——エイトマン・リボーン—— 比企谷8幡は鋼鉄の夢を見るか 作:りかるど
ついに百話です。読んでくれてる人たちには感謝しかありません。
一息ついたら何か番外編やろうかと考えてます。
雪の降る量も増えた頃、陽乃と別れ家に到着した八幡はリビングに向かった後、ノロノロと炬燵に入り込んだ。そのままテーブルに突っ伏し、電子頭脳内で今日あった出来事を反芻し深々とため息を吐く。なんだか最近ため息の量が増えた気がしてウンザリした。
「ほい」
突っ伏したままの八幡の顔横から、にゅっと黄色とオレンジの缶が差し出される。
顔を上げると、小町がマックスコーヒーを手にひょっこりと佇んでいた。
「……おぉ、悪いな」
「お兄ちゃん、帰ったんなら『ただいま』くらい言いなよ」
「あれ、言ってなかったっけ?」
「うん。外、寒かった? 雪降ってる?」
「ああ。たぶん明日は積もるな」
「うわー、マジかー。会場行くのだるいなぁ」
そう言いながらゴソゴソと炬燵の対面へ潜り込む小町。八幡はプシッとプルタブを開けて一口喉を鳴らした後、卓上のミカンを一つ手に取り、静かに皮を剥き始める。
「……ついに明日だねぇ」
「そうだな、今日は早めに寝ろよ。入試前日なんだし」
「じゃなくて、バレンタインデー」
「……そっちかよ」
妹の関心が試験よりもイベントのバレンタインに向いていることに、八幡は呆れる。しかし、この神経の図太さとメンタルバランスなら明日の本番も心配無用だろうと、電子頭脳は好意的なデータを弾き出した。
「お兄ちゃん、男子たるものウキウキワクワクすべきだよ」
「いやー……今はとてもそんな気分にはなぁ」
直前の陽乃との背筋の冷えるやりとりが頭から離れず、とても明日の甘いイベントまで思考が回らない。そんな兄の複雑な心中を知る由もない小町は、ニヤリと不敵に笑う。
「だってさ、今年はくれそうな人たくさんいるもんね?」
「……」
「あれ? 思ったより反応が薄い……」
黙ってそっぽを向いた八幡に対し、首を傾げる小町。しばらくの沈黙の後、八幡は脇に放っておいた鞄をゴソゴソと漁ると、丁寧に可愛らしく包装された二つの包みを取り出し、卓上へ静かに置いた。
「えっ。お兄ちゃん、これってもしかして……」
「……お前の考えてる通りだ」
バレンタインの本番は明日だが、部活の都合か今年は前日からのフライング投与も許可されていたらしい。
現状を瞬時に理解した小町の顔が、みるみるうちに歓喜で綻んでいった。
「お兄ちゃん、やったじゃん! ねぇ、これ誰から貰ったの!? やっぱり雪乃さんと結衣さん!?」
「ん……。今日の部活でな……」
小町からの身を乗り出すような詰問に、八幡は再びテーブルへ顔を突っ伏した。
わざわざ誤魔化す必要性も感じられず、合理的判断として正直に認めたつもりだったが、だんだん猛烈な照れくささが込み上げてきた。やはり家族以外の女子からチョコを貰うという事態は人生において新鮮過ぎて、感情のパラメータをうまく処理できない。
「あー良かったー! これで今年もゼロとか言って、小町が気を使ってあげるハメにならなくてさー」
「え、くれないの? ……なんで?」
「だって似たようなもん、さっきあげたでしょ」
それはもしかして、今手にあるマックスコーヒーのことだろうか。確かに甘くて苦いが、八幡が求めているのは液体飲料ではない。兄が欲しいのはあくまで植物性油脂固形物(チョコレート)なのだ。
「……小町、お兄ちゃんのこと好きか?」
「別に、全然」
間髪入れずわずか0.3秒の即答。八幡の台詞に食い気味のレスポンスだったため、もはや予定調和の美しさすら感じる。
(ひどいなぁ小町さん……。だが、こうやって面と向かって暴言を叩き合える分、うちは兄妹仲が良いのだろうな……)
