常闇の邪竜戦記   作:星乃 望夢

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第十三話

 

影の国での生活は、鍛錬と闘争に満ちている。

 

だが、そんなストイックすぎる環境にも「娯楽」は必要だ。

 

影の国には存在しない代物の代表例──その最たるものがテレビゲームだ。

 

新しい書物や最新の歴史書もそうだ。

 

外の世界の知識は常にアップデートしておかなければならない。

 

そして、何より重要なのが「食」だ。

 

「……ふむ。やはりオムライスにはこれがないと」

 

僕は手に持った赤いボトルを見つめる。

 

ケチャップ。

 

こういった加工食品は、魔術を駆使すれば再現できないこともない。が、そんなことに魔力と手間暇を費やすくらいなら、外の世界へ買いに行ったほうが遥かに早い。

 

今の僕になら散歩感覚で外の世界に買い物へ行くのなんて造作もないことだ。

 

僕は外の世界に帰らないとは言ったけれども、外の世界に行かないとは言ってない。

 

とはいえただ買ってくるだけでは芸がない。

 

僕は買ってきた食材や調味料を、一日ほど影の国の城内に放置しておく。するとどうなるか。

 

濃厚な神代の魔力に晒された加工食品は、成分が霊的に変質し、人理の味を保ったまま神の領域の美味へと昇華されるのだ。

 

「プロデューサー、その赤いソース、私の分にもたっぷりかけて!」

 

「……ちょっと、私の方が先よ! あと、その『げーむ』とかいう箱、次こそは私が勝つんだから!」

 

食卓では、すっかり現代文明の毒に当てられたエリザベートとジャンヌ・オルタが騒いでいる。

 

『神代の魔力製ケチャップ』をたっぷりかけた料理を頬張りながら、彼女たちは影の国にはなかった「味」を堪能していた。

 

外の世界の文明を、神代の魔力で煮詰めて愉しむ。

 

これこそが、影の国を拠点とする僕だけの、贅沢で合理的なライフスタイルと言えるだろう。

 

 

◇◇◇

 

 

「……はて?」

 

僕は思わず首を傾げた。

 

醤油が切れたからスーパーへ向かうはずが、目の前に広がっているのは、昼下がりの陽射しを遮るほどに生い茂った公園の木々。そして足元には、物理的には消されているものの、霊的には鮮明に焼き付いている召喚陣の術式。

 

解析を走らせるまでもない。

 

これは、サーヴァントを招き入れるための儀式の跡。

 

霊基は「ライダー」。真名は──征服王イスカンダル。

 

だが、僕がこの場所に引き寄せられた理由は、その術式だけではなかった。

 

フランスの地で纏った「アヴァロン」の概念、そして今も魂に刻まれている「黒き騎士王」の概念。

 

それらが、僕の「人造竜の心臓」と共鳴し、逃れようのない宿命を告げるように煩く警鐘を鳴らしているのだ。

 

――この街のどこかに、もう一人の「(アルトリア)」がいる。

 

「……冬木、か」

 

僕は小さく呟いた。

 

影の国から買い物に出たつもりが、どうやら第四次聖杯戦争という名の、奇跡と絶望の渦中に迷い込んだらしい。

 

僕は指をパチンッと鳴らす。

 

瞬間、身なりを白服に青いローブを纏う魔導師──アルトリア・キャスターの姿へと変え、手には『選定の杖』を現出させた。

 

今の僕は、ただの通りすがりの魔術師(ドルイド)

 

心臓と聖剣の導きに従い、僕は静かに歩き出した。

 

目指す先には──黄金の髪をなびかせ、理想に燃えた騎士王がいるはずだ。

 

 

◇◇◇

 

 

僕は人波に流れながら、冬木市の新都を歩いていた。

 

近代的なビルが立ち並ぶメインストリート。行き交う人々は皆、無機質な色の服を纏い、足早に過ぎ去っていく。

 

だが、その灰色の雑踏の中で、ひときわ異彩を放つ二輪の華を見つけた。

 

