——エイトマン・リボーン—— 比企谷8幡は鋼鉄の夢を見るか   作:りかるど

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投稿遅れてすいませんでした。
本編を進める前に一度この話を入れます。



幕間:星天

 

 エイトマンと由比ヶ浜結衣による、学校の敷地を大きく巻き込んだあの激闘の結果、総武高校には突如として「二週間の臨時休校」という異例の措置が言い渡されていた。

 世間的には「周辺構造物の大規模な老朽化に伴う、緊急安全点検」という名目になってはいるが、その実、マシナリーと超能力者が派手に暴れ回った爪痕を隠蔽するための時間稼ぎであることは明白だった。

 

 そんな事件の余波が微かに残る放課後。薄暗い奉仕部の部室では、雪ノ下雪乃がいつもより早めに活動を切り上げようと、机の上の文房具を鞄へと片付け始めていた。

 

「とりあえず、今日の活動はここまでにしましょうか。学校側からも、なるべく速やかに下校するように通達が出ているものね」

「そうだねー。学校お休みになっちゃったし、部活も当分お休みかな?」

 

 由比ヶ浜結衣がのんびりと応じる。ガチの命の削り合いをやらかした当事者にしては、随分と緊張感のない会話だった。比企谷八幡はパイプ椅子に深く腰掛けたまま、所在なげに文庫本をめくっている。

 だがその時、部室の古めかしい木製の扉が、建付けの悪さをあざ笑うかのように勢いよく開き放たれた。

 

「せんぱいぃいいいいいいいーーーーーーッッ!!! 助けてくださいよぉおおおおお!!!」

 

 激しい足音と共に、息を切らした一色いろはが部室へと飛び込んできた。

その顔には、わざとらしいほどの大粒の涙(目薬でも使ったのだろうか)と、完璧に計算された半泣きの表情が浮かんでいる。

 いろはは雪乃や結衣には目もくれず、真っ直ぐに八幡の元へと突進してくると、ぱたぱたと両手を羽ばたかせて彼の制服の腕にすがり付いた。

 

「もう本当に無理です最悪です人生の危機です! 先輩しか頼れる人がいないんですぅ!」

 

 やけに肉体的距離が近い。柔らかい二の腕の感触が、衣服越しに八幡のフレームへと伝わっていく。

 

「──一色さん。まずは部長である私に話を通すのが、組織としての筋ではないかしら?」

 

 部室の温度が急激に氷点下まで下がった。

 声の発信源である雪ノ下雪乃から、いろはと八幡の二人に向けて、射抜くような冷徹極まる氷の視線が突き刺さる。その威圧感は、デーモン博士の放つ殺気とはまた違ったベクトルで恐ろしいものだった。

 

「ひゃいっ……! や、雪乃先輩、もちろん先輩のことも尊敬してますし頼りにしてるんですけど、こういう泥臭くて面倒な件は先輩(ゴミ箱)に押し付けるのが一番効率的かなって!」

「おいコラ、おまえ今サラッと俺のコードネームをゴミ箱に書き換えただろ。あと、わかったからあまり近寄んな。静電気でシステムが狂う」

 

 八幡は縋り付いてくるいろはの手を軽く引き離し、一歩距離を取った。

 実際問題、八幡の右目に内蔵された高性能複合センサーは、いろはの涙声の周波数も、潤んだ瞳の軌道も、その全てが「比企谷八幡を都合よく動かすために打算の上で捻出された作り物」であることを瞬時に算出し、赤字の警告ログを吐き出していた。

 相変わらず恐ろしいまでの猫の被り方というか、あざとい技術の塊である。とはいえ、それなりに付き合いの長さから八幡の電子頭脳もいい加減このパターンには慣れきっていた。

 

 そんな八幡の脳内解析など露知らず、いろははフリフリと涙目をアピールしながら、今度は極めて自然な動作で彼の制服の裾を小さく掴み、上目遣いで話し始めた。

 

「聞いてくださいよぉ。今回の臨時休校のせいで、来週開催されるはずだった『校内マラソン大会』が完全に中止になっちゃったんですよ!」

「ああ、そういえばそんな行事もあったな。走らなくて済むなら、生徒的には万々歳なんじゃないの?」

「一般生徒はそうですけど、生徒会は違うんです! 私、今回の大会の後に行う『打ち上げ慰労会』のために、業者とか会場の手配を進めてたじゃないですか!? 」

 

 ずいっと八幡に食ってかかるいろは。あまりにも近い距離に思わずたじろぐ八幡。不意打ちとはいえ必死な顔をした後輩の迫力に気圧される。

 

「なのに今さらイベント自体がキャンセルだなんて、そんなの生徒会長としての私のプライドが許しません! 予算の兼ね合いだって大炎上です! だから先輩、得意の汚い手段でなんとかしてください!」

 

 丸投げにも程がある依頼だった。

 とはいえ、生徒会主導の行事として、いろは自身が以前から張り切って取り組んでいたのを知っていただけに、いささか気の毒であることは事実だった。

 八幡が心中でほんの少しだけ同情を寄せかけた、その瞬間。

 隣から結衣が、ちょんちょんと八幡の肩を指先で突っついてきた。

 視線を向けると、結衣は無言のまま彼の腕をグイと引っ張り、いろはの視界から隠すようにして至近距離でこしょこしょと耳打ちをしてきた。その距離は、先ほどのいろはの比ではない。耳元に触れる吐息の熱が、八幡の音声集音センサーを激しく震わせる。

