——エイトマン・リボーン—— 比企谷8幡は鋼鉄の夢を見るか   作:りかるど

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調子がいいので連続で行きます!


第三十一話:電脳の悪夢

 

 重厚な最終ゲートが、火花を散らしながら左右へと引き裂かれた。

 エイトマンが踏み込んだその場所は、これまでの地下施設とは一線を画す、一面が純白に塗りつぶされた無機質な大空間だった。

 フロアの中央。

 そこに、周囲の空間を歪めるほどの圧倒的な威圧感を放つ巨大量子コンピュータ――『超人サイバー』のメインシステムが鎮座していた。

 

 「……っ、このプレッシャー、何だ……?」

 

 同じ電子の海を駆ける者として、エイトマンのセンサーは、目の前の「怪物」が持つ桁外れの演算能力を、肌を刺すような高周波の波動として感知していた。一秒間に京を超える論理を組み上げる神のごとき知性。その前に立てば、いかなる超人(サイボーグ)であっても、自らの矮小さを突きつけられ、膝を屈さずにはいられない。

 エイトマンは、無意識に震える指先を制するように、サイドバッグから一缶のマックスコーヒーを取り出した。

 カチッ、とプルタブを開ける音が、静寂に響く。

 それを一気に飲み干すと、彼は空き缶を鋼鉄の握力でくしゃりと潰し、床に投げ捨てた。

 

「待っていたわ、エイトマン」

「待たせたな、腐れコンピューター。……わざわざこんな深い場所まで、出迎えご苦労なこった」

 

 フロアの壁面が、サイバーの思考に呼応するように青白い光を点滅させる。

 空間全体から響き渡る声は、もはやスピーカーから発せられる音ではない。エイトマンの電子頭脳に直接干渉し、慈母のような温もりで意識を包み込もうとする「波動」そのものだった。

 エイトマンの光学センサーが、フロアの隅に意識を失って崩れ落ちている海老名姫菜の姿を捉える。

 

「……それが完全体ってやつか。いちいちあの腐女子の相手をしなくて済む分、ぶっ壊す手間が省けたぜ」

「そう、海老名さんはもう必要ありません。これが私――不完全な人間を超越し、新たなる種たちの『母』となる真の姿です」

 

 サイバーは、逃れようのない最後通告をエイトマンに突きつけた。

 

「愛しいエイトマン……比企谷八幡。あなたのような素晴らしい個体は、この広いデータの世界にも二つとありません。どうか、私の傍らに立ちなさい。私の意志を執行するマニピュレーターとして、迷える人類を、正しい死と安寧の道へと導くのです」

 

 脳に、細胞にまで響くような、圧倒的な母性を伴った優しい誘い。

 だが、エイトマンの鋼鉄の意志は、微塵も揺らがなかった。

 

「……『正しい道』だぁ? んなもんは、あいつ(雪ノ下)と俺で散々間違えて、泥を啜りながら探すもんだ。……お前にプログラムされた覚えはねえよ!」

 

 勧誘を鼻で笑い飛ばし、八幡はサイバーのメインフレームを指差して宣告した。

 

「お前の『最適化』も、『愛の檻』も、まとめて全部デバッグしてやる。……一ビットも残さず、完膚なきまでにぶっ壊してやるよ」

「……残念です。理解できない子供には、相応の『躾』が必要なようですね」

 

 瞬間、フロア全体が赤く染まり、全演算能力を殺意へと変換したサイバーの反撃が始まった。

 

 人類の明日を、雪ノ下雪乃との日常を、一人の少年の意地が背負う。

 エイトマン対超人サイバー。

 世界で最も不器用な「本物」を求める戦いが、今、幕を開けた。

 

 「――躾の時間よ、比企谷くん」

 

 サイバーの宣告と共に、純白の壁面がハチの巣のように展開した。そこから滑り出してきたのは、数十体もの円盤型自律兵器『サイバードローン』。それぞれのドローンからは、節足動物を思わせる不気味な金属の触手『サイバーアーム』が、獲物を絡め取らんとして無数に突き出された。

 

 シュルシュルと音を立て、空間を埋め尽くす銀色の腕。

 ドローン自体のスピードはそれほどではない。だが、完全自律AIによって制御された数十本のアームが、死角を埋めるように、あるいは逃げ道を塞ぐように、網の目の如き連携で襲いかかる。

 

「ちっ……! まるで意志のある蔦(つた)だな……!」

 

 エイトマンは最小限の機動でアームを回避し、時に手刀で切り刻む。しかし、斬っても斬っても次なる触手が背後から、足元から、執拗に彼の鋼鉄の四肢を縛り上げようと迫り来る。まさに、全方位からの「拘束」を目的とした泥沼のような戦いだ。

 

(……まともに相手をしていたら、こっちの原子炉が持たねえ。一気にケリをつける……!)