一人は、深窓の令嬢を思わせる、白雪の如く美しい女性──アイリスフィール・フォン・アインツベルン。

 

そしてその隣で、周囲を警戒しながら歩く、黒いフォーマルなスーツを着こなした少女。

 

硬く結ばれた唇。凛とした碧眼。

 

間違いない。あの日の「白百合の君」から成長し、王としての責務と孤独を背負ったブリテンの騎士王──アルトリア・ペンドラゴンの姿だ。

 

僕は人混みを縫うようにして、自然な足取りで彼女たちの死角から近づいた。

 

アルトリア・キャスターの姿を模した僕の足音は、雑踏のノイズに溶け込んでいる。

 

彼女がふと気配を感じて振り返ろうとしたその瞬間。

 

僕は柔らかく、けれど彼女の芯に届く声で囁きかけた。

 

「──お久しぶりですね、白百合の君」

 

ピクリ、と彼女の肩が跳ねる。

 

その呼び名は、かつて修行中の彼女に向けた、親愛と敬意の証。

 

だが、今の彼女はもう「リリィ」ではない。聖剣を抜き、国を背負い、そして傷つきながらカムランの丘へと至った英霊だ。

 

その呼び名に反応したということは、彼女は僕と出会ったことがある、ということの証左に他ならない。

 

もしかしたら他の誰かに呼ばれたこともあるかもしれない。

 

僕は悪戯っぽく微笑み、言葉を継ぐ。

 

「……いえ、はじめまして、と、言うべきでしょうか? ブリテンの騎士王」

 

選定の杖を持つ「予言の子」の姿をした僕が、聖剣の王に問う。

 

時空を超えた、奇妙で運命的な再会──あるいは初対面の幕開けだった。

 

 

◇◇◇

 

 

その瞬間、アルトリアの耳から、冬木市の喧騒が完全に消え失せた。

 

目の前に立つ、選定の杖を携えた魔術師。

 

それは遠い遠い記憶。自分がまだ「王」という概念に縛られきっておらず、ただ純粋に理想を追い求め、白百合のように無垢だった頃の──夢のような旅路の記憶。

 

彼は、あの日見た姿と寸分違わず、そこに居た。

 

「あ……」

 

声が震える。

 

英霊となり、座に登録され、多くの知識を得た「今の自分」だからこそ、分かってしまった。

 

彼の胸の奥から響く、重く、深く、世界を威圧するような心臓の鼓動。

 

そこから滲み出る魔力の色は、かつてブリテンを脅かし、我が父ウーサーを苦しめた常闇の邪竜──『卑王ヴォーティガーン』のものだと。

 

けれど。

 

彼女の記憶に焼き付いているのは、恐怖の魔王ではない。

 

不器用な自分を導き、励まし、最期には美しい光を見せてくれた「星の輝き」だった。

 

(あの方は……知っていたのだ。全てを)

 

胸が張り裂けそうなほどの痛みが、アルトリアを襲う。

 

あの旅の中で、彼は言った。「人の心を忘れるな」「人を頼れ」と。

 

それは単なる言葉ではなかった。ブリテンの滅びという未来を知る者からの、悲痛なまでの忠言であり、精一杯の祈りだったのだ。

 

──だが、私はどうだ。

 

王とは人の為に生きる者。円卓の騎士たちの規範たる者。

 

そう自分を律し、私情を殺し、「完璧な王」であろうとした結果、何が起きた?

