——エイトマン・リボーン—— 比企谷8幡は鋼鉄の夢を見るか 作:りかるど
原作だとエイトマンは空を飛べません(あることをすると浮かべる程度)
濛々と立ち込める黒煙と火花のカーテンの中、鉄骨の頂点で、エイトマンがゆらりと立ち上がった。
吹き降ろす山風に煙が裂け、冷たい冬の陽光がその全身を鋭く照らし出す。
その双眸に灯る無機質な電子の光は、足元で呆然と自分を見上げているSAT隊員たちには目もくれず、平原で未だ寸分の乱れもなく隊列を維持し続けるマシナリー軍団へと冷徹に据えられていた。
「あれは一体……何だ!?」
無線機を握りしめた小隊長が、息を呑んで呟く。
オペレーターの震える声が、ヘルメット内の通信回線に響いた。
『デ、データ照合完了……! コードネーム『
「エイトマン……!」
「あれが、噂のマシナリーか……!」
「エイトマンが来てくれたぞ! 助かったんだ!」
死の淵から引き戻されたSAT隊員たちから、次々と安堵と歓喜の声が上がる。
だが、その熱狂など初めから届いていないかのように、エイトマンは微動だにせず、ただ眼下の敵兵力を淡々と網膜スクリーン上で演算し続けていた。
その直頭、マシナリー軍団の中央に立つ隊長格の機体が、冷酷な金属音を響かせてステップを踏み出した。
『──最重要ターゲットの出現を確認。交戦規定に基づき、遠距離攻撃兵装へスイッチ』
隊長格の無機質な宣告に呼応し、数十体のマシナリーが一斉に右腕を跳ね上げた。
ガシャン、ギチチと複雑な変形音を立て、硬質装甲がスライドする。彼らの両腕は一瞬にして、大口径の多連装重機関銃と小型榴弾ランチャーへと変形していた。
『一斉射を実行──殲滅します』
砲火が大地を焦がした。
火薬とプラズマの炸裂音が重なり合い、雷鳴のような連射音が山岳地帯を揺るがす。鉄骨の足場ごとエイトマンをミンチにせんと、濃密な弾幕の嵐が一斉に撃ち放たれた。
だが、直撃のコンマ零数秒前──。
ドォン!
空気を踏み抜く衝撃波とともに、エイトマンの足元にあった鉄骨が飴細工のようにへし折れ、その漆黒の巨躯はすでに天空へと跳躍していた。
弾雨が空を切り、背後の山肌を削り取っていく。
空中に静止したかのような刹那、エイトマンは両腕を胸の前で鋭く十字に交差させた。
カシャン、カシャアン!
全身の装甲がリミッターを解除されたように一斉に展開する。
両肩のブロック、大腿部の側面、そして背部スラスターの周囲から、無数の超小型発射ハッチが蜂の巣のように露出した。
『ターゲットロックオン。──
エイトマンの喉奥に組み込まれた合成音声モジュールが、感情の抜け落ちた声で低く告げる。
瞬間、展開された数十の発射孔から、白煙の尾を引いて無数の小型飛翔体が狂気じみた密度で撃ち出された。
冷戦末期にデーモン博士が完成させた超小型火力兵装『ペンシルミサイル』。
米軍が誇る世界最小の誘導弾『パイク』すら玩具に見えるほどの、ボールペン大の極小ロケット弾。その無数の群れは、まるで鉛色の冬空を埋め尽くす黒い飛蝗の大群のように軌道をねじ曲げ、猛烈な勢いでマシナリー軍団の頭上めがけて降り注いだ。
『着弾まで01.24秒。迎撃システム、熱源ロックオン』
マシナリー各機の光学センサーが一斉に赤く明滅し、上空へと腕部の銃口を跳ね上げる。
弾幕の雨が天空へ撃ち放たれ、数発のペンシルミサイルが空中で火球となって弾け散った。だが、その迎撃すらもはや無意味だった。
頭上から降り注ぐミサイルの絶対数が、迎撃システムの演算処理限界を桁違いに超越していたのだ。
ドガガガガガガガガアンッ!
