——エイトマン・リボーン—— 比企谷8幡は鋼鉄の夢を見るか   作:りかるど

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これで第二章は終了です。


第十四話:深淵のクオリア

 極超音速の衝撃が弾けた瞬間、比企谷八幡の視界から「色」が消えた。

 

 光学センサーが捉える砂浜も、荒れ狂う波も、すべてが白いノイズの彼方へと消し飛んでいく。

 

(……なんだ、ここは。データの海か? それとも、誰かの夢の中か……?)

 

 足元は存在しないはずなのに、八幡は確かに何処かに立っていた。そこは、淡い光が明滅する真っ白な精神世界。エイトマンの電子頭脳と、ケンの「補助制御脳」が、隠された能力――音響量子増幅器(フォノン・メーザー)によって偶発的に同期した結果生じた、深層意識(クオリア)の領域だった。

 

「……驚くのも無理はない、比企谷君。これは全くの偶発だ」

 

 不意に背後から声をかけられ、八幡は演算処理が追いつかないほどの衝撃で振り返った。そこには、現実世界で通信機を握っているはずの谷博士が、実体感のある姿で立っていた。

 

「博士!? なんであんたまで……。ここ、あの01号の脳内ですよね?」

「そうだ。君のフォノン・メーザーが、ケンの脳を制御する補助回路と完璧に共鳴してしまった。私もその波導を利用して、一時的に君の意識に同調させてもらったよ。……見てほしいんだ。ケンの、あの壊れてしまった心の原風景を」

 

 博士が指差した先。空間が揺らぎ、鮮やかな記憶の断片が再生される。

 

 ――そこには、輝かしいばかりのヴァレリー家の風景があった。

 

 幼いケンが、満面の笑みで谷博士にしがみついている。

 

『パパ! 今度の数学オリンピック、満点だったよ! これでパパの助手になれるかな?』

『ああ、もちろんだとも、ケン。君は私の誇りだ。君のその聡明な頭脳があれば、きっといつか、私と一緒に新しい時代を切り拓いていくだろう』

 

 八幡はその光景を、冷めた、しかしどこか胸の奥を刺されるような目で見つめていた。

 

「……なんだよ、普通に『理想の親子』じゃねーか。どこでボタンを掛け違えたんだ?」

「……あの子は完璧だったんだよ、比企谷君。超一流の大学を首席で卒業し、誰もが、彼が私の研究室を継ぐと信じていた。……あの日、国防総省(ペンタゴン)の連中に、あの実験を見せるまではね」

 

 風景が、無機質な軍の研究施設へと切り替わる。

 防弾ガラスの向こう側で、鋼鉄のプロトタイプボディが、軍の幹部たちの前で超人的なデモンストレーションを行っていた。そのボディを操っていたのは、当時まだ健在だった谷博士自身の意識だった。

 

『素晴らしいぞ、ドクター・ヴァレリー! 意識ある鋼鉄の兵士……これこそ我が軍が求めていた究極の兵器だ!』

 

 プロトタイプが見せる驚異的な性能に、軍上層部は色めき立った。

 だが、その狂騒の傍らで、青年となったケンが、鋼鉄の体となった父を、崇拝に近い眼差しで見つめていた。

 

『……パパ。それが、パパが求めていた「夢」なんですね?』

 

 研究室の隅。ケンが、実験を終えて生身の体に戻った谷博士に、真っ直ぐな瞳で問いかけた。

 

『ケン? いや、これはあくまで技術の実証だ。軍に予算を出させるためのデモンストレーションに過ぎない。君は、こんなことに関わる必要はないんだよ。君には君の人生が……』

『いいえ、パパ! 僕はパパの役に立ちたいんだ!』

 

 ケンの叫びが、精神世界に鋭く響く。

 

『国防総省は、パパのデータを使ってサイボーグ部隊を作るんでしょ? その一番目(01号)に、僕を志願させてください!』

『何を言っているんだ! ケン、サイボーグ手術がどれほど過酷か分かっているのか!? 君は、科学者として私の隣に――』

『パパを一人にはしたくないんだ! パパが作り上げたこの「理想」の肉体に、僕のすべてを捧げたい。パパが誇りに思う、最高のサイボーグになって、パパの理想を一緒に叶える手伝いがしたいんだ!』

