——エイトマン・リボーン—— 比企谷8幡は鋼鉄の夢を見るか   作:りかるど

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第六十三話:熱量を伴う演算

 

 月曜日の放課後。総武高校の生徒会室には、外の冷え込みをそのまま持ち込んだような、どこか張り詰めた空気が漂っていた。

 海浜総合高校との合同会議へ向かう前の、身内だけの事前ミーティング。長机の一角に固まって座る生徒会役員たちの中に、八幡は一色いろはの姿を捉えた。

 一昨日の夜、モノレールの中で「責任とってくださいね」と囁いた少女は、今、何食わぬ顔で資料をめくっている。八幡は網膜ディスプレイを起動し、彼女の心拍数と血流を遠隔スキャンした。

 

(……バイタル、正常。メンタルログにも目立った乱れはなし、か)

 

 失恋直後とは思えないほど、彼女は普段通りに見える。あるいは、そう「見せている」だけなのかもしれないが、少なくとも業務に支障をきたすようなエラーは吐いていない。

 いろはは不意に顔を上げると、きょろきょろと一座を見渡して口を開いた。

 

「えっと、これ集められた理由って、そもそもなんですっけー?」

「……現状の方針の確認と、今後の具体的な展開についてだ」

 

 八幡が即座に答える。だが、その言葉に被せるように、隣に座る雪乃から氷のように冷たい指摘が飛んだ。

 

「一色さん。本来、この会議を召集し、目的を説明すべきなのは会長であるあなたのはずよ。自分が何のためにここに座っているのか、忘れてしまったのかしら?」

「あ、あはは……。そうでした、つい。ね、先輩?」

 

 いろはが助けを求めるように八幡へ苦笑いを向ける。

 八幡はそれを受け流しながら、電子頭脳の内部で「一色いろは:管理プロトコル」を修正した。

 

(……甘やかしすぎたかな。俺が先回りして最適化しすぎたせいで、こいつの『会長』としての演算が鈍ってる)

「ま、まぁまぁ、ゆきのん。いろはちゃんもまだ慣れてないんだしさ。ね?」

 

 由比ヶ浜が間に割って入り、場を和ませようとする。雪乃も「……そうね」と短く息を吐いて引き下がった。

 八幡はその光景を見ながら思考する。彼女を会長にのし上げたのは、他ならぬ比企谷八幡というシステムだ。彼女が一人でこの組織を駆動させ、海浜総合という巨大なバグに対処できるようになるまで、サポートする責任がある。中途半端な真似は出来ない。

 

「……とにかく、会議を始めるぞ。無駄なリソースを割いている暇はない」

 

 八幡の声には、休日までのどこか柔らかな響きはもうなかった。現実という名の冷徹な回路が、再び唸りを上げて回転し始めた。

 八幡は電子頭脳で算出した現在のリソース配分を、ホワイトボードに叩きつけるように書き出した。

 

「現状、問題点は三つ。金、時間、そして人手が決定的に足りない。特に人手不足はアウトソーシング……つまり外部に投げるしかないが、平塚先生の感触を見る限り、追加の予算が降りる可能性はゼロに近い」

「あー、やっぱりそうですよね……」

 

 いろはが呟く。八幡は冷徹に言葉を継いだ。

 

「ああ。単純計算でも、生徒一人につき最低五千円のカンパを募らなきゃ回らない。……現実的じゃないな。俺だってそんなもんに一円も払いたくないし」

 

 つまり、解決策は一つしかない。上がっている案を限界まで削ぎ落とし、体裁を整えつつも、中身を極限までスリム化することだ。

 

「……私も、ショボいのは確かに嫌です。なんとかカタチにして成功させたいです」

 

 いろはが絞り出すように言うと、生徒会の面々も、どこかぎこちないながらも一様に頷いた。彼らと一色の間にはまだ薄い壁がある。だが、これも彼女が「会長」として乗り越えるべきバリアだと、八幡はあえて手を出さずに見守った。

 

「……それと、最大の問題点はこれよ」

 

 雪乃が、手元の資料を指先で叩いた。

 

