——エイトマン・リボーン—— 比企谷8幡は鋼鉄の夢を見るか   作:りかるど

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第九十九話:Genesisの端末

 

 

 005を打ち倒したエイトマンの前に現れたのは、凍りつくような微笑を浮かべた雪ノ下陽乃だった。

 驚愕に光学センサーのフォーカスを大きく開くエイトマンに対し、彼女は最初からすべてを掌握していたかのように呼びかける。

 

「どうしたの八幡くん? 陽乃お姉ちゃんだよ?」

「……」

 

 何のことかと表情ひとつ変えず、あくまで未知の敵に対する無機質な「マシナリー」として、機械的な応答でやり過ごそうとする八幡。しかし陽乃は手をパタパタと振りながら、愉快そうに首を振った。

 

「あはは、いいよいいよそういう演技は〜。こっちは全部知ってるんだから。無理してポーカーフェイス作らなくて大丈夫だよ?」

 

 朗らかに笑う彼女は、普段の日常を知る者から見ればいつものミステリアスな『お姉さん』そのものに見えるだろう。だが、現在の八幡の電子頭脳からすれば、目の前の雪ノ下陽乃という存在は、解析不能な異常事態を目前にしているのに等しかった。

 

「お前は……一体……」

「あーちょっと待ってね? まずはそこに転がってるのを回収しなきゃだから」

 

 八幡の問いかけを軽く遮り、陽乃が指差したのは、先ほど八幡によって加速ユニットを抉り取られ機能停止した005の巨体だった。

 彼女がコートのポケットから端末を取り出し入力操作を行うと、ふわりと音もなく005の躯体が宙へ浮かび上がる。

 重力を無視したその不気味な現象は、八幡のデータベースに明確な記憶として残っていた。かつて自身を完膚なきまでに大破させた『魔王』エルケーニヒの重力制御と酷似している。

 浮かび上がった005は、上空で光学迷彩を展開し待機していたと思われる大型運搬ドロイドへ収容され、そのまま夜の静寂の中へ飛び去っていった。

 

「よし、これで回収完了! じゃ、場所を変えよっか? こんな所に居たら、寒くて風邪ひいちゃうからね」

 

 一仕事を終えて「ふぅ」と可憐に息を吐く陽乃は、そのままスッとエイトマンの真横へ歩み寄る。

 

「……なんの真似だ」

「このまま静かに話せる安全な場所まで連れてってよ。ね、いいでしょ?」

 

 すりすりとエイトマンの硬い超金属装甲に身体を寄せてくる陽乃。先ほどの端末を使えば空中移動など容易なはずだと思ったが、寒風吹き荒ぶハイウェイに立ち尽くすよりはマシだと八幡は判断する。

 八幡は小さく溜息を吐き出し、彼女の華奢な体を抱え上げた。

 

「あまり余計な動きをするなよ」

「ん、安全運転でお願いねー♪」

 

 冷たい夜空へ向け、エイトマンは陽乃を抱えたまま静かに跳躍した。

 

 

──

 

 

 車道の喧騒から遠く離れた、海沿いの小高い展望デッキへ移動した二人。

 遠方では夜景の煌めきが目に飛び込んでくるが、空からはチラチラと白い雪が舞い降り始め、明日の街がすっかり雪景色へと変わることを予感させていた。

 

「さてと、何から話そうかなぁ」

「……」

 

 パシパシとコートの皺を叩きながら、陽乃が手すりに身を預ける。エイトマンは無言でその挙動をサンプリングし続ける。瞬き一つしない冷徹な装貌は、彼がまさしく機械であることを強調していた。

 

「あ、その前に……元の姿に戻ってくれないかな? そんな怖い顔のままだとこっちも話しづらくなっちゃうからね」

「……あなたが敵でないという保証が無い以上、戦闘形態を続行する必要がある」

「やだなぁ、敵なんかじゃないってば。ね、八幡くん? お姉ちゃんのお願い」

 

 困り眉を作りながら、傍目には完璧なおねだりをする陽乃。並の男ならその人懐こい愛らしさに一も二もなく了承するだろう。

 だが、それすらも今のエイトマンには脅威に映る。

 

