——エイトマン・リボーン—— 比企谷8幡は鋼鉄の夢を見るか 作:りかるど
ほっとくと破滅的な計画ばっかり出す八幡にしてみた。
こんなの摑まされたいろはすが気の毒だ
「いいか、一色。まずは現状の戦力を把握しろ。……俺の論理回路が弾き出した、お前の『市場価値』だ」
八幡は冷めきったコーヒーを啜り、卓上の紙ナプキンにペンを走らせた。ナプキンには全校生徒を男女別に分けた、残酷なまでに精密なグラフが描かれていく。
「まず、男子生徒。……ここに関しては、お前の独壇場だ」
「お、ようやく褒め言葉ですか?」
一色が期待を込めた瞳で覗き込む。だが、八幡の視線は冷ややかだった。
「ああ。サッカー部マネージャーという看板、そして計算され尽くした『あざとさ』。それに騙されている愚民どもを転がすのは、俺の演算領域なら容易い。適当に笑顔を振りまき、時折弱さを見せて保護欲を煽れば、男子の過半数は簡単にお前の『変数』として取り込める」
「あの、先輩? さっきからワードチョイスがいちいち刺さるんですけど」
「でも実際、一色さんのあざとさは男子には特効薬だよね。小町的にも、お兄ちゃんの分析は九割正解だと思うな」
合流した小町がポテトをつまみながら補足する。八幡は頷き、男子票に関しては雪ノ下とほぼ互角、あるいは僅差で上回ることも可能だと断じた。
「だが、問題はここからだ」
八幡はペンを叩きつけるように、女子生徒の欄に巨大な『×』印を書き込んだ。
「女子票だ。……はっきり言うが、一色、お前は女子に最も嫌われるタイプの女の子だ」
「なっ……!?」
「その『可愛いでしょ?』と言わんばかりの仕草。心中で中指を立て、お前の隙を狙っている女子は枚挙にいとまがない。お前が放つ『光』は、同性にとってはただの『ノイズ』なんだよ」
「ひ、酷い! 先輩、デリカシーのシステムがバグってませんか!? ぷんすかですよ、ぷんすか!」
頬を膨らませて怒る一色の横で、小町が真剣な顔で頷く。
「……一色さん、悲しいけどお兄ちゃんの言う通りだよ。女子の直感って、そういう『計算』を瞬時に見抜いちゃうんだよね。特に雪乃さんみたいな凛としたタイプが好きな子からしたら、一色さんは天敵に近いかも」
八幡は小町の援護を受け、さらに重い事実を突きつける。
「対する雪ノ下は、今や一部の女生徒から狂信的な支持を集める『女神』だ。凛とした美しさと揺るぎない正論。あいつが壇上で一言発すれば、女子票の八割はあいつの支配下に置かれる。これは確定事項(プロトコル)だ」
周囲を包む空気が一段と重くなる。一色は戦慄し、言葉を失った。
「正面衝突は、自爆プログラムを起動するのと同じだ。雪ノ下が築いた『完全無欠』の包囲網を、真正面から突破することは不可能だ」
「じゃあ……どうするんですか。男子だけじゃ勝てないんですよね?」
一色の不安げな問いに、八幡は不敵な笑みを浮かべた。バイザーの奥、青白い電子の火花が激しく明滅し、夜のサイゼリヤの片隅に不気味な光を落とす。
八幡が提示した「女子票」という絶望的な数値の暴力に対し、集まった面々はそれぞれの視点から解を模索し始める。
「あの……。一色さん、話してみるとそんなに悪い人じゃないと思うんだ」
最初に口を開いたのは、戸塚彩加だった。その一点の曇りもない澄んだ瞳が、一色いろはを見つめる。
「だから、どうにかしてその『本当の良さ』を皆にアピールできれば、女子の皆だって分かってくれるんじゃないかな。一色さんの頑張ってるところとか」
「……善性への訴求、か。考慮に値するな」
八幡は低く応じる。論理回路がその提案を『イメージ戦略:親近感(シンパシー)』のフォルダに格納した。続いて、材木座義輝がこれ見よがしに腕を組み、鼻を鳴らした。
