——エイトマン・リボーン—— 比企谷8幡は鋼鉄の夢を見るか 作:りかるど
引き続き投稿します。
お菓子作り教室から幾ばくかの時を経た。
総武高校と奉仕部を取り巻く環境は、今のところは平穏そのものである。一時は結衣の近辺を警戒する日が続いていたが、ベラの護衛によってその危険性も今のところは無かった。
「そういえば、小町ちゃんもう明日受験だったね。あたしたちも入試で休みだし」
「小町さんのことだから大丈夫だとは思うけれど……調子の方はどうなのかしら」
思い出したかのように結衣が小町の受験の話題を出し、雪乃が八幡に近況を尋ねる。
「お兄ちゃんとしては心配だよね……」
「そうなんだよ……。特に小町とか可愛すぎるからな」
「へ?」
「だから絶対人気になるだろ? そしたら近づいてくる男子とか片っ端から抹殺……警戒しなきゃいけないし、何より俺みたいなダメ兄貴がいることは知られないようにしないといけない。小町の評判に関わるしな」
「心配するとこそこっ!? ていうか合格前提!?」
「ポジティブなのかネガティブなのかわからないわね……」
呆れた雪乃がガサガサと鞄から袋を取り出す。
「あ、それってゆきのんの手作り?」
「……え、ええ。昨日の夜ちょうど作ったから」
「陽乃さんに邪魔とかされなかったのか?」
「それなら大丈夫よ。最近はなぜか知らないけれど、帰りが遅いから……。おかげでゆっくり作ることができたわ」
コトリと皿にクッキーを入れて置く雪乃。
チラッと、本当に一瞬だが八幡の方を見る。八幡は気づかないフリをしたが、結衣ははっとしてその視線の真意を理解した。
「そ、そっか、あたしもあれからちょっと頑張ったんだけどなかなかねー」
「由比ヶ浜さんも?」
「うん。チョコクッキー作ろうと思ったんだけど、うちのオーブンレンジ壊れてるっぽいんだよねー。なんかぐつぐつするだけでさー」
「それ多分ただの電子レンジ」
思わずゾッとする八幡。どうやら結衣の料理スキルが向上したと思ったのは早計だったらしい。
「由比ヶ浜さん、……これ、よかったら」
「おおーっ! ありがとー!」
雪乃から差し出されたクッキーの包みを受け取る結衣。
「……」
だが、受け取ったままその視線はちらっと八幡の方に向けられる。
「えっと、あたしの……だけかな? ゆきのん?」
「あ……」
それは優しく、けれどどこか期待するような声だった。
結衣は確信していた。雪乃が『彼』のためにもう一つの包みを持ってきていることを。その奥ゆかしいまでに隠そうとする真意を。
「ね? ゆきのん……」
だから、彼女は雪乃がそうすることを望む。そっと、その背中を彼の方へ押してあげるのだ。
「……ありがとう、由比ヶ浜さん」
結衣の優しく、導くような言葉は、雪乃に一歩を踏み出す勇気を与える。
「比企谷くん」
先ほどからの結衣と雪乃のやり取りを聞いて気が気でなかった八幡は、突然自分を呼ぶ声を聞いて、ビクッと肩を跳ね上げた。
「お、おう。なんだ……」
(なんで目ぇ逸らしてんだ俺は……)
ここ一番という勝負どころで、いつも通りに悪い癖が出てしまう自分が心底情けなかった。
そして、未だに彼女の行動の真意を勝手に裏読みし、勝手に彼女を意識し、勝手に「そう」なることを期待してしまっている自分がいる。
(俺の分が用意されていようがいまいが、そこに何か特別な意味を見出そうとするのはおかしなことだ。それは自意識過剰の最たるものであって、笑い話にもならん愚かな勘違いの感情だ。……それなのに)
比企谷八幡は、雪ノ下雪乃から「それ」を欲しいと願っている。
心の、底から。
「ねぇ、比企谷くん? 聞いてる?」
「……あ、いや、別に、俺は……」
今の八幡は、自身の目が確実に泳いでいるという自覚があった。
視覚センサーの挙動は不自然に乱れ、
聴覚センサーは彼女の微かな息遣いを細かに察知し、
嗅覚センサーは彼女の髪から漂う、あの心地よい香りを明確にキャッチしていた。
電子頭脳が現在の状況から未来の確率を演算する。
誰よりも合理的でありたいと願う以上、「そんな都合のいいことは起こらないだろう」という勝手な逃避を選択することすら、今の状況では許されそうになかった。
