——エイトマン・リボーン—— 比企谷8幡は鋼鉄の夢を見るか   作:りかるど

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第八十二話:破壊の天使

 

電子システムの複雑化・組織化の果てに、それが生命実体を宿す容器足り得る段階に達した時、生命と非生命を区別する旧来の定義は意味を失う。

この生命を“Machinery”と呼称してはいるが、人工物であるか自然物であるかに意味はないのかもしれない。

我々は人類自身が何処から来たのかすら未だ知らない。あるいは鏡に映した自分自身の顔にemethの字を見る日があるやもしれぬのだ。

 

──H.T.ヴァレリー「マシナリー」(1978)より

 

 大学在籍中に読んだとある論文の内容を、平塚は唐突に思い出していた。

 目の前で、まとわりつく極大の炎を必死で振り払う鋼鉄の存在。それは、その論文に記された生命と非生命を超越した存在──「マシナリー」そのものだった。

 そして、それが自身の教え子であるという事実が、平塚の思考を支配する。

 まさか、あの比企谷八幡がそうであるとは、夢にも思わなかった。

 

(いつからだ……。初めて会った時からか? それとも、もっと以前からなのか?)

 

 だが、彼の正体が知れた今、それまで彼に抱いていた不可解な感覚のすべてに合点がいく。

 高校生離れした異常なまでの情報処理能力。致命的な危機の際に見せる、生命の枠を超えた回避能力。そして、警視庁捜査一課との不自然なまでの関わり。

 その全てが、ロボット……いや、あの論文の定義に従えば「マシナリー」と呼ぶべきか。彼がそれであることに起因していたのだ。

 比企谷八幡は、人間ではない。

 その冷徹な事実を突きつけられながらも、平塚の心にあるのは拒絶ではなく、教え子を救わねばならないという焦燥だった。

 

(警視庁……そうだ、田中課長に……!)

 

 以前のマルウェア騒動の際、比企谷が世話になった警視庁捜査一課長。比企谷の身元を引き受ける際、万が一の事態が起きた時のための緊急連絡先を渡されていたことを思い出す。

 平塚は震える手でスマホを取り出し、迷うことなくその番号をタップした。日常が、音を立てて崩壊していくのを感じながら。

 

 パイロキネシスの猛攻を避け続けるエイトマンは、徐々に焦りを募らせていた。電子頭脳の稼働時間が、外部からの容赦ない高熱によって通常よりも著しく短縮されている。このまま長時間戦い続けていては、システムが融解し、再起動不能に陥ることは明らかだった。

 

「アハハハ!! ヒッキーさっきから逃げてばっかりだけど、やる気あるの!?」

 

 結衣の狂笑が鳴り響く。時間が経てば経つほど、彼女の力は増幅され、より強力に、より鋭利に変容しているようだった。

 不意に、結衣が右手で目の前の空間を掻きむしるように『薙いだ』。

 センサーですら捕捉できない『衝撃』が来ることを、エイトマンの電子頭脳は瞬時に判断する。その場を飛び退くと同時に、直前まで立っていた地面ごと空間が爆ぜ、巨大なクレーターが穿たれた。

 

(さっきよりサイコキネシスの威力が上がってやがる……。一撃でも喰らったら、そこでゲームオーバーだぞ)

 

 エイトマンは超高速移動を維持しながら、死に物狂いで演算を続ける。結衣の繰り出すパイロキネシス、サイコキネシス、そしてそれを潜り抜けた先にある鉄壁のフォース・フィールド。これらをすべて攻略しない限り、どう考えても勝ちの目はなかった。何より、結衣を殺すことだけは選択肢にない。

 

(正攻法じゃどう頑張っても詰んでるな。まいったぜ。クソゲーどころか、とんでもない死にゲーをやらされてる気分だ)

 

 そこまで考えて、エイトマン……八幡は、鉄の仮面の下でフッと笑った。

 正攻法なんて、それこそ自分らしくもない。

 どれほど汚くても、姑息であろうとも、泥を啜ってでも勝ちの目を見つけるのが比企谷八幡という男の流儀だ。正面から太刀打ちできない相手だろうと、必ずどこかに隙はある。いや──。

 

(見つけてやるさ。おまえを止めるためなら、なんだってやってやる……!)

