——エイトマン・リボーン—— 比企谷8幡は鋼鉄の夢を見るか 作:りかるど
九十九里浜、最果ての海岸線。
午前四時を目前に控え、周囲は深い紺碧の闇に包まれていた。波が砂を噛む音だけが、暴力的なまでの一定のリズムで繰り返されている。
海岸沿いに停まった一台の黒いセダン。その車内で、ケン・ヴァレリーはハンドルを握ったまま、動かない計器のように正面を見つめていた。
「……気分はどうだい」
不意に、ケンが口を開いた。その後部座席には、手首を拘束された川崎沙希が座っている。
「最悪よ。夏休みにこんな暗い海に連れてこられるなんて、どんな罰ゲームよ」
「……だろうね。君をこんな風に巻き込んでしまったこと、謝るよ。すまない」
ケンの声には、昨夜の通信時のような機械的な冷たさはなかった。沙希は、その微かな声の震えを逃さなかった。路地裏で襲われた時は「完璧な化物」だと思ったが、今の彼はどこか、迷子になった子供のような危うさを漂わせている。
(……なんだろ。こいつ、本当は……)
「謝るくらいなら、さっさとこれ外して返しなさいよ。大志が心配して、今頃泣きべそかいてるんだから」
「……それはできない。任務なんだ。……だが、これが終われば君は解放する。約束するよ」
沙希は窓の外、白く砕ける波を見つめながら、溜息混じりに問いかけた。
「……ねぇ。なんでこんなことするの? あんた、その顔……エイトマンと同じなんでしょ? だったら、あいつみたいに人助けとかできないわけ?」
ケンの指が、ハンドルの革をギリリと軋ませた。
「……言うことは何もない。僕は組織の意思を遂行するだけのパーツだ」
「嘘おっしゃい。パパ……あんたの父親が関係してるんでしょ」
ケンがわずかに目をくばせた。それだけで、沙希は確信する。
「昨日の通信で聞こえたわ。あんた、自分の父親を『裏切り者』って言った。……死刑台に送る、とも」
「……祖国を裏切り、平和を脅かす技術を持ち出した反逆者だ。それを断罪できるのは、組織の人間であり、かつ息子である僕だけなんだ」
「……馬鹿じゃないの」
沙希のぶっきらぼうな一言に、ケンが初めて不審そうな顔で振り返った。
「なんだって?」
「あんた、まだあのおじさんのこと、好きなんでしょ」
「……っ、何を根拠に……!」
「わかるわよ。私、あんたみたいな無愛想な弟がいるしね。嫌いな相手なら、もっと冷たく無視すればいい。わざわざ自分を追い詰めるみたいに『断罪する』なんて言わないわよ」
沙希は、大志や弟たちの顔を思い浮かべながら続けた。
「あんた、好きだからこそ許せないんだ。自分を置いていったことも、自分の理想の父親じゃなかったことも。……全部、好きだから裏返ってるだけじゃない」
「……黙れ。君に、僕の何がわかる……」
「わかるわよ。あんたの目、怒ってるんじゃなくて、泣きそうなんだもん」
沈黙が流れる。ケンは再び前を向いたが、その肩は微かに震えていた。
やがて、彼は誰に聞かせるでもなく、ぽつりと漏らした。
「……パパのことは、今でも誰よりも愛して、尊敬している。科学者としても、一人の人間としても。……だけど、『ヴァレリー』だけは許せない。家族を、僕を捨てて……『エイトマン』なんて偽物を作って、安寧に浸っているあの男だけは」
愛している「パパ」と、許せない「ヴァレリー」。
相反する二つの感情が、最強のサイボーグの論理回路(ロジック)を激しく掻き乱していた。
ダッシュボードの時計が、午前四時を告げた。
「……時間だ」
ケンは感情を押し殺し、再び冷徹な「01号」の仮面を被った。彼は車を降り、後部座席のドアを開けて沙希を外へと促す。
「歩けるかい」
「……ええ、そうね。あんたの迷子の案内くらい、付き合ってあげるわよ」
潮風が吹き抜ける砂浜。
遠く、水平線の彼方が微かに白み始めていた。
その渚には、すでに二つの影――谷博士と、漆黒の装甲を纏ったエイトマンが立っていた。
宿命の決闘が、今、静かに幕を開ける。
──
潮風が砂を巻き上げ、視界を白く濁らせる。
エイトマンの光学センサーは、霧の向こうから接近する二つの熱源を、冷徹な赤外線画像として捉えていた。
(……生体反応は二人。他にはいない。罠の可能性は低いな)
エイトマンは隣に立つ谷博士に視線を向けた。博士の顔は、かつてないほどに蒼白で、その瞳は絶望に揺れている。
「……比企谷君。忠告しておく。サイボーグ01……ケンは、恐るべき怪物だ。彼は、国防総省が君……『エイトマン』の基礎設計図を盗用して作り上げた、君のプロトタイプであり、完成形でもある」
「……エイトマンの設計図? 博士、あいつは無理やり改造されたのか。実験台にでもなったのかよ」