雪ノ下陽乃が雪乃に対して抱く、あの過剰で歪んだ愛と支配を目の当たりにした後では、こうして家族間でくだらない会話を交わせる日常の尊さに感謝せざるを得なかった。
だが、それはそれ、これはこれである。
「チョコくれチョコ。チョコくれよー」
「……はぁ」
バンバンと卓上を叩いて催促する八幡。こういうウザ絡みをしても文字通りウザがられるだけで済むのが、比企谷兄妹の優れたシステムだと自負している。
しばらく呆れた顔で見つめていた小町だったが、観念したように小さな包みをテーブルの上にポンと置いた。
「何、くれんの?」
「まぁ簡単なやつだけど、くれって言われたし……」
明日が高校受験という人生の大一番であるにも関わらず、合間を縫って作ってくれたのだろう。なんと出来のいい妹であろうか。
「ありがてぇ……! ありがてぇ……!」
思わず目頭を熱くする八幡。やはり妹からの手作りチョコというシチュエーションは最高だと確信する。
「まさかとは思うけど、雪乃さんたちにもそんな風におねだりしたんじゃないよね?」
「バカ、こんな恥ずかしい言動、お前以外にできるか」
戸部じゃあるまいし、「チョコっとだけ頂戴」などと戯言を叩こうものなら、雪乃からはゴミを見るような眼差しで蔑まれ、結衣からは「ヒッキーキモい……」と引かれるのが目に見えている。
「だいたい、催促して貰ったものに本当の価値なんてないだろう」
「……その言い方だと、小町のチョコに価値がなさそうなんだけど?」
「……ん、ああいや、小町のチョコは別だ、超特別だ。小町最高超可愛い!」
「ほんと適当だなーこのゴミいちゃん。……でも」
頬杖をつきながら、小町はどこか嬉しそうに表情を緩める。
「そういう、自分の気持ちを誤魔化さない人に受け取ってもらえたら、あげる側もちょっと嬉しいもんだと思うけどね」
「……」
自分を誤魔化さない。
その言葉は、今の八幡にとってあまりにも胸に刺さるものだった。
エイトマンという機械の身体である秘密を、自分は小町に何も明かしていない。
そして、雪ノ下雪乃にも……。
由比ヶ浜結衣に関しては、不可抗力によって知られたに過ぎないのだ。
正体を隠し、自分を偽り続けている自分が、彼女たちの真っ直ぐな想いを受け取る資格などあるのだろうか?
「……なーんて! 今の小町的にポイント高かった?」
「……はいはい、ポイント高いよ」
深く考え込みそうな八幡を茶化す小町。今の八幡にはその軽さが有り難かった。
「んじゃ、明日に備えてそろそろ寝よっかなー」
「おう、そうしろ。……小町、サンキューな」
「ん、おやすみー」
就寝の挨拶を交わし、小町は自室へと戻っていった。
静まり返ったリビングに取り残された八幡。
先ほどの自問に答えてくれる者は、電子頭脳のデータベースにも存在しない。
卓上に並んだチョコの包みを見つめながら、八幡は何度も自問を繰り返す。
窓の外では、雪が静かに、どこまでも深く降り積もっていた。
──
翌朝。一面の雪景色となった早朝の比企谷家前。
「ううう〜寒ぅ〜……」
白い息を吐きながら、ぶるぶると身体を震わせる小町。制服姿のため仕方がないが、この極寒の中でスカート姿というのは見ている側まで寒気がしてくる。
「受験票持ったか? 消しゴムとハンカチ、替えの鉛筆は?」
「う〜……大丈夫!」
鞄の中身を最終チェックする小町。土壇場での忘れ物は命取りだ。もし万が一忘れ物が発覚した場合は、エイトマンのハイパーソニックムーブでマッハで試験場へ届ける覚悟だったが、その必要はなさそうだ。
「──それじゃあ、行ってくるであります!」
「おう、行ってらっしゃい。足元気をつけるんだぞ」
ビシッと敬礼し、元気いっぱいに歩き出す小町の背中を八幡は見送った。これまで彼女の勉強に付き合ってきた者として、合格率は極めて高いと電子頭脳のデータが示している。
