——エイトマン・リボーン—— 比企谷8幡は鋼鉄の夢を見るか   作:りかるど

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先週投稿できなかったので連続で投稿します。


第八十七話:戦い、終わって

 

 千葉県郊外の鎌取に、周囲に溶け込むようにしてひっそりと佇む谷製作所。その敷地の奥深くに隠された秘密の研究施設『谷研究所』の待合室は、まるで鉛を流し込んだかのような重苦しい空気に支配されていた。

 壁際のスチール椅子に腰掛けた由比ヶ浜結衣は、制服のスカートを白くなるほどギュッと握りしめ、ただひたすらに床の一点を見つめて俯いていた。その対面では、川崎沙希が腕を組み、険しくも沈痛な表情で壁を睨みつけている。

 

 二人が考えていることは、ただ一つしかなかった。

 

 現在、厳重な防壁の奥にある作業室で、谷博士による緊急修復作業を受けているエイトマン──比企谷八幡の安否だ。

 あの不気味な漆黒の魔王『エルケーニヒ』の急襲から結衣を身を挺して護り、エイトマンの身体が両断されて大破してから、すでに数時間が経過していた。壊滅的な戦闘の直後、現場に滑り込んできた警視庁のサイボーグ犯罪対策部隊に保護され、田中課長の超法規的な計らいによって、そのままこの谷製作所へと極秘裏に担ぎ込まれたのだ。

 沙希は、異変を察知した平塚静に連れられる形で、学校からそのままこの研究所へと合流していた。平塚もまた、教え子である八幡の重傷を聞いてこの場に残りたがったが、魔女エスパーと化した結衣の暴走によって半壊した総武高校の惨状をそのままにはできず、事後処理と隠蔽工作のために、血を吐くような思いで学校へと戻っていった。

 

「……あたしの、せいだ」

 

 静寂を引き裂いたのは、結衣の掠れた声だった。

 頭を抱え、下を向いたまま、彼女は何度も弱々しく首を振った。

 

「あたしが暴走して、ヒッキーを傷つけて……。それなのにヒッキー、あんなボロボロの身体を引きずって、あたしのためにあの黒いロボットに立ち向かって……それで、壊れちゃった。全部、全部あたしのせいで……っ」

 

 際限なく自責の闇に落ちていき、今にも泣き出しそうな結衣に対し、沙希は静かに、だが拒絶を許さないほどはっきりとしたトーンで告げた。

 

「──それ以上泣き言言ったら、あんたのこと引っ叩くから」

「え……」

 

 結衣がハッとして顔を上げると、沙希はきまずそうに脚を組み直し、ふいとそっぽを向いた。しかし、その指先は小刻みに震えており、切れ上がった目元は隠しきれないほど赤く腫れていた。

 沙希もまた、今にも張り裂けそうな不安に押しつぶされそうになるのを、その華奢な身体で必死に耐えているのだ。そして、あいつなら大丈夫だという、なけなしの希望を全力で繋ぎ止めている。そのことが、結衣の心に痛いほど伝わってきた。

 

「……あいつが、あんなことで死ぬわけないでしょ」

 

 沙希の脳裏には、いつもの偏屈で斜に構えたクラスメイトの姿と、傷だらけになりながらも誰かを護るために戦い続ける鋼の超人・エイトマンの姿が交互に浮かんでいた。あいつはそういう男だ。だから、信じる。

 結衣は溢れそうになる涙を手の甲で強引に拭い、まっすぐ沙希を見つめ返した。

 

「……うん。沙希ちゃんが信じるように、あたしもヒッキーを信じる」

「……そう。ならいいけど」

 

 沙希がぶっきらぼうに頷き、再び待合室に静寂が訪れようとした、その時だった。

 プシューという間の抜けた排気音とともに、作業室へと続く自動ドアが開き、白い作業着をまとった谷博士が姿を現した。

 

 谷博士の姿を見た瞬間、結衣は弾かれたように椅子から立ち上がった。

 

「博士……っ! ヒッキー……比企谷くんは、大丈夫ですか……っ!?」

 

 声を激しく震わせ、縋り付くような切迫感で問いかける結衣。その隣で、沙希もまた祈るように拳を固く握りしめ、老科学者の顔をじっと見つめていた。

 張り詰めた少女たちの視線を正面から受け止め、白い髭を蓄えた谷博士は、いつものように穏やかで、慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。