 

 結衣の火炎を潜り抜け、目の前に不可視の魔の手が迫る瞬間。エイトマンはあえて、その加速を『停止した』。

 

「えっ?」

 

 結衣は、突然目の前で起きた光景に思考を一時停止させた。本来ならば避け続けて当然の不可視の力が、無防備に足を止めたエイトマンの左腕を完全に捕捉し、引きちぎる。それがあまりにも呆気なく成し遂げられてしまったからだ。

 

「ぐっっ……!!」

 

 エイトマンが激痛に顔を歪める。それが単なる演技ではないことは、噴き出す火花とひしゃげた装甲を見れば明らかだった。熱による機能低下が限界に達していたのか、あるいは文字通り肉を切らせて骨を断つ覚悟なのか。

 結衣は確かに神のごとき凄まじい能力を手に入れたが、その頭脳はあくまで一般的な女子高生の範疇を抜け出ていない。何より、圧倒的に戦闘経験が不足している彼女にとって、この異常な状況を瞬時に裏読みしろというのは酷な話だった。

 

「あは、あはは! つかまえた。ヒッキー、もう離さないよ?」

 

 結衣は勝利を確信し、エイトマンの全身をサイコキネシスで雁字搦めにする。空中で固定され、静止を余儀なくされるエイトマン。もはや加速装置も意味を成さず、脱出は絶望的に思えた。

 

「比企谷……!!」

 

 階下から、沙希の悲痛な叫びが響く。

 

「あれー? 沙希ちゃんまだいたの? さっさと逃げれば、もう少しだけ生きてる時間が延びたのに」

「由比ヶ浜!! アンタ、いい加減にしなよ!?」

 

 沙希は自らの危険を省みず、空中の結衣へ向かって怒号を放った。これ以上の暴挙は絶対に許さない。それは、友人を想う彼女の断固とした決意だった。しかし──。

 

「うるさいなぁ……」

 

 結衣が楽しそうに、残酷に指をクルクルと回す。

 

「ぐっ!? ──か、はっ」

「川崎!?」

 

 平塚が驚愕したのと同時だった。沙希は、目に見えない強力な力が首に巻き付く感覚を覚え、そのまま身体を宙へと吊り上げられた。

 

「このままぽきっと折っちゃう? それとも、じわじわと締め殺しちゃおうか?」

「あ……!! ぐぁ……!!!」

 

 もがく沙希の首に不可視の圧力が加わり、その顔が瞬く間に青ざめていく。意識が遠のく中、沙希は必死にエイトマンへと手を伸ばした。

 その時。

 

「由比ヶ浜……!!」

 

 空中で固定されていたエイトマンが、絞り出すような声で口を開いた。

 

「あ、ヒッキー。待っててね! すぐ沙希ちゃんを片づけて、次はヒッキーで遊んであげるから!」

「──っ!!」

 

 歯噛みするエイトマンの反応を見て、結衣はいよいよ全能感に酔いしれた。

 もはや自分を止められるものは誰一人いない。

 この力で思うがままに世界を掻き回し、望むがままに作り変える。比企谷八幡と、雪ノ下雪乃。そして自分を含めた三人がいつまでも幸せに過ごせる、歪な理想の世界を。

 邪魔する者は、たとえ誰であっても殺す。考えられる限りの痛みを与えてから、一人残らず皆殺しにしてやる。泣き叫んで命乞いする様を楽しみながら、バラバラにしてやる。

 

「アハッ! アハハハハハハハ!!」

 

 来るべき未来を想像した瞬間、結衣の心は想像を絶する歓喜に包まれた。

 その精神の底に居る『白い自分』も含め、結衣は今、人生最大の絶頂にいた。

 

「────いや、必ず、おまえを止めてやるよ」

 

 だから、見逃していた。

 エイトマンは……比企谷八幡は、腕をもがれ、宙に縫い付けられてなお、未だ一分一秒たりとも『諦めていない』ことに。

 その双眸の奥、赤いレンズの向こう側で、蒼白い電子の炎が激しくスパークした。

 

「──えっ」

 

 突如、自らの首筋に凄まじい衝撃が走る。

 結衣の華奢な首を背後から捉え、鋼鉄の握力で圧迫させたその黒い物体は。

 先ほど彼女自身が、ゴミのように引きちぎったはずのエイトマンの『左腕』だった。

 

 

──

 

 

