——エイトマン・リボーン—— 比企谷8幡は鋼鉄の夢を見るか 作:りかるど
撮影がひと段落したところで、由比ヶ浜が「はい、次は三人で!」と強引に八幡と雪乃の腕を引っ張った。
「え、ええ……。由比ヶ浜さん、私たちはもう十分撮ったはずだけれど」
「いいのいいの! ほら、ヒッキーも真ん中に寄って!」
ズルズルと引き摺り出され、有無を言わさぬ勢いでポジションを固定される。真ん中に結衣、左に雪乃、右に八幡。
その配置を認識した瞬間、八幡の電子頭脳は、かつての修学旅行で行った東福寺の記憶を鮮明に呼び起こした。
(……そういえば、あの時もこの並びだったよな)
あの頃は、まだ『向き合う』なんて言葉に怯えることもなく、ただ純粋にしがらみのない時間を楽しんでいた気がする。八幡がそんなノスタルジーに浸っていた、その時だった。
右腕の袖口に、微かな、けれど確かな重みを感じた。
視線を落とすと、結衣の背中越しに、雪乃が八幡のブルゾンの裾を指先でそっと摘んでいるのが見えた。
「…………」
驚いて顔を向けると、雪乃は白い肌をほのかに紅く染め、逃げるようにフイとそっぽを向いた。一瞬の出来事だったが、その指先から伝わってくる体温が、沙希の時の緊張とはまた違う、静かで心地よい鼓動を八幡の電子頭脳に刻み込んでいく。
パシャリ。
「あはは! いい感じに撮れたよー!」
由比ヶ浜がはしゃぎながら確認する画面の中、八幡はおそらく、自分でも情けないほど赤面した顔で写っていることだろう。
雪乃は何も言わずにその手を離し、乱れた髪を直す仕草をして歩き出した。八幡は、熱を持ったままの右袖の感触を振り払うように頭を振り、広大なランドの喧騒へと足を踏み入れた。
──
一行が最初に並んだのは、通称「スペマン」ことスペースユニバースマウンテンだった。
雪乃はドーム型の巨大な建物を仰ぎ見ながら、わずかに眉をひそめて不満を漏らした。
「……ここは室内を高速で移動するだけのアトラクションでしょう? クリスマスらしい演出が乏しいわ。イベントの参考にはならないのではないかしら」
「あ、でも、ほら、あの辺にリースとか飾ってあるよ。キラキラしてて可愛いし……だから、並ぼうよ!」
結衣はドーム脇に飾られたささやかなクリスマス装飾を指さしてはしゃぐ。雪乃は溜息をつきつつも、結衣の勢いに押されて列に並ぶことを承諾した。八幡の電子頭脳は、これが純粋な「息抜き」であることを再確認し、無駄な最適化を解除してだらだらと列に加わった。
一行の並びは、前方に葉山たち、次列に雪乃と結衣。このアトラクションは座席が二列なため、待機列も自然と二列のペアになる。だが、八幡の視界に入る「前方の光景」は、物理法則を無視した歪な形をしていた。
(……おい、なんだあの地獄絵図は)
二列で並ぶべきはずの場所が、一箇所だけ明らかに「三列」になっている。
中心に葉山。そしてその両脇を、三浦といろはがガッチリと固めていた。
「ねえ隼人、さっきのツリーすごかったよね。また後で一緒に見よ?」
「葉山先輩、さっき撮った写真送りますね。あ、私の写りいいやつ選んでくださいね?」
三浦がいえば、いろはが被せる。二人は交互に葉山に話しかけ、そのたびに視線が交差する瞬間、バチリと静電気が起きそうなほどの火花を散らしている。葉山は終始、柔和な微笑みを絶やさずに対応しているが、その心中は察するに余りある。
八幡の電子頭脳は、あんな胃の悪くなりそうな「両手に花(毒花)」の状態をシミュレーションし、即座に「回避推奨」のログを生成した。
(……少しだけ、本当にちょっとだけ、葉山に同情するぜ)
一方、そんな修羅場を知ってか知らずか、その後ろの雪乃と結衣は平和そのものだった。
「スペマンって暗いからちょっと怖いよね」
「暗闇での高速移動には、心理的なカタルシス効果があるらしいわよ」