 

「安心しなさい。修理は完璧じゃよ」

 

 その一言に、結衣と沙希は張り詰めていた息を同時に吐き出し、深く胸を撫で下ろした。沙希の肩から、目に見えて余計な力が抜けていく。谷博士は二人を安心させるように小さく頷くと、「さあ、中へ入りなさい」と、奥の厳重な作業室へと手招きした。

 自動ドアの向こうにある作業室の中心には、人間が一人すっぽりと収まるほどの大きさを持つ、巨大な円筒状のガラス装置が鎮座していた。

 装置の内部は、淡いエメラルドグリーンに発光する特殊な修復溶液で満たされている。そしてその中心で、無数の生命維持コードやデータラインに繋がれ、無重力空間のようにぷかぷかと浮かんでいるのは──紛れもない、エイトマンの姿だった。

 

「あ……」

 

 結衣は思わず装置の側へと駆け寄り、強化ガラスのミラー越しにその姿を見つめた。

 先ほどまで『エルケーニヒ』の容赦のない攻撃によって無残に真横から両断されていた上半身と下半身は、今や傷一つなく強固に繋ぎ合わされている。さらに、強引に毟り取られていた両腕も、寸分の狂いもなく元の美しい流線型の超合金装甲と人工筋肉のラインを取り戻していた。

 

「ヒッキー……!」

 

 結衣がガラスに手を当てて必死に呼びかけるが、溶液の中の超人からは何の反応も返ってこない。不安げに振り返る結衣に対し、谷博士はコンソールを操作しながら、穏やかな声で説明を添えた。

 

「超負荷の戦闘でオーバーヒートした電子頭脳と、体内の小型原子炉を強制冷却するためにね、一時的なスリープモードを継続しているだけじゃよ。身体の修復はすべて終わっておる」

 

 そう言うと、谷博士は作業着のポケットから、キンキンによく冷えた一本の黄色い缶──お馴染みの『マックスコーヒー』を取り出し、結衣へと手渡した。

 

「これを装置上部の投入口から入れるんじゃ。そうすれば、彼の各システムは完全に再起動する。……さあ、君の手で彼を起こしてあげなさい」

「あたしが……?」

 

 結衣は驚きながらも、手渡された極甘の缶コーヒーを両手でしっかりと受け取った。一歩前へ進み出ると、装置の脇にある専用のエネルギー投入口のキャップを開け、恐る恐るその液体を注ぎ込んでいく。

 薄緑色の修復溶液の中に、茶褐色のマックスコーヒー成分が瞬時に混ざり合い、渦を巻いてエイトマンの全身の吸入弁へと吸い込まれていった。

 直後、エイトマンの流線型のボディが眩い輝きを放ち、研究所内に「ヒュイイン……」と、駆動系がハイトーンに励磁する重厚な音が鳴り響いた。

 

 溶液の中で、エイトマンの鋭い双眸にパチリと青白い光が灯る。

 ガラスの向こう側で、エイトマンはいつものように少しだけ首を傾げてみせた。

 

「──よう。無事だったか?」

 

 壊れていたはずのスピーカーから、何事もなかったかのように不敵な軽口が響き渡り、エイトマンは完全にその再起動を果たしたのだった。

 

 完全に蘇ったエイトマンの姿を目の当たりにし、結衣は張り詰めていた緊張の糸が切れたように、その場にへたり込んで激しく涙を流した。沙希はすかさずその隣に寄り添うと、何も言わずに彼女の震える肩を優しくさすってやった。

 溶液越しにその様子を見たエイトマンは、電子頭脳のノイズが完全に消えたクリアな音声で、冗談混じりに呆れたように笑った。

 

「おい、そう何度も泣かれたら、後で雪ノ下や三浦に何を言われるか分かったもんじゃねえよ……。勘弁してくれ」

「……相変わらず口だけは達者ね。コーヒー一本で治るなんて、本当に変なロボット」

 

 沙希はフンと鼻を鳴らし、いつもの調子で呆れたように毒突いた。しかし、その切れ上がった瞳には、隠しきれないほどの深い安堵の色が浮かんでいた。

 コンソールのモニターに映し出される『System All Green』の文字を確認した谷博士が、満足そうに頷きながらキーを叩く。

 