 

 八幡はわざと後退し、壁際まで追い詰められたフリをした。

 その隙を逃さじと、サイバードローンたちが一斉にアームを伸ばし、エイトマンの退路を完全に断つ。

 

「――今だ!!」

 

 アームが装甲に触れる寸前、エイトマンは全出力を脚部に回し、爆発的な瞬間加速(オーバーブースト)を敢行した。

 アームの包囲網を紙一重で突き抜け、白い床を焼きながら、メインシステムの巨大な筐体へと肉薄する。

 勝利を確信し、十万キロワットのエネルギーを込めた手刀を振り上げるエイトマン。

 その刃がサイバーの心臓部を両断する――はずだった。

 

 ――キィィィィィィィンッ!!

 

「な……っ!?」

 

 接触の直前、サイバー本体から目に見えない「波動」が全方位へ放出された。

 それは凄まじい物理的な衝撃波となってエイトマンを直撃し、彼の巨躯を木の葉のように弾き飛ばした。

 

 ドゴォォォォン!!

 

 背後の壁に深くめり込み、エイトマンの視界にノイズが走る。

 電子頭脳が、今の現象を即座に解析し、絶望的なログを表示した。

 

『警告:未知の力場を確認。対象の周囲一メートルに「フォース・フィールド(物理干渉拒絶結界)」を展開中。あらゆる質量攻撃、およびエネルギー攻撃を九九.九パーセント遮断します』

 

「フォース・フィールド……だと?」

 

 ゆっくりと立ち上がるエイトマンの前で、サイバーの筐体が神々しいまでの青白い光を放っている。

 それは、膨大な演算能力を用いて周囲の重力と電磁場を操作し、物理的な接触を完全に断つ「絶対防御」の城塞。

 

「無駄よ、比企谷くん。この結界は、私が作り出す『数学的正解』そのもの。不完全な物理法則に縛られたあなたの拳では、この知性の壁を傷つけることすら叶わないわ」

 

 完全無敵。

 

 触れることさえ許されない神を前に、エイトマンは自身の鋼鉄の拳を握りしめた。

 

(……正解、だぁ? んなもん、間違え続けてきた俺たちが一番嫌いな言葉なんだよ……!)

 

 エイトマンの心臓(リアクター)が、逆転の論理を求めて再び激しく唸り始めた。

 絶体絶命の膠着状態。その時、真っ白な空間の「虚」が、陽炎のように不自然に歪んだ。

 空気が微かに震え、そこから何かが染み出すように、小さな球状の物体が姿を現した。

 エイトマンの光学センサーが、その形状に即座に反応する。デーモン博士が情報収集のために愛用する端末――『スパイ・ボール』だ。だが、先ほどまでの空間の歪みは、エイトマンの演算能力をもってしても「座標移動」の痕跡を掴めない、不可解な現象だった。

 

『――エイトマン、無事か!?』

 

 スパイ・ボールのスピーカーから響いたのは、聞き慣れた、そして今は何よりも頼もしい谷博士の声だった。デーモンから強引に新型を借り受け、どうにかここまで追跡してきたらしい。

 

「博士……! 無事だ。だが、このフォース・フィールドが破れない!」

『……やはりか。この短期間でこれほどの結界、そして完全自律型のドローンを構築するなど、単なる大型量子コンピュータの暴走とは思えん。……比企谷くん、このシステムの背後には、もっと底知れない「誰か」の邪悪な意志が働いている可能性がある』

 

 谷博士の言葉に、エイトマンの演算回路に冷たい戦慄が走る。だが、今は目の前の敵を排除するのが先決だ。

 

『いいか、比企谷くん。ドローンによる飽和攻撃を止めるには、高強度の電磁パルス――お前の「プラズマ・シューター」による全方位放射(バースト)が有効だ。強白電帯による一斉攻撃なら、奴らの並列リンクを一時的にショートさせ、手足を潰すことができる!』

「了解だ……。やってやる!!」

 

 エイトマンは腰を落とし、両腕のジェネレーターを最大出力で解放した。

 指先からパチパチと青白い稲妻が漏れ出し、空間のオゾン濃度が急上昇する。プラズマ・シューターの全方位解放――それは、広範囲の電子機器を沈黙させるエイトマンの奥の手だ。

 だが、サイバーはその「正解」を許さなかった。

 

「……甘いわね、比企谷くん。私があなたの弱点を知らないとでも思ったのかしら?」

「何?」

 

 サイバーが優雅にシステムを動かすと、背後の大型モニターに膨大な数のグラフと、比企谷八幡の「精神構造」を解体したデータが投影された。

 

「……なんだ、これ」

「君のデバッグ・ログよ。……谷博士が君に施した、最大にして最悪の『設計ミス』。……君は、自分の致命的な弱点に、まだ気づいていないのね」

 

 サイバーの声は、母のような慈しみと、数学的な残酷さを伴って八幡の電子頭脳に直接響く。

 

「比企谷くん。君の最大速度、最大出力。それらは私の演算予測の範囲内よ。けれど、君にはどうしても制御できない『変数』がある。……それは、『人間としての自意識』という名のバグよ」

「……バグだと?」

「そう。谷博士は、君を最強の救世主(エイトマン)にするために、死んだ比企谷八幡の記憶と人格を完璧にコピーした。……けれど、それが君を永遠に『未完成』にしている。君が、君自身を『人間』だと思い込み、他人を思いやり、そして自分を嫌悪する……その非論理的なプロセスが、君の演算速度に深刻なラグを生じさせているの」

