After the surprised Rainy   作:くのみち

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第二章-②

プルルルルルルルッ。

 

 

 

 

「どわああああっ!?」

 

 

突如、胸ポケットに入れていた携帯が鳴り響き俺は思わず素っ頓狂な声を上げて大横転した。

なんだ、なんだ!新手のドッキリか! いや、違う。実際にこの携帯は鳴っている。

慌てて床に落とした携帯を引っ掴み、誰からの連絡かも見ずに何とかズボンに押し込める。応答? 今はそんな場合じゃねえ!

神を一切否定する佐々木に対しこの俺はというと神の存在証明について半信半疑であったのだが、少なくともロマンスの神様とやらは今この瞬間に完璧な不在証明が為されたと言って過言ではなかろう。よもや『俺がたった今息を止めていた十数秒だけ居なかった』だなんて都合のいいことがあるわけない。

 

「……電話、出たらどうだい?」

 

あ、いいんですか。

 

「あ、ああ……」

 

たった今ようやくコール音の止まった携帯を開き、電話の着信欄を確認するとそこには一件。十数秒前に、見知った名前だ。

俺はすぐさまそいつに電話を折り返した。

 

「もしもし、俺だ」

『もしもし。オレオレ詐欺の方でしょうか?』

「とぼける為に俺に電話したのか? 俺の番号くらいとっくに登録してるだろ」

『っふ、冗談の一つを言いたいことくらい僕にもあるのです。こんな時なら猶更ね』

 

こいつ、なんつうタイミングでつまらん冗談を。今日の恩はあるが、それはそれとて今度一度パチキかましたるべきか。

 

「はぁ……で、何の用だ古泉。よもやそんな冗談の為だけに電話を寄こしたって訳でもないんだろ」

『ええ、あなたから不在着信が届いていたので、その御用の確認と連絡です』

「単純にそっちがどうしてるかと思っただけだ。それで連絡ってのはなんだ」

『実は不測の事態が起きておりまして。我らが団長閣下が、すぐにでもあなたを寄こすようにと。

彼女の携帯は今不調でして、圏外の状態から直らないのです。正確にはこちらでそのような状態にさせて戴いているのですがね。なので代理として僕がご連絡を』

「今日の活動予定はなかった筈だろ。何か余程のトンデモニウムでも見つけたのかあいつは」

『その真意は測りかねます。今僕は少し離れたところで会話していますが、すぐに涼宮さんに代わります。

詳細は後ほど、しかしあなたには死んでも……ああいえ、今死なれたら困るのでもう少し緩めますと、這ってでも来て頂く必要が出てきました。────『閉鎖空間』の出現が確認されています』

「な……っ」

『今現在、これまでにない多数のの情報爆発が確認されています。まだ対処できている程度の規模ではありますが……これであなたが来なかったとなると、いよいよ今晩から我々の安眠が約束されなくなるかもしれません』

「……あー、分かったよ。分かった。三十分……いや生憎とこちらもすぐには動けなくてな、我らが雑用係は突然のチフス菌とカンピロバクターに同時に苛まれているので更にプラス十分は許容するようにと言い含めておけ」

『善処しましょう。それでは…十数秒後に涼宮さんに代わります』

「おう、こっちもなるべく急ぐ。じゃあ後で」

 

そうして宣言通り十数秒の沈黙ののち、

 

『キョン!! 今あんたどこで何してんの!』

 

キィィィン…と耳鳴りがしそうな大音量をぶつけてきやがったこの大団長様は。思わず目を閉じ身を縮めてしまった。カムバック俺の聴力、この俺が神妙に耳に携帯を当てていたということもきっとこいつは思い至るまい。

思わず携帯から手を放してしまいそうになるところを、どうにかこうにか握力を維持して見せた。さっきも落としてしまったし、また落としてしまったら今度こそどっかが破損しかねない。

 

「何って、別に何も。古泉から聞いてないのか、悪いが三十分、いや四十分は掛かるぞ。こちとらいよいよ血戦の刻が来ていてだな……」

『あんたの腹の調子なんて聞いてないわよ! どうしてもってならこっちに来てあたしの話を聞いてから存分に喫茶店のトイレに籠るがいいわ』

 