 

「ね、ヒッキー……。いろはちゃん、あの打ち上げの企画、すっごく楽しみにしてたんだよ? 毎日生徒会室で遅くまで頑張ってたの、あたしも知ってるし……。さすがに可哀想だから、なんとか助けてあげられないかな?」

「えぇー……」

 

 八幡がいかにもめんどくせーなといった顔を結衣に向けた。

 

「元はといえば、お前が学校であれだけ大暴れしてくれたせいじゃねえか。このエロヶ浜」

「なっ!?!?!」

 

 八幡が声を潜めてそう囁き返すと、結衣はと顔を瞬時に沸騰させた。耳の裏まで真っ赤に染め上げ、言葉を失って激しく狼動する。

 そのただならぬ空気に、机を片付けていた雪乃と、八幡の裾を掴んでいたいろはの手がピタリと止まった。二人は怪訝そうな、あるいは何か不穏なものを察したような表情で首を傾げる。

 

「……エロ? 何のことかしら、由比ヶ浜さん」

「エロ……? 先輩、今なんて?」

「な、なんでもない! なんでもないから!!」

 

 結衣は泡を食ったように両手を激しく振って否定した。

無理もない。つい先日、超能力の暴走と精神の錯乱から八幡を文字通り強烈に誘惑し、彼の膝の上に跨って妖艶に迫った張本人なのだ。あの時の記憶がフラッシュバックした結衣は、完全にパニックに陥っている。

 

「あの時は、ほら! 本当にどうかしてたからノーカン!! あと『エロ』言うなしって前も言ったじゃん!ヒッキーのばか!!」

(……アレを簡単に忘れろって方が無理な相談だっつーの)

 

 顔を真っ赤にしてプンスカと怒り狂う結衣だったが、そんな言い訳をされたところで、八幡の超高性能電子頭脳(メモリー)を欺くことは不可能だった。

 八幡のメモリーには、あの時至近距離で妖しく微笑んできた結衣のエロエロな表情、そしてスラックス越しに伝わってきた、彼女の太ももの生々しい肌の熱、肉の柔らかい感触が、1バイトの狂いもなく完璧に記録されている。生身の人間ベースが女子への免疫皆無な比企谷八幡である以上、脳裏に焼き付いて離れるわけがない。川崎沙希に不意打ちでキスされた時といい、サイボーグの強固なフレームでなければ間違いなく心臓が爆発していたレベルの刺激だった。

 

 八幡は内心で小さくため息をつき、頭を切り替えた。

 確かに結衣の言う通り、自分たちのエイトマンとしての死闘のシワ寄せが、一色いろはという一般生徒の不利益に繋がってしまったことには、少なからず負い目を感じていた。面倒臭いことに変わりはないが、奉仕部として手を貸すこと自体には、八幡の心情的にも反対ではない。

 八幡は文庫本を閉じ、パイプ椅子から身を起こして雪乃へと向き直った。

 

「……で、どうするよ、雪ノ下。一応、奉仕部として話だけでも聞いてやるか?」

 

 雪乃は人差し指を綺麗に整えられた顎に当て、ふむ、と考える素振りを見せた。その知性的な瞳が、一色いろはを静かに見つめる。

 

「一色さんの熱意と、直面している問題の深刻さは理解できたわ。けれど現実問題として、学校側は『臨時休校中の不要不急の外出』を厳しく禁止しているのよ? そんな状況で、生徒が多数集まるような打ち上げ会を行うのは、教育上の観点からも不可能に近いのではないかしら」

「あ、やっぱりそこ突っ込みますよね……」

 

 いろはが分かりやすく肩を落とす。さらに雪乃は淡々と、しかし決定的な核心を突きつけた。

 

「それに第一、肝心のマラソン大会自体が消失したのよ。本番が存在しないのに、何を名目にして『打ち上げ』を行うというの? 大義名分が立たないわ」

 

 雪乃の指摘は、ぐうの音も出ないほど正論だった。

 

 1. 業者のキャンセル料を回避したい(いろはの予算の都合)。

 2. 学校側からの「不要不急の外出自粛」

 3. 大会そのものが無いため、開催する理由がそもそも存在しない。

 

 目の前に突きつけられた三重苦の難題に、部室の空気は再び重く沈み込んでいく。

 

「やりかけの企画をなんとか通したい、か……。おまえってほんと、面倒な依頼ばっか持ってくるのが上手いよな」

 

 八幡はパイプ椅子に深く背を預け、気だるげに天井の一点を見つめながらぼやいた。その投げやりな言い草に、いろははムッと頬を膨らませて抗議の視線を送る。

 しかし、そんな態度とは裏腹に、八幡の超高性能電子頭脳は、目の前に突きつけられた矛盾に満ちた難題を打破するための回答をすでに高速演算し始めていた。

 

「まぁ、何も手がないって訳じゃない」

「え、先輩、なんかいい方法でもあるんですか!?」

 

 ボソリと零された呟きを耳聡く聞きつけた一色いろはが、獲物を見つけた肉食獣さながらの勢いでずいっと顔を寄せて迫ってきた。雪乃と結衣の二人も、相変わらずこういう時の決断と悪知恵のキレが良い八幡を、興味深そうに見つめている。

 