そんな噛み合っているようで噛み合っていない会話を聞きながら、八幡はこれから訪れる「ペア決め」という名の二次災害を予感していた。
乗り場が近づくにつれ、列の密度は増し、それと比例するように前方の「三列」の空気は臨界点に達しようとしていた。
見かねた戸部が、場の空気を変えるべく殊勝な面持ちで割って入った。
「あー、マジここは俺が隼人くんと乗っちゃう感じ? 絶叫系得意っしょ、俺ら!」
最近の戸部は、海老名との行動で鍛えられたのか、グループ内でのサポート役が板についてきている。だが、その献身は一瞬で踏みにじられた。
「戸部ぇ、あんたさぁ……」
「戸部先輩、邪魔ですよ♪」
三浦の冷ややかな一瞥と、いろはの殺意すらこもった営業スマイル。その「邪魔」という明確な拒絶の視線にもめげずに粘る戸部だったが、結局、最前列の座席ペアは「じゃんけん」という非情な手段で決める流れになった。
特にいろはの、握りしめた拳から漏れ出す気合いは尋常ではない。八幡の電子頭脳も、その執念の凄まじさに警戒レベルを引き上げた。
(あいつ……いつになく気合い入ってんな……? なんかあったのか?)
八幡が思索する中、じゃんけんの結果、三浦が勝利を収め、勝ち誇ったように葉山の隣の座席を確保した。
「……っ!」
いろはの笑顔がプルプルと引き攣り、不満のオーラが可視化されそうなほどだ。そのまま流れるように後続の戸部と組むかと思いきや、いろははバッと首を回して八幡を凝視した。
瞬間、八幡はエイトマンとしての反射速度を以て、残像が出るほどの勢いで首を横に向けた。
(こっち見んな、そして絶対に来るな……!)
八幡が全力で視線を逸らすと、そこにいた沙希と目が合ってしまった。
先ほどのツーショット撮影の気まずさが残っていたため、さらに目を泳がせて回避しようとした、その時だった。
「……別に、あんたでも良いかな」
素っ気ない言葉と共に、沙希が当然のような顔をして八幡の隣のポジションに収まってきた。そのまま、テコでも動かないという強い意志を感じさせる重さで居座る。
「え、ちょっと……」と口を開きかけたいろはだったが、沙希の放つ「寄せ付けないオーラ」に気圧され、舌打ちせんばかりの勢いで戸部を押し退けた。
「……もう、いいです。海老名先輩、行きましょう」
「腐ふふ、私としてはヒキタニくんと戸部くんのペアも捨てがたかったんだけどね……」
いろはは海老名の隣に収まり、結果として戸部だけが一人、ポツンと取り残された。
(哀れ……いい奴なのにな、戸部……ウザいけど)
八幡の電子頭脳が戸部への追悼ログを記録している間も、隣の沙希は微動だにせず、真っ直ぐに宇宙(コース)を見つめていた。
──
コースターの席に収まり、暗闇の奥へと吸い込まれていくまでのわずかな待ち時間、隣に座る沙希が不意に口を開いた。
「そういえば、前に大志の勉強、見てくれたでしょ。あれ、ありがとね」
「……あ、ああ。あいつ、元々根は真面目だからな」
意外な場所での感謝に、八幡の電子頭脳は不規則なパルスを刻む。沙希は前方の喧騒を避けるように少しだけ声を落とし、彼女にしては珍しい、柔らかな微笑みを浮かべた。
「あんたが教えてから、あいつの国語の成績、だいぶマシになったみたい。……また、気が向いたら来て良いから。大志も、……私も、別に構わないし」
その言葉を聞いた瞬間、八幡の思考は止まった。
雪乃の凛とした佇まいとも、結衣の包み込むような明るさとも違う、どこか「帰る場所」を感じさせるような、家庭的で穏やかなぬくもり。
暗がりに浮かぶ彼女の横顔に、八幡は吸い込まれるように見惚れてしまった。
「…………なによ、変な顔して」
沙希の呆れたような声で、八幡はハッと我に返る。
(……危ねえ。今の俺、相当気持ち悪い顔してたんじゃねえか?)