駄目か。相変わらず無茶苦茶言いやがる。たまたま仮病だからいいが、本当に俺がウイルス性の腹の病気かなんかである可能性を一ナノメートルたりとも考えてないときた。いやまあ、仮にそうだとしたら、俺の腹痛はきっと忽ち治り切っているのだろうが。

 

『でもそうね、唐突の連絡であることは加味してあげましょう。あんたの言う通りきっかり三十分、それでいつもの喫茶店に来ること。もし遅刻したら五分ごとに罰金三割増しよ! 覚悟しておくことね! じゃ!』

「あ、おい、」

 

ツーッ、ツーッ……と、無慈悲な切断音が観覧車の中を鳴り響いた。

ああ、間違いない。この破天荒は。こいつは間違いなく涼宮ハルヒだ。この平穏は唐突に終わりを迎え、いよいよ以て俺は再びかの非日常に戻らねばならないことを確信した。背中に流れている汗は、このクソ暑いゴンドラのせいなのか冷や汗なのかどっちなのだろうかね。

何をどうしても疑いの余地なき純度百パーセントのハルヒを前にした──と言っても電話越しにだが──俺を見て、佐々木は今にも腹を抱えて笑い出しそうになっていた。

 

「変わらないようだね、彼女は」

「…………はあ。悪いな、なんか」

「いいとも。……お陰で、過ちを犯さずに済んだからね。

──ふむ。考えてみれば僕もどうかしていた。幾らデートの仕上げだからって、こんなところで、キミの唇を?

……くくっ。ふふふふ。ああ、きっとここにキミがいなければ、……くくっ。いや、キミが居たとしても……ふふふふっ。

この観覧車の中というロケーションでさえなければきっと腹を抱えてこの場で転げまわっていたかもしれないな。カラオケ等に向かっていなくて助かったよ、危うく更なる痴態を披露してしまうところだった。

これはフロイト博士もお手上げだろうね。夢にも思わないようなことをまして現実でこう実行に計ろうとしたのだから。今頃は草葉の陰で抱腹絶倒していらっしゃる。ああ、実におかしい。笑いをこらえすぎて涙すら出てきてしまった。ふう、いやはや自業自得だがね」

 

佐々木は今にも爆笑しそうになっているのを必死に抑えている様子だった。今度はただ手を添えているだけでなく、本当に湧き上がってくる衝動を必死で抑え込んでいるように見える。手の付け根で口元を抑えながら、器用に目じりに手をやっていた。

ここで横腹でもつっついてみようものならいよいよこの笑い袋を爆発させられそうだったが、これはこれで面白いので黙って見ていることにした。

 

やがて落ち着き、深呼吸した佐々木は忽ち普段通りの微笑を湛えた表情に戻り、

 

「通話の内容は僕にもよーく聞こえてきた。事情も理解したよ。うん、謝ることはない。すでに僕は充分に満喫しているから、そろそろ涼宮さん達にも譲らないと罰が当たってしまう。

それよりもだ、今は概ね登頂部をわずかに回った頃合いとなると、生憎僕たちに残されているのは十分もないくらいらしい。詳しい話は電話か何かで後日詳しくやりたいところだが、簡単に今日の感想戦と行こうじゃあないか。

改めてだがどうだった? 僕と過ごした今日一日は」

 

どうだった、か。有り体に言えば楽しかったよ。

お前は……聞くまでもないようだな。

 

「うん、僕もとても楽しかった。最後の最後で酷いオチをつけてしまったのだけ心残りだがね。──ああ。それともキミが望むなら、続き、その先をしてオチを変えるのも吝かでないよ?」

 

御厚意賜り痛み入る。だがやはりそれは、いつかの為に取っておけ。

俺もつい雰囲気に呑まれかけたが、お前にとって切るべきタイミングが別にあるはずだ。そして俺が思うにそれは、核爆弾のスイッチにも等しい切り札になるんじゃないかと思うね。

