——エイトマン・リボーン—— 比企谷8幡は鋼鉄の夢を見るか   作:りかるど

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時間が開きましたけど出来たので投稿します。

追記:本日はあと2話くらい投稿する予定です
   だいたい19時くらいです


第九十四話:エイトマン強化改造計画

 

 サイボーグ部隊による突如の襲撃から、数日が経過した。

 

 あの激闘の直後、比企谷八幡と川崎沙希は、同じく敵の急襲を受けていた由比ヶ浜結衣、正式には羽佐間と合流を果たし、緊迫した空気の中で今後の身の安全について話し合った。しかし、付き添っていたベラが、そのディスプレイに愛らしい表情を浮かべながら「周囲に怪しい存在や追手はいないにゃ! 安心してにゃ!」と無邪気な声で太鼓判を押したため、ひとまずは警戒を緩めることになった。最終的には、ベラをそのまま結衣の護衛として彼女の家に預ける形で、その場は一旦解散となったのだった。

 

 帰宅後、妹の小町が「ベラちゃんがいなくなった!」とちょっとした騒ぎを起こしたが、八幡が「大人の事情的ななんやらで、しばらく結衣の家にホームステイさせることになった」と、あの馴染み深いネコ型配膳ロボのフォルムを脳裏に思い浮かべながら説明すると、小町もしぶしぶながら納得したようだった。

 

 そして現在──。

 あの慌ただしくも超常的な決戦の日々が嘘のように、一時的な平穏を取り戻した日常が流れていた。八幡は冬の鋭い寒空の下、駅前にある有名カフェのテラス席で、憮然とした──いつも以上に腐った魚の目を光らせながら、椅子に腰掛けていた。

 

「──それで、何の用ですか。わざわざ人をこんな寒風吹きすさぶ場所に呼び出して」

 

 机の上の冷めかけたコーヒーを睨みつけながら、八幡は低くぼやいた。ただし、その視線の先、テーブルの向こう側には、彼をこの場に呼び出した張本人が優雅にカップを傾けて座っている。

 

「陽乃さん」

 

 名前を呼ばれた雪ノ下陽乃は、まるで子供のように、ニコッと人懐こく、それでいて底の知れない完璧な笑みを浮かべた。

 

「んーん、大した用件じゃないよ? ただね、今の君たちを取り巻く環境の確認をしようと思ってさ」

「その前に、よく俺の番号わかりましたね」

 

 八幡が少し嫌そうに眉をひそめて尋ねると、陽乃はティーカップをソーサーに戻しながら、あっさりと微笑んだ。

 

「隼人に聞いちゃった」

(あのヤロウ、後でシステム負荷かけて回線パンクさせてやる……)

 

 八幡は脳内のデスノートに葉山隼人の名前を刻み込みつつ、内心で深く愚痴をこぼした。よりによって最も個人情報を握らせたくない相手に横流しするとは、あの男の「みんな仲良く」精神には本当に恐れ入る。

 そんな八幡の心中などどこ吹く風といった様子で、陽乃は滑らかに話を続けた。

 

「それにしても、最近の君たちは本当に変わったよね。雪乃ちゃんも、ガハマちゃんも、もちろん君も含めてさ。お姉さん、見ていてびっくりしちゃうな」

「……本当によく見ていらっしゃいますね」

 

 ストーカー紛いの観察眼に対して八幡が皮肉げに返すと、陽乃は楽しそうに目を細めて語る。

 

「雪乃ちゃんは自分の将来について積極的になったし、ガハマちゃんは色々あったけど、結果的には前より前向きに自分の心と向き合えるようになったかな? 雪乃ちゃんにとっても、君にとっても良かったんじゃないの?」

「結果的には、ですか。まぁ、側から見れば少し出来過ぎのような気もしますが」

 

 陽乃の『結果的には』という含みのある言葉に、八幡は微かな引っ掛かりを覚えていた。だが、目の前の存在が最近起こった超常的な大事件──魔女エスパー事件──の全貌をどこかで把握していたとしても、今更驚くようなことではない。この人はそういう超越的な観測者なのだと、すでに割り切っていた。

 実際、雪乃の進路については彼女の側から自発的に話してくることが増えていた。それは八幡の目には、彼女が親や姉に敷かれた安全なレールから、自らの意志で脱線しようともがいている健全な姿に映っていた。

