——エイトマン・リボーン—— 比企谷8幡は鋼鉄の夢を見るか   作:りかるど

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第六十二話:そして、一色いろはは『向き合う』ことを望んだ

 

 結衣に連絡を入れ、おおよその集合場所を確認する。八幡と雪乃は、ライトアップされた白亜の城へと続く道を、特に言葉を交わすこともなく歩いた。

 先ほどまでの二人きりの濃密な沈黙が、広場に近づくにつれてパークの喧騒へと溶け出していく。

 

「あ、ヒッキー、ゆきのん! こっちこっちー!」

 

 携帯を片手にした由比ヶ浜が、大きく手を振ってこちらを呼んでいた。ちょうど今、こちらに電話をかけようとしていたらしい。合流するなり、彼女はぱしっと両手を合わせて頭を下げた。

 

「ごめんね! 先に行っちゃって、待たせちゃったよね」

「別に構わないわ。……おかげで少し、休めたから」

 

 雪乃が微笑を交えて応えると、由比ヶ浜も「そっかぁ、よかったぁ」と心底ほっとしたように胸を撫で下ろした。

 

「まあ、他の連中もいるしな。待たせるのも悪い。それより、パレードの写真は撮っておいてくれたか?」

 

 八幡がそう聞くと、由比ヶ浜は「あ、うん! それはばっちり!」と元気に答え、デジカメの液晶を操作して画像を表示した。一応、今回の外出には「イベントの取材」という名目がある。クリスマスらしい素材は一通り押さえておきたかった。

 

「ほら、ゆきのん。見て見て、これとかすっごく綺麗だよ!」

「……データ、後で少し確認させてもらってもいいかしら」

 

 パンさんのパレードを見逃したことがよほど悔しいのか、雪乃は小さな声で呟くと、どこか切なげに自らの胸元をそっと押さえた。

 

「もうじき花火が上がる時間だね」

 

 由比ヶ浜が空を仰ぐ。広場を見渡すと、聞き覚えのある騒がしい声が近づいてきた。三浦や戸部、沙希たちの姿が見える。

 

 いよいよ、魔法が解ける前の最後の宴──冬の花火が打ち上がろうとしていた。

 

 広場に三浦が戻り、葉山の姿を探していた。戸部がいそいそと三浦を誘導し、その後ろには沙希と海老名の姿もある。

 だが、そこに葉山といろはの姿はない。

 

(……そうか、もうそんな時間か)

 

 八幡は、どこか落ち着かない様子の戸部の挙動からすべてを察した。おそらく、この花火が上がるタイミングこそが、いろはが選んだ『その時』なのだろう。葉山が彼女にどう答えを出すのか、あるいは出さないのか。それ以上考えるのは無粋だと、八幡は思考にロックをかけた。

 

「始まるわね」

 

 雪乃が白亜城の上空を見上げる。さすがは年間パスポート保持者、打ち上げのポイントも正確に把握しているらしい。結衣もそれに倣うように、澄み渡った冬の空を仰いだ。

 

 直後、静寂を切り裂いて色とりどりの光輪が夜空に咲き乱れた。

花火といえば夏の風物詩と相場が決まっているが、オリオン座の瞬きに重なるようにして弾ける冬の花火は、どこか鋭利で、胸に刺さるような美しさを持っていた。

 

「……なんか、懐かしいね」

 

 隣にいた結衣が、ぽしょりと耳打ちするように呟く。

 あの日、夏祭りの夜。八幡の自己喪失という名のシステムエラーによって、ほとんど見ることができなかった景色。それを今、こうして塗り替えることができているなら、今はそれでいいと八幡の電子頭脳も静かに肯定した。

 結衣は自分が言ったことなど忘れたかのように、「おー!」と歓声を上げて手を叩いている。

 

 そんな光の明滅が繰り返される視界の端で、八幡はある二人の背格好を捉えた。暗がりの中、花火が爆ぜるたびにその光に照らし出されるシルエット。

 少し離れた場所で、葉山といろはが並んで空を見ていた。

 光が弾けるたびに、二人の距離が近づいては離れる。それはまるで見えざる糸に操られた影絵芝居のようで、気づけば八幡の視線はそちらに釘付けになっていた。

 そして、フィナーレを飾る黄金のゴールデンシャワーが夜空を埋め尽くす。

 広場全体が真昼のような白光に照らし出されたその瞬間。

 いろはが葉山のそばを、ゆっくりと、俯きがちに離れていくのが見えた。

 残された葉山もまた、ただ一点の空を仰ぎ、いろはとは逆の方向へ歩き出す。

 音楽が止まり、パーク内に設置された街灯の明かりが現実を呼び戻すように灯る。

 来場客たちが満足げな吐息を漏らす中、一色いろはだけが、一人。

 口元を両手で強く押さえ、何かを必死に噛み殺すようにして、八幡たちの横を脱兎のごとく駆け抜けていった。

 