「もう完全に大丈夫じゃな。ハッチを開けるぞ」

 

 博士がレバーを引くと、装置内の修復溶液が急速に床下へと排出されていった。同時に、プシューという激しい減圧音を立てて前面の強化ガラスハッチが左右に開かれる。

 エイトマンは自身の身体に接続されていた各種データコードを無造作に引き抜き、首の骨を鳴らすような仕草をしながら、力強く研究所の床へと踏み出した。五体のバランスも、人工筋肉の出力も、大破する前となんら変わりはない。

 ふう、と深く一息ついた。ふと結衣に視線を向けると、彼女は涙目のまま、再起動した自分にどう声をかけたものかと酷く迷っている様子だった。その気まずそうな距離感に、八幡は小さく溜息をつく。

 

「──悪いな、心配かけた」

 

 短くそう告げると同時に、八幡は自身の変身機能を作動させた。流線型の超合金ボディが瞬時に収縮し、眩い光の粒子がその全身を覆っていく。光が収束し、霧散した次の瞬間、そこに立っていたのは──彼女たちのよく知る、少し猫背で死んだ魚の目をした「比企谷八幡」の生身の姿だった。

 これまで遠目や戦闘中にしか見ていなかったエイトマンの変身機能を、至近距離で、それも何もない空間から人間へと戻る様を目の当たりにした結衣は、あまりの超技術に口を抑えて驚愕した。沙希もまた、理屈では分かっていても、目の前の冴えない少年が本当にあのエイトマンなのだという現実に、改めて目を見開いていた。

 

「これでいいか、由比ヶ浜。一応、身体の方はどこも問題ねえから──」

 

 八幡が続けようとした言葉は、正面から猛烈な勢いで飛び込んできた結衣の体当たりによって、完全に遮られた。

 

「ひっき、ぃいいい……っ!」

 

 結衣は八幡の胸に強く顔を埋め、大声を上げて子供のように泣きじゃくった。何度も、何度も消え入りそうな声で「ごめんなさい」を繰り返し、生きていてくれた喜びを叫ぶ。

 胸に押し付けられた生身のぬくもりと、容赦なく染み込んでくる涙の熱さに、八幡は完全にされるがままになって立ち尽くした。どうなだめたものかと困り果てて横に視線を向けると、沙希と谷博士が「やれやれ」といった困り顔と、同時にどこか微笑ましいものを見るかのような温かい視線をこちらに送っていることに気づいた。

 猛烈な気恥ずかしさと居心地の悪さが、八幡の脳天を突き抜ける。

 

「おい、由比ヶ浜」

 

 八幡は一向に泣き止む気配のない結衣の両ほっぺたを、親指と人差し指でぐいと力任せに摘み上げた。

 

「ふぇぇっ!?」

 

 力抜けたマヌケな声を漏らす結衣。八幡は容赦なく指に力を入れ、そのままグイグイと引っ張って、泣き顔の彼女に酷い変顔を晒させた。

 

「とりあえず、落ち着け。泣きすぎだっつの。お前の涙腺はガバガバの蛇口か何かか」

 

 引っ張られた頬の痛みに怒るでもなく、マヌケな顔のまま目を丸くしている結衣の姿を見て、胸に溜まっていたすべての毒気が抜けたように、八幡はついに、いつもの不敵で、少しだけ優しい笑顔を浮かべるのだった。

 

 

──

 

 

 再び谷研究所の待合室。そこには、目を疑うような光景が広がっていた。

 スチール製の間仕切りテーブルの上には、谷博士が病み上がりの八幡のためにとどこからか調達してきた、大量のマックスコーヒーの空き缶が文字通り山を築いていた。その中心で、八幡は凄まじい勢いで茶菓子をバリバリと貪り、泥泥の甘さを誇る黄色い液体でそれらを胃袋へと流し込んでいる。

 その常軌を逸した暴食っぷりを正面から見つめる結衣と沙希の顔は、見事なまでに引き攣っていた。一言で言って、完全にドン引きしている。

 

「おい、比企谷……。あんた病み上がり早々、何それ。人間の食事風景じゃないんだけど」

「……脳と原子炉の糖分が足りねえんだよ。一回バラバラにされてみろ、燃費最悪になるから」

「信じらんない……」

 