だが、そんな数字よりも、先ほど見せた彼女の力強い笑顔こそが「合格」を確信させる何よりの証拠に思えた。
(がんばれよ、小町)
「ううっ寒ゥ……。サイン、コサイン、タンジェン……あ、これ出ないんだった!」
遠くから聞こえる妹の戯言に、八幡は呆れ顔で頭を抱える。
(それ教えてない範囲なんだが……。やっぱなんだか急に不安になってきたぞ……)
若干の不安を抱えながら小町を見送り、八幡は家の中へ戻った。本日は公立高校の前期選抜試験日のため、在校生は自宅待機(休み)である。終日降雪の予報が出ており、外出する予定もないため、炬燵でダラダラ過ごすかと考えを巡らせる。
炬燵に潜り込んでテレビをつけると、予報通り一日中雪が降る見込みだった。夕方になって吹雪くようなら小町を駅まで迎えに行く必要があるな、と温かいコーヒーを啜る。
『──速報です。先ほど、メキシコ合衆国政府から緊急声明が発表されました』
アナウンサーが緊張した面持ちでニュースを読み上げる。メキシコといえば中米でも治安悪化やカルテル問題で日常的に話題に上がる国家だが、また新たな政情不安でも起きたのだろうか。
『大統領による記者会見です。これは……』
ぼんやりと画面を見つめていた八幡だったが、映し出された映像に目を見張り、だんだんとその表情を険しくさせていく。
画面に映し出されたメキシコ大統領官邸の壇上。
声明を発表するために着席した大統領の瞳は――『瞬きひとつしない、まるでガラス玉のような人形の瞳』をしていた。
それは――かつて感情を失い、冷酷な機械として覚醒していた頃の比企谷八幡と、全く同じ双眸だった。
画面越しに、異様な圧迫感を伴った大統領の声が響き渡る。
『──我が国は長きにわたり、常に内憂外患に苛まれ、正義は踏みにじられ、利権と暴力を信奉する悪徳の者たちに荒らされ続けてきた』
『──だが、その暗黒と呼ぶべき屈辱の時代に、いま終止符を打つ時が来た。他ならぬ、正しき秩序を信じる者たちの手により、全ての腐敗した膿を搾り出すことをここに宣言する』
『──国内に蔓延する違法薬物を一掃し、その暴利を貪る犯罪組織を根絶するには、彼らを遥かに凌駕する絶対的な力を示さねばならない』
『──ここに集う正しき志を持つ者たちは、もはや薬を必要とせず、食を必要とせず、休息すらも放棄した――永遠なる鋼鉄の軍団である』
『──大統領たる私と、ここに集いし同胞自らの手で証明しよう。……『超人兵士計画』の全土適用を、今まさにこの時をもって発動する』
画面が引きの映像に切り替わると、大統領の背後に立ち並ぶ数百人の政府高官、そして兵士たちが映し出された。
その全員が、一切の微動だにせず、感情の失われた無機質な瞳でカメラを見つめていた。
それは、国家の腐敗と無力さに絶望した人間たちに与えられた、悪魔の囁きがもたらした最悪の結末だった。
一個人の犯罪者やテロ組織ではなく――国家そのものが「機械化」されたのだ。
「マシナリーの、国……だと……」
テレビ画面を凍りついた眼差しで凝視する八幡。
彼が呟いたその言葉は、これから世界を呑み込もうとしている、底知れぬ混沌の幕開けを告げる鐘の音のように、静かな部屋に空景しく響き渡っていた。
──
メキシコ大統領による衝撃的な会見が終わり、画面は再びニューススタジオへと引き戻される。しかし、キャスターの動揺は隠しきれず、カメラの裏側でスタジオ全体が困惑と混乱に包まれているのは火を見るよりも明らかだった。
八幡は超広域情報通信機能を起動し、即座に世界中の情報ネットワークへとダイブする。既にメキシコ政府の「国家マシナリー化宣言」について、世界各国の政府やSNSから無数の通信ログが爆発的に上昇していた。