耳を劈く無数の炸裂音が連鎖し、地表を揺るがす大爆発が巻き起こる。
小型弾頭のすべてが高密度炸薬を詰め込まれた極小の爆弾。直撃を受けたマシナリーの分厚い装甲がめくれ上がり、爆風と破片が地表を絨毯爆撃のように容赦なく焼き払っていく。
「全員、下がれ! 後退しろォッ!」
その圧倒的な破壊規模を目の当たりにし、SAT隊長が血相を変えて怒鳴り散らした。
聞いていた話とまるで違う。正義の味方の援護射撃などという生易しいものではない。一切の容赦と加減を排した、純粋な軍用兵器の暴力。近くにいれば味方部隊ごと消し炭にされると直感し、隊員たちは遮蔽物の奥へと必死に身を投げ出した。
轟々と渦巻く猛火と黒煙のカーテンを突き破り、黒い影が弾丸のように大地を滑走する。
爆炎の中から立ち上がろうとした一体のマシナリーが即座に火器を指向するが、周囲を満たす超高熱の煙幕がサーモグラフィの熱源追尾を完全に狂わせ、ロックオンが定まらない。
その視界のブレを突き、エイトマンはゼロ距離へと肉薄していた。
『──プラズマナックル展開』
ガシャン、と重厚な金属音が鳴り響く。
エイトマンの右拳を覆うように、メリケンサックを模した漆黒の特殊装甲がスライド展開した。
装甲の隙間から、紫電の閃光を帯びた超高圧プラズマエネルギーが激しく弾け、大気を焦がすオゾン臭を放ちながら凶悪に胎動する。
踏み込み一閃。
放たれた強烈無比の右ストレートが、マシナリーの頭部を装甲ごと粉々に弾き飛ばした。
首から上を喪失し、オイルを噴き上げながらぐらりと傾く巨躯。エイトマンは間髪を入れずその胴体を鋭い回し蹴りで宙へと蹴り上げ、両拳から放たれたプラズマシュートによって空中で木っ端微塵に爆散させた。
『散開、十字砲火を形成──』
マシナリー軍団が即座に隊列を組み直し、包囲射撃を試みる。
だが、彼らが銃口を向けた瞬間、すでにエイトマンの姿はその場から消失していた。
気づいた次の一体が振り向く暇すらなく、背後から装甲を引き千切られ、動力炉を粉砕されて地面へと叩きつけられる。
「す、凄い……あれが……エイトマン」
岩陰に息を潜めていたSAT隊員の一人が、神速の軌跡を描いてマシナリーを次々と解体していく黒い人影を見つめ、呆然と呟いた。
自分たちが死力を尽くし、命を削ってなお圧倒されていたあの鋼鉄の怪物どもが、まるで道端の雑草でも刈り取るかのように易々とスクラップへと変えられていく。
歓喜よりも先に、背筋を凍らせるような底知れぬ戦慄が、隊員たちの胸を支配していた。
──
『──臨時ニュースをお伝えしています。館山山岳地帯に突如として現れた正体不明の機動兵力、コードネーム“エイトマン”と見られる存在が、テロ組織“Genesis”の拠点前で圧倒的な戦闘を繰り広げています!』
画面の向こうで、ヘルメット姿の女性キャスターが風に煽られながら絶叫に近い声でリポートを続けていた。
上空には大手テレビ局の中継ヘリだけでなく、海外メディアの無人機、さらには危険を顧みずに接近する個人配信者のドローンや、どこの組織とも知れない所属不明のクアッドコプターまでが無数に飛び交っている。
遠隔カメラが捉えた映像は、テレビの電波とネット回線を通じて瞬時に全世界へ拡散され、千葉の片隅で始まった衝突は、地球規模の熱狂と戦慄をもって見守られていた。
「うおおっ、すっげぇ……! あれがエイトマン!? マジぱねーわ!」
広域避難所に指定された体育館の片隅。
スマートフォンの画面を食い入るように覗き込んでいた戸部翔が、興奮を隠しきれない様子で声を張り上げた。
周囲に身を寄せ合っていた避難民たちも、不安と恐怖を紛らわせるように、小さな画面の中で繰り広げられる人間離れした戦闘に息を呑んでいる。
その隣で、葉山隼人は無言のまま画面を凝視していた。
千葉村での林間学校、そして総武高校の文化祭──。
あの時、自分たちの手の届かない裏側で、幾度となく窮地を救ってくれたとされる謎の鋼鉄の男。
そして、その影の英雄の目撃者として不自然な証言を残し……この事態の直前に忽然と姿を消した、比企谷八幡。
(……これは、本当にただの偶然なのか?)
