——エイトマン・リボーン—— 比企谷8幡は鋼鉄の夢を見るか   作:りかるど

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序 章:再誕(リボーンズ)
第一話:比企谷少年の死


 

 

我ながら柄にもないことをしたものだ。比企ヶ谷八幡は、薄れゆく意識の淵で自嘲した。

散歩中の犬を庇ってトラックに轢かれ、頭を打ってお陀仏。自分らしくない最期だとは思うが、同時に、性根の腐った自分にしては上出来すぎる死に様だとも思えた。

 

(あぁ、小町。ごめんな……)

 

愛しき妹への謝罪が脳裏をよぎる。兄は先に天国へ行く。もっとも、自分のような存在にその資格があるかは怪しいものだが。

 

「……まだ、間に合う」

 

闇の底へ沈んでいく意識の中、誰かの声が響いた。それが神の裁きか、あるいは悪魔の誘いか。確かめる術もなく、八幡の意識は完全に途絶えた。

せめて生まれ変わったら、また人間でありますように。

それから、できれば——ぼっちじゃありませんように。

——

目の裏側がむずむずする感覚。眠りから覚める時に似た微かな不快感とともに、八幡は目を開けた。

視界を埋め尽くす白い光と、それ以上に眩しい妹の泣き顔。

 

「……あれ、俺……生きてる?」

 

掠れた声で呟く。その瞬間、比企ヶ谷小町が弾かれたように兄の胸へ飛び込んできた。

 

「お兄ちゃんっ!」

「……おう、なんだ小町。そんなに積極的だとお兄ちゃん嬉しくて本当に天国にいっちまうぞ」

「バカなこと言わないで! よかった……ほんとによかった」

 

妹の温もりを感じながらも、八幡は拭いきれない違和感を覚えていた。確かに車に轢かれたはずだ。死を覚悟した衝撃が、嘘のように消えている。

 

「まあ、紙一重で助かったというわけだ」

 

病室の片隅から、穏やかな声がした。白髪の老人が、柔らかな笑みを浮かべてこちらを見ている。小町が涙を拭いながら、その老人を紹介した。

 

「お兄ちゃん、この人が、大怪我したお兄ちゃんを助けてくれたんだよ」

「はじめまして、私は谷……谷 方位(たに ほうい)だ。普段は研究者だが、医者のようなこともやっている。よろしく、比企谷くん」

 

助けてくれた恩人に対し、八幡は精一杯の謝辞を口にした。

 

「あの、ありがとうございます。なんだかお世話になってしまったみたいで」

「いやいや、気にすることはないよ。目の前の怪我人を助けるのは、人として当然のことだからね」

 

谷と名乗った老人の言葉に、八幡は内心で感嘆した。これほどの善意を、嫌味なくさらりと言ってのける人間を彼は知らない。

谷は「明日にでも退院できるだろう」と言い残し、ジェントルマンらしく静かに病室を後にした。

 

「お兄ちゃん、本当にどこも痛くないの?」

小町の問いに、八幡は自分の体を確かめるように動かした。

 

「ああ、何だか知らんが全然痛くないな。それどころか、体が妙にスッキリしている。まるで……中身を丸ごと入れ替えたみたいだ」

 

その軽やかさは、どこか自分の体ではないような奇妙な感覚を伴っていた。

八幡は気分を変えようと、いつもの調子で妹をからかうことにした。

 

「それより小町、もっとお兄ちゃんに抱きついてもいいんだぞ。さっきの泣き顔にぐっと来た。もう一回『お兄ちゃんっ』て天使の微笑みで言ってくれ」

「ごみいちゃん、キモい」

「うん、すごくいい顔で傷つくことを言うなよな。それよりもっと近くでよく顔を……」

 

言いかけた八幡の思考が、唐突に凍りついた。

小町の姿を注視したその瞬間、異常が起きた。視界の端でノイズが走ったかと思うと、妹の着ている服が、まるで霧が晴れるように透けていき——。

 

「お兄ちゃん? 顔になんか付いてるの?」

 

全裸、ではない。皮膚すら通り越し、骨格や内臓の動きまでがリアルタイムの映像として脳内に直接流れ込んでくる。レントゲンを超えた超精密な透過映像だ。

八幡は己の異変に戦慄しながらも、兄として、そして一人の男として、冷徹な事実を網羅してしまった。

 

(……小町の膨らみは、控えめであった)

「お兄ちゃん?」

 

小町の怪訝そうな声が、静かな病室に響いた。八幡は呆然と立ち尽くし、妹の視線を避けるように顔を背けた。

 

