——エイトマン・リボーン—— 比企谷8幡は鋼鉄の夢を見るか   作:りかるど

105 / 106

 投稿を再開します。


第九十七話:観測者の思惑

 

 

 その後、バレンタインお菓子教室は特に大きなトラブルを起こすこともなく、無事に全工程を終了した。コミュニティセンターの正面玄関前に集まった奉仕部の三人の間で、結衣が名残惜しそうに口を開く。

 

「あのさ、せっかくだからこのあと、みんなでご飯食べてかない?」

「ん、俺は別にかまわねぇけど」

 

 八幡は肯定の返事を返しつつ、ちらりと隣の雪乃の方へと視線を向けた。

 

「そうね。それなりに遅い時間だけれ得ど、姉さんに連絡して遅くなると伝えておくわ。どうせ今日も、私の部屋で宅飲みでもしているでしょうから」

「お前んちの姉ちゃん、すっかりあのマンションに居ついてんなぁ……」

 

 一応、陽乃は母親からのお目付け役という名目で、ずっと雪乃のマンションに居座る身である。そのきっかけとなった雪乃自身の進路選択や、あの緊迫した対話から、あれから何か進捗があったかどうか、八幡としても気になるところだった。

 

「じゃあ決まりだね! ……そうだ、今日作ったやつ、家でもう一回作ってみるから、今度ヒッキーもゆきのんも食べてね!」

「遠慮するわ」

「なんで!?」

 

 どうやら雪乃の基準としては、結衣をまだ完全に一人で調理台に立たせるには不安が残っているらしい。雪乃にバッサリと切り捨てられ、結衣が不満そうに頬を膨らませる。

 

「もう、ゆきのんのケチ! ……ヒッキー、ヒッキーはあたしが本番で作ったやつ、ちゃんと受け取ってくれるよね!?」

「え? あ、ああ……。そこまで言うなら、まぁ、貰っとくけど……」

「よかったー! 楽しみにしててね!」

 

 結衣のセリフが意味するところに思考を巡らせ、八幡は小さく息を呑んだ。──やはりそれは、バレンタイン本番にチョコレートを渡す、という意味の宣言だろう。

 結衣は八幡に対して、自身の好意を隠すような真似を完全にしなくなったとはいえ、こうして雪乃の目の前でこれほどハッキリと言うとは思っていなかっただけに、八幡としては意外だった。

 

「……」

 

 案の定、雪乃は積極的にアプローチを仕掛ける結衣の姿を見て、胸の奥で思うところがあるようだった。

 雪乃自身、バレンタイン当日に誰にチョコをあげるかなど、それこそ先ほど陽乃に指摘されかけた通り、その候補は限られている。結衣への親愛の情は当然として、そこに八幡が含まれていることはもはや明白な事実だった。それでも中々それを言葉として表明しないあたりが、彼女の面倒くさいところであり、最高にいじらしいところでもあった。

 

(由比ヶ浜さんは、前よりずっと……彼に対して素直になっているわ。……私は……)

『私も彼に、そういった好意を向けてもいいのだろうか?』

 

 それは純粋な恥ずかしさと、雪乃本来の強がりと、そして何より──親友である由比ヶ浜さんに対する言葉にならない負い目が複雑に絡み合った、未解決の感情だった。

 自分らしくあるためには、その感情のままに彼に想いを伝えるべきなのだろうか。雪乃の脳内での自問自答は、冬の夜道を歩く最中も静かに続いていた。

 

「ねえゆきのん、何か食べたいものある?」

「あ、え、ええ。そうね……こう寒いのだから、何か体が温まるものが良いと思うのだけれど」

 

 結衣の声にハッと我に返った雪乃が、慌てて取り繕うように答えた。

 

「あったかいものかあ……。ヒッキー、そういえば前に食べたラーメンって、すっごくおいしかったよね」

「ん? ああ……」

 

 八幡の記憶に、警視庁へ赴いた際に田中の奢りで食したあの濃厚なラーメンの味が蘇る。結衣にとって、カウンター席で熱々のラーメンをすするという行為そのものが初めてであり、今でも鮮烈に記憶に残っているようだった。

 

「あれからもう一度ラーメン食べたくて、街で色々探してみたんだけど、なんか一人じゃ入りづらくって……」

「そりゃ、女子高生が一人で夜のラーメン屋の暖簾をくぐるのはハードル高いだろ。由比ヶ浜、そういうのに抵抗があるって話はよく聞くしな」

「そうそう、一人だとなんかすごく入りづらいんだよね。で、この前、駅の近くの『案内所』ってところで、すごく親切な人がお店を案内してくれそうになったんだけど……なぜかベラちゃんが凄い勢いで飛んできて、その人を追い払っちゃったんだよねー。あれ、なんだったんだろ?」

(……いやガハマさん、それ一〇〇%いかがわしい方の『無料案内所』だからな!? ほんとコイツ、警戒心がなさすぎて危なっかしすぎるわ! ベラを護衛に回しておいて本当に良かった!)

