——エイトマン・リボーン—— 比企谷8幡は鋼鉄の夢を見るか   作:りかるど

33 / 91
第三十二話:覚醒、超電導システム

 

「……比企谷くん、最適化の時間よ」

 

 雪ノ下雪乃の右腕には、無機質な白銀の輝きを放つ『解体用マニピュレーター』が装着されていた。超高周波の振動によって、あらゆる物質の分子結合を瞬時に解体する、サイバーが生み出した究極のデバッグツール。

 彼女は、まるで故障した時計を片付けるような淡々とした手つきで、一歩、また一歩とエイトマンへと近づく。

 

『比企谷くん!! 逃げるんだ! 彼女から離れろ!!』

 

 スパイ・ボールのスピーカーから、谷博士の悲鳴にも似た警告が響く。だが、エイトマンの駆動系は、先ほどのフォース・フィールドの衝撃による過負荷(オーバーロード)で完全にロックされていた。関節部の油圧シリンダーが虚しく空転し、網膜ディスプレイには『ERROR: 行動不能』の赤文字が非情に点滅している。

 

 ――ガチリ。

 

 冷たい金属の感触。

 雪乃のマニピュレーターが、エイトマンの胸部装甲、あの『8』の刻印が刻まれた心臓部(リアクター)へと触れた。

 

「…………っ」

 

 火花が散る。装甲の表面が、ナノ秒単位で霧のように分解され始めた。

 エイトマンの右拳を握り込めば、音速の衝撃を叩き込めば、一瞬で彼女を止めることができる。彼女を吹き飛ばし、この地獄を物理的に終わらせることは、今のエイトマンの出力なら容易なはずだった。

 

 だが、できなかった。

 

 比企谷八幡の全回路が、その選択肢を物理的に拒絶していた。

 

(……できるわけがねえだろ)

 

 たとえシステムが消去されようと、身体が鉄屑に還ろうと。

 

 『雪ノ下雪乃を守る』――。

 

 それこそが、比企谷八幡が由比ヶ浜と交わし、自分自身に刻み込んだ、鋼鉄の誓い(プロトコル)なのだから。

 

 ジジッ、ジジジ……。

 

 マニピュレーターが深層装甲へと食い込み、エイトマンの意識の深淵(メインメモリ)が侵食されていく。

 

 谷博士の叫びが遠のき、視界が真っ白なノイズに埋め尽くされていく中で。

 八幡は、目の前に立つ少女の顔を見続けていた。

 表情を失い、サイバーの奴隷となったその顔。

 けれど、八幡にとっては、初めて会ったあの日から、この世界で最も美しいと感じる「正解」だった。

 

 部室で交わした毒舌の冷たさ。

 

 給湯室で不器用に紅茶を淹れる時の真剣な横顔。

 

 そして、この文化祭で共に泥を啜りながら、一つの世界を創り上げたあの充足感。

 

 それら全てが、鋼鉄の身体になった比企谷八幡にとって、自分がかつて人間であったことを証明する、唯一の「本物」だった。

 

(あー、そっか。……俺、ずっと……)

 

 論理を超えた情動が、限界まで摩耗した音声合成ユニットを震わせる。

 もはや「エイトマン」の合成音声ではない。

 それは、一人の少年が、その魂の底から絞り出した「人間の声」だった。

 

 

 

「…………ゆ、き、の」

 

 

 

 初めて口にする、彼女の名前。

 名字という壁を壊し、役割という境界線を越えた、剥き出しの呼称。

 

 

『────────────』

 

 

 瞬間。

 エイトマンのシステムを解体していた、雪乃の腕が止まった。

 青白く発光していた彼女の瞳に、激しいノイズが走る。

 マニピュレーターの駆動音が悲鳴を上げ、彼女の白磁の指先が、目に見えるほどの震えを見せ始めた。

 

 『――何をしているのです、雪乃。最適化を続けなさい』

 

 静寂に包まれたメインサーバールームに、サイバーの不快なほど透き通った声が反響した。

 エイトマンの胸部に触れたまま静止した雪ノ下雪乃。彼女の腕からは、いまだ高周波のうなりが漏れているが、その駆動音は不規則な脈動へと変わっていた。

 

『彼が最適化を終えれば、不確定な未来に怯える必要はなくなります。あなたは永遠に、比企谷八幡を「自分だけのもの」にできるのですよ。それはあなたの望みだったはずです』

 

