——エイトマン・リボーン—— 比企谷8幡は鋼鉄の夢を見るか   作:りかるど

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第百三話:破壊衛星グングニル

 

 

 窓の外に目をやると、面接を終えて解放感に浸る制服姿の中学生たちが、駅前通りをちらほらと歩き始めているのが見えた。

 京華の相手をしつつ、思い出したかのように沙希とポツリポツリと言葉を交わしていると、ポケットの中でスマートフォンが小刻みに振動した。画面を覗き込むと小町からの着信通知。短く「駅前のサンマルクにいる」とメッセージを送り返した直後、トントンと窓ガラスをノックする軽い音が響いた。

 視線を上げると、窓の向こうで満面の笑みを浮かべた小町が、両手をひらひらと振っていた。

 

「おわったー! いえーい!」

 

 自動ドアをくぐり抜けて店内へ入ってくるなり、小町は両腕を天高く突き上げて歓声を上げた。店内の視線が一瞬集まるが、本人はそんなことなど露ほども気にしていない様子だ。

 

「おう、いえーい」

 

 八幡も調子を合わせて気のない返事をしながら、だらしなく掌を突き出してパチンと打ち合わせた。すると小町はそのまま流れるようなステップで、すぐ隣の席へと躍り出る。

 

「沙希さん京華ちゃんも! いえーい!」

「いえーい!」

 

 京華はなんの躊躇もなく、満面の笑みでシームレスに小町の差し出した掌と小さな手を打ち鳴らした。完璧な連携である。さらにその勢いのまま、小町は沙希の目の前へ両手を突き出した。

 

「なっ……」

(うわ、川崎さんめっちゃ戸惑ってますね……)

 

 普段の鋭い眼光や元ヤン気質の威圧感はどこへやら、沙希は顔を耳まで真っ赤に染め上げ、信じられないものを見るような目で三歩ほど後ずさった。

 

「い、いえーい……」

 

 蚊の鳴くような消え入りそうな声で、恐る恐る指先を合わせた沙希に対し、小町は不満げに頬を膨らませて容赦なくやり直しを要求した。

 

「うわ、声ちっさ! 沙希さん声ちっさ! もう一回!」

「い、いえーい! ……なんなのこの妹!?」

 

 やけっぱちで声を張り上げてハイタッチに応じた後、沙希は「あんたのせいでしょ」と言わんばかりに八幡をキッと睨みつけてきた。

 

(いや、俺を睨まれても困るのだが。とはいえ、妹がやらかしたテンションの不始末はお兄ちゃんが清算しなければならない)

 

 八幡は苦笑しながら、手元にあった冷水のグラスを小町へ差し出した。

 

「なんかごめんね? 試験終わって頭のネジが全部飛んじゃってるみたいで。……ほら小町、水。飲んで落ち着け」

「ありがとー! でも、お兄ちゃんの飲みかけはちょっと気持ち悪いから自分で買ってくるね」

 

 にっこりと無垢な笑顔を浮かべ、差し出されたグラスを綺麗にスルーして注文カウンターへと歩き去っていく妹。

 

 八幡はその場に石化した。

 

「……っ、ふ」

 

 横から沙希が吹き出し、クスクスと肩を揺らして笑っているのが視界に入る。

「ちょっと気持ち悪い」という、生々しくリアルな拒絶を真正面から喰らった八幡は、「うぐぅ……」と喉の奥で呻き声を漏らしながら、力なくカウンターのテーブルへと突っ伏した。

 

 手早く注文を終えた小町が、プラスチックカップに入ったアイスカフェラテを片手に八幡の隣のハイチェアへと戻ってきた。ストローをちゅーっと吸い上げ、ぷはっと息を吐き出す。

 

「お疲れさん」

 

 八幡がカウンターに突っ伏した姿勢のまま横目で労うと、小町は「うん、疲れたー!」とあっけらかんと頷いた。

 昨日の筆記、そして今日の面接に至るまで、ずっと喉の奥に小骨が刺さったような息苦しさを抱えていたのだろう。その重圧からようやく解放された安堵からか、小町は八幡の真似をするように、テーブルの上へと上半身をぐでーっと預けた。

 脱力しきった兄妹が並んで同じポーズを取る様を、隣の席の京華が丸い瞳でじっと観察していた。

 