見てくれはいいんだからよ、相互確証破壊のジョーカーとしても上等すぎる。

 

「いつかの為にと来たか。以前のキミとの別れ際、勉学を志したのは間違いでなかったようだ。精々いいモチベーションにしようじゃないか。

それから、今日気付いたことがもうひとつある。僕は今日、僕なりに何かをしてみようと、何もしなかったことに対する再挑戦をも密かに企んだわけだが。仮にもしキミが望んだとても、やはり僕に涼宮さんの代役は務まりそうにないな、と痛感したよ」

 

うん? 何の話だ。今日散々に明け暮れたお前に告白してきた某の埋め合わせと、あのハルヒにはなんら接点がないように思うが。

 

「前にも言ったと思うがね、やっぱり僕には涼宮さんのような要領の良さはどうにも持ち合わせなさそうだということが分かったからさ。

うん、今日一日は実に貴重だったからね。キミはデートとは言いつつも、浮つくことなく常に一定の距離感で普段通りに僕と接して、それでいて気配りを怠ることなく、そこに余分な思い上がりもなく。これでは思わず気の使い方も忘れそうになるし、実際今になって振り返るとらしくないことを言ったと面映ゆくなる話もあった。これでは要領もよくなりようがない。

とはいえ彼のような人物と付き合ってやろうという度量もやっぱりなかっただろうな、と思う訳だ。結局は今の形に収斂しただろう」

 

そうだな、きっとお前にはもっとよく似合う奴がいる。練習台くらいならいつでも付き合うが、本番模試はもう少しまともなのを見繕うと良い。

 

「それはきっと、キミにとっても同じさ。キミが涼宮さんやそのご友人と話していた時の横顔。そのいずれも、今日僕と遊んでる時には垣間見えぬものだったよ。

今日一日、僕に対してキミが見せていた顔は出来る限り記憶しているつもりだったが、そのメモリーにあれらの表情はなかった。キミの表情は常に常に穏やかそのもので、それは大変に好ましくはあった。けどそれは無害なさざ波を見て、その波音を聴いて和んでいるときのような、旧知のなじみ深さという意味での居心地の良さだけだったんじゃないか?

ああ。もしやキミのことを親友、否……友人とすら、思うのが。

少し憚られるのではないかと思ってしまったほどに。通話をしている時の……キミの表情は輝いていたとも」

 

自嘲するように少しうつむいて、佐々木の語調は失われていった、しかし普段通り佐々木は唇の両端を上向きに曲げていた。

一見普段と変わらない、何かにとりつかれたかのようなアルカイックスマイル。だがどこかに哀愁のような、諦観のようなものを感じた気がするのは俺の気のせいだろうか。

 

そうして佐々木のことを眺めているうち、俺はこの瞬間、断固としてに言いたいことが出来ていた。

一日振り回しておいて今更何を言い出しているんだお前は。何かを誤解しているようにしか思えない……と。

 

「それは違うぞ」と。

 

「……キョン?」

「いいか、佐々木よく聞け。今だけはそのたっぷり詰まった脳を一時的にでも空にしてよーく聞け」

 

何だかこれだけは言ってやらないといけないような気がした。佐々木の肩を持ち、真っすぐに目を見て言ってやろう。

もし僅かでも目を逸らそうもんなら無理やりにでも向かせてやる所存だ。首や肩を痛めない範囲でな。

どこからこのエネルギーが湧いてくるんだか知らないが、俺の脳は急速にフル回転し、この頭でっかちにぶつけてやる言葉を超高速でリサーチし続けていた。

 

「確かにお前はあの破天荒な団長様やその愉快な仲間達の代わりにはならんかもしれない。いや、敢えて断言してしまおう。なる筈がない。

お前ならよく知っているだろう、奴らは比喩抜きの人外だ。この地球人類の凡人代表たる俺がなぜ仲間のままでいられているのか今でも首をかしげずにいられないレベルの超A級の逸脱者どもだ。