「海浜総合側との『徹底した合議制』。全員の意見を聞き、つぶさに検討する……そのプロセス自体が、すべてのリソースを食いつぶしているわ」

 

 すると、それまで黙って聞いていた生徒会の副会長が、困ったように眉を下げて口を開いた。

 

「……でも、向こうの案を一方的に突っぱねるのは、角が立ちませんか? 協力体制を築いている最中ですし、なるべく波風を立てずに進めるのが得策かと思うのですが……」

 

 極めて保守的、かつ常識的な意見。八幡は隣でその言葉を聞きながら、ふと内心で納得していた。

 

(……まあ、そうだな。一色のサポート役としては、こういう『まともな感覚』を持った奴が一人くらいはいた方がいい)

 

 一色いろはという劇薬と、自分という毒、そして雪ノ下雪乃という鋭利な刃。それらを中和し、組織を組織として繋ぎ止める「常識人」の存在は、今の生徒会には必要不可欠なパーツだった。

 だが、今はその「常識」が枷になる。

 

「……波風、か。死にかけた船で、波風を気にして舵を切らないのは自殺と同じだぞ」

 

 八幡は副会長を一瞥し、そして雪乃へと視線を戻した。

 

「雪ノ下が言ったように、あの会議は『決定権を持っている奴』が一人もいない。それがすべての元凶だ」

 

八幡は続ける

 

「あの会議は全員の意見を聞いて、さらにつぶさに検討なんてしてるから一生終わらん。あそこには最終決定権を持ってる奴がいないんだ」

 

 八幡が断じると、由比ヶ浜は不思議そうに首を傾げた。

 

「それって、向こうの会長さんじゃないの?」

「現状だと玉縄はただの司会進行とまとめ役しかできてないな。意見を吸い上げはしても、決定は下してない。見かけ上は活発な会議だが、枝葉末節が決まるだけで本丸は手付かずだ」

 

 誰が責任を負うのか曖昧な会議は、電子頭脳から見れば無限ループに陥った欠陥プログラムに等しい。全員が同格で、誰も否定されない。その心地よい「合議」という名のぬるま湯が、刻一刻とタイムリミットを削り取っていた。

 一応、上に立つ者として海浜総合の玉縄、そして総武の一色はいる。だが、この二人が顔を見合わせて「うーん、どうでしょ~」と濁している以上、事態が動くはずもなかった。

 思い当たる節があるのか、いろはが短いため息を吐いて肩を落とす。

 

「……やっぱり、わたしがまずかったんですかねー」

「別にお前は悪くねぇよ」

 

 八幡が即座に返すと、いろはは「先輩……」と潤んだ瞳でこちらを見上げてくる。だが、八幡の電子頭脳は感傷に浸る隙を与えなかった。

 

「お前を会長に推した奴が悪いに決まってる」

「……それ、先輩なんですけど」

 

 いろはのジト目が突き刺さる。

 正確に言えば、会長に据えた手前、彼女の主体性を尊重しようと遠慮しすぎたのが敗因だった。八幡が議事録をまとめ、提案を出し続けたところで、受動的な会議が終わることなどないのだ。

 

「あなたにしては手ぬるいと思っていたわ。もっと会議の場を完全に制してから、一方的に決めるものだと思っていたのだけれど」

 

 雪乃が、ようやく腑に落ちたという顔で八幡を見た。

 確かに、この数日は一色に配慮するあまり、八幡本来の「冷徹な最適化」を封印していた。だが、もはやその猶予はない。

 

「……ああ。余計なもんは全部削ぎ落とす。めんどくせぇからな。あいつらの『やりたいこと』は全部無視する」

 

 怜悧冷徹。

 八幡の網膜ディスプレイの奥に、感情を排した論理の塊──青白い炎が、危険な輝きを放ちながら再点火された。

 

「……ついてこれっかよ、会長」

 

 八幡の視線に、いろはは一瞬たじろぎ、そして覚悟を決めたように小さく、だが力強く頷いた。

 

(先輩が、やっとそれっぽくなってきた……!)