 結衣に関しても、自分の肥大化した気持ちに苦しむ様子が消えていた。前よりも良い意味で開放的になったのは、一度エスパーとして精神の極限で暴走し、その深淵で己の本心と真っ直ぐに向き合ったからだろう。

 

 ──結果論として見れば、誰も決定的に傷つくことなく、精神的に大きく前進している。八幡の冷徹な分析結果でも、そのデータは正しく「前進」を示していた。だからこそ、このタイミングでの陽乃からの呼び出しは、まるで精密に仕組まれたプログラムのようでもあった。

 

「それでも、君が今まで一生懸命がんばってきたおかげだよ。あれだけ頑なだった雪乃ちゃんも、ようやく良い方向に変わることができた。お姉ちゃんとしては嬉しい限りだよ。ありがとね、八幡くん」

 

 不意に、何の不純物も混じっていないストレートな感謝の言葉が陽乃の口から紡がれた。

 

「……どうも」

 

 八幡は居心地が悪そうに視線を泳がせた。自分が雪乃にそれほど多大な影響を与えたなどと思い上がるつもりは毛頭ないが、あの雪ノ下陽乃から真っ直ぐに好意を向けられるのは、決して悪い気分ではなかった。

 だが、忘れた頃に突如として目の前に現れ、心臓の最も柔らかい部分を的確に突いてくるこの姉に対する苦手意識が、そう簡単に払拭できるものではないことも理解していた。八幡は冷めかけたコーヒーを睨みながら、ぼそりと言葉を足した。

 

「……俺たちの関係の『歪さ』を、誤魔化さずに真っ正面から指摘してくれたのはあなたくらいなんで。そこの所は感謝してますよ。怖いくらいに」

「あれ、結構気にしてたんだ?」

 

 ふふっ、と意外そうに小悪魔的に笑う陽乃だったが、八幡にとっては笑い事ではなかった。それほどまでに、かつての自分たち奉仕部の関係性は捻じ曲がっていたのだから。

 

 生徒会選挙の前後で明らかになった、信頼関係という名の皮を被った『共依存』。

 

 あの頃の自分たちは、確実にその底なし沼に足を踏み入れていた。八幡は自らの過去を、今一度冷徹に分析する。

 雪乃と結衣が作り出す奉仕部の心地よい空気に絆され、ただその関係を維持することだけを根底に置き、半ば思考放棄に陥っていた。ぬるま湯のような日常を守るためなら、機械的に自分を傷つけ、他人を『効率的に』利用することすら、なんの抵抗もなく実行できるようになっていた。そして雪乃や結衣もまた、そんな八幡が弾き出す「極めて効率的な最適解」にどっぷりと依存していたのだ。

 

 雪乃はそんな八幡の姿を見たことで、いち早くその破滅的な危険性に気づけたのだろう。自分たちが思考放棄のループに陥っていると、明確にではないにせよ本能的に察知した。だからこそあの時、雪乃は八幡を拒絶したのだ。

 そしてその拒絶の末、迷走の果てに生徒会選挙という舞台を通して互いに「敵」となることで、彼らは本当の意味で向き合うことができた。もしあのままの関係を続けていたら、間違いなく奉仕部は自然消滅していただろう。

 

「ただ並んで同じ方向を見るよりは、互いに向き合ってぶつかりあった方がいい……。そんな簡単なことすら、俺は気づけなかったんですよ。あなたに手酷く指摘されるまでは」

 

 突如として居場所を失い、ただ夜の街を彷徨うだけだった自分が吹っ切れるきっかけをくれたのは、目の前でニヤニヤと笑っている雪ノ下陽乃という劇薬だった。

 

「だってねえ? あまりにも見てられなかったんだもの。誰よりも早く正解を出せるはずの君が、チープな思考の迷路にはまってあっちこっちにフラフラしてるんだからさ。だからつい、お姉ちゃんとしては助けてみたくなっちゃったんだよね」

「おかげで人生最大級に苦労しましたよ。ま、その結果が、今の奉仕部なんですけどね」

 

 緩やかな死を迎えるはずだった停滞から、身を切るような痛みを伴った前進。その果てに掴み取ったものこそ、一切の不純物を排除した『信頼』であり、八幡が求めていた『本物』の一片だった。

 