 沙希が心底胸焼けがするという風に呟くと、結衣も「うん……見てるだけでちょっとお腹いっぱいかも……」と深く同意して、思わず自分の胸元を押さえた。

 最後のクッキーを口に放り込み、残ったマックスコーヒーできれいに流し込んだ八幡は、そこでようやく息を吐いて死んだ目をしながら三人へと向き直った。

 

「──で、だ。さっき修復溶液の中でスリープモードになってる間、俺の電子頭脳は外部の無線電波やら何やらを拾って、状況は大体把握してる」

 

 八幡の言葉に、結衣と沙希が背筋を正す。

 

「俺があの『魔王(エルケーニヒ)』とかいう黒いロボットに文字通りスクラップにされた後、駆けつけた警察の部隊に保護されてここに担ぎ込まれたこと。ユイにめちゃくちゃにされた学校の校庭や施設を見て、催眠から目が覚めた生徒と教師たちが大騒ぎになってること。それらの隠蔽と事後処理のために、平塚先生が泣く泣く学校へ戻ったこと……」

 そこまで一気にまくし立てると、八幡は傍らに立つ谷博士に目配せを送り、さらに言葉を続けた。

 

「そして、これからのために、これまでの全てを話す必要が出てきたってことですよね」

 

 谷博士は腕を組み、厳かに「うむ、その通りじゃ」と深く頷いた。

 

「これからのことって……それ、どういう──」

 

 沙希が怪訝そうに眉をひそめ、言葉を重ねようとした、まさにその瞬間だった。

 カチリ、と静かな電子音が鳴り、待合室の自動ドアがゆっくりと開かれた。

 

「よう、比企谷くん。元気そうで何よりだ」

 

 入ってきたのは、サイボーグ犯罪対策部隊を率いる田中課長。そしてそのすぐ後ろには、先ほど国道16号の戦場で、エイトマンと魔女エスパーの超常の激闘を間近で目撃したあの私服刑事が控えていた。

 田中課長はやや疲弊した顔を浮かべながらも、「今回は災難だったな、比企谷くん」と、ねぎらうように八幡に声をかけた。

 

「おかげさまで。お騒がせしました」

 

 生気のない声で返す八幡は、田中の後ろに控える刑事へと視線を向けた。その刑事は、八幡の顔を見て露骨に困惑の表情を浮かべている。それもそのはず、先ほどまで地殻変動級の戦いを繰繰り広げていた鋼鉄の男──エイトマンの正体が、目の前にいる、あまりにも覇気のない死んだ魚の目をした少年だとは、到底信じられないのだろう。

 八幡はその視線に(まあ、無理もないか)と内心で苦笑した。

 

「比企谷くん、すぐにでも署に赴いてもらい、三人から色々と事情を聴きたいところなのだがね……。それ以上に、君たちはまず学校に戻らなければ都合が悪いだろう?」

 

 田中課長はそう言って、手元の端末に目を落とした。

 平塚が必死に現場の事後処理に当たっているとはいえ、同じクラスの主要生徒である八幡、結衣、沙希の三人が同時に不自然な不在を続ければ、周囲に怪しまれるのは目に見えていた。

 

「ああ、そいつは助かります。谷博士、俺たち戻っても大丈夫ですよね?」

 

 八幡の問いかけに、谷博士も「うむ、私の診断でも彼らの身体に異常はない。すぐに戻るのが最善じゃろう」と賛同する。

 田中課長は頷くと、後ろの刑事を振り返った。

 

「羽佐間。急ぎ彼らを総武高校まで送り届けてくれ」

「了解しました。……さあ、行こうか」

 

 羽佐間と呼ばれた刑事が促し、三人が出入り口へと向かおうとしたその時、結衣がおずおずと、しかしどこか怯えたように小さく手を挙げた。

 

「あの……あたし、本当に戻ってもいいのかな……。あれだけ、めちゃくちゃに暴れて……他人のことを傷つけたあたしが、何事もなかったみたいに学校に……」

 

 ユイの人格としての記憶があるからこそ、自責の念が結衣の心を締め付けていた。そんな結衣に対し、田中課長は穏やかな、しかし毅然とした声で首を振った。

 

「由比ヶ浜くん。君は謎の組織に脳を不当に改造され、破壊行為を無理強いされた、純然たる『被害者』だ。谷博士の調査からも、正常な判断が不可能な状況下であったこと、その結果として暴走したとしても、それは不可抗力だったと証明されている」