「……にてる」

「……え」

 

 ぽつりと漏らされたその呟きに、小町はピクリと眉を跳ね上げ、顔だけを横に向け心底嫌そうな表情を浮かべた。

 

「はーちゃんと小町って、すっごく似てるね。どっちがちょさっけん違反?」

 

 首を傾げてほほーうと感心してみせる京華に、沙希が額を押さえて「また変な言葉覚えて……」と深いため息をつく。

 それより八幡としては、小町が今しがた見せた「超嫌そうな顔」に地味な精神的ダメージを負っていた。いや、思春期の女子中学生が兄貴に似てると言われて嫌がる理由は痛いほど分かるのだが、分かっていても普通に傷つく。確かに自分は父親似の腐った目つきで、小町は母親譲りの愛嬌ある顔立ちのはずなのだが。

 

(とはいえ……こうして気を抜いてる時とか、嫌そうな顔をして口をへの字に曲げてる瞬間とか、すげぇ俺に似てんだよな……)

 

 八幡は電子頭脳の画像認識ルーチンを起動し、小町のフェイスラインと自身の骨格データを無意識に照合しながら、しげしげと妹の横顔を観察した。

 八幡の視線に気づいた小町は、「けぷこん、けぷこん」とわざとらしい咳払いを挟むと、営業用の苦笑いを京華へ向けた。

 

「うーん……まあ、兄妹だからねぇ……」

 

 そこには諦めとも照れ隠しともつかない微妙なニュアンスが漂っていたが、小町はすぐにその空気を振り払うように、ハイチェアをずりずりと引きずって京華の元へにじり寄った。

 

「それより京華ちゃんも沙希さんとすっごく似てるよね! そっくりだもん! 将来は絶対美人さんになるよー!」

「んふふ、小町ちゃんも可愛いよー」

 

 京華はその手の褒め言葉には慣れっこなのか、ふにゃーっと目尻を下げて誇らしげにお礼を返した。

 一方で、間接的に「美人」のレッテルを貼られた沙希は違った。

 

「なっ……!」

 

 言葉を喉に詰まらせ、耳の先から首筋までを一瞬で林檎のように真っ赤に染め上げると、そのままカチンコチンにフリーズしてしまった。

 

(うーん……素直に美人と言われただけでこの狼狽えっぷり。これでは腹の探り合いが日常茶飯事な女子グループのヒエラルキーから弾かれて当然ですわ)

 

 普段のトゲトゲしい威嚇が嘘のように純情で可愛らしいリアクションを見せつけられ、八幡は珍しい生き物を観察するような目で内心ニヤニヤが止まらなかった。

 沙希は「んっ」とわざとらしく咳払いをすると、真っ赤になった顔の照れ隠しとばかりに、八幡へ刺すような視線を向けた。

 

「……相変わらず、仲良いね」

「いや結構割と、マジでそんなことないです」

 

 八幡が口を開くより早く、隣の小町がすまし顔のマジトーンで即答した。

 

「おい、お兄ちゃん普通に悲しくなるからやめてくれない?」

「ぶっちゃけ、たまに超うざい♡」

 

 小町はあざとく首を傾げて小悪魔風にトドメを刺してくる。精神的に深く抉られる八幡と小町のコントのような応酬を見て、沙希はふっと口元を緩め、椅子の背もたれから紙袋を手に取って立ち上がった。

 

「そろそろ行く。帰ってお昼ご飯作んないと」

「あ、それじゃ小町たちも帰ろっか」

 

 小町もストローを離し、バッグを肩に掛けて立ち上がる。

 

「ん? 外食はどうすんだよ」

 

 八幡が聞くと小町はどこか憑き物が落ちたように伸びをした。

 

「なんかね、すっごくホッとしたら、家に帰って普通に家事とかしたくなっちゃった」

「……あんたの妹、本当に変わってるわね」

 

 呆れたように苦笑する沙希の言葉に、八幡も肩をすくめるしかなかった。結局、駅ビルの食品売り場で少し買い出しをしてから帰宅することになった。

 カフェの自動ドアを出て、冷たい風が吹き抜けるロータリーの片隅で別れの挨拶を交わす。小町が「大志くんにもよろしく言っといてください!」と手を振り、沙希も「うん、伝えとく」と短く頷いた。