(俺を破壊するなら、ここに来るまでに何度も機会はあった……。今ここで変身を解いても、雪ノ下陽乃から何かしらの攻撃を受ける確率は低い)

 

 それに、今こうして対峙した間隔から反撃するだけならば、通常形態でも十分行える。

 そう自身の演算結果に従い、変身を解除した。

 光粒子が拡散し、学生服を纏った比企谷八幡としての姿がそこに存在した。

 

「お望み通り変身を解除しましたよ。これで話してくれるんですよね」

「うんうん、素直でよろしい。これでやっと本題に入ね、八幡くん」

 

 ニコニコと笑みを浮かべて距離を詰めようとする陽乃を手で制し、八幡は静かに告げる。

 

「そのままで結構です。以前からあなたが何か隠しているんじゃないかとは思っていましたけど、まさかこっち側だとは思っても……。いや、確率的にはそうであってもおかしくはなかったですけど」

「フフ、やっぱり分かりやすかったかな? これでも慎重に行動してたんだよ、早い段階で君にバレると色々面倒だったからね」

 

 八幡は顔を顰めた。やはり陽乃はずいぶん前から自分を監視していたらしい。それがいつからなのかは分からないが、少なくともエイトマンとしての戦闘履歴は全て閲覧されていると見て間違いないと判断する。

 

「さっきのデカブツ……005でしたか、あいつはアメリカの戦闘部隊に所属していました。陽乃さんもアメリカ絡みですか?」

「まさか、あんなデリカシーのない国なんてこっちから願い下げだよ。私が所属しているのはもっとすごい所」

 

 陽乃が指をピンとあげて八幡を見据えた。

 

「君も聞いたことあるでしょ? 『Genesis』……私はそこの調査員。『観測者』なんて呼ばれてるけどね。ちょっとカッコつけすぎなネーミングだと思うけど」

「Genesis……」

 

 陽乃の口から出た単語は八幡にとっても聞き覚えがあった。それどころか、ここ最近の事件のほとんどにその組織の名が見え隠れしている。

 

(デーモン博士から組織について忠告されてからずっとはっきりしないままだったが……。まさかこの人が)

「観測者なんて言うけどね、要はただの下っぱだよ。私の役目は組織の上層部に必要な情報を送るだけ……」

「その情報とやらに俺も含まれてるってわけですか。谷博士やデーモン博士……、俺と警視庁捜査一課との繋がりも」

「そうだね。遡るとケン・ヴァレリーと君との戦闘や千葉村の『黒い蝶』事件、文化祭の時の超人サイバー事件なんかもね。どう? 驚いた?」

 

 ──全部お見通しというわけか。

 

 自身は千葉県全体のネットワークを自由に駆け巡り、その全てを操作できると自負していたが、どうやら八幡の思い上がりだったらしい。

 自分はどこまでもこの人の監視下に置かれていたと痛感する。

 

「……俺の戦闘データを、その上層とやらに報告する意味は?」

「簡単だよ、Genesisの上層部は君を仲間に迎えたいと考えてるから。米国の最新型試作ロボットとはいえ市井の一高校生に過ぎない君が、人間では解決不可能な数多くの難事件をクリアする姿は彼らの興味を大いに引いたみたい」

「そして俺は、そいつらのお眼鏡に適ったってわけですか」

「そんな不機嫌にならないでよ。私としてもGenesisとか関係なしに、個人として君に興味あったしね」

 

 陽乃の目が一瞬だけ怪しく光った気がした。

 

「特に……君と雪乃ちゃんとの関係とか」

 

 おそらく文化祭や生徒会選挙の時のことを言ってるのだろう。あの時の八幡は、文字通り『雪ノ下雪乃のため』に全機能を発揮した。エイトマンの使命である『人間のために働く』こと、そしてその先にある『人と対等に向き合う』ことを十全に果たしたと言える。陽乃はエイトマンの戦闘能力よりもむしろそちらの方に興味があると見えた。

 

