——エイトマン・リボーン—— 比企谷8幡は鋼鉄の夢を見るか   作:りかるど

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 エイトマンの強化改造案は原作の他に色々採用しています。


第百七話:決戦

 

 

 警視庁および公安部による、千葉県館山市の「Genesis」本部に対する強制捜査が正式に決定された。

 主要幹線道路には装甲車や大型輸送車両が連なり、防弾・対爆装備を固めた特科機動隊が続々と房総半島へ集結していく。

 

 突如として告げられた「国際テロ組織の本拠地が県内にある」という報せに、市民は激しい困惑と恐怖に包まれていた。日常のすぐ隣に潜んでいた非現実的な悪夢。それが事実だと呑み込む間もなく、自治体からは不要不急の外出自粛要請、そして南部地域一帯への「万が一」に備えた緊急避難勧告が矢継ぎ早に発令された。

 

 日本中が息を詰めるような異常な緊張感は、千葉の片隅にある比企谷家にも重く垂れ込めていた。

 

 カーテンを固く閉め切った薄暗い自室の隅で、小町は膝を抱えて小さく蹲っていた。

 その側には、白い毛並みの飼い猫──カマクラが丸くなっている。

 

 兄の八幡が忽然と姿を消してから、すでに数日が経過していた。

 

 学校にも警察にも手がかりはなく、スマートフォンは電源すら入らない。そこへ追い打ちをかけるように舞い込んできた、館山でのテロ組織包囲網のニュース。

 

(もしかして、お兄ちゃん……あの事件に巻き込まれちゃったんじゃ……)

 

 不吉な想像が頭をもたげるたび、小町はぎゅっと目を瞑った。

 

 日頃から何事にも首を突っ込みたがらないくせに、いざとなると自分を勘定に入れず、誰かのために最悪の泥をかぶってしまう兄だ。もし、取り返しのつかない巨大な何かに巻き込まれているのだとしたら──。

 度重なる心労と張り詰めた恐怖で、小町の心身はすっかり磨耗し、弱りきっていた。

 

 窓の外からは、車の走行音も人の話し声も完全に消え失せている。

 街全体が息を殺し、雨戸を固く閉ざして家の中に閉じこもっているか、あるいは早々に県外の親戚を頼って避難してしまったのだろう。不気味なほどの静寂が、部屋の空気をいっそう冷たく重いものにしていた。

 

 もう間もなく、比企谷家も両親と共に親戚の家へ避難する手筈になっていた。

 トランクに詰められた荷物の脇に、兄の分の荷物はない。その厳然たる事実に視線が向きそうになるたび、小町は必死に頭を振って現実を振り払おうとした。

 

「お兄ちゃん……どこに行っちゃったの……?」

 

 ぽつりと零れ落ちた掠れ声は、誰の耳にも届くことなく冷えた空気に溶けていく。

 ただ腕の中のカマクラだけが、その悲痛な震えを気遣うように小さく「ニャア」と一度だけ喉を鳴らした。

 

 

 

──

 

 

 自宅のリビングのソファに深く身体を沈め、いろははぼんやりとテレビ画面を見つめていた。

 本来なら、この時間はとっくに登校を終え、放課後になれば意気揚々と特別棟の奉仕部の扉を開けていたはずだった。三学期末に向けて密かに温めていたプロムの企画を持ち込み、あの不器用な先輩たちを「手伝ってくださいよー」と振り回しているはずだったのだ。

 

 それらすべてが、突如として千葉県全域に下された外出自粛要請と避難勧告によって、綺麗さっぱり吹き飛んでしまった。

 画面の中では防弾チョッキ姿の女性アナウンサーが、背後に映る館山の物々しいバリケードを前に緊迫した声を張り上げている。

 

 だが、そんなどこか遠い国の出来事のような大事件よりも、いろはの頭の片隅に棘のように刺さって抜けないのは、数日前から突如として学校から姿を消した、あの腐った魚の目の先輩のことだった。

 

 ──世界情勢の危機なんかより、比企谷八幡の失踪の方が、今のいろはにとってはよほど重大な大事件だった。

 

 最近、自分の周囲で奇妙な出来事が立て続けに起きすぎている。

 校舎の片隅で起きた原因不明の謎の爆発事故。

 湾岸の高速道路で発生した、まるで大型兵器が暴れ回ったかのような大規模多重事故と路面の損壊。

 ニュースはどれも「設備不良」や「大型トレーラーのスリップ」として片付けていたが、自分の知らない世界の裏側で、途方もなく巨大で危険な何かが蠢いている。

 

 それが何なのか、ただの女子高生であるいろはに知る由もない。だが、持ち前の鋭い『勘』が、ずっと警鐘を鳴らし続けていた。

 

(……もしかして先輩、何かとんでもないことに関わってたりするんですか?)