どうも今日は調子が狂わされる。そんな自責の念と共に前列へ視線を移すと、そこには凄まじい密度の「負のエネルギー」が漂っていた。
安全バーを握りしめたまま、いろはが首を傾けながら文字通り「ゴミを見るような目」で八幡を凝視していたのである。
「い・ちゃ・つ・い・て・ん・じゃ・ねー・よ」
声には出さないが、その唇の動きは明確にそう告げていた。八幡の電子頭脳は、一色の冷ややかな視線という最大級のデバフを受け、これから始まる高速回転アトラクションを前に、すでに三半規管に異常をきたし始めていた。
「別にいちゃついてねーから……」
心の中で全力の弁明を試みる八幡だったが、その言葉が届く前に、コースターは無慈悲な音を立てて宇宙の闇へと加速を開始した。
──
スペースユニバースマウンテンの激しい旋回を終え、一行は出口へと続く通路を歩いていた。八幡は、乱れた前髪を無造作に整えながら地上へと降り立つ。その足取りは至って平静だった。
エイトマンとして超音速移動を経験した身だ。電子頭脳が制御する三半規管にとって、この程度のGと回転は、せいぜい日常の誤差の範囲に過ぎない。むしろ、目まぐるしく流星が飛び交う宇宙の風景を、純粋に楽しむ余裕さえあった。
隣を歩く沙希も、若干足元をふらつかせつつも、絶叫系は平気なクチらしい。
「……ふぅ。意外と悪くなかったわね」
彼女が大きく伸びをした、その時だった。
(……っ!?)
伸びた拍子に、その存在をこれでもかと主張する双房が、前面に大きく突き出されるのを八幡は見てしまった。
……すごく、大きいです。
八幡の電子頭脳には、そんな身も蓋もない、語彙力を喪失したログが記録される。いや、本当に彼女は色々と規格外なのだと、改めて(物理的に)思い知らされることとなった。
一方、程度の差こそあれ、他の連中も宇宙の旅の代償を支払っていた。
中でもいろはは、「ふえぇ……」と営業用か本気か判別不能な情けない声を漏らし、生まれたての小鹿のようにふらふらと歩いている。
その時、いろはの手首をがしっと掴む者がいた。
「あ、ありがとうございます……」
いろはが、潤んだ瞳でほわぁとした笑顔を浮かべて礼を言う。葉山の手だと思ったのだろう。だが、その相手は面倒くさそうに大きなため息を吐いた。
「っつーかさ、あんた、だいじょぶ?」
「あ……三浦先輩、でしたか……」
ふっといろはの微笑みが消え、能面のような無機質な顔に戻る。しかし、三浦はそんな一色の反応など気にする様子もなく、慌てた手つきで自分のペットボトルを差し出した。
「え、マジで顔色悪くない? 水、いる? 飲みなよ」
「……大丈夫、です、けど……。ありがとうございます……」
いろはは面食らったように、切れ切れに礼を言いながらペットボトルを受け取った。それを見ていた八幡は、(三浦、いい人だなー……)と、彼女の隠しきれない「おかん体質」に感心する。
ふらつくいろはの肩を三浦が支え、奇妙な結束感が生まれたまま、一行は次の目的地へと移動を開始した。
──
スペマン周辺のエリアは人気アトラクションが密集しているせいか、その混雑ぶりも凄まじい。色とりどりのカチューシャをつけた群衆が波のように押し寄せ、八幡の電子頭脳は回避ルートの演算に追われていた。
その喧騒の中、もう一人、幽霊のようにふらふらと足元を覚束なくさせている少女がいた。
「ゆきのん、大丈夫? 顔、真っ白だよ……」
見かねた由比ヶ浜が心配そうに肩を貸す。雪乃は力なく首を振り、消え入りそうな声で答えた。
「大丈夫よ……。少し、人混みにあてられているだけだから……」
(……いや、それは全然大丈夫とは言わねえんだよな)