「君たちが生んだあの結果には、私も満足してるよ。──私がちょっかいを出さなきゃ生まれなかったのが、ちょっと気に入らないけれどね」

「……あなたの場合、どんな理想的な結果が転がってきたとしても、結局は気に入らないんじゃないですかね」

「……」

 

 八幡の言葉が突き刺さった瞬間、それまで完璧な笑みを浮かべていた陽乃の顔に、明確な翳(かげ)が差した。

 

「陽乃さんには色々世話になったし、感謝することもたくさんあります。でも」

 

 八幡は一旦言葉を切り、改めて陽乃の目を真っ正面から見つめながら、はっきりと言い放った。

 

「あなたが本当に欲しいと思っている『答え』は、俺たちをいくら特等席から観察していても、決して見つかりませんよ」

 

 どんなに理想的な結果が八幡たちから弾き出されようとも、それは他人の出した回答だ。自らの身を焼き、自らの足で動いて導き出した答えでない以上、陽乃という人間が心から納得することなど絶対にあり得ない。

 他人をチェス盤の駒のように観察するだけでは、決して『本物』には辿り着けない。何より、泥塗れになりながらそれを体現した八幡だからこそ言える、決定的な宣告だった。

 

「……そうかもしれないね。でもね、八幡くん。私にはもう、そんな風に動く機会(チャンス)なんて、残されていないんだよ」

 

 陽乃は自嘲気味に微笑むと、冷たい冬の空を仰ぎ見た。

 その横顔は、何かを諦めてしまっているかのように、八幡の目にひどく寂しく映っていた。

 

「で、話は変わるけど、この後ヒマ?」

「いきなりですね……。まぁ、俺はいつも大体ヒマですけど」

 

 あまりにも綺麗に話の角度が百八十度変わったので、八幡は完全に肩透かしを食らった気分だった。さっきまでの、あの息の詰まるような「本物」についてのラリーは何だったのか。やはりこの姉という生き物は、一時も油断ができない絶対的な警戒対象であると、八幡は己の認識を改めた。

 

「せっかく会ったんだからさー、お姉ちゃん、八幡くんとデートしたいなー」

「お断りします」

「はやっ!?」

 

 有無を言わさない、コンマ数秒での即答だった。

 さしもの陽乃もこれには珍しく驚いたようで、綺麗に整えられた眉を跳ね上げて目を丸くしている。断られるにしても、まさかここまで一切の猶予もなく、バッサリと切り捨てられるとは予想していなかったらしい。

 

「むー。八幡くんが冷たい……まるで雪乃ちゃんみたい」

「別に嫌だってわけじゃないですよ。この後、ちょっと寄るところがあるだけです。あと、雪ノ下には絶対に言わないほうがいいですよそれ……多分、俺が一方的に怒られますから」

「怒られるの君の方なんだ……」

 

 妹が感情の矛先を向ける対象が、実の姉ではなく目の前の少年であるという事実。そんな奉仕部の歪で、しかし強固な関係性を瞬時に理解し、陽乃はどこか呆れたような、それでいて感心したような表情を浮かべた。どうやら彼女が外側からチェス盤を眺めるように観測していたよりも、妹たちの絆は遥かに複雑で、深い領域に達しているようだった。

 

「でも、ま、いっか。八幡くんが私とデートするの、嫌じゃないってわかっただけでも今回は良しとしようかな」

 

 パチッと軽薄に、けれどどこか寂しげなウインクをしてみせると、陽乃は伝票を持って席を立った。どうやら今日の観測はここまでにするらしい。

 

「今日はありがとね。色々わかったこともあったし、また機会があったらお茶しようね」

「いえ、こちらこそご馳走様でした」

 

 形式的な挨拶を交わす二人だったが、出会い頭の張り詰めた空気に比べれば、今の間に流れる風は随分と柔らかいものになったと八幡は感じていた。

 自分たち奉仕部の歪さをあぶり出し、揺さぶり続けた彼女もまた、その根底では他者との関わりの中に『本物』を求めている──それは間違いのない事実だ。だが、なぜ彼女が「自らの足でそれを見つけること」を諦めてしまったのかは、八幡の頭ではどれだけ考えても答えは出ない。

 

 それでも、同じ本物を欲する者として、胸に去来するものがあった。

 いつか彼女も、チェス盤の外でそれを手に入れられるのだろうか。八幡は冬の雑踏へと消えていく彼女の背中を、冷めきったコーヒー越しに静かに見送り続けていた。

 