葉山の脳裏で、これまでの違和感が一つの線となって繋がりかけていた。
いつもだるそうに背中を丸め、死んだ魚のような瞳で世界を皮肉っていたあの男。自分とは違う方法で彼女と関わっていた彼が、もしも──。
「隼人ー! いたー!」
張り詰めた思索を破るように、人混みの向こうから甲高い声が響いた。
駆け寄ってきたのは、不安げに眉を寄せた三浦優美子だった。そのすぐ後ろには、オロオロと周囲を見回しながらついてくる海老名姫子の姿もある。
「もう、どこ行ってたのよ! 急にいなくなるから心配したじゃん……」
優美子の声には、強がりの中に隠しきれない怯えが滲んでいた。
海老名もいつものような冗談を口にする余裕はなく、ただ小さく息を呑んで戸部の隣に立つ。
「──ああ、悪かったな優美子。心配かけて」
そんな彼女たちの不安を少しでも和らげようと葉山は声を掛ける。
──これから自分たちの街が、そして千葉がどうなってしまうのか、誰にも分からない。
日常はあっけなく崩れ去り、世界は狂気に侵食されつつある。
だが──。
葉山は再び、スマートフォンの画面へと視線を落とした。
黒煙を突き破り、降り注ぐ銃弾をものともせずに敵を薙ぎ払っていく漆黒の影。
(戦っている)
理不尽な破滅からこの場所を守るために、たった一人で最前線に立ち、煙と炎をかぶり続けている誰かがいる。
その背中に向けて葉山は拳を固く握りしめ、祈るように心の中で呟いた。
──
地下深くに建設されたGenesisの司令センター。
地上の喧騒が嘘のように静まり返ったその広大な空間では、無数のホログラムスクリーンが冷淡な光を明滅させていた。
「──ついに出てきましたね、比企谷さん。……いえ、エイトマン」
巨大なメインモニターを見上げ呟いたのは、Genesisの若き指導者・大江少年だった。
スクリーンには地表でマシナリー軍団の首を次々と刎ね飛ばし、プラズマの紫電で装甲ごと粉砕していく漆黒のエイトマンの姿が、リアルタイムの戦闘ログとともに映し出されている。
「ここまでは想定の範囲内だな」
大江の傍らに立つアルフ少年が、手元の端末に高速で流れるエネルギー波形を睨みながらどこか退屈そうに鼻を鳴らした。
「遠目からでもわかるぞ。全身の伝達フレーム、内蔵ジェネレーターの出力、兵装の同期速度──全部が前回のデータから桁違いに跳ね上がってる。あんな量産型の雑兵共じゃ、もう相手にすらならない。……いっそのこと『
絶対的な殲滅を促すアルフに対し大江は肩をすくめて笑った。
「そう焦るなよ、アルフ。せっかくあの人が手に入れた新しい力なんだ。もう少しじっくりデータを取ってみたいじゃないか。……まずは『ハーキュリー』を先に出そう」
その言葉に、部屋の隅に控えていたひとりの少女が小さく顎を引いた。
超人類の人体実験を一手に引き受ける少女、ソフィアだ。感情の起伏を感じさせない平坦な口調で、大江へと言葉を返す。
「わかった。ハーキュリーの拘束具を外して、地表へ撃ち出しておくわ。……あと念のため、本拠地の外郭に防御用フォースフィールドを張って、『浮上』の準備も進めとくから」
「ああ、頼んだよ、ソフィア」
大江が軽く手を振って応えると、ソフィアは衣擦れの音すら立てずに静かに踵を返し、指令室を後にした。
彼女の口から出た『浮上』という不気味な言葉。それが何を意味し、この大地に何をもたらすのか──その真意を知る者は、この要塞の深層部にすらごく僅かしかいない。
再びモニターの中央で暴れ回るエイトマンへと視線を戻す大江。その双眸に、純粋な敬意と歪んだ狂気が同時に宿る。
脳裏をよぎるのは、数か月前の記憶。
合同クリスマス会の会議室。互いに裏の顔と秘密を隠しながら、留美と一緒に同じ卓を囲んで言葉を交わしたあの時間。
こんな形で戦火を交えることになった事実に、わずかな感傷がないと言えば嘘になる。
だが──。
「……あんなにも死んだような、覇気のない目をしていたあなたがね」
だらしなく背を丸め、社会の底辺でひっそりと息を潜めていたはずのひねくれ者の高校生。
その彼が今、すべてを破壊し尽くす鋼鉄の鬼神として、自らの軍勢をゴミのように蹂躙している。その凄まじいギャップと容赦のない暴力性に、大江の背筋をゾクゾクとした歓喜の悪寒が駆け抜けた。
「面白いですね……実に面白いですよ、比企谷さん」
大江は口元を獰猛な三日月型に歪め、モニターの向こうの英雄へ向けて楽しげに語りかけた。
「決着をつけましょう。あなたが守ろうとするそのちっぽけな世界ごと、僕たちが喰らい尽くしてあげます」
──
マシナリーの残骸を撒き散らしながら大地を駆けるエイトマンの足元で、突如として激震が走った。
ズズズズズ……ッ!