(一体全体、何が起こってやがる……? 一つの国家が唐突にマシナリー化するなんて……昨日今日の突貫工事で実行できるような代物じゃねぇぞ……)
マシナリー技術は未だにアメリカやロシアといった一部の超大国が最先端技術として独占・秘匿している領域だ。政情不安が続く中米の国家が、突如として全権を握り変革を果たすほどの巨額な資金や製造プラント、技術的ノウハウを有しているとは到底考えにくかった。
一刻も早く現状のログを整理し、背景を探りたい八幡だったが、地球の裏側の出来事を詳細に追うには手持ちの情報があまりにも少なすぎた。
ヴー……ヴー……
思考を巡らせる八幡の手元で、スマホが静かにバイブレーションを鳴らす。
画面に表示されたのは「谷博士」の名だった。
「はい、比企谷です」
『比企谷くんか……。先ほどのメキシコ政府のニュースは、既に確認しているな?』
「ええ。博士、俺もその件について詳しく知りたいと思ってたところです。何か裏の情報を掴んでいますか?」
『うむ。まだ確定的な証拠とまでは言えんが、やはり……これは『Genesis』が深く関与しているとしか思えない事態だ。今日、すぐにこちらに来られるかね?』
「大丈夫です。すぐに伺います」
『分かった。待っているよ』
通信を終了した八幡は、冷めかけたコーヒーを一気に胃袋へ流し込んだ。
コートを羽織り、玄関を出て降り積もる雪の空を見上げる。
(嫌な予感しかしねぇな……)
谷博士の推測通り、これがGenesis……そしてあの「超人類」どもが引き起こした破滅の序曲だとしたら、間違いなく自分や奉仕部の周囲にも再び戦いの火の粉が降りかかる。
胸の奥で湧き上がるざわつきと不吉な予感を押し殺し、八幡は加速装置を起動。吹雪の夜空へと跳躍し、超音速移動で谷製作所へと向かった。
──
谷製作所に到着した八幡は、雪を払いながらそのまま地下のラボへと向かった。自動扉の数メートル手前に差し掛かったところで、八幡の感応センサーが部屋の内部から『二つ』の生体反応をサンプリングする。
(博士の他に誰か居るな……。警視庁の田中課長か?)
そのまま入室すると、見慣れた白衣の老人・谷博士のほかに、やはりもう一人、ゲスト用のレザーソファーに深く背を預けている人物が居た。
「博士、お待たせしました」
「おお、来たか比企谷くん。早速だが、例のメキシコの件について幾つか分かったことがある。まあ、そこに掛けてくれたまえ」
「はい。……あの、そちらの方は?」
八幡が視線を向けると、ソファーに座っていた人物――恰幅のいいガッチリとした体格の壮年男性が、ギョロリとした大きな眼球を八幡へ向けた。どこか毒蛇や爬虫類を思わせる、不気味でねっとりとした存在感を放つ瞳だった。
「ああ、紹介しよう。彼は私の古い友人の科学者でね、名は……」
「コズマだ。君が噂の『エイトマン』だな? よろしく頼むよ」
「……どうも」
コズマと名乗った壮年の男性は、重々しい足取りで立ち上がると、八幡に向かって太い手を差し出してきた。
言われるまま、その手を握り返す八幡。
(……なんだ……? このオッサン、どこかおかしい。こんな変な感覚は初めてだ)
手を握り合った瞬間、八幡のプロセッサに正体不明の警報が駆け巡った。
皮膚から伝わる体温は通常の成人男性のそれであり、骨格スキャンでも金属反応は一切感知されない。どこからどう見ても生身の人間だ。
それにもかかわらず、エイトマンの超人的な『センス』は、目の前の「コズマ」という男の存在そのものに対して、最大級の危険信号を発していた。
「フッ……いい勘をしているな、エイトマン」
握手をしたままのコズマが、口の端をニイッと歪めて笑った。
「お前の活躍は本国アメリカでも大いに話題になっていてな。あの『俗物』どもがエイトマンの戦果を聞かされるたびに、苦虫を噛み潰したような愉快な顔をするのを、わしは何度も見物させてもらったよ」
