——エイトマン・リボーン—— 比企谷8幡は鋼鉄の夢を見るか   作:りかるど

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第一章:鋼鉄の奉仕部員
第四話:石ころの青春


 

「――さて、比企谷。まずはこの、情緒の欠片もない紙屑について説明してもらおうか」

 

 放課後の進路指導室。

 国語教師であり生活指導担当でもある平塚静は、机の上に広げられた原稿用紙を指先で苛立たしげに叩いた。八幡は死んだ魚の目をさらに濁らせ、淡々と答える。

 

「紙屑とは心外ですね。それは俺がこの一年で到達した、全人類への慈愛の結晶ですよ」

「慈愛? どこがだ。読み上げてやろうか? 『青春を謳歌する者たちよ。その当たり前のように享受する生に感謝しろ。リア充、末長く爆発しろ』……。これは呪詛の間違いではないのか?」

「いえ、祝福です。一年前の俺なら『今すぐ爆発しろ』でしたが、今は『末長く』です。この差が分かりませんか? 永遠に爆発し続ける苦痛を……いや、爆発するほどのエネルギーを持ち合わせていることへの、最大級の賛辞ですよ」

 

 平塚は心底呆れたように、深い溜息をついた。

 

「……ダメだ。話が全く噛み合わん。お前の視点は、なんていうか……枯れ果てた老人のそれだぞ。まだ十七だろうが」

「枯れ果てる、ね。……まあ、あながち間違いじゃないですよ。俺の情熱なんて、一缶のマックスコーヒーで冷やす程度の仕事しか残ってませんから」

 

 八幡は内心で自嘲した。

 原子炉(リアクター)に流し込まれる糖分、人混みで暴走する透視装置、床を抜かないための体重制限機能。人としての生活を維持するだけで、彼の演算能力(リソース)の大半は食いつぶされている。

 

「その死んだ魚の目も、もはや機械のセンサーにしか見えん。比企谷、お前本当に人間か?」

「疑うなら透視でもしてみますか? ああ、俺の目は今、不具合で勝手に先生を透視してますけど」

「……何?」

「いえ、なんでもありません。統計学的に見て、先生のその……『構成要素』は、平均を大幅に上回っているなと再確認しただけです」

 

 実際、八幡の視界には、平塚の服を透過した「データ」が表示されていた。だが、連日のように望まぬ桃色空間に浸され続けた結果、彼の精神は今や常時賢者モード。もはや乳腺の密度を測る機械のような冷徹さで、揺れる胸元を眺めていた。

 

「……誰が結婚適齢期を過ぎて枯れ果てようとしているって?」

 

 平塚の声が一段低くなった。八幡の脳裏をよぎった不穏な思考を、彼女の野生的な直感が捉えたらしい。

 

「――ふんっ!」

 

 堪忍袋の緒が切れる音がした。

 平塚の野生的な拳が、目にも留まらぬ速さで八幡の脳天に振り下ろされる。

 

――ガッキィイン!

 

 室内を揺らしたのは、およそ人間の頭を叩いた音ではなかった。

 鉄柱にハンマーを叩きつけたような、乾いた金属音。

 

「…………っづぁ!? な、なんて石頭だ君は!?」

 

 平塚は八幡の頭を叩いたはずの自分の拳を抑え、顔を歪めて飛び退いた。手は激しく痺れ、指の節々から鈍い痛みが走っている。

 

「危ないですよ。これで俺の電子頭脳……じゃなかった、頭が悪くなったらどうするんですか」

「……バカになるのは私の拳の方だ。お前、頭の中に鉄板でも入れてるのか?」

「まさか。……ただの、鍛錬の賜物ですよ」

 

 八幡は後頭部をさすりながら、視線を逸らした。

 あの日、自分が一度死んで、谷博士に改造されてから一年。

 新幹線を置き去りにするスピードも、数トンを持ち上げるパワーも、平穏な日常においては邪魔な重荷でしかなかった。

 

(ヒーローになりたかった子供はいても、全身機械の戦闘ロボットになりたい奴なんていねーよ……)

 

 飯も食えず、恋もできず、ただ「比企谷八幡」という死体に完璧に転写された記憶をなぞり続けるだけの日々。

 そんな八幡の物憂げな思考を、平塚の鋭い一喝が断ち切った。

 

「……よし、決めた。お前のその腐った根性と、そのふざけた石頭を叩き直してやる。比企谷、ついてこい」

「……どちらへ? 解体工場ならお断りですよ」

「奉仕部だ。そこにお前の歪んだ思考を矯正してくれる、とびきりの毒舌家を用意してある」

 

 平塚が放ったその言葉が、鋼鉄の日常に一石を投じることになる。

 比企谷八幡の、いや、エイトマンの「まちがっている青春」が、再び動き出そうとしていた。

 

──

 

「……先生。奉仕活動って、俺一人でやるなら構わないんですけどね。草むしりなら一分で校庭を更地にできますし、資料整理なら光速で終わりますよ」

 

 放課後の廊下。八幡がマックスコーヒーの空き缶を指先で弄びながらぼやくと、平塚は呆れたように肩を竦めた。

 

「どれだけ個人主義なんだ君は……。第一、効率の問題ではないと言っているだろう」

「いや、効率こそが正義でしょ。他人と組むなんて、あえて低速回線に繋ぎ直してストレスを溜めるようなもんです。……別に、ぼっちの方が気が楽だからとか、そういう人間的な理由じゃないですよ。絶対」

「……その減らず口を叩くリソースを、少しは反省に回せ。着いたぞ、ここだ」

 

 連れてこられたのは、校舎の隅にある、なんの変哲もない教室だった。

 八幡 of 超高感度センサーが、扉の向こうから微かな振動を拾い上げる。

 

(紙の摩擦音、衣擦れの音……人数は一人。心拍、血流、すべてが極めて高い精度で安定している。……中にいるのは精密機械か何かか?)