「──これ、受け取ってもらえるかしら?」
だからきっと……今、目の前で起こっている事実は、限りなく「真実」なのだろう。
結衣の後押しもあり、ついに八幡の手へと渡される雪ノ下雪乃の手作りチョコクッキー。
奉仕部部室全体が今までにない温かい空気に包まれているのは、自身の体温上昇のせいだけではないと八幡は分析していた。
「良かったら、後で食べてくれると嬉しいのだけれど」
そんな演算を心の中で繰り返す八幡を他所に、顔を真っ赤に染めた雪乃が絞り出すように言った。その声は僅かに震えている。
「──あ、ありが……と……な」
「……んん……」
互いにようやく絞り出した声も、最後の方は急速にデシベルが下がり、上手く言えていない有り様だった。八幡の小さな感謝の言葉に、雪乃は声を漏らして顔を背ける。その耳輪まで真っ赤に染まっていた。
「あー、ゆきのんたら顔まっか! そんなにヒッキーに渡せて嬉しかった?」
「……由比ヶ浜さん、これは軽度の緊張による体温上昇に過ぎないわ。比企谷くんの反応があまりにも不自然でぎこちないから、こちらにもそれが伝わってしまった……だけ……だから」
(どうしたんですか今日の雪ノ下さんは……。熱でもあんのか……? いや、確かに体温の上昇は計測できるけど……)
結衣のからかう声に、普段なら冷静に応えるであろう彼女の回答が、今に限ってはあまりにも苦しい言い訳だった。
しかも見るからに狼狽しながら、決死の想いで八幡に自分の気持ちを伝えようとする姿はあまりにもいじらしく、限りない破壊力を秘めている。思わず八幡が息を呑み、視線が釘付けになるほど可愛らしい様相だった。
(ゆきのん、良かったね。ヒッキーに渡せて……)
そんな初々しい反応をする雪乃を、柔らかい笑みを浮かべながら結衣が見守っていた。
今の結衣にとって、雪乃が彼に好意を表すことはとても自然に、そのまま受け入れられることだった。
『誰かに本当の気持ちを伝えようとすること』
すなわち『真心』と呼ばれるものには、気後れや遠慮など必要のないものなのだと悟ることができた。
自分の一番大切な友達が、自分の一番好きな人に素直にそれを向けるだけでいい。かつて周囲を気遣うあまりに臆病で卑屈でもあった結衣なら、きっと目を背けてしまったであろう光景も、今の彼女は真正面から向き合っていられる。
「じゃあ、あたしもあげるね。はい、ヒッキー!」
「お、おお。サンキュな」
そして結衣が心に抱く、一切の不純物を除いた『本当の気持ち』も、彼に真正面から渡せるようになれた。
それは彼女が痛みと苦しみの末に手に入れた、心の強さであった。
そんな真心という本物の気持ちによって、奉仕部という空間はまさに初々しい温かさに満たされていた。
──
「じゃあな」
「うん、またねー」
「ええ、気をつけてね」
今日の部活も終わり、校門の前で別れる三人。吹き荒ぶ冬の寒風に向かいながら、八幡が二人に背を向けた。
(こう寒くちゃ駆動系の調子が悪くなりそうだ……。あったかいマックスコーヒーでも飲みてぇ気分だぜ、マジで……)
「あの……比企谷くん」
帰路に着こうとした八幡に、雪乃が静かに声をかけた。振り返り、互いの目を合わせる八幡。
「どうした?」
「──その、今日は……ありがとう。私から受け取ってくれて」
頬をうっすらと桃色に染めながら、雪乃ははっきりと告げた。
「いや、それは……。こっちこそありがとな。家族以外から貰ったのなんて、マジで初めてだ」
先ほど部室で見せたような狼狽とは違い、こうまで真っ直ぐに言われてしまっては、さしもの八幡も素直にならざるを得なかった。いや、むしろ自分でも驚くほど自然に感謝の言葉が出てきた。心がそれを極めて普通のこととして受け入れたのだ。
「明日、あなたからしっかりと……味の方の感想をお願いするわね」
「あたしのもだからね! 約束だからね、ヒッキー!」
雪乃の頼みに合わせて、結衣もぶんぶんと元気に手を振る。
そんな二人を見る八幡の心が、先ほど部室で感じたものと同様にぽかぽかと温かくなっていく。
「おう、任しとけ。ちゃんと家で味わわせてもらうから」
軽く手を振って、八幡はその場を後にした。
