——エイトマン・リボーン—— 比企谷8幡は鋼鉄の夢を見るか 作:りかるど
続きを書いていきます
同原作者の幻魔大戦みたいになってきたけど、超能力はエイトマン本編でも普通に出てきます。
「くぁ……」
鞄を肩に掛けながら、沙希は大きな欠伸を一つ漏らした。昨晩、遅くまで机に向かっていたせいで、目の奥がしぱしぱと熱を帯びている。
弟の大志が受験目前ということもあり、家の中には特有の緊張感が漂っていた。弟を鼓舞するつもりで自分もつい勉強に熱が入ってしまったが、おかげで今朝は寝坊寸前だ。遅刻こそ免れたが、この時期に内申点に響くような真似はしたくない。
廊下を歩きながら、ふと沙希はあいつの妹のことを思い出した。大志が熱を上げている、八重歯とアホ毛が特徴的な「ちんちくりん」な後輩。そして、その兄。
(……比企谷)
腐った目をした、やる気のないあの少年の顔が浮かぶ。最近はクラスでもうざったい噂の渦中にあり、由比ヶ浜と付き合っているだのなんだのと騒がれていた。
(付き合ってるって、本当なのかね……)
噂をそのまま鵜呑みにするほど沙希は単純ではない。だが、比企谷が由比ヶ浜を大切に思っていることくらいは、見ていれば理解できた。
けれど、あいつが本当に、魂の深い部分で大切にしているのは――。
脳裏をよぎるのは、美しい黒髪をなびかせ、凛とした空気を纏った少女の姿。
普段は死んだ魚のような目をしている比企谷が、彼女が関係する時にだけ見せる、あの凄絶なまでの鋭さ。生徒会選挙の際に彼が見せた、鬼神のごとき働きぶりは今も記憶に新しい。
あの冷徹さと情熱が同居した瞳は、思わず息を呑むほどに美しかった。
そう思わせる程度には、自分もあの少年を注視してしまっていることを、沙希は自覚していた。
(……まぁ、あいつならぶつぶつ文句を言いながら、今回もなんとかしちまうんだろうけど)
そう考えると、少しだけ気分が晴れた。
教室のドアノブに手をかけた。その瞬間、耳を裂くような、何かが激しく破砕する音を聞くまでは。
「えっ……?」
ドアを開いた目の前に飛び込んできたのは、沙希の理解を根底から覆す異様な光景だった。
静まり返った教室。そこには、糸の切れた人形のように机に伏し、あるいは床に無造作に倒れ伏したクラスメイトたちの姿があった。
壁際の窓ガラスは蜘蛛の巣状にひび割れ、一部の砕け散った穴からは、突き刺さるような冬の冷気が室内に流れ込んでいる。
そして、その惨劇の中心。
異様な威圧感を全身から放つ由比ヶ浜結衣と、膝を突き、肩で荒い息を吐きながら、これ以上なく深刻な眼差しで彼女を凝視する比企谷八幡の姿があった。
一体、何が起きているのか。
沙希が思考を紡ぐよりも早く、八幡が動いた。彼は頭を抱えたまま、迷うことなく割れた窓から外へと飛び出した。二階から、なんの躊躇もなく。
「比企谷……っ!?」
絶句する沙希。だが、驚愕はそれで終わりではなかった。
八幡を追うように動いた由比ヶ浜結衣の姿が、まるで陽炎か、あるいは煙のように、その場から掻き消えたのだ。
「……は? 由比ヶ浜……消え……っ」
沙希の手から、鞄が重い音を立てて床に落ちた。
あまりにも現実からかけ離れた、物理法則を無視した一連の光景。沙希は目を見開いたまま、金縛りにあったようにその場に固まった。
「なんだ、今日はやけに静かだな。……川崎、どうした?」
直後、背後から扉が開く音と共に、聞き慣れたハスキーな声が響いた。担任の平塚静だった。
「──っ!? なんだ、これは……!」
教室内の一歩踏み込んだ瞬間、平塚の全身に戦慄が走った。倒れ伏す生徒たち、砕けたガラス、そして部屋に充満する異様な「重圧」。彼女は即座に出席簿を投げ捨て、唯一立ち尽くしている沙希の肩を掴んだ。