八幡は心の中でツッコミを入れる。かつての伏見稲荷の時もそうだったが、雪乃は人混みに極端に弱い。その上、スタミナ不足も相まって、視覚情報の過多に脳の処理が追いついていない様子だった。
単独行動を好む彼女だが、こうした局面では結衣のような「支え」が必要不可欠であることは明白だった。八幡もまた、雪乃のバイタルを遠巻きに計測し、万が一の事態が起きても即座にデバッグ(救護)できるよう、密かに気を回していた。
しかし、そんな八幡の細やかな気遣いを、当の雪乃は無慈悲に踏み倒した。
「……見えたわ」
次の目的地、その入り口が視界に入った瞬間、雪乃の瞳に生命の炎が再点火された。
そう、次なる目的地は──『パンさんのバンブーファイト』である。
このアトラクション、雪乃の事前情報通り、クリスマスムード一色のディスティニーの中で「こっちは旧正月のほうが大事なんだよ!」と言わんばかりにクリスマスらしさが皆無だった。赤と緑の装飾など微塵もなく、ただ静かに竹林が広がっている。
イベントの参考には天地がひっくり返ってもなりそうにないのだが、雪乃は今度は文句ひとつ言わず、むしろ巡礼を始める聖者のような神聖な面持ちで列に並んでいる。
スペマンの時に見せた「非効率への嫌悪」はどこへやら。八幡は、あからさまに「推し」を前にして完全回復を遂げた彼女の姿を眺め、(……現金なもんだな、お前)と、呆れと安堵が混ざったログを脳内に記録した。
やがて、建物の中へ入ると、冬の冷気にさらされていた身体を解きほぐすような暖かさに、一同から「はぁ……」と安堵の息が漏れた。
「じゃあ、乗る順番どうしよっか」
結衣が問いかけると、いろはと三浦が即座に臨戦態勢に入った。先ほどのスペマンでの介護の恩こそあれど、葉山の隣を譲る気はさらさらないらしい。またしても戸部が「お、おう……」と身構える。
だが、戸部の心配は杞憂に終わった。前方で動いているひょうたん型のライドを見る限り、これは三人から四人は乗れる仕様のようだ。
結果、葉山・三浦・いろはの「火薬庫チーム」が一つ。戸部は今度こそ海老名の隣を確保し、その隣に沙希が収まる「カオスチーム」が一つ。そして最後は、いつもの奉仕部三人が揃う形となった。
「行きましょうか」
「うん。ほら、ヒッキーも早く!」
「おう」
結衣に引き摺られるようにライドに座る。係のお姉さんに「バンブーファイトの世界へいってらっしゃーい!」と笑顔で送り出され、ライドは静かに暗闇の中へと滑り出した。
進んだところで、不意に赤やオレンジの光が弾ける。その光源のせいか、隣で俯いている結衣の横顔が、火照ったように朱に染まっていた。彼女はちらと上目遣いで八幡を見てくる。その潤んだ瞳と至近距離で目が合い、八幡は猛烈な気恥ずかしさに襲われた。
(……なんだ、ここに来てからこんな展開ばかりな気がするんだが)
八幡の電子頭脳が状況の異常性を検知する中、物理的な問題が発生した。
座席は左から雪乃、結衣、八幡の順。八幡はなるべく端に寄り、結衣も遠慮して少し距離を空けようとする。その結果、反対側の雪乃のスペースが圧迫されることになった。
「……狭い」
雪乃がぽつりと独り言を漏らす。
「あ、ごめん!」
結衣が焦ってじりっと右側──つまり、八幡側へ寄る。その分、八幡も必死に外側へと体を逃がすが、ひょうたん型の狭いライドでは限界がある。結局、二人の距離は縮まる一方だった。
ライドはなおも進み、巨大なスクリーンの前へと躍り出た。画面の中のパンさんが縦横無尽に駆け回り、ぬいぐるみのパンさんたちがアトラクション内を所狭しと跳ね回る。ライドもその動きに呼応し、激しく、かつ不規則に揺れ動く。
「おー、これすげぇな……」
思わず素直な感想を漏らすと、間髪入れずに雪乃の鋭い声が飛んできた。
「静かに」