「……小町よ」

「な、なに? 改まって」

「どうやら俺は、妹に欲情する変態野郎だったらしい」

「は? 何言ってんの?」

 

小町の冷ややかな声が突き刺さる。だが、今の八幡にとってそれは救いでもあった。

俺は兄貴失格だ、と心の中で毒づきながら、八幡はふらふらと立ち上がった。

「ちょっと外の空気吸ってくるわ……」

 

妹の裸を幻視するなんて、シスコンを通り越してもはや変態の域だ。事故の衝撃で脳の回路がショートしたのか。人間は死に瀕すると種を残そうとする本能が働くと聞いたことがあるが、まさかそれがこんな形で発露するとは。

 

「疲れてるんだよな……マッ缶で一服しよ……」

「ちょ、ちょっとお兄ちゃん! どこ行くの!」

 

小町の制止を背中で聞きながら、一歩を踏み出した。その瞬間、世界から音が消えた。

「……っ?」

 

体が軽い。羽が生えたという形容すら生ぬるいほどの浮遊感。

かつて感じたことのない全能感が全身を駆け巡る。——もう、何も怖くない。

キィィィィィィィィィン……。

遠くで空気を裂くような、金属質な音が鼓動のように響いている。

ふと周囲を見渡せば、廊下を行き交う人々はまるで彫像のように静止していた。顔を打つ風は水の中にいるような重みを伴い、走っているはずの足取りは、地面を滑るような感覚に変わる。

 

(頭が、熱いな……)

 

オーバーヒート寸前の計算処理を電子脳がこなしていることなど、今の彼は知る由もない。

八幡は無意識の加速の中で自販機を見つけ、お決まりのMAXコーヒーを購入し、一気に飲み干した。

 

「……フーーーーーーッ!」

 

ダイレクトに脳を叩くような強烈な糖分の感覚。だが、いつも以上にその後の「スッキリ感」が異常だった。頭のてっぺんから全身まで冷や水が通ったような爽快感。

だが、そのスッキリとした感覚に反比例するように、胸の奥にはぽっかりと穴が開いたような、正体不明の空虚が広がっていた。

 

「……あ」

 

窓の外に目をやると、ゆらゆらと赤い物体が宙に浮いていた。風船だ。

耳を澄ませば、止まった世界の中でも微かに聞こえてくる。母親に慰められ、泣きじゃくる少女の声。

 

(あらら……離しちまったのか。かわいそーに)

 

八幡は一度、目を逸らした。自分にできることなど何もない。風船はただ、重力と風に任せて消えていくものだ。

しかし、違和感があった。

 

(……遅いな)

 

いくらなんでも、飛んでいくのが遅すぎる。上昇するどころか、その場に留まっているようにさえ見えた。加速した時間の中にいる八幡にとって、重力すらも緩慢な法則に過ぎなかった。

 

(……もしかして、今なら届くか?)

 

根拠のない自信が脳内を占拠した。次の瞬間、八幡の体は窓から飛び出していた。

落下する最中、ここが何階だったかをぼんやりと考えたが、どうでもよくなった。

空中で風船をキャッチし、音もなく地面に着地する。

 

「えーと、さっきの子どもは……いたいた。あー、すいません」

 

話しかけられた母親は、幽霊でも見たかのように目を見開いた。

 

「えっ」

「この風船、その子のですよね? はい、どーぞ」

 

できるだけ不審者と思われないよう、努めて「普通」を装ったつもりだった。

だが、少女は八幡の顔をじっと見つめ、怯えたように口を開いた。

 

「こわい……お兄さん、目がお人形さんみたい」

 

その言葉に、八幡の心臓——超小型原子炉が、一瞬だけ不規則な振動を見せた。

その後のことはよく覚えていない。慌てる母親と泣き出す子を背に、逃げるように病室へ戻った。

少女の手に戻った風船は、八幡が加速を止めた瞬間、摩擦熱と圧力に耐えかねたのか、いつの間にか萎んでいた。

その様子を、物陰から見つめる影があった。谷博士だ。

 

「……早計だったとは、思わん」

 

博士は独り言のように呟く。

 

「大国に利用される破壊兵器にされるくらいなら、いっそ……」

 

八幡のひねくれた優しさは、鋼鉄の肉体を得ても変わることはなかった。自分以外の者を思い、慈しむことのできる彼ならば、この呪われた力をも使いこなせるはずだと、谷は確信していた。

 

「……こんなことを言うのは勝手かもしれんが、どうか君の力が、君の行く道の助けになることを祈る」

比企谷八幡。いや——。

 

「——エイトマン」

 

それは、鋼鉄の心臓を持った少年の、決定的に間違った青春のプロローグだった。

 

 

 




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