「……いいや。逆だよ。彼は、自ら志願したんだ。私の……父親としての最高傑作である君の設計図を見て、それを超える『本物』になると言ってね」
博士の言葉の奥にある、言いようのない空虚さと後悔。それを理解する暇はなかった。
闇の中から一台のセダンが砂を蹴立てて現れ、十数メートル先で急停止する。ドアが開き、隙のないスーツ姿の青年――ケン・ヴァレリーが、拘束された川崎沙希を連れて降りてきた。
月光の下で、二つの「貌(かお)」が対峙する。
比企谷八幡としての魂を宿した鋼鉄の体と、かつてその貌のモデルとなり、自らも鋼鉄となることを選んだ実の息子。
「……約束通り来たよ、ドクター。そして、僕の『まがい物』くん」
ケンは沙希の肩に手を置いたまま、冷淡に告げた。エイトマンは即座に沙希をスキャンする。
(……心拍数安定、外傷なし。バイタルに異常は……ない。よかった)
「川崎を離せ。あんたの用は俺たちだろ。……わざわざ自分を捨てた親父の技術を、自分に埋め込むなんて趣味が悪いな、01号。そんなに鉄屑になりたかったのか?」
「……趣味の問題じゃない。効率と任務の問題だ。不完全な試作機である君には理解できないだろうがね」
ケンの言葉は極めて事務的だった。だが、その瞳の奥には、八幡のセンサーでも測りきれないほどのドス黒い感情が渦巻いている。
「先に彼女を解放しなさい! ケン、君の目的は私のはずだ!」
谷博士が声を荒らげるが、ケンは微塵も動じない。
「ドクター、人質という最高の切り札を、確証もなく手放すはずがないだろう。……目的遂行のために情緒は不要だと、あなたの設計図が教えてくれた。僕には、あなたのような甘さはない」
「……おい、01号」
エイトマンが遮る。その双眸には、いつになく穏やかで、しかし確固たる決意が宿っていた。沙希はその瞳と目が合う。機械の体のはずなのに、そこには「大丈夫だ」と語りかけるような、不器用な暖かさを、沙希は確かに感じ取っていた。
「……俺がアメリカでもどこでもついていってやる。あんたたちの好きにしろ。だから、今すぐ川崎を解放しろ。……こいつは、この件に一ミリも関係ない」
ケンの眉がわずかに動く。だが、すぐに吐き捨てるように笑った。
「……フェイク(偽物)は黙っていてくれないか。バグだらけの感情論を聞くために来たんじゃない。君のその『欠陥』こそが、パパの失敗の証拠なんだ」
一触即発の緊張。その静寂を、耳障りな電子音が引き裂いた。
――ヒュンッ!
「なっ……!?」
上空から飛来した複数のスパイ・ボールが、ケンの足元をレーザーで薙ぎ払った。砂煙が舞い上がり、ケンが沙希の手を離した刹那、一機のスパイ・ボールが沙希の衣服を掴み、一気に上空へと釣り上げる。
「きゃっ!? な、なに、これ!?」
「ククク……見ていられんな。実にじれったい。手っ取り早く状況を解決してやったぞ、エイトマン」
スパイ・ボールの群れの奥から不敵な笑い声が響く。デーモン博士の声だ。
「デーモン! 貴様、何をする!」
「感謝したまえ。これで『人質』という不確定要素は消えた。心置きなく、最高のデータを私に見せてくれるんだろう?」
現れたデーモンは悪びれもせず、救出した沙希を抱えたまま、安全な岩陰へと移動させた。
だが、その介入が最悪の化学反応を引き起こす。
「……ドクトル・デーモン。ロシアが誇る、世界で最も危険なマッドサイエンティスト……」
ケンが呻くように呟いた。各国の諜報機関が最も警戒し、その狂気ゆえに誰も手を出せない怪物。彼の瞳に、絶望を超えた激昂が宿る。
「……そうか。ようやく理解したよ、パパ。あなたはアメリカを裏切り、平和を求めて逃げたのではない。……その身と技術を、ロシアに売ったんだな。その証拠が、今の茶番だ」
「違う! ケン、それは誤解だ! デーモンとは協力関係などでは……!」
「黙れ! 裏切り者のヴァレリー……いや、人類の敵め! 貴様をこの場で処刑し、パパが夢想した『エイトマン』を僕が超えることで、すべての因縁を断ち切る!」
ケンの全身から、青白いプラズマが漏れ出す。彼のスーツが弾け飛び、その下に隠されていた、エイトマンを凌駕するほどに洗練された「01号」の戦闘形態が剥き出しになった。
「……対象を、デリートする」
ケンの声から感情が消えた。
自ら望んで「本物」になろうとしたケンの、歪んだ執念と父への絶望。
九十九里の砂浜が、今、極超音速の戦場へと変貌しようとしていた。
──
「……時間はかけない。手短に終わらせるのがプロの仕事だ」
ケンの宣告と同時に、世界から音が消えた。
彼が起動させた加速装置が、周囲の空気をプラズマ化させ、九十九里の夜を銀色の閃光が切り裂く。
(……チッ、結局こうなるのかよ。おいデーモン、お前のせいだからな、これ……!)