 

 ──その表情の裏で、ゾクゾクした危険な感情が湧き出ていることに、彼女は密かに歓喜していた。

 

 八幡は、迷うことなくホワイトボードの前に立った。手に取ったマーカーが、乾いた音を立てて白板の上を滑る。

 

「……いいか、まずはこのクリスマスイベントが『誰の』ものか、その定義を書き換える」

 

 きゅきゅっ、と力強い筆致で書かれたのは、『効率第一』という四文字だった。

 その場に、永久氷壁のようなマキャベリズムの空気が流れ込む。生徒会室の温度が数度下がったかのような錯覚に、役員たちが一様に息を呑んだ。

 

 すると、「あ、あの……」と小さな声が上がった。

 眼鏡をかけたお下げ髪の一年生。確か書記の女子だ。彼女はおずおずと立ち上がると、八幡の手からペンを受け取り、流れるような動作で板書の清書を引き継いでくれた。

 

「……助かる」

 

 八幡が短く礼を言うと、彼女は少しだけ頬を染めて、真剣な表情でホワイトボードに向き直る。

 

「えっと、企画の対象は、保育園の子たちとお年寄りの人たちとの交流……だよね?」

 

 結衣が確認するように、元気よく声を出す。

 

「正解よ、由比ヶ浜さん。でも、現状の案は、来場するゲストを主体にした企画ではないのが問題なのよ」

 

 雪乃が補足を入れると、いろはも「……なるほど」と深く頷いた。

 玉縄たちの出してきた企画は、結局のところ「自分たちが何を表現したいか」という自己満足の枠を出ていない。

 お年寄りが皆、アグレッシブなジャズを好むわけではないし、演出に凝りすぎて待ち時間が長引けば、園児たちは退屈して騒ぎ出す。

 

「『カスタマーサイド』なんて言葉を弄んでいるが、実際には客観的な視点に立てていない。趣旨を履き違えているんだ。……本来、俺たちが『何をやりたいか』なんてことは、どうでもいいんだよ」

 

 八幡の冷徹な指摘に、いろはは納得しつつも、その先の暗雲に眉を寄せた。

 

「……でも、それじゃあ具体的に何をやったらいいんですかねー。あっちの案を削るだけじゃ、何も残らない気がして」

「何、簡単なことだ」

 

 八幡は、いろはの不安を断ち切るように、次の「命令」を口にした。

 八幡はホワイトボードの前を離れ、生徒会役員たちが囲む長机の中央を指差した。

 

「いいか、一色。まずはお前が、海浜総合側の企画に対する不満や文句を、こいつら生徒会メンバーに全部ぶち撒けてみろ」

「……は?」

 

 いろはが呆然とした声を出す。八幡は構わずに言葉を継いだ。

 

「整合性だのカスタマーだの、綺麗な言葉で包む必要はねぇ。感じたままの『うざさ』を言語化しろ。人の悪口を見つけるのはお前の得意分野だろ。頑張れ」

「先輩……わたしのことなんだと思ってるんですかねー、本当に」

 

 いろはは頬を膨らませて不満げに毒づいたが、観念したように椅子を引き寄せ、役員たちの輪に飛び込んだ。八幡は雪乃と結衣に軽く目配せし、三人で壁際に下がって静観の構えを取る。

 

(……これでいい。きっかけさえあれば、システムは回り始める)

 

 生徒会の役員たちは決して無能ではない。むしろ真面目すぎるゆえに、海浜側の支離滅裂な「合議」に付き合わされ、不満を溜め込んでいただけなのだ。

 

「……えーっと、じゃあ言いますけど。あの玉縄さんの横文字、ぶっちゃけ意味不明じゃないですか? 全然入ってこないっていうか」

 

 いろはが口火を切ると、それまで沈黙を守っていた役員たちの表情が、一変した。

 

「……確かに、前回の『パラダイムシフトの共有』という言葉、議事録にどう書いていいか分かりませんでした」

「機材の搬入リストも、向こうの要望通りだと当日パンクします。現実を見てないですよね」

 

