——エイトマン・リボーン—— 比企谷8幡は鋼鉄の夢を見るか 作:りかるど
続きです。
羽佐間刑事にはちゃんとした元ネタがあります。
小会議室の重苦しい静寂を破ったのは、谷博士の静かな、しかし有無を言わせぬ響きを帯びた声だった。
「──そして、私はそこで、比企谷八幡という少年と出会ったのだ」
その言葉とともに、室内のすべての視線が、部屋の端に座る八幡へと一斉に集中した。
視線を浴びながら、八幡は自らの運命が致命的にねじ曲がった「あの日」の出来事を静かに思い返していた。生身の人間なら忘却の彼方に霞むはずの二年前の記憶すら、電子頭脳の精密な再現によって、数秒前の出来事のようにはっきりと脳裏に蘇る。
移動する車両の凄まじい衝撃。五体が粉々に砕け散る肉体的な絶望。そして、視界と意識が急激に深い闇へと落ちていくあの感覚──。八幡にとって『死』という概念は、いつだってすぐ隣に転がっている、極めて身近なリアルだった。
「交通事故で亡くなった彼の頭脳から、すべての情報を完全に抽出した。そして、それをスーパーロボット計画の申し子『No.08』の電子頭脳へと移植したのだ。──それによって、彼は『エイトマン』として蘇った」
谷博士の淡々とした、しかし決定的な事実の開示に、室内がわずかに揺れたような気がした。
「マシナリー理論……。人間と機械の融合による、新たなる進化の系譜。かつて大学に在籍していた頃、その基礎論文の一部を読んだことがあります」
そう言って静かに言葉を繋いだのは、平塚先生だった。彼女が学生時代に博士の研究に触れていたことは八幡にとっても意外だったが、自分がその大仰な進化の一部分を担っているという実感は、今ひとつ湧かなかった。
「それから彼は、表向きは普通の高校生として、そして裏ではエイトマンとして、この二年間を過ごしてきた。アメリカやロシアから次々と送り込まれる刺客や、様々な戦闘兵器と戦い続けながら……」
博士が手元のコンソールを操作すると、スクリーンには八幡がこれまで死闘を繰り広げてきた強敵たちのデータが次々と映し出された。
サイボーグ・01『ケン・ヴァレリー』。世界を騒がせた犯罪組織『黒い蝶』の陰謀。さらには全人類の支配と管理を目論んだ巨大量子コンピュータ『超人サイバー』との決戦。
そして──直近の戦いである、魔女エスパーとして覚醒させられてしまった由比ヶ浜結衣と、その背後に潜む謎の組織の影。
「……結果として、私のエゴが比企谷くんから平穏を奪い、こんなにも過酷な人生を送らせることになってしまった。そればかりか、彼の周囲にいる大切な人々までをも巻き込んでしまった。……どうか、許してほしい」
谷博士はそう言うと、八幡たちに向かって深く、深く頭を下げた。
その老科学者の贖罪の態度に、平塚先生をはじめとする大人たちや結衣、沙希の四人は、困惑したり慌てたりと様々な反応を見せる。
しかし、その喧騒の渦中で、八幡だけは全く別の「有り得たかもしれない可能性」を静かに思考していた。
もしもあの時、交差点で事故に遭った自分が、あのまま何の奇跡も起きずに死に絶えていたとしたら。この世界に遺された比企谷家はどうなっていただろう。今頃、受験を間近に控えた小町はどんな顔をしていただろうか。
自分の命を奪う原因となった由比ヶ浜結衣は、その重すぎる十字架を背負ってどう生きていただろうか。
そして──雪ノ下雪乃。
あの日、あの高級車に彼女が乗っていたことを、今の八幡は知っている。もし自分が完全に消滅して消えていたら、あの少女は一体何を感じていただろうか。