「由比ヶ浜さん。あまり一人で夜の繁華街を歩くのは危ないわよ。それと……その『ベラちゃん』とは、一体何なのかしら?」

「あ、それは、あはは……ただの知り合いの、ペットっていうかロボっていうか……!」

 

 雪乃からベラについて質問され、結衣は泳ぐ視線を必死に誤魔化す。そもそも、魔改造されたファミレスの猫型ロボットが常に護衛しているなど、雪乃が信じてくれるわけもない。

 

「……それと。あなたたち二人でそんな風にラーメンなんて食べに行っていたのね。そんな話、私は全く知らなかったわ」

 

 雪乃が少し意外そうに、その中でわずかに寂しさを含んだような声でポツリと呟いた。

 

「ま、あの時は成り行きでなんかそうなっただけだ。……なんなら、今から食いに行くか? うまい店が近くにある」

「あ、じゃあ三人でラーメン食べようよ! ね、ゆきのん?」

「え? あの、私はそういったものを食べたことがなくて」

 

 やはりお嬢様育ちの雪乃は、ラーメン専門店に入った経験がなかったらしい。

 

「いいから行ってみようよー! あたしも最初はお店で食べたことなくてドキドキしたけど、すごく美味しいから、ゆきのんもきっと大丈夫だよ!」

「……そう。由比ヶ浜さんがそこまで熱心に勧めるなら、私は構わないけれど」

「決まりか。じゃあラーメン食いに行くか」

 

 結衣の頼みに折れて、雪乃が了承した。

 八幡はあらかじめ、脳内データベースにあるラーメン店の中から、なるべく女性でも入りやすい店を割り出していた。

 

 ──こうして三人で近場のラーメン店に入ることとなった。

 

 八幡が選んだのは、あっさりとした塩ラーメンの店だった。

 本音を言えば、コッテリとした鶏白湯や豚骨でガツンとエネルギーを補給したかったが、さっきまでチョコレートの試食でいささか重たくなっているであろう雪乃と結衣の胃の調子を考えた結果、こちらの店の方が負荷が少ないだろうと判断したのだ。

 カウンター席に並んで座った三人の前に、湯気を立てる丼が置かれる。

 

「これが塩ラーメン……。思っていたより、ずっといい香りがするのね」

「うん、なんかけっこうお腹いっぱいだったはずなのに、すごく食欲がわいてくる匂い!」

「じゃ、食うか」

 

 割り箸を割って、八幡はスープを一口啜った。

 雪乃と結衣の言うように、スープから溢れ出る食欲をそそる香りが八幡の五感に心地よく訴えかけてくる。

 本来、塩ラーメンのベースとなる塩は醤油や味噌と違ってそれ自体には香りがない調味料だ。それ故に、スープ自体のわずかなブレや具材の生臭さがダイレクトに表に出やすい、作り手にとっては非常にごまかしの利かないシビアなジャンルである。

 

 そのため店によっては香味油やスモークなどで独自の香り付けをするなどの工夫を凝らしている。どうやらこの店は、香草類で材料の独特の臭みを消し、エビ油を絶妙に利かせることで香りの深みをもたらしているようだった。

 

「これは……本当にクセになる味ね。箸が止まらないわ」

「でしょ!? あたしが前にヒッキーと食べたのはしょうゆ味だったけど、塩味もすごく美味しいね!」

(……よかった、二人の口に合ったみたいだな)

 

 初めて口にする塩ラーメンという食べ物に熱心に舌鼓を打つ二人を見て、八幡は内心で静かにホッとしていた。

 

「でも、ラーメンというものはやはりというか、体にはあまり良くないわね。この油分と炭水化物の量は見過ごせないわ」

「うっ……。た、確かに美味しいけど、これ食べてたら油断してると太っちゃうよね」

「まーいいんじゃねぇの。体に悪いもんは大体旨いもんだって相場が決まってるしな。それにラーメン屋に来てまで健康に気をつかうってのも、なんかシステムの矛盾っていうか変な話だと思うし」

 

 そんな言い訳じみた会話を続けながらも、ズルズルと麺を啜る三人。なんだかんだ言っても、美味しいものは美味しいのだ。あっという間に三人の器は空になった。

 