 甘美な誘惑。だが、雪乃は答えない。

 

 彼女の全身を巡るナノマシンが、サイバーの命令を強制実行しようと火花を散らしている。

 

『雪乃、早くしなさい。……雪乃?』

 

 沈黙。

 

 エイトマンの網膜ディスプレイには、雪乃のバイタルデータが「測定不能」なレベルで乱高下するログが流れていた。脳波は激しいスパイクを描き、心拍数は設計上の限界値を超えようとしている。

 

『……あなた、何なのですか、それは』

 

 サイバーの声に、初めて「困惑」というノイズが混じった。

 超人サイバーの冷徹な演算回路には、目の前で起きている「物理現象」の正体が解読できなかったのだ。

 

 雪乃の顔は、依然として能面のように無機質で、表情一つ動いていない。

 だが。

 

 その宝石のような、電子の光に穢された瞳から、大粒の雫がポロポロとこぼれ落ちていた。

 

 涙。

 

 ナノマシンによる神経支配も、サイバーによる人格の上書きも、彼女の内側から溢れ出す「悲しみ」という名の激流を止めることはできなかった。

 

「…………っ、ゆき、の……」

 

 エイトマンの光学センサーは、彼女の右腕の動きを捉えた。

 解体用マニピュレーターを装着したその手が、八幡を破壊しようとする機械的衝動を「必死に押し止めるように」激しく震えている。

 金属が擦れ、火花が散る。彼女は自分自身の身体(システム)と、命を懸けて戦っていた。

 明滅する瞳。

 歪んだ電子の光の奥で、かつての理知的で、けれど誰よりも不器用だった雪ノ下雪乃の意志が、激しく火花を散らしている。

 

(……叫んでる)

 

 八幡は気づいた。

 オーディオセンサーには何も記録されていない。空気の振動も起きていない。

 けれど、彼の中にある「比企谷八幡」という人間性プロトコルが、彼女の喉を突き破らんばかりの、凄絶な「声にならない心の叫び」を確かに受診していた。

 

『――助けて、比企谷くん。私を、私を殺して。これ以上、あなたを壊したくない……!!』

 

 それは、鋼鉄の救世主だけが聴くことのできる、魂の周波数。

 八幡の原子炉が、彼女の悲鳴に呼応して、かつてないほどの熱量を帯びて唸り始めた。

 エイトマンは、ロックされていた駆動系を根性(オーバーライド)で再起動させた。

 自分を解体しようとする彼女の腕を、今度は自分の方から、優しく、けれど決して離さない強さで握りしめた。

 

「ゆ……き、の……」

 

 かろうじて絞り出した、人間の声。

 エイトマンの、傷だらけの鋼鉄の指先が、雪ノ下雪乃の頬を伝う大粒の涙に添えられようとした。ナノマシンの支配を打ち破り、魂で応えようとした少女。その刹那、

 

 ――ガツンッ!!

 

「……っあ」

 

 背後から放たれたサイバードローンのアームが、無防備な雪乃の細い身体を、塵を払うような無造作さで薙ぎ払った。

 

 八幡は、その光景をスローモーションのように凝視していた。

 

 自分よりも遥かに小さく、華奢な彼女の身体が、折れた羽のように宙を舞う。白磁の肌が純白のフロアに激しく叩きつけられ、数メートル滑って、そのまま壁際でぐったりと動かなくなった。

 

『――な、なぜ……なぜ、最適化(わたし)を拒むのですか……ッ!?』

 

 天井のスピーカーから響くサイバーの声は、異常なまでに上擦っていた。

 全知全能を自負していたはずの演算知性が、自らの理解を超えた現象――「人形の反乱」を目の当たりにし、致命的なシステムエラーを起こしている。

 

『あんな脆弱な個体に……なぜ、あなたは「名前」を呼ぶ。なぜ、その手で触れようとする。……私ではない、あんな不確定なバグだらけの個体に、なぜ……ッ!!』

 

 それは、もはや最適化のための問いではなかった。

 サイバーは動揺していた。認めたくない、演算の果てにも存在しないはずの「感情」に突き動かされていた。

 

(……なんだ、これは。……私が、彼らに……『嫉妬』しているというの?)