(……そうか)

 

 勝算がないことなど、八幡の演算を待つまでもなく分かっていたはずだ。

 だが、共に選挙という泥沼を戦い抜いた「戦友」が、どこかで報われてほしいと。そんな非論理的な願いを抱いていた自分に、八幡は苦い後味を感じていた。

 

 

──

 

 

 いろはが人混みの向こうへ駆け去った後、広場には言いようのない動揺が広がった。

 

「……ちょっと、あーしたちで見てくる。結衣と、雪ノ下さん? は、ここ残ってて。あいつ戻ってくるかもしんないし」

 

 三浦が面倒そうに髪を払いながら、結衣と雪乃に指示を出す。戸部がいそいそとそれに従い、沙希と海老名も顔を見合わせて三浦の後に続いた。やる気なさそうに振る舞いながらも、瞬時に状況を判断して動く三浦の統率力は、ある種の冷徹なまでの正確さを備えていた。

 雪乃は、まだ花火の余韻の中にいたのか、あるいは今の光景をどう解釈すべきか測りかねているのか、呆然とした様子で立ち尽くしている。

 

「じゃあ、俺も行ってくるわ」

 

 八幡は短く告げ、三浦たちとは別の方向へ歩き出した。だが、いろはを追いかけるつもりはない。三浦たちがいれば、その後のフォローに抜かりはないだろう。

 八幡が向かったのは、広場の隅、暗がりに面した柵のところだった。そこには、一人で腰掛けている葉山隼人の背中があった。

 

「……やあ」

 

 八幡の足音に気づいた葉山が、悲しげな微笑を浮かべて振り返る。

 

「おお」

 

 八幡は適当な返事をし、彼の隣で足を止めた。葉山は小さく、重いため息を吐き出す。

 

「……いろはには、悪いことをしたな」

「そう思うなら、振らないで付き合えばよかっただろ」

 

 皮肉混じりの八幡の言葉に、葉山は困ったように、力なく笑った。

 

「無理だよ。わかってるくせにそういうことを言うのは、君も相変わらず性格が悪いな」

「……まあな」

 

 性格の悪さの定義についてなら、八幡の電子頭脳はいくらでも弁明のログを生成できる。だが、今はそんな不毛な議論をする気にはなれなかった。

 

「俺が理解できないのは、なぜ一色が急にお前に告白する気になったかだ。……なんか心当たりでもあるのか?」

 

 八幡の問いに、葉山は夜空を見上げたまま静かに首を振った。

 

「いいや、俺も彼女の行動には驚いているよ。……君こそ、何か知っていると思ったんだけどな」

「どういう意味だよ」

「君の影響だと思った、という意味さ」

「……は?」

 

 八幡の電子頭脳が予期せぬ入力値にエラーを返す。葉山は変わらず、どこか遠くを見るような、悲愴な顔で言葉を継いだ。

 

「君は、自覚がないのだろうけど……君に影響されて『変わろうとする』人は多いということさ。……いろはも、多分そうなんだろうな」

「……俺にそんな力はない」

「あるさ。そうでなければ、彼女は……」

 

 そこで葉山は言葉を切った。

 葉山の言う『彼女』が、今しがた泣き出しそうな顔で走り去ったいろはのことなのか、あるいは、今も広場で八幡を待っているあの少女たちのことなのか。

 

「先に帰るよ。みんなに伝えておいてくれ」

「自分でメールなりなんなりしとけよ。リア充だろ」

「……そうだな。じゃあ」

 

 葉山は自嘲気味な微苦笑を浮かべ、軽く手を挙げる。

 そして、一度も振り返ることなく、葉山隼人はパークの華やかな輝きの外側、深い暗がりのなお奥へと消えていった。

 

 

──

 

 

 帰りの電車内は、行きとは打って変わって静まり返っていた。心地よい疲労感に包まれているのもあるが、最大の理由は、何かといろはに気を遣って騒いでいた戸部がいないからだろう。

 戸部だけでなく、三浦や海老名もここにはいない。三人は武蔵野線で西船橋乗り換えのルートを選ぶため、八幡、雪乃、結衣、沙希、そしていろはの「京葉線組」とは舞浜駅のホームで別れていた。