 

 記憶の中のケンは、あまりにも純粋で、あまりにも真っ直ぐに父を愛していた。

 その光景を見つめながら、精神世界の谷博士は崩れ落ちるように膝をついた。

 

「……あの子の願いは、それほどまでに純粋だったんだ。父親の理想を叶えたい。その一念が、あの子に生身の肉体を捨てさせる結果となってしまった。……ケンのあの美しい心を、私が、私の醜い理想が食い尽くしてしまったんだ……!」

「……博士」

 

 八幡は、震える肩を抱えて俯く博士に、かけるべき言葉が見つからなかった。

 エイトマンとしての冷徹な演算回路が、この「悲劇」の整合性を無慈悲に証明していた。

 

(……純粋な願いほど、猛毒になるってことか。皮肉だな……)

 

 精神世界の風景が、音を立てて崩れ、再構成されていく。

 次に映し出されたのは、嵐の夜の研究室だった。荷物をまとめる谷博士の背中には、焦燥と、それ以上の「恐怖」が張り付いていた。

 

「……結局、私の反対も虚しく、ケンは軍の消耗品としての道を選んでしまった。軍は私のデータを使って、あの子を『01号』へと作り変えた。……その光景を見た時、私は確信したんだ。ここにいてはいけない、と」

 

 博士の声が、虚空に響く。八幡の隣に立つ精神体の博士は、かつての自分の背中を見つめていた。

 

「人間の千倍の働きをするロボット……『エイトマン』。それは間もなく完成するはずだった。だが、このままこの地に留まれば、わがままな政治家や軍人どもが、この子に数千、数万の人殺しをさせることになる」

 

『嫌だ! わしの息子を二度もそんな存在にしたくない!』

 

 記憶の中の博士が叫ぶ。その「息子」という言葉が、実の息子であるケンと、自分の最高傑作であるエイトマンの両方を指していることを、八幡は痛いほど理解した。

 

「……だから、逃げたのか。エイトマンのボディと一緒に」

「ああ。自分の最高傑作だけは、ケンのような悲劇に染めたくなかった。……だが、ケンを連れていくことはできなかった。あの子の軍への忠誠心、愛国心は、私の想像以上に深かった。……いや、あの子は私に『必要とされる場所』から離れることを恐れたのかもしれん」

 

 不意に、真っ白な空間に一人の青年が歩み寄ってきた。

 銀色の装甲ではない。どこか育ちの良さを感じさせる、穏やかな私服を纏ったケン・ヴァレリーだ。

 

「……そう。そしてパパは僕を、そしてママも捨てた」

 

 ケンの言葉に、八幡は身構えた。だが、ケンは八幡の「顔」をじっと見つめると、ふっと柔らかく微笑んだ。

 

「……それが、君の素顔か。比企谷八幡くん。……初めまして。ようやく会えたね」

「……っ。ああ、初めまして。……そんな礼儀正しくされると、こっちの毒気が抜けるんだが」

 

 八幡は戸惑った。現実のケンの狂気とは裏腹に、目の前の彼はあまりにも「普通」の、善良な青年に見えたからだ。

 

「パパが消えた後、僕たちは『裏切り者の家族』という汚名を着せられたんだ。名誉を何より重んじるアメリカ社会で、それは死刑宣告と同じだった。僕は、パパが汚したヴァレリーの名を取り戻すために、どんな汚い任務でも、どんな過酷な改造でも引き受けた」

「……ケン、それは……」

 

 博士が声を震わせるが、ケンはそれを冷たく遮った。

 

「パパの謝罪なんて聞きたくない。……ママはね、周囲の冷たい視線と、パパへの心労で身体を壊して、そのまま死んだんだ。パパが捨てたこの地で、孤独にね。……僕はパパが憎い。そしてパパが、自分の息子(僕)の代わりに愛したエイトマン……君もだ」