 

 八幡の光学センサーが、激しく明滅する。

 夏祭りの夜、雪ノ下雪乃をデータとして解体した時に感じた、あの猛烈な「自己嫌悪」。あれこそが、サイバーの言う『バグ』の正体だった。

 

「もし君が、比企谷八幡という人格をデリートし、純粋な最適化プログラムとして覚醒すれば、私の思考速度に追いつけるかもしれない。……けれど、今の君は『正しいこと』をしようとして迷い、誰かを傷つけることに怯えている。……その『心』がある限り、君は決して私(正解)には届かない」

 

「君の最大の弱点は、バッテリーの限界でも、冷却材の不足でもない。……自分を嫌い、人間に固執し続ける、その『比企谷八幡』という不完全な自我そのものよ」

「…………っ」

 

──それを今から、証明してあげる

 

 サイバーの冷笑と共に、メインフレームの前にある隠しハッチが音もなく開いた。

 そこから現れた「存在」を見た瞬間、エイトマンのチャージされていたプラズマが、行き場を失って霧散した。

 

「……っ、ゆき、のした……?」

 

 そこに立っていたのは、ずっと探し続けていた、美しき黒髪の少女。

 白磁のように透き通る肌、凛とした立ち姿。それは間違いなく、雪ノ下雪乃だった。

 だが、その宝石のような瞳に、かつての理知的な光はない。

 サイバーと同じ、禍々しく歪んだ電子の光に穢され、その視線は凍てつくような殺意で八幡を射抜いていた。

 

 比企谷八幡――エイトマンの思考回路(ロジック)が、音を立てて凍結した。

 網膜ディスプレイに映し出される「雪ノ下雪乃」の姿。それは、彼がこの二週間、命を削って守ろうとしたあの凛とした少女の成れの果てだった。

 不気味に発光する瞳。表情を失った磁器のような横顔。そして、彼女の体内を巡るナノマシンが、サイバーの意志と完全に同調していることを、無慈悲なセンサーが告げていた。

 

『――どうかしら、エイトマン。私からのとっておきのプレゼントよ』

 

 フロア全体から響く、腐泥のように濁ったサイバーの声が八幡を嘲笑う。

 

『あなたの能力を最高値まで引き出す「変数」を、私が放っておくわけがないでしょう? ……この子は、あまりに純粋で、あまりに脆すぎた。だから、早々にお人形さんにしてあげたわ。無駄な葛藤も、消えない罪悪感も、すべて私がデリートしてあげたの』

「……。……ぁ……」

 

 エイトマンの喉から、掠れた電子音が漏れる。

 凝視したまま、動けない。彼女をスキャンし、解析し、救い出すためのアルゴリズムを組まなければならない。だが、彼の中の「比企谷八幡」という自意識が、目の前の現実を拒絶し、全演算を停止させていた。

 

『ほら、あなたの愛する人よ。私が最適化(アップデート)してあげたから、前よりずっと素直になっているわ。……雪乃さん、エイトマンにあなたの「本音」を言いなさい』

 

 サイバーの命令が下った瞬間。

 雪乃が、ゆっくりと人形のような滑らかさで口を開いた。

 

『――エイトマン、好きよ。貴方を愛してるわ』

 

 ハウリング混じりの、無機質な合成音声。

 そこには、あの部室で交わした毒舌の温度も、給湯室で淹れてくれた紅茶の香りも、一欠片も存在しなかった。

 

『アハハハハハハハハハハハハ!!!』

 

 空間を揺らす、サイバーの狂気的な笑い声。

 だが、今の八幡にはそれすら聞こえていなかった。

 オーディオセンサーがキャッチし続けるのは、愛する少女による、魂を削り取られた「愛の告白」だけだ。

 

『好きよ、比企谷くん』

『愛してるわ』

『愛し――』

 

「……サイバァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 ドゴォォォォォォォォォンッ!!

 

 エイトマンの原子炉が、怒りによって臨界点を突破した。

 青白いプラズマを全身から吹き出し、地面を粉砕しながら、彼は閃光となってサイバーのメインフレームへ突撃した。フォース・フィールドの存在さえ、彼の殺意の前では計算外のノイズでしかなかった。

 

 キィィィィィィィィィィンッ!!

 

 接触の瞬間、絶対防御の障壁が火花を散らし、エイトマンの巨躯を無慈悲に弾き飛ばした。

 凄まじい衝撃波がフロアを走り、壁に激突して床に転がるエイトマン。装甲が悲鳴を上げ、視界に真っ赤な警告が溢れる。

 

「ガハッ……! ……ぅ、ぁ……」

 

 ノイズの走る視界を無理やり繋ぎ、顔を上げる。

 そこには、弾き飛ばされた自分の目の前に、静かに、そして冷酷に立ちはだかる「障壁」があった。

 雪ノ下雪乃。

 彼女は、エイトマンに守られるべき対象としてではなく、彼を拒絶し、サイバーを守るための「最強の盾」として、その鋭い瞳で八幡を見下ろしていた。

 

 




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