「ふう……、ご馳走様でした」

「ごちそうさまでした!」

「ごっそさん」

 

 食べ終えて手を合わせる雪乃と結衣。スープまで綺麗に完食した結果、二人の体はぽかぽかと内側から火照っているようだった。

 三人は心地よい温もりを身にまとったまま、店を後にした。

 外に出ると夜空からちらちらと白い雪が舞い降りていた。この降雪のペースからすると、明日の朝にはすっかり雪景色へと変わっているだろう。雪混じりの冷たい冬の空気が、ラーメンを食べて火照った体に心地よく沁み渡っていく。

 

「うー、寒いー!」

「久しぶりにあの店に入ったけれど、やっぱりうまかったな」

「私は初めての経験だったけれど……こういう寒い日は、特に美味しく感じられるのかしら。とても美味しかったわ」

「そりゃ良かったな。じゃあ、湯冷めしないうちにそろそろ帰るとしますかね」

 

 ほかほかと温まった体が冷えないうちに、三人は並んで帰路に着く。

 

「また今度、この三人で来ようね! 次はヒッキーの好きなお店にしようよ」

「俺の? 別にいいけど、俺が好きなのはけっこう濃い目のドロドロしたやつだから、お前らの口に合うかどうかは保証できんぞ」

 

 八幡の好みは豚骨や鶏白湯などの濃厚なラーメンだ。だが、そういった店は得てして男女で、しかも女子高生を連れて行くには不向きだったりする。特に女性は衣服や髪にスープの臭いがついたりするのを嫌がるものだ。平塚先生あたりであれば、その辺を一切気にせず突撃していくのだろうが……。

 

「私は食べてみたいわね。それに噂で聞いた限りでは、そういった濃縮されたラーメンは暴力的な旨味を持っていると聞いたわ」

「暴力的な旨味って……。まあ、天一とかはその形容が相応しいと思うけどな」

「じゃあ今度行く時は、そんな感じのガツンとくるお店にしよ? ね、ヒッキー」

「……そうだな」

 

 実際には、千葉県内にあったお気に入りの店舗はすでに撤退してしまっている。実に残念だが、無いものねだりをしても始まらない。

 

(今度行く時は一蘭にでも連れて行くか? いや、でもあそこの『味集中システム』って個人主義に特化した極めて合理的で美しいシステムだけど……『みんなで食べる』ことに意味を見出してるコイツらには、あの仕切り板は相性が悪すぎるんじゃねぇか……?)

 

 結衣や雪乃の楽しそうな顔を思い浮かべるに、一蘭のシステムは彼女たちを戸惑わせる気がした。

 かといって、これまで「食事とは孤高のエネルギー補給作業」として生きてきたぼっち歴の長い八幡に、気軽に会話を楽しみながら食べられるラーメン屋のストックなど、そう簡単に思いつくはずもなかった。

 

(今度行く時までに入念にリサーチしてデータベースを構築しておかないとな。ふっ、久しぶりにやる気が出てきたぜ……)

 

 頭脳をフル稼働させるタスクの予感に、八幡は口元にニヤリと笑みを浮かべた。

 そうして、それぞれが胸の奥に思い思いの温かさを秘めながら、三人は白く染まりゆく夜道を歩いていく。

 

 ──だが、奉仕部の三人が揃って食事をしたのが、この夜が『最後』になってしまうなどとは。

 

 この時の彼らには、知る由もなかった。

 

 

──

 

 

FROM:平塚静

送信日時:18:32

件名:nontitle

今日はお菓子作り教室で色々ご苦労様でした。やはり私のような大人にはああいうイベントはちょっと居づらかったですね(笑)それにしてもこの前由比ヶ浜さんとラーメンを外で食べたのがもう随分と前のことのように感じますよね?まさか彼女がラーメンを食べたことがないとは驚きましたが。けれど女子であればそんなものです。かくいう私も本格的にラーメンの食べ歩きを始めたのは大学に入ってからですからね。この機会に私がラーメンにはまるきっかけを語ってもいいのですが、今はまず由比ヶ浜さんが初めてのラーメン体験を後悔せず楽しむことができるお店の紹介に集中したいと思います。男子と女子では重視する点が違うこともあり、比企谷くんでは見落としがちなポイントも私な

 