 八幡は手元の缶マックスコーヒーを一口啜り、脳細胞に糖分を行き渡らせると、かったるそうに立ち上がった。そして、部室の隅に放置されていたホワイトボードをガラガラと音を立てて中央に引っ張り出す。

 キュキュキュ、と小気味よいマーカーの音が部室に響き、先ほど浮上した三つの問題点がホワイトボードに瞬時に箇条書きにされていく。

 

「まず一つ目。予約をキャンセルしたくないって点だけど、構わねぇからこのまま『予定通りやる』って確定事項で進めろ」

「え? で、でも、いいんですか……?」

 

 こともなげにあっさりと言い放った八幡に、いろはは目を丸くして面食らった。そんな後輩の動揺を余所に、八幡はさらにマーカーを走らせていく。

 

「おまえは生徒会で企画したあのイベントを、どうしても実行したいんだろ? ならまず、何が何でも絶対に開催するという条件を固定して話を進める」

「そうね……。一色さんの主たる要望がそこにあるのなら、それを変えないで進めるのが前提条件ね」

 

 雪乃が腕を組み、八幡の意見に同調するように深く頷いた。クライアントの要望は全面的に否定せず、可能な限り叶える。それが奉仕部の理想であり、同時にもっとも難しい部分でもあった。

 

「で、やるのは変わらんが、マラソン大会の打ち上げって内容に意味が無いなら、イベントの名目自体を変えるのが一番手っ取り早い」

「えーと、つまり……どういうこと、ヒッキー?」

 

 結衣が不思議そうに首を傾げる。八幡はホワイトボードの文字を指先で叩いた。

 

「まず、マラソン大会は体育の成績をつけるのにも必須だから、学校側としては絶対なんらかの形でやると決まっている。たぶん、この臨時休校が明けた来月かその辺りだ」

 

 マラソン大会というのは単なる年中行事というだけでなく、生徒の体育の成績や単位に直接絡んでいる場合が多い。その場合、完全な中止ではなく「後日開催」という線は十分にあり得る話だった。

 

「そのあたりは、後で平塚先生に確認をとってみる必要があるわね」

「そうだな、今日の部活が解散したら職員室に行ってみるか」

 

 雪乃の確実な提案に頷き、八幡は再度ホワイトボードに向き直った。

 

「話を戻すぞ」

 

 少しやる気のない口調ではあったが、八幡がそう告げると、いろはは先ほどまでのあざとさを引っ込め、割と真剣な面持ちで続く言葉を待った。なんだかんだ文句を言いつつも、土壇場でいつも歪んだ正解を叩き出してくれるこの先輩を、彼女は深く頼りにしているのだ。

 

「マラソンは後日やる可能性が高い。大会という大々的な形式じゃなくなっても、ちゃんと授業の一環として走らされるはずだ。それなら、打ち上げをやる予定だった会場と予算、内容はそのまま流用して、『本番の前日に行うイベント』として消化しちまえばいい」

「あ、それって……たしか……生徒会とかでよくやる、送る会? だっけ?」

 

 結衣がポンと手を叩いて記憶を手繰り寄せる。

 

「壮行会よ、由比ヶ浜さん」

「あー、ゆきのんそれだよそれ! そう、壮行会!」

 

 すかさず入った雪乃の訂正に、結衣が嬉しそうに同意する。八幡の提案は、集まる集会そのものの名目を、ご都合主義的にすり替えて強行するという極めてグレーな力技だった。

 

「壮行会ってのは普通、大会に出る選手とか、結果を期待されてる奴を激励するって内容だよな。この場合、一色が送り出すべき生徒側の主役といえば……」

「葉山先輩……ですか?」

 

 いろはの目が、合点がいったようにきらりと輝いた。

 

「そうだな。大会二連覇がかかった葉山を本番前に激励するっていう『応援イベント』って内容にすれば、大会が終わった後を労う打ち上げの代わりとしちゃ問題ねえだろ。おまえの計画的にも、都合が悪いわけじゃないはずだ」

 

 元々いろはにとって、この企画の中心に据えたかったターゲットは葉山隼人だった。マラソンの前か後かが変わっても、その中心人物に変わりがなければ、いろはのプライド的にも生徒会の予算的にも矛盾は生じない。

 

「それなら全部そのまま使えます! ……あ、でも先輩、まだアレが残ってますよ。不要不急の外出禁止の件はどうするんですか?」

「まぁ、これはなんとかなるか」

「なんとかって……先輩、そこが一番言い訳できない難しいポイントだと思うんですけど」

 

 いろはの最もな指摘に対しても、八幡の電子頭脳はすでに最適解を弾き出していた。

 

「不要不急がダメなら、不要不急じゃないようにすればいい」

「打ち上げにしろ壮行会にしろ、開催するのが必要だってことが説得できればいいんだろ。差し当たってまずは平塚先生に許可取る所か」

 

 パイプ椅子から腰を浮かせ、当たり前のようにそう告げた八幡に、いろははあからさまに拍子抜けしたような顔で目を丸くした。

 

「許可取るって先輩、意外と普通なんですねー? もっとこう、裏から手を回すような底意地の悪い、捻くれた案を出すと思ったんですけど」

「おまえ、俺のこと碌でもない悪党かなんかと思ってるんじゃないか? 傷つくなぁ、俺のアイアンハートが粉々だわ」

「確かに比企谷くんにしては真っ当すぎて気持ち悪いわね。どこか頭でも強く打ったのかしら? 保健室へ行く? もしくは修理が必要かしら」

「打ってねぇし修理もいらねぇよ……」

 