 

「それじゃあ──」

 

 沙希が京華の手を引いて背を向けかけた、その刹那だった。

 

 八幡の頭部複合センサーが、大気を超音速で切り裂いて迫る極小の質量体を感知した。

 思考を介する暇もない。反射速度のプロトコルが右腕を強制駆動させ、空へと振り抜く。

 常人の網膜には八幡の腕が一瞬ぶれたとしか映らない、神速の迎撃。

 

 閉じた右手を胸元へと引き戻し、掌を開く。

 

 そこには、頭部装甲を一点突破で貫通すべく撃ち出された、高初速のライフル狙撃弾がねじ曲がって転がっていた。

 

(──狙撃……!?)

 

 八幡の奥歯がギリと軋み、視界の隅のシステムアラートが一瞬で最高警戒の真紅へと跳ね上がる。

 

「……お兄ちゃん? どしたの?」

 

 突然動きを止めた八幡を不審に思い、小町が立ち止まって覗き込んできた。八幡は掌の弾丸を瞬時にポケットへ滑り込ませると、努めて平然とした声を絞り出した。

 

「いや……なんかデカい虫が飛んできただけだ。……悪い小町、ちょっと急ぎで寄るとこが『出来た』」

「えーっ、今から? 小町、荷物持ち要員としてお兄ちゃんを連れて帰る気満々だったんだけどー」

「ごめん、すぐ戻るから」

 

 不満げに唇を尖らせる小町に詫びつつ、八幡は沙希へと鋭い目配せを送った。

 沙希は八幡の強張った横顔と、その眼奥に宿るただならぬ気配を瞬時に察知したのだろう。アイスブルーの瞳を鋭く引き締めると、すっと小町の肩を抱き寄せた。

 

「……じゃ、途中まであたしらが送ってくよ。ついでだし」

「え、ええ〜!? ちょっ……」

 

 沙希の機転に、八幡は心の中で深く頭を下げた。

 

 すまない──。

 

 三人が背を向け、雑踏の中へと歩き出したのを見届けた瞬間、八幡は身を翻して駅前の薄暗い路地裏へと滑り込んだ。

 推進プロトコルを点火。

 足裏のアクチュエータがアスファルトを蹴り砕き、その身体は一瞬にして超音速の領域へと突入した。

 白昼堂々、小町や沙希、そして京華まで巻き添えにしかねない距離から放たれた凶弾。

 

 ──断じて、許すわけにはいかなかった。

 

 駅ビルの垂直な外壁を重力など意に介さぬ速度で駆け上がり、屋上の給水塔の頂点へ着地する。

 八幡の視覚センサーが超遠隔視モードへと切り替わり、弾道ログを逆算して追跡ルートを即座に割り出した。

 捕捉枠(レティクル)の向こう側、裏通りの雑踏を縫うように疾走する黒い人影。その加減速の異常なレスポンスと走行速度は、生身の人間が肉体強化によって到達できる限界値を優に超えている。サイボーグか、あるいは完全な戦闘用マシナリーだ。

 

 周囲半径百メートル以内の民間人反応をスキャンし、死角を特定。

 

 八幡の皮膚装甲が瞬時に無機質な鋼の光沢を帯び、純然たるエイトマンの姿へと変貌した。推進器から青白いプラズマの閃光が弾け、屋上から路地裏へと急降下する。

 狭い裏路地を駆けていた逃走者は、頭上の殺気に気づいた瞬間、背負っていた大型スナイパーライフルを滑らかな動作で構え直した。銃口がエイトマンの眉間を捉えかけたその刹那、

 

 ──ザシュッ。

 

 エイトマンが無造作に振り下ろした手刀が、チタン合金で補強された重狙撃ライフルの銃身ごと機関部を呆気なく両断した。

 

「──」

 

 言葉すら発させず、鋼鉄の右手が逃走者の首元を万力のように鷲掴みにする。そのまま全体重を乗せて背後のアスファルトへ力任せに叩きつけた。亀裂が蜘蛛の巣状に広がり、鈍い衝撃音が路地裏に反響する。

 

「無駄かもしれないが一応聞いておく。……超人類(Genesis)の差し金か?」

 