「川崎、何があった! 説明しろ!」
「せ、先生……比企谷が、窓から……! 由比ヶ浜も……」
沙希の震える声に、平塚は息を呑んだ。まさか、という最悪の想定を振り切るように、彼女は割れた窓枠へと駆け寄り、校庭を見下ろした。
校庭の中央。雪の残る寒々しい風景の中に、対峙する二人の教え子の姿があった。
「これは……一体、何の冗談だ……」
平塚の肌が粟立つ。長年、多くの修羅場を潜り抜けてきた彼女の勘が、最大級の警鐘を鳴らしていた。八幡と結衣、二人の間に流れる空気は、もはや学生同士の喧嘩などという生易しいものではない。それは一触即発の戦場、あるいは、何かが決定的に壊れる瞬間の、凄絶な「静寂」だった。
「先生……比企谷たちは……」
後ろから届く沙希の不安げな声。平塚は教え子を守るべく、鋭い口調で指示を飛ばした。
「川崎! すぐにここから離れろ。他の教室の教師を呼び、保健室に連絡しろ。クラスの連中を全員、ここから避難させるんだ!」
「わ、わかりました……っ!」
沙希が混乱を抱えたまま廊下へ走り出すのを見届け、平塚は再び校庭へ視線を戻した。
「私は警察に……いや、それだけじゃ済まないか。あの二人は、一体何を──」
平塚が携帯を取り出そうとした、その瞬間。
大気を引き裂くような凄まじい衝撃波と、鼓膜を震わせる轟音が学校全体に鳴り響いた。
──
態勢を立て直すべく二階の窓から飛び出した八幡だったが、雪の残る土を踏みしめ、着地した瞬間に信じられない光景を目の当たりにした。
目の前の空間が、まるで水面に落ちた一滴の雫のように揺らぎ、そこから何事もなかったかのように結衣が姿を現した。
「逃がさないよ、ヒッキー」
──
「……驚いたな。おまえ、なんでもありかよ」
思わず引き攣った声が漏れた。空想の中の産物でしかないはずの超能力。それを目の当たりにし、八幡の電子頭脳は結衣という存在の脅威レベルを再定義する。
「うん、なんでもありなの」
結衣は残酷なほど無邪気に両手を広げた。
「この力で、世界中をあたしの思うがままに変えちゃうの。ヒッキーとの関係も、ゆきのんのことも、今よりもっといいものに変えられるんだよ?」
冬の寒空の下、結衣の声だけが楽しげに歌うように響く。
「ヒッキーは、そうだね。……事故で身体が動かなくなっちゃって、それをあたしが一生懸命手当てする、って感じにしちゃおうかな。大丈夫、あたしが動けないヒッキーのこと、いっぱい気持ちよくしてあげるから」
「お断りだ。つーか、発想が怖すぎるんだよ。……ヤンデレなんて今時流行らねぇぞ」
「やんでれ? よくわかんないけど……」
結衣が八幡に向けて、そっと右の手のひらをかざした。
「あまり動かない方がいいよ。……ミスると、たぶん痛いから」
その掌に、物理法則を無視した膨大な「力」が収束していくのを、八幡のセンサーははっきりと捉えた。校庭の砂が、重力を失ったかのように浮き上がり、彼女を中心に渦を巻き始める。
結衣の掌に渦巻く力の奔流。エイトマンの電子頭脳は、それが空間そのものを物理的に圧壊させる極大の質量攻撃であることを瞬時に演算した。
(……今のままの、比企谷八幡の身体じゃ、一秒も保たねえ)
八幡は覚悟を決める。日常という名の、脆くも愛おしい殻を、自らの手で脱ぎ捨てる覚悟を。
結衣が掌をギュッと握りしめると同時に、八幡の周囲の空間が、目に見えるほどの歪みを見せながらひしゃげた。
──
その不可視の圧力は、中心にいる八幡の四肢を容易くへし折り、文字通りバラバラの肉塊へと粉砕する……。
そう思われた瞬間、八幡の姿が、物理法則を置き去りにした残像だけを残して、結界の圏内から掻き消えた。
「──あっ」
結衣が小さく驚きの声を上げる。彼女の思念が、瞬時に向かいの校舎の屋上に『それ』を感知した。