 気味が悪いものでも見るかのように引いた視線を向けてくる雪乃に、八幡はゲンナリと肩を落とした。いつも斜め上の奇策や汚い手段を提示する八幡から出た「教師の許可を得る」というあまりにも健全な提案に、部室の二人は本気で困惑している。

 

「話を戻すけどな、別におまえら生徒会は悪いことしてる訳じゃないんだ。不慮の事故で中止になっただけで、生徒がやらかした訳でも千葉が戦争になった訳でもない。ただ学校の校庭とかが原因不明の爆発したってだけだからな」

「うーん……そう言われてみれば、そうとも言えるのかな?」

 

 爆発の直接的な原因である結衣が、どこか気まずそうに人差し指を頬に当てて唸る。

 警察などの国家機関を除けば、真相を知っているのはここにいる八幡と結衣、そして沙希と平塚先生だけだ。彼らが口を噤んでいる以上、大義名分さえあれば壮行会開催が不当なものではない──という、見ようによっては極めて八幡らしい詭弁ともとれる理屈だった。物事の角度を変えて正当化するという意味では、やはりいつもの比企谷八幡だった。

 

「なら、自分たちが正当だと押し切るための言い訳が必要ね。そういう小賢しい口先の弁は、あなたが考えた方が良いのかしら?」

「いや、俺より一色がマジメに考えた方が良いと思う。生徒会長になって数ヶ月経つけど、一色なりに生徒会を回してそれなりに実績あげてるしな。誠意を込めてやれば伝わるぞ。たぶん」

「た、たぶんですか……」

 

 肝心なところで曖昧に濁す八幡に、いろははがっくりと肩を落とした。

だが、この場にいる奉仕部の面々は皆、いろはが生徒会長として日々精一杯その務めを果たしていることをよく知っていた。八幡の言う通り、下手に策を弄して大人の警戒を誘うより、彼女の真っ直ぐな実績を盾にして真正面からぶつかる方が、ずっと効果的に思えた。

 

「じゃ、早速先生の所へ行くか」

「そうね。行きましょう一色さん」

「はーい!」

 

 話は決まったとばかりに立ち上がり、スタスタと部室を出ていく八幡。それに雪乃といろはが続く。

 

「あ、待ってよヒッキー!」

 

 結衣も慌てて制服のスカートを揺らしながら、三人の後ろを追いかけていった。

 

──

 

 

「ふむ、一色の言う通り、打ち上げを壮行会に変更して実施するという件については、特に問題は見当たらないな?」

 

 職員室のデスクで、平塚静は一色いろはから提出された企画書に目を落とし、実にあっさりとそう告げた。

 

「そうですか! じゃあ……予定通り開催しても大丈夫ですか?」

「ああ。だが、あんなことがあった直後だ。あまり遅くまでは許可しないし、規模も縮小して、あくまで選手の激励をメインとすることは忘れるなよ。いいな、あくまで激励という建前が重要なのだからな?」

「はい! そこのところはバッチリ理解してまーす!」

 

 いろはが『生徒会長』として平塚に堂々と交渉している様子を、奉仕部の面々は少し離れた側で静かに見守っていた。

 会長であるいろはがメインとなって交渉を進めるのは当然の光景だ。しかし、もしここで奉仕部の誰かが前に出て交渉を代行してしまえば、壮行会という行事の政治的な重要度や意味合いが変わってしまっただろう。奉仕部はあくまで生徒会から補佐を頼まれた外部組織という一線を、決して崩してはならないのだ。

 

「それにしても、また一色生徒会長が奉仕部に泣きついたかと思っていたが、意外と真っ当に話に来るとはな。比企谷か雪ノ下あたりに折檻でもされたか?」

「べ、別に怒られてませんよー!」

 

 平塚がニヤリと意地悪く視線を投げかけてくると、いろはあたふたしながら抗議の声を上げた。そんな賑やかなやり取りを眺めながら、平塚はふっと優しい表情を浮かべ、タバコに火をつけようとして思い留まり、小さく呟いた。

 

「……まぁ、こういったイベントというのも、『今の』君たちにとっては必要なことかもしれないな」

「あ……」

「……そうですか」

 

 平塚の視線が、ちらりと結衣と八幡の方へと向けられる。

 あの凄惨な魔女エスパー事件を通して、辛いことや苦しいことを文字通り命懸けで乗り越え、いまここに立っている二人の教え子。学校生活の延長線上にある他愛のないイベントに関わることで、ほんの少しでも普通の高校生としての安寧を享受してもらいたい──それは、全ての真相を知る平塚の、教師としての、そして大人としての不器用な気遣いだった。

 

「あ、あの、平塚先生……」

 

 結衣が、おずおずと平塚に向かって一歩踏み出した。そして小さく一息を吐いた後、思い切って真っ直ぐに平塚の瞳へと視線を合わせた。

 

「……ありがとうございます」

 

 結衣の心の底から溢れ出た感謝の言葉に対し、平塚もまた、教え子の想いをしっかりと受け止めるように優しく微笑んだ。

 

「気にするな。これも教師の務めだよ」

 

 事件の深い傷を抱えながらも、彼らの日常は、確かにこの場所で繋ぎ止められようとしていた。

 

 

──

 

「次、カルーアミルク二杯とスクリュードライバー三杯。あとモヒート追加。総製作時間約二分十七秒……開始」

 