 

 突拍子もない考えだと自分を嗤う自分がいる一方で、いや、あの先輩ならあり得ると冷ややかに確信するもう一人の自分がいた。

 比企谷八幡という男は、普段はだらしなく、面倒事を徹底的に避けて壁際に縮こまっているくせに、誰かが──特に、『彼女』が関わると、迷わず一番ひどい泥をかぶりにいく。

 

 かつて見た、あの目の奥にある冷徹で危険な鋼鉄の輝き。

 

 常識の枠に収まりきらない巨大な狂騒の中心にあの男が立っていたとしても、なぜかまったく違和感がないのだ。

 

(……もし本当にそうなら、すっごくムカつく)

 

 クッションをぎゅっと抱きしめ、尖らせた唇を埋めた。

 自分だけ何も知らされないまま、蚊帳の外に置かれて、勝手に姿を消して、遠くで危ない橋を渡っているのだとしたら──あまりにもずるすぎる。

 

「……無事に帰ってきたら、タダじゃ置きませんからね」

 

 テレビの画面の向こう、鉛色の雲が垂れ込める館山の空を睨みつけながら、いろはは小さく悪態をついた。

 

「これ、責任取ってくださいねって言って、ありとあらゆる面倒事押し付けて……泣き言言うまで思いっきり弄ってやるんだから……」

 

 強気な言葉とは裏腹に、クッションを握る華奢な指先は、祈るように強く強張っていた。

 

 

 

──

 

 

 同日 AM11:45──

 千葉県館山市、山岳地帯。

 

 

 木々が生い茂る林道の行き止まりに急造された現地対策本部に、砂煙を巻き上げながらマットブラックの最新式装甲トレーラーが滑り込んできた。

 油圧音とともにリアハッチが開き、重装備で身を固めた隊員たちが無言のまま統率された動作で次々と降り立つ。

 

1145(ヒトヒトヨンゴー)時、SAT第一小隊現着! 警備部長命令に従い、現地対策本部に合流します!」

 

 隊長と思わしき男が、指揮車両の前に立つ田中課長へ向けて鋭く敬礼を放った。

 

「よし、直ちに出撃態勢を取ってくれ!」

 

 田中は矢継ぎ早に指示を飛ばしながら、コンソールに展開された警備部からのSAT配置図と突入ルートを食い入るように確認した。

 上空を旋回する偵察ドローンが捉えた「Genesis」本拠地の俯瞰映像が、メインモニターに映し出されている。

 

 山林を切り開いた窪地に佇む施設は、外観だけを見れば民間の物流倉庫か実験プラントにしか見えない。とても世界を揺るがすテロ組織の心臓部とは思えない偽装ぶりだった。

 だが、事前情報によればその地下には幾重にも強固な隔壁とラボが張り巡らされた巨大要塞が広がっている。油断など一片も許されない。

 

 すでに警察と公安の合同部隊、そしてSATの特殊班が周囲一帯を完全に包囲している。一斉突入を仕掛け、一気に地下ハッチを爆砕・浸透すれば瞬く間に制圧を完了できる──書面上では、完璧な手筈が整えられていた。

 だが、田中の胸を締め付けるのは、周囲を支配する不気味なほどの静寂だった。

 

「……何なんだ、この静けさは」

 

 田中は脂汗のにじむ額に手を当て、呻くように呟いた。

 警察と公安の総力を挙げた包囲網が展開され、大型装甲車がエンジンを轟かせているというのに、眼下の施設からは迎撃の兆候も、哨戒ドローンが飛び交う気配も一切ない。窓ひとつ開かず、死に絶えた廃墟のように沈黙を守っている。

ただの油断か。それとも絶対の自信からくる余裕なのか。

 

 あるいは──自分たち警察の戦力など、最初から歯牙にもかけていないという侮蔑なのか。

 

「羽佐間!」

「はっ!」

 

 田中は背後に控える部下を振り返り、低く切迫した声で命じた。

 