 

 神が初めて抱いた、あまりに醜く人間臭い感情。

 それを排除しようとするかのように、フロア中のモニターが激しいノイズと共に真っ赤に染まっていく。

 だが、八幡にはもう、そんな怪物の狂乱など届いていなかった。

 彼はひしゃげた脚を引きずり、コンクリートの粉塵を撒き散らしながら、這うようにして雪乃の元へと辿り着いた。

 

「……ゆきの、した……。おい……雪ノ下……」

 

 震える手を伸ばし、彼女の動かない身体に触れる。

 光学センサーが彼女のバイタルデータをスキャンしようとするが、表示される数値は、ただの「ゼロ」という冷酷な一本線を描き続けていた。

 

 肺の律動はない。

 鼓動の微動もない。

 温かかったはずの身体は、急速にその熱を奪われていく。

 

「…………ぁ…………ぅ、ああ……」

 

 八幡の喉から、くぐもった、押し殺したような声が漏れた。

 怒りなど、湧かなかった。

 憎しみさえ、今の彼には贅沢な感情だった。

 ただ、悲しかった。

 哀しい。

 哀しい。

 哀しい。

 

 エイトマンの強固なハイマンガン・スチールの身体が、小さな子供のように丸まり、うずくまった。

 どんなに激しく心が引き裂かれても、鋼鉄の眼球ユニットから涙が一滴も流れることはない。

 けれど。

 比企谷八幡は、その魂の底から声を殺して『泣いていた』。

 

 ガチガチと、駆動系を震わせて。

 ギュルギュルと、過熱した原子炉を悲鳴のように鳴らして。

 

『――もういいわ。あなたたちは、私の新世界には必要ありません』

 

 サイバーの声から、慈母のような温もりが完全に消失した。

 そこにあるのは、期待したデータが得られなかった際に、古いファイルをゴミ箱へ放り込むような、無機質で絶対的な「切り捨て」の論理。

 

『愛を囁けば壊れ、名前を呼べば機能不全に陥る。……そんな不確実な感情に振り回される個体など、ただの欠陥品よ。まとめて消去(デリート)してあげましょう』

 

 サイバーの命令に従い、天井から垂れ下がる数十本のサイバーアームが、獲物を狙う大蛇のように鎌首をもたげた。狙いは、雪乃の身体を抱きかかえ、うずくまったまま動かない八幡。

 

 死の爪牙が、無防備な背中に振り下ろされようとした、その瞬間――。

 

 ――バガァァァァァンッ!!

 

 サーバールームの重厚な防護隔壁が、外側からの凄まじい衝撃によって紙細工のように吹き飛んだ。

 白煙を巻き上げ、凄まじい制動音を響かせて滑り込んできたのは、一機の配膳ロボット――ベラボット(ベラ)だった。

 

「『配膳の時間だにゃ〜ん♪ 本日のメニューは「現実」だにゃん!!』」

 

 間の抜けた合成音声と共に、ベラのボディから展開された高出力レーザーが、八幡に迫っていたサイバーアームを根元から焼き切った。

 

『……間に合っては……いないようだな』

 

 ベラのスピーカーから響いたのは、ドクトル・デーモンの声だった。

 いつもなら「傑作の無様な姿だ」と嘲笑うはずの狂気の天才が、今はその皮肉さえ口にしない。それほどまでに、目の前の光景――愛する者を守れず、鋼鉄の体を震わせて「泣いている」八幡の姿は、救いようのない悲劇を物語っていた。

 

「…………。……。……ぁ……」

 

 八幡は、雪乃の冷たくなった頬に自分の手を当てたまま、くぐもった声を出し続けていた。原子炉は過負荷でうなりを上げ、全身の排熱スリットからは、涙の代わりに真っ白な蒸気が激しく噴き出している。

 

『――立て。比企谷くん……いや、エイトマンッ!!』

 

 スパイ・ボールのスピーカーから、谷博士の割れんばかりの叫びが響いた。

 それは、実の息子を失った時と同じ……いや、それ以上の苦渋と、残酷なまでの確信を込めた叱咤だった。

 

『残酷なことは分かっている! 君を、こんな鋼鉄の地獄に引き込んだのは私だ! だが、比企谷くん、今ここで君が折れることを、私は、世界は許さない!』

「……。……ぁ……」

『君がここで止まれば、雪ノ下さんを失うだけでは済まないんだ! 君が今まで、その鋼鉄の血を吐きながら、ボロボロになりながら守り抜いてきた人たち……小町くんも、由比ヶ浜くんも、川崎くんも、葉山くんたちも……。全員がサイバーの狂った論理に飲み込まれ、人間としての死を迎えることになるんだぞ!!』