エイトマンは心の中で悪態をつきながら、迎撃の態勢を取った。
視覚センサーが捉えるケンの速度は、自分と同等、あるいは僅かに上。だが、これまでの数々の死線を極超音速で駆け抜けてきた八幡にとって、その程度の速度差なら予測演算でカバーできるはずだった。
しかし――。
「……なっ、消えた!?」
正面から迫っていたケンの姿が、不自然に左右に「ブレた」かと思うと、次の瞬間にはエイトマンの死角へと回り込んでいた。加速中の微細な振動と姿勢制御による、超音速のフェイント。
「……無防備だぞ、08号」
背後から叩き込まれた重い回し蹴りが、エイトマンの脇腹を抉る。ハイマンガン・スチールの装甲が歪み、衝撃波が砂浜をクレーター状に陥没させた。
「ぐはっ……、ぁ……っ!?」
理解が追いつかない。速いだけではない。動きそのものが、エイトマンの論理回路(ロジック)を嘲笑うかのように、物理法則を無視した挙動を見せている。
「不機嫌そうね、おじさん。……あの銀色のが優勢に見えるけど?」
離れた岩陰で戦況を見つめるデーモンに対し、拘束の解けた川崎沙希が冷めた声を出す。世界を震わせるマッドサイエンティストを「おじさん」呼ばわりする彼女の肝の据わり方に、デーモンは不機嫌を隠そうともせずに鼻を鳴らした。
「……ふん。実につまらん。エイトマンめ、あんな『子供の喧嘩』に手こずるとは。演算能力の無駄遣いも甚だしい」
一方、戦場。
谷博士が通信回線に割り込み、悲鳴に近い警告を送る。
『エイトマン、離れろ! ケンはただのサイボーグじゃない。あらゆる軍隊格闘術を修め、実戦経験を積んだ天才的軍人なんだ!』
「ぐっ……軍隊格闘術、だと……!?」
エイトマンが態勢を立て直して放った、マッハのストレート。しかし、ケンは僅か数センチの首の動きでそれを回避し、逆にエイトマンの腕を関節ごと極めて投げ飛ばした。
砂浜に叩きつけられたエイトマンの首元に、ケンの鋭い手刀が突き立てられる。
「……超音速の戦闘において、最も重要なのはスピードでも攻撃力でもない」
ケンが冷徹に、エイトマンの胸部装甲を軍用ブーツで踏み抜く。ミシミシと金属が悲鳴を上げる。
「戦闘機同士のドッグファイトを制するのは、一瞬の状況判断力……そして、それを完璧に作り出す『技術』だ。素人が力を手に入れたところで、プロの練度には届かない」
ケンの連撃が始まる。
首筋、関節、エネルギー導管の結節点。軍事的に「効率的」とされる急所ばかりを、音速の拳が的確に打ち抜いていく。
「一撃。装甲貫通」
「二撃。冷却システム損傷」
八幡の視界に、無数のエラーログが赤く点滅する。電子頭脳(ブレイン)はケンの次の一手を予測しようとするが、ケンの「軍人としての演算」はそのさらに先を行っていた。
(……クソ。格闘技なんてやったことねーんだよ、こっちは……! ぼっちの俺が、プロの集団格闘術に勝てるわけねーだろ……!)