ここまで胸が高揚する気分は、去年以来久しぶりのことだった。
八幡の電子頭脳は、確かに今までの『幸福数値』を大幅に更新していた。
──
空が茜色から深い夕暮れへと染まる中、気づけば八幡の足は自宅とは逆の、繁華街の方へと向かっていた。
それは時間経過による幸福度の霧散を恐れたのか、もう少しだけこの高揚した感情を享受していたいという、八幡の精神が無意識に行動へ現れた結果だった。
(俺は、自分で思っていたよりずっと単純なヤツだな……。まさかここまで気持ちが浮かれるとは思ってなかったぜ)
今の八幡は、街中を目的もなくフラフラと歩いているに過ぎない。
ただ、じっとしていられなかった。
もし人目がなければ、ハイスピードモードで全速力で走り出してしまいたいほどだった。
──かつての比企谷八幡は……。
人から好意を向けられること自体が少なく、たとえあったとしても苦痛にしか感じられなかった。
いや、何か裏や打算があって当然だと、常に思っていたと言った方が正しい。
人の好意とは打算に塗れた自己満足であって、そこに他者への真の想いなどあるはずがないと、人間関係の脆弱性を信じて疑わなかった。
だが、雪ノ下雪乃……そして由比ヶ浜結衣。彼女たちが向けてくれたこの感情に、そんな歪んだ計算が当てはまるだろうか?
──八幡のメインシステムは明確にそれを否定している。
今まで彼女たちと共にあって集積を重ねてきた膨大なログデータが、確定事項として告げていた。
『この現象は、紛れもなく本物(真実)である』と。
(何より、俺自身の感覚が今の状況をプラスに捉えている……)
それはシステムに忠実に従った反応に過ぎないのかもしれない。
だが、そのあまりにもストレートな機械的感覚であっても、嫌悪感は微塵も抱かなかった。
むしろ、心地よく好ましく感じている。
視界がクリアになり、五感の感覚が研ぎ澄まされていく。
街の雑踏から聞こえる人々の足音から、一人一人の会話の内容までもがセンサーにキャッチされ、頭の中を通過していく。
車道を行く自動車の駆動系から、遠くの電車の通過音まで──。
──そして、自らに向かって猛スピードで迫る高音の『超加速音』までも。
ドガァァァンッ!!
八幡の姿が残像を残して消えると同時に、超音速の威力を秘めた破砕による轟音が歩道のアスファルトを大きく抉った。
突然の破砕音と暴風に、街行く人々が慌てふためき悲鳴を上げる。
「小僧〜! よく、避けたな!!」
歩道から離れたビルの壁面に片膝を着き、緊急回避を終えた八幡の視覚センサーが、粉塵の奥から現れた異形を捉えた。
「完全に破壊したと思ったんだが……。相変わらず逃げるのだけは上手いヤロウだ!」
「お前か……。しつこい奴だな」
八幡は深くため息を吐き、呆れ果てた。
目の前に立ち塞がるのは──サイボーグ005。まさかこんな一般市民が往来する街中で、いきなり無差別の超音速奇襲を仕掛けてくるとは思ってもみなかった。
「この前の俺と同じスペックだと思ったら大間違いだぞ! この力で、思う存分あの時の恨みを晴らしてやるわ!」
「……こんなところでやる訳にはいかねぇな。──場所を変えるぞ」
「逃さねぇぞ、小僧!!」
言い残すと同時に八幡の姿が虚空へと消えた。
005も即座に反応し、その追撃へと姿を消す。
超音速移動が巻き起こす圧縮空気の高音が、夜の街を甲高く切り裂いていった。
目視不能の加速空間の中で、八幡の衣服が光粒子となって弾け、全身を超金属の装甲が覆っていく。八幡の姿が完全に『エイトマン』へと変貌を遂げる。
(せっかくいい感じにチョコ貰ったってのに、旨い話ってのは長く続かねぇもんだな……。仕方ねぇ、鞄はベラに指示出して遠隔回収させるか)
心の中で愚痴をこぼし、自らに付き纏う理不尽な不幸を嘆く。どうやら未だ、自分には『平穏』など許されないらしい。
その事実に自嘲の笑みを浮かべ──それと同時に、胸の奥底から静かな怒りがフツフツと込み上げてきた。
──せっかくの最高の一日を邪魔しやがって。容赦はしねぇ。全力で排除する。
周囲の人間には影すら追うこともできない超音速の中で、二体の超人による激闘の幕が切って落とされた。
──ギィィイイイイイイイイン!!