だけどな、それは逆も然りだ。お前もまた、誰かの代わりになることは決してない。奴らが俺にとっての人外代表だとしたら、お前は俺にとっての人類代表たる友人だ。

なあ佐々木、今日一日、どれだけ俺が心穏やかに過ごせていただろうかわかるか? こんな日は高校に入って以来の五百日余りでも果たしていくつあったことか。何せその五百日のほとんどすべてを人外に囲まれていたんだからな」

 

そうだ、全部本当だ。言ってやれ俺。なんなら五百日どころか、知覚してないだけでその三十倍以上はその人外連中と共にしているんだからな。今年はあんな最終日に課題を溜め込むなんてのはまっぴら御免だ。

確かにハルヒたちとの一日は何やかんやで大変に楽しくなっちまっているが、一方で今日のような平凡のような一日もまた確かに実に尊く、俺が求める高校生活の華々しい一ページであったのだと。

はっ、流石に唖然とはしていやがるようだ。そのまま最後まで聞きやがれ。

 

「生憎と俺も今の友達は多い方じゃない。ああ、必要なら数え上げてやろうか。

SOS団の四人と谷口と国木田。それからTの奴も数えていいか……あとは……鶴屋さんのこともカウントさせて戴くとして、更に今はいない嵐のような後輩もカウントして、そこにお前を加えてようやく十人にしかならん。

分かるか? そこからお前が手を引いたら、俺の高校生活は今後十パーセントオフで卒業するまで過ごすことになるんだぜ。

いいか繰り返すぞ。

我が貴重な青春の思い出の出力が! 十パーセント! オフだ!

お前仮にも俺の親友名乗りやがっておいて、そこからの欠席だけは認める訳にいかん。

 

──だからそれだけは訂正させろ。いいか、俺たちは間違いなく、少なくとも友人だ。立派なダチ公だ。

否この際だ、お前に倣って親友とだって言ってやる。いいな」

 

 

頭が良いだけの大馬鹿野郎が、とまで言い切りたかったがやめておいた。頭が良いだけの奴じゃないのはこの俺が一番よく知っている。

はあ、疲れた。何をこんな場所で俺はこんな分かり切ったことを主張しているんだか。暑さでいよいよどうにかやられてきてるのかもしれない。

 

 

一方の佐々木はというと──神妙な顔をしていた。おお、こやつこんな顔も出来るのか。

そして……なんだこの顔。凄まじく形容しがたい。といっても実際のところ物理的な動きは殆どなく、普段と殆ど変わらない微笑を張り付けたままではあるのだが──

 

ところでこれは俺の勝手な努力だが、俺は長門の表情を小数点単位、どころかもはや原子レベルでどうにか見極めんと、常々この双眸を酷使して眼力を鍛えている。

その上での所感で言えば──今の顔は泣き顔と、幸福そうな顔とが凄まじい勢いで交互に……いや何、泣き顔だと? いいやバカな。佐々木に限ってそれだけはない。それも俺の言ったことでとなれば、仮にあるとしてそれは笑いすぎで涙が出ているだけだろう。その時のこいつはいつぞやの周防九曜のように、馬鹿みたいだとケタケタ嗤っているに違いない。ああ、想像したら悔しくなってきた。

きっと俺の眼力もまだまだ青二才ということか──

 

ということで改めて形容しなおすとして、様々な表情が行き来して変移しているかのように感じられることコンマ数秒のことだった。

やがて佐々木の相貌は、完全に普段の微笑みへと回帰した。そうしてくっくっ、とこれまたいつものように声を出すと、

 

 

「……ふう、なんだいそれ。新手の告白かい? 