 伝票を排出する小さなプリンターが、容赦なく次のオーダーを吐き出し続けていた。

 

 腐った──というより、完全に冷徹な機械そのものの光を右目に宿しながら、八幡は次から次へと舞い込むオーダーを無表情で捌き続けていた。

 

 臨時休校中のとある一日。生徒会主催の打ち上げ会は、八幡の出した屁理屈通りに「葉山隼人のマラソン大会二連覇に向けた壮行会」として予定通り開催され、今、八幡は究極のバイト戦士として鋼の滅私奉公を実践していた。

 借りた制服は、激務をこなしたとは思えないほどピシッと整っており、ジュースやグレナデンシロップの飛沫一つ付着していない。シャカシャカと残像が生じるほどの恐るべきスピードでモクテル(ノンアルコールカクテル)を作り続けるその姿は、人間の千倍の働きをするというエイトマンの面目躍如といったところだった。

 

 折本かおりのバイト先を借りて行われた壮行会は、当初の予定より小さな規模となったものの、かなりの盛況を見せていた。フロアの面子を見れば、主役の葉山グループをはじめ、天使の如き微笑みを浮かべる戸塚、さらにはなぜか招待もされていないはずの材木座までが紛れ込んでジュースをすすっている。すでにスタートしてから一時間とちょっとが経過していた。

 

 だが、そんなフロアの活況をよそに、淡々とグラスを満たし続ける八幡の心中は、やはり『ダルい』とか『しんどい』とか『働きたくねぇ〜』という純粋な怠惰の精神に支配されていた。

 例えるなら、激しい睡魔に襲われてこっくりこっくりと船を漕ぎながら、手元だけで落ち物パズルゲームを延々とパーフェクトにこなしている状態だろうか。脳を半分スリープモードにしながらも、エイトマンの演算能力は一滴の狂いもなくレシピを遂行していく。

 

 そんなことを考えていると、カウンターの向こうから折本がぱたぱたとやってきた。

 

「比企谷ぁ、交代。休憩入っちゃって」

「おーう。あ、そこにあるベースのやつ、それ持ってったらもう在庫ないからな」

「ん、おけー。雪ノ下さんも休憩入っていいよー」

 

 だいぶピークが落ち着いてきたのか、ホールの方からもまったりとした空気が漂ってくる。

 ドリンカーを交代した折本がフロアに向けて声をかけると、客席の彼方から、ふらふら、へろへろと疲労困憊した雪ノ下雪乃がよろよろとした足取りで歩いてきた。

 

「まーたあいつ、体力無いのに限界までがんばってんのかよ……」

 

 それでも、慣れないトレンチを抱えながら完璧にオーダーの配膳をこなす辺り、その完璧主義ぶりには尊敬すら覚える。

 八幡はあらかじめ、オーダー用とは別に作っておいた冷えたジョッキをカウンターにトンと置いた。

 

「おつかれさん。それ、作っといたから飲んどけ」

「ありがとう……。本当に疲れたわ……。思っていたより、ずっとハードね……」

 

 雪乃は魂が抜けかけた顔でジョッキを両手で愛おしそうに抱え、救いを求めるように一口、勢いよく煽った。

 

「────ぶはっ!?」

 

 その瞬間、目を限界までまんまるに見開いた雪乃が、思い切り盛大にむせ返った。

 

「どした。気管に入ったか? もうちょっとゆっくり飲め」

「────……!!」

 

 プルプルと小刻みに震えながら、ジョッキを抱えてカウンターに蹲る雪乃に声をかける。やがて、ガバッと勢いよく顔を上げたかと思えば、その美しい瞳に涙をいっぱいに溜めながら、怒りと戦慄の混じった表情で八幡に詰め寄ってきた。

 

「比企谷くん……これ……一体なんなの……!?」

 

 いまだ微かに震える手で、未知の劇薬でも突きつけるかのようについっとジョッキを八幡の前に差し出す。

 

「なにって……。めっちゃヘルシーで旨い、どんな疲れも一瞬でぶっ飛ぶ俺特製のスペシャル・ハイドロ・ドリンクだけど」

 

 それは八幡が日頃から愛飲している「マックスコーヒー」をベースに、独自の製法で極限まで濃縮・強化した究極の糖分補給飲料だった。

 

 作り方は至ってシンプルである。

 

 まず市販のマックスコーヒーにポーションシロップをしこたまぶち込む。そこにショ糖よりもキレがあるグラニュー糖を大さじ五杯投入。しっかり攪拌した後に、滋味深い麦芽糖で全体の味をマイルドに整え、最後に上から濃厚なホイップクリームを山盛りに乗せ、チョコレートソースを贅沢にトッピングすれば出来上がり。

 

「名付けてギガ・マックス・コーヒーGPR(ゴールデンパワーリミックス)。これさえ飲めばシフト明けの憂鬱でダルイ気分ともおさらばできる、一撃必殺のパーフェクト・ドリンクよ」

「血糖値スパイクで頭が破裂するかと思ったわ。いいえ、血管が消滅した感覚だわ……。こんな、アリしか喜ばないような劇薬ばかり飲んでいると、そのうち本当に死ぬわよあなた」

「なに、アリしか喜ばないだと……?」

 

 雪乃の割と真剣な指摘に対し、八幡の電子頭脳が過剰反応した。『アリしか喜ばない』というフレーズが、どうしても聞き捨てならなかったからである。

 