空気を強引に擦り合わせるような嫌な高周波音を撒き散らし、二つの影がハイウェイを疾走する。
既に超音速移動を続ける二人の超人──。
そこにはエイトマンと005による、文字通り命懸けのチェイスが繰り広げられていた。
道ゆく乗用車や大型トラックを易々と追い抜き、疾風と化したマシナリーが肉薄する。
「グワハハハハ!! どうしたNo.08! 逃げてばかりかぁ〜!?」
「──ちっ」
挑発する005に対して、エイトマンは激しく舌打ちした。
大口を叩くだけはあり、005は何らかの手段で異次元のスピードを手に入れたらしい。確かに前回の交戦時とは比べものにならないほど速くなっている。
(人混みから離れるつもりが、思ったよりもすばしっこくなりやがったな……!)
本来なら機動力の差で大きく引き離す手筈だったが、005の予期せぬスピードアップに面食らう結果となった。パワーだけでなく、これほどの短期間で性能強化を果たしてくるその執念深さには、呆れるのを通り越して両手を挙げるしかない。
時折、隙を見ては高周波ブレードで牽制を試みるが、元々重装甲の005相手には効果が薄く、決定打を与えられずにいた。対して相手の攻撃は、こちらを一撃で粉砕するパワーを持っている分、圧倒的に不利と言えた。
「相変わらずヌルい攻撃だな! そんなザマで俺を倒せると思ったか? 笑わせるんじゃねえ!!」
「へっ、これからが本番だ。そっちこそすぐにスクラップにしてやるから覚悟するんだな」
「──嘗めるなァアアアアアア!!!」
拳を大きく振りかぶった005の一撃を、瞬時にスピードを極超音速まで加速させたエイトマンが危なげなく避ける。完全にガラ空きになった005の背後に向けて、前腕部から展開した高周波ブレードを叩きつけようとした──その瞬間。
005の巨体が、瞬時に目の前から掻き消えた。
「何っ!?」
──『
電子頭脳からの無機質な警告が聞こえると同時に、全周囲のセンサーがエイトマンの背後に迫る圧倒的な質量をキャッチする。
「ぐううっっ!」
咄嗟に身を捻ったエイトマンのボディを、凶悪な一撃が掠めた。間一髪、装甲の表面を削られただけで済んだものの、冷や汗が吹き出る。
「ちぃっっ!! 外したかっ!!」
005の悪態が聞こえたが、エイトマンにそれを気にする余裕はなかった。今の005の瞬時加速は間違いなく超音速の壁を突き破っていた。
(アイツも俺と同じ装置を搭載したのか!?)
もし005が自分と同等の極超音速移動を可能にしたとするなら、この戦闘を長引かせるわけにはいかなかった。
エイトマンも瞬時にハイパーソニックムーブを発動させ、005を大きく引き離しに掛かる。
「逃すかァアア!!」
005も猛然と速度を上げ、追撃を再開する。
超音速を超えた激闘。
周囲の時間を遥かに置き去りにする極超音速という異常事態が、いま地上のハイウェイにおいて展開されていた。
──
かつてエイトマンが超音速の世界に身を投じた際、五感から拾い上げた視覚情報ではなく、レーダーによるワイヤーフレーム化情報を電子頭脳へダイレクトに転送・処理することで、初めてこの領域での戦闘を可能とした。それほどまでに極超音速移動というシステムは制御がシビアなのだ。
「ガハハハハ!! これがハイパーソニックムーブというやつか!! 思った以上に使えるじゃねえか!?」
「ちっ、この単細胞が……!!」
そんな繊細さなど知ったことかと言わんばかりに襲い来る005にエイトマンは吐き捨てる。奴はこの暴走に近い超スピードが、一歩間違えればハイウェイ全体を巻き込む大惨事に直結することを全く理解していない。
ゴォオオオオッッ!