嫌だなあ、監視カメラか何かがついていたら誤解されかねない」

「なっ」

「いや、冗談だよ。──ありがとう、キョン。率直に、キミの言葉はとても嬉しかった。

 

……だがね、それこそ一つ訂正が要る。今はお互い高校二年生の初夏だ。高校生活が残り五百日だと大雑把に仮定して、今から十パーセントオフだとしたら全体への影響は五パーセントオフに留まる。簡単な割合の問題だね」

 

ああ、そんな細かなことまでは考えていなかった。

だがね、高々五パーセントオフとて俺の普段の懐事情に時として甚大な影響を与えるということは主張させてもらいたい。

 

「無論、その通り──無視できる割合でもないのは事実だ。キミは大気中の物質の割合を覚えているかな。窒素が約八割、酸素が約二割とされるが、実はその次に来るのは二酸化炭素ではなくアルゴンで一パーセント弱を占めるとされているんだ。

それ自体は人体への影響もほぼないとされているが、これが仮になくなってしまった時の影響は誰にもわからない。そしてここでひとつ仮定の話をしよう。この一パーセントのアルゴンのうち、更にほんの五パーセント。つまり大気組成全体でいえば零点零五パーセントが、例えばすべて二酸化炭素に変化したらどうだろう。今の二酸化炭素の組成割合は大気中に約零点零四パーセントとされているから、それが実に倍以上にも跳ね上がる訳だ。

さあ大変だ、今の数字ですら温暖化がどうのと叫ばれているのに、いよいよもって地球は死の星へと一直線……となるかどうかも分からないけど、ともかく甚大な影響が出ることは間違いないだろう。

──それほどの影響をキミに強いるというのはやはり聊か性急すぎた。失言を謝らせて欲しい」

 

ああ、そう来なくっちゃな。

お前には泣きっ面なんぞよりも、そうしていちいち小難しいことを話しながら浮かべる根拠不明の微笑のがよっぽど似合う。

もう、謝らなくていい、いつものお前に戻ったならそれで充分謝意の代わりになる。

 

「それはそれは、やはり今日の企画は成功だったと言わざるを得ない。最後に味噌をつけてしまったと思ったが、キミからあんなにも熱い言葉を賜れるなんてさ」

 

ああ──うん? ちょっと待て。ハメられたのか、俺は。

大昔にとあるゲームで、複数人で爆弾をパスし続けて一番最後に爆弾を持っていた者が爆死して負けというミニゲームがあったが、今まさに俺はそのゲームの敗北者に仕立て上げられてしまったと、そう言いたいのか。

惜しげもなく恥を重ね、あらゆる言葉を積みあげて尚。気概に満ちた、キミの冒険はここまでだ、と。

その証拠に、そうだよと言わんばかりに目の前の小悪魔はくつくつと笑っていやがる。出来ることなら一度この笑顔をどうにかして別の顔にしてみせたい。もちろん泣き顔は無しだ。せめて下品なゲラ笑いのひとつくらいは見てみたいものだ。

つまり何が言いたいかというとだな、みくるビームならぬキョンビームのひとつでもぶつけてやりたい気分だ畜生め。

 

「ああ、キミにもしもその気があるのならだが、再挑戦は受け付けようじゃないか」

 

勘弁してくれ。安易な再挑戦如きでお前に舌戦で勝てるようなら、俺は団内での立場をもう少し盤石なものにしていているはずだ。

尤もそんな世界線の俺はそもそも早々にハルヒを舌戦でどうにかし、今頃団員でも何でもないかもしれないがね。

 

「間違いない……っと、どうやら本格的に下の方に降りてきたようだ。支度を済ませよう」

 

見ると、先程迄あれほど遠ざかっていた地上までの距離が気付けば二十メートルを切ったかという程に近づいている。白昼夢の如き二十分間は、ここに幕を下ろさんとしていた。

お互いに床に下ろしていたカバンを肩にかけ直し、いつでも降りられるようにしておく。

 

「さて、と。あと二、三分といったところか。観覧車を降りるまでの時間もだが、僕たちの一日そのものも、だ。長いようで短かったね。

何度も言うが、本当に楽しい一日だったよキョン。

……そして確信した。やはり、キミは好ましい人間であることに。今後も懲りずに友人であって欲しいと思う」

 

そいつは光栄なことだな。俺からも頼むよ。

 

「次にいつ会うかは分からないが、そうだね。可能であらばまたこの夏休みに、というのは少し大変かもしれないが、少なくとも文化祭にはお邪魔させてもらおう。その時にはぜひ案内を頼みたい。