 エイトマンの口から漏れたのは、一切の感情を排した無機質な合成音声だった。

 内部スキャンを走らせるが、自爆シークエンス等の異常な熱反応は見当たらない。拘束された逃走者は身悶えすることもなく、無感情なガラス球のような両目でエイトマンを見上げていた。

 呼吸も脈拍もない。肉体の一部すら残されていない、完全な遠隔操作型のマシナリーだ。

 

(……やはり操り人形か)

 

 これ以上尋問しても時間の無駄だと判断し、中枢コアを機能不全に追い込むべくプラズマの光を帯びた指先を向けた瞬間、マシナリーの口元のスピーカーからノイズ混じりの変調音声が流れた。

 

『さすがですね、エイトマン。あの程度の初速では牽制にすらなりませんか』

 

 機械的に加工された音声は抑揚がなく、通信元の年齢も性別も特定させない。

 

「俺を白昼堂々狙撃しておいて、どういう了見だ」

『ほんの挨拶代わりですよ。エイトマンのスペックを前に、あの程度の狙撃で仕留められるなどとは最初から考えていません。あなたを人混みから単独で誘い出すためです』

「誘い出すなら、もう少しマシな手を使え」

 

 冷たく言い放つエイトマンに、スピーカーの主は悪びれる様子もなく形ばかりの謝罪を口にした。

 

『それは失礼いたしました。……では、本題に入りましょう。あなたが我ら超人類と戦う道を選ぶのか、それとも雪ノ下雪乃と共に我らの元へ恭順するのか。どちらの道を選択するのか、我々としても大いに興味がありましてね』

「……何が言いたい」

『あなたの最大の懸念は、大国による飽和ミサイル攻撃でしょう。いかに規格外の性能を誇るエイトマンといえども、成層圏から降り注ぐ複数の大陸間弾道ミサイルを単機で迎撃・無力化する手段は存在しない』

 

 声の主は感情の籠もらない淡々とした口調で、八幡が最も恐れていた急所を正確に突いてくる。

 

『ですから──まずはその懸念事項を、我々がどのように解決できるのかをお見せしましょう』

「何だと……? どういうことだ」

 

 訝しむエイトマンに対し、声の主は極めて平然と、耳を疑うような凶報を告げた。

 

『これから、千葉県に向けて()()()()()()()()()()()()。……もし発射されれば、数分で千葉市内へと着弾しますよ』

「……な、にを言ってやがる」

 

 エイトマンの合成音声に、わずかなノイズが混じる。

 

 眼前で拘束されたマシナリーの口元から、悪夢のような現実が抑揚のない機械音で淡々と紡ぎ出された。

 

『ロシア極東軍の軍事施設。その発射管制システムの中枢は、すでに我々Genesisの電脳侵入部隊の手によって完全に掌握されています。多重暗号化されたファイアウォールも、物理的に隔離されたコマンドラインも、超人類の演算能力の前には無意味でした。今この瞬間、いつでも日本に向けて弾道ミサイルを発射可能な状態にあります』

「くだらないハッタリを弄するなッ!」

 

 エイトマンは吐き捨てるように怒声を浴びせた。

 しかし、その強がりとは裏腹に、電子頭脳の内側ではかつてないレベルの焦燥アラートが激しく点滅していた。

 もしそれが事実なら、どれほどの惨劇が引き起こされるか。

 エイトマンは即座に超空間ハイパーリンクを起動し、大気圏外を周回する谷研究所の極秘監視衛星へとアクセスプロトコルを直結させた。

 ロシア極東部のミサイル基地を捉える軍事偵察カメラの映像データが、網膜ディスプレイへ瞬時にダウンロードされる。

 

「──ッ!?」

 

 そこに映し出されていた光景は、八幡の思考回路を一瞬で凍りつかせるに十分だった。

 雪原を切り拓いて建設された巨大軍事基地。その中央に位置する強化コンクリート製の地下サイロがゆっくりと左右へ開き、中から巨大な質量を持つ弾道ミサイルが一基、白煙を濛々と吹き上げながら発射台へと垂直にリフトアップされていく。

 装填シーケンスは異常なほど滑らかに、機械的な完璧さで進行していた。

 

 ハッタリではない。

 

