルンゲンの英雄! その破竜の剣、僕の常闇を斬れるか!」
瞬時に指先でルーンを編む。
『強化』、そして『加速』。
自己バフを重ねがけし、朱槍を旋回させる。僕の動きは、もはや重力を無視した神速の領域へと突入していた。
刺突の連撃が、ジークフリートの『悪竜の血鎧』を火花と共に削り取る。
彼はその超絶的な剣技で僕の槍を捌くが、受けるたびに地面が陥没し、余波の衝撃波で周囲にいたワイバーンたちが霧散していく。
「ちょっと! 何勝手に盛り上がってんのよ、この戦闘狂ッ!!」
遥か上空から、ジャンヌ・オルタの憤慨した声が降ってきた。
彼女はファヴニールを旋回させながら、こちらに向かって必死に旗を振り回している。
「あんた、王様らしくふんぞり返ってるんじゃなかったの!? 結局自分が一番暴れたいだけじゃない! この……っ、嘘つき! サボり魔! 竜殺しを相手に楽しそうに笑っちゃって、バカじゃないの!?」
彼女の罵声がBGMのように心地よい。
止めるつもりなど、毛頭なかった。
ジークフリートの大剣が重く、鋭く僕の脇腹をかすめる。皮膚が裂け、血が飛ぶ。だが、竜の因子は天敵の攻撃を浴びて、恐怖するどころか歓喜に震えていた。
そうだ。これだ。
あの最強の師匠に鍛えられ磨き上げたこの「武」は、最強の敵を前にしてこそ、真に完成へと近づくのだ。
「ははは! 悪いなジャンヌ! だが、この『竜の心臓』が鳴り止まないんだ!」
僕は一歩踏み込み、ジークフリートの瞳を見据えた。
「──さあ、ジークフリート。聖剣を抜け。貴殿の『真実』を見せてみろ!」
◇◇◇
(……何だ、この男は)
気配も、魔力も、彼が討つべき邪竜そのものだ。
ファヴニールよりもさらに格の高い、星を飲み込むごとき邪竜の気配を纏う槍兵の少年。
しかし、その繰り出す武技は、あまりに清廉さに溢れた「武人」のそれだった。
(竜が人の真似事をしているのではない。これは──)
目の前の少年は、人の形をした竜──
竜の如き心臓を持った人──人竜である。
人としての魂と技を持ちながら、竜としての絶対的な出力を振るっているのだ。
そして何より、恐ろしいのはそのスタミナだ。
野良サーヴァントとして召喚され、魔力供給に限界があるジークフリートに対し、生者として邪竜の心臓を駆動させる少年は、魔力が枯渇する気配が一切ない。
かつてのブリテンの騎士王がそうであったように、ただ呼吸をするだけで、無尽蔵の魔力を生み出し続けている。
「ぐ、ぅぅぅ……ッ!!」
押し切られる。
ジークフリートはどうにかゲイ・ボルクの軌道を逸らせたが、バルムンクを真名解放していなければ霊基ごと砕かれていたほどの深手を負ってしまった。
血が流れる。鎧が悲鳴を上げる。
(……ここで果てるわけには、いかない)
彼は苦渋の決断を迫られた。
戦士としては、この強敵と刺し違えてでも戦い抜きたい。
だが、自分がここで斃れれば、少年の背後に控えるあの「竜の魔女」と、不倶戴天の敵である「ファヴニール」を、誰が斬るというのか。
ジークフリートは断腸の思いで、爆風に紛れてその場を離脱した。
土煙が晴れていく。
僕は逃げ去った竜殺しの背中を見逃し、手元に戻って来た朱槍を振るって、こびり付いた火の粉を払った。
追いかける必要はない。
彼の傷は深い。それに、彼ほどの英雄ならば、必ずまた僕の前に立ちはだかるだろう。
僕は槍を消し、ふと路地裏の物陰へと視線を向けた。
「それで? そこの竜の気配のするお嬢さん。君はどちらの側かな?」
僕の視線の先。
崩れかけた瓦礫の陰に、一人の少女がへたり込んでいた。
アイドル然としたフリルのドレスに、不釣り合いなほど立派な竜の尻尾と角、そして鋭い爪。
半人半竜の歌姫、エリザベート・バートリー。
彼女は僕とジークフリートの規格外の死闘を目の当たりにし、腰を抜かしてしまったのか、涙目で震えながら僕を見上げていた。