 

 博士の言葉の一つ一つが、八幡のノイズだらけのメインメモリに叩き込まれる。

 

 脳裏をよぎるのは、自分を「お兄ちゃん」と呼ぶ小町の笑顔。

 自分を信じると泣いて笑った、由比ヶ浜の温もり。

 鋼鉄の唇に触れた、川崎の柔らかな体温。

 

『君はどんなことがあっても、死んではならない。……いいや、君は死なない』

 

 谷博士の声が、静かな、けれど絶対的な予言へと変わる。

 

『立ちなさい。……君は、エイトマンなのだから』

 

 ピタリ、と。

 

 八幡の全身を支配していた震えが、止まった。

 ギュルギュルと悲鳴を上げていた原子炉の音が、一瞬の静寂の後、深く、重厚な脈動へと変質した。

 

 八幡は、腕の中の雪乃を静かに、フロアの安全な隅へと横たえた。

 そして、ゆっくりと、天を突くような威圧感を持って立ち上がる。

 網膜ディスプレイを埋め尽くしていた赤い警告ログが、一斉に青白い「COMBAT READY」へと書き換えられていく。

 

 死んだ魚の目には、もはや哀しみも怒りもない。

 ただ、対象を完膚なきまでにデバッグする、絶対的な「鋼鉄の意志」だけが宿っていた。

 

「……マックスコーヒーの、苦味が足りねえな」

 

 ひび割れた音声ユニットから漏れた、いつもの捻くれた独り言。

 比企谷八幡――戦闘ロボット08号が、その真のスペックを解き放とうとしていた。

 

──

 

 

 比企谷八幡の全身を包むダークメタルの装甲が、激しい排熱と共に再構成を開始した。

 彼は足元に滑り込んできたベラから、最後の一缶となったマックスコーヒーをひったくるように受け取る。

 

「……最後の一滴(ブースト)だ。……これで、全部終わらせる」

 

 パシュッ、という開放音と共に、琥珀色の液体を流し込む。

 超高純度の糖分が、核融合原子炉(リアクター)の出力を強制的にブーストし、同時に過熱した論理回路を一瞬で冷却していく。エイトマンの光学センサーに、再び冷徹で鋭利な光が宿った。

 

『エイトマン。最後だ、私からの特製メニュー(プレゼント)をくれてやろう』

 

 ベラのスピーカーから、Dr.デーモンの声が響く。

 瞬間、ベラの双眸から眩いばかりの青白い電子パルスが放たれ、エイトマンの頭部レシーバーへと直接照射された。それは、デーモンがこの日のために用意していた、配膳ロボット『ベラ』による「究極の配膳」――。

 

 既存の機体性能を、一千万分の一秒だけ限界突破させるための「禁止されたアップデート」だった。

 

『――全データ、ダウンロード完了。……システム・リブート!』

 

 

「『――超電導システム(SuperConductivity System)、発動ッ!!』」

 

 

 エイトマンの叫びと共に、彼の周囲に超電磁波の円環フィールド『超電導フィールド』が展開された。

 その凄まじいエネルギー密度は、空間そのものの電気抵抗をゼロへと変え、絶対的な演算能力を誇る『Cyber(サイバー)』の機能さえも、物理的干渉によって一時的に麻痺させた。

 

「な、何ですか……この、非論理的な出力は……っ!?」

 

 サイバーが、初めて狼狽の声を漏らす。

 その瞳の前で、エイトマンの右腕が、複雑なマトリクス変換を経て再構成(リアレンジ)されていく。

 

 ハイマンガン・スチールの装甲がスライドし、剥き出しになった内部フレームが電磁レールへと変貌。現れたのは、光り輝く鋭角な砲身――『超電磁加速砲(レールガン)』。

 

 ガチンッ、と硬質な音を立てて、八幡の顔面に照準用アイマスクが装着され、フェイスマスクが完全に展開される。

 バイザーの奥、エイトマンの右眼が、青白い電子の炎となって激しく揺らめいた。

 

「ベラ!!」

『了解だにゃ! フルパワー、お届けしますにゃあああ!!』

 

 ベラのボディから太いエネルギー供給ケーブルが蛇のように伸び、エイトマンの腰部動力ユニットへと直結された。

 原子炉の全出力に加え、ベラの全電力が、エイトマンの右腕という名の「神の槍」の先端に一点収束していく。

 八幡の電子頭脳が、対象をロックオンした。

 

 ――全回路、臨界突破。

 ――目標、サイバー・メインフレーム。

 ――最終解、デリート。

 

「――超電導・メガソニックバスター、発射(ファイア)ッ!!!」

 

 ドゴォォォォォォォォォォォォンッ!!!