FROM:平塚静

送信日時:18:34

件名:Re

文字数の制限に引っかかってしまいました。制限とかあるんですね。前置きはこれくらいにしておいて、さっそく千葉駅周辺のオススメ店をご紹介したいと思います!候補が多すぎて絞り込むのは難しいですが、食べ物系サイトの評価に左右されず実際に私が夜の街に繰り出した経験から、ここぞというお店をお伝えしましょう。それはズバリ!「武蔵家」の富士見店です。繁華街の家系ラーメン店は回転率を重視するあまりスープに既製品を使用することは残念ながら実際あることなのですが、このお店に限ってそれはありえません。店の外に漂う豚骨の香りがそれを完全に否定して

 

FROM:平塚静

送信日時:18:37

件名:Re2

また文字数です。少し熱くなってしまいましたね。短めにいきます。要するにこのお店はしっかりと豚骨を煮込んで出汁を取っているということです。しかもライス無料で、お替わりも自由!これは食べ盛りの比企谷くんにも嬉しいのではないでしょうか(笑)

麺は酒井製麺の武蔵家特注。以前は「増田家」を紹介しましたが、ここ「武蔵家」富士見店には、味だけではなく店員さんの創り出す明るい雰囲気があります。ですからあの狭い店内にも意外に女性客が多く、私も少々びっくりしてしまいました。ところで比企谷くん、「また家系ばっかだな?」とか思っていませんか?確かに一時期の家系ブームは下火になりはしたものの、それは文化として成熟した

 

FROM:平塚静

送信日時:18:39

件名:Re3

文字数でした。少しイライラしますが、大丈夫。もうこれで終わりです。要するに何が言いたいかというと、ラーメンは女性でも楽しめるものへと……真の国民食へと進化しているということです。いや、すでに日本国内を飛び出し、世界へ羽ばたいています。ぜひ由比ヶ浜さんにもその素晴らしさを理解していただきたいと願っていますし、比企谷くんであればきっと私の期待に応えてくれると信じています!

 

FROM:平塚静

送信日時:19:42

件名:Re4

どうしてお返事くれないのかな?

 

FROM:平塚静

送信日時:20:03

件名:Re5

ラーメンを食べているの?

 

FROM:平塚静

送信日時:20:12

件名:Re6

おーい……(泣)

 

FROM:平塚静

送信日時:20:16

件名:Re7

カナシス

 

──

 

 

「……長っ」

 

 翌朝。

 

 久しぶりに平塚先生からメールが来たと思えば、フォルダに連なる熱いラーメン構文の圧倒的な長さに、八幡はベッドの上で思わず後ずさる勢いだった。

 というか、奉仕部の三人でラーメンを食べたその翌日にピンポイントでラーメンの話題、しかも由比ヶ浜の初体験に言及したメールが送られてくるなど、タイミングが良すぎる。

 

「まさか盗聴……いや、市内の防犯カメラをハッキングした……?」

 

 思わずそんな疑念が頭に浮かんだが、自身の電子頭脳から「可能性としては限りなくゼロに近い」と冷静なシャットアウト判定が下されたため、すぐに却下する。

 おそらくは彼女が日常的に抱いているラーメンへの凄まじい執念が、偶然にも昨夜の自分たちの行動と同調して、電波に乗って脳波に届いてしまったのだろう。恐るべきラーメン・スピリットであると、八幡は心底から戦慄した。

 

「……見なかったことにしよ」

 

 ポイとスマホをベッドの上に投げ、八幡は余計なエネルギー消費を避けるため、即座に省電力モードへと移行して再び眠りに着くのだった。

 

 

──

 

 

 平和そのものである千葉県内のとある場所において、地下に秘密裏に作られた研究室の一室で、不機嫌さを隠そうともしない声が響いた。

 

「これ以上の性能強化は無理だと……? 貴様ぁー! それはどういう了見だぁ!?」

 

 声の主は、つい最近エイトマンと交戦した005だった。

 対峙する科学者の胸ぐらを、サイボーグの強力なサーボモーターの駆動音を響かせながら、乱暴に掴み上げる。

 

「先ほども言った通りです。あなたのボディは極超音速移動に耐えるだけのフレーム強度がありません。これ以上のスピードアップは、自壊を招く自殺行為でしかありませんよ」

 

 胸ぐらを掴まれながらも、科学者は一切感情を乱さずに淡々と物理的な事実のみを突きつける。それに気を悪くした005の顔が、みるみるうちに怒りに染まっていった。

 

「あの小僧に出来て、俺に出来ないとでも言うつもりか!? ふざけるんじゃねぇぞ貴様ぁ〜!!」

「装甲はともかく、極限駆動における内部精密機器の損傷を考慮した結果です。ご了承ください」

「……ちっ! 使えねぇヤロウだ!!」

 