(……どんだけ集中してんだよ、お前)
まさかの私語厳禁。しかし、言葉を奪われたことで、八幡の意識は否応なしに「触覚」へと集中させられる。ライドが激しく動くたびに、結衣の肘が当たり、柔らかい腕の感触がぴたりと重なる。
「っ……」
結衣も意識しているのか、触れた瞬間にビクッと肩を揺らす。暗闇と光の点滅が繰り返される密室内で、八幡の電子頭脳はもはやアトラクションの内容を一切処理できなくなっていた。ただ無心になろうと努めるが、隣から伝わってくる体温と、結衣の微かな吐息が、何よりも強く八幡の理性を揺さぶり続けていた。
──
『パンさんのバンブーファイト』を出たすぐのところには、吸い込まれるようにパンさんショップが併設されていた。
アトラクションを先に出ていた葉山たちは入り口付近で待っており、すぐ後には海老名さんと戸部も合流していた。
「いやー、やっぱパンさん最高だわー! マジ癒やされるわー」
戸部は海老名さんと二人で乗れたのがよほど嬉しかったのか、至福の笑顔を浮かべている。一緒にいた沙希も、どこかスッキリした顔をしており、そこそこ楽しめたようだった。
そして、もう一人、いつになくつやつやした顔をしている少女がいた。
雪ノ下雪乃である。
彼女は満足げに「むふーっ」と深く長い吐息を漏らした。よほどパンさんの世界観を堪能したのだろう。八幡は彼女のその様子を電子頭脳に記録しながら、(……良かったな、満足そうで何よりだ)と、場違いな父親のような感想を抱いていた。
「ねえ、ヒッキー。そこ、パンさんショップだけど、どうする?」
半歩後ろにいた由比ヶ浜が、ちょいちょいと八幡のブルゾンの背中をつついて聞いてくる。八幡は後ろを振り向かず、そのままショップの入り口へと視線をやった。
ちょうど良いタイミングだ、と八幡は判断した。ここに来た目的は取材だが、妹である小町へのプレゼントを探すという重大なミッションを果たすには、ここ以上の場所はない。
八幡は電子頭脳の内部フォルダに「小町への土産:最優先」というフラグを立て、ショップの中へと足を踏み出す準備を整えた。
「悪い、ちょっとここで買い物してくわ」
葉山たちに向けてそう告げると、隣にいたいろはが「ぷっ、くすくすっ」と、こらえきれないといった様子で吹き出した。
「え、先輩、ここで何か買うんですかぁ?」
「……妹のプレゼントをな」
ニヤニヤと楽しそうに顔を覗き込んでくるいろはに対し、八幡は憮然と答える。わざわざ指摘されずとも、自分とパンさんグッズという組み合わせが、油と水ほどに親和性がないことくらい自覚している。だが、八幡の電子頭脳は「妹の幸福度」という指標において、このショップを最適解と弾き出していた。
「そうか。じゃあ、俺たちはどうしようか」
葉山が周囲に問いかける。すると、三浦がパンさんショップの棚からふいっと視線を逸らし、出口のほうを指差した。
「あーし、パス。なんかパンさんって、目がかわいくなくない? あーしはおしゃまキャットメリーちゃんとか見たいし」
その言葉が落ちるか落ちないかの瞬間だった。
八幡の隣から、刺すような絶対零度の冷気が放たれた。見れば、雪乃が凍てついた瞳で、静かに、だが確実に三浦をロックオンしていた。
(……マズい。超怒ってるぞ、これ)
言われずともわかる。パンさんガチ勢である雪乃にとって、今の三浦の発言は宣戦布告に等しい。このままでは、三十分かけて三浦を論理の城壁に追い詰め、泣くまで完全論破しかねない。
一触即発の空気が流れたその時、いろはがひらりとパンさんショップに一歩踏み入り、手近なぬいぐるみを手にした。
「そーですかー? これとか超かわいいですよぉ。ね、葉山先輩?」