「館山基地と習志野基地に対し、引き続き自衛隊の治安出動を要請し続けるよう、本庁の危機管理官に連絡を入れろ! 門前払いされても構わん、要請を出し続けろ!」

「し、しかし課長、上層部の決定は……」

「いいからやれ! 嫌な予感がするんだ……長年この仕事をしてきたが、こんな嫌な胸騒ぎは一度もない」

 

 張り詰めた空気の中、無情にもデジタル時計の数字が切り替わっていく。

 

 11時58分……59分……。

 そして、12:00。

 

 館山の深い山林を揺るがすように、冷徹な作戦開始の定時が訪れた。

 

 

「──全チーム、突入!!」

 

 

 田中課長の怒号が無線機を震わせたと同時に、施設外郭のコンクリート壁が指向性爆薬によって轟音と共に吹き飛んだ。

 白煙を突き破り、SAT対サイボーグ機動部隊がジェネシス本部の警戒ラインへと雪崩れ込む。

 

 防弾・防爆機能を備えたフルフェイスヘルメットの奥で、隊員たちの眼光が冷たく光る。全身を覆う軽量複合ボディアーマー、手には硬質合金装甲すら貫通する高出力の対マシナリー用携行ライフル。寸分の隙もない戦術隊形を維持しながら前進していく。

 

『熱源探知! 前方、メインゲート奥より高出力エネルギー反応!』

 

 先頭を進むポイントマンのヘルメット内インバイザーに、けたたましい赤のアラートが明滅した。

 

 ライフルが一斉に前方へ指向される。

 

 暗闇の向こうから響いてくるのは、足音──いや、それだけではない。擦れ合う金属の不快な軋みと、濡れた肉が床を引きずるような異様なノイズ。

 

「……な、なんだ、あれは」

 

 スコープ越しに標的を捉えた隊員の一人が、思わず喉を詰まらせた。

 闇を抜けて現れた『それら』は、緩慢な動作ですり足のまま近づいてきていた。

 人間か──?

 

 外輪郭だけを見れば、確かに人間の形をしている。

 だが、その歩行動作はあまりに歪で、ゼンマイの狂った粗悪なからくり人形のようにカクカクと不自然に痙攣していた。

 露出した上半身の半分には、医療用装甲とも重機の残骸ともつかない無骨な金属パーツが無造作にボルト留めされ、破れた皮膚の裂け目から剥き出しの太い電気配線が肉へと直接めり込んでいる。

 

 洗練されたサイボーグ技術などではない。

 

 生身の人間の肉体に、麻酔すら考慮せず無理やり機械を溶接・癒着させたような、グロテスク極まりない『出来損ない』の肉塊。

 濁りきった白目、だらしなく半開きになった口からは涎が垂れ、焦点の定まらない視線でSAT部隊を見据えている。

 

「……ろ…して……」

 

 声帯の代わりに埋め込まれた粗雑な発振器から、人間だった頃の呻き声がノイズ混じりに漏れ出す。

 

 突入した隊員たちは知る由もなかった。

 目の前を蠢くこの哀れな実験体たちが、ほんの数日前まで悪名を轟かせながらも、アルフ博士によって文字通り「不要なゴミ」として解体され、再構築された元麻薬カルテル構成員たちの成れの果てだということを。

 

「隊長! 指示を!」

 

 前頭のポイントマンが叫ぶ。

 隊長はフルフェイスのバイザー越しに、眼前に蠢く肉と鉄の異形を凝視した。生身の人間ならざる歪な造形、露出した配線から散る火花。迷う猶予は一瞬たりともなかった。

 

「──敵性サイボーグと判断! 全員、撃てッ!」

 

 号令とともに、乾いた発砲音が狭い地下通路に反響した。

 入隊以来、訓練でしか経験のない『対人射撃』という現実に隊員たちの指先は一瞬わずかに強張ったが、過酷な演習の記憶が肉体を即座に駆動させる。

 

 対マシナリー用の高貫通徹甲弾が火を噴き、フラフラと歩行する構成員たちの胸部、心臓に相当する急所を正確に穿った。

 

 硬質な破砕音とともに肉片と火花が飛び散る。

 だが──標的は弾丸の衝撃でわずかによろめいただけで、何事もなかったかのようにすり足で前進を再開した。

 

「怯まない!? 急所が違うのか!」

「サイボーグ・ゾンビってやつか……! 頭を狙え!」

 

 隊員が瞬時に銃口を跳ね上げ、先頭の個体の眉間へ二連射を叩き込んだ。

 頭蓋を粉砕され、中枢制御を断たれたゾンビが崩れ落ちるように膝をつき、その動きを完全に止める。

 