「ぬふふ、書記長よ。ここは古(いにしえ)の兵法に倣い、『離間の計』を用いるべきではないか? 雪ノ下陣営に不和の種をまき、内側から崩壊させるのだ!」
「却下だ。あっちにそんな隙はない。それに、雪ノ下の足元を支えているのは俺が送り込んだ手足……。あ、これ俺のせいか?」
自らの「塩」が皮肉にも完璧な防御陣を形成している事実に、八幡のシステムが一瞬だけ自己矛盾を検知した。そんな中、川崎沙希が面倒そうに、しかし鋭い一撃を放つ。
「アピールだのなんだの言っても、直接話す時間なんてないでしょ。……いっそ、ネットとか使って大々的に広めればいいんじゃないの? あんた、そういうの得意でしょ」
『ネット』。
その単語がトリガーとなり、八幡の思考領域で膨大なデータが爆発的に結合を始めた。SNS、X(旧Twitter)、ハッシュタグ、拡散、そしてエコーチェンバー。
「……ネット、か。一色一人の発信力では、雪ノ下のカリスマ性という防壁は突破できない。だが、もし『架空の存在』が幾つもでっち上げられ、それが一斉に声を上げたとしたらどうなる?」
八幡のバイザーの奥、青白い火花が激しく明滅する。
「複数の応援アカウントを作成し、推薦人を偽装し、雪ノ下陣営への懐疑論を拡散する……。だが、本質はそこじゃない。これは使い方次第で、支持率を操作する『予備選挙』の材料になる」
八幡の冷徹な視線が、材木座に固定された。
「材木座。……お前の『力』、ここで使わせてもらうぞ」
「ぬふふ……。人格の書き分けなど、この作家(予備軍)材木座義輝には朝飯前よ!」
「材木座、勘違いするな。これは遊びじゃない」
八幡の声が、零下まで急降下した。バイザーの奥の青い光が、獲物を狙うセンサーのように材木座を射抜く。
「いいか、絶対にコピペは使うな。一字一句同じ投稿が並べば、現代の検索アルゴリズムと特定班には即座に『工作』と判定される。文体、語尾、改行の癖、誤字の傾向に至るまで、すべてを書き分けろ。投稿時間も分散させろ。……少しでも『ボット』の臭いがすれば、その瞬間に一色の政治生命は終わる」
八幡の冷酷なまでの「釘」に、材木座はごくりと唾を呑み込んだ。八幡はさらに追い打ちをかけるように、端末を操作しながら付け加えた。
「――作成したテキストは、投稿前にすべて俺に送れ。俺の論理回路で直接、偽装の綻びがないか最終検閲を行う。お前の厨二病的な癖が漏れ出していないか、徹底的にチェックしてやる。安心しろ、俺の目を盗んで『工作』が露呈することはない」
「ぬぉ……! 書記長自ら我が筆を校閲されるというのか。なんと光栄、かつ恐ろしいことよ……!」
材木座は戦慄しながらも、その「全幅の信頼」という名の監視に、奇妙な高揚感を覚えたようだった。
──しかし、続く八幡の『策』に、全員が戦慄することとなる。
「……だが、それだけでは足りない。女子たちの『直感』という非論理的な防壁を破るには、もっと強固な『偽りの権威』が必要だ」
八幡は、冷めきったドリンクバーのカップを置き、さらに深い闇へと踏み込んだ。
「材木座。葉山隼人や三浦優美子といった、校内の『上位カースト』を応援するアカウントを複数作成しろ。それも、本人が運営していると誤認させるほど精巧な『偽装(なりすまし)』だ」
「なっ……!? そ、それはあまりに危険な賭けではないか、書記長よ!」
材木座の声が裏返る。八幡は動じず、淡々と策の全貌を語る。
「まずは日常の投稿を繰り返し、ある程度のフォロワーとリツイート数を集めろ。そして、選挙の機が熟したタイミングで……一斉に『一色いろは支持』の内容へと情報をすり替え、拡散させる」
