After the surprised Rainy   作:くのみち

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第一章-②

そうしてプールを出た俺たちは、まずは小洒落た星五つの高級ビュッフェで優雅なランチを──と気が効いたプランのひとつでも辿れればよかったのだが、生憎先立つものもなく、そこらの洋食屋でのごく普通な昼食となった。

そこらの洋食屋といってもまったく知らない店ではなく、かつて悪友どもと一度だけ、この辺りに訪れた際についでに立ち寄った店ではあった。今日とて気心の知れている相手とはいえど、未知の店で相手に不味いものを食わせたとあっては気分が悪い。そんな店は谷口のやつがナンパで使う飯屋をうるさく聞いてきたときにでもあしらいがてら毒見させておけばいい。

それからついでに、この洋食屋がどんな店かというのも備忘録として触れておこう。そこは駅近くの大通りに面するビルの地下にあり、周りも派手な広告やら看板やらが多いので一見して目立つことはない。しかし一度入ってみるとそこは値段のわりには量も味もまずまず良く、特にパスタが美味い。それでいて決してガラガラではないが食べるのには苦労しない絶妙な人の入り……という訳で、またいつぞや訪れる日がないものかと密かに気になっていた店だった。SOS団のメンバーと来たりしたことはないが、いずれこの辺で何らかの活動をする機会があれば紹介してみてもいいかもしれない。

という訳でここは一応俺が立てた予定内の店なのだが、まあ特別なメニューを頼んだりすることもなく。それとなく佐々木にパスタをお勧めしてやると、通常サイズの和風パスタを所望した。

ちなみに俺は大盛りのカルボナーラ。冷静に考えれば通常サイズでもよかった気がするが、今はなんとなく見栄を張りたい気分だった。何より大盛り無料なのでね。お互い白いシャツなので、流石にトマト系は憚られた結果である。

 

これ幸いにと空いていたテーブル席に着き、各々の注文を済ませお冷に手を付ける。流石に朝比奈さんのティーブレイクには及ばないが、酷暑の中を切り抜けてきた身体にこの冷水はよく効いた。その冷却感は俺の中の細胞の隅々に行き届き、茹った体を急速にあるべき姿に戻していってくれた。

一方の佐々木はというと…そんな抗いがたき筈の喜びを即座に振り払いつつ、ほんの少しだけ暑さ由来のけだるさをブレンドしたような声色で、

 

「映画館に行くことを考えていると言っていたね。どんな映画があるかは調べてあるのかな」

 

と、手元の端末で何かを確かめていた。

見せてもらうと、そこにはまさにこれから向かうつもりでいた映画館の上映予定表が載っていた。やれやれ、スケジュールは任せられていたが、意外と色々やらせちまってるな。次があったらもっときっちり予定を立てるとしよう。

 

「実はそこまでだ。こういうのは即興的に二人でラインナップを見て決める、ってのもオツなもんじゃないか」

「一理ある。折角二人で観るのだから、互いの価値観を擦り合わせておくのも肝要だろうね」

 

なんてのも実のところ、半分本当で半分嘘の方便だ。実際には観る映画まで選定する時間がなかったのと、佐々木が好きなジャンルを今一つ把握していなかったのもある。

そこで、話題づくりも兼ねてどんなジャンルが好みなのかを聞いてみることにした。

 

「そうだね。子供の頃は分かりやすくアニメ映画なんかを観たりしたものだったけど。こういうシチュエーションであればもっと相応しいものがあるかもしれないね。例えばミステリーなんてどうだろうか」

 

それこそ年頃の男女のデートって奴には相応しくないんじゃないか。よりにもよって小難しいものを。

分かりやすく恋愛映画を観たいとかじゃないが、ホラーとかコメディ、アクションだっていいし最近じゃアニメ映画だってだいぶ受け入れられてる。いずれもまだカップル向けかもしれん。

 