「私はあの時、君と雪乃ちゃんが作り出す『光景』を見て震えが止まらなかったよ。私でも作り出せない『完璧に調和された世界』がそこにあったんだから」

「……あれは……俺が機械だったから出来たことです。雪ノ下の理想を叶える為に、全性能を発揮した……。普通の人間じゃあんなことはできない……」

「そんなこと関係ないね」

 

 陽乃はピシャリと言い切った。

 

「君が機械か人間かなんて関係ないよ。重要なのは君が、世界中で一番『雪乃ちゃんだけのために』力を発揮してくれたこと。それだけなんだよ」

 

 陽乃の声に熱と微かな震えが混ざりだすのを八幡のセンサーが捉えた。陽乃は尚も興奮したかのように言葉を重ねる。

 

「君が機械? ロボット? それが何か問題でもあるの?」

 

 大仰に手を振りながら、夜空に向かって演説でもするかのように陽乃は告げる。

 

「あの子の隣にいて全力で力を発揮できる。もしくは目の前に立って本気で叩き潰そうとすることができる。そんな人間今まで誰も居なかったよ。この私を除いてね」

 

 最高の味方か、もしくは最強の敵か。

 どちらにしても、雪乃と『対等』に向き合う存在はおらず、彼女は常に孤高の存在として佇んでいた。

 そこに現れたのが、人間の意識を持ったロボット──比企谷八幡……『エイトマン』だった。

 

「『他人』にここまで期待したことは無かったよ。ガハマちゃんは……ちょっと惜しい気もするけど、君ほどじゃないね。あの子じゃ雪乃ちゃんと付き合い続けることはできない」

「奉仕部も……あなたの観察対象ですか?」

 

 八幡が胸に浮かんだ疑問をそのまま告げた。思えば陽乃は事あるごとに自分たち奉仕部に色々と干渉してきた。それも彼女の『興味』と『観察』だとすれば、合解がいく話だった。

 

「そう、奉仕部という空間で雪乃ちゃんが君を完璧に使いこなした時、誰も見たことのない光景が浮かび上がる。これはもう確定事項なんだよ! 私でも出来ない……ううん、君たちにしか出来ない事なんだよ」

 

 陽乃はもはや興奮を隠さないでいた。以前も八幡と雪乃との関係性について意味ありげな言葉を口にしていたが、ここまでハッキリと自身の感情をあらわにした事は今まで無かった。

 彼女がここまで感情を発露させるものは何なのか。

 八幡はその真意を問う。

 

「──あなたの目的はなんですか。何を目指している」

 

 八幡は慎重に言葉を選んだつもりだったが、陽乃はそれを待っていたかのように、あっさりと口を開いた。

 

「私の最優先目的は、Genesisの管理する世界における君たち二人の生存。そして……」

 

 一呼吸置き、静かな夜の闇へ向け、氷のように冷たい言葉が放たれる。

 

「──雪ノ下雪乃による、旧人類の管理と支配」

 

 陽乃の口から出た現実味の無い言葉に、八幡は一瞬呆然とするしかなかった。

無理もなかった。先ほどの言葉は、雪ノ下陽乃という理知的な女性からおおよそ似つかわしくないものだったからだ。

 その中の一つ……Genesisが統治する新世界における生存はまだ理解できる。

 それは以前、1月に雪乃の誕生日プレゼントを選んだ際に陽乃と一緒になった時、会話の中でそれとなく上がっていたものだったからだ。

 だが、『雪ノ下による旧人類の管理と支配』とは……?

