——エイトマン・リボーン—— 比企谷8幡は鋼鉄の夢を見るか   作:りかるど

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第七十三話:八幡の動揺

 

 年末年始の慌ただしさも、三が日が過ぎれば潮が引くようにすっかり消え失せる。

 こたつでごろごろしていたはずの両親は、仕事が始まると同時に、社畜としての普段の忙しなさを瞬時に取り戻していった。そして小町は、いよいよ目前に迫った受験に向けて、冗談抜きで「殺意の波動」に近い本気モードへと突入した。

 比企谷家のリビングで取り残されたのは、これといった予定もない八幡と、愛猫のカマクラ。そして、家庭用配膳ロボットのベラだけだった。

 八幡がリモコンでチャンネルを切り替えると、ベラの液晶ディスプレイに表示された大きな瞳が、嬉しそうに細められた。

 

「……ベラ、次の番組なんだっけ」

『……♪ 次は、プリキュアの再放送だニャ。お料理を、……じゃなくて、マッ缶の補充をお手伝いするニャ?』

 

 ベラは猫耳の部分をチカチカと青く光らせながら、狭いリビングを滑らかに移動する。マッ缶のプルタブを開ける音に合わせて、『おいしく召し上がれだニャン!』と、どこか聞き覚えのある接客フレーズを無邪気に垂れ流していた。

 そんな不毛なやり取りを交わしながら、新年の特番をザッピングしてはプリキュアを観る。そんな、堕落の極みとも言える素晴らしい松の内を過ごしていた。

だが、あまりに自堕落なオーラを放ちすぎると、隣の部屋から「お兄ちゃん、そこ代わって。……あ、お兄ちゃんじゃなくてカーくんね」という小町の冷徹な声(と物理的なプレッシャー)が飛んでくる。

 

「……道を開けるニャ、こまち様が通るニャ……」

 

 余計な忖度をしてスルスルと道を譲るベラを横目に、八幡は適当なところで自堕落生活を切り上げておいた。受験生のピリついた空気は、エイトマンの高性能センサーでも回避不能な一撃を繰り出してくるからな。

 ひねもすのたりのたりと、冬の陽だまりの中で微睡んでいるうちに、気づけば冬休みは音もなく終わりを迎えてしまった。

 今日からまた、戦場――もとい、学校が始まる。

 

 

──

 

 

 一月の凛とした冷気は、エイトマンとしての鋼鉄の身体を容赦なく冷却していく。

 一見、電子頭脳の冷却効率が上がって手間が省けるようにも思えるが、現実はそう甘くない。むしろ、気温が氷点下を下回る冬場こそ、精密機械の故障が最も頻発する魔の時期なのだ。

 まず、システムの始動が極端に滞る。オイルの粘度が上がったかのように、全身の関節部分をはじめとした駆動系の動きが鈍くなり、とっさの回避動作に対応できなくなる。無理に動かせばパーツ同士の摩耗を早め、致命的な金属疲労を招きかねない。そのため、日々の微細なパラメータ調整はもちろん、試運転によってボディを十分に「暖気」させる必要があるのだ。

 

「……充電完了だニャ! メンテナンスの時間だニャ!」

 

 リビングでは、朝から元気なベラが電子音を弾ませながら、八幡の周りをスルスルと周回していた。猫耳をチカチカと点滅させ、センサーで八幡の関節の固着具合をスキャンしているらしい。

 

「分かってるって……」

 

 八幡は重い腰を上げ、入念なボディパラメータのチェックを開始した。網膜に映し出されるホログラムの数値を一つずつ校正し、仕上げに「朝の体操」という名の試運転を敢行する。指先からつま先まで、眠っていたモーターに熱を馴染ませるように、ゆっくりと身体を温めていく。

 

 ゴキッ、バキッ……

 

 全身の関節から、およそ高校生のものとは思えない不穏な破砕音が響く。しかし、これがエイトマンにとっての正常な起動音だ。

 

「よし。……行くかぁ」

 

 全ての内部回路が安定したことを確認し、八幡はカバンを掴んだ。

 ベラの「いってらっしゃいだニャ! 足元に気をつけてニャン!」という見送りを受けながら、八幡は久しぶりの戦場――総武高校へと向かった。

 

 

──

 

 

 学校に着いた後は中庭を足早に進み、昇降口へ繋がる外階段へと向かった。

 道すがらちらと周囲を見渡してみたが、人影はまばらだ。始業時間までまだ余裕があるからか、あるいは受験を間近に控えた三年生が自由登校期間に入っているから、余計にそう感じるのかもしれない。