 超人類は本当に、大国の核戦力基地をたった一つの操り人形のように乗っ取っていたのだ。

 エイトマンは路地裏の地面に押さえつけたマシナリーの首元をギリギリと締め上げ、剥き出しの怒りを叩きつけた。

 

「何を考えている! 千葉はお前たちGenesisの本拠地だろうが! 自分の足元を焼き払って自滅するつもりか!」

 

 しかし、スピーカーから返ってきたのは、嘲笑すら含まない冷徹で乾いた声音だった。

 

『自滅? とんでもない。これはあなたに我らの圧倒的な力を分かり易く見せてあげるための……言うなれば、デモンストレーションですよ』

「デモ……だと……!?」

『では、ご覧なさい』

 

 声の主が宣告を終えたその瞬間、衛星カメラの映像の中で、ミサイル発射口から天地を焦がす凄まじい噴射炎が巻き起こった。

 大地を揺るがす轟音とともに、鉄の巨躯が大気を切り裂き、成層圏へと向けて垂直に打ち上げられた。

 

 弾道ミサイルが成層圏を突破したその瞬間、エイトマンの暗号通信回線に谷博士の緊迫した声が直接割り込んできた。

 

『エイトマン! 極東ロシアの軍事サイロから弾道ミサイルの緊急発射を探知した! 弾道計算の結果、弾頭の予測着弾地点は……千葉市内だ! 猶予はない、あと数分で直撃するぞ!』

 

 博士の声には隠しきれない激しい狼狽が滲んでいた。

 

(数分……!?)

 

 エイトマンの電子頭脳が猛烈なオーバークロックで高速演算を開始する。

 いまから市街地全域に退避勧告を出したところで、住民の避難など到底間に合わない。街も、小町も、沙希も、京華も、一瞬で炎の海に呑み込まれる。

防ぐ方法はただ一つ。エイトマン自身が最大出力を解放して成層圏へ急上昇し、弾頭へ物理的に突入して空中爆発を誘発させること。相打ち覚悟の特攻迎撃──。

 

 不幸中の幸いなのは、発射されたのが飽和攻撃ではなく単発のミサイルであることだ。一発だけなら、この身がスクラップになろうとも軌道を逸らし、市街地壊滅だけは阻止できる。

 

 迎撃針路を確定し、足裏の推進アクチュエータへ最大エネルギーを回そうとした、その時だった。

 地面に押さえつけられたマシナリーのスピーカーから、再び平坦な声が漏れた。

 

『大丈夫ですよ、エイトマン。何も心配はいりません』

「……何だと?」

 

 狼狽するエイトマンの耳に、再び谷博士の悲鳴にも似た通信が飛び込んできた。

 

『エイトマン、待て! 衛星軌道上に……今まで観測されたことのない未確認飛行物体が急減速して出現した! 映像を回線に割り込ませる!』

 

 網膜ディスプレイへ転送された衛星カメラの映像が、宇宙の深淵を映し出す。

 

 地球の青い稜線を背景に、暗黒の虚空から姿を現したのは、冷徹な白い金属光沢を帯びた巨大な人工衛星だった。神話に語られる主神の武器を連想させる、異様なまでに長く鋭い突起が地球に向けて突き出されている。

 

(あれは……? 通信衛星でも観測ポッドでもない……あの突起、砲身か!?)

 

 エイトマンの直感を裏付けるように、長大な砲身の基部から先端へと、目も眩むような莫大なエネルギー光芒が青白く収束していく。

 

『御覧なさい、エイトマン。これこそが、我々の力です』

 

 スピーカーの声が告げた瞬間、収束された純白の閃光が、宇宙から地上へ向けて激流の如く撃ち放たれた。

 

 大気圏を貫く極太の光の槍。

 

 それは日本海上空、マッハ数十で再突入を開始しようとしていた弾道ミサイルを寸分の狂いもなく貫き、核反応すら許さず一瞬で分子レベルまで消滅(蒸発)させた。

 

『──日本海上空でミサイルの完全消滅を確認……。光学兵器によって……迎撃された、らしい……』

 