(俗物って……まさか、アメリカの大統領……いやいや、そんなバカな話があるか)
瞬時にある恐ろしい可能性へ思い至った八幡だったが、すぐに首を振って否定した。あまりにも現実味が欠けているし、仮にそうだったとしても自分には無関係の政治的揉め事であってほしいと強く願う。
八幡が不審感を抱いていると、谷博士がデスクの端末を操作しながら、コズマの正面の椅子へと腰掛けた。
「しかしコズマくん、君ほどの大物がアメリカから亡命してくるとはな……」
「ふん……流石に身の危険を感じたからな。わしの研究成果を横取りしようと群がるクズどもは、吐いて捨てるほどいた……。今回のメキシコの騒動は、本国を抜け出す亡命の口実としてはお誂え向きだったのさ。今頃あいつらは大騒ぎだろうよ。ざまあないね」
くっくっく、と他人を腹の底から馬鹿にしたような嫌らしい笑い声を漏らすコズマ。
それを見た八幡は、本能的にこのコズマという人間の歪んだ根性を察した。
世の中の全てを斜に構えて見下すタイプ――そして、自分以外の他者を全て「駒」としか思っていない、究極の自己中心主義者だ。
「比企谷くん、コズマくんは化学と物理学の分野で『鬼才』と謳われた超一流の権威でね。しばらくの間ここに滞在し、我々に協力してくれることになったんだ」
「はぁ……それはどうも、よろしくお願いします」
(鬼才って……。やっぱりこのオッサンもデーモンと同じ系統の人間なんじゃないだろうな?嫌だぜ?これ以上変態が増えるのはさ……)
「なに、こちらこそ願ったり叶ったりだとも。あの『エイトマン』と肩を並べて研究ができるのだからな。まあ、せいぜいお前たちの足を引っ張らん程度には腕を振るってやる」
相変わらず不気味な笑みを浮かべ続けるコズマ。
彼は八幡の顔ではなく、その内部に組み込まれた超金属フレームや原子炉、すなわち『エイトマン』としての躯体構造を、舐めるようにジロジロと観察してくる。
八幡にとって、それは極めて不快な視線だった。
コズマという男は、比企谷八幡という人間を一切見ていない。彼が見ているのは、目の前にある「兵器(モノ)」でしかなかったのだから。
──
「さて……それでは本題に入るとしようか」
谷博士がコンソール端末を操作しながら、重々しい面持ちで切り出した。
「君たちも察しているとは思うが、メキシコ政府に最新のマシナリー技術を供与し、全土マシナリー化を裏で手引きしたのは『Genesis』の仕業と見て間違いない」
「やっぱりそうですか。では、その背後で糸を引いているのはやはり……『超人類』ですか」
「ああ。奴らは元々、自分たちが生み出した先進的な科学技術を軍事転用し、世界各地の紛争地帯や危険領域へ裏から密輸・散布することで莫大な活動資金を得ていたらしい。これはロシアの情報筋から得たものだ。信憑性は高い」
(ロシア……デーモン博士の情報網か)
もはや切っても切れない腐れ縁となったデーモン博士の顔が八幡の脳裏に浮かぶ。世界規模の暗闘において、彼が谷博士に有利なログを提供していても何ら不思議ではなかった。
「Genesisか。知っているぞ。わしの所にもしつこいくらいにスカウトの通信が送られてきおったわ。まあ、己の身の程を知らん無礼者どもには、それ相応の痛い目に遭わせてやったがな」
鼻で嗤うコズマに対し、谷博士は少し意外そうに眉をひそめる。
「……それは少々意外だな。君という男なら、いつか自身の研究成果を最大級に評価・提供してくれるパトロンの元へ身を寄せると思っていたのだがね」
「評価だと? ハッ、バカを言うな! わしがそんな安っぽい賞賛や金で踊らされる青二才に見えるか!?」
谷博士の問いかけを、コズマは大笑いして一蹴した。