地割れのような地響きとともに、コンクリートと赤土が左右へと裂け開く。
白煙と油圧オイルの臭気を吹き上げながら、巨大な垂直格納ハンガーが地底から次々とせり上がってきた。
重厚なハッチが外側へ跳ね飛ばされ、姿を現したのは全長3メートルを優に越す巨躯の群れだった。
通常のマシナリーを軽々と見下ろす威容。人型の骨格をベースにしながらも、重戦車すら凌駕する幾重もの複合装甲と、無骨な油圧シリンダーを剥き出しにした
対マシナリー戦、そして対超人戦を想定して極秘裏にロールアウトされた重機動マシナリー──コードネーム『ハーキュリー』。
ガシャン! と大地を踏みしめた巨兵たちへ向け、エイトマンはステップの勢いそのままに両手首から紫電のプラズマ弾を叩き込んだ。
だが──。
バチィッ!
高圧電流を帯びた閃光は、ハーキュリーの胸部を覆う特殊耐熱・衝撃分散装甲の表面を激しく焦がしただけで、青白い火花を散らして無慈悲に弾き返された。
『目標捕捉。殲滅射撃へ移行』
外部スピーカーから重低音の機械音声が響いた刹那、ハーキュリーたちが抱える大口径重機関砲や対戦車ロケットランチャーが一斉に火を噴いた。
砲炎が視界を埋め尽くし、鋼鉄の礫と爆風が荒れ狂う。
キィィン──ッ!
エイトマンは紙一重の超スピードで大地を蹴り、無数の弾道をすり抜けるように宙を舞った。
だが、その挙動には僅かな制約が付きまとっている。
新造された『ネオ』の肉体は、今まで以上の極超音速駆動を実現するために装甲が極限までシェイプアップされ、絶対的なフレーム強度は以前のボディよりも低下していた。
「当たらないこと」を絶対前提として成立している、あまりにピーキーな軽量化設計。
スピードで圧倒的に勝るエイトマンに対し、規格外の重装甲と高火力を誇る敵の集団。
正面からぶつかれば消耗戦を強いられ、じわじわと追い詰められていく──それは過去の戦いにおいて、幾度となくエイトマンを苦しめてきた「定番」の負け筋であり、詰みの盤面だった。
そう──『今までは』。
空中で体を反転させたエイトマンの胸部コアが、深紅から白銀の輝きへと反転した。
『──超電導フィールド、形成』
冷徹なシステム音声が胎動する。
かつては外部支援ロボット『ベラ』の補佐なしには成立し得なかった、電導効率200%への強制ブーストシステム。デーモンの超電導理論がサポート機を介さずとも、エイトマンの体内炉心単独での臨界ドライブが完全覚醒した。
漆黒のボディフレームの隙間から、大気を激しくイオン化させる青白い光粒子が、濃密な霧のように吹き荒れ始めた。
大気を震わせる超電導フィールドの展開と同時に、エイトマンの輪郭がブレた。
刹那、視界のすべてに黒い残像が幾重にも焼き付き、次の瞬間にはその姿が空間から完全に掻き消える。
『目標をロスト! 索敵センサー、最大出力──』
ハーキュリー部隊の照準システムが一斉に狂乱のアラートを吐き出す。しかし、センサーが捉えようとする予測針路はことごとく大気の彼方で破綻していた。
巨兵たちが照準を合わせようと銃口を彷徨わせる中、エイトマンはすでにその包囲網の正面、地表へと音もなく滑り込んでいた。
カシャ、と鋭い金属音が鳴る。
エイトマンの頭部でバイザーがスライドし、フェイスマスクが完全に密着して戦闘形態へと密閉される。同時に、両腕の漆黒の装甲が分子レベルで解体・再構築されるマトリクス変換を開始した。
装甲板が二つに割れ、内部の電磁加速レールがせり出し、細長く禍々しい二門の砲身へと変貌を遂げる。
レールを伝い、赤黒い超電磁の閃光がバチバチと激しい音を立てて渦巻き、空間そのものを歪めるような破滅の光球が急速に圧縮されていく。
『──メガソニックバスター・レフト……
左腕の砲身が地を這うように咆哮を上げた。
ドォォォォォンッ!!