そこに立っていたのは、もはや比企谷八幡ではなかった。
超高速移動に伴う激しい排熱を各所のスリットから噴き出し、冬の朝日を浴びて黒く鈍い光沢を放つ超金属、ハイマンガン・スチールの外殻に覆われた異形の姿。
鋼鉄の戦士、エイトマンが、そこにいた。
「エイトマン!」
結衣が、花が綻ぶような満面の笑みで声を上げた。それは、ずっと待ち望んでいた宝物を見つけ出した子どものような、純粋で無垢な喜びだった。
「……」
「ヒッキー、やっとエイトマンになったね! やっぱそっちの方がかっこいいし!」
きゃっきゃとはしゃぐ結衣。
エイトマンのレンズ状の視覚センサーが、結衣の表情を冷徹に分析する。だが、その内部にある比企谷八幡の意識は、底知れない戦慄に支配されていた。
やはり、彼女はすべてを知っていたのだ。
比企谷八幡が、死の淵から蘇ったロボットであることも。
その内に、冷たい鋼鉄の心臓を宿していることも。
「エイトマンだと……」
窓際で立ち尽くす平塚静は、次々と上書きされる異常な現実に、パニックを起こしそうになる思考を必死で制御していた。
突如として覚醒した由比ヶ浜結衣の、理を無視した異能。そして、比企谷八幡が消えたと思った刹那、結衣の視線の先に現れた存在。自分はそれを直接目にするのは初めてだったが、千葉の街に流れるその噂は以前から知っていた。
──エイトマン。
都市伝説として語られる鋼鉄の救世主が、朝の陽光を反射して校舎の屋上に立っている。そして何より、平塚を驚愕させたのは、結衣が放った無邪気な言葉だった。
(……アレが、比企谷だと?)
「エイトマン……っ!?」
いつの間にか平塚の隣にいた沙希が、悲鳴に近い声を上げた。
「そんな、アイツ……なんで、なんであんな……っ」
沙希の狼狽ぶりは、これまでのクールな彼女からは想像もつかないほどだった。沙希が過去に何度もエイトマンと接触し、窮地を救われてきたことは平塚も把握している。だからこそ、彼女がこの現実を受け入れられず、激しく動揺するのも無理はなかった。
比企谷八幡の正体が、あの鋼鉄の戦士エイトマンであったという衝撃。
二人がその事実をようやく飲み込み、思考が繋がろうとしたその時、平塚は背筋が凍りつくような殺気を感じ取った。
「──川崎、下がれ!」
反射的に叫ぶ平塚。その視線の先、校庭に浮かぶ結衣が、喜びの表情を霧散させ、氷のような冷徹さで川崎沙希を睨みつけていた。
──
川崎沙希にとって、エイトマンとは千葉の街に現れる非現実的なヒーローであり、同時にヒーローらしからぬ親しみやすさを備えた奇妙な存在だった。
過去に何度もエイトマンに助けられ、彼女は気づいていた。彼がただの機械ではないこと。その鋼鉄の装甲の下に、どこか捻くれた、けれど温かい人間臭さを隠し持っていることを。
そしてその姿が、いつも教室の隅で不機嫌そうに頬杖をついている、あの腐った目のアイツと重なることに。
その奇妙な違和感を抱えたまま、答えを曖昧にしたまま過ごしてきた。
だが、正解はあまりにも単純だったのだ。
──最初から、同じだったから。
自分を闇から救い出し、ぶっきらぼうに背中を押してくれた鋼の戦士と。
「面倒くせぇ」と零しながらも、最後には誰かのために泥を被るクラスメイトが。
「……アイツが。比企谷が、エイトマン……」
もはや疑う余地などなかった。
鋼鉄のシルエットと比企谷八幡の残像が、沙希の中でぴたりと重なり、一つの真実となる。
同時に、記憶の蓋がこじ開けられた。
あの夏の日、九十九里浜の熱い砂の上。ケン・ヴァレリーとの死闘を終えたエイトマンと交わした、別れ際の口づけ。
唇に残った、硬質で、けれど確かな熱を帯びていた鋼鉄の感触。
(……っ! なんで今、あんなこと!)