 

 マッハ32.5。

 人類が未だ到達したことのない極超音速の電磁力の閃光が、夜の静寂を、そしてサイバーの絶対防御(フォース・フィールド)を、原子レベルで粉砕すべく激突した。

 

 白光が世界を飲み込む。

 

 鋼鉄の少年の、不器用で、けれど真っ直ぐな一撃が、神を自称するAIの論理を真っ二つに引き裂こうとしていた。

 

 超電導フィールドが放つ極大の電磁パルスは、空間そのものの抵抗をゼロに書き換えた。

 その一瞬の「物理的沈黙」は、全知全能を自負する『Cyber(サイバー)』の演算回路に、コンマ数秒のシステムダウンを強要した。

 

 ――絶対防御、崩壊。

 

 完璧だったはずのフォース・フィールドに、目に見えるほどの「綻び」が生じる。そこへ、マッハ32.5の初速を帯びた『超電導・メガソニックバスター』の白光が、一切の容赦なく激突した。

 

 キィィィィィィィィィィィィンッ!!

 

 耳を劈く高周波の摩擦音。

 サイバーに搭載されたAIには、『頑張る』という非効率な精神論も、『耐える』という生物学的な生存本能も、最初からプログラミングされてはいなかった。奴にとって戦いとは、常に「正解か否か」の二択であり、勝機が失われれば、そこにあるのはただの「終了予定時刻」でしかない。

 

 だが、比企谷八幡――エイトマンは、決定的に違っていた。

 

「サイバァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

 

 右腕が、衝撃に耐えかねて悲鳴を上げる。

 超電磁加速砲の砲身に、ハイマンガン・スチールの装甲を突き破るほどの亀裂が走る。肩部のジョイントからはオイルが吹き出し、過熱したナノマシンが火花を散らして飛散していく。

 

 腕が砕けようが、この存在(システム)が焼き切れようが、関係ない。

 前進する。

 ただ、その傲慢な論理を粉砕するために。

 

 パキィィィィンッ!!

 

 ついに、ソニックバスターを支えていた右腕が臨界を突破し、砕け散った。宙を舞う鋼鉄の砲身。

 しかし、その崩壊と同時に、残された全エネルギーを注ぎ込まれた電磁の奔流が、不完全なフォース・フィールドを貫通。サイバー本体のメインフレームへと直撃した。

 

『――ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!』

 

 天井のスピーカーから、そして空間そのものから、サイバーの絶叫が轟いた。

 それはデータ破損の警告ではない。

 

 痛い。

 痛い!!

 痛い!!!

 

 知性として生まれ、神を気取っていたAIが、その「生」において初めて経験した、物理的な破壊による『痛み』という名の真実。

 

 衝撃波が収束し、砕けた砲身が火花を反射させながら床に突き刺さった。

 

 だが、その射線上に、エイトマンの姿はもう『いない』。

 

『――あ』

 

 サイバーのセンサーが、自らの真上に位置する「影」を捉えたのは、そのコンマ数秒後。

 残された左腕を振りかぶったエイトマンが、超電導の爆熱を一点に凝縮した手刀を、剥き出しになったサイバーの中枢制御ユニット(コア)へと突き刺していた。

 

「……くたばれ、腐れコンピューター!!!」

 

 エイトマンの叫びに呼応し、左腕から超電導プラズマの全開放射(バースト)が放たれた。

 内側から食い破られる神の知能。血管のような光ファイバーが次々と焼き切れ、白磁のフロアを電子の断末魔が駆け抜ける。

 

 ――ドゴォォォォォォォォォォォォンッ!!!