 谷博士の呆然とした、震えるような報告が通信越しに途切れ途切れに届く。

 宇宙から放たれた絶対的な神の一撃。

 路地裏に立ち尽くすエイトマンは、網膜の残像に焼き付いた白き光の槍の圧倒的な力を前に、ただ息を呑むことしかできなかった。

 日本海上空で蒸発した弾道ミサイルの残像が、網膜ディスプレイの隅で淡く明滅していた。

 呆然と立ち尽くすエイトマンの足元から、抑揚のない機械音声が冷徹に響く。

 

『これが、我々Genesisの防空システムです……』

 

 地面に縫い止められたマシナリーは、首元を掴まれた姿勢のまま、平然と言葉を紡ぎ出した。

 

『デモンストレーションのため、少し大袈裟に出力を上げて発射しましたが……本来ならエネルギー調節による連続精密照射も可能です。大国によるミサイルの飽和攻撃など、我々にとっては脅威たりえませんよ』

 

 エイトマンの電子頭脳に、冷たい戦慄が駆け巡る

 大気圏外からの狙撃による超高精度な弾道弾迎撃。それは一介のテロ組織やカルト集団が保有していい兵器の次元を、何光年も逸脱していた。

 既存の超大国の軍事バランスを紙屑のように吹き飛ばす、圧倒的な科学の暴力。奴らは戯れ言ではなく、本気でこの世界そのものを塗り替え、自分たちの秩序で支配しようとしているのだ。

 

『我々を滅ぼそうとするロシアの次の手は、おそらく機甲兵団による地上からの直接制圧だと思われますが……まあ、いいでしょう。その時は存分にお相手して差し上げますよ。この千葉県でね』

 

 事も無げに吐き捨てられた言葉。

 自分たちの生まれ育った街が、大国の最新鋭兵器と超人類の異形どもが激突する凄惨な焦土に変貌する──その光景を思い浮かべ、エイトマンの装甲の内側で回路が軋みを上げた。

 

『では、エイトマン。良い返事を期待していますよ』

 

 それだけを一方的に告げると、マシナリーの無機質な両目からすっと光が失われた。

 内部動力の遮断音とともに首が力なく傾ぎ、通信回線が完全に切断される。

 物言わぬただの鉄屑となった人形を見下ろしながら、エイトマンは冬の冷え切った路地裏で、重い絶望の影を背負ったまま立ち尽くしていた。

 

 

──

 

 

「博士!」

 

 谷製作所のラボの分厚い防音扉が開き、八幡は飛び込んだ。

 

「比企谷くんか。待っていたよ」

 

 メインコンソールの前に陣取っていた谷博士が、険しい表情のまま振り返る。壁一面の大型スクリーンには、先ほど宇宙空間から放たれた閃光の分光スペクトル解析と、衛星軌道上の熱源ログが目まぐるしい速度で展開されていた。

 

「……私は、超人類という存在を完全に見くびっていたかもしれん」

 

 青白い光に照らされた谷博士が、呻くように呟く。

 

「衛星軌道上に、あれほど巨大な質量を持つ構造物を隠し持っていたとはな。それも既存の軍事条約や各大国の宇宙監視網(SSN)の目を完全に欺き、ただの一度も探知させずにだ。ステルス性能と隠蔽機能だけでも、現在の科学水準を軽く数十年は跳び越えている」

 

 八幡もスクリーンへ視線を向ける。

 

「あの光芒の正体は分かったのですか?」

「ああ。観測データを見る限り、原理自体は極めて単純な光学兵器……収束レーザー照射だ。だが、その出力があまりにも規格外すぎる。大気圏へ再突入しようとしていた弾道弾の多層耐熱装甲ごと、弾頭の核物質を一瞬で分子レベルまで蒸発させてみせた。……これほどの熱量を地上へ向けて照射されれば、大都市一つなどほんの数秒で灼熱の灰燼に帰すだろう。地上攻撃兵器としても、すでに完成の域に達している」

「街一つを焼き払えるレーザー……」

 

 八幡の喉が引き攣る。だが、谷博士はそこで眉間に深い皺を刻み、コンソールを激しく叩いた。

 

「だが、物理法則という壁がある。これほどの莫大なエネルギーを、一体どうやって宇宙空間で発電し、瞬間的に供給しているというのだ?」

 

 谷博士が技術的な矛盾に懊悩の息を漏らした、その時だった。

 プシュー、と気密を解除する無機質な駆動音を立てて、ラボの自動ドアが再び開いた。

 