非常時だというのに、頬に熱が昇るのを感じて沙希は慌てて首を振った。
だが、彼女が過去の熱に一瞬だけ意識を向けたその時、周囲の空気が一変した。
全身の産毛が逆立つような、身を引き裂くほどの凄まじい殺気が、沙希を襲った。
校庭に佇む由比ヶ浜結衣が、真っ直ぐに沙希を見据えていた。
その瞳と合った瞬間、沙希は本能で確信する。
──『殺される』。
「あ──」
結衣の掌が沙希に向けられるのと、空気がぐしゃりと嫌な音を立てて圧縮されるのは同時だった。
死を覚悟し、沙希が目を閉じた瞬間。
身体がふわりと浮き、猛烈な加速に視界が白く染まった。
気づけば、自分はあの鈍い輝きを放つ鋼鉄の腕に、しっかりと抱きかかえられていた。
まただ。また、自分はアイツに助けられた。
そして同時に、沙希は重い事実を突きつけられる。
由比ヶ浜結衣は今、明確な意思を持って、自分を『消そう』としたのだ。
──
エイトマンは、結衣の微かな、だが致命的な変化を逃さなかった。
自分が姿を現したことに無邪気な歓喜を見せていた結衣の顔から、一瞬にして表情が抜け落ちる。その視線が校舎の窓際に立つ沙希を捉えた瞬間、計測回路が弾き出す殺意のグラフは、限界値を突破して赤く点滅した。
「……ふーん。そういうことなんだ」
結衣の声は、もはや人の情緒を介さない無機質な響きへと変質していた。その瞳に宿る『消去』の意志を認めた瞬間、エイトマンの各部神経回路が火を噴く。
超高速移動を開始。
ひしゃげる空気の壁を突き破り、エイトマンは窓枠に居る沙希と平塚を抱え上げると、コンマ数秒の猶予もなくその場を離脱した。二人を校庭の隅へ着地させた直後、先ほどまで彼女たちが立っていた窓枠と壁が、目に見えない巨大な不可視の拳に打ち抜かれたかのように、グシャリと音を立てて粉砕された。
──確実に、殺しにきていた。
「ここは……!?」
「──えっ、あっ。……ア、アンタ……比企谷なの、本当に……っ」
「川崎沙希、ちょっと黙ってろ。……動くなよ」
混乱する平塚と、縋るように問いかけてくる沙希を、エイトマンは硬質な金属音を伴う声で制した。
宙を舞い、ゆっくりと地上へ降り立つ結衣。彼女の瞳は、いまだ異常なまでの殺意を帯びて沙希を射抜いている。
「……あーあ、はずしちゃった。ヒッキー、そんなにそれが大事?」
「今のはシャレになってねぇな、由比ヶ浜。……やりすぎだ」
「うん。だって、殺そうとしたし? 当たり前だよね? ……ヒッキーにあんなことするんだから」
結衣には全てが見えていた。覚醒した超感覚、
自分だけのものだったはずのヒッキーを、汚した女。
テレパシーでそれを感知した瞬間、ドス黒い憎悪の炎が結衣の内側で爆発した。生かしてはおけない。彼に近づく不純物は、一粒残らずこの世界から消し去らねばならない。
「沙希ちゃんは、あたしの世界にはいらない。──ぐしゃぐしゃにしてあげる」
結衣の周囲の空間が、彼女の嫉妬を具現化するように歪に、醜く捻じ曲がっていく。
エイトマンは震える沙希を背後に庇い、鋼鉄の立ちはだかる壁となって結衣を正面から見据えた。
「そんな事はさせない。……おまえに、これ以上取り返しのつかない事はやらせない」
壊れゆく日常。かつての親友。
それでもエイトマンは、比企谷八幡は、守るべきもののためにその拳を握りしめた。それが、彼というシステムの根幹に刻まれた、最大のプロトコルなのだから。
「ねえ、ヒッキー? そこどいてよ。それ、消せないから」
結衣がにっこりと、花が綻ぶような笑みを浮かべた。だが、その瞳の奥に渦巻くのは、親愛の情など微塵も感じられない、どす黒く燃え盛る殺意の炎だ。