 堰を切ったように、次々と具体的な「文句」が飛び出し始める。

 それは単なる中傷ではなく、実務に裏打ちされた切実な「問題提起」へと昇華されていった。

 

「ここ、絶対園児たちが飽きて騒ぎますよ。お年寄りはもっと静かに見たいはずなのに」

「ですよね! 私もそう思ってました!」

 

 共通の敵を叩く。その原始的で強力な連帯感が、いろはと役員たちの間にあった見えない壁を、瞬く間に崩していく。時折、自嘲混じりの笑顔さえこぼれるほど、会議室の空気は急速に熱を帯び始めた。

 雪乃が、その様子を感慨深げに見守りながら、隣の八幡に囁いた。

 

「……皮肉なものね。負の感情を共有することが、これほどまでに組織を一つにするなんて」

「本物とは言い難いがな。だが、機能としてはこれで十分だ」

 

 一通り問題点が出尽くし、机の上が付箋と書き込みで埋まった頃合いを見て、八幡は再びゆっくりと歩み寄った。

 

「あとは、ここから逆算して、企画を立てていけばいい」

 

 八幡がそう締めくくると、隣から「……なるほど」と、感心したような小さな呟きが聞こえた。見れば、雪乃が指先を顎に当て、考え込むように腕を組んでいる。

 

「方向性としては、妥当な線ね。案はいくつか出せそうよ。……問題は結局、予算と時間、そして人手だけれど」

「金も時間も極力かけないものを考えるしかないな。あるものを使い回すのが基本だ」

 

 八幡の即答に、いろはが頬を膨らませて不満をにじませた。

 

「けど、お金かけないと結局しょぼくないですかー? せっかくやるのに、それはちょっとどうなのかなーって感じですけど」

「ほら、あれだよ! 素朴な手作り感が家庭的! みたいな!」

 

 結衣が明るくフォローを入れるが、雪乃は冷静にそれを切り捨てた。

 

「それは受け手側が評するものであって、提供側が売りにすることではないと思うけれど……」

 

 正論すぎる指摘に結衣が「うっ」と言葉を詰まらせる。だが、八幡は結衣の言葉の中に、電子頭脳を動かすためのピースを見出していた。

 

「いや、由比ヶ浜の発言にも一理ある。要はアイデアの転換だ。……子供が提供するものなら、大人はある程度譲歩する。歌か、あるいは演劇か。内容を濃くしたいなら、演劇の方が歌もセットにできる分、効率的だ」

「……なるほど。よくそんなことを考えつくわね」

「……あ、あはー……」

 

 雪乃が、少し意外そうな、それでいてきらきらとした瞳で八幡を見つめる。

 結衣は珍しく八幡に誉められたのが嬉しいのか、顔をこれでもかと緩く綻ばせていた

 

「単純な大衆心理の応用だ。芸が拙くても、やる側の熱量と、何よりその『年齢』で誤魔化しが効く時もある」

 

 あくまで「子供の可愛さ」を戦略上の武器(デコイ)として扱う八幡の冷徹な物言いに、いろはをはじめとする生徒会メンバーの顔が、わずかに引き攣った。

 

「そ、そういえば、ほら! CMとかも困ったらとりあえずアニマルとか子供出しとけ、みたいなとこあるじゃん?」

 

 空気を読んだ結衣が慌てて具体例を出すと、雪乃はすでに思考の海に深く潜っていた。

 

「確かに、子供のお遊戯そのものを見せてしまえば、外部が文句を挟む余地はなくなるわね。お年寄りへの受けもいいはずだわ」

「演劇なら、保育園側で普段から練習もしてますし、小道具とかも揃ってそうですね」

 

 書記の女の子が雪乃の意見をサポートし、会議室に建設的な熱が帯び始める。

これで中身の骨格は見えた。八幡は立ち上がると、ホワイトボードの『効率第一』の下に、大きく【演劇】の二文字を書き込んだ。

 

「中身は決まったけれど、あとは稽古時間が問題ね」

 

 雪乃が資料に目を落としながら懸念を口にする。それに応じるように、結衣が自分が舞台に立つわけでもないのに、どこか悲惨な声を上げた。

 