──そこまで考えて、八幡は思考を打ち切った。これ以上は無駄な労力だ。有り得たかもしれないIFの物語は、結局のところ、起こり得なかったただの確率の屑に過ぎない。
現にこうして、自分はどれほど歪な形であろうとも蘇った。電子のパルスを走らせ、世界の中に確かに意識を根ざして存在している。何より、この場にいる者たちは全員、目の前の機械の身体を『比企谷八幡という一人の人間が生きている』と認識している。
ならば、自分は生きてここにいるのだと、そう思ってもいいはずだ。八幡は、胸の奥底でそう信じたかった。
「……まあ、私がコイツと最初に会った時は、もうエイトマンだった訳だけどさ」
川崎沙希がぶっきらぼうに口を開いた。
「最初に会ってからさ、なんだかんだ何度も顔を合わせてるけど……ずっと普通の、ちょっと捻くれてて変わってるけど、ただの人間だと思ってた」
沙希はじっと八幡の目を覗き込んだまま、言葉を続ける。
「機械になる前のあんたがどういう奴かは私は知らない。だけど、少なくとも私が今まで見てきたのは『比企谷八幡』だから。……今更あんたをただの機械だなんて、口が裂けても言えないわね」
「私も同意見だ。君が二年に上がって私のクラスに来た時から見ているが、比企谷八幡という問題児は、いつだって最高に人間臭かったよ」
沙希に続くように、平塚先生が優しい眼差しを向けてくる。
「むしろ、こんなに理屈っぽくて人間臭いロボットがいてたまるか。どちらかと言えば、ドラえもんの親戚か何かの間違いなんじゃないか?」
「先生……」
せっかくちょっと感動的な雰囲気に浸っていたというのに、一瞬で台無しである。八幡は心の中で盛大にずっこけた。
「……あたしは、ヒッキーに会えて、本当に良かったって思ってるよ」
最後に言葉を紡いだのは、由比ヶ浜結衣だった。
「自分のせいでヒッキーが一度死んじゃったって知った時は、本当に死にたくなるくらい辛くて、苦しかった……。でも、ヒッキーはそんなあたしを、何度も助けようとしてくれた」
過去を思い出すたびに、今でも彼女の胸は激しい罪悪感に苛まれる。しかし、目の前にいる少年は、その過去の事実をすべて受け入れた上で自分を許し、それどころか不器用な好意すら示してくれた。閉ざされていた自分の心を、強引に引っ張り上げてくれたのだ。
「ヒッキーと会えて、ゆきのんにも会えて……あたしだけじゃない。サキちゃんも平塚先生も、ヒッキーがこうして生き返ってくれたおかげで、みんな出会うことができたんだよ。だから──これは絶対に間違ってないと思う」
「由比ヶ浜……」
結衣の真剣な眼差しから、八幡は目を逸らすことができなかった。
比企谷八幡が鋼鉄の男として蘇ったことは、決して『間違い』なんかじゃない。出会いから始まったこれまでの日々は、すべてが偽りのない『本物』だったと、彼女は断言してくれたのだ。
そうだ、今更確認するまでもなかった。エイトマンとして孤独に戦い続け、八幡として奉仕部で活動したあの不条理な日々を、八幡自身も「間違いではない」「本物だ」と、心の底から肯定することができていたのだ。
八幡が静かに自己肯定感に浸っていると、沙希がふむと顎に指をかけ、どこか意地悪くつぶやいた。
「……まあ、ぶっちゃけ『ちょっとカッコいいな』と思ってた街のヒーローが、学校のあんただったと知った時は、割と本気でがっかりしたんだけどね」
「あ、それちょっとわかる! ヒッキーがエイトマンさんだって知った時、あたしも最初ちょっとショックだったかも!」
「お前らさぁ……なんでそういちいち人の感動的な空気をぶち壊しにすんの? 泣くぞ? 本気で泣いちゃうぞ?」