「雪ノ下……おまえも小町と同じことを言うんだな……」

「小町さん?……もしかして、あなた、前科があるの?」

 

 それは以前、川崎の家に行って大志の勉強を見てやった時のこと。あの日、ちょうど小町も一緒に来て二人の勉強を見た後の休憩タイムに、兄手ずからこの黄金比率ドリンクを振る舞った際、最愛の妹から下されたあまりにも残酷な評価を忘れていなかった。

 

『あのさあお兄ちゃん。せっかく作ってもらってなんだけどさあ、こんなグチャグチャしたアリの餌みたいなものより、ちゃんとした水分飲んだ方がいいよ。ていうか死ぬよ』

 

 ついでに、その横で出された大志のコメントも脳裏をよぎる。

 

『すいません比企谷先輩……これ普通にキッツイっス。甘すぎて舌が痺れてなにがなんだか……。忌憚のない意見ってやつっス』

「あの時の小町の視線は、実の兄をまるで使えない粗大ゴミかガラクタを見るような冷徹な視線だったぜ……」

 

 トラウマを遠い目で語る八幡に対し、雪乃はジョッキの上のホイップクリームとチョコレートだけをスプーンで器用に掬い取りながら、あの時の小町すら凌駕する絶対零度の冷徹な眼差しで八幡の全身を刺し貫いた。

 

「小町さんの判断は極めて正常だわ。あなたの味覚が粗大ゴミかガラクタ並みだということは、今ので嫌というほど理解できたわ」

「どうせ俺の味覚は粗大ゴミ並みのポンコツですよ」

 

 雪乃のあまりに辛辣な言い草に、八幡はすっかり不貞腐れて口を尖らせた。だが、雪乃はそんな彼の態度をからかう風でもなく、少し言葉を切ると、どこか柔らかい響きを帯びた声で言葉を続けた。

 

「でも……あなたがフロアの状況を見て、ドリンクの提供速度を微妙に遅らせてくれたお陰で、なんとか倒れずに助かったわ。そこの所は、素直に感謝してあげるわ。ありがとう、比企谷くん」

「……気付いてたのか」

 

 八幡は少しだけ気まずそうに視線を泳がせた。エイトマンの演算能力を駆使して機械のように淡々と手を動かしつつ、あくまでもさりげなく注文の渋滞をコントロールしたつもりだったが、雪乃の鋭い観察眼の前ではあまり意味がなかったらしい。伊達に奉仕部の活動で長いこと彼の隣に座ってきたわけではないということか。

 

 「効率だけ考えたら定番のメニューの作り置きをあらかじめ用意して、注文をそっちに誘導するやり方もあるんだけどな。別にそこまでガチのブラックバイト気分を味わいに来たわけじゃないだろ」

「そう? 私はけっこう楽しかったわよ。身体はひどく疲れたけれど、こういうのも悪くないなって思えたわ」

 

 そう言う雪乃の瞳は生き生きと輝き、その口元はどこか満足そうに綻んでいた。大概ワーカホリックな気質だなと少し呆れ半分で思いつつも、八幡はその表情から目を離せなかった。

 

「それにしても……」

 

 八幡はカウンターからホールの方へと視線を巡らせた。

 主役である葉山を中心としたいつもの華やかなグループに加え、クラスの目立つ連中や、そうでない面々までもがほとんど出席している。当初の想定以上に、皆がこの場を盛り上げようと乗り気だったという事実に、八幡は静かに思いを巡らせていた。

 

「意外とあいつらもやる気だったんだな。一回中止になったイベントの看板を架け替えただけだし、もっと出辛いんじゃないかと思ったが……」

「……高校二年も、あと僅かしかないからだと思うわ。三年生になれば本格的な受験期間に入って、もう今のように集まる機会もなくなってしまうでしょうから」

 

 雪乃はどこか寂しげなニュアンスを滲ませた横顔で、楽しそうに歓談するクラスメイトたちの姿を見つめ、ぽつりとつぶやいた。

 八幡もその言葉を受け止めるように、視線をホールの隅へと向けた。そこでは、副会長の本牧と書記の藤沢があははうふふと楽しそうに仲良く労働に勤しんでいる。それを見た八幡の目が、一瞬にして慈悲深いものへと変わる。

 

(舐めんな働け。つーか藤沢書記、君はついこないだ僕に告白して盛大に振られたばっかりなのに、もう他の男子とそんなに仲良く楽しそうにしてるのかな? ……女子って本当に立ち直りが早いよなぁ)

 

 マシナリーの電子頭脳でも測りきれない女心の不可思議さに、八幡はしみじみとため息をついた。

 それはそれとして、八幡は先ほど雪乃の口から出た『三年生』という単語が気になっていた。

 

「……なあ、三年生になっても、奉仕部って続けるのか?」

「……わからないわ。元々、あの部は私が自己や他者の変革をするために作ったものだし、最近は……」

「もう、自己変革は達成した、か?」

「私は、去年より良い方向に変われた、と思う。でも、自分でいくら変わったと言葉にしても、それを客観的に証明する手段が無いように思えるのよ」

 

 そこで雪乃は言葉を止め、カウンター越しにまっすぐ八幡の瞳を見つめてきた。

 

「あなたから見て、私は変わったかしら?」

「それは」

 