 

 ケンの瞳に、ドス黒い憎悪が宿る。

 だが、八幡の電子頭脳は、その「憎悪の波形」のすぐ隣に、別の信号をキャッチしていた。

 

(……待て。なんだ、あいつは……)

 

 現在のケンの意識のすぐ背後。影のように寄り添う形で、一人の子供がいた。

 

 膝を抱え、声を殺して泣きじゃくる、幼い頃のケン。

 

 それは現在の彼が抱く「軍人としての矜持」や「復讐心」のすぐ隣にありながら、彼自身には決して見えていない、ケンの魂の本質だった。

 

(……あいつ、気づいてねーのか。自分のすぐ隣で、あんなに泣いてる自分(ガキ)がいることに)

 

 その泣き顔を見た瞬間、八幡の心から闘争心が霧散した。

 目の前にいるのは、世界を滅ぼしかねないサイボーグ01号ではない。ただ、父親に置いていかれ、母親を亡くし、どうしようもない孤独の中で「正しさ」にすがるしかなかった、一人の迷子なのだ。

 

「……おい、博士。あんた、とんでもねーもん残してきたな」

「……ああ。……本当に、取り返しのつかないことをした」

「パパと話すことはもう何もない。さあ、比企谷くん……。終わらせよう。僕が君を壊して、パパの理想を僕が上書きすることで、すべてにケリをつける」

 

 ケンが再び銀色の死神へと変貌しようとする。

 だが、八幡はもう、彼に対して拳を固めることができなかった。

 

(……ったく。俺みたいな捻くれ者に、こんな『純粋な悲劇』を見せるんじゃねーよ……)

 

 精神世界が揺らぎ始める。現実世界の肉体が、最後の一撃を放とうとしていた。

 

 ――フォノン・メーザーによる超高速通信が、唐突に途絶えた。

 

 次の瞬間、八幡の意識は「真っ白な精神世界」から「地獄のような現実」へと叩き戻された。

 視界を埋め尽くすのは、極超音速の激突が生み出した超高圧の空気の壁。二体のサイボーグを中心に、砂を巻き込んだ衝撃波の竜巻が荒れ狂い、周囲の空間を対消滅の臨界点へと押し進めている。

 

(……チッ、現実(こっち)はさらにひどいことになってんな……!)

 

 八幡の網膜には、警告アラートが真っ赤な洪水となって溢れていた。

 目の前のサイボーグ01――ケンは、もはや言葉を失い、全身から漏れ出すエネルギーを制御しきれず、九十九里の海岸線ごと自爆しようとしている。

 

「ちょっと! あの竜巻、どんどん大きくなってない!? このままだと私たちも、千葉県も……!」

 

 岩陰で砂にまみれながら、川崎沙希が絶叫した。だが、隣に立つドクトル・デーモンは、瞳を狂喜に輝かせ、ニヤリと口角を上げた。

 

「ククク……案ずるな。あれは『完成形』への産みの苦しみだ。対消滅のエネルギーか。実に素晴らしいデータだ……」

「アンタ馬鹿なの!? データを取る前に私たちが死ぬって言ってんのよ!」

「……ふん、何を言うかと思えばそんなことか」

 

「君は、あの程度でエイトマンが負けると本気で思っているのかね?」

 

 デーモンの不敵な笑み。その言葉に呼応するように、竜巻の中心でエイトマンの電子頭脳(ブレイン)が、一億分の一秒の演算を繰り返していた。

 

(……ケンの補助制御脳を叩かなきゃ、あのエネルギーは止まらない。だが、普通に殴れば生身の脳まで焼き切れる。……何か、何か一手はないのか。俺のブラックボックスの中に……!)