大気を引き裂く重低音とともに、マッハ32.5という神速の領域に達した超電磁の熱球が水平に撃ち出される。
ハーキュリー自慢の重装甲など、紙切れにすらならなかった。直撃を受けた数体が装甲ごと一瞬で分子崩壊を起こし、内蔵動力炉の誘爆とともに地表を深々と抉り抜いていく。
だが、エイトマンの追撃は止まらない。息をつく間すら与えぬゼロコンマ数秒のラグで、右腕が唸りを上げた。
『──メガソニックバスター・ライト……
二閃目。
放たれた光弾が地表を横一文字に薙ぎ払い、爆風と雷光の渦が残りのハーキュリーを次々と呑み込んでいく。一瞬にして部隊の八割がスクラップと化し、赤黒い煙の柱が吹き上がった。
それでも、まだ終わらない。
『ダブルバスター・ロックオン……』
大地を固く踏みしめたまま、エイトマンは両腕の砲身を正面で並行に構え直した。
体内炉心と直結した超電導フィールドのエネルギー値が限界突破のメーターを振り切り、青白く輝くスパークが全身を包み込んで最高潮の臨界点に達する。
『──
両腕から同時に解き放たれた二条の破壊奔流。
螺旋を描いてひとつに融合した超巨大な熱線が、逃げ惑う残存ハーキュリー、立ち往生していたマシナリー部隊、そして彼らが背負っていたジェネシスの巨大な地表施設外郭ごと、大地を根こそぎ飲み込んだ。
閃光。
そして遅れて届いた轟音が、館山の山々を揺るがす。
吹き荒れる暴風が収まった時、そこにはただ、赤く融解した巨大な直線のクレーターと、跡形もなく消滅した拠点の残骸だけが広がっていた。
轟音の余波が去り、戦場に異様な静寂が訪れた。
巻き上がった粉塵がゆっくりと沈降していく。
目の前で繰り広げられたあまりに規格外の破壊劇に、息を呑んでいたSAT隊員たちは、数秒の空白ののちに我を取り戻した。
「……た、助かったのか……?」
「すげえ……嘘だろ……」
「勝った! エイトマンが敵を殲滅したぞ!」
堰を切ったように、隊員たちの間から歓声が沸き上がった。
初めに感じていた怪物のごとき力への畏怖は、死の瀬戸際から生還したという強烈な安堵と、この絶対的な破壊神が「自分たちの味方である」という万能感によって塗り潰されていた。歓喜に沸く部下たちの姿。
だが、その輪の中で、第一部隊の隊長だけは手元の携行ライフルを握りしめたまま、微動だにせず前方を見据えていた。
視線の先には、両腕の砲身から紫の余熱を立ち上らせ、赤く融解したクレーターの前に佇む漆黒のエイトマン。
(確かに強い。そして……凄まじい。味方であるなら、これほど頼もしい存在はいないだろう)
だが、と隊長の背筋を冷たい汗が伝う。
もしも──万が一にでも、あの存在が狂ったら?
あの絶対的な暴力の矛先が、あの禍々しい砲口が、何かの拍子に『こちら』を向いたならば、自分たちはどうなる?
国家の武力も、日々の訓練も、人間としての命も、今の一撃で蒸発した敵と同じように、一瞬で消し炭にされるのではないか。
ごくり、と乾いた喉が鳴る。
隊長は自らの恐怖を押し殺し、部下たちには見せぬよう、静かに奥歯を噛みしめた。
少なくとも、現場を預かる指揮官である自分だけは、この救世主の熱狂に呑まれてはならない。冷静な観察者でいなければならないと、強く自戒した。
そして、当のエイトマン──比企谷八幡自身もまた、歓声などに耳を貸す気など微塵もなかった。
索敵センサーのゲインは最大、全身の警戒レベルは1ミリたりとも解かれていない。
(……騒ぎすぎだ、まだ何も終わってねぇよ)
思考ルーチンの中で、八幡は冷ややかに毒づく。
超人類と名乗る連中の本拠地が、こんな地表の粗末なゲートだけで完結するはずがない。今吹き飛ばしたのは、せいぜい仮設の受け入れ口か、防衛用の捨て駒に過ぎない。
本番は、まだ始まってすらいないのだ。
思考が確信へと変わった、その瞬間だった。
ズズズ……ッ!