一瞬、テーブルに凍りつくような沈黙が流れた。
それはもはや、選挙活動の域を逸脱している。情報の受容者を弄び、信頼をハックする、あまりにダーティな『電脳の略奪』。
「……ねぇ、先輩。それ、もしバレたらどうなるか分かってます? 大炎上どころか、私、この学校に居られなくなりますよ」
一色の声は、冗談抜きで震えていた。隣に座る小町も、額に冷や汗を浮かべて兄を見つめる。
「そうだよ、お兄ちゃん……。いくらなんでも、それはやりすぎだよ。もし一つでもボロが出たら、全部おしまいだよ?」
「……絶対にバレない」
八幡の断言は、地を這うような重圧を持って響いた。
バイザーの奥、青白い電子の火花が激しく明滅し、彼の顔半分を青く染め上げる。その表情には、人間が持つはずの『迷い』や『不安』といったノイズが一切存在しなかった。
八幡の視線が、この場にいる全ての者たちを射抜く。
「俺はかつて、文化祭という名の巨大なカオスを、一分の狂いもない事務処理だけで『完璧な世界』へと作り変えた。誰もが幸福で、誰もが役割を全うし、誰もが疑いを持たなかった最適化を完了した」
その言葉に、材木座が、そして小町が息を呑む。
あの時、彼が実行したのは単なる事務処理能力ではなかった。人間の感情さえも変数として組み込み、一つの巨大な「秩序」を現出させた、一人の『神』の如き意志だった。
「俺が構築するシステムに、人間的なミスが入り込む隙間などない。IPアドレスの偽装、投稿文の微細な揺らぎの再現、特定班の思考パターンの予測……。すべては俺がかつて支配したあの『完璧な世界』の延長線上にある」
八幡は、怯える一色を真っ直ぐに見据えた。彼の声には、経験に裏打ちされた絶対的な不遜さと、有無を言わせぬ説得力が宿っていた。
「お前が心配すべきは『露呈』ではない。……俺が作り出すこの『完璧な偽物』のうねりに、お前自身が飲み込まれないようにすることだけだ」
「……」
一色は言葉を失った。
眼の前にいる男は、もはや自分の知っている「捻くれた先輩」ではない。
かつて学校そのものをハックし、再定義した男。その圧倒的な実績の前に、リスクを語ることすら無意味に思えた。
サイゼリヤの安っぽい電球が、八幡の無機質で、それでいて確信に満ちた瞳を不気味に照らし出していた。
一色いろはは、今更ながら、目の前に座る比企谷八幡という存在を心の底から「恐ろしい」と定義した。
先ほど提示された策――架空の支持アカウントをでっち上げ、女子の心理を裏側から操作する。それは民主主義への冒涜であり、一歩間違えれば、自分という存在がこの学校から消し飛ぶほどの禁忌だ。
だが、それと同時に。
その「恐ろしさ」と等量、あるいはそれ以上の熱量で、彼女の心はこの『危険な存在』に強く、抗いようもなく惹きつけられていることを自覚していた。
ふと、以前に平塚先生から聞かされた言葉が、脳裏を掠める。
『……ああなった時のあいつは、誰よりも刺激的で、そして危険だ』
安易に触れれば、その鋼鉄の刃で魂を斬り刻まれる
今の八幡は、まさにその「刃」そのものだった。
鈍く光る鋼鉄の輝き。触れれば指先から凍りつき、鮮血が舞うことが分かっている。なのに、その鋭利な美しさが、どうしようもなく彼女の好奇心と、内に秘めた野心を煽り立てる。
この刃が振るわれる瞬間を、見てみたい。
この男が、かつて作り上げたという「完璧な世界」の片鱗を、その特等席で目撃したい。
だが、一つでも扱いを誤れば、即座に死に至る諸刃の剣。
そして、悪魔の囁きにも似た甘美な誘惑だった。
(雪ノ下先輩は、本当にこんな人を使いこなしたっていうの?)