純粋な、あまりに純粋な悪意。
それまでの結衣を知る八幡には、到底想像もできないほど凄絶な変貌だった。彼女は完全に、人の世を呪い、理をねじ曲げる魔女と成り果ててしまったのか。
「退くわけないだろ。……いい加減目を覚ませ、由比ヶ浜。これ以上は、本当に取り返しがつかなくなるぞ」
エイトマンの声が、増幅された電子音として冷たく響く。
「……ヒッキーは優しいね。そうやって人を守って、戦って。でも、それがヒッキーの幸せ?」
一瞬、結衣の目に理性ともいうべき、どこか寂しげな光が戻る。
「そんなことしても、ヒッキーは幸せになんてなれないよ? だって、ヒッキーは人間じゃないんだから」
機械に、人間の幸せなどあり得ない──。
彼女の放つ言葉は、八幡が心の奥底に封じ込めていた最大の禁忌を、容赦なく抉り出した。
「でも、あたしはちがう! あたしだけは、ヒッキーのことをわかってあげられる! そばに居てあげられるの! 今のあたしなら、ヒッキーを幸せにできる!」
再び異常な輝きに満ちた目で、結衣は興奮気味に語り続ける。
「ゆきのんでも、そこで震えている沙希ちゃんでもない、あたしだけ! ヒッキーと一緒に戦えるし、理解することができるんだよ?」
「由比ヶ浜……」
沙希を庇うように寄り添っていた平塚が、悲痛な声を漏らした。教え子の抱いている、底知れない闇。日頃から「自分には何もない」と周囲に合わせて生きてきた少女の、歪んだ選民意識と劣等感の果てを、彼女は目の当たりにしていた。
「おまえだけが俺をわかっている……か。同じ怪物として、か?」
結衣の狂信的な言葉を受け、エイトマンが静かに呟いた。
「やっぱり、今のおまえは正気じゃないな。……きっと、いつものおまえなら、俺のことを知ったところで怪物扱いなんてしねぇよ」
鋼鉄のレンズが、結衣を真っ向から睨み据える。
「それに、俺の幸せなんてもんは、俺自身が決めることだ。いくらおまえでも、勝手に決めつけられるとムカつくんだよ。……人を勝手に不幸扱いしてんじゃねぇよ、ばーか」
エイトマンの顔のままで、八幡は皮肉げに笑ってみせた。
「おまえの思い通りになんて、させてたまるか!」
その瞬間、結衣の周囲に複数のエイトマンが掻き消えるような速度で現れた。超高速移動による残像分身『シャドームーブ』。結衣の意識を物理的に刈り取らんとする、一斉攻撃。
(頭を冷やしてやる。……大人しくしろ!)
背後から迫る、鋼鉄の手刀。だが、結衣は口の端をわずかに吊り上げた。
「やだよ。おとなしくなんて、してやらないんだから」
結衣を中心に空間が激しく波打ち、殺到したエイトマンの残像を無造作に弾き飛ばした。
「何っ!?」
消えゆく分身たちの中で、本体のエイトマンが驚愕の声を上げた。結衣が展開した不可視の壁――その性質に、忌まわしい既視感を覚えたからだ。
(由比ヶ浜の周囲の力場が揺らいでいる。これは……フォース・フィールドか!?)
物理干渉を根底から拒絶する絶対結界。かつて死闘を繰り広げた量子コンピュータ、超人サイバーが使用したあの絶対防御だ。あらゆる質量攻撃、エネルギー攻撃を無効化するその力に、エイトマンもかつて煮え湯を飲まされた記憶がある。
「そう。あたしを傷つけることなんて、誰にもできない。……おとなしくするのは、そっちなんじゃないの?」
結衣が白く細い指をエイトマンに向ける。再び来るであろう念動力を予感し、八幡は回避機動のシークエンスを組み上げるが……。
(……待て、これは熱反応? 違う、サイコキネシスじゃない!)