「あー……。子供たち、セリフ覚えるの大変そう……。私だったら絶対無理……」

「……お前の暗記の苦手さと園児を一緒にするな。だが、この演劇は試験じゃない。多少ずるいことをしても許されるだろ」

 

 八幡はホワイトボードのマーカーを回しながら、電子頭脳が導き出した「最短ルート」を提示した。

 

「舞台上の役者と、セリフを読む役者に分ける。……いわゆる人形劇や、吹き替え方式だ」

「……声優を立てるということかしら?」

 

 雪乃が即座に反応する。八幡が頷くと、彼女は納得したように口元に手を当てた。

 

「それなら子供たちは動きに集中できるし、セリフを完璧に覚える必要もなくなるわね。……すごいわ、手抜きを考えさせたら右に出る者はいないわね」

「最適化と言え」

「あら、そうだったかしら。でも、そのえげつないまでの合理性は評価に値するわ」

 

 淀みなく、互いの思考を先読みして言葉を繋いでいく二人。

 八幡がきっかけを投げ、雪乃がそれを磨き上げ、会議の流れを強制的に「有意義なもの」へと最適化していく。

 

(いいなぁ……)

 

 いろはは、そんな二人をどこか羨ましそうに見つめていた。

互いの言いたいことを予測し、時に反発し、それでいて対等な地平で向き合い続けるツーカーな関係。

 

(……あんな関係が、私も欲しい……)

 

 その瞳に宿った、名付けようのない憧憬と微かな寂しさ。

 それに気づいた結衣は、二人を眩しそうに見つめるいろはの隣で、優しく、そしてどこか切なさを孕んだ表情を浮かべていた。

 

(いろはちゃんも、あの二人の関係が好きになっちゃったんだね……)

 

 結衣は、自分が踏み込めるはずのない、けれどこの世で一番大切にしたいその「絆」の様相を、暖かく、静かに見守っていた。

 

 

──

 

 

 これで、おおよその見当はついた。あとは実作業の段階で細部を落とし込めば、リソース不足の中でも充分に回せるはずだ。

 

「……って、ことでいいですかね」

 

 いろはが自信なさげに、おずおずと生徒会役員たちを振り返った。すると、副会長以下、役員全員が力強く、あるいは安堵の混じった表情で頷きを返してくる。それを見たいろはは、憑き物が落ちたようにふっと柔らかな微笑みを漏らした。

 結衣が嬉しそうにいろはの肩を叩く。

 

「せっかくみんなで考えたんだし、できるといいね、いろはちゃん!」

「そうですねー、まぁ、できればいいですけどー」

 

 いつもの調子が少しだけ戻ってきた。八幡は意見の締めとして、最後の仕上げを口にする。

 

「……向こうの実施するコンサートと、こっちの演劇の二部構成を提案する。海浜総合側のメンツを完全に潰さないための譲歩だ」

 

 イベントの内容を濃くするための最低限の増強案でありながら、これ以上の余計な案を差し込ませないための明確な線引き。八幡がそう告げると、結衣といろはが二人して「ほえっ」と首を傾げた。

 

「……もっと、あっち側を徹底的に叩き潰すのかと思ってました」

「誰がそこまでやるか。相手の心理を汲んで、あえて逃げ道(譲歩)を作るのも、最適化と効率化の手段に過ぎん」

「はぁ、なるほど……」

 

 いろはは納得したような、していないような、どこか心ここにあらずの表情で頷く。

 万人に好かれる企画など存在しない。玉縄たちの気取った企画を嫌う層に対して、こちらが「分かりやすいもの」を提供できれば、イベント全体の満足度は上がる。その逆もまた然りである。

 対立しているからこそ、この図式が完成するのだ。

 

「じゃあ、あとは会議の時間までこれを詰めて、本番のプレゼンで通せるように頑張ってくれ」

 

 そう言って、八幡は椅子から腰を上げた。

 

「はい、って、え!? どこ行くんですか!? ていうか、プレゼンわたしがやるんですか!?」

 