 エイトマンの両肩に搭載された『予備電子頭脳』。それは、メインシステムが沈黙した際のバックアップや、特定部位の独立行動を制御するための補助プロセッサだ。メインの電子頭脳が健在であれば、これに命令を出すことで、本体から切り離されたパーツをも自在に操ることができる。

 エイトマンは、先ほどのサイコキネシスの圧力に抗わず、あえて左腕の肩関節をパージ(分離)していた。もがれたように見せかけた左腕は、結衣の注意が「本体」に固定されている隙に、地面を這う虫のように密かに、そして確実に彼女の死角へと回り込んでいた。

 如何に神のごとき全能を誇るフォース・フィールドといえど、それは無意識の産物ではない。強固な意識の指向性が必要なのだ。つまり、意識の外からの不意打ちこそが、唯一の勝機。

 

(サンキュー、川崎。……愛してるぜ、マジで)

 

 そして予期せぬ沙希の乱入。彼女が結衣の気を引いた数秒間こそが、勝利への決定的なピースとなった。

 この予備電子頭脳を利用した逆転劇は、奇しくもエイトマンが初めてデーモン博士と対峙した際、絶体絶命の窮地で結衣の姿に変身して難を逃れた時と酷似していた。

 

(あの時は、おまえの姿に変身して命を拾ったんだよな……)

 

 あの時の緊急変身がなぜ「由比ヶ浜結衣」だったのか。それがシステムのバグか、あるいは八幡自身の潜在意識の反映だったのかはわからない。

 

(恩返し……と言っちゃ少し荒っぽいが。おまえを正気に戻すためだ、ちょっとは我慢しろ!)

 

「墜ちろ……!」

 

 八幡の思考と同期し、結衣の首を背後から絞め上げた左腕から、ゼロ距離で高圧の電撃が解き放たれた。

 

「うあぁっ!?」

 

 結衣の全身を、青白い火花を散らす電撃が駆け巡る。凄まじい衝撃に晒された彼女の思考は、強引にシャットダウンさせられた。

 それは同時に、彼女を万能の神へと押し上げていた超能力の全てが解除されることを意味していた。

 

「どうだ……!? 人間に致命的なダメージを与えないギリギリの出力だ。それでも、茹で上がったアタマを冷やすには十分だろ!?」

 

 エイトマンは確信を込めて呟いた。生身の人間である以上、緻密に計算されたこの出力には抗えないという絶対の自信があった。

 直後、沙希を縛り付けていた不可視の圧力が消滅し、彼女の体が地面へと崩れ落ちる。激しく咳き込んではいるが、エイトマンのセンサーはそのバイタルに異常がないことを瞬時に読み取った。

 そして、力を失った結衣の身体が、重力に従って空中から力なく落下していく。

 

『比企谷くん!!』

「わかってます!!」

 

 地面に激突する寸前、エイトマンは超高速移動で彼女の身体を横から受け止めた。腕の中の結衣はぐったりとして動かない。すぐさま全身をスキャンし、損傷を調べるが、懸念していた重篤なダメージは見当たらなかった。

 

「全く……世話焼かせんじゃねぇよ……このアホ……」

 

 八幡は安堵の溜息を漏らし、気を失った彼女の柔らかな頬を、鋼鉄の指先でぷにっとつついた。その感触だけが、先ほどまでの激闘が現実であったことを物語っていた。

 

「比企谷! 由比ヶ浜!! 大丈夫か!?」

 

 全てが終わった静寂の中、平塚が沙希の身体を支えながら、必死の形相で駆け寄ってきた。

 

「気を失っただけです。命に別状はありません。……なんとか、終わりました」

 

 結衣を横抱きにしたエイトマンが、感情を排した合成音声で応える。その無機質な響きとは裏腹に、腕の中の少女を扱う動作はどこまでも慎重だった。平塚は安堵の溜息を吐くと、目の前の「鉄の塊」を恐る恐る見上げた。

 

「その……。おまえ、比企谷……なんだよな」

 

 平塚の震える問いに、エイトマン──八幡は、観念したように視覚センサーの光を一度落とした。

 

「あー……はい。自分はあなたの教え子の、比企谷八幡です。正体は、まあ、見ての通りなんですけどね」

 