膝を突き、砂を噛むエイトマン。
その時、静寂を破るデーモンの怒号が轟いた。
「――いつまで人間じみた『感覚』で戦っているんだ、エイトマンッ!」
デーモンの叫びに、エイトマンとケンの動きが止まる。沙希は、隣で突然大声をあげた「おじさん」に、少し引いたような視線を送った。
「五感など捨てろ! 不確かな網膜の情報に頼るから後れを取るのだ! 君は世界で最も冷徹な、鋼鉄の計算機(マシーン)なのだぞ! 人間としての不確かな認識を捨て、君の存在そのものを、世界を定義する『全情報』へ委ねるのだ!」
その言葉は、抽象的でありながら、皮肉にも八幡の脳内に一筋の光を通した。
(……感覚を捨てろ、だと……? 視覚や聴覚の『先』に、機械としての俺が捉えている世界があるってことか)
エイトマンは歪んだ胸部装甲を叩き、自嘲気味に笑った。
正攻法で勝てないなら、人としての認識の限界を超えた領域へ。
奇しくも、この目の前のマッドサイエンティストと、自分のひねくれた思考回路が似通っていることに、八幡は激しいげんなり感と、奇妙な納得感を覚えた。
「……了解。おじさん……じゃなかった、悪役(ヴィラン)の知恵を借りるのは本意じゃないが……。やってやるよ」
エイトマンの光学センサーから色が消え、周囲を映像ではなく、純粋な「数値」と「波形」としてのみ処理する高負荷モードへと移行する。
気持ちを入れ替えた黒い死神が、再びサイボーグ01へと向かい合った。
──
エイトマンの視界から、色が、音が、そして「情緒」が完全に消滅した。
眼前に広がるのは、あらゆる物質をワイヤーフレームと座標軸で再構築したデジタルな世界。ケンの輪郭は熱源と質量の波形(ウェーブ)として表示され、極超音速の移動が引き起こす衝撃波(ソニックブーム)は、目に見える「壁」となって空間を定義していた。
(……なるほど。今まで俺が「感覚」という曖昧なフィルターで切り裂いていたのは、これだったのか)
八幡は初めて、音速の壁や空気の流れを理論的なベクトルとして掴んだ。
それに対応し、エイトマンの駆動系がリアルタイムで再定義されていく。
両腕は衝撃波を制御する「姿勢制御フィン」と「ラダー」(方向舵)へ。
双眸は敵を確実に追尾する「アクティブ・レーダー」へと。
エイトマンは戦闘空間を完全に「掌握」しようとしていた。
「……動きが変わったな。あの短時間で、自分をここまで最適化したというのか」
ケンの声に僅かな脅威と、同業者への尊敬に似た響きが混じる。だが、彼は迷わず攻撃を続行した。
点は面へと、速度は密度へと昇華される。ケンは古流武術の「絡み」を応用した関節技を仕掛け、機械が無視できないはずの人間的構造の限界へエイトマンを追い込もうとする。
しかし、エイトマンの反応はケンの予測を超えていた。
「――無意味だ」
捕らえられた腕のボルトを一瞬でパージし、関節部分を一時的に「切り離して」離脱。直後、ナノマシンが瞬時に再結合する。人体の構造に縛られない、機械ならではの論理(ロジック)だ。
「ならば、これでどうだ……!」
ケンは軍隊格闘術システマの「ストライク」を超音速で放った。衝撃波を拳の先端に集中させ、反動を一切逃さないゼロ距離の不可避打撃。
だが、エイトマンは「シャドー・ムーヴ」を発動。背後に残像を身代わりとして残し、自身は空間の死角へと滑り込む。
「……しまっ……!」
一瞬の空白。ケンの背後に回ったエイトマンの拳が、銀色の装甲を捉え、鈍い衝撃音を響かせた。
「ははは! そうだ、それでいい! 実に美しい演算だ!」
岩陰から戦況をモニターしていたデーモンが、子供のように声をあげて笑った。その横で、川崎沙希は冷めた目で「おじさん」を見ている。
「……何がそんなに嬉しいのよ。あっちの黒いの、さっきからボロボロじゃない」
「わかっていないな。私が認めた知性が、私の提示した理論の先で最高のパフォーマンスを発揮する。これ以上の快楽がこの世にあるかね?」
「……本気で言ってるなら、やっぱりあんた、ただの危ない奴だわ。……でも」
沙希は戦場に視線を戻した。あの黒いロボットの、どこか「捻くれた」戦い方。正攻法を捨て、悪役の助言を逆手に取ってでも勝機を掴もうとするその執念深さに、彼女は正体も知らぬまま、奇妙な感覚を覚えていた。