 ガタン、ゴトンと規則的な振動が二十分ほど続くと、やがて車内アナウンスが海浜幕張駅への到着を告げた。八幡と雪乃が降りる駅だ。

 

「では、私はここで……」

「うん、あたしも降りるから」

 

 雪乃と沙希が立ち上がり、ドアの前に立つ。すると、結衣も当然のようにその隣に並んだ。

 

「あ、あたしもここで降りるね!」

「……お前、家はまだ先だろ」

 

 八幡が指摘すると、結衣はいたずらっぽく笑って雪乃の細い腕に自分の腕を絡めた。

 

「明日休みだし、今日はゆきのんちに泊まることにしたんだー」

「あ、そうか」

 

 以前からよくある光景だ。特に今日のような日は、結衣なりに雪乃を一人にしたくないという配慮もあるのだろう。八幡は納得し、座席を立った。

そうなると、この車両に残されるのはいろは一人だけになる。

 

「一色、お前、駅はどこだ」

 

 尋ねたが、いろはからの返事はない。彼女はただ、俯いたまま、くいくいと八幡のブルゾンの裾を力なく引っ張った。

 そして、足元に置いていた大きな袋──自分や小町、沙希の妹たちの分まで詰まったお土産の袋を、八幡の手にすっと差し出してきた。

 

「……先輩。これ、超重いです」

「買いすぎなんだよ……」

 

 八幡が呆れながらもその重い袋を受け取ると、それを見ていた結衣がふっと柔らかな微笑みを浮かべた。

 

「……うん、そのほうがいいかもね。ヒッキー、よろしくね」

「一色さん。くれぐれも、気をつけて」

「あんた、変なことするんじゃないよ」

 

 雪乃と沙希の言葉に、八幡の電子頭脳は「過保護すぎやしないか?」と一瞬疑問のフラグを立てたが、すぐにその意味を理解して沈黙した。

 プシュー、とドアが開く。海浜幕張駅のホームに三人人が降り立ち、動き出した電車の窓越しに手を振る。

 残された八幡といろはを乗せた車両は、再び夜の闇の中を滑り出していった。

 

 

──

 

 

 二人が降りたのは、千葉みなと駅だった。そこからさらに、千葉都市モノレールへと乗り換える。この時間の利用客はまばらで、静まり返ったホームに独特の駆動音が響いていた。

 モノレールが滑り出す。窓の外には、夜の帳に包まれた千葉の街明かりが広がっていた。レールに吊り下げられ、空を行く独特の高度感と、時折ふわりと浮き上がるような浮遊感。それはまるで、まだ夢の国のどこかにあるアトラクションに乗っているかのような錯覚を抱かせた。

 八幡は、手に持ったお土産の袋の重みを感じながら、隣に座る少女を視界の端に捉える。

 いろはは窓の外をじっと見つめたまま、ため息混じりに小さく呟いた。

 

「はー……。駄目でしたねー……」

「……いや、お前、今言っても駄目なことくらいわかってただろ」

 

 八幡は、努めて平坦なトーンで返した。

 いろはとの付き合いはそう長いわけではない。葉山隼人に至っては、友人と言えるほど親しいわけでもない。それでも、この合理的で計算高いはずの後輩が、あえてこのタイミングで、あのような絶望的な距離の詰め方を選択するとは思っていなかった。

 いろはは視線を窓の外に向けたまま、街の灯りを見下ろして口を開く。

 

「……だって、しょうがないじゃないですか。盛り上がっちゃったんだから」

「意外だな。お前はそういう、場の雰囲気とか情緒みたいなものに振り回されない奴だと思ってたぞ」

 

 八幡がそう言うと、窓ガラスに反射して映るいろはの顔が、微かに、自嘲気味な笑顔を作った。

 

「わたしも意外です。もっと冷めてるんだと思ってました」

「……ああ、お前、恋愛脳に見せかけて、内側は結構クレバーっていうか……」

 

 俺が言いかけたその時、いろはが急にこちらを振り返り、言葉を遮った。

 

「わたしじゃなくて、……先輩の話です」

「……は?」

 

 またいきなり話が飛んだ。八幡の電子頭脳が次の一手を予測しようとするが、いろはの瞳は、これまでに見たことがないほど真剣な光を湛えていた。

 思考回路を巡らせても、いろはの意図が掴めない。

 モノレールの駆動音だけが、静かな車内に響いている。いろははじっと、品定めでもするかのように俺の目を見つめていた。

 

「……先輩のせいですよ」

「何がだよ」

 