 先ほどまでの冷徹な戦士のオーラが霧散し、急に自堕落で、どこか世の中を斜めに見ているような──平塚のよく知る『比企谷八幡』の空気が戻ってきた。そのギャップに、現場を支配していた張り詰めた緊張が、ようやくいくらか和らぐ。

 

「し……信じられないが。目の前であれだけの事態を突きつけられて、否定するほど私は盲目ではないからな」

「理解が早くて助かりますよ」

「いや、私はまだぜんっぜん理解が追いつかないんだけど!」

 

 納得しかけている二人を他所に、隣で首を押さえていた沙希が、思い切り不機嫌な顔でエイトマンを睨みつけた。

 

「川崎……」

「なに? アンタ……比企谷だったの? 今までずっと隠してたってわけ? ……ハア……」

 

 沙希は大きなため息を吐くと、エイトマンから顔を背けた。後ろを向いたまま何やらぶつぶつと文句を言い、時折頭を抱えて激しく振っている。彼女のプライドと記憶、そして目の前の現実を整理するには、まだ時間が必要なようだった。

そんな彼女を放っておくわけにもいかないが、今はまず、結衣の処置が最優先だ。

 

「先生、話したいことが多いのは山々なんですが、今は後にしてくれませんか? 警察への連絡は終わってるんですよね?」

「ああ。おまえの知り合いの田中課長に連絡済みだ。捜査一課の連中がもうすぐここへやってくるだろう」

 

 田中課長――警視庁のサイボーグ対策班が動けば、この異常な事態も「法」の枠組みで収束させられるはずだ。八幡はひとまず胸を撫で下ろし、破壊された校庭やクラスの後片付けについて、いつもの調子で愚痴でもこぼそうとした。

 

「────うっ!? あ、あぁあああーーーーーーーーーッ!?」

 

 その時、腕の中で眠っていたはずの結衣が、突如として身をよじり、この世のものとは思えない悲鳴を上げた。

 

「由比ヶ浜!?」

 

 エイトマンは反射的に異常を探知しようと手を伸ばすが、

 

 ――バヂッッ!

 

「ぐっ!?」

 

 強烈な斥力が彼の鋼鉄の手を弾き飛ばした。それどころか、彼女の身体から全方位へと放たれた未知の『波動』が、至近距離にいたエイトマン、平塚、そして沙希の三人を容赦なく吹き飛ばした。

 

「うあっ!?」

「ちょ、ちょっと何!? 終わったんじゃなかったの!?」

「由比ヶ浜……っ!?」

 

 地面に叩きつけられたエイトマンが即座に立ち上がると、視界の先には、これまでとは比較にならないほど凶悪で、かつ強大な漆黒のオーラを纏った結衣がいた。彼女は自身の頭を砕かんばかりに抱え、狂乱の渦中で悶え苦しんでいた。

 

「由比ヶ浜! どうしたんだ!? しっかりしろ!」

 

 エイトマンの呼びかけに対し、結衣は苦しみに顔を歪め、指の間から血走った視線を向けた。その瞳はもはや焦点を結んでおらず、内側から溢れ出す膨大なエネルギーを制御できずに、ただ虚空を掻き毟っている。

 

「ひ……ヒッキ……ィ────ッ!!?」

 

 結衣がエイトマンの姿をその目に映した瞬間、彼女は自らの髪を振り乱しながら、限界まで見開いた両目で八幡を凝視した。その視線は、愛しい人を見るものではなく、この世で最も恐ろしい『死の象徴』を突きつけられた者のそれだった。

 

「あ、……あ゛!? ────ギ、ゃああああああーーーーーーーッ!!!?」

 

 鼓膜を突き破らんばかりの絶叫が、冬の空を裂いた。

 その声には、人間が一生の間に経験しうるすべての後悔と恐怖が凝縮されているかのようだった。あまりに常軌を逸したその様子に、立ち上がろうとした平塚も沙希も、金縛りにあったようにその場に立ち尽くし、ただ戦慄するしかなかった。

 

「一体、何が起きている……!?」

 

 エイトマンの電子頭脳は、結衣のバイタルデータが臨界点を突破し、精神波が計測不能なレベルで暴走していることを示していた。

 肉体的なダメージは回復しているはずだった。電撃による強制シャットダウンは成功したはずだった。だが、事態は解決するどころか、比企谷八幡という存在そのものをトリガーとして、さらなる地獄へと加速を始めていたのだ。

 

 

──

 

 