 その問いかけの重さに、八幡の喉が微かに張り詰めた。

それは非常に難しい質問だった。

 去年の春、すでに人間を辞めてエイトマンとしての生を歩んでいた八幡が、平塚先生に連れられて初めて奉仕部の扉を開けた時のこと。

夕暮れの陽光に照らされながら、ただ一人静かに佇んで文庫本をめくっていた彼女の姿。それはまるで、冷徹なまでに完成された一枚の絵画を切り出したかのようだった。

 当時の自分の貧弱な語彙では到底表現しきれないほどの強烈な衝撃が、確かにそこにはあった。

 

 あの時、視覚センサーに焼き付いた光景と比べても、目の前にいる彼女は相変わらず同じ、息を呑むような美しさをたたえている。

 だが、ただ一つだけ、明確に変わったと言える部分があった。

 

(よく、笑うようになったよな……)

 

 最初に会った頃の、周囲の人間を完全に拒絶するような刃物めいた冷たい雰囲気は、時間を経てずいぶんと暖かくなった気がする。いや、それでも親しくない人間に対しては、今でも一歩引いた立場から接するのだろう。それは彼女の根底にある不変の性質だと八幡は分析している。だが、自分や結衣といった特定の人間関係を通して、雪ノ下雪乃という少女の頑なな輪郭が、確実に柔らかく変化したことは明らかだった。

 

 ──もし、このまま奉仕部がなくなったら、彼女はどうするのだろうか。

 

 かつて一度、関係が空中分解しそうになった時は、「本物」を求めることでその手を必死に繋ぎ止めた。

 だが、時間は確実に、かつ冷酷に刻まれている。いずれ、高校卒業というリミットが来れば、自分たち三人はあの場所から自然と消え去っていく。

 

 彼女とこうして過ごす時間は、決して永遠ではなく、有限のものであると脳(システム)が非情な秒読み(カウントダウン)を告げていた。

 

(やだな……)

 

 咄嗟に脳裏に浮かんだその一言は、自分でも驚くほどに剥き出しで、生々しい感情の発露だった。理屈や合理性で武装する前の、比企谷八幡の本心がそこにあった。

 

「比企谷くん……?」

 

 急に沈黙し、自身の思考の迷路に深く迷い込んでしまった八幡の顔を、雪乃が不思議そうに覗き込んでくる。その端正な顔が至近距離に迫り、八幡は心臓のパーツが跳ねるような錯覚を覚えた。

 

「……あ、ああ。悪い、なんでもない」

 

 八幡は誤魔化すようにフイと顔を背け、彼女の視線から逃れるしかなかった。

 迫り来る『終わり』の足音に、胸の奥が微かに、しかし確かに痛むのを感じながら、彼は残ったマックスコーヒーの甘みを苦く噛み締めていた。

 

 

──

 

 大盛況だった壮行会も、最後は戸部翔の「んじゃ、お開きってことで!」という軽い音頭で無事に幕を閉じた。

 つい先ほどまでの喧騒が嘘のように、静まり返ったフロアには心地よい寂寥感が漂っている。残ったのは奉仕部と生徒会の面々だけで、作業といえばゴミ出しと簡単な洗い物くらいのものだった。

 八幡は自分が担当していたドリンカーの後片付けを完全に終え、首をゴキゴキと鳴らしながら、誰に告げるでもなくさりげなく店の外へと出た。

 

 真冬の夜空には、冷たく澄み切った満天の星が広がっている。

 店の裏口は灰皿がポツンと置かれた喫煙スペースになっており、八幡は冷え切った外階段のコンクリートに腰を下ろした。そのままぼんやりと夜空を見上げながら、なんとなく平和に終わったな、と取り止めのない安堵に浸っていると、がちゃりと音を立てて裏口のドアが開いた。

 

 大きなゴミ袋をえっちらおっちらと運んできた由比ヶ浜結衣だった。

 ドサリと指定のゴミ箱に袋を投げ入れ、ふぅと一息ついた結衣が、階段に座っていた八幡と目を合わせる。

 

「ヒッキー、お疲れ様」

「ん」

 

 結衣はそのまま歩み寄ってくると、当然のように八幡の隣にちょこんと腰掛けた。肌を刺すような極寒の空気だが、マシナリーである八幡のフレームには何の影響もない。だが、生身の人間である彼女には堪える寒さのはずだ。

 

「おい、あまり長く居ると風邪引くぞ」

「へーきへーき。ね、これ半分貸してよ」

 

 結衣は八幡が羽織っている厚手のベンチコートの裾をぐいぐいと引っ張った。

 八幡は「風邪引くから全部持ってけ」とコートを丸ごと貸そうとしたが、結衣はスルリと彼の右袖だけを脱がせ、空いたスペースに滑り込んできた。一つのコートを二人で分かち合う形になり、二人の肉体的距離は瞬時にゼロになる。

 

「ヒッキー、ちょっと冷たいね」

「ロボットだからな。金属フレームの冷却効率を舐めるなよ」

「……でも、やっぱりあったかい」

「……どっちだよ」

「どっちもだよ」

 

 結衣はほぁーと白い息を吐きながら、八幡の肩にすりすりと身を寄せた。

それきり、二人は無言になった。店の裏口を支配する静かな夜の空気だけが、二人を包み込んでいく。

 

「……ヒッキー」

「ん……」

「ありがとね……。壮行会、ちゃんとやってあげられるようにしてくれて」

「楽しかったか」

「うん……。あんな事があったばかりだけど、すっごく楽しかったよ」

「それは何よりだったな。わざわざ一色の泣き言を聞いた甲斐があるってもんだ」

「……それだけじゃ、ないよね?」

 