 

──

 

 陽乃と別れた後、八幡は当初の予定通り、日常の裏側にひっそりと佇む「谷製作所」へと足を運んでいた。

 

 目的はただ一つ。先日、デーモン博士から手渡された『スパイ・ボール』の解析、そして今後の運用についての相談だった。

 

「スパイ・ボールの破壊力は……凄まじいものだな……」

 

 メインモニターに映し出された緻密な解析データを見つめながら、谷博士は驚愕を隠せない様子で声を震わせた。

 

「超振動発生装置による、分子結合の直接破壊。原理そのものは極めて単純だが、これほどの小型サイズに凝縮して形にできる彼の技術力は、まさに一級品だ。これが兵器としてしか使われないのが、私は残念でならんよ」

「あの偏屈じいさんの考えることなんて、そんなものですよ。暇つぶし同然のノリで、ガストの配膳ロボットを破壊兵器に魔改造するような奴ですし」

「ううむ、彼の技術を平和的な産業に使用できれば、どれほど素晴らしい発明が生み出されたことか。科学の発展という意味では、嘆かわしい限りだな……」

 

 谷博士とデーモン博士。

 持てる才能や技術力は互角であり、共に人類の領域を超越していながら、その設計思想は完璧な正反対。まさに「光と影」、天使と悪魔の構図そのものだった。だが、今回直面している世界の危機においてばかりは、あの悪魔的頭脳が遺した片鱗に頼らざるを得ない状況だった。

 

「おそらく、デーモン博士は……このスパイ・ボールに搭載されている『超振動発生装置』を、エイトマンのシステムに組み込むことを提案したのだろうな」

「超振動発生装置ですか……。つまり、俺にも『ユピテール』の攻撃システムと同様の力が使えるようになる、と?」

 

 かつて印旛沼で行われたデーモン博士の挑戦。あの死闘の際、八幡の前に立ち塞がった彼の最高傑作、天帝『ユピテール』。触れるもの全てを超振動の波動によって一瞬で塵へと還す、あの絶対的な破壊の力が、自分の身体に宿る可能性。その事実に、八幡は静かに息を呑んだ。

 

「技術的に実装は不可能ではない。だが、電力の瞬間供給効率や、君のボディ強度の限界など、多くの問題が残る。もし真に実装するとなれば、比企谷くん、君自身をさらに改造する必要性が出てくるだろう。だが……」

 

 谷博士は一度言葉を濁すと、いつになく真剣な、一人の大人としての眼差しで八幡の目を真っ直ぐに見据えた。

 

「超振動の力を完全に搭載してしまえば、君は文字通りの『恐るべき破壊兵器』となってしまう。私は……君をそんな血生臭いものにはしたくはないんだ」

「破壊兵器ですか……。デーモンも、それを狙って?」

「いや、彼はただ純粋に、エイトマンというシステムを極限まで強化したいだけなのだろう。科学者としての純粋な探究心という意味では、その理屈も理解できん訳ではないがね……」

 

 科学者という生き物の業の深さに、谷博士は自嘲気味に肩を落とした。

 漆黒の魔王『エルケーニヒ』、暗躍する米国のサイボーグ部隊、そしてその背後で不気味に糸を引くロシア側の意向。八幡を取り巻く超常の戦況は、今までにないほど苛烈を極めていた。

 これまではエイトマンの能力をフルに発揮し、時に電子頭脳を限界までオーバークロックさせることで数々の活路を見出してきたが、それも完全に限界に達しつつある。特に、あの黒き魔王に対抗する物理的な手段は、現時点のスペックではゼロに等しかった。

 

 だが、もしエイトマンがユピテールの『超振動』の力を手に入れ、文字通りの決戦兵器として生まれ変われば、あるいは勝機は──。

 

「焦るなよ、比企谷くん」

 

 谷博士の静かだが重みのある言葉に、八幡の思考回路はハッと現実に引き戻された。

 

「君が危機を前にして、早急に最適解を求める気持ちも分からんではない。だがね、その結果として、君自身が『本当に失うものの可能性』すら考慮できないようでは本末転倒だぞ。もっと慎重になりたまえ」

「……すみません。軽率でした」

 