「グッ……!?」
「ハハハハハ!! 周りが気になって存分に戦えないか!? 無様だなァ08!!」
しかも相手は、極超音速移動に伴って発生する強力なソニックブームを周囲を損壊させる兵装として平然と撒き散らしてくる。
エイトマンでさえ二次被害を考慮して滅多に使わない手段である。
(──これ以上の戦闘継続は危険すぎる……!)
焦燥が駆け巡る。この道路上での戦闘を選択したのは完全な戦略ミスだった。
短期決戦に持ち込むつもりだったが、相手が自身と同等の速度を持つ以上、長期戦は必至。そうなれば被害は決定的に広がってしまう。
「安心しろNo.08!! てめぇの残骸は確実に回収してやる!!!」
005の勝ち誇る声が通信機越しに伝わってくる。
エイトマンは歯噛みするが、現在の兵装では奴を真っ向から迎え撃つにはあまりにもパワー不足だ。得意とするプラズマシューターも隙が大きすぎるため、この超高速領域で確実に命中させられる自信はない。
(手詰まりか……!? いや、まだ諦めるには早い。何か方法を考えろ……!)
スペックが互角、あるいは相手が上回っていると仮定して……。
果たしてそれが、戦闘の勝敗を決める決定的な要因となり得るのだろうか?
──回答は【NO】である。どれほど戦闘力に差があろうとも、勝利を引き込むポイントは自身の可能性を最後まで突き詰め、相手のシステムの隙を突くことにある。
何よりエイトマンが、八幡がこれまで自らの思考でそれを証明してきたはずだ。
(なのに今さら、こんなでくのぼう相手に負けられるかよ……!!)
ただ単純に性能を振りかざすだけの存在に、自分が負けるはずがない。
それはこれまでの全てによって培われてきた『自信』であり、マシナリーとしての『プライド』だった。
──エイトマンの超電子頭脳がフル回転し、ミリ秒単位で「勝利の方程式」を演算する。
そして──。
(──見つけた!!)
演算結果を算出。──反撃への回答が出た。
──
005は、目前で生起した突然の出来事に己の視覚センサーを疑った。
先ほどまでハイパーソニックムーブによる超高速戦闘を行っていたはずの敵
エイトマンが、突如としてその歩みを止めたのだ。
場所はちょうど中央分離帯と呼ばれるスペース。
周囲を激しく行き交う自動車の喧騒からぽつりと切り離されたその場所に、まるで全機能が停止したかのように静かに立ち尽くしている。
(何を企んでいるかは知らねぇが……。──チャンスには変わらねぇ!!)
005はすぐさま残像を残しつつ、エイトマンの周囲を超スピードで旋回し始めた。
一応の警戒を怠らず、機を見て一斉に襲いかかろうとタイミングを伺い──
「……な、なんだぁ!?」
驚愕のあまり、005の旋回運動がわずかに乱れた。
なんとエイトマンは、まるで余裕と言わんばかりに、いつの間にか手にしていた黄色い缶……『マックスコーヒー』のプルタブを静かに開け、飲みだしていたのだ。
(あ、あのガキいつの間に……? いや、そうじゃねえ!! この状況で俺をバカにしてやがるのか!?)
この戦闘は005にとって、エイトマンから受けた屈辱と恨みを晴らすための雪辱戦だった。よりによってその当人が、まるで戦いなどどうでもいいと言わんばかりの態度を取ること。それは肥大化したプライドの塊である005にとって到底耐え難い侮辱だった。
「おい、よく聞けよ
缶を弄ぶエイトマンが、バカにしたように口角を吊り上げる。
「──お前ごとき、『コレ』で十分だ」
指先に力を込め、器用に空き缶をグシャリと潰すと、鋭利に尖らせた『それ』を見せつけるように突きつけた。
「〜〜〜〜ッッッ!!!!」
それは005の思考回路を激しい怒りで真っ赤に染め上げるに十分すぎる挑発だった。
「クソガキがーーーーッ!!! そんなもんで────」
残像の輪から飛び出た005が、殺気を撒き散らしながら猛然とエイトマンへと迫る。
────ガッッッ!!!