 

 その時、八幡の記憶の底から一つのログが浮かび上がった。

 かつて無意識のうちに発動させた、高密度エネルギーの収束放射。

 

「――指向性電流波(プラズマ・シュート)……。これなら、いけるか」

 

 八幡は覚悟を決めた。

 

「ハイパーソニック・ムーヴメント……起動ッ!!」

 

 エイトマンの背部スラスターが、青白い炎を噴き上げた。竜巻の逆風を真っ向から切り裂き、自爆の臨界点にあるケンの懐へと飛び込む。

 

「あぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 ケンが放つ無意識の衝撃波がエイトマンの装甲を削り、ナノマシンが火花を散らす。だが、八幡は止まらない。

 精神世界で見た、あの泣きじゃくる子供の姿を思い出しながら。

 

「……もう、いいんだよ。ケン」

 

 エイトマンの両手が、暴れるケンの両手を力強く、しかし抱きしめるように掴んだ。

 

 刹那、十万キロワットの超高圧電流が、エイトマンの腕を通じてケンの体内へと一気に流れ込んだ。

 

「ガ、ハッ……あ、あ、あああああああッ!!」

 

 青白い閃光が夜の海を真っ二つに割り、ケンの身体を激しい放電が貫く。

 標的はただ一つ。ケンの生身の脳を守りつつ、暴走を司る「補助制御脳」だけをピンポイントで過負荷(オーバーロード)させ、物理的に焼き切る。

 一瞬の後。

 

 狂ったように鳴り響いていた衝撃波の咆哮が、嘘のように止んだ。

 

 砂煙がゆっくりと沈下していく。

 そこには、膝を突き、エイトマンに支えられるようにして静止した、銀色のサイボーグの姿があった。

 

「……補助制御脳の沈黙を確認。……エネルギー反応、消失」

 

 八幡の声は、疲れ果てていた。

 九十九里浜を揺るがした極超音速の決闘は、今、静寂と共に終わりを告げた。

 

「……勝ったの、あいつ?」

 

 沙希が呆然と呟く。デーモンは満足げに鼻を鳴らし、タブレットを閉じた。

 

「当然だ。……だが、面白い。純粋な破壊ではなく、制御系の無力化を選ぶとはな。エイトマン……君の『甘さ』は、時に計算を超える」

 

 エイトマンは、ぐったりと項垂れたケンの頭を、鋼鉄の手で静かに撫でた。

 その感触は、どこまでも冷たく、そしてどこまでも不器用な、兄から弟への「奉仕」だった。

 

 

──

 

 

 九十九里の砂浜に、銀色の体が横たわっていた。

 荒れ狂っていた衝撃波は嘘のように消え、ただ寄せては返す波の音だけが響いている。比企谷八幡――エイトマンは、熱を帯びた装甲を軋ませながら、その傍らに立ち尽くしていた。

 

「……あ、あぁ……。なんだろうな、今……誰かに抱きしめられたような、変な感覚がしたよ……」

 

 ケンの口から、掠れた声が漏れる。補助制御脳は完全に沈黙し、彼の狂気は凪いでいた。

 

「補助制御脳は破壊した。……もう、暴走することはないはずだ」

 

 八幡が短く告げると、谷博士、ドクトル・デーモン、そして川崎沙希が駆け寄ってくる。博士は震える手で息子の装甲に触れようとした。

 

「ケン……! 今すぐ応急処置を……!」

「……っ、ガハッ……!!」

 

 突如、ケンの口からどす黒い血が溢れ出した。砂浜が赤く染まり、八幡は思わず息を呑む。

 

「……っ!? 演算ミスか、さっきの放電が強すぎたのか……!?」

「……いや、君のせいじゃない、エイトマン。……これが、人間が人間の限界を超えようとした『代償』だ。……そう簡単に、人は人を超越することなんて、できないらしい……」

 

 ケンは力なく笑った。彼の生体組織は、極超音速の機動に耐えられず、すでに内部から崩壊を始めていたのだ。

 彼は最後まで「比企谷八幡」の名を呼ぶことはなかった。それが、正体を知らぬ周囲への配慮なのか、あるいは自分と同じ貌を持つ「英雄」への意地なのかはわからない。彼は微かに首を動かし、傍らに立つ沙希を見つめた。

 

「……川崎さん。……君の言う通りだった。僕はただ、寂しくて泣いているだけの子供だったんだ。……怖がらせて、すまなかった……」

「……バカね。……そんなの、今さら謝られても困るわよ」

 