「それにあたってはキョン、そもそも映画を観るということの意義を考えようじゃないか」

「映画を観る意義、ねえ」

「ただ観るだけじゃないよ。今我々が偽装しているような、「カップルが観る」という前提における意義だ。

そりゃあね、何十年も前だったら映画というものそのものが単純に娯楽の一つとして大いなる権威を持っていたことだろう。

けどね、今となっては娯楽の種類も多岐に渡る。一部のお堅い俳優や監督からしたら唯一のソレと認識しているかもしれないが、例えば今僕が触っている端末もまた娯楽の提供という一点においては無数の手段を講じられることだろう。

他方でそうだな、ブルース・リーは素晴らしい俳優で、武術家としての功も現代にまで影響を残している。彼は早くに死んでしまったけれど、彼の技術や考え方は現代においても截拳道などに代表される幾つかの形態で継承されているとのことだ。それ自体は大変な功績で偉大なことだが、映画という概念の面白さは決してそれとイコールにはならない。当然だけど、この世全ての作品に彼が出ている訳ではなければ、世の中の映画全てに武術が求められる訳でもないからね。

ともすれば少なくとも現代を生きる者にとって、必ずしも映画という選択肢は必須の娯楽ではないのだよ」

 

ふむ、御尤もだ。かくいう俺も好きなゲームや漫画のひとつやふたつはあるし、ちょっと続きを気にしているファンタジー小説もある。

場所やタイミングを考えれば流石に憚られるが、例えばくりくりとした大きな瞳でこちらを見つめているこの佐々木が万が一そのゲームにたまたま興じてくれていたとしたら、果たして『生魚のはらわたに入っている寄生虫はよく噛めば死ぬのか?』という話題だって振りたいくらいなんだ。ああ、これが生々しすぎるならもっと気楽な話題でもいい。戦場における段ボールの遮蔽効果だとか、あるいは天然パーマの男に悪い奴が居ないってのはどこまで蓋然性のある主張なのかとか。

またあるいはこのファンタジー小説と来たら、最後に本編が進んだのは六年前とご無沙汰になっちまってる。すぐに出せとは言わないが、作者サイドにおいては身体を壊さず製作が進んでいることを願いたいものだが。

 

「そこで、あえて映画というものを選ぶ意味とはなんだろうか。

それは、どんなものでも必ず一定の大きさのコンテンツであることが保証され、それ故一定の感想が必ず生まれて、一定の話題性が生じるからだ。まあ、本当に大昔のものはそうとも限らなかったようだけどね。そうしてコミュニケーションの種火になることで、人々は何がなくとも互いの心をあたため、翌日の糧にしていく。映画というのはこの確実性の高さが魅力のひとつと言える。

だって考えてもみてくれ、映画というたった一つの概念にどれ程の技術や人材が注がれていることやら。わかりやすい所で言っても、劇中歌を奏でる歌手や音楽家、そしてそもそものその曲、無数の俳優や声優。それからレイトレーシングやら超解像技術やらといった最新の映像技術形態などなど、掘り下げればそれはそれは人類の叡智が無数に転がり出てくる。如何様な作品であれ、これほど多様なものたちが入り混じった複合体が僕らの目と耳を占有するひと時は、きっとその上映時間の長さに比例してグングンと僕らのコミュニケーションを促進するだろう。

つまりねキョン、映画鑑賞というのはそれそのものが人々のコミュニケーションを生み出す金塊になり得るのだよ。そしてそれはカップルにも例外なく通ずる」

 

物は言いようだな。

けどまあ確かに、そこらで流行りの主題歌ってのはなんやかんや何年か経ったあとでも突発的なカラオケで手持ち無沙汰なとき頼りになったりもする。

オシャレだのなんだのの流行には疎くても、とりあえず最近観た映画の話でもしておけばそれとなくしのげる場面は少なくないというのは俺にもいくらか覚えがあった。

 

「だけど勿論その中でも更に、カップルで観る意義のあるもの、というのはやはり存在してくるだろう。

ここはまず少し一般化してみようじゃないか。キョン、人間関係を深めることにおける必須条件として『価値観の共有』は重要な要素の一つであることはキミも了解できるよね。そうして互いのことを知っていき、知らず知らずのうちに我々はその関係性を強固にする。