 仕留めた──そう確信した数瞬後だった。

 

『警告、至近距離に急激な熱源反──』

 

 ヘルメットの警報音が鳴り響くのと、機能停止したゾンビの体内炉心が青白い閃光を放ったのは同時だった。

 

 轟音。

 

 爆風と衝撃波が狭窄した通路内を激しく吹き荒れる。

 至近距離にいた隊員が吹き飛ばされ、背後のコンクリート壁に激突して苦悶の呻きを上げた。

 

「くそっ、機能停止と同時に自爆だと……!?」

 

 死してなお牙を剥く、アルフの仕組んだ悪意の罠。

 

「射撃中止! トドメを刺すな!」

 

 隊長が喉を裂いて叫んだ、その隙だった。

 今までぎこちなく痙攣していたゾンビたちの動きが突如として滑らかに変貌した。狂ったように甲高い駆動音を鳴らし、人間離れした跳躍とスピードで隊員たちへ肉薄してくる。

 

「うわあああっ!」

 

 飛びつかれた隊員が床に押し倒され、必死に銃身で怪物の顎を押し返す。

 その時、組みついてきたゾンビの胸部から、先ほどと同じ異常な高熱源反応がバイザーに点滅した。自爆までのカウントダウン。

 

「離れろッ!」

 

 隊員は渾身の力で相手を蹴り上げ、通路の奥へと放り投げた。

 直後、空中で膨れ上がった火球が空気を焼き尽くす。爆風を浴びながら転がった隊員は、全身を冷や汗で濡らしていた。あとコンマ数秒遅れていれば、自分ごと消し炭になっていた。

 

「距離を保て! 頭部と心臓は撃つな! 手足を撃ち抜いて行動不能に追い込め!」

 

 戦術の即座の転換。隊員たちは距離を保ちながら、這い寄るゾンビの関節部を正確に撃ち落とし、四肢を奪って床に縫い付けていく。

 泥沼の消耗戦を強いられながらも、SATは一歩、また一歩と前進を続け、ついに要塞中央を遮断する巨大な第一防壁の前まで辿り着いた。

 

「ふう……ここまで来れば……」

 

 一人の隊員が息を吐いた瞬間だった。

 ズズン、と全体を揺るがす地響きが鳴った。

 

 数メートルの厚みを誇る特殊合金の隔壁が、内側からの途方もない質量打撃によって飴細工のように外側へひしゃげ、凄まじい轟音とともに吹き飛んだ。

 立ち込める白煙と火花のカーテンを切り裂いて、現れたもの。

 それは先ほどの粗悪なゾンビとは比較にすらならない。

 

 寸分の狂いもない隊列。艶消しの漆黒装甲。完璧な幾何学美と冷徹な機能美を併せ持つ、鋼鉄の軍勢。

 かつて中米のカルテルを一瞬で蹂躙し、全世界を震撼させたGenesisの主力部隊──『マシナリー』が、一切の感情を排した無数の紅い光学センサーを光らせ、整然と視線を向けていた。

 

 隊員たちの喉から、言葉が失われた。

 本当の戦いは、ここからだった。

 

 

 

──

 

 

 意識の輪郭が、ぬるま湯に溶け出していくような感覚があった。

 

 比企谷八幡は、0と1の狭間にどこまでも広がる無機質な深淵に、ただ独り浮かんでいた。

 それは、エイトマンという機械の肉体に組み込まれた電子頭脳の、最深層に広がるシステム領域を内側から俯瞰している状態だった。

 

 目を閉じているはずなのに、意識のスクリーンを膨大な情報が濁流となって通り過ぎていく。

 かつて生身の人間だった頃、脳が無意識のうちに処理していた呼吸、心拍、体温、視界の網膜像、皮膚を撫でる空気の流れ──それら数億、数兆の曖昧な感覚のすべてが、ミリ秒単位で厳密に計算された『確定値』として冷徹に把握される。

 

 世界とは突き詰めればすべて数字の羅列で記述できるという事実を、この電子の海は残酷なまでに思い知らせてくる。

 そして今、その数値の書き換えによって、自分という存在が根本から別の何かへと作り変えられつつあった。

 

 もともと、このボディは未知なる深宇宙を切り拓くための探査機として設計されたものだ。

 極限環境に耐え、人類の明日を切り拓くための科学の結晶。

 それが今、地上の一切を粉微塵に叩き潰し、分子の結合すら引き千切るための純粋な破壊兵装へと塗り替えられていく。

 