大地が、底知れぬ重低音を響かせて波打った。
直前のメガソニックバスターによる衝撃とはまったく質の異なる、地球の深層部から突き上げるような激しい揺れ。
「な、なんだ!? この揺れは!? 地震か!?」
「伏せろ! 岩盤が崩れるぞ!」
歓声を上げていた隊員たちが一転、足元をすくわれて慌てふためく。
だが、崩れたのではない。エイトマンが撃ち抜いた赤黒いクレーターの中心部。
溶融したコンクリートと岩石を押し分け、まるで重力を嘲笑うかのように、巨大な質量を伴って『大地そのものが浮上』を始めた。
粉塵と土煙を吹き払い、青空へ向けてせり上がったもの──それは、息を呑むほどに巨大な、漆黒の『球体』だった。
全長数百メートルに及ぶその威容は、物理的な重量感を一切感じさせず、音もなく中空へと静止した。
寸分の歪みもない完全な鏡面の黒。磨き抜かれた黒曜石のような外殻は、冷たく澄み切った冬の青空と太陽の光を美しく反射させ、見る者に底知れぬ終末の不安と、呼吸を奪うほどの異様な美しさを同時に錯覚させる。
まさに『黒い太陽』。
大江やソフィアたちが口にした「浮上」の真の姿であり、テロ組織Genesisが長年をかけて築き上げた移動型空中要塞の中枢そのものだった。
地上に影を落とすその巨大な天体を前に、SAT隊員たちが言葉を失って立ち尽くす中、球体の全方位スピーカーから、変調をかけた朗らかな少年の声が響き渡った。
『素晴らしいですよ、エイトマン。まさか、あのハーキュリー部隊を一撃で消し去ってしまうなんてね』
歪みのないクリアな音声。正体を偽装した通信回線を通じ、空中に浮かぶ黒い巨星から、地上に立つエイトマン一人へ向けて心底楽しげな賛辞が降り注ぐ。
『認めざるを得ません。あなたこそが、僕たち超人類が倒すべき真の敵だと。……ですが、だからこそ本当に残念ですよ。僕たちと手を取り合い、真の友になれたかもしれないあなたを、今日この場所で破壊しなければならないとは!!』
宣戦布告。
その言葉の結びと同時に、黒い球体の表面に幾何学模様のような無数のハッチが音もなくスライドした。
シュッ、シュッ、シュッ!
甲高い排出音と共に、球体の内部から吐き出された無数の影。
それは、従来の航空機のようなプロペラも、ジェットエンジンのノズルすら持たない、次世代の小型無人ドローン兵器だった。
円盤状の歪なフォルムをしたそれらは、慣性の法則を無視した急停止と急旋回を繰り返し、まさに『未確認飛行物体(UFO)』としか形容しようのない不条理な軌道を描いて、地上に立つエイトマンめがけて天空から猛禽のように殺到した。
「真の友……ときたか。生憎、そういうクサいセリフを平気で言う奴を信用するほど、コッチは人間が出来てねぇんだよ」
カシャン、と両腕のメガソニックバスターが瞬時にパージされ、装甲の内側へと急速収納される。
『──飛行形態へシフト』
エイトマンの背部ユニットが鋭く展開し、高出力ベクタードスラスターが青白いプラズマ炎を爆発的に吹き荒らした。
「願い下げだ、バケモノども。──全員まとめてぶっ潰してやる」
大地を踏み砕く衝撃波とともに、エイトマンの漆黒の巨躯が垂直に跳躍。重力に抗う猛烈な加速で冬空へと駆け上がり、殺到するUFOドローン群の懐へと天空で正面から切り込んだ。
ビシュッ! ビシュシュシュッ!
ドローン群の円盤下面から、極細の高出力レーザーが格子状に撃ち出される。
大気を焼き焦がす熱線の檻。エイトマンは空中で身体を鋭角に捻り、紙一重のロール機動でその切断光線をすり抜けた。だが、三次元の全方位から包囲するドローンの軌道はあまりに不規則だ。
『おや、空へ逃げましたか? ですが本来は陸戦仕様のあなたにとって、慣れない空中戦は不利でしかありませんよ!』
黒い球体から響く嘲笑混じりの声。
エイトマンはそれに一切応えず、冷徹な思考のまま両肩のマイクロハッチを開放した。
シュババババッ!