「……あ!?」
それが、運命の分かれ目だった。
005は決して愚鈍ではない。米国において軍から選り抜かれたエリート中のエリートであり、その傲慢な性格はともかく、戦闘力や瞬時の判断能力においては非常に優秀であると言えた。
そんな005であっても、今目の前で起こった事実は到底理解できなかった。
──自身の左胸に、潰されたコーヒーの空き缶が深く突き刺さっていた。
超高速移動中の物体接触によるダメージ……原理自体は理解できる。だが──
「ば……馬鹿な……。静止状態のデク人形が、極超音速移動中の俺の動きを捕捉できるわけが……」
「教えてやるよ。……お前の気配は、ノイズが多過ぎて騒々しいんだよ」
冷めた目で言い放つエイトマン。
「俺からすれば、どこから来るか分かりきった攻撃を迎え撃つほど簡単なタスクはない」
相手の直線的な動きそのものではなく、その動きが意味するところの根本を探る。それは空気の微細な流れ、音……あるいは『殺気』とも呼ぶべき剥き出しの攻撃的な意思。
常人では到底察知することが不可能なその微かなサインも、エイトマンの超人的な『センス』は完璧に拾い上げることが可能だった。
「だ、だがまだ終わってねぇ!! こんな針一本刺したくらいで……!?」
言い終える前に、005は自らのボディに起こった決定的な『変調』に気付く。
──ヴ、ウゥウウウウウウン……!
身体の奥底から湧き上がる、この異常な『振動』は……!?
「俺が破壊したのは、お前に搭載された加速装置を制御するシリコーイル・ユニットだ」
「な……何だと!?」
「悪く思うなよ。……恨むならお前の『欠陥』を放置していた製作者のミスを恨め」
「欠陥だぁ!? バカな……! エリートサイボーグの俺にそん、な、あ、あああああああああああ!?!?」
自らの『破滅』を認められなかった005が、夜空に絶叫した。
前回の005らとの戦闘から、エイトマンもただ黙って時を過ごしていたわけではない。
自分を襲ったアメリカのサイボーグ部隊の情報は、谷博士によって全てインプットされていた。そのデータの中にあった、005をはじめとする米国製戦闘サイボーグの構造的欠陥──。
即ち、加速装置の制御ユニットの損傷もしくは破壊によって引き起こされる、ゲインの急激な上昇による制御不能状態。
──そして、超高速振動の発生。
「グ、ワ、アァアアアアアアアアア!!!!」
つまり、自らの莫大なパワーによって破滅の道を辿るのだ。005の重装甲が、身を削る超振動によってみるみるうちに崩れ去っていく。
「俺のボディに備わった加速装置は、谷博士による細心の注意によって制御されている……。加速のリスクを考慮したシステムがな。……お前の製作者は、お前に降りかかるリスクを考慮していなかったらしい」
005も、所詮は戦争のための使い捨ての道具でしかなかった。
道具は所詮道具。労わる必要がなければ使い捨てるだけである。そして力にのみ依る者は、たった一点を突かれればあまりにも脆く崩れ去る。
勝敗は決した。後は黙っていても005は自己崩壊し、塵一つ残さず消えるだろう。
しかし──。
「──ガッ!?……ハ、ア……」
エイトマンが振るった右腕が、005の暴走する加速装置を力任せに引き抜き、その機能を完全に止めた。
超振動状態が解除され、005は意識を失いながらその場に倒れ伏した。
「……こんなものを付けてやがったのか。バカが、規格に合わねえパーツを無理矢理装備するからこうなるんだよ」
005のボディから抉り取った不揃いな加速装置を見下ろしながら、毒づくエイトマン。
過ぎた力は自らを傷つける毒にしかならない。そのことをエイトマンは誰よりも理解していた。
「──すごいねー! まさか、自力でその人を倒しちゃうなんてねー。お姉ちゃん驚いちゃったー」
だが、勝利の余韻に浸る間もなく、あまりにも聞き覚えのある『美声』が響いた。
「もし苦戦するようだったら、私がアドバイスしちゃおっかなーって思ってたんだけど、その必要はなかったみたいだね?」
「……何で、あなたがここに居るんですか」
信じられない。そんな表情で、エイトマンは暗がりから現れた『女性』に目を向ける。
「んー? そんなの決まってるじゃない」
──君は、『私達』の大事な家族になるんだから。
「家族のことだもん、駆けつけるのは当然だよ。ね、エイトマン──ううん、比企谷八幡くん?」
雪ノ下陽乃が、なぜこの『非日常』に紛れ込んでいるのか。
エイトマンは……八幡はその問いに対する回答を導き出すことができず、ただ思考をフリーズさせるしかなかった。
今日はここまでとします。