 八幡にはその言葉の意味するところを図りかねていた。

 

「そう難しい話じゃないよ」

 

 陽乃は先ほどよりかは落ち着いたのか、元の穏やかな口調に戻っていた。

 

「君がGenesisにとって特別な存在なのと同じで、雪乃ちゃんも彼らのお眼鏡に適ったってコト」

「……いや、なんで雪ノ下が……? あいつは普通の人間ですよ」

「そう、普通の人間だね。『旧人類』という意味では」

 

 陽乃から『旧人類』という単語が出てくる。

 

「Genesis上層部を支配するのは『超人類』……君も聞いたことあるでしょ? 既に何回か接触してるみたいだけど」

「……いや、俺のログにはそんな記録はありません」

「あれ、気づいてない? 呆れた……。んー、でもあの子なら自然に接触を試みるからね。気づかなくて当然か」

 

 陽乃が呆れたように首を振った。どうやら八幡が超人類と接触したことに気づいていないことが予想外だったらしい。

 それはいつの事か。八幡が必死に過去のログを探ろうとすると、陽乃が再び口を開いた。

 

「ま、いいや……。簡単に説明すると、私は彼らに言わせると『超人類』の一員なんだって。あくまで端くれみたいだけど」

 

 陽乃がウンザリしたように宙を見上げた。まるで忌まわしい過去を思い出すかのように。

 

「で、私は問答無用で彼らのお仲間にされちゃったわけ。拒否すれば命の保証は無いって言われちゃった。いやー優秀過ぎるのも考えものだねー」

 

 はははと笑う陽乃。しかし相変わらず目だけが笑っていない。それどころかその目の奥には、煌々と燃える狂気めいた何かが窺えた。

だが、それよりも気になるのは、陽乃が超人類だったとすれば、その妹である彼女は……。

 

「雪ノ下……も、その、超人類なんですか?」

 

 雪乃もまた『超人類』──人類を超えた知能と価値観を持つ新人類であるという可能性を尋ねる。

 

「ううん、雪乃ちゃんは違うよ。安心して、あの子は私やあいつらのようなバケモノじゃないから」

 

 八幡の不安を見抜き、陽乃はにっこりと笑いながら告げた。

 

「あの子の精神構造はあまりにも繊細で脆弱。その時点で超人類のようには振る舞えないよ……。だけど、君という『変数』が加わった場合は話が別」

 

『変数』──その単語の意味するところに、八幡のプロセッサが過敏に反応する。

 

 雪乃がそのポテンシャルを最大限に発揮する際、その側には常に自分が、あるいは立ち塞がる敵として対峙する自分が存在していた。

 

「あんなに頼りなくて弱々しい雪乃ちゃんが、君と出会って徐々に目覚めていったの。自分の理想のままに世界を描く才能……自分の発言に他者を従わせる才能。そして、その他大勢を支配する才能に、ね」

 

 八幡は息を呑んだ。あまりにも心当たりが多すぎる。

 雪乃が思いのままに理想の世界を描き出した時、そこは誰もが救われる『完璧に調和した世界』となる。

 それを間近で手伝い、その隣で見届けてきた者として──。

 

「一時は君にベッタリ依存しかけたけど、自分のせいで君が都合のいい人形に成り下がるって理解できたのは流石だったね。おかげであの子は君からも自立することが出来た。ちょっと早いけどまあ合格ってところかな」

 

 八幡は理解した。陽乃は今まで単に雪乃の成長を見守っていただけではない。八幡という存在が雪乃に与える影響のパラメータまでも見切り、関わり続けていたのだ。

 すべては彼女の言う、雪乃の『支配者』としての適性を盤石にするために。

 

「……あなたは、結局のところ雪ノ下をどうしたいんですか。自分の妹を支配者にするだなんて、どうかしてるとしか思えない」

「だって仕方ないじゃない? どうせこの世界は超人類の物なんだから。あいつらの思い描く世界に旧人類の自由なんか無い。奴隷よりも扱いが酷いのなんて目に見えてる。……だから、私はあいつらに示したの。雪乃ちゃんが新世界の管理人としてふさわしい人材だという事をね」

 

 ──『超人類』雪ノ下陽乃の妹、雪ノ下雪乃は『旧人類』を管理する能力がある。超人類にとって有益となる存在なのだとGenesisに、超人類たちに知らしめる。それが陽乃の真の目的だった。

 

「バカな、本当にどうかしてますよ。雪ノ下があなたの思惑通りに動くはずがない。それくらいあなたなら分かっているはずだ」

「どうかな? 色々あったけど、雪乃ちゃんはみんなの幸せを願って行動できる子になれたよ? もし自分に世界を救う力があると知ったら、進んでその役割を実行するんじゃないかなぁ? ……他ならぬ『君』のおかげで、そうなれたからね」