 激痛はなかった。

 後悔も、葛藤も、崇高な使命感すら湧き上がってこない。

 

 ただ、1が0へと反転し、0が1へと上書きされていく。

 システムログの文字列が淡々とスクロールし、書き換えられたプログラムが冷え切った神経網を次々と満たしていく。

 

 八幡はおもむろに、自らの右手を眼前へと持ち上げた。

指先を動かしてみる。

 微小なモーターの駆動音すら発せず、かつてないほど滑らかに、恐ろしいほどの精度で指が折り畳まれる。

 

 見慣れていたはずの右腕。

 

 誰かを救い、誰かの手を握り損ね、そして最後にあの少女の手首を振りほどいた、自分自身の腕。

 だが、そこに宿る気配は、もはやかつての鋼鉄の腕とは似ても似つかないものへと変貌していた。

 

 骨格の奥深くに組み込まれた超振動の鼓動。

 未体験の莫大なエネルギーを受け止めるために焼き直された超電導のバイパス。

 

(……ああ)

 

 八幡は、冷徹な数字の海の中で静かに思った。

 この腕はもう、誰かの涙を拭うためのものでも、誰かと手をつなぐためのものでもない。

 

 触れるものすべてを、塵へと還元するためだけの凶器だ。

 黒い深淵の底で、八幡は一度だけ強く、その見知らぬ拳を握りしめた。

 

 

──

 

 

「完成だ。……ついに、成し遂げたぞ」

 

 デーモン博士が荒い息を吐き捨て、額に浮いた脂汗を乱暴に拭った。その双眸は、眼前に鎮座する円筒状のカプセルへ釘付けになっている。

 プロトタイプエイトマンのボディ持ち、肉体的な疲労とは無縁のはずの谷博士ですら、極限の集中作業を終え深く重い息を吐き出してコンソールの縁に手を置いた。

 

 シューッ、と甲高い減圧音とともに冷却蒸気が噴き上がる。

 八幡を包み込んでいた整備用ポッドが左右へとゆっくり展開していった。

 

『──全系統、同期完了』

『メイン炉心、臨界突破出力を維持』

『超電導システム、安定稼働』

『ギガ・バイブレーション、スタンドバイ』

『オールグリーン……』

 

 無機質な電子音声が、改装された深海の研究室に次々と響き渡る。

 

 コードネーム『8th(エイス)』から『Neo(ネオ)』へ──。

 敢えてこの存在に新たな名を与えるならば、それは『新生(ネオ)』。

 

 

 ──エイトマン・ネオ。

 

 

 完成を告げる最後のシステムシグナルが鳴り響いたその刹那、ポッドの暗がりの中で、エイトマンの双眸がカッと見開かれた。

 電子の光が宿ったのではない。

研ぎ澄まされた鋼の刃のような、冷徹な光彩がカプセル内の蒸気を貫いたのだ。

 

「起動したか……!」

 

 谷博士は息を呑む間もなく、電光石火の速さでメインコンソールへ指を走らせた。

 

「ハンガーレール接続! エイトマンを第一射出カタパルトへ移送! バラストタンク全排水、急速浮上急げ!」

 

 巨大な潜水艦がスクリューを唸らせ、深度500メートルの暗黒から海面を目指して急上昇を開始する。

 太平洋の海原を割って、巨鯨のような黒い艦体が白波を巻き上げながら海面上へと躍り出た。水飛沫が日光を浴びて砕け散る中、艦首上部のカタパルトハッチが油圧音と共に全開となる。

 

 電磁加速レールに固定されたエイトマンの背部スラスターが、青白いプラズマの火花を爆発的に吹き荒らした。

 

 ドォォォォンッ!!

 

 大気を踏み抜くような爆音と共に射出口から撃ち出されたエイトマンは、一瞬で音の壁を突き破り、冬の太平洋上空へと猛スピードで飛び去っていった。

 ハッチを押し開け、冷たい海風が吹きつける甲板へと飛び出したデーモンが、空を切り裂く黒い弾道を見上げて感慨深げに呟く。

 

「見ろ、ヴァレリー。エイトマンが飛び立ったぞ。……お前の息子が、我らの知恵が生み出した最高傑作が」

 

 天を仰ぎ、顔に刻まれた無数の皺に疲労を滲ませながらも、デーモンは科学者としてのこの上ない満足感を浮かべていた。

 谷博士もまた、荒波に揺れる甲板に立ち、水平線の彼方──千葉の空へと消えていく一条の光跡をじっと見つめていた。

 

