アルトリアとの再会と誓いを、警戒しながらも黙って見守っていたアイリスフィールへと、僕は優雅な所作で騎士の礼を送った。
「……セイバー、この方は?」
「はい、アイリスフィール。彼は……かつて私が選定の剣を抜き、世界を旅していた時に共に歩んでくれた魔導師です。彼ならば、誰よりも信のおける人物です。私の誇りに懸けて保証します」
アルトリアは迷いのない瞳でそう断言してくれた。
その言葉だけで十分だ。
アイリスフィールを通じて、マスターである衛宮切嗣にも僕の情報は伝わるだろう。
彼のような用心深い男だ、正体不明の僕にわざわざ会いに来ることはない。おそらく、遠距離から監視し、戦術的に利用できるかを吟味するはずだ。
だが、僕はあくまでアルトリアの臣であり、切嗣の下働きになるつもりはない。
彼からすれば、僕は「強力だが制御不能の第三勢力」として映るだろう。
……それはそれで構わないが、余計な軋轢でアルトリアが板挟みになるのは避けたい。
「あのセイバーがそこまで言うなんて……」
驚きを隠せないアイリスフィールに、僕は軽く微笑みを返しながら、右手に顕現させていた「星の聖剣」を、左手に出現させた「全て遠き理想郷」へと納刀した。
カチリ、と硬質な音が響く。
アルトリアの聖剣と鞘。そして僕が持つ聖剣と鞘。
二つのアヴァロン、二振りのエクスカリバー。
その視覚的な衝撃と意味の重さは、魔術師である彼女たちにとって計り知れないものだろう。
「さて、我が君。一つ、儀式を行いましょう」
「儀式、ですか?」
僕はアルトリアの手を恭しく取り、その手袋を外させた。
そして、人差し指に蒼い魔力を灯し、彼女の滑らかな手の甲へと走らせる。
「──『
刻まれたのは、ケルトの誓いのルーン。
それは肌に吸い込まれるように輝き、三画の令呪に似た紋様となって定着した。
「これは……令呪?」
「はい。これで僕は、サーヴァントと同じく3回だけ、貴女からの絶対命令を受け入れるパスを繋ぎました。つまり、貴女のマスターが貴女に令呪をもって命じれば、貴女を通じて僕を強制的に従わせることも可能ということです」
これで、衛宮切嗣から見た「制御不能」という戦術的リスクは取り払われた。
僕はあくまで貴女の剣だが、貴女がマスターに従う限り、僕もまたその指揮下にあるという証明だ。
そして──真の目的は、ここからだ。
「……っ!? この魔力は……ッ!?」
アルトリアが目を見開く。
ルーンを刻み、パスが繋がった瞬間。
僕の竜の心臓が生み出す無尽蔵の魔力が、堰を切ったように彼女の霊基へと流れ込んだのだ。
切嗣からの供給とは訳が違う。
神代の、それも竜種の純度を持った最高級の魔力。
僕は彼女の器がパンクしないよう、しかし最大限の出力を発揮できるギリギリのラインで調整し、供給を固定する。
見る見るうちに、彼女の顔色が良くなり、全身から立ち昇る魔力の格が跳ね上がっていく。
「主の路に導きを贈るのが、魔導師の務めですから」
僕は呆然とする彼女の手の甲に、忠誠のキスを落とした。
「この程度の事はさせて頂きますとも、我が君」
僕は、神々しいアルトリア・アヴァロンの姿から、慣れ親しんだキャスターの姿へと戻った。
アルトリア・アヴァロンの霊衣はあまりに神秘性が高く、現代の街中では目立ちすぎる。
その点、この青いマントと帽子、そして短めのスカートというキャスターの旅装は、外を出歩くのに一番適している。
ここが極東の日本であることを加味しても、外国のちょっと変わった学術院の留学生、といった風体に見えなくもないからだ。
昼下がりの冬木市。
僕はアルトリアの半歩後ろに付き従い、好奇心旺盛に店を覗き込むアイリスフィールを警護しながら、穏やかな時間を過ごした。
その道すがら。