 沙希の声が震える。ケンは次に、隣で顔を覆う谷博士へと視線を向けた。

 

「……パパ。フォノン・メーザーの時に見えたよ。パパはアメリカを裏切ってロシアに行こうなんてしていなかった。……分かっていたのに、僕は……もう、引き返せなかった……」

「ケン……! すまない、私の身勝手な理想が、君をこんな……!」

「いいんだ。……憎しみなんて、もう一つも残っていないよ。……ママもね、死ぬ直前まで、パパの身を案じていたんだ……」

 

 ケンの瞳に、急激に赤い光が明滅し始める。機密保持のための自爆プログラム。

 

「……エイトマン。……もう、時間だ。あと数分で、僕は消える」

「……自爆だと? デーモン、解除できないのか!」

 

 八幡の叫びに、デーモンは静かに首を振った。

 

「無理だ。あれはペンタゴンの最高機密だ。外部からのアクセスは一切受け付けない」

 

「……逃げろ、エイトマン。パパと、彼女たちを頼む。……これが、僕の最後のお願いだ」

 

 ケンは満足げに、自分と同じ顔をしたエイトマンを見つめた。八幡は拳を固く握りしめた後、無理やり3人を抱え上げる。

 

「……遺言として、確かに受け取った」

「……ありがとう。……さよなら、パパ」

 

 その言葉を背に、八幡は加速した。

 九十九里の海岸線から数キロ離れた地点。

 八幡は3人を降ろし、遠くの波打ち際を見つめた。

 

 刹那。

 

 夜の闇を塗り潰すような、凄まじい閃光が弾けた。

 遅れてやってくる爆音。砂浜の一点が、まるで小さな太陽が現れたかのように輝き、そして静かに消えていく。

 

「……ケン……ッ!!」

 

 博士の叫びが夜風に溶ける。

 八幡の光学センサーは、爆発の直前、確かに捉えていた。

 自分と同じ顔をした男が、すべての重荷から解放され、穏やかな笑みを浮かべて、光の中に消えていく姿を。

 

「……リア充、末長く爆発しろ、か」

 

 あの日、皮肉を込めて書いたあの言葉が、最悪の形で現実になった。

 だが、八幡の胸にあるのは、かつてのような冷笑ではない。

 

「……お疲れ様、ケン」

 

 鋼鉄の体を持つ偽物のヒーローは、誰もいない夜の海に向かって、静かにマックスコーヒーを掲げた。

 

──

 

 爆発の光が水平線の彼方に消え、九十九里浜には再び夏の蒸し暑い潮風が戻ってきた。

 

「……あー、クソ。腕のサーボモーターがイカれてやがる。装甲もひび割れだらけだ……」

 

 八幡――エイトマンは、火花を散らす右腕を抑えながら、砂浜にどっかりと腰を下ろした。超合金製のボディはあちこちが焼け焦げ、無残な有様だ。

 

「……まぁ、あの『007号』との激突の時よりは、いくらかマシな損傷か……。あっちの時は文字通り首の皮一枚……いや、コード一本で繋がってたからな」

 

 自嘲気味に呟く八幡の隣に、谷博士がゆっくりと歩み寄ってきた。その目には涙の跡があったが、表情はどこか晴れやかだった。

 

「エイトマン。君には、感謝してもしきれないよ。……最後に、私はケンと、本当の親子に戻ることができた。あの子の……息子の笑顔を、私は一生忘れないだろう」

「……よして下さいよ。俺はあんたの頼みを、俺なりのやり方で片付けただけだ。……結局、あいつを救えなかったんだ。俺の演算能力じゃ、死ぬこと以外に救う方法を見つけられなかった。……無能な機械ですよ、俺は」

 

 八幡は視線を逸らした。鋼鉄の瞳の奥で、自分と同じ顔をした青年が光の中に消えていく残像が、消えないエラーメッセージのように点滅していた。

 

「……そんなことないわよ」

 