 確かに、八幡の電子頭脳は無意識のうちに、破壊兵器となった自身の性能上昇率から換算した『魔王への戦闘勝率』を算出していた。しかし、それはあくまで戦闘における数値上の勝利データでしかない。勝利の果てに自身が異形の大質量兵器と化してしまっては、八幡が何よりも望んでいる「平穏な日常」とは程遠い結末だった。

 

「君が、かつて自身より圧倒的に上回る性能を持っていたユピテールに勝てたのは、兵器としてのスペックや、能力などの表面的なものだけが理由ではないということを、忘れないでくれ」

「……わかってます。俺も、自分の頭を使って、出来る限りの手は尽くします。ですが博士」

 

 八幡は一旦言葉を区切ると、日常を守る戦士としての決意をその目に宿した。

 

「本当にどうしようもなくなったら──俺も博士も、覚悟を決める必要があるってことだけは、頭に入れておいてください」

「ああ、君の言う通りだ。私もその時は、科学者としての責任を持って、君のシステムに手を加えよう」

 

 自らの望む他愛のない平穏を守るために、自らが平穏を最も脅かす最凶の兵器と化す。その矛盾を呑み込んででも、絶対に失いたくないものが、今の比企谷八幡にはあった。

 谷博士の重い約束に頷きながら、八幡は胸のコアの奥で、来るべき決戦への冷徹な覚悟を静かに完了させていた。

 

「そうだ比企谷くん、強化改造というにはちと地味かもしれんが、君のボディ性能については実用的な改良案がある」

 

 重苦しい覚悟の空気を払拭するように、谷博士が穏やかなトーンで切り出した。八幡は思考の海から引き揚げられ、怪訝そうに首を傾げた。

 

「ボディ性能、ですか? 具体的な強化といえば、やっぱり装甲強度の底上げとかですか?」

「うむ。最近開発した素材なんだが、CMCコンポジットの強度と耐熱性能を劇的に強化したものだ」

 

 博士がコンソールを軽快に叩くと、メインモニターに複雑な分子構造と物理データが目まぐるしく走り始めた。

 

 ──CMCコンポジット。すなわち、炭素繊維強化セラミックス(Ceramic Matrix Composites)である。

 

 セラミック繊維特有の圧倒的な耐熱性と軽量さに加え、金属を遥かに凌駕する靭性と強度を兼ね備えた最先端の複合素材。ロケットのノズルやスペースシャトルの耐熱タイルなど、現代の航空宇宙産業には欠かせないこのハイテク素材を、谷博士が独自の量子理論によってさらに進化させた新素材だった。

 

 近頃、強敵たちの出現によって「ハイパーソニック・ムーブ(極超音速移動)」の使用頻度が跳ね上がっていた八幡にとって、激しい大気摩擦によるボディの過熱とフレームの金属疲労は、電子頭脳が常に警告を発する深刻な懸念事項だった。まさに喉から手が出るほど欲しい性能向上である。

 

「エイトマンの関節部分や、エアロ効果を発生させる外殻表面をこれに置換しようと思うのだが、どうする? 幸い、ナノマシンによる表面再構築だからそう時間はかからんのだが」

「……お願いします。俺も少しでも自壊のリスクは減らしたいですからね。この先、ハイパーソニック・ムーブも今まで以上に酷使することになると思いますから」

 

 こうして、エイトマンのボディ局所強化オペレーションが開始された。

 

 数時間後、プシューという小気味よい排気音と共に整備カプセルが開き、各種システムチェックを終えたエイトマンが姿を現した。

 網膜に表示されるステータスログが、ボディ軽量化に伴う駆動効率の向上、および大気抵抗の減少パーセンテージを次々と弾き出してくる。

 

(……軽い。さすがは日本が世界に誇る最先端セラミック技術といったところか)

 

 関節駆動部と外殻表面の材質変更がもたらした驚異的な軽量化は、文字通り、その鋼の身体に「不可視の翼」を授けられたかのような錯覚すら覚えさせた。

 

「調子はどうかね? エイトマン」

「最高ですね。これなら、移動速度をさらに限界まで極めることができそうです」

 

 八幡は新調された腕関節を滑らかに、かつ超高速で駆動させながら答えた。センサー越しに、身体の表面を滑る空気の層が、これまで以上に美しい層流となって受け流されていくのが手に取るように理解できた。

 

「超スピードはエイトマンの最大の武器だ。これ以上に理想的な性能強化はあるまい。──願わくば、その力が良き方向に進むことを」

「わかっています。博士の懸念するような、間違った方向には絶対に使いませんよ。俺はただ、平穏になりたいだけですから……」

 