アルトリアは、ポツリ、ポツリと、ブリテンの事を語り始めた。
「……円卓に亀裂が入ったのは、私の不徳ゆえでした」
それは、英雄譚などではない。
王としての苦悩、騎士たちの軋轢、自身の孤独、そして崩壊していった理想の末路。
まるで、教会の告解室で行われる懺悔のようだった。
ランスロット卿のこと、ギネヴィアのこと、モードレッドのこと。
彼女はずっと、誰かに聞いて欲しかったのだろう。
けれど、マスターである切嗣は彼女を道具として扱い、アイリスフィールは守るべき対象であり、聖杯戦争という戦いの場では弱音を吐くことも許されない。
だからこそ、かつて旅を共にし、自分の「弱さ」も「未熟さ」も知っている僕という存在が、彼女の閉ざされた心の蓋を開けてしまったのだ。
僕は、相槌すら打たず、ただ聞き手に徹した。
慰めの言葉も、否定の言葉も、今の彼女には不要だ。
彼女の魂に溜まった膿のような後悔を、すべて吐き出し切るまで、静寂こそが最大の救いになると知っていたから。
時折吹く風が、彼女の黄金の髪を揺らす。
その横顔が、語るごとに少しずつ、憑き物が落ちたように穏やかになっていくのを、僕は静かに見守っていた。
◇◇◇
夜の海風が吹き抜ける、埠頭の倉庫街。
コンテナが積み上げられた無機質な迷路の先に、そのサーヴァントは待っていた。
色男という言葉を体現したような美貌。右目の下の泣き黒子。
そして手に携えた長短二本の魔槍。
アルトリアが一歩踏み出そうとするより早く、僕は静かに声を放った。
「その戦装束、ニ槍の構えと呪いの黒子。──フィオナ騎士団のディルムッド・オディナ殿とお見受けする」
その言葉に、ランサーは驚愕に目を見開いた。
聖杯戦争において、真名の隠匿は鉄則。初対面の一発目でそれを看破されることは、自身の伝承を丸裸にされることに等しい。
だが、彼は怒るわけでも、無様に言い繕うわけでもなく、ただ感嘆の吐息を漏らした。
「……驚いたな。我が出で立ちから真名を看破するとは。貴殿の名は?」
向けられた視線は鋭い。だが、そこには騎士としての敬意がある。
眩しいほどに真っ直ぐすぎるこの男に対し、不誠実な態度は非礼にあたる。
僕はアルトリアの斜め前に立ち、背筋を伸ばして朗々と名乗りを上げた。
「我が名は境織姫。故あり影の国にてスカサハ師により鍛えられた、影の国の守衛にして王なり」
「──なッ!?」
ディルムッドの表情が凍りつく。
影の国。スカサハ。
それはケルトの戦士たちにとって、畏怖と憧憬の象徴たる魔境の名。
彼は即座に理解しただろう。目の前の「王」を名乗る者が、かの『光の御子』と同等の、あるいはそれ以上の伝説を打ち立てた存在であることを。
僕は彼の動揺をよそに、片手を胸に当てて深く一礼した。
「しかしながら、今はこの剣を我が君に誓いし一介の魔戒騎士なれば。同郷の伝説、先達である貴殿への助力、叶いませぬ非礼を深くお詫び申し上げると共に──その槍に高潔なる勝利を祈らせて頂きたい」
それは、敵対宣言でありながら、最大限の賛辞だった。
貴方とは味方になれない。だが、その武勇が曇ることは望まない。
騎士として、正々堂々とした死合いを望むという、僕なりの手向け。
ランサーはほう、と息を吐き、口元に清々しい笑みを浮かべた。
構えが、より鋭く、研ぎ澄まされたものへと変わる。
「影の国の王よりの言葉、痛み入る。己が主への忠義を貫くその姿勢、フィオナ騎士団の一員として、しかと受け取った」
彼は切っ先を、僕の後ろに控える「我が君」──アルトリアへと向けた。
「さあ、来られよ騎士らよ。このディルムッド、全霊を以てお相手致そう!」
僕は指先を走らせ、虚空に守護のルーンを三重に刻み込み、アイリスフィールの周囲に強固な結界を施した。
「え? 織姫さん、これは……?」