フルフルと肩を震わせて猛抗議する八幡。そのコミカルな光景を見て平塚先生も吹き出し、部屋を支配していた張り詰めた空気は、いつの間にか柔らかく霧散していった。
「ははは! いい友達を持ったな、比企谷くん!」
田中課長が豪快に笑いながら、八幡の肩をポンと叩いた。
「まあ……そこに関しては、素直に同意しますよ」
「うーむ、それにしては口元が素直そうには見えんがね……」
田中課長は苦笑しながら、今度は結衣たちを見渡して大仰に手を振った。
「それにしても君、見たところ周りは綺麗どころが勢揃いじゃないか!」
「えっ!?」
なぜか真っ先に自分を指差して驚愕の声をあげたのは、平塚先生だった。「綺麗どころ」という大雑把な言葉に全力で反応してしまったらしい。そんな先生の様子をスルーしながら、田中課長はお説教のように言葉を続ける。
「いかんぞ比企谷くん。こんな美人たちを悲しませるような男になっては。君も一応は男なんだから、ここは一発『お前たちは俺が守る!』くらいの大見得を切ってもいいんじゃないか?」
「いやいやいや、勘弁してください。そんな小っ恥ずかしいセリフ、今時テレビドラマでも見ないですよ。実際に口にしたら恥ずかしさのあまり回路がショートして死にます」
八幡が本気で嫌そうな顔をして首を振ると、すかさず沙希から辛辣な追撃が飛んできた。
「……というか、あんたがそんなセリフ吐く姿、一ミリも想像できない。つか考えただけで普通にキショいわ」
「ごめんヒッキー……あたしもそれはちょっと、引くかも……」
「なぁお前ら、本当に俺に会えて良かったと思ってんの!? さっきの感動的なセリフは一時的な気の迷いか何かか!? アレか!? 泣くぞ!!」
ピクピクとこめかみをひくつかせながら叫ぶ八幡。
一方その頃、平塚先生は未だに田中課長の言った「美人」という単語を頭の中で何度も反芻しているのか、顔を赤らめてフリーズしていた。よほど私生活で言われ慣れていないのだろう。
(……本当に大丈夫かこの人、早く誰か貰ってやれよ……)
怒涛のやり取りの中で、八幡はそっと哀れみの視線を先生に向けるのだった。
──
国家最高機密が次々と明かされた極秘会議もひと段落し、小会議室には一度休憩が挟まれることになった。今後の具体的な対策についての話し合いは、この休憩の後に行われる予定だ。
八幡は張り詰めた空気を変えようと廊下の自動販売機へと向かったが、そこに愛してやまない「マックスコーヒー」の姿がないことに気付き、お約束のように呆然と立ち尽くしていた。
その時、八幡の横合いから、まさしくそのマックスコーヒーの黄色い缶がすっと差し出された。
「俺の奢りだ。良かったら受け取ってくれ」
会議室に同席していた羽佐間刑事が、その精悍な顔ににっと爽やかな笑みを浮かべて立っていた。
「……どうも。ありがとうございます」
八幡は驚きつつも、どこか恐縮しながらそれを受け取った。プルタブを外して喉に流し込む。激甘の液体が身体に染み渡ると同時に、八幡の電子頭脳と内蔵された小型原子炉が瞬時に冷却され、全身に心地よい爽快感が駆け抜けた。
ふう、と深く一息をつき、八幡は廊下に備え付けられたベンチに腰を下ろす。羽佐間も自分用のコーヒーを買い終えると、八幡の隣へと腰掛けた。
「しかし……不思議なもんだな」
羽佐間がふいに、手元の缶を眺めながら話しかけてきた。
「こうして美味そうにコーヒーを飲んでるところを見ていると、君が本当に機械の身体だなんて、とても信じられないよ」
羽佐間の精悍な顔には純粋な興味から来る表情が浮かんでおり、そこには悪意や怯えといった負の感情は一切感じられなかった。
「俺も時々、変な気分になりますよ。コーヒーでシステムを冷却するロボットなんて、世界中探しても俺くらいのもんでしょうし」