 その瞳に宿るのは、科学者の業か、あるいはひとりの少年を修羅の道へと送り出してしまった親としての悲哀か。

 白髪を寒風に乱しながら、谷博士は祈るように、そして命じるように口を開いた。

 

 

 

「──征け、エイトマン。弾丸(たま)よりも速く!!」

 

 

 

 

──

 

 

 

 

 爆砕された地表ゲートの残骸が散らばる荒野で、SAT第一・第二部隊は地獄のような防戦を強いられていた。

 

「弾幕を薄くするな! 牽制し続けろ!」

 

 指揮官の怒号が響く。

 最新の防弾装甲と対マシナリー徹甲弾を装備しているおかげで、部隊は辛うじて陣形を保ち、全滅の危機を免れていた。だが、それも戦況を覆す決定打には程遠い。

 

 ズガァン!

 

 数百メートル離れた別棟の鉄塔から、狙撃チームの高精度ライフルが火を噴いた。

 重金属弾が先頭のマシナリーの膝関節を吹き飛ばし、巨体を前のめりに崩落させる。

 

『接近戦に持ち込ませるな! 距離を保て!』

 

 無線越しに叫ぶ狙撃班は、突入部隊の肉薄されるリスクを減らそうと必死の支援射撃を繰り返していた。

 

 だが、それも時間の問題だった。

 あまりにも敵の数が多すぎる。

 

 一台一台が戦車並みの馬力と装甲を備え、人間の常識を遥かに超越したパワーと持久力を誇るマシナリー。生身の人間であるSAT隊員たちが正面から渡り合うには、構造的な限界があった。

 純粋に『体力が追いつかない』のだ。

 

 精神的な恐怖も、筋肉の疲労も知らない鋼鉄の兵士たちが規則正しい無機質な足音を響かせ、真綿で首を絞めるようにじわじわと包囲を狭めてくる。

 

「くそっ、次弾装填……っ!」

 

 後退しながら引き金を絞り続けていた隊員の一人が、空になったマガジンを排出した瞬間だった。

 土煙を突き破り、黒鉄の巨躯が眼前に迫る。

 リロードのコンマ数秒の隙を突かれ、太い鋼鉄の五本指が、隊員の首元を無慈悲に鷲掴みにした。

 

「ぐ、あ……っ!?」

 

 軽々と宙へ吊り上げられる。

 首の装甲ごと頚椎を握り潰そうとする凄まじいトルク。メキメキと軋む装甲材の破壊音。

 酸素を奪われ、視界が急速に狭まる中、隊員は自らの死を覚悟し、諦めとともに固く目を閉じた。

 

 その、刹那──。

 

 ──キィィィィィィィィィィィィィィン!!!

 

 冬の澄み切った青空に、大気そのものを擦り潰すような凄まじい高周波フラッシュが鳴り響いた。

 

 鼓膜を突き破らんばかりの衝撃音に、敵味方の全員が反射的に空を仰ぐ。

 雲ひとつない天空の彼方から、地上へ向けて垂直に突き刺さる、一条の『黒い閃光』。

 閃光が地表を掠めた、次の瞬間だった。

 

 隊員の首を絞め上げていたマシナリーの胴体が、何が通過したのかすら視認できぬまま、斜めにスライドするように『真っ二つに両断』されていた。

 プツン、と拘束から解き放たれ、地面に落ちて激しく咳き込む隊員。

 切断面から激しく漏電火花と作動油をまき散らし、上半身を失ったマシナリーは数歩よろめいた後、轟音と共に爆発炎上した。

 

 巻き起こる爆風と黒煙を割って、何かが地表施設の屋根の上──鉄骨の頂点へと音もなく舞い降りる。

 

「あ、あれは……!?」

 

 煙の向こうを凝視した隊員たちが息を呑んで硬直した。

 

 鉛色の冬の太陽を背に受け、逆光の中で鈍く艶めく、漆黒の装甲。

 胸に輝く真紅の『8』

 

 極限まで磨き抜かれた流麗なフレームは、禍々しいまでの機能美を放っていた。

 

 

 

 鋼鉄の男。エイトマン──。

 

 

 

 電子頭脳の稼働を示す鋭い光彩が、その冷徹な双眸の奥で静かに、そして鈍く発光していた。

 

 





 今日はここまでです。
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