「──ッ」

 

 八幡は思わず歯を深く噛み締める。確かに雪乃は変わった。かつての迷いを振り払い、その豊かな能力と才能は今にも世界に向けて花開こうとしている。

 誰よりもそれを目の当たりにして理解していた。

 陽乃の言っていることに、間違いはない。

 雪ノ下雪乃は、自分の意思で、あるいは誰かを救おうとする善良さゆえに『支配者』の道を歩むだろう。

 

 ──超人類の下僕として。

 

「それしか雪乃ちゃんが……旧人類が生き延びる方法は無いと思うんだけど、なんか他にいい方法ある?」

「……」

 

 陽乃の問いに対し、八幡は何も言葉を返すことができず、ただ押し黙ってしまう。

 先ほどから超電子頭脳の演算結果が絶え間なく告げていた。雪ノ下雪乃の支配者としての圧倒的な適性と、彼女が構築するであろう完璧な理想世界の可能性……。

 それは腹が立つほど明確で、ぐうの音も出ない論理だった。

 

「ふふ、今の八幡くん、昔の私とまったく同じ反応してる」

「なんですか、急に……」

「何か方法はないか、どうすればいいか。必死で考えて無様に転げ回ってる顔ってことだよ。……私もね、昔は必死で考えたんだけどねー……」

 

 ──全部、無駄な抵抗だったよ

 

 次の瞬間、陽乃の顔から急に一切の色が消え去った。まるで能面のように無機質で、冷ややかな表情。

 

「超人類が今の世界に張り巡らせた根は深い。とてもじゃないけど、個人でどうこうできる相手じゃなかったんだよ」

 

 陽乃は静かに語る。自らが『超人類』であると告げられた、あの忌まわしい日を。

 

「大学に入ってからすぐに、あいつらは私に接触してきた。最初は下らない宗教か何かと思ってたけど、だんだん冗談じゃ済まない事態だって分かった時には……全部、遅かったの」

 

 そして、Genesisが雪ノ下陽乃を超人類として『迎え入れた』その瞬間から、彼女の未来は決定づけられた。超人類の手足として機能する、奴隷としての未来が。

 

「……雪乃ちゃんには、私のようにはなってほしくなかったんだけどね……。だけど、どう考えても無理なんだよ。どう頑張っても、雪乃ちゃんはあいつらに都合よく使い潰される未来しかない」

「だったら……!」

「でも、あの子には君がいる」

 

 すっと伸びた陽乃の白い指先が、八幡の胸元に向けられる。

 

「君がいれば、雪乃ちゃんは不幸にならない。どんなに辛くて苦しくても立ち上がって、前に進んでいける。そうでしょ? ──エイトマン」

 

 有無を言わさぬ、圧倒的な確信を孕んだ断言。

 八幡は思わず一歩、後ずさった。陽乃の言うことを否定できるロジックが存在しない。彼女の言葉をセンサーで捉えるたび、その確率の高さが電子頭脳から容赦なく突きつけられる。

 

(このままもし、俺が何もしなければ……雪ノ下は確実に、その運命によって身を滅ぼす──)

「分かってくれるよね……? 八幡くん」

 

 陽乃は先ほどとは打って変わって、極めて優しい声音で囁いた。

 しかし、今の八幡には、それがとてつもなく気味の悪い悪魔の音にしか聞こえなかった。

 何とか声を出そうと必死にシステムを働かせ、ようやく次の言葉が出せる段階になった。

 

「……一つだけ、確認させてもらってもいいですか」

「ん、何かな?」

「あなたが、俺の戦闘記録を取っていたということは、つまり……最近の戦闘ログ、超能力者として覚醒した由比ヶ浜結衣との戦闘も……」

「うん、もちろんリアルタイムで把握していたよ」

「……由比ヶ浜が、Genesis……超人類の実験台にされたことも」

「知ってたよ、全部。ガハマちゃんがあいつらに連れ去られて、頭に神経接続装置を被らされるところまでしっかり記録に──」

 

 ──ガッ!!