 最新鋭のニューボディを手に入れたエイトマン。

 圧倒的な軽快感を得たその事実は、逆説的に、これから迎えるであろうかつてない凄まじい決戦の予感を、静かに物語っているようだった。

 

 

──

 

 午後も六時を過ぎればたちまち漆黒の闇が降りるのが冬という季節だ。

すっかり暗くなった頃、谷製作所でのボディ強化を終えて帰宅した八幡は、道中の自販機で買ったマックスコーヒーをすすりながらいそいそと炬燵に滑り込んだ。

 今夜の家には、自分と小町の二人しかいない。

 その小町は受験日を控え、今日も今日とて自室に籠って猛勉強の真っ最中だ。そしてここ数日、家族同然だったベラが結衣の家に護衛として預けられたことで、我が家はどこか寂しく、小町の機嫌も若干だが斜めを向いている。猫のカマクラも、お気に入りの昼寝の定位置だったベラが消えたせいか、心なしか寂しそうに丸まっていた。

 

(そういえばあいつ、もうメシ食ったんかな)

 

 みかんを剥きながらそんな取り留めのない心配をしていると、リビングのドアがのそりと開き、髪を少し乱した小町が入ってきた。

 

「どうした小町。風呂でも入る時間か?」

「うう、なんか変な時間にうとうとしちゃって……。今めっちゃ目が冴えてる」

「ダメだぞ受験生が不規則な睡眠しちゃ。寝る時は寝てやる時はやる。そうじゃないと明日に響くからな」

「うん……。ちょっと小腹減ったし、なんか食べたらまたがんばる」

 

 そう言って冷蔵庫を開けた小町だったが、次の瞬間、眠そうな顔を露骨な不満へと歪めた。

 

「……何もない……」

「あ、やべ。母ちゃんに買い物頼まれてたの忘れてた」

「牛乳と卵とコンビーフと……ちくわ? 単品でつまむにしてもこれじゃあね……」

 

 小町が深くため息を吐く。完全に買い物のログを失念していた八幡の落ち度が招いた結果だった。空っぽの冷蔵庫を眺めてうんうん唸る妹の姿は、流石に不憫である。

 

「……仕方ない。俺がなんか作ってやるよ」

「え……いいよ。またお兄ちゃん特製のゲテモノ飲料とか飲まされそうだし」

「なに、遠慮すんなって。可愛い妹の小腹を満たすためだ」

「ていうかほんとやめてお願い。小町、お腹壊したくないし」

 

 ぶんぶんと首と手を振りながら真顔で捲し立てる小町。一応作れば食べてくれるのだろうが、受験前のナーバスさも相まって言い方が少々辛辣だ。八幡の電子頭脳(メンタルコア)に微かなダメージが蓄積される。

 

「俺もなんか食いたくなってきたからな。お前の分も『ついで』に作るだけだ。ついでだ、ついで」

「まあ、お兄ちゃんがそこまで言うなら……」

 

 しぶしぶ頷く小町を尻目に、八幡はキッチンの戸棚をゴソゴソと漁り、奥から一袋のインスタント袋麺を引っ張り出した。その他、いくつかの乾燥食品も見繕う。

 

「こんな夜中にラーメン食べたら太っちゃうよ……」

「安心しろ。受験生の脳活動における糖質消費量と身体代謝機能を計算すれば、この時間の一食くらいのカロリー超過は完全に誤差の範囲内だ。一食分程度、俺の脳内シミュレーションには含まれている」

「お兄ちゃん、またそうやって難しい理屈で誤魔化す……」

 

 鍋に水を張り、コンロの火にかける。八幡の料理作成システムが起動する。水の量を通常の七割程度に抑え、あえてスープを濃いめにするのが今回の要点(ロジック)だった。

並んだ食材を観察していた小町が、ふと不審そうに顔を向けた。

 

「ねえ、野菜がなーんもないんだけど」

「野菜なら、コンビーフの元になった牛さんが生前にたくさん摂取しているから大丈夫だ。実質オーガニックだ」

「牛さんはそれ多分、穀物ばっかり食べてると思うよ。しょうがないなぁほんとに」

 

 小町は呆れたように息をつくと、自分で戸棚を開け、一生懸命に背伸びをしながら奥のストックを漁り始めた。

 