 

(来年の今頃は、クラスの連中も共通テスト直前でひいこら言ってるんだろうか……)

 

 そんな柄にもない想像が脳裏をよぎり、余裕ぶっこいている未来の自分を幻視してフッと自嘲気味に嗤った。

 と、その細められた視界の先で、ぴょこぴょこと上機嫌そうに跳ねるお団子髪を発見した。由比ヶ浜結衣だ。

 正門側から歩いてきていた結衣は、八幡の姿を捉えると、首元にふわりと巻いていたマフラーを引き下げ、唇をにこぱっと綻ばせた。

 

「あ、ヒッキー!」

 

 結衣は厚手のミトンがすっぽり嵌められた手を大きく振りながら、とててっとこちらへ向かって駆け出してくる。跳ねるように走るせいで、手にしていた紙袋ががさがさと派手に音を立てていた。

 八幡もわずかに頷きを返しつつ、歩調を合わせるように足を急がせる。結果、二人はほとんど同じタイミングで、昇降口へ繋がる大階段の前に辿り着いた。

 

「やっはろー!」

 

 由比ヶ浜がひらと手を振ると、しっかりと嵌めたミトンのぽんぽんが可愛らしく揺れる。八幡はそのぽんぽんに目を奪われた振りを装って、こそっと視線を逸らした。そして、もそもそとマフラーの中に言葉を埋めるように口を開く。

 

「……おお。おはようさん」

 

 ごくごく当たり前の挨拶を交わしただけだというのに、八幡の胸の奥は妙にこそばゆい。

 脳裏をよぎるのは、一月二日のプレゼント選びの日。陽乃から強制的に突きつけられ、自覚させられてしまった『由比ヶ浜結衣に対する感情』のログだった。

 

(……意識すると、なんか、気にしちまうよな……)

 

 結衣の独特な挨拶にも、もう随分と慣れ親しんだはずだ。今さらその明るさに照れたりはわはわしたりすることなんてない。ないのだが……。

 久しぶりに見るその制服姿が、冬休みの私服姿とはまた違う新鮮さを持って網膜に焼き付く。そんな自分を「気持ち悪い」と自己嫌悪しながらも、八幡は結衣があの日の買い物で選んでいたセーターを、ブレザーの下に着込んでいることに気づいてしまった。

 

「……似合うな、そのセーター」

 

 相変わらず、旧世代の出力装置が吐き出した言葉は、お世辞にも気が利いているとは言えない代物だった。

 

「へ?」

 

 案の定、結衣は理解が追いつかないといった様子で目をぱちくりとさせた。さらに「なんて?」と言わんばかりに、くてりと小首を傾げて無言で問い返してくる。

 

 八幡が居心地悪そうに視線をセーターの方へ向けると、ようやく察したのか、結衣は自分の胸元を指差した。

 

「あ、これ? でしょでしょ、いいでしょ!」

 

 由比ヶ浜は「へへ〜」と自慢げに胸を反らし、くいっとセーターの生地を摘み上げた。

 

 ……ちょっと目のやり場に困る。

 

 そんな八幡の気まずげな表情から何かを感じ取ったのか、結衣は「あ……」と小さく声を漏らすと、慌ててブレザーの前をこそっと掻き合わせ、恥ずかしそうに視線を落とした。

 そして、お団子髪をくしくしといじりながら、ぽしょりと呟く。

 

「……気づいてくれて、ありがとね」

「……あ、ああ」

 

 朝の冷え切った空気の中で、そこだけが異常な湿度を伴って停滞してしまった。

 二人にとっては、これまで地道に積み重ねてきた奉仕部としての交流の結果が、今の面映い関係性を形作っているに過ぎない。

 だが、この光景が周囲の目にどれほど「奇異」に、あるいは「親密」に映っているか。

 

 登校初日の二人は、まだ知る由もなかった。

 

 

──

 

 

 階段を上り切り、冬の冷たい空気が滞留する昇降口へと辿り着いた。

 上履きに履き替えるため、結衣が手に持っていた紙袋を丁寧に下ろす。その手つきが、割れ物を扱うようにやけに慎重で、大切そうなのが気にかかった。

 

「その紙袋……あれか、ケーキか?」

「あ、これ?」

 