(……なんなのよ、あいつ。ヒーローのくせに、やってることが全然スマートじゃない。……でも、誰かに似てる気がするのは……気のせいよね)
一方、攻撃を当てられたケンには焦燥が募っていた。
(……時間が、足りない。エイトマンを仕留める時間が長引けば、僕の方が……)
ケンの内面で、警告アラートが鳴り響く。彼が「完成された01号」であるために、あえて未完成なままにしている部分。その限界は、刻一刻と迫っていた。
そして、その様子を冷徹に観察していた谷博士は、通信機を握りしめたまま、ついにその「答え」に辿り着いた。
「……エイトマン、聞こえるか。ケンの欠点がわかった。……あの子のサイボーグ体は、君とは決定的に違う『致命的な脆さ』を抱えているんだ」
砂浜に激突する二つの光。
決闘の天秤が、今、大きく揺れようとしていた。
『エイトマン、聞こえるか! ケンの弱点は、そのサイボーグ技術の「限界」にある。彼の脳は、まだ生身のままなんだ!』
谷博士の叫びは、エイトマンの集音器だけでなく、ケンの高性能集音センサーにも克明に捉えられていた。
銀色の装甲が、一瞬だけ硬直する。ケンは信じられないものを見るように、通信機のある方向へ目を剥いた。
「……正気か、パパ。あなたは……自分の実の息子を、その偽物に殺させるつもりなのか!」
通信の向こう側で、谷博士は喉を震わせ、氷のように冷たく、しかし血を吐くような悲痛さを込めて呟いた。
『……私の息子であるケンは、あの日、死んだ。人を殺すための機械……サイボーグ01になったあの日に。今そこにいるのは、私の技術の残骸だ』
「……っ!」
ケンの端正な貌(かお)が、絶望と怒りで醜く歪んだ。その一瞬の隙を逃さず、エイトマンの電子頭脳(ブレイン)は博士の意図を解析する。
(生身の脳……。それを超高速の身体と同期させるユニットが、全演算の八割を食っているのか。激突の衝撃に脳が耐えられない。だから戦闘が長引けば、制御不能になる……)
八幡は自らのシステムに組み込まれた「第7プロトコル」という名のブラックボックスを思い浮かべる。博士は、自分(八幡)にはあえて不完全な「人間性」を残した。それは、いつかこうなることを見越した、博士なりの残酷な救済だったのかもしれない。
「……黙れ、黙れ黙れ! ヴァレリーッ! 壊してやる。パパも、その偽物も、全部まとめて吹き飛ばしてやる!」
ケンの全身から、制御を失った青白い放電が激しく噴き出す。周囲の空気が急速に圧縮され、砂浜が円形状に爆ぜた。かつてエイトマンが一度だけ見せた、対象を完全に破壊する禁じ手――スーパーソニックブームの予兆。
「おいおじさん! あの銀色の、なんかヤバいことしようとしてるわよ!」
岩陰から戦況を見ていた川崎沙希が、空気の震えに本能的な恐怖を感じて叫ぶ。
「ククク……思考回路が変調を起こし、冷静な判断ができなくなっているな。エネルギーの臨界点を超えている。……早く破壊しないと、私たちもまとめて塵になるな。実に非効率的だ」
「ちょっと! 何を冷静に分析してんのよ! さっさと止めなさいよ!」
「私に肉体労働を強いるのかね? 無茶を言う」
デーモンの極めて他人事な態度に、沙希は絶叫に近い突っ込みを入れるが、エイトマンはすでに動いていた。
「……これ以上、博士に後悔を重ねさせるわけにはいかねえんだよ!」
エイトマンはすべての冷却システムをオフにし、全身を弾丸のように加速させた。限界を超えた熱気が装甲から蒸気となって噴き出す。
「消えろぉぉぉ、08号ォォォッ!!」
「止まれぇぇぇッ!!」
黒と銀。二つの超音速の光が、九十九里の波打ち際で正面から激突した。
凄まじい衝撃波が千葉の海岸線を揺らし、視界が真っ白な閃光に包まれる。
その、わずか数瞬。
八幡は目を開いた。
そこには、砂浜も、海も、夜明けの空もない。
どこまでも広がる、底の知れない電子の海。ケンの脳内にある、彼すらも踏み込めない深層意識(クオリア)の世界。
その静寂の中で、八幡は見た。
幼い子供の姿と、それを見つめる若き日の谷博士の、穏やかな微笑みを。
(……ここは、あいつの……)
比企谷八幡の魂が、ケン・ヴァレリーの孤独な記憶に触れた瞬間だった。
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