「いいか、『あの研究』は世界で唯一、わしだけのものだ。わしが今この世界を支配する物理的・化学的法則を片っ端から塗り替えてやるのさ。どこまでもわし自身の個人的な娯楽と快楽――ただそれだけのために産み落とした代物だ。決してその他大勢の『有象無象』のために作ったわけではない!」
「……ああ、そうだったな。君は昔から、そういう徹底した人間だったよ。すまなかった」
己の純粋な狂気を熱っぽく語るコズマと、どこか深く納得したように頷く谷博士。
二人の間に横たわる長い過去を八幡が知る由もないが、同じ一級の研究者でありながら、思想の根本が完全な対極にあることだけは理解できた。デーモン博士がそうであったように、このコズマという男もまた、自らの研究と頭脳に絶対の自負と傲慢さを抱いているのだ。
「お二人とも、熱くなってる所悪いんですが話が脱線しています。今はコズマ博士個人の研究は関係ありません」
「うむ、そうだな……。では、話を本筋に戻すとしよう」
谷博士は一息つくと、再び自論を展開した。
「今回のメキシコの件は、超人類から既存の世界秩序に対する露骨な『挑発』と考えて良いだろう。メキシコは超大国アメリカの真隣に位置する。現行の国際秩序でパワーバランスの頂点に君臨する国家のすぐ足元に、突然として最新鋭のマシナリー部隊が現れたのだ。アメリカが自国への明白な威嚇と受け取っても何ら不思議ではない」
「まあ、それも奴らの出方次第だろうがね」
谷博士の予測を聞いたコズマが手を振りながら続いた。
「今後の展開次第じゃ、中米が瞬く間に世界最強クラスの軍事力を手に入れることになる。アメリカにとっては喉元に鋭利なナイフを突きつけられたようなものだ。中東で遊んでいる余裕など、一瞬で吹き飛ぶだろうよ」
マシナリー技術は、ある意味では既存の核兵器すら凌駕する脅威となる。
戦車を素手で叩き潰す圧倒的パワーと、レーダーを置き去りにする極超音速の移動能力を備えた超人部隊は、従来の軍隊の兵器体系では絶対に防ぐことができない。
そんな悪夢のような技術を、たった一晩で国家規模へ適用してみせたGenesis。
その真の目的は、今の八幡の電子頭脳でも瞬時に導き出せるものだった。
超人類は、中米というひとつの国家を『巨大な実験場』として選んだのだ。
国家レベルで行われる科学実験。
「メキシコ」という巨大なフラスコの中に、人間と機械という劇薬を注入し、どんな破壊的化学反応が起こるかを高みの見物で観測している。
(そして、奴らが導き出した実験データを喉から手が出るほど欲しがる『大国』といえば……わざわざ口に出さなくても目に見えている……)
世界全体の枠組みが、音を立てて塗り替えられていくような強烈な悪寒があった。
平凡な高校生として、当たり前のように享受できるはずだった日常が、一瞬のうちに脆く崩れ去っていく。
そんな狂った世界の中で、自分には一体何ができるのか?
八幡は自問する。エイトマンとして、奴らと同じ「科学の落とし子」として、迫り来る圧倒的な世界の崩壊にどう立ち向かうべきなのか?
途方もない事態へと突入していく絶望的な環境の中で、八幡は必死に大切なものを繋ぎ止めるような思いで、拳を強く握りしめていた。
「む……どうやら、向こうも始まるようだぞ」
谷博士が表情を険しくし、急いでコンソールのキーを叩いて大型メインディスプレイを起動する。
谷製作所から個人的に地球周回軌道上へ射出・潜伏させている独自の観測衛星からのリアルタイム映像が、モニターに鮮明に映し出された。
画面に映し出されたのは、雪の降る夜の闇の中――マシナリー化を果たしたメキシコ軍の超人部隊が、国内最大の薬物カルテルの本拠地を、今まさに一方的に蹂躙・粉砕しようとする場面だった。
世界の歯車が、破滅へ向けて狂い出した瞬間だった。