 結衣は言われてはたと気づいたように、紙袋をすっと前に差し出すと、「おいでおいで」と俺を手招いた。

 いや、そんな手招きが必要なほどの距離でもないんだけどな……と思いつつ、八幡は吸い寄せられるように少しだけ距離を詰めた。

 結衣は、紙袋の取っ手をゆっくりと広げた。まるで秘密の宝石箱を隙間から覗き見るような、幼い少女のような手つきだ。

 紙袋の中には、清楚な白い箱が収まっていた。天面には丸い取っ手がついている。やはり、予想通りの代物だった。

 

「雪ノ下の誕生日ケーキか。なんか良さげなやつじゃん」

「そうそう。昨日、ママと買い物行っててさ。ついでに買ってきたの。なんか有名なところのらしいよ。るぱていし……なんとかって」

「ふーん……」

「ちょっと小さいかなって思ったんだけど、どう、かな?」

 

 結衣の不安げな問いに対し、八幡の網膜ディスプレイは、ケーキの標準的な体積と、結衣、雪乃、そして自分という三人の胃袋の許容範囲を瞬時にシミュレーションした。結果、極めて妥当であるという回答を弾き出す。

 

「三人ならこんなもんだろ。俺はマックスコーヒーも飲むしな」

「そうなんだけど、フルーツ入ってるからするするいけちゃうんだよ!」

 

 その口ぶりから察するに、彼女自身は昨日かなりの量を既に「試食」済みらしい。女子の複雑な食生活事情に首を突っ込むほど大層な身分ではないので、そこはあえて黙っておくことにした。

 嬉しそうにケーキの味を語る結衣を見ていると、なんだかこちらの頬まで緩みそうになる。一月の凍てつく校舎の中で、そこだけが春の陽だまりのような、穏やかな空気で満たされていた。

 他愛のない話をしながら廊下を歩き、やがて自分たちの教室が見えてきた、その時。

 

「ヒッキー」

 

 不意に、結衣に呼び止められた。

 振り返ると、結衣は胸の前で小さく手を振っていた。

 そして、周囲をちらりと見渡し、誰もいないことを確認すると、その手をそっと自分の口元へ添えた。

 

「……また後でね」

 

 ぽしょぽしょと、誰の鼓膜にも届かないような密やかな声。囁くように落とされたその言葉は、どこか睦言めいた「二人だけの秘密」のようで、八幡は思わず呆気に取られてしまった。

 満足げに微笑む結衣の姿に、またしても一秒、いや二秒。

 

 八幡は完全に目を奪われていた。

 

 

──

 

 

 冬休み明けの教室は、特有のざわざわとした熱を孕んだ雰囲気に包まれていた。

 久しぶり、あけおめ、といった定型句が飛び交う中、今朝がた配られた文理選択と進路希望の提出書類の話題は、面倒な現実を遠ざけるように早々に霧散していった。

 その騒々しさは放課後になっても衰えない。教室には多くの生徒が残り、中でも一際目立つのは、葉山隼人と三浦優美子を中心とするいつものグループだった。

 戸部、大岡、大和の三馬鹿が相変わらずのバカ話を続け、葉山は窓際の席で頬杖をついて外を眺めている。三浦優美子は気だるげに金髪を指先でくるくると巻きながら、時折、騒がしい連中を鬱陶しそうに一瞥していた。

 大岡が何かを思い出したようにわざとらしく咳払いをすると、あー、と葉山に話しかけた。

 

「つーかさ、隼人くん。雪ノ下さんと付き合ってるって、それマジ?」

「は?」

 

 三浦をはじめ、その場にいた全員が呆けたように口を開けた。

 ──八幡は一瞬で大岡の言葉を解析し、根も葉もないゴシップであることを断定する。だが、予想外の角度から放り投げられた泥の混じったボールに、教室の時間は止まった。

 

「はああああああ!?」

 

 ガタガタっと椅子を鳴らして三浦が立ち上がる。その怒号に、お喋りしていた他のクラスメイトたちも一斉に視線を向けた。教室中が、水を打ったような不気味な静寂に包まれる。

 静寂の中心にいる葉山隼人は、物音一つ立てず、ただわずかに眉をひそめるだけだった。ほんの数ミリの眉根の動き。だというのに、その微かな変化だけで、葉山は己の感情を雄弁に伝えてみせる。

 猜疑、憤懣、焦燥、落胆。

 普段の爽やかさは掻き消え、細められた瞳の奥からは仄暗い何かが溢れ出していた。

 