では価値観の共有はどのようなプロセスで行われるだろうか、と考えると、対話という形式がやはり最も手軽ではないかと思う。これは何がどこまでデジタル化したとしても、人間がホモ・サピエンスの形態を維持する限り越えられぬ壁であるはずだ。

何せ、語らうことが多ければ多い程その分お互いの接触時間が長引くのは自明だろう? キミが実感した経験はあるかは知らないが単純接触効果というものは本当に侮れない。

つまるところカップルで観る映画というのは、『互いの対話を少しでも多く生じさせる作品』こそが相応しい選択肢になる。そう僕は考えているんだ」

 

とどのつまりお前とすれば、そうした単純接触効果を一番望めるのがミステリーであると。

故に、デートでもミステリーが最適と言いたいのだな。

 

「然りだ。どの映画であってもあのシーンがすごかった、このシーンに感動した、といったことは簡単に語り合える。様々な感想で一定の対話は望めるだろう。感情的な機微の数々も語らえるだろう。

しかしミステリーに関してはそれにとどまらないのではないかな。展開の伏線であるだとか、解釈の余地だとか、動機だとか、登場人物の人間関係だとか、シナリオを語る上での大きな空白を残す場合も珍しくない。時間的制約の強まる映画であればなおのこと、完全な補完がされ切る保証もないし、ある程度続編を前提とした作りになっていることもあるだろう。

無論そうでない作品もあるだろうが、まあそこは可能性の問題だ。外れを引いてしまったら仕方ないが、その可能性が高い作品群の一つがミステリーであろうということは疑いの余地がない。……とまで言ってしまうのは流石に過言かな」

 

うん、同意を求められてもな。どんな映画を観るべきかだなんて話には生憎と深い造詣がない。今からでも古泉かTにでも電話すれば多少は面白い答えを貰えるかもしれんがね。

 

それに肝心のことを聞けていないぞ佐々木。確かにお前の言う通り、これが子供の教育方針とか何か、失敗したくないような事項であれば「であるべき」で選ぶかもしれない。

しかしだ、俺がいま聞きたいのは「お前がどうしたいか」だ。「かくあるべき」という理想論と、「そうしたい」という自分の願望は明確に異なる欲求だとは思わないのか。

その結果としてダメな映画に当たっちまっても、それはそれで向こう何年にも渡るお笑い種にはなるかもしれん。面白そうだという単純な感性にも従わずに無作為に映画を観ようもんなら、そいつが天使や悪魔でも良作に当たれるのは十本に一本がいい所だろうさ。

 

「……へえ?」

 

それからくく、くくく、と佐々木は思わず口を手に当て、今にも大口を開いて笑い出しそうなのを抑えてるかにも見えた。といってもあくまでポーズだけで、実際のところどう見ても、普段の微笑みに力なく利き手を添えてるようにしか見えなかったが。

ああ、実に不本意ながら俺もこの一年で物を楽しむということに掛けてはほんの少し才を磨いてしまったばかりに、こいつにこんな風に物言いをつけてもいいんじゃないかと思うことが来るとはね。

しかしそんなに笑うこともないんじゃないか。お前ほど頭が回る日は早々ないだろうが、俺なりにいろいろ考えて物を言ったつもりだったが。

 

「くっくっ……くくっ、ふふふふっ。……いや、失敬。誓って言うがキミを笑ったんじゃあないよ。自分の愚行に思わず大笑いしてしまいそうになっただけだ。

キョン、いまキミが今言ったそれは寸分の狂いもない正論だ。ああ、その通りだ。僕はどうもまだ猫を被り過ぎていたようだ。

気が向いたらその手で僕を撫でてくれよ。キミにこの顎を撫でられたらきっと猫と違って過敏に反応してしまうだろうから、それで人間は猫にはなれないことを自覚できるだろう」

 