小首を傾げ、上目遣いで葉山に同意を求めるいろは。それは「パンさんが可愛い」という主張ではなく、「パンさんを持っているワタシ可愛い」という高度なプレゼンテーションだった。
だが、そんな邪推は八幡の電子頭脳の中だけにとどまる。雪乃はそれを「パンさんへの純粋な称賛」と受け取ったようで、その瞳から険が消え、冷気がすーっと引いていった。どうにか、三浦が泣かされる事態は回避されたようだ。
しかし、この大所帯のままショップに留まるのも現実的ではない。どうしたものかと一同が視線を交差させていると、戸部が小気味よくある提案を切り出した。
「とりまアレだべ、俺ら買わないんだったら、昼飯並んできちゃうべ。超混んでそうだったし」
戸部がぱちっと指を鳴らして言った。その仕草自体は相変わらず鼻につくが、提案の内容は完璧だった。八幡の電子頭脳も、現在のパーク内の混雑状況と胃袋の空き状況を照らし合わせ、即座に「合理的判断」として承認を下す。
しかし、自分たちが買い物を楽しんでいる間に他人に列に並んでもらうというのは、いかに八幡と言えども気が引ける。
「……いいのか?」
「あー、いいってー。ヒキタニくん、あれっしょ? 妹ちゃんのプレゼント選ぶんだべ? ゆっくり探してていいから」
戸部が気の良い笑顔で返し、それに呼応するように沙希も口を開いた。
「あたしも京華……妹のお土産選びたかったから、それでいいよ」
沙希の目的も合わさって、この場は「買い物組」と「行列組」に分かれることに決定した。戸部が葉山を促して店を出ると、葉山が行くならと三浦も一色もそれに続く。海老名も「じゃ、お先」と、特にパンさんに執着を見せずについて行った。
パンさんショップに残ったのは、八幡、雪乃、結衣、そして沙希の四人。
雪乃は首に巻いていたマフラーを外すと、それを儀式のように丁寧に畳み、三人へ視線を向けた。
「では、小町さんと、川崎さんの妹さんのプレゼントを選びましょうか」
「ああ、助かる。なんかおすすめあったら教えてくれ」
「ええ。ちょっと見繕ってみるわ」
そう言うなり、雪乃は慣れた足取りで棚の奥へと進んでいく。沙希もその隣に並び、雪乃の熱心な「パンさん講義」を拝聴しながら、ふむふむと真剣に品定めを始めた。
(……頼もしいんだが、ちょっと気合が入りすぎてやしないか?)
雪乃一人に丸投げするのも居心地が悪く、八幡も手近な棚に手を伸ばした。サンタ服を着たパンさんのぬいぐるみと睨み合っていると、隣に結衣が並んだ。
「あたしも選ぶの手伝うよ」
「悪いな。正直、俺の趣味だけで選ぶのもちょっとあれだから」
「小町ちゃんなら、それでも喜ぶと思うけど」
「いや、あれで結構身内には好き嫌いはっきり言う奴なんだよ」
「そっか。じゃあ、頑張って選ばないとね」
結衣もクッションやパペット、キーホルダーといろいろ見比べる。それにしても、ぬいぐるみだけでも凄まじい種類だ。
八幡の電子頭脳はスキャンを開始し、縫製の質や中綿の弾力、価格との相関を数値化して選別を試みる。やはり高品質なものはそれなりに値が張る。
(プレゼントは、値段で決めるべきものなのか、それとも……)
判断に迷う八幡の横で、結衣が棚から手に取ったパペットに手を嵌め、わしわしと動かし始めた。
結衣はそのパンさんのパペットがいたく気に入ったのか、えいっと言いながらパペットの手で八幡の腕を掴んだり、わしわしと振ったりして邪魔をしてくる。
(……鬱陶しいし邪魔くせぇ。だが、まあ、なんだ。……悪くない)
そんな相反するログが電子頭脳を駆け巡る。八幡はぺしっとそのパペットの手を払うが、結衣はめげない。今度はパペットを八幡の顔のすぐ前に突き出し、ちょこまかと小刻みに動かし始めた。
八幡とパペットの目が合う。すると、結衣が作った変な裏声で話し始めた。