「いやいや! それはないって絶対!」

 

 空気が一変したことを敏感に感じ取って、結衣がすぐさまフォローに入った。海老名も「だよねー」とにこにこ賛同する。

 二人がおちゃらけて混ぜっ返したおかげで、張り詰めていた空気はゆるりとほどけ、三浦を除いた一同にほんのりとした笑みが戻ってきた。

 和やかなムードになると、それを見越したかのように大和が重々しい声で続けた。

 

「そうだよなぁ。ないよなぁ……。まあ、俺が聞いたのは別の話なんだが……」

 

 図体の割に影の薄い大和が、じっと結衣を見る。その視線につられるように、三浦たちの視線も結衣へと集まった。

 

「へ? あ、あたし?」

 

 結衣が自分を指差してきょとんとする。

 微妙な空気が、グループの間に漂う。だが、その話に誰よりも反応していたのは……。

 

(……由比ヶ浜が、葉山と?)

 

 八幡は、頭を鈍器で殴られたかのような衝撃を覚えた。

 ……話は変わるが、八幡は、雪ノ下雪乃に対してある種の絶対的な信頼を置いていた。

 それは、彼女の交友関係の清潔さについてだ。異性に憧れや崇拝こそされど、雪乃が安易に誰かと「付き合う」などという事態は、論理的にありえない。その確信があるからこそ、先ほどの葉山とのゴシップにも動揺はしなかった。

 

 しかし、由比ヶ浜結衣の場合は違った。

 

 結衣は、その社交的な性格ゆえに男子からの人気が地味に高い。以前、他クラスの男子から熱烈に話しかけられている場面に遭遇したこともある。

 だからだろうか。八幡は、エイトマンの高性能なシミュレーション機能を回すまでもなく、容易に想像できてしまった。

 

『由比ヶ浜結衣が葉山と付き合う』という可能性を。

 

(……なんで、俺は……)

 

 ──こんなに心がざわつくのか。

 明らかに、そんな未来は「嫌だ」と、回路が拒絶反応を起こしている。

 

「ゆ、結衣……? へ? え?」

 

 三浦は信じられないものを見るように口をパクパクさせ、結衣と葉山を交互に見ている。

 

「ないないないない! 絶対ないから! ほんとにない! 隼人くんはマジでない!」

 

 結衣が両手をぶんぶん大きく振り、必死の形相で否定する。すると、葉山がふっと冗談めかした苦笑を浮かべた。

 

「そこまで力強く否定されるのも、少し微妙な気分だな」

「あ、ごめっ! や、そういう意味じゃなくて! でも、あの、ほんっとにないから!」

 

 からかい交じりの言葉に律儀に謝る結衣。次第に声のトーンは落ち、お団子髪をくしくしと撫でながら、床へ視線を落とした。

 

「……だ、だって。あ、あたし、全然違うし……」

 

 ほんのり色づいた横顔。その恥じらうような仕草は、八幡の胸をさらに締め付ける。

 しかし、八幡の安堵にも似た羞恥心は、大岡の無遠慮な追撃によって一気に粉砕された。

 

「俺が聞いたのは違う話だったな〜。結衣はなんかあれだろ? えーと、ヒキタニくんと付き合ってるって聞いたぜ」

 

 その瞬間、教室の空気が絶対零度まで凍りついた。

 

 結衣は呆気に取られたまま、口をぽかんと開けて静止している。

 三浦も、海老名さんも、時が止まったかのように愕然としていた。

 葉山は一瞬目を見開いた後、その視線を教室の隅、影の薄い「彼」の方へと向けた。

 

 そして──。

 

 グシャッッ!!

 

 凄まじい金属の断末魔が響いた。

 八幡は無意識のうちに、手に弄んでいたマックスコーヒーの空き缶を押し潰していた。

 エイトマンの出力制御が完全に外れた握力によって、スチール缶はもはや小石サイズまで圧縮され、原型を留めぬ鉄の礫と化していた。

 

 その小さな塊が、八幡の手から滑り落ち、コロコロと乾いた音を立てて床を転がった。

 

 静寂の中、クラス全員の「好奇」と「嫌悪」を孕んだ視線が、一斉に比企谷八幡へと集中したのを、彼は冷徹に理解した。

 

 

 ──由比ヶ浜結衣の、何かに縋るような視線が、彼の心に突き刺さるように苛んだ。

 

 




今日はここまでです
また来週末お会いしましょう。
ありがとうございました!
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