悪いがここからじゃお前の頭まで手が届きそうにない。またの機会にしておくよ。

 

「残念だ、僕なりに猫の真似には一家言あったつもりだったのだけどね。

──さてとだ、愚行の詫びにもう一つの単純な理屈を提供しよう。僕が観たいものもまたミステリーだ。と言っても別にミステリー自体が特段好みって訳じゃない。

今日日映画でやっていそうなジャンルの中で考えると、なんとなくミステリーが比較的好ましかったのさ。昨日までと明日からの僕がどう思うかは分からないが、少なくとも今日たった今はそう思っている。相応しいだとか、そういうのとは無関係にだ」

 

そういうこと。俺が聞きたかったのはそれだ。

ただそれでいうと、申し訳ないが俺は小難しい話を聞きたいという気分でもないのだ。普段そう長く漬かることのないプールの水圧は実のところ確実に俺の体力を蝕んでおり、昼下がりなこともありひと眠りかましてしまいそうな予感がする。

そうした俺の不甲斐なさを鑑みた結果としては、「ふむ、ならばこういうのはどうかな……」と、佐々木が端末で見せてきた映画に決定したのだった。

 

 

その後は丁度いいタイミングで訪れた昼食を他愛のない話と共に味わい尽くす。思い出したかのように幾つかの話題を展開してみた。

 

ある時は、俺がちょっと気になっている漫画の話になった。

「キミから確率の話を振られるのは二度目かな、いいだろう。まずはあくまでもファンタジーの世界であるということはまず念頭に置かねばならないね。

さて……そもそも論だ。普通、飛行機が墜落したら一般的な人間であればその時点で死ぬ可能性が非常に高い。詳しい生還率までは僕も存じ上げないが、一度の墜落につきせいぜい一割もあれば上等じゃないか。それが三度も、となるとやはり限りなくゼロに近しいだろう。それに加えて船や潜水艇も沈没したとなれば、いよいよもってゼロと言っていいレベルだ。

夢のない話をするな、と言いたげだがね。よもやキミは墜落する飛行機から三度生還する予定でもあるのかい?」

 

そういう訳ではないが。世の中の無常さを憂いていただけだ。

ハルヒのような超常現象や他の連中のような人外こそ存在すれど、現代一般人の俺からすればやはりそれは遠い世界なのだ、と。

 

「そう悲しい顔をするなよ。あくまでも一般的な人間で考えた場合の話だ。

どちらかというと僕ならば『キミの乗る飛行機が墜落する』という事象自体がそもそも起きないと断言してしまえる。小さいころから未だ手放せない熊のぬいぐるみに、一度だけ離島で遭遇し今でも机上で僕を癒している珍しい毛並みの猫の写真まで賭けたっていい」

「どうして」

「それはそうだろう、何せキミにはあの涼宮さんがいるんだ。彼女に嫌われない限りどう考えても百パーセントで生き残れるだろう、効く限りではキミもまた貴重な団員のようだからね。何なら今からでも共にハワイに婚前旅行にでも行って確かめてみるかい?」

「はあ。そんな金があったらもう少しいい店を予約してるっつーの。大体婚前も何もプロポーズすらした記憶はない」

「全面的に賛成だ。仮にキミと行くならば、ハワイなんぞより箱根や別府のような温泉街がいい。その中でもなるべく人の少なそうな時期と宿を選んでね」

「人が少ないということはそれだけ質が悪いかもしれんぞ? 空いている方がいいというのは同意するが」

「ふむ──ひとしきり歩き、互いに疲労感を訴える身体を湯に沈め、肩を並べて緩やかに降り注ぐ粉雪に興じる。これもまた中々に貴重な時間になると思ったのだが。多少の質の悪さなどは忽ちに霧散するような、ひとかどの思い出を作れることは間違いなしだ」

「だといいがな」

 

そしてある時は、食事の最中にも。

軽い気持ちで頼んだ大盛りのパスタをどうにかこうにか苦戦しつつも食べきった時のことだ。

 