「海苔ならあったよ! あと、乾燥ワカメを戻して……、コーン缶も開けちゃうか」

「お、ナイス。この際だから色んなもん入れて『家ラーメン』っぽく仕立てるか」

 

 そう言いながら八幡が冷蔵庫の牛乳パックに手を伸ばすと、それに気づいた小町がガシッと八幡の手首を掴んだ。その表情は妙に深刻だ。

 

「お兄ちゃん、その牛乳なに。何に使うの。なんかよくわかんないけど、本能が怖いって言ってるからやめて」

「なにって……これを入れると旨いんだよ。醤油スープに混ぜることでコクが出て、とんこつっぽくなるんだ」

「お兄ちゃんが前に作ったあの激甘マックスコーヒー思い出したんだけど……。アレと同じ空気出すのはやめて? ほんとに」

「だいじょーぶだって。ほら、見てろ」

「ああっ!? やめてって言ったのにぃー!」

 

 静止を振り切り、鍋にどぷどぷと純白の牛乳を注ぐ八幡。リビングに小町の悲鳴が響き渡った。八幡にとっては手慣れた男のズボラ飯工程なのだが、料理の常識に縛られている側から見れば、魔女の鍋の儀式か何かに見えるのかもしれない。

 

 だが、そんな騒ぎを他所に調理は順調に仕上がっていく。

 

 卵を最後に一つ落として一煮立ちさせた後、どんぶりに麺とスープをとりわけ、炒めたちくわの輪切りとコンビーフを中央に投入。あとは小町が用意したワカメとコーン、海苔を美しくトッピングすれば……。

 

「完成。お兄ちゃん特製・エセ豚骨風ちくわコンビーフラーメン」

「ほんとに大丈夫なの、これ……」

 

 炬燵の上に並べられた二つのどんぶりを、小町は恐る恐る、生物兵器でも見るかのような目で訝しんだ。

 

「まあ、騙されたと思って食ってみろって」

 

 八幡がお先に「ちゅるるん」と音を立てて麺を啜る。──うん、旨い。牛乳のまろやかさとコンビーフの塩気、ちくわの出汁が醤油ベースと完璧に調和している。

 それを見た小町も、観念したように箸をつけ──その瞬間、強張っていた顔がにゅるんと一気に緩んだ。

 

「……あ、意外においしい。ちゃんとコクがある……!」

「だろ?」

 

 そこからは言葉もなく、二人は黙々と箸を進めていった。兄妹揃って猫舌なため、食べるスピード自体は決して早くはなかったが、だからこそ、のんびりとしたゆったりとした時間が二人の間に流れていく。

 

「ふーっ、おいしかったー! ごちそうさまでした!」

 

 どんぶりを空にした小町が、いつもの癖で部屋の隅へと声をかけた。

 

「ベラちゃーん、器下げて……って、あ……」

 

 そこに、いつもの「かしこまりましたにゃ」という可愛い電子音声は響かない。ぽつんと空いたスペースを見て、小町が寂しそうに肩を落とす。

「すまないな小町、ベラ公は今頃由比ヶ浜んちで『ガハマさん、ご注文のお品ですにゃ』とか言って宜しくやってるんだ。代わりに俺が片してやるから」

「うー……わかった……」

 

 つい習慣でロボットを呼んでしまった妹を微笑ましく見ながら、八幡が二人のどんぶりを持って立ち上がろうとした、その時。

 

「お兄ちゃん」

「ん?」

「なんか、甘いもの食べたい!」

 

 どうやら、女子中学生の満腹中枢の「別腹」までは満たされていなかったらしい。

 

「さっき冷蔵庫見ただろ。今の我が家に甘味なんて高等なものはありません。ほらはやく歯磨いて寝ろ」

「じゃあ、ちょっとコンビニ行ってこようかな」

「──ダメだ。こんな夜更けに女の子一人で出歩くんじゃありません」

八幡の音声トーンが瞬時に下がった。

由比ヶ浜結衣がかつて謎の組織に拉致され、改造を施されて強力な超能力者(エスパー)にされてしまったのは、ちょうどクリスマスパーティーが終わった直後の夜道だったという。自分の身近な存在が、そんな恐ろしい事件の標的になったのだ。

こんな夜更けに無警戒に出歩いて、もし小町の身に何かあったら──それこそ魔王だろうが米国部隊だろうが全火力を以て消し飛ばしかねない。八幡にとってこれは、全力で阻止すべき絶対的な最優先防衛案件だった。