一色いろはは、まさに今、八幡という『刃』を使いこなせるかを問われていた。
「一色」
八幡が、彼女の瞳を真っ直ぐに射抜いた。
その視線は、彼女の意思を無視して独走する暴君のものではない。むしろ、彼女という『主』に、地獄へ同行する覚悟があるかを問う執事のような、冷徹で真摯な確認だった。
「一色が拒否するなら、今言った案はすべて取り下げる。……あくまで、お前の選挙だ。泥を被るのは俺だけでいいが、その泥を塗った道を進むかどうかは、お前が決めることだ」
八幡のバイザーの奥。
あの日、部室で宣戦布告を突きつけた時と同じ、青白い火花が静かに、しかし激しく燃えていた。それは命を削るような、青く冷たい炎。
一色は、その瞳を見つめ返した。
心臓が、自分でも驚くほど激しく鼓動している。恐怖か、それとも昂揚か。おそらく、その両方だ。
「……二つ目の策は取り下げです。複アカの利用だけならまだ、ダメージは少ないですからね。……あまり、無理しちゃダメですよ?」
一色は、いつものあざとい笑顔をあえて捨て、どこか挑発的に、そして共犯者のような微笑を浮かべた。
「先輩が私を壊しそうになったら、私が先輩を止めます。……だから、見せてください。先輩が作る、嘘っぱちの『完璧』を」
それは、一色いろはという少女が、比企谷八幡という『危険』に完全に魅了された瞬間だった。
彼女は今、自ら進んで聖女の仮面を脱ぎ捨て、鋼鉄の魔王と手を結んだのだ。
「……わかった。なら、一つ目の案を軸にして計画を継続する」
八幡が頷く。
一色いろはとの間で、目に見えない「毒」の契約を交わした八幡は、ゆっくりと椅子から立ち上がった。そして、視線をテーブルを囲む面々――川崎、戸塚、材木座、そして小町へと巡らせる。
八幡は、かつての「鋼鉄の書記長」としての傲岸さを捨て、一人の男として、静かに、しかし断固として頭を下げた。
「……今言った通りだ。俺は手段を選ばないし、これからも『そういうこと』をやる可能性がある。卑怯で最低なやり方をやる。そんなやつだ」
八幡の低い声が、サイゼリヤの喧騒の中に、そこだけ切り取られたような静寂を作り出す。
「だが、こんなことを頼めるのは……こんな醜悪な策をさらけ出せるのは、ここにいるお前らしかいないんだ。他の奴らには、絶対に話せない。もし、今の話を聞いてついていけないと感じたら……今からでも遅くない。全部聞かなかったことにして、ここから帰ってくれ」
それは、八幡が初めて見せた「弱さ」に近い懇願だった。
彼は、自分一人が泥にまみれることは厭わない。だが、自分という「刃」に巻き込まれる他者の良心まで、無意識に踏みにじることはできなかったのだ。
数秒の沈黙。だが、席を立つ者は一人としていなかった。
それどころか、彼らの瞳には、恐怖を上回る圧倒的な「実感」が宿っていた。
比企谷八幡という男なら、この狂気に満ちた欺瞞を、本当に『やり遂げてしまう』。
その冷徹な確信が、彼らをこの場に釘付けにしていた。誰もが、目の前の男が放つ鋼鉄の輝きに、魂を奪われ始めていた。
「……帰りなよなんて、お兄ちゃんらしくない。小町たちは、もう覚悟できてるんだから」
小町の言葉が、全員の意思を代弁した。八幡はゆっくりと顔を上げ、仲間の覚悟をその目に焼き付ける。
「……恩に切る。なら、仕上げだ」
八幡は再び卓上のナプキンにペンを走らせ、最後の策を宣言した。
「一色いろはクリーン化計画。これは俺と、俺の手足(最適化委員会)が直接実行する。ありとあらゆる電子媒体に、『クリーンで献身的な一色いろは』の実態、あるいはその断片を、秒単位で刻みつける」
八幡の瞳の奥で、膨大な数のサーバーと接続されたバイザーが、青白い火花を散らす。
「人間は、論理よりも『視覚的頻度』に支配される。タイムラインに流れるふとした瞬間の笑顔、掲示板の何気ない称賛、偶然目にするゴミ拾いの写真……。それらを無数に、サブリミナル的に民衆の意識へ流し込み、感化(洗脳)する。……俺というシステムには、それが可能だ」
八幡は、怯えと期待の入り混じった表情で自分を見つめる一色を指し示した。
「目的は決まった。……一色。お前を、あの『女神』雪ノ下雪乃に対抗しうる、もう一人の『聖女』へと仕立て上げる。……これは、総武高校史上最大のハッキングだ」
それは、現実という名のプログラムを裏側から書き換える、あまりに合理的で非道な勝利の宣言だった。
冬の夜、サイゼリヤの片隅で、嘘っぱちの「聖女」が鋳造され始める。
史上最も汚く、そして最も美しい「ハッキング」が、ついに後戻りできない領域へと踏み込んだ。
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