「時にキョン。キミは本当にまだ進路は一片たりも考えていないのか?」

 

ああ、生憎とな。

満腹この上なく、ほんの数口分程度しか残っていないスープですら飲み込むのに躊躇している今その話は必要な話かと心から訴えたかったが、頭のいいやつのこういう話は面倒でも一応しっかり聞いておく、というのもこの一年そこらでの学びだ。

例えば長門の言っていることがいかに難解、理解不能かに見えても、それを辿ってどうにか助かったことは何度もあったのだから。

 

「そうか。まあ、それもいい。

僕が思うにだ、きっとキミはまだまだモラトリアムを求めているし、そして恐らくその望みはまだ叶う。最低でもあと合計四年分くらいはね。僕もキミも、もう少しばかりは往来を護られた立場で出歩けるという訳だ。

そして──幸いなことに、中学の時僕らが知り合った時とは微妙に違って、受験まではまだ聊かの猶予がある。必要な準備量を考えるとあまり大きなことは言えないが、少なくとも今年いっぱいくらいまでは取り返しも付くだろう。

けれどね、生憎とキミに勤労意欲がある様には未だ見えないのも確かだよ。その一方でキミがピーターパン症候群に陥りそうかというと不思議とそういう未来も見えない。

であらば、心変わりがあった時に備えて少しばかりその目線を前に向けるというのも一つ……というのは、釈迦に説法だったかな」

 

御忠告痛み入る。

生憎と推薦入学には評定が足りそうにないので、ひとかどの勉学は修めねばならないやもと思う頃合いではあるのだ。

 

「ただ……まあ、キミの進路は何となく想像もつくし、然程心配もしていない。

これは他人事だからというのもなくはないが、流石に友人としてそれは薄情なので言っておくと、これもまた涼宮さんがキミの堕落を望むとはあまり思えなくてね。

彼女のような人物が、自分の横に居る人間の立場が低いことを良しとするとはあまり思えないんだよ」

 

一理なくはないがどうだかな、流石にハルヒの奴が俺如きの為にそこまで介入してくるとも思えん。

加えてそれに期待してはそれこそ破滅の一途だろうよ。人としても現実としても。

 

「うん、やはり少なくともキミの生涯の伴侶がティンカーベルになるということはないだろうね。そうなるとやはり一定の励みは必要になりそうだ。

ということで……そんなキミに一つ面白い問題を出してみようか。ことと次第によればキミの刺激になるかもしれない話題だ。

まずキミは直角二等辺三角形の面積の求め方は覚えているかい?」

 

既にパスタを食い終えていた佐々木は、どこからかメモ帳とペンを取り出してさらさらと正確な三角形を図示してみせた。「補足しておくと、この三角形の底辺と対辺は一、そして斜辺はルート二。まあ斜辺は使わなくていいけどね」

 

流石にその位はな。答えは二分の一だ。

幸いにして小学生のうちまではこれといった問題もなく付いていけていたものだ。いつぞやから俺は道を外してしまったのやら。

 

「よろしい。では次だ。その三角形を、こうして底辺を基準に二等分する」

 

佐々木は丁寧に図示された三角形のど真ん中に、惜しげもなく一本の線をびしりと引いた。

そして更に分割した図形に対し、これまた遠慮なく線を引いていく。

 

「それから更に二等分した二つの図形をまた二等分して、そうして更に二等分して……うん、これ以上は手が汚れそうだしこんなものでいいか。

このようにして二等分していく作業を任意回繰り返した時、この分割され尽くした図形の合計の面積はいくつだろうね。ああ、二等分線の太さについては考慮しなくていい」

 

ふむ。何の禅問答かは計りかねるが。線の太さは考えなくていいんだな?