キミも忙しいだろうがその時は是非とも抜け出してきてくれよ、今日のようにね。

あの様子では今日だって本当は結構な無茶をしてきたと見えるが、一度通した無茶だ。もう何度かは通ることを期待するのは間違っているかな?」

 

いいや、今日行かねばならんのは本当にたった今決まったことだ。俺以外に無茶をさせたのは確かだし、あまり期待されても困るが。ったく、やれやれとしか言いようがない。ああなんでいつも、こう危険値大好調なんだろうな俺は。どう足掻いても逃げる前に厄介がやってくる。

そう嘆く俺に、くっくっと微笑んでみせる佐々木。ああ、完全にいつも通りの佐々木だ。

 

「精々励んできたまえ。思わず時間も空いてしまったことだし、この後僕はゆっくり本屋にでも行くとしよう。

──それでは最後の雑談だ。先ほど国語の講釈を軽く垂れたわけだが、キミにとって誤用の意味での『性癖』は一体なんなのかな」

 

おいおい、最後位はもう少し上品でもいいだろうによりによってそれかよ。まあそうだな、下手を言っても流れでうやむやに出来るだろうし少しくらいは開示してやってもいいだろう。

大したもんじゃないがポニーテールは好みだ。で、なぜか御看破されている通り眼鏡属性はない。名誉のために言っておくとスク水属性もな。

そして生憎、きっとお前が期待するような奇天烈な解答は他にも持ち合わせちゃいないと思う。

だいたいそこまで人の恥部を根掘り葉掘り聞こうとしやがって、お前はどうなんだお前は。さんざん人をからかっておいて。

 

「いやいや、僕は言うに及ぶまい。何せもうすでにキミに教えているんだから。忘れたとは言うまいよ?」

 

ああ? 教えただと? あのな佐々木、今そんな問答をする時間は……

 

って待て、ヤバい。俺が思ってたよりマジな時間だな。

気づけば俺の腕時計は既に先ほどの電話から十分近く経過していた。電車が上手く来れば信号の噛み合い次第でギリギリ、乗り過ごしたら遅刻確定ときている。

悪いが佐々木、あと十数秒後にこいつを降りたらすぐさま俺は全力疾走しなけれればならなそうだ。俺がソニックブームを出せるほどの速度で走れればその限りじゃなかったが、あいにくタイムリミットはどうにもあと二十分余りくらいしかないようでな。それらの談義は諸々落ち着いてからだ。

 

「ふふ、慌ただしいことだね。いいだろう。今のうちに別れの挨拶を済ませようか。

──今日はありがとう、我が親友よ。仮にもデートの〆だ、これくらいは親愛の証として受け取ってくれないか」

 

いよいよ扉が開かんとする十数秒前、佐々木は俺に握手を求めてきた。

俺の手は知らんが、いつになく熱く、湿った手だった。言われてみればこの中も、申し訳程度のクーラーは付いていたが結構暑かったしな。

 

「願わくば、この親愛が久遠のものであらんことを。またね」

「おう」

 

そして門が開き、雨上がりの蒸し暑い、けれどほんの僅かに爽やかになった外気に触れて。

再び俺たちは人の居ないところまではけてすぐ──「じゃあな」と手を上げ、俺は駅へと開幕スタートダッシュを決めた。ずり落ちそうなカバンを宥めながら、電光掲示板曰くちょうどあと数十秒で来ようかという電車に飛び乗るために。クラウチングスタートが出来ればベストだったが往来の場だったのが悔やまれる。

 

別れ際の佐々木がどんな面をしていたのかは分からない。何か声を掛けていたのかもしれんがそれもあいまいだ。

なにせ俺のタスクは今や全力疾走ただそれ一つにシフトしていて、振り向く余裕なんてないからだ。

今度は俺が背を見せて行く番だった。何か視線を向けていたりしたとしても、俺がそれに気づくことはない。

次の再会は宣言通りに文化祭か、それとももっと早いのか。あるいはもう二度と──否、それだけは先程の言葉が軽くなる。遅くともせめて同窓会での再会は望みたいところだね。

だからセッティングは頼んだぜ須藤、目当ての岡本も来るといいな。

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