 

 扉が開く。

 

 夕闇が差し込む部室。一人の少女が、流れるような黒髪を揺らして本を捲っていた。雪ノ下雪乃。その「静謐」な気配に、八幡の電子頭脳(ブレイン)が最大級の警戒――あるいは、未知の信号への戸惑いを検知した。

 

「平塚先生。入るときにはノックを、とお願いしていたはずですが」

 

 顔を上げず、凛とした声が響く。だが、隣に立つ八幡の存在に気づくと、彼女はその整った眉を僅かに寄せた。

 

「あら、人の顔を見るなり露骨に嫌な顔をするなんて。比企谷君といったかしら? 腐った魚の目……いえ、もはや有機物の温もりすら感じさせない、冷えたプラスチックみたいな目ね」

「……あいにく仕様だ。あと、これ以上こっちを見るな。理性が……いや、電子頭脳がオーバーヒートする」

 

 八幡は即座に視線を逸らした。

 谷博士は言った。『機械に性欲はない』と。だが、あの老人は美少女と至近距離で対峙する際の精神的負荷を全く計算に入れていなかった。網膜に映る彼女の輪郭を処理するだけで、冷却ファンが全開になりそうだ。

 

「比企谷。君にはペナルティとして、ここで活動してもらう。異論は認めない。しばらくそのキンキンに冷えた頭を冷やしてこい」

(いや、頭なら毎日4本のマックスコーヒーで冷却してるから、常に凍結寸前なんですが……)

 

 内心で毒づく八幡を余所に、平塚は嵐のように去っていった。

 残されたのは、鋼鉄の「ぼっち」と、氷の美少女。

 

「……先生からの依頼であれば無碍にはできませんけれど。何をしろと?」

「……俺に聞くな。俺はただの石ころ……いや、今は中身が詰まった鉄屑だ。お前の邪魔はしない。適当に角っこで電源切ってるから」

 

 八幡は網膜に表示される彼女の生体パラメータを、努めて冷静に流し読みした。だが、表示される数値以上に、その「存在感」がノイズとなって彼を襲う。

 

――ペタン。

 

 雪ノ下が本を閉じ、こちらを射抜くような視線を向ける。

 

「……さっきから何をジロジロ見てるのかしら。吐き気がするのだけど」

「いや、なんでもない。……あまりに微動だにしないから、精密な彫刻か何かかと思って、ついスキャン……じゃなくて、観察してただけだ」

「……彫刻? ますます意味がわからないわ。不審者なりの言い訳かしら?」

 

 雪ノ下が目を細めた瞬間、八幡の視覚センサーが「不具合」を起こした。

 透視モードへの強制移行――。

 

「――っ!?」

 

 八幡は絶句した。

 衣服という遮蔽物が消失し、剥き出しになった雪ノ下の輪郭。

 そこに現れたのは、もはや人工物では到底届かない、生命の神秘が数学的な極致で結晶化したかのような美しさだった。

 

(……なんだ、これ。全身の骨格から筋肉の付き方まで、すべてが完璧な黄金比で構成されてやがる。設計図があるなら欲しいレベルだ……。いや、設計図なんて無粋なものじゃ説明できない。これは……芸術品なんて言葉じゃ足りない、奇跡か何かか?)

 

 視覚センサーが次々と数値を更新していく。だが、八幡の心臓(原子炉)はそれ以上に激しく波打った。エロティシズムなどという低俗な言葉は、この圧倒的な造形美の前では無価値に等しい。ただ、呆然とする。一秒、いや、コンマ数秒の間に、彼は彼女という存在に完膚なきまでに打ちのめされていた。

 

「な、なによ……。本当に、本格的に気持ち悪いわよ。何を考えているのかしら」

 

 雪ノ下が本気で嫌そうに身を引いたことで、ようやく八幡の意識に理性が無理やり割り込んだ。

 

(……やべえ。今、俺、完全にフリーズしてた。キモい。俺、超キモい。比企谷八幡史上、最大級にキモい挙動を見せちまった……!)

 

 必死に表情筋を制御し、いつもの死んだ魚のような無愛想な面(つら)を作り上げる。だが、内部の冷却水は沸騰寸前だった。

 

「……あー、すまん。……悪かった。その、あまりに非の打ち所がなかったもんで、ついフリーズした」

 

 ぼそりと、消え入りそうな声で謝る。

 通常、比企谷八幡の辞書に「素直な謝罪」なんて存在しない。だが、今の彼は自らの「無礼すぎる視線」が、彼女の静寂をこれ以上ないほど汚してしまったことを認めざるを得なかった。

 

「……謝るくらいなら、最初からその目を焼いてしまえばいいのに。……それで、私の顔に何か演算ミスでも見つけたのかしら?」

「……いいや。ミスどころか、完璧すぎて処理が追いつかなかっただけだ。……もう見ない。というか、見れるわけねーだろ、こんなの」

 

 八幡は視線を床の木目に固定し、震える手でマックスコーヒーを一口含んだ。

 

 「人間」を観察するには、今の自分はあまりに高性能すぎた。

 そして、高性能すぎるがゆえに、彼女という「正解」を見てしまったダメージは、鋼鉄の体に致命的なエラーを刻み込んでいた。

 




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2026年1月21日:内容を更新
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