だとすればそれはやっぱり元の三角形と同じ大きさなんじゃないか。幾ら分割したところで、その全てを足し合わせたなら一のままという他ないのではないか。

 

「ほほう。それは……ファイナルアンサー、でいいかな?」

 

ずいぶんと勿体ぶるじゃないか。この問題に何かそれほど崇高な問いかけが隠されているのだろうかと少し思案はしてみるが、なんとも心当たりがない。どうみてもただの算数の延長にしか思えない。

目の前の佐々木はというと、ただただ面白いものを見るような目で微笑んでいる。今の気分を表すのであれば、教師に対し自信満々で正しい答えを言ったところ『それはどうして?』と聞かれ、説明に窮した挙句何となくその答えを訂正したくなった時のような気分か。

とはいえ他に思い当たる道理もなく、佐々木の反応を待つことにして──十秒もしないうちに「正解だよ」と佐々木は素直に続けた。

 

「少なくとも僕の習っている幾何学の知識の範疇で見る限り、キミの答えは正解だ。いやはや、恥を忍んで告白しておくと厳密には「任意回分割する」という操作をしっかり定義しきっていなかったのは僕の落ち度だったが、意図を汲み取ってくれて助かった。

キミは存外、少なくともそう強く勉学というものに苦手意識を持たずともよいかもしれない」

 

そうだな、精々扇形の面積だとか二次方程式の解の公式とかだけで医学部にまで行けるってなら吝かじゃないが、現実はそう甘くないだろう。確かに解ける問題もあるとは思うが。

励ましてくれているのだろうが、気休めは不要だぞ。

 

「くっくっ……そういうことじゃない、直感と素養の問題だ。僕の名誉のためにも言うが、誓って気休めではない話題だ。

さてキョン、それなりに大事な話をしよう。この直線の太さを『前提としないことを前提とした上で尚』どうしても直感的に無視できない人というのは、どうしても居るものなんだよ。そこで第三者に教えを請うか、あるいは請うまでもなく指摘を受けてその場で修正できる人も居るけど、その結果として間違った答えを出してしまう人も少なからずいる。そして、こともあろうにそういう人に限ってその答えを是であるものと喧伝したりもする。

その点、キミは少なくとも問題文をちゃんと読める人間だ。悪辣なひっかけ問題に関してはさておき、素直な問題であればいずれ百発百中で解けるようになると太鼓判を押させてもらおう。

ああ、それと……加えてもう少し補足させてもらうと、少なくとも数学はそう絶望しなくてもいいはずだ。後は物理的な勉強時間とその為のモチベーションだね。

────まあそうは言っても、僕とてまだ哀れな途上の身でしかない。そんな僕に何ぞを保証されたところで、その信頼度は激流に頭を垂れる一本のしなびたワラにすら劣るかもしれないが」

 

だなんて、「そうか」としか返すしかない問答をしたり。

一つだけ言うと、お前がワラなら俺は多分いいとこそこらの雑草だだ。ワラなら一応人様の役に立つくらいはできるしな。なのでせめて、俺のためにももう少しばかり自信は持って欲しい。

 

「ただ一点、そんな僕の記憶と経験から言えば、キミに懸念があるとすれば現代文の小説かな。

まあ選択肢式であれば問題なかろうが、記述式は少々誰かに叩いてもらう必要があるかもしれない。それもこれ幸い、キミの話を聞く限りでは部活動に素晴らしい助っ人が居そうだから受験の打破までは差し支えないだろうね」

「ああ、重ね重ねどうも」

 

何故評論は問題ないのだろうか、小説だけ名指しなのか、というのは、最早俺には計り得なそうな話題だった。あちらから話題を提供してくれているのでまだなんとかなっているが、こちらから高校範囲の質問を投げかけるには聊か満腹が過ぎる。

ともあれ佐々木の自己に対する評価が如何程であるのかは不明だが、少なくとも俺よりは幾分も頭の出来が異なる。これは客観的に認められる事実だ。であらば、それなりに誉め言葉としては受け取ってもいいのだろうが。

 

 