 結衣が小さく顔を上げ、じっと八幡に目を向けた。

暗い階段のスペースの中で、結衣の瞳の輝きだけが、八幡の光学センサーに印象的に焼き付いていく。

 

「平塚先生と同じで、ヒッキーもあたしに、こういう普通のことを楽しんでほしいって考えてくれたんだよね?」

「……」

「すごく、嬉しかったよ。ほんとに……」

 

 八幡は完全に押し黙ってしまった。結衣の言っていることが、一から十までほとんど当たっていたからだった。

 雪乃といい結衣といい、どうしてこうも自分がさりげなく隠そうとする意図を正確に察知してしまうのだろうか。やはり、女子というのはこういう機微をよく観察するものなのだろうか。

 

 なんとか『言い訳』を構築し、それを出力すべく結衣の方へ向き直る。

 

「あのな、別に俺はそこまで高尚なことを考えて──」

 

 次の瞬間、柔らかく温かいものが、八幡の唇に当たった。

 

「────ん……」

 

 言葉ごと、口を塞がれた。

 目の前にある彼女の唇が、啄むように優しく、自分のそれに蓋をしていた。

 システムがその異常事態を冷静にコンパイルし終えると同時に、結衣はゆっくりと唇を離した。

 

「──あのね、あたし……」

 

 暗がりでもはっきりわかるほど、その顔は鮮やかに紅潮していた。

 

「ヒッキーが、好き」

 

 そして、彼女は八幡の身体にそっと、愛おしそうに自分を預けてきた。

 

「意地悪だけど、優しいヒッキーが好き」

 

 八幡の音声出力系からは、何の言葉も出てこなかった。

「好き」という言葉自体は、以前にも聞いたことがあった。だがそれは、彼女の超能力(エスパー)が暴走していた時だったり、あるいは精神の奥深くの異空間で電子的に対話した時だったりと、決して『普通』の状況ではなかったのだ。

 

「だらしないけど、いざという時頼りになるヒッキーが好き」

 

 そして今、なんのまやかしもない現実の時間の中で、改めてその想いをストレートに告げられた瞬間。

 

「ゆ、い、がはま……」

 

 なんとかその名前を絞り出すのが精一杯で、八幡は自分が今、一体どういう顔をしているのかさえ分かっていなかった。

 

「一生懸命がんばるヒッキーが、大好き」

 

 結衣は、自身の気持ちを真っ直ぐに伝えることに対し、全く抵抗を抱いていないようだった。それは今まで心の奥底に秘めてきた想いと、かつて八幡が精神の世界で彼女に告げた、偽りのない気持ちが重なり合ったからこその強さなのかもしれない。

 

「ヒッキー、あたしの心の中で言ったよね。『好きだった』って」

 

 確かに言った。初めは大嫌いだった彼女のことを、一緒に過ごすうちに、雪乃とはまた別のベクトルで深く惹かれていたことを白状したのだ。

 八幡の胸の中で、結衣はそっと目を瞑りながら、安らかに、しかし熱を帯びた言葉を紡いでいく。

 

「あたしはね、今でもヒッキーが好き。大好き。だから……これが今のあたしの、精一杯の気持ちなの」

 

 赤く染まった彼女の横顔。

 その目の端から、わずかにこぼれ落ちた雫を見た時、八幡は彼女が今の言葉を紡ぐために、どれほどの覚悟と感情を振り絞ったのかを痛いほど理解した。

 

「沙希ちゃんがヒッキーにキスした記憶を見た時にね、思ったの。『好きって気持ちは、我慢しないで素直に伝えてもいいんだ』って。だから、あたしもそれをちゃんと伝えたかったの……」

 

『由比ヶ浜結衣は、比企谷八幡が大好きです』

 

 言葉にすれば、これほど簡単で単純な事実はなかった。

 だが、それに込められた想いの全てが、あまりにも真に迫る質量となって八幡の心(コア)に響き渡る。まさに彼女の存在すべてが込められた告白だった。

 やがて、結衣は八幡の身体からゆっくりと離れて立ち上がると、夜空に向かって一度大きく伸びをした。

 彼女の体温が右側から離れていくその瞬間を、八幡は明確に「寂しい」と感じていた。

 

「──じゃ、じゃあ、ヒ、ヒッキー! みんな待ってると思うから、あたし先に行くねっ」

 

 にっこりと、闇の中に花が咲くような朗らかな笑顔を浮かべると、結衣はたたたたと足早に店の中へと去っていった。

 一人残された八幡は、依然として唇に残る柔らかな感触と、詳細に記録されすぎてしまった『彼女の熱の残滓ログ』を一体どう処理すべきかという、現実逃避に近い思考パターンをただ延々と繰り返していた。

 

 

 冬の夜空は、相変わらずどこまでも澄み切った晴天だった。

 

 





一話だけですけど、投稿終わりです。短くてごめんなさい。

ガハマさんは当初の予定だと死ぬはずだったんですが、重すぎる内容になるのと、キャラエミュするために原作とかアニメとか観直すと、自分にはこんないい子を不幸になんて出来ねぇ!!ってなって生存ルートに変更しました。そのおかげでストーリー練り直すのに苦労しましたけど。

お気付きの方もいるようですが話も終盤です。頑張って完結させますので応援よろしくお願いします。
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