結衣の指先から発せられた熱が、大気そのものを焦がしながら燃え盛る火炎へと変貌し、意思を持つ蛇のようにうねり始めた。
無から生み出され、物理法則を嘲笑うかのように膨張する劫火。
「ヒッキーが邪魔するって言うなら……まずはヒッキーから黙らせちゃおっか」
蛇のごとき炎が、逃げ場を塞ぐようにエイトマンへ襲いかかる。
「ヒッキーってたしか、熱いのに弱いんだよね? どこまで耐えられるかなぁ?」
「ちっ……!」
くすくすと鈴を転がすように笑う結衣。エイトマンにとって、高熱は内部回路のハンダを溶かし、電子頭脳を狂わせる最大の弱点だ。しかもこの火炎、ただの炎ではない。エイトマンの動きに呼応し、どこまでも追尾し続ける。
(どーなってやがる……! 可燃性物質もねぇのに燃え続けてるなんてあり得るのか!?)
酸素と熱、そして彼女の意志だけで維持される不滅の火。
『エイトマン、彼女のパイロキネシスは熱力学第二法則を完全に無視している。そのまま避け続けても、エネルギーが減衰することはおそらく無いだろう』
脳内に響く谷博士の冷静な、しかし絶望的な解析結果。
「マジかよ……っ!」
熱力学第二法則の無視。すなわち、エネルギーが拡散せず、エントロピーが増大することもない。それどころか、彼女が放つ熱は時間経過とともにますます強まり、純化していく。
これは、有限のエネルギーで動く機械(マシナリー)が、決して到達できない『無限』の証明だった。
『完全防御』に『無尽蔵のエネルギー』。まさに完全無欠の『超越者』と化した彼女を前に、エイトマンは電子頭脳をフル回転させ、万に一つ、億に一つの勝機を求めて演算を繰り返した。
──
『アルフ博士。監視衛星、及び学園内ポイント09から14、全センサーの同期完了。観察対象がEighth(エイトマン)と交戦を開始しました』
無機質なシステム音声が、冷たく静まり返った暗室に響く。
青白いディスプレイの光が浮かび上がらせたのは、大人と呼ぶにはあまりに若々しく、それでいて底知れない老成を感じさせる少年の横顔だった。
「ようやくか。やれやれ、このまま退屈な学生生活を見せられるかと思っていたが、やっと動き出したか」
アルフと呼ばれた少年は、椅子の背もたれに深く体重を預け、つまらなそうにため息を吐いた。
「それにしても、君の作った『エスパー』の実験台にエイトマンを選ぶなんて……。大江くんが知ったら、顔を真っ赤にして怒るんじゃないかな?」
アルフの視線が、闇に溶け込んでいるもう一人の存在に向けられる。
ソフィア。彼女はディスプレイに映る、紅く瞳を輝かせ、無限の熱を放つ由比ヶ浜結衣の姿を、愛おしげに見つめていた。
「構わないわ。大江くんには悪いけど、発達したあの子の能力を試すには、並のロボットじゃデータにならないのよ。あの子を壊して、魔女として再構築(リビルド)したのは私。誰にも、彼にさえも止める権利はないわ」
「はは、怖いね。……まあ、そこまで言うなら君に任せるよ、ソフィア」
アルフが肩をすくめる。
かつてクリスマスの聖夜。由比ヶ浜結衣という少女を拉致し、その精神と肉体を徹底的に破壊、その深層に眠っていた「欲求」を強制的に覚醒させた張本人が、ディスプレイに映る実験対象を興味深げに観察していた。
「でも、純粋なデータ収集なら、僕が作った『アレ』でも問題なかったんじゃないかな?」
「冗談でしょ? アルフ。あなたの『アレ』を放り込んだら、相手が誰であっても十秒も持たないわ。ただの瞬殺よ。それじゃ、あの子の『自我の変容』が観察できないじゃない」
ソフィアの呆れたような指摘に、アルフは「クックッ……」と喉を鳴らして笑った。
「失礼。どうも自慢したがりな癖があってね。……これでは君のことをとやかく言えないか」
暗室の中で、二人の少年少女の笑い声が重なり合う。
校庭で必死に抗うエイトマンと、狂気に落ちた結衣。その二人が激突する背後で蠢く巨大な影が、不気味に、そして確実に世界を包み込もうとしていた。
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