 聞き返すと、いろはは真面目くさって居住まいを正した。丸まっていた背筋をピンと伸ばし、俺の視線を真っ向から受け止めて、はっきりと言い放つ。

 

「……わたしも、全力で向き合いたくなったんです」

 

 その言葉には、聞き覚えがあった。

 他ならぬ自分が、雪乃と結衣に対して、詭弁も妥協も捨てて「全力で向き合う」ことを誓った、あの生徒会選挙の一連の出来事。傷つくことを厭わず、正面からぶつかり合ったあの瞬間のことだ。

 

「お前……」

「あんな強烈な体験させられたら、自分も……って思っちゃいますよ。あんな風に、格好悪いくらい必死に、誰かに何かをぶつけてもいいんだって。思わされたんです」

 

 いろはは、八幡の戦いを誰よりも近くで見ていた。そして、おそらくは強く憧れてしまったのだ。鋼鉄の刃のような鋭さで、あるいは泥臭い執念で、誰かに全力で想いをぶつけることができたなら、と。

 

「だから、今日踏み出そうって思ったんです」

 

 そう答えた彼女の表情は、いつもの小悪魔的な余裕を完全に欠き、ひどく真剣だった。

 彼女は八幡と共に泥を被り、決して王道とは言えない手段で勝利を手にした。その強烈すぎる成功体験が、今日の葉山に対する無謀な告白を後押ししたのだとしたら。

 八幡の電子頭脳は、一つの結論を弾き出した。彼女にこの「呪い」にも似た衝動を与えたのは、俺だ。

 

「……悪かったな、色々と」

 

 八幡は、ただ謝ることしかできなかった。

 自分の不器用な在り方が、一人の少女の平穏な「計算」を狂わせ、この残酷な結果へと導いてしまったことに対して。

 八幡が謝罪の言葉を口にした瞬間、いろははパチパチと目を瞬かせた。そして、獲物を見るような目つきになると、ずずっと椅子を滑らせて俺と距離を取る。

 

「なんですか、傷心につけ込んで口説いてるんですかごめんなさいまだちょっと無理です」

「ちげえよ……」

 

 どこをどう解釈すればそうなるのか。やはり、こいつの思考パターンを完全に演算するのは電子頭脳をもってしても不可能に近い。

 いろはは「こほん」とわざとらしい咳払いをし、今引いたぶんの距離を詰めて座り直した。

 

「ていうか、まだ終わってませんし。むしろ、これこそ葉山先輩への有効な攻め方です。みんなわたしに同情するし、周囲も遠慮するじゃないですかー? あ、このやり方は選挙の時と似てますね」

「……お、おう。そういえばそうか?」

 

 一瞬、絶句する。だが、いろはは「へへん」と鼻を鳴らして胸を張った。

 

「そういうもんです。それに、振られるとわかってても行かなきゃいけないこともあるんです。あとあれです。振った相手のことって気にしますよね? 可哀想だって思うじゃないですか。申し訳なく思うのが普通です。……だから、この敗北は布石です。次を有利に進めるための……だから、その、……がんばんないと」

 

 最後の方は、自分に言い聞かせるような震え声だった。

 ぐすっと小さな嗚咽が漏れ、彼女の瞳にはじわりと、堪えきれない涙が浮かぶ。

 

「……お前は、強いよ。……強くなった」

 

 あの日、奉仕部に厄介ごとを持ち込んできた頃に比べれば、いろはの成長ぶりは目覚ましい。だからこそ、八幡は願ってしまったのだ。葉山に無謀な特攻を仕掛けたこの「戦友」が、いつか報われてほしいと。

 すると、いろはが濡れた瞳で、じっと上目遣いに見上げてきた。

 

「先輩のせいですからね、わたしがこうなったの」

「……だから、悪かったって言っただろ」

 

 しかし、八幡の言葉を最後まで聞かずに、いろははぐいと顔を近づけた。

 冬の夜の冷気を含んだ彼女の髪が頬に触れ、耳元で熱い吐息と共に言葉が落とされる。

 

「責任、とってくださいね」

 

 囁いた直後、彼女はふいっと離れた。そこには、泣きべそをかいた敗北者の面影など微塵もない。

 あるのは、八幡の電子頭脳をオーバーヒートさせるほど鮮やかな、小悪魔めいた最強の微笑みだった。

 

 モノレールが駅に滑り込み、魔法の国の残滓は完全に夜の街へと溶けていく。

 八幡は、手に残る重い袋の感触と、耳に残る甘い毒のような囁きを抱えたまま、日常という名のレールへと踏み出した。

 

 




今日はここまでです

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