「それについては、私が説明してやろう」

 

 重々しく、底冷えのするようなダミ声がラボの空気を震わせた。

 八幡が即座に振り返ると、そこには漆黒の外套を羽織り、無骨なステッキとともに立つ老科学者──先日立ち去ったはずの、デーモン博士の姿があった。

 

「デーモン……あの衛星兵器に見覚えがあるのか?」

 

 八幡の鋭い問いかけに対し、デーモン博士は苦虫を噛み潰したように顔を歪め、不快そうに唇を尖らせた。

 

「見覚えも何も……アレは、()()()()()()()()

「は!?」

 

 あまりに唐突で荒唐無稽な言葉に、八幡の思考プロセッサが一瞬硬直し、間の抜けた声が漏れた。隣の谷博士も目を丸くして息を呑んでいる。

 そんな二人の動揺など意に介さず、デーモン博士は重い足取りでメインスクリーンへと近づき、無骨な義手の指先で映し出された槍状の衛星を指し示した。

 

「冷戦時代……かつてソ連によって極秘裏に開発が進められていた、軌道上レーザー破壊兵器。それこそが『破壊衛星グングニル』だ。アメリカのSDI構想──いわゆるスターウォーズ計画に対抗すべく、この私が総責任者として設計した」

 

 老科学者の瞳に、かつての狂気と栄光の記憶がギラリと宿る。

 

「北欧神話の主神オーディンが持つ、決して標的を外さない絶対の槍。その名を冠したそれは、衛星軌道上から敵国のあらゆる人工衛星を撃ち落とし、地上施設の全てを一瞬で焼き尽くす、文字通りの『神の槍』となるはずだったのだ。アレは冷戦期における私の最高傑作だった」

 

 かつての栄光の記憶を反芻しているのか、デーモン博士は珍しく感慨深げな表情を見せていた。しかしそれもすぐに忌々しそうに歪む。

 

「だが……ソ連崩壊の混乱期に忽然と行方不明になり、データごと闇へと消えた。まさか、こんな形で再会することになるとはな」

「……なるほど。旧ソ連崩壊時の混乱に乗じ、ブラックマーケットを通じてGenesisの手に渡ったというわけか」

 

 谷博士が顎に手を当て、沈痛な面持ちで推理を口にする。

 

「そうだ。だが谷、お前が先ほど疑問に思っていた通り、当時の技術では宇宙空間での瞬間的な大電力の確保が最大のネックだった。理論は完成していても、実用化には程遠かったのだ。……それも今や解決されたと見ていい」

 

 デーモン博士はぎろりと八幡へ視線を向けた。

 

「私が貴様──エイトマンの身体へ後付けで搭載した『超電導システム』。アレは本来、グングニルへ膨大な励起エネルギーを一瞬で送り込むために設計されたものだ。超人類どもも、何らかの形で私と同じ領域の電力供給技術を確立させたのだろう」

「その結果が、世界の支配というわけか?」

 

 皮肉に満ちた掠れ声とともに、開いたままの自動ドアから紫煙をくゆらせたコズマ博士がふらりと姿を現した。

 

「世界征服なんぞ、どれほど計算してもコストに見合う利益などありはせんがね。だが……あんな馬鹿げた神のオモチャを手に入れてしまっては、Genesisのガキどもが誇大妄想の狂気にとり憑かれるのも無理はあるまいよ?」

 

 コズマは薄笑いを浮かべながら、デーモンへ冷ややかな流し目を送る。

 

「フン……!」

 

 デーモンは鼻を鳴らし、握りしめた杖の石突をラボの床へ激しく叩きつけた。

 

「貴様に私の屈辱が分かるか! 皇帝(ツァーリ)気取りのテロリスト風情に、私の最高傑作が利用されるこの憤りがなッ!!」

 

 怒号が響き渡るラボの重苦しい空気の中、八幡は腕を組み、メインスクリーンに表示された弾道ミサイルの消滅ログをじっと見つめていた。

 

 そして、ぽつりと低く呟いた。

 

「いや……だけど、皮肉な話だが、これで『時間稼ぎ』にはなったんじゃないか?」

 

 八幡の唐突な一言に、谷博士、デーモン、そしてコズマ──三人の老科学者の視線が一斉に八幡へと突き刺さった。

 