缶を見つめながら苦笑する。平塚先生が言った通り、飲食が可能なロボットというのはどこかドラえもんのようで、自分自身でも現実感が希薄になる瞬間がある。ただ、これに関しては深く考えたら負けな気がしていた。何より、大好物のマッ缶をエネルギー効率に組み込んでくれた谷博士には感謝してもしきれない。
(コーヒーが無いと生死に関わる事態に陥るという極端な仕様は勘弁してほしいが)
「……色々、大変だったんだな」
それまでの柔らかな笑みから一転して、羽佐間の表情が真剣なものへと変わる。彼は八幡がこの二年間で潜り抜けてきた、常人であれば精神が崩壊しかねない修羅場の数々に思いを馳せているようだった。
アメリカやロシア、そして謎の組織の思惑に巻き込まれるという日々は、羽佐間から見て想像を絶するものに映ったのだろう。
「確かに、何回も本気で死ぬような目に遭ってきましたけど……。でも、決してそれだけじゃなかった、とだけは言っときますよ」
八幡は羽佐間の熱い視線をかわすように、少しだけ首を横に振った。この身体との付き合いも長い。今や身の振り方も、不条理な運命との折り合いの付け方もそれなりに理解していた。決して後悔ばかりの二年間ではなかったという自負が、八幡の中には確かに存在している。
「そうか。……君はその身体で、今までみんなを守ってきたんだな。ずっと戦って……守り抜いたんだな」
八幡の言葉を聞いた羽佐間は、缶コーヒーを握る手に思わず力を込め、何かを深く思い詰めるように視線を斜め下へと逸らした。
「……それなら、エイトマンってのも、そう悪いもんじゃないのかもしれないな」
「えっ」
そのどこか寂しげで、重い含みを持った呟きに八幡は思わず反応する。
「悪いな、変なことを言って。気にしないでくれ」
八幡の困惑の視線に気付いた羽佐間は、すぐにいつもの爽やかな笑みに戻って軽く手を振った。彼は空になった缶を近くのゴミ箱へと放り込むと、そのまま小会議室の方へと歩き去っていった。
「──気を悪くしないでくれよ、比企谷くん」
ぽつんと取り残された八幡がその背中を見送っていると、背後から申し訳なさそうな、少しばかりくたびれた声がかけられた。
振り返ると、そこにはいつの間にか田中課長が佇んでいた。
「あいつは、羽佐間逸郎はわしが目をかけている部下でな」
八幡の隣の空いたスペースに腰を下ろした田中課長が、静かに語り始める。
「正義感が強くて一本気な、実に熱い男でな。まぁ、その熱さのあまりに周りが見えなくなり、形振り構わず突っ走ってしまう悪癖もあるんだがね」
田中の言葉に、八幡の電子頭脳は先日のユイとの戦いを即座にリプレイする。あの時、機動隊を率いて最前線に立っていた羽佐間刑事の姿は、警察としての任務を全うし、民間人を救おうとする誠実さに溢れていた。
「本部の命令に背いてまで君たちの戦闘に介入したのも、民間人に危害が及ぶのを黙って見ていられなかったからだろうな」
田中は苦笑する。ユイの超能力や魔王の圧倒的な戦闘力を目の当たりにしても一歩も引かなかったあの姿勢は、まさに刑事ドラマに出てくる理想的な熱血刑事そのものだった。
「さっきの奴のセリフも、おそらくは『自分にエイトマンのような圧倒的な力があれば』という、悔しさから出たものだろう。実に奴らしいと言えばそうなんだが……」
「彼に、何かあったんですか?」
八幡の純粋な疑問に、田中は「ん、まあ……昔な」と言葉を濁した。それ以上、八幡は追及しなかった。生身、機械に関わらず、誰しも人には言えない過去や傷の一つや二つは抱えているものだ。それを根掘り葉掘り