 不意に、川崎沙希が目の前に立った。彼女は八幡のボロボロの金属の手を、躊躇いもなくそっと握った。

 

「あんたは、あいつを止めてくれた。……それから、私のことも。……前回のことも含めて、全部、ありがとね」

「……別に、そこまでのことはしてねーよ。……あと、あんまり近づくな。ナノマシンが服に付着して、クリーニング代が高くつくぞ」

 

 八幡は気恥ずかしさから顔を背けた。内心の電子頭脳(ブレイン)は「女子との過剰な接近」によるアラートを乱発させている。

 

(……あー、これだ。これだから女は苦手なんだ。論理的じゃない、物理法則を無視した熱量で攻めてきやがる……)

 

「ククク……素晴らしい! 実に、実に素晴らしいデータだ! 極超音速下でのフォノン・メーザー、そして対消滅寸前のエネルギー変換! ケン君の自爆ログまで手に入るとは、最高の結果だよ、エイトマン!」

 

 少し離れた場所で、ドクトル・デーモンがタブレットを叩きながら狂喜乱舞していた。八幡、博士、沙希の三人が、一斉に冷たい視線を彼に浴びせる。

 

「……博士。アイツ、今のうちにどさくさに紛れて砂浜に埋めちまった方が、世界のためだと思いませんか?」

「……一理あるね。だが、あいにく警察の到着が早いようだ」

 

 遠くからパトカーのサイレンが聞こえてくる。この騒ぎだ、当然の帰結だろう。

 

「さらばだ、エイトマン! まだまだ君の体には未知のブラックボックスが眠っている! いずれまた、最高の実験場で会おう!」

 デーモンは煙幕のように消え去った。八幡は「二度と会うか、マッドサイエンティスト」と毒づきながら、立ち上がろうとした。

 

 その時だった。

 

「……エイトマン」

 

 不意に沙希の顔が至近距離まで迫った。鉄の匂いと、微かな潮風の香り。

 八幡が反応する間もなく、冷たい金属の唇に、確かな「体温」が重なった。

 

「――――ッ!?」

 

 八幡の網膜ディスプレイが、瞬時に警告色(クリティカル)に染まる。

 【警告:中枢ユニットの急激な温度上昇。冷却系、機能不全。……オーバーヒートまであと三秒】

 甘いのは、きっと原子炉を冷やすために飲んでいたマックスコーヒーのせいではない。

 

「……またね、エイトマン」

 

 沙希はいたずらっぽく微笑むと、駆け寄ってきたパトカーの群れの方へと歩き出した。

 八幡は、沸騰しそうな電子頭脳を必死で抑え込みながら、震える手で首筋の排熱スリットを叩いた。

 

「……っ、ふぅ。……これだから、まちがってるんだよ……俺の青春は」

 

 彼は谷博士と共に、日の出の朝陽に紛れるようにしてその場を後にした。

 九十九里浜に残されたのは、折れた銀色の指先一つと、鋼鉄の男が流した、熱い不凍液の跡だけだった。

 

 

──

 

 

 戦いは終わった。

 

 エージェント――ケン・ヴァレリーとの死闘を制した八幡だったが、その心に達成感など微塵もなかった。電子頭脳のログに残るのは、自分と同じ貌をした男が光の中に消えていった、あの爆発の閃光。

 

(……あの光は、いつか俺が辿り着く終着駅か。そう遠くない未来、俺もあんな風に綺麗さっぱり消えるのかね……)

 

 八幡は否定するだろうが、一人の男の壮烈な生き様とその最期は、確実に彼の心を成長させていた。鋼鉄の装甲を何層も重ねるように、比企谷八幡という少年の内面に、新たな「重み」が加わっていた。

 

「痛っ……! 博士、もうちょっと優しくメンテナンスして下さいよ。神経接続(ニューラルリンク)が生きてるんだから」

 

 場所は変わり、谷製作所の秘密地下工房。八幡は修理台の上に横たわり、火花を散らす右腕の回路を博士に委ねていた。

 