 いろはががばっと顔を上げて二度見する。八幡は『何を当たり前のことを言っているんだ、こいつは』とでも言いたげな、冷徹な一瞥をくれた。続いて立ち上がった雪乃が、スカートの裾を優雅に払ってから、ふむと顎に手をやった。

 

「さすがにプレゼンは生徒会の領分でしょうね。私たちはあくまで外部の協力者だもの」

 

 雪乃が冷たくも正しい境界線を引くと、結衣もかけてあったコートを手に、苦笑いしながらフォローを入れる。

 

「あ、でも、ほら。会議で困ったらヒッキーとゆきのんが助けてくれるから!」

「お前は助けないのかよ……。じゃあな、一色。頑張れ。今日はお菓子、俺が買っといてやるから」

「あ、ちょっと先輩! 責任……っ!」

 

 背後で上がるいろはの抗議の声を、閉まりゆくドアの音が遮る。

 八幡たちは、一歩ずつ「会長」へと近づき始めた生徒会を背に、冷たい廊下へと足を踏み出した。

 

 

──

 

 

 生徒会室を出た三人は、会議までのわずかな時間を潰すため、昇降口へと向かった。コンビニで会議用の飲み物や軽食を買い出しに行くという名目だが、張り詰めた思考を一度冷却するための、暗黙のインターバルでもあった。

 

「会議、うまくいくといいよね」

 

 結衣が首元のマフラーを巻き直しながら、祈るように言った。

 

「まあ、大丈夫だろ。通らなくても無理矢理通すさ。もういい加減、あのアトラクションみたいな不毛な話し合いは早く終わらせたい」

 

 何の気なしに吐き出した言葉だったが、結衣の足がぴたっと止まった。振り返ると、彼女はひどく真剣な、どこか縋るような目で八幡を見つめていた。

 

「……それって、またヒッキーがなんか、やるの?」

 

 結衣の背後で、雪乃も静かに立ち止まる。軽く伏せられた彼女の瞳にどのようなログが記録されているのか、八幡の電子頭脳をもってしても完全な解析は不可能だった。

 だが、それが八幡の身を案じてのことだというくらいは、理解できた。

 

「……心配しなくても、そういう『非常手段』を採用するのは本当に最後だ。もしそんな真似をする時は、ちゃんとお前たちに相談するよ」

 

 八幡の超電子頭脳内では、すでに対玉縄、対海浜総合用の論理武装が数十パターンもシミュレーションされていた。その中には、自分や他人を冷徹に『道具』として利用し、最短距離で目的を達成する機械的アルゴリズムも含まれている。

 しかし、その案に雪乃や結衣、そしていろはといった者たちが持つ『人間的な思考』を通さなければ、システムに血や熱量は伴わない。独善的な最適化は、時として周囲を壊すバグになる。八幡はここ最近の出来事から、それを「学習」していた。

 

(基本は報連相だ……。スタンドアロンのシステム構築ほど、非生産的なものはないからな)

「それに、これ以上ああいう上っ面の話し合いに付き合わされて、お前たちのリソースを無為に消費させるのもウンザリだしな。……それが、一番嫌なんだよ」

 

 その言葉に、雪乃がゆっくりと顔を上げた。

 八幡が、自分たちの能力や時間を大切に扱おうとしている。その隠しきれない不器用な誠実さが、彼女には何よりも心地よく響いた。

 雪乃の口元に、微かな、けれど確かな微笑みが浮かぶ。

 

「……そう。なら、あなたの好きにしたらいいわ」

 

 その声は常よりも柔らかで、澱みのない信頼がまっすぐに八幡へと届けられた。

「……うん、わかった!」

 

 結衣の顔からも不安の色が取り払われ、いつもの明るい表情が戻った。

 それきり、三人は何も言わずに外へと足を踏み出した。

 

 冬の海風が吹き抜けていく校舎の影。そこに差し込んだ斜陽は、網膜ディスプレイに表示される外気温よりも、ほんのわずかだけ暖かく感じられた。

 

 




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今日は後二話くらい投稿できるかもです
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