その時、どんぶりを持った八幡の片手を、小町がきゅっと掴んできた。

「一人じゃなきゃいいんでしょ!」

上目遣いのストレートな要求に、八幡は小さくため息を吐いた。

「……しょうがねぇな」

中学生女子の食欲と、兄を動かす行動力を少々甘く見ていたらしい。たまには受験勉強の息抜きに、兄として付き合ってやるかと思考を切り替えた。

「うひょー! 寒い寒い寒い!」

「現在の周囲外気温は零下二度前後だ。ま、二月の夜中なら妥当な数値だろ」

内蔵センサーが拾った正確な数値を口にしながら、スタスタと歩く八幡。その隣を、小町が身を縮こまらせながら歩く。お互いに白い息を吐き散らしながら、静まり返った深夜の住宅街を進んでいく。

「さむーい!」

「……」

どすっと後ろから突っ込まれたかと思うと、小町はそのまま、するりと自然な動作で八幡の右腕に自分の腕を絡めてきた。今日はいつになくスキンシップのプログラミングが多い気がする。

「……うん、これならあったかいし、小町的にポイント高……って、冷たっ!? お兄ちゃん肌めっちゃ冷たいんだけど!!」

「あー……俺って冬は冷えやすいタイプだから。冷え性の鋼鉄の男だから」

ニューボディに換装したばかりの金属フレーム(CMCコンポジット含む)は、外気温の冷却効率が良すぎるため、現在の八幡の表面温度は氷の塊のように冷たかったのだ。適当に誤魔化しつつも、大切な妹の体温を奪うのは本末転倒だと判断し、八幡は胸の奥の小型熱核反応炉の出力をほんの数パーセントだけ意図的に上昇させた。

「……あ、なんか急にじんわりあったかくなってきた」

「フッ、感謝しろよ。世界で一番危険で贅沢な原子力内蔵型ヒーターだぞ」

「なにそれ、怖っ……」

小町は呆れつつも、心地よさそうに八幡の腕を強く抱え直して歩く。少々歩きづらかったが、これも兄としての役目だ。何より、ここ最近の受験勉強続きでなかなか構ってやれなかった分、不足していた『小町成分』をシステムにチャージできていることに、八幡自身も悪い気分ではなかった。

「……もう、受験まであまり日がないね」

不意に、小町がポツリと、夜の静寂に溶けるような声で呟いた。

 

「それが終わったら、すぐ卒業……。で、新しい高校に入学かぁ」

 

 先ほどまでの、ちくわラーメンを食べてはしゃいでいた小町の表情は完全に消えていた。ただ、どこか遠くの暗い夜道を、沈鬱でナイーブな眼差しで見つめている。

 環境がガラリと変わることへの不安、そして目前に迫った人生の大きな分岐点。かつて自分も通ってきた道だからこそ、その繊細な胸の内は八幡にも痛いほどよく理解できた。

 受験目前のこの時期特有の脆さは、どれほど勉強を重ねても完全に拭い去れるものではない。

 

「小町」

「ん? なに、お兄ちゃん」

 

 呼ばれて顔を上げた小町の頭を、八幡は空いた左手でぽんと叩き、そのままくしゃくしゃと不器用に、けれど優しく、ぐりぐりと撫で回した。

 

「──高校で、待ってるからな」

「……うん」

 

 八幡の手のひらに頭を押されたせいで、小町は視線を地面へと落とした。だが、その小さく、か細い返事の奥には、確かな力が宿っていた。

 

 八幡に心配の二文字はなかった。

 これまで小町の勉強を見て、その脳細胞の解答処理速度や努力を誰よりも間近で見てきた八幡だからこそ、彼女の合格率は十中八九──いや、体調さえ崩さなければ絶対に合格であるという確信データが、電子頭脳の中に綺麗に弾き出されていたからだ。

 

 季節が移ろい、凍てつく冬が去って、暖かい春が来れば──今度は小町も、あの奉仕部に新しい制服を着て顔を出すようになるのだろうか。

 そんな、少しだけ賑やかで他愛のない未来予想図(シミュレーション)を脳内に描きながら、八幡は小町としっかりと腕を組んだまま、静かな冬の夜道を一歩一歩、確かに進んでいった。

 

 

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