「ヒッキーくんがクリスマスに欲しいものは何かなー?」
パンさんの真似のつもりなのだろうが、お世辞にも似ているとは言い難い。だいたい「ヒッキーくん」などという呼び方は世界観が崩壊している。ついおかしくなってしまい、八幡は半笑いのまま、そのパペットに『挨拶』を返すことにした。
「……ハロー、ぼくヒッキー」
その瞬間、八幡は自身の声帯の振動数を電子頭脳でミリ単位で調整し、アトラクション内で嫌というほど聞いたパンさんの声を完璧に再現して放った。
「…………っ!」
結衣は一瞬、石のように固まった。そして次の瞬間、自分の顔を両手で覆うようにして爆笑し始めた。
「あはははは! ヒッキー、今のヤバい……! 似すぎ!」
八幡がそんな器用な真似をするとは夢にも思わなかったのだろう。結衣は涙目になりながら笑い転げている。八幡も、彼女の弾けるような笑顔に釣られるようにして、不器用なくぐもった笑い声を漏らした。
人前で、しかもこんな場所で笑うことなど滅多にない。慣れない顔の筋肉の動きに戸惑いながらも、八幡の電子頭脳は、この瞬間を「極めて重要度の高い非日常データ」として、メモリの奥底に静かに格納した。
──
笑い声が落ち着いたところで、再びプレゼント選びを再開する。
結衣は棚の奥から何かを見つけ出したのか、「あ、ヒッキーこれ、どうどう?」と、あるアイテムを頭に乗せて振り向いた。
それは、片方の耳が垂れた犬のカチューシャだった。どうやらパンさんの物語に登場するキャラクターのグッズらしい。
「……まあ、いいんじゃないか」
八幡が適当な感想を返すが、結衣は最初から俺の意見など求めていなかったようで、鏡を見ながら「わー」と一人で騒いでいる。
「あ、こっちゆきのんに似合いそう。ゆきのーん!」
結衣が呼ぶと、棚の向こうから雪乃と沙希が戻ってきた。雪乃の両腕には、厳選に厳選を重ねたであろうパンさんグッズが山のように抱えられている。
「小町さん、どれが気に入りそうかしら。……このブランケットの質感は捨てがたいけれど、こちらの限定パペットも捨てがたいわね」
どうやら沙希の方は妹の京華へのプレゼントが決まったらしく、いくつかのぬいぐるみを大事そうに手に持っている。対して、雪乃の方はなおも真剣な面持ちで腕の中のグッズを吟味していた。
(あ、あの、……そんなに本気出さなくても大丈夫だからね?)
雪乃のあまりの本気っぷりに、八幡は気圧されて一歩後退する。
すると、結衣がカチューシャを持った両手を後ろに隠しながら、悩んでいる雪乃の前に静かに立った。
「ね、ゆきのん」
「何かしら?」
雪乃が不思議そうに首を傾げた、その瞬間だった。結衣が「えいっ」という掛け声と共に、雪乃の頭にカチューシャを装着した。これまたパンさんのキャラなのだろうか、猫耳のカチューシャをつけられた雪乃は、何が起きたのか分からずきょとんとしている。
「ヒッキー、写真撮って写真!」
結衣がすかさず雪乃の横に並び、ピースサインを作る。
「え、ああ……」
八幡は促されるままにカメラを構えた。売り物を買わずに装着して撮影するのはマナー的にどうなんだと思わなくもなかったが、今は「試着」の範疇だろうと自分に言い聞かせる。
レンズ越しに、猫耳をつけた雪乃と、犬耳の結衣が並ぶ。
雪乃は少し戸惑いながらも、結衣の楽しそうな雰囲気に当てられたのか、微かに頬を染めていた。
パシャリ。
シャッターを切った瞬間、八幡の電子頭脳はその画像を「永久保存推奨」として処理した。
──思ったよりも、というか、直視できないほどに可愛いツーショットだった。
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