(流石にそれは無理矢理すぎる理屈だろ……)

 

 八幡は心の中でそう毒突いたが、国家の公安という巨大な力によって結衣の立場が守られるのであれば、これ以上彼女を苦しめずに済む、と田中の不条理な優しさを黙って受け入れることにした。

 

「でも……っ」

 

 なおも言い淀み、涙を浮かべる結衣。その時、隣にいた沙希がフッと小さく、しかし温かくにこりと微笑んだ。

 

「──本当に反省してて、みんなに謝る気があるならさ。あたしも一緒に、ついていってやるよ」

 

 結衣がハッとして沙希を見る。一度は魔女エスパーの超能力によって殺されかけたにもかかわらず、沙希の瞳には結衣を恐れる色も、責めるような光も一切なかった。ただ真っ直ぐに、クラスの友人としての感情だけがそこにあった。

 沙希の裏表のない感情にあてられ、結衣の瞳から再び大粒の涙が溢れ出す。

 

「あーあ、また泣かしてやんの。川崎さんマジ男前っすね」

「うっさい、バカ! 誰のせいでこんなに気苦労してんだか!」

 

 八幡がわざとらしくからかうと、沙希は顔を真っ赤にして八幡の頭をペシッと叩いた。それを見た田中課長は、安心したように「後は全てわしたちに任せてくれ」と、ドンと自らの分厚い胸を叩いた。

 こうして鎌取での一時解散となったが、パトカーへと向かおうとした八幡の背中に、田中課長が静かな声をかける。

 

「比企谷くん。改めて詳細な話をするため、後日、平塚くんと一緒に警視庁本部へ来てくれ」

 

 八幡は振り返らずに、軽く右手を挙げて了解の合図を送り、外の光の中へと向かった。

 

 

 

──

 

 

 羽佐間刑事の運転するパトカーに揺られ、到着した総武高校は、未だに異様な喧騒の渦中にあった。校門付近には機動隊の車両や救急車が並び、マインドコントロールから目覚めてパニックになった生徒たちの困惑の声が飛び交っている。

 八幡、結衣、沙希の三人は、その人混みを器用に掻い潜りながら、何とか一階の職員室の奥、平塚静の元へと辿り着いた。

 

「平塚先生」

 

 八幡が声をかけてドアを開けた、その瞬間だった。

 傷一つなく、元通り無事な姿を見せた八幡を一瞥した刹那──平塚は言葉もなく大股で歩み寄り、そのまま八幡の身体を、折れんばかりの力でぎゅっと強く抱きしめた。

 

「うおっ!? ぶ、平塚先生……!?」

 

 突然のことに慌てて声をあげる八幡だったが、背中に回された彼女の手があまりにも激しく震えていたため、それ以上身動きが取れなくなった。無理にその抱擁を振りほどこうという気にもなれなかった。大人の女性の、そして誰よりも自分のことを心配してくれていた「師」の温もりと香りが、八幡の生身の身体へとダイレクトに伝わってくる。

 

「……あまり心配をかけるんじゃない、馬鹿者が」

 

 八幡の肩口で、平塚の声が小さく、しかし深く震えていた。

 

「すいません……」

「だが……よくぞ由比ヶ浜を救ってくれた。皆を、この日常を護ってくれたな。……ありがとう、比企谷」

 

 平塚はさらに腕の力を込め、涙を堪えるようにして言葉を繋いだ。そして、自らの無力さを呪うように、悔しそうに奥歯を噛み締める。

 

「そして……すまない。今まで、君一人の肩にこれほどの重荷を背負わせておきながら、気づいてやれなくて……本当に、すまなかった」

 

 八幡からすれば、平塚が謝ることなんて何一つないのだ。自分が勝手にマシナリーになり、勝手に戦っていただけなのだから、そこまで大人の責任として抱え込まれるのは大袈裟だとすら思う。

 

 しかし、自分を抱きしめる彼女の腕の力は、少しも緩まなかった。

 

 ずいぶんと心配をさせてしまったなという微かな罪悪感。それと同時に、胸の奥に灯る確かな温かさを噛み締めながら、八幡は心底、この人が自分の『師』であって本当に良かったと、鋼鉄の心を包む生身の心で思うのだった。

 

 

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