 激しく舌打ちした005は、科学者を突き放すと、ドスンと金属製の椅子に座り込んだ。

 イライラと怒りを排出しつつも、サイボーグとしての冷徹な演算機能のどこかで彼は戦況を冷静に分析していた。

 自分たち最新鋭のサイボーグ部隊が惨敗したのは、やはり圧倒的なスピード不足、つまりクロック数の差であることは明らかだ。

 

 エイトマン自体の防御性能や耐久力は低い。事実、奴が自分の物理攻撃を真っ向から受け止めず、すべて寸前で回避していたのがその証拠だ。だが、 どんなに破壊力抜群の攻撃でも、当てる手段がなければせっかくのパワーパラメータも意味をなさない。

 

「だが、このままでは終わらせんぞ……! どんな手を使ってでも、あのガキをバラバラの鉄屑にしてくれるわ!」

「──そんなにやる気があるなら、お姉さんが手を貸してあげよっか?」

「誰だ!?」

 

 エイトマンに対する呪詛を吐く005の耳に、無機質なコンクリートの床をコツコツと叩くヒールの音が届く。

 

「ひゃっはろー! どうもはじめまして。『観測者』のはるさんでーす」

「……あぁ? なんだぁおまえは?」

 

 陰気で鉄錆の臭いが漂う研究室に、全く似つかわしくない能天気で軽快な声。

 そこに現れたのは、感情の読み取れない張り付いたような笑みを浮かべた雪ノ下陽乃だった。

 訝しむ005を他所に、陽乃は変わらずニコニコと楽しげな調子を崩さずに続ける。

 

「だからー、私はあなた方に有益な情報を与える『観測者』の一人なんですってば」

「『観測者』……上の連中にタレコミするしか能のない、薄汚いネズミどものことか」

「まあまあ、そう怖い顔しないでくださいよ。……せっかく『上層』から、あなたに素敵なプレゼントを持ってきてあげたんですから」

「なに、プレゼントだあ?」

 

 ふふふと怪しく笑う陽乃に、005は不審の眼差しを向けたまま隠そうともしない。しかし、部屋の奥から静かな電子駆動音と共に無人の運搬機器が滑り込んでくると、その上に厳重に固定されているモノに、彼のセンサーは釘付けになった。

 

「これは……最新の加速ユニットじゃねぇか? まだ実験段階で、正式配備されるスケジュールじゃなかったはずだが……」

「そうです! 後付け式の内蔵型加速ユニット……。これさえあなたのメインフレームにインジェクションすれば、あのエイトマンと同等か、それ以上のスピードを発揮することができるはずだよー!」

 

 ふふーんと誇らしげに豊かな胸を張る陽乃。005は、鈍い金属光沢を放つ加速ユニットをまじまじと見つめた後、その獰猛な口元をニヤリと歪めた。

 

「なるほどなぁ? 上の連中もようやく重い腰を上げたようだな。……よし! 早速取り付けろ!」

「無茶です! まだ正式採用されていない試作段階の装備を着けるなどもってのほかです! もっと入念にテスト実験を繰り返さなければ、内部システム全体が焼き切れる危険性が……」

 

 先ほどの科学者が血相を変えて制止するが、005はそれを力任せに押しのける。

 

「それをなんとかするのがテメェら技術屋の仕事だろうが! つべこべ言わずにとっとと付けやがれ!! すぐに改造に取り掛かるぞ! いいなぁ!?」

 

 乱暴に吐き捨てると、005は自ら改造ドックのシートへと歩みを進めた。

 

「あら、随分とせっかちさんだね?」

 

 陽乃がクスクスと肩を揺らす。

 

「ミス・陽乃……困りますね。勝手に上層のプロトコルを引っかき回されては」

 

 科学者がやれやれと首を横に振ったが、陽乃はまるで気にした様子もなく、むしろ退屈そうに前髪を弄った。

 

「せっかく強くなろうって本人が思ってるのに、それを止める理由はないんじゃないの? 私は本人の自由意思を尊重したまでだよ」

「……どうなっても知りませんよ」

 

 あくまで『005の意思を尊重した』という体裁を崩さない陽乃をジロリと睨みつけ、科学者は諦めたように部屋を出て行った。残された部屋で、陽乃はコンテナに映る己の顔を見つめる。

 

「どうなっても知らない? 望むところだよ。もうすぐお待ちかねの『本番』が始まるんだから」

 

 ──邪魔な奴らは、一匹でも多く消しておかないとね。ふふふっ。

 

 鈴のように美しく、冷徹な声で笑う陽乃。

 その目は、全くと言っていいほど笑っていなかった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。