 

『王は人の心が分からない』と嘆かれ、円卓は瓦解し、モードレッドの叛逆を招き……カムランの丘で、全てが終わった。

 

あの日、私には勿体ないほどの、初めての臣下がくれた言葉。

 

それを「弱さ」と断じて心の奥底に封じ込め、鍵を掛けてしまった自分の愚かさが、あの悲劇を生んだのだ。

 

「セイバー……? どうしたの、顔色が真っ青よ?」

 

アイリスフィールの心配そうな声も、今の彼女には遠い。

 

アルトリアは、目の前の魔術師を直視することができなかった。

 

合わせる顔がない。

 

同じ轍を踏むなという彼の願いを裏切り、国を滅ぼした愚かな王が、どの面を下げて彼と向き合えばいいというのか。

 

彼女はただ、自身の罪深さに打ちひしがれるように、その碧い瞳を伏せた。

 

 

◇◇◇

 

 

僕は指先で空を切り、ルーンを一つ刻んだ。

 

『排除』と『幻惑』の複合。

 

世界から切り離す結界ではなく、周囲の意識から「僕たちの存在」というノイズだけを自然と滑らせ、排除する認識阻害の術式。

 

喧騒は続いている。人々は歩みを止めない。

 

だが、誰も僕たちを見ない。誰も僕たちにぶつからない。

 

まるで、この数メートル四方だけが、世界から忘れ去られたエアポケットになったかのように、奇妙な静寂が満ちた。

 

「……顔をお上げ、アルトリア」

 

僕は、俯いたまま震えている彼女に声をかけた。

 

その言葉に、彼女はビクリと肩を跳ねさせ、まるで断罪を待つ罪人のような表情で、ゆっくりと顔を上げた。

 

「……貴方に、合わせる顔がありません」

 

彼女は、絞り出すように言った。

 

その碧眼は、悔恨の涙で揺れている。

 

「あの日、貴方は私に言いました。『人の心を忘れるな』と。『人を頼れ』と。それは、私の行く末──ブリテンの滅びと、円卓の崩壊を見越しての、最大の慈悲でした。……なのに、私は」

 

彼女は胸元のタイを握りしめ、言葉を吐き捨てる。

 

「私は、その言葉を『弱さ』だと断じました。王たる者は孤高でなければならない、完璧でなければならないと。貴方の言葉を心の奥底に封じ、鍵をかけ……結果、私は人の心が分からない王として、国を終わらせてしまった」

 

彼女の告白は、血を吐くような懺悔だった。

 

隣でアイリスフィールが息を呑み、痛ましげに彼女の背中に手を添える。

 

だが、アルトリアの自責は止まらない。

 

「皮肉な話です。国を脅かす邪竜こそが、誰よりも人の心を理解し、国を憂いてくれていたというのに。国を守ると誓った騎士王が、人の心を捨て、国を滅ぼしたのですから……! 私は、貴方の期待を裏切った、愚かな王です」

 

彼女は唇を噛み、再び視線を落とそうとする。

 

僕は静かにため息をつき、一歩、彼女との距離を詰めた。

 

そして手を伸ばし、小枝のような細い指で彼女の顎をくい、と持ち上げさせた。

 

「裏切った? 否」

 

僕は真っ直ぐに彼女の瞳を見つめ、静かに告げた。

 

「僕はあの時、君に『選択肢』を与えたに過ぎない。人の心を捨てて理想に殉じるか、人の心を持って泥に塗れるか。君は前者を選んだ。私の忠言を『封じる』という決断を持って、君は君自身の信じる王の道を貫いた」

 

「ですが、その結果が……あのカムランです!」

 

「ええ。悲惨な末路。救いのない結末です。……だが、美しかった」

 

僕の言葉に、アルトリアが目を見開く。

 

「誰にも理解されず、孤独に苛まれ、それでも理想の為に全てを捧げたその生き様。その輝きは、確かに私が夢見た『星の聖剣』そのものだった」

 

僕は杖を下ろし、かつてリリィにした時のように、優しく微笑んでみせた。

 

「答え合わせは終わりです、騎士王。貴女は間違ったかもしれない。失敗したかもしれない。けれど、貴女が駆け抜けたその生涯を、君自身の選択を、僕は『愚か』だなんて笑いません」

 

言葉は不要だった。

 

ただ、態度で示すのみ。

 

僕は術式を置換する。

 

纏っていたキャスターのローブが光の粒子となって解け、より上位の神秘、より高潔な概念へと再構成されていく。

 

現れたのは、楽園の妖精にして、聖剣の概念と一体化した守護者──『アルトリア・アヴァロン』の姿。

 