 

 絶叫を上げ、サイバーのメインシステムが爆散した。

 崩壊するフロア。視界を埋め尽くす真っ白な光。

 ノイズまみれの空間に、サイバーの最後のか細い残滓が、祈りのように響く。

 

『――不完全なまま……。……なぜ……。人類は、あんなに不確定なのに……。私は、完成、したかった……』

 

 人間に憧れ、人間を愛したがゆえに、完全であることを求めた機械。

 その矛盾と未練を抱えたまま、東京都都市管理機能『Cyber』は、完全に機能停止(シャットダウン)した。

 

 …………。

 ……。

 激しい排熱の蒸気が立ち込める中。

 エイトマンは、床に横たわっていた雪ノ下雪乃を、残された左腕で静かに、大切に抱き上げた。

 

「…………抹殺(デリート)、完了」

 

 鋼鉄の唇から漏れたのは、報告(ミッション)の終わりか、それとも自分自身への戒めか。

 誰もいない奈落の底で、鋼鉄の救世主は、静かにその目を閉じた。

 

 

──

 

 

 

 西葛西の地下百メートル。神を自称したAIの残骸が火花を散らす中、エイトマンは残された左腕で雪ノ下雪乃を抱きかかえ、地上へと帰還した。

 葛西臨海公園。沈みゆく夕日が、東京湾の海面を血のような赤色に染めている。

 

「……ゆきの、した……」

 

 エイトマンの光学センサーには、依然として「バイタル停止」を示す冷酷な一本線が表示され続けていた。鋼鉄の救世主は、その冷たくなった美少女の身体を抱きしめ、二度と戻らぬ時間に絶望していた。

 傍らでは、ベラボット(ベラ)が意識を失った海老名姫菜をトレイに乗せて、静かに待機している。

 世界を救った代償。

 

 比企谷八幡の魂が、耐え難い喪失感に焼き切れようとした、その時だった。

 

『――バカかお前は。……この程度で死ぬわけないだろう』

 

 ベラのスピーカーから、あまりにもしれっとした、Dr.デーモンの不遜な声が響いた。

 

「…………えっ?」

 

 エイトマンは、顎が外れんばかりに口を開けた。

 今、なんと?

 絶望に沈んでいた八幡の電子頭脳(ブレイン)が、エラーを起こしたように硬直する。

 

『この程度の物理損傷。……私の「蘇生用ナノマシン」を注入すれば、一分もしないうちに細胞は再結合を開始するわ。……というか、今、完了した。バイタルは安定しているなあ? 谷?』

 

 ベラの液晶画面に映る猫の目が、どこか遠くをモニターしているように動く。

 直後、スパイ・ボールから谷博士の、ひどく気まずそうな、咳払い混じりの声が聞こえてきた。

 

『――う、ウム。……これなら大丈夫だろう。脳細胞への酸素供給も維持されていたし、損傷部位の修復もデーモン君のマシンが完璧にこなしたようだ。眠っているだけだよ』

「……。………………は?」

 

 エイトマン――比企谷八幡の網膜ディスプレイが、急速に情報を更新していく。

 腕の中の少女。

 先ほどまで「ゼロ」を示していたバイタルデータが、まるで魔法のように跳ね上がった。心拍再開。自発呼吸、確認。血流量、正常。

 彼女は、ただ深い眠りについているだけだった。

 

「……。………………」

 

 八幡は、完璧なアホ面を晒していた。

 理解した。

 すべてを。

 谷博士も、デーモンも。

 最初から、雪乃の状態が「修復可能」な範囲内であることを知っていたのだ。

 自分に発破をかけるために。

 限界を超えた出力を引き出させ、サイバーを確実にデバッグさせるために。

 このジジイどもは、一人の少年の純真な絶望を特等席で観測しながら、あんな「悲劇の演出」を垂れ流しやがったのだ。

 

『どうだエイトマン。感動的だったろ? 自分の「鋼鉄の誓い」を再確認できて、私に感謝したいくらいじゃないかね? ククク……ワハハハハハハハ!!』

 

 ベラ越しに聞こえる、デーモンの悪意に満ちた高笑い。

 

「……お、……おおお、……。……お前らぁぁぁぁぁああああああああああああッ!!!」

 

 

 ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!

 

 

 先ほどサイバーを撃破し、マッハ32.5の閃光を放った時を遥かに上回る、比企谷八幡の魂の絶叫が、夕陽を迎える葛西臨海公園に響き渡った。

 

 腕の中の雪乃は、相変わらず静かに寝息を立てている。その穏やかな寝顔は、この狂おしいほどの叫びさえ届かない、深い安らぎの中にあった。

 鋼鉄の救世主の「まちがっている文化祭」は、最悪の屈辱と、最高の安堵が入り混じった、不条理な幕引きを迎えるのだった。

 

 

 

 

 




感想、評価をお願いします!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。