その他にも、会計を待つ間や、支払いの間。様々なところで本当に他愛のない話ばかりを繰り返した。ここまで一個人に対して会話をし続けたのはいつぶりだろうね。

お冷やにコースのウーロン茶までしっかり飲み干したのに、早速また喉が渇きそうな勢いだ。佐々木の方はどうかは知らんが、いずれにしても外の酷暑は変わらない。

俺は酷暑と喉の渇きを一刻も早く解消すべく……しかし満腹なこともあってトータルでは普段とそう変わらない歩みで佐々木の手を再度引き、そう距離のない映画館へと足を運んだ。

 

その座席は佐々木の指定通り、最後列のど真ん中。上映開始から日数が経っているためか、然程人は入っていない。

曰く、より全体像が見渡しやすく、尚且つ背もたれを蹴られる心配もなし。

あまり考えたことはなかったが一つの道理は通る、俺は特に何も考えず佐々木の指定通りに席を取っていた。

 

 

して、肝心の映画の内容だが。

 

 

結論から言えば「ミステリーを題材としたアニメ映画」ということになった。昨今のアニメには疎くなりつつある俺でも、名前ばかりは耳にしたことのあるタイトルだ。

内容としてはまあ、それなりに原作前提ではありつつも、どうにか原作未履修でも追いつけるように工夫して作ってあったため辛うじて楽しむことは出来たといったところか。

といっても此度の映画はミステリーとは言いつつ、推理やトリックよりも激しいアクションシーンがまず主眼に置かれていたように思えた。個人的には佐々木のやつの舌を満足させられているものなのだろうか、と要らん心配をしつつもあった。

尤も映画館を出るなり開口一番「面白かったね」とあちらさんから言ってきてくれたおかげで杞憂に終わったが。

 

「確かにアクション偏重とは思ったが、アニメであることの意義を考えればそこはそれなりに得心は出来る。

ミステリーは基本フーダニット、ハウダニットが主流の中、映画という興行性が重要な媒体において敢えて傍流のホワイダニットへと焦点を当てきったことを僕はまず評価したいね。世界観故の合理的理由がしっかり添えられていたのも見事だった。あれは是非とも原作の小説も読んでみたいところだが、今日の今後の予定に本屋に立ち寄る余白はあるかい?」

 

ほほう、そこまで気に入ったとはね。俺は別に構わんぞ、何ならこの施設の別フロアにあったと思ったが。

 

「そうか……いや、やはりやめておこう。仮とはいえ今日はキミというパートナーがいるのだからね。本にかまけるのは失礼というものだ。

代わりに今度付き合ってくれないかい? キミもなんやかんや夢中で観ていたし、感想会も捗りそうだ」

 

いいだろう、その時はうちの司書殿もお連れしよう。

 

「──さて、お次はカラオケだったかな。

歌唱にはさほど心得がないので、代わりに今の映画の感想会に興じさせてもらいたいが」

 

そうだな、無理に歌う必要はないと思うぞ。

昨今はカラオケと言いつつも、そんなふうに普通に雑談したり飲み食いしたりで立ち寄るみたいな使い方も多いって話は見かけたから選んでみたのだがどうだろうか。

要は、ちょいと遊び疲れた時に体よく使える個室貸与サービスのようなもんだ。

俺も今の映画の顛末は色々と突っ込み所がある。お前の詰まった脳みそで、出来る範囲でいいから解説してもらいたいね。

 

「なるほど、最近の人々はずいぶんと豪勢なお金の使い方を試みるものらしい。

そこいらの市井のカフェを選ぶ場合と比べてこれといって益になるようなこともないとは思うが、キミがそういうなら乗ってみよう」

 

まあ確かに、既に我が財布からは五千円札が見事に消失していた。このままいくともう一人五千円札が生贄になっても不思議ではない。なるほど谷口がバイトを欠かさない訳だと勝手に納得していた。

かくいう俺も歌う気もないなら確かにどうかとも思ったのだが、かといって別の行き先もそこまでアテがない。とりあえず再び佐々木の手を引き、俺たちは適当なカラオケを求めて街へと繰り出した。

 

と、ここまでは、よかったのだが。

 

 

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