 

 そこまで言いかけた陽乃の言葉は強引に中断された。

 他ならぬ八幡によって、激高した力で胸ぐらを掴み上げられていたからだ。

 

「知っていて、見逃したのか。アイツがどんな惨い目に遭わされたか、全部知っておきながら……!」

「──ふ、っ……なに? 雪乃ちゃんのことじゃなくて、ガハマちゃんのことなら怒れるんだ?」

「由比ヶ浜はあいつらにオモチャにされて、一度死んだ! そして狂った怪物にされた! もし俺が事前に知っていたら、そんな真似は絶対にさせなかった……!」

 

 もしも、陽乃がほんの少しでも自分へ警戒を促していれば──どんな代償を払ってでも、彼女をそんな悲惨な目に遭うのを防いだはずだった。

 だが、雪ノ下陽乃は観測者としての役割を優先した。どこまで行っても、彼女の瞳には妹以外の「他者」など映っていないのだと突きつけられた瞬間だった。

 八幡は乱暴に掴んでいた手を振り離した。

 陽乃は僅かに咳き込んだものの、すぐに何事もなかったかのような顔で八幡を見つめ返す。

 

「あれ? 殴らないの? もっと感情任せに殴り飛ばされるかと思ったんだけど」

「勘違いしないでください。本当ならぶん殴ってやりたいですよ。でも、わざわざ自分から殴られようとしてる人間を殴るほど、俺の回路は感情的じゃありません。それに……」

 

 八幡は吐き捨てるように、だがまっすぐに陽乃の瞳を射抜いて言い放った。

 

「超人サイバー事件の時、サイバーの潜伏先を俺にリークした謎の暗号通信……あれ、あなたの仕業でしょう」

「……ああ。そういえばあったね、そんなことも」

「あの通信がなければサイバーの居所を特定できず、雪ノ下を救い出すことはできなかった」

「……あの時は本当に肝が冷えたよ。雪乃ちゃんがあの狂ったコンピューターの傀儡にされたと知った時はね……。今すぐにでも自分が飛んでいって壊してやりたかった」

「雪ノ下はあの事件で一度命を落としました。その後の蘇生措置は成功したものの、俺にとっちゃ今でも悔やみきれない失態だったんです。だから……あなたにはその件に関して、返しきれない借りがある。そういう理由です」

「そう、ありがと。で、君はこれからどう行動してくれるのかな?」

 

 試すような陽乃の問いかけに、八幡の胸の原子炉が再び熱く煮えたぎるのを感じる。

 しかし、導き出す答えなど、最初から一つしかなかった。

 

「俺は、雪ノ下への危害の一切をデリートします。それはこれからも変わりません。あなたや超人類に指図されるまでもなく、遂行してみせますよ」

「……そっか。まあ、その頼もしい答えが聞けただけでも、今夜は上々かな」

 

 八幡の答えを聞いた陽乃は、それまでの人を喰ったような笑みを消し、どこか寂しげで透明な雰囲気を纏っていた。

 安堵とも寂寥とも取れるその表情の真意を、八幡の電子頭脳は最後まで読み解くことができなかった。

 

「お話はここまで。君にとっては、ちょっと刺激が強いバレンタインプレゼントだったかな?」

「ええ、過負荷で回路がショートするかと思いましたよ。二度とご免ですね」

 

 八幡は吐き捨てると、陽乃に背を向けた。

 超人類やGenesisに関して問いただしたいことは山ほどあったが、自身の中でも処理しきれない感情とデータが溢れかえっていたのも事実だ。

 今は、一刻も早くこの場を離れたい気分だった。

 

「八幡くん」

 

 闇の中へ歩み出そうとする背中に、彼女の静かな声が届く。

 

「──雪乃ちゃんを、よろしくね」

 

 舞い散る雪の中、八幡はその言葉に何の返答も残さず、ただ静かに夜の闇へと消えていった。

 

 

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