至近距離から放たれたペンシルミサイルの群れ。
だが、ドローン群は即座に相互リンクした迎撃レーザー網を展開し、弾頭をことごとく空中で爆砕してみせた。白煙の華が空を埋め尽くす。
ミサイルを撃墜され、推進力の一瞬の隙が生じたそのコンマ数秒──。
キィィィン!
死角を突いた三機のドローンが急加速し、エイトマンの左右と頭上からゼロ距離へ肉薄した。必殺の照射体制。
エイトマンは動じることなく、無言のまま両前腕を左右へと跳ね上げた。
『無駄ですよ! 先ほどのバスターやプラズマシューターの弾速では、我がドローンの高機動を捉えきれるはずが──』
大江の声がスピーカーから響き渡る。
だが──エイトマンの前腕部装甲からスライド展開したのは、先ほどの重火器ではなかった。
冷徹に輝く、集光レンズを内蔵した細身のクリスタルバレル。
カッ──!
弾速などという概念を置き去りにした二筋の閃光が天空を横一文字に切り裂いた。
照準のタイムラグすら存在しない光の刃は、肉薄していたドローンを寸分の狂いもなく貫通。
爆発の猶予すら与えられず、超高熱に呑まれたドローンの装甲と中枢フレームが一瞬にして『蒸発』し、青空の彼方へと掻き消えた。
──レーザーブラスター。
中距離・高機動戦闘を想定し、新たに組み込まれたエイトマンの新兵器。
ベラに備わっていた牽制用のおもちゃ同然のレーザーとは完全に一線を画す。超電導炉心の莫大なエネルギーを純粋な光線へと変換し、触れるものすべてを分子レベルで焼き尽くす、次世代の光学兵器。
急制動、急加速、三次元の直角機動。
エイトマンは冬の天空を鋭角に飛び交いながら、両前腕の砲口から『レーザーブラスター』を間断なく撃ち放ち続けた。
ビシュッ! ビシュシュシュッ!
光速で撃ち出される二筋の閃光。
直撃を受けたドローンは破片を撒き散らして墜落する猶予すら与えられない。数十万度を超える超高熱を孕んだエネルギーが機体を包み込んだ瞬間、装甲も内部フレームも一瞬で朱色のガスへと還元され、大気の彼方へ『蒸発』していく。
だが、敵の物量はその破壊速度すら飲み込もうとしていた。
かつて死闘を演じた超大型量子コンピュータ『サイバー』。あの時に対峙したドローン包囲網をも凌駕する密度で、球体から次々と新たな機体が吐き出され、四方八方から立体的な熱線の檻を編み上げていく。
バチィッ!
「くっ……!」
回避限界を超えた数条のレーザーが、エイトマンの装甲を浅く掠めた。
耐熱コーティングが弾け、黒いフレームの表面を赤い火花が焦がす。
「チッ……!」
八幡は短く舌打ちを響かせると、背部のスラスターを臨界出力まで一気に跳ね上げた。
ドォォン! と大気を踏み抜く衝撃波とともに垂直急上昇。雲を突き破る勢いで高度を稼ぐエイトマンを追い、数百機のドローン群が蜂の群れのように群がりながら追尾してくる。
高度数百メートル。
鈍色の太陽を背に受け、逆光の頂点でエイトマンの巨躯がピタリと空中に静止した。
『──レーザー出力、磁場圧縮フィールドへ固定』
思考リンクと同調し、両前腕のブラスターのエネルギー循環が変容する。
集光レンズの先端から噴き出しかけたプラズマ光線が、超電導磁場によって前方に引き伸ばされ、刀身の形を保ったまま白熱する光の結晶となって硬質化した。
両腕に現出した、一対の光の刃──『レーザーブレード』。
眼下から猛烈な勢いで迫り上がってくるドローンの大群を見据え、重力加速度をフルに乗せて真っ逆さまに急降下を開始した。
スラスターの噴射炎と落下速度が掛け合わされ、ボディが大気を引き裂く甲高い絶叫音を上げる。
極限の加速の中、エイトマンの脳裏に、かつてゲームセンターの筐体で幾度となく死線を越えた感覚が鋭利に呼び覚まされた。
「──弾幕系シューティングは、久しぶりだなッ!!」