「我慢したまえ、エイトマン。君のボディはボロボロだ。……だが、これでもあの子――ケンの時よりは修理のしがいがある。あの子の身体は、軍の無理な調整で悲鳴を上げていたからね……」

「……その話はもういいですよ。それより博士、あと三十分で終わらせて下さい。これ以上遅くなると、小町が……妹が本気で心配するんです。警察より小町の尋問の方が、俺にとっては死活問題なんで」

 

 八幡が気が気でない様子で時計を確認していると、重厚な扉のロックが解かれる音が響いた。

 

「ドクター、入るぞ! ……おお、これが噂の『鋼鉄の男』か!」

 

 部屋に飛び込んできたのは、仕立ての良いスーツを纏った、初老ながらも猛々しい覇気を放つ男だった。八幡は咄嗟にセンサーを起動させる。

 

「博士、誰ですかこの暑苦しいおっさん。解体業者なら他を当たって下さい」

「はっはっは! 解体業者とは傑作だ! 私は警視庁捜査一課課長、田中善右衛門だ。ドクターとは……そうだな、腐れ縁というやつだ」

 

 田中はそう言うと、谷博士の肩を親しげに叩いた。博士も少しだけ表情を和らげる。

 

「田中くん、相変わらず騒々しいな。九十九里の『掃除』は済んだのかね?」

「ああ、お陰様でな。表向きは『過激派の新型爆弾による自爆テロ』で通した。アメリカ側も、機密保持のために沈黙を選んだようだ。……全く、ドクター。君が連れてきたこの青年が、千葉を……いや日本を救ったなんて、上層部が知ったら腰を抜かすぞ」

 

 田中は修理台に駆け寄り、八幡の鋼鉄の手をガシッと掴んでブンブンと上下に振り始めた。

 

「いやぁ、素晴らしい! 本物のエイトマンに会えるとは光栄だ! 映像で見るより、ずっといい面構えをしているじゃないか!」

「ちょっ……止めて下さい、まだ右腕のボルトが締まってな……!」

「――と思ったが、なんだこの目は! 薄ぼんやりして、死んだ魚のようじゃないか! シャキッとしなさい、シャキッと!」

 

 バシバシと力任せに背中を叩かれ、八幡の姿勢制御装置がエラーを吐き出す。

 

(……なんだこのおっさん。本能が全力で『苦手』だと警告してやがる。平塚先生と同系統の、論理が通じないタイプだ……)

「……それで、田中。用件は何だ。わざわざここに来たのは、私の顔を見に来ただけではあるまい」

 

 谷博士が問いかけると、田中はピタリと動きを止め、険しい表情で腕を組んだ。

 

「……不吉な動きがある。今回のデーモンの件、そしてアメリカのサイボーグ部隊の暗躍。……警察の手に負えない『闇』が、急速にこの街を侵食しつつある。ハイテクノロジーを用いた最新の犯罪、人外の力による暴力……。これらはもはや、既存の法律では裁けん」

「……それで、警察はエイトマンを利用しようというのか?」

「『協力』と言ってほしいな。いいか、エイトマン。私は君の正体を暴くつもりも、君を檻に入れるつもりもない。ただ、君がこの街の『盾』となってくれるなら、警視庁は君の活動を一切妨害しないと約束しよう。裏処理はすべて私が引き受ける」

 

 田中は八幡の目を真っ直ぐに見据え、厚い手のひらを差し出した。

 

「共に正義のために頑張ろうじゃないか。期待しているぞ、エイトマン!」

「……正義ね。俺が一番嫌いな言葉の一つですよ。……それに、俺はただの高校生なんです。夏休みだってあるし、部活だって……」

「いいじゃないか! 青春を謳歌しながら、夜は鋼鉄のヒーロー! 燃える展開じゃないか!」

 

「……どこがだよ。……ああ、最悪だ。俺の貴重な夏休みが、鉄の匂いとおっさんの熱血で塗り潰されていく……」

 

 八幡は深く、重厚な排熱音のようなため息を吐き出した。

 始まったばかりの夏休み。しかし、エイトマンとしての「まちがっている生活」は、さらなる混沌へと加速を始めていた。

 




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