 結衣は思い出した。いや、『すべてを思い出してしまった』

 

 それは、一年以上前のあの日の朝。散歩中にサブレが手から逃げ出し、それを庇った『彼』が車に轢かれた、凄惨な事故の光景だった。

 それからしばらくの間、彼女は彼がただ大怪我をしただけだと信じて疑わなかった。あの夜が来るまでは。

 クリスマスの夜。何者かに拉致され、冷たい装置を頭に被せられ、無理矢理に致死量の放射線を浴びせられた極限状態。そこで救いを求めた彼女に対し、暗闇に潜む悪魔は残酷な真実を告げたのだ。

 

 ──由比ヶ浜結衣のせいで、比企谷八幡は一度死んだのだという事実を。

 

「いやあああああああああああああああ!!!!」

 

 それは、彼女が全精神を摩耗させて心の最深部に封じ込めた、最も忌むべき記憶であり、癒えることのないトラウマの塊だった。

 

 自分のせいで、彼が命を失ったこと。

 自分のせいで、彼が冷たい機械の身体になったこと。

 自分のせいで、彼が血の通わない戦いの日々へ叩き落とされたこと。

 

 何もかも、自分の存在そのものが、彼を不幸の奈落へと突き落としたのだ。

 

 狂いそうだった。今すぐ自分の頭を地面に叩きつけて、この忌まわしい脳を破壊してしまいたかった。だが、内側から奔流となって湧き上がる負の感情が、結衣の身体のすべてを支配し、逃げることさえ許さない。

 忘れていたはずなのに。忘れようと、これ以上壊れないように必死でいたのに、なぜ今、思い出してしまったのか。

 

 苦しい! 苦しい!! 苦しい!!!

 

 凄まじい力が全身を駆け巡り、肉体を引き裂こうとする。

 逃げ場のない苦しみが脳を焼き、心を引き裂こうとする。

 比企谷八幡の「生存」という皮肉な奇跡に支えられていた彼女の精神は、その奇跡の代償の重さに耐えかね、再び完全なる崩壊に直面していた。

 

 エイトマンは必死で結衣の身体に手を伸ばす。しかし、荒れ狂う超能力の激流が目に見えない壁となり、鋼鉄の指先を無慈悲に拒絶した。

 頭を抱えて悶え苦しむ結衣を前にして、何一つできない自分に八幡は激しい歯噛みを覚える。

 やがて、彼女の変貌は精神の崩壊に留まらなくなった。

 

「なんだ……!?」

 

 平塚の驚愕の声が響く。結衣の鮮やかな桃色の髪が、毛先から根元へと、みるみるうちに色素を失い、不気味なほどに純白な『白』へと染まっていく。

 髪だけではない。

 彼女の着ている制服の上から、まるで光を編み上げたかのような、白く輝くローブが重なるように現れる。宙に浮き、のけ反るように背を向けた彼女の身体全体が、視界を白濁させるほどの発光に包まれていった。

 

「なんだあれは……由比ヶ浜に何が起こったんだ?」

 

 平塚の問いに、エイトマンは答えることができなかった。あまりにも超常的、かつ神格化されたその現象に対し、電子頭脳の高度な演算ですら「観測不能」の警告を吐き出すのみだった。

 そして、周囲を渦巻いていた超能力の奔流が、一瞬にして凪のように静まっていく。

 

 ピタリと宙で動きを止めた結衣が、ゆっくりと顔を下ろした。

 

「────やっと、出てこられた……」

 

 その声は、確かに由比ヶ浜結衣のものであったが、彼女が持つべき温度を一切含んでいない、異質な響きだった。

 声だけではない。その口元に湛えられた酷薄な笑み、そして血のように紅く、冷酷に輝く瞳。そのすべてが、これまでの彼女とは決定的に異なっていた。

 

「ゆ……由比、ヶ浜、なのか?」

 

 エイトマンの震える声に反応した『それ』が、ゆっくりと首を向け、視線を合わせる。

 

「違うよ、エイトマン。──『私』は……」

 

 その存在は、慈悲のかけらもない微笑みを深めて告げた。

 

「私は、ユイ。全てを殺す存在」

 

 ユイと名乗ったその顔の輪郭が、周囲の空間を泥のように巻き込みながら、大きく、歪に歪んだ。

 

 




今日はここまでとします。ありがとうございました。
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