眼下のドローン群が一斉に迎撃レーザーを天空へ放ち、視界のすべてが熱線の格子で埋め尽くされる。
だが、エイトマンの網膜スクリーンが算出した最適針路は、その狂気の弾幕のわずか数ミリの隙間を指し示していた。
首を、肩を、脚を、紙一重のロール機動で捻りながら、熱線の隙間をすり抜けて直進する。
そして──敵のど真ん中へ吶喊した。
「おおおおおおッ!」
咆哮とともに、交差させた両腕のレーザーブレードを真横へと薙ぎ払う。
すれ違いざまに切り裂かれたドローンが、断面から眩い光を噴き出して両断され、連鎖的に爆散していく。
爆風を突き破り、火球のカーテンを裂いて爆進する漆黒の影。
次々と背後で生じる破壊の焔を従えながら、光の刃を振るって敵陣を食い破っていくその姿は、神話の戦場を駆ける鬼神そのものの狂気と迫力を放っていた。
──
荒涼とした山肌に設営された前線指揮所。
吹き抜ける寒風の中、双眼鏡を構えた田中善行課長は、上空で繰り広げられる獅子奮迅の空中戦を食い入るように見つめていた。
光速の閃光が宙を走り、爆炎を突き破って突進する黒い影。
姿をくらましていた数日間、一体どこで何をしていたのか。だが、あの目を見張る機動性と絶大な火力を目の当たりにすれば答えは明白だった。想像を絶する大幅な改修を遂げて帰ってきたのだ。
田中は双眼鏡を握る手に力を込め、熱いものが胸を突くのを必死に堪えていた。
だが、安堵の息を漏らす暇などない。
田中の視線は、ドローン群を吐き出し終えてからというもの、上空で不気味な静寂を保ち続ける漆黒の球体要塞へと注がれた。
あの威容、あの沈黙。
底知れぬ圧迫感を放つ『黒い太陽』が、次にどのような地獄を地上へもたらすのか、皆目見当もつかない。
あの高度に鎮座する巨城を叩くには、警察組織の枠を超えた航空戦力が不可欠だった。県警が所有するヘリコプターなど、あのUFOの群れに近づくことすら叶わず、一瞬で撃墜されるのが関の山だ。
「羽佐間! 自衛隊への派遣要請はどうなっている!」
振り返り、通信機器にかじりつく部下へ鋭く問い詰める。
ヘッドセットを押さえていた羽佐間は、顔を歪めながら重い口を開いた。
「……駄目です。防衛省と上層部の間で調整が難航しています。事態の異常性は伝わっているものの、法的な交戦権と治安出動の適用を巡って議論が紛糾しており、空自のスクランブル承認が下りません!」
「この期に及んでまだ手続き論かッ……!」
田中は荒々しく悪態をつき、傍らに生えた立ち木の幹を力任せに殴りつけた。鈍い打撃音とともに乾いた樹皮が砕け散る。
最前線でたった一人、命を削りながら世界の防波堤となっているエイトマン。それに対し、地上でただ空を見上げ、歯噛みすることしかできない自分たちの無力さ。
やり場のない怒りに震える田中の横で、羽佐間もまた悔しげに唇を噛み、俯いていた。
現場の全員が、上空の光と熱の死闘に意識を奪われていた。
地上に迫る危機を察知する者は、誰一人としていない。
まさに、その死角を突くように──。
ザッ、と微かな乾いた音が、対策本部の背後に広がる冬枯れの茂みに紛れた。
岩陰の暗がり。冷たい冬の藪をかき分け、音もなく滑り出してくる黒い影。
四つの頑躯な肢体で低く地を這う、獣のようなフォルム。
しなやかな筋肉の躍動を模した外骨格フレームは艶のない漆黒のカーボンで覆われ、頭部には目も鼻も見当たらない。あるのはただ、標的を捕捉するためだけに冷たく発光する、横一文字の真紅のセンサーアイのみ。
ギチ……と金属の軋むかすかな駆動音を立て、影は一頭だけではなく、二頭、三頭と増えていく。
命令に忠実な猟犬は、一切の殺気すら漏らさぬ無機質な異形の機械獣たち。
それらは包囲網を狭めながら、無防備な田中たちの背中へ向けて、静かに牙を研ぎ澄ませていた。