「少なくともこれで、ロシアによる千葉への即時飽和爆撃の可能性は限りなくゼロになった。……今頃、向こうの軍も政府も大騒ぎなんだろ?」

 

 メインスクリーンの消滅ログを指差しながら、八幡は淡々と自論を展開した。

 その問いに、デーモン博士は忌々しそうに吐き捨てながら深く頷いた。

 

「当然だ。Genesisにハッキングされたとはいえ、自国の戦略弾道ミサイルが白昼堂々と実射され、おまけに迎撃されたのだからな。防衛ラインの完全な破綻、情報漏洩の責任追及、統帥権の混乱……今や国家そのものがひっくり返るほどの大激震が走っているはずだ」

「なら、当分は次のミサイルなんて撃てっこない。……つまりこれは、Genesisから俺たちに『時間的猶予』を与えた形なんだよ」

 

 八幡の言葉に、谷博士がハッとしたように顔を上げた。

 

「超人類が……猶予を与えた、だと?」

「ああ。あのマシナリー、『良い返事を期待してる』なんてほざいてたからな。あいつらは、俺からの答えを待ってるんだ。ロシアの混乱に乗じて圧倒的な武力を誇示し、俺たちに『刃向かっても無駄だ』と見せつけた上で、今一度自分たちに与するチャンスを与えている。……そういうことだろ」

 

 ロシアが軍の指揮系統を立て直して次の実力行使──機甲兵団による地上からの直接制圧に乗り出すまでの空白期間。それこそが、超人類が八幡に用意した最後のタイムリミットなのだ。

 

(その間に……覚悟を決めろってか。俺が戦うか、降るか……そのどちらかを選択するために)

 

 八幡は静かに目を閉じた。

 胸の奥で、鉛のような重圧がずっしりと沈み込んでいく。

 

「おい……まさか貴様、超人類の軍門に降るつもりじゃないだろうな?」

 

 低く威圧的なデーモンの声が飛んできた。

 目を開けると、痩せた老科学者が疑念と険しさを剥き出しにしてこちらを睨みつけていた。

 八幡は小さく息を吐き出すと、どこか気の抜けた調子で口を開いた。

 

「……デーモン博士、あんたも割と苦労ばっかりしてんだな」

「……は?」

 

 出し抜けに投げかけられた言葉に、デーモンは毒気を抜かれたように目を丸くした。

 

「安心しろよ。俺は……あんなヤバい連中を信用する気なんて微塵もないし、降伏する気もない。ただ……本当に、あと少しだけ考えさせてくれ。俺なりに、納得したいんだ」

「納得……だと?」

「ああ。自分で考えて、納得して答えを出したいんだよ」

 

 それは、比企谷八幡という存在が、今日ここに至るまでに何度も何度も泥臭く繰り返してきたことだった。

 

 電子頭脳による冷徹な演算機能を用いながらも、最後に選んできたのは決して計算ずくの最適解などではない。偽りのない真実の回答──誰かの都合や社会の同調圧力に流されず、自分自身の足で立ち止まり、悩み抜いて掴み取る『本物』の納得。

 

 奉仕部の活動の中で、雪乃や結衣とぶつかり合い、自己欺瞞に傷つき、矛盾に引き裂かれながらも、ずっとそうやって答えを出してきたのだ。

 だから今回も、他人の脅迫や恐怖に背中を押されて決めたくはなかった。

 

 決して後悔したくなかったから。

 

「明日、もう一度ここに来ます」

 

 八幡は谷博士へと向き直り、静かに告げた。

 

「谷博士、準備をお願いします」

 

 谷博士は八幡の腐った魚のような瞳の奥に、消えることのない確かな光が宿っているのを見届け、静かに、だが力強く頷いた。

 

「分かった。万全を期して待っているよ」

「……じゃあ、失礼します」

 

 踵を返し、八幡は研究所の防音扉を押し開けて外へと出た。

 

 夕暮れ時の冷たい風が、金属の身体を容赦なく冷やしていく。

 自らが下すべき重い決断に見合うだけの納得と回答を、この愛すべき日常の街で見つけ出すために、八幡は駅へ向けて歩き出した。

 

 





 今日の投稿は以上です。
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