「下がっていてください、アイリスフィール。他の視線も気になりますが……それ以上に、今の我が君の近くにいるのは危険すぎる」
僕は、前方に立つ騎士王の背中を見据えた。
今のアルトリアには、彼女自身の魔術回路に加え、僕が「竜の心臓」となって無尽蔵の魔力を供給している。
サーヴァントという霊器の枠組みは、あくまで『騎士王』という概念を収めるための器に過ぎない。
最強の聖剣を手にする彼女にとって、魔力リソースという唯一にして最大の制限が撤廃されれば、どうなるか。
大気が震えている。
彼女の足元のコンクリートが、ただ立っているだけで発せられる魔力の重圧に耐えきれず、蜘蛛の巣状にひび割れていく。
そこに居るのは、使い魔としてのサーヴァント・セイバーではない。
かつてブリテンを統べ、竜の因子を持ち、戦場を駆けた『騎士王』そのものの顕現だ。
マスターである衛宮切嗣の、魔術師としては凡庸な魔力量という枷は、もう存在しない。
「……ふぅー……」
アルトリアが小さく呼吸をする。
それだけで、不可視の旋風が巻き起こり、周囲のコンテナがガタガタと音を立てる。
僕が張ったこの結界は、暗殺者からアイリスフィールを守るというよりも、これから始まる「エンジン全開のアルトリア」の余波から、彼女を守るという意味合いの方が遥かに大きかった。
「手加減は無用です、ランサー。今の私は……少しばかり、機嫌が良いのでな」
黄金の魔力が、陽炎のように彼女の鎧から噴き上がった。
「──参ります!」
アルトリアが短く告げた、次の瞬間。
爆発音が響いた。
否、それは彼女が「一歩目を踏み込んだ」音だった。
足元のコンクリートがクレーターのように陥没し、その反動と、背後から噴射された膨大な魔力によって、彼女の体は黄金の砲弾と化していた。
音速の壁すら置き去りにする、超加速。
「魔力放出」――通常であれば瞬間的なブーストに過ぎないそのスキルが、竜の炉心による無尽蔵の供給を得て、常時発動状態のジェットエンジンの如き推進力となっていたのだ。
「──ッ!?」
ランサー、ディルムッド・オディナの卓越した「心眼」は、辛うじてその軌道を捉えていた。
彼は反射的に、防御に優れた黄の短槍『
だが、彼が想定していたのは「英霊の斬撃」だった。
実際に彼を襲ったのは、「物理法則を無視した質量の暴力」だった。
金属音が、悲鳴のように倉庫街を引き裂いた。
接触の瞬間、ディルムッドは自分の判断ミスを悟った。
(馬鹿な、これが斬撃の重さだと!? まるで城壁が丸ごと降ってきたようだ……ッ!)
受け止める? 否、耐えられない。
彼の足は地面を滑るどころか、アスファルトを深々と削り取りながら後退していく。
「ぐ、おおおおぉぉッ!?」
神話級の怪力。
ディルムッドの身体は、防御姿勢のまま木の葉のように弾き飛ばされた。
背後にあった鉄製のコンテナを一つ、二つと紙細工のように突き破り、五十メートル後方の倉庫の壁に激突して、ようやく止まった。
瓦礫の中で、ディルムッドが身を起こす。
ただの一撃。剣と槍が触れ合った余波だけで、周囲の倉庫の屋根が吹き飛び、ガラスが全壊していた。
ディルムッドは、痺れた両腕を見つめ、自身の身体が震えていることに気づいた。
恐怖?
いや、違う。彼の口元が、自然と吊り上がっていく。
「ハ、ハハッ……! これは、デタラメだ……!」
もし完璧に受け流していなければ、自分は今頃、五体バラバラになっていただろうという確信的な死の予感。
その絶望的なまでの「格」の差を前に、ケルトの戦士としての血が、歓喜に沸き立っていたのだ。
「素晴らしい! よもや、これほどの怪物と刃を交える誉れに浴するとは……!」
彼は血の混じった唾を吐き捨て、震える手で再び双槍を構え直した。