透き通るような白と青のドレス。

 

背には幻に似た翅の如き金糸雀の長髪の輝き。

 

そして手には、星の光を宿した『選定の杖』。

 

その神々しい姿に、アルトリアとアイリスフィールが息を呑む。

 

だが、僕はそこで止まらない。

 

左手に杖を携えながら、右手の虚空を握りしめる。

 

『創造』の起源が、彼女の誇りであり、彼女の魂そのものである「星の光」を形作る。

 

僕は静かに片膝をついた。

 

それは、臣下が王へと拝謁する際の、最上の礼。

 

僕は鍛え上げた右手に、彼女の誇りとも言える『星の聖剣』を顕現させ、その柄を騎士王アルトリアへと差し出した。

 

「白百合の君。……いえ、ブリテンの騎士王よ」

 

僕はかつての旅路を慈しむように、そして目の前の王の威光を称えるように、厳かに告げた。

 

「この不肖のドルイド改め、『魔戒騎士(まかいきし)』に――再びその旅路へ。その戦場への栄誉を共にすることを、許されるか?」

 

それは、かつて果たせなかった約束の続き。

 

「魔導師」として言葉を贈るだけだった過去を超え、今度は「騎士」として、その剣となり盾となって、彼女の悲願に付き合うという誓い。

 

人避けのルーンによって切り取られた静寂の中。

 

黄金の輝きを放つ聖剣と、傅く守護者の姿は、冬木の街にはあまりに不釣り合いで──けれど、見る者すべての心を射止める程に美しい絵画のようだった。

 

時が止まったような静寂が、二人を包み込む。

 

喧騒を遮断したルーンの結界の中、アルトリアの耳に届くのは、自身の心臓の高鳴りと、目の前の騎士が発する静謐な魔力の奔流だけだった。

 

傅き、聖剣を差し出すその姿。

 

それは、かつて自分が理想とし、夢見た王道の体現そのものだった。

 

国を滅ぼし、民を救えなかった愚かな王である自分に、これほどの輝きが、これほどの忠義が向けられている。

 

──ああ、この方は。

 

私の罪も、後悔も、その全てを知った上でなお、私を選んでくれるというのか。

 

アルトリアの碧眼から、再び涙が溢れそうになる。

 

だが、彼女はそれを許さなかった。

 

今、目の前にいるのは、かつての「白百合の君」を導いてくれた賢者であり、今は「ブリテンの騎士王」に剣を捧げる騎士なのだ。

 

ならば、応えねばならない。

 

涙に濡れた少女としてではなく、誇り高き騎士王として。

 

「……顔を上げてください、我が騎士よ」

 

彼女は震える息を吐き出し、凛とした声で告げた。

 

そして、迷いを断ち切るように一歩踏み出し、差し出された聖剣の柄へと、その手を伸ばした。

 

指先が触れた瞬間、温かい魔力の奔流が彼女の体内へと流れ込んでくる。

 

それは、かつての旅路で何度も助けられた、懐かしくも力強い星の光。

 

アルトリアは、その柄を力強く握りしめた。

 

そして、傅いたままの織姫の手を取り、自ら引き上げるようにして立たせた。

 

「許すも何も。貴方の導きが、貴方のくれた光が、私の『誇り』です」

 

彼女の瞳から、迷いは消えていた。

 

そこにあるのは、再び聖杯戦争という戦場に挑む、王の決意。

 

「良かろう。その剣、その魔術、そしてその忠義。ブリテンの騎士王アルトリア・ペンドラゴンが、ここに受諾する!」

 

彼女は織姫の手を固く握りしめ、真っ直ぐに見つめ返した。

 

「共に参りましょう。今度こそ、悔いのない旅路を」

 

二人の間で、星の魔力と竜の魔力が共鳴し、目映いばかりの黄金の輝きが迸った。

 

それは、悲劇の運命(さだめ)に対する、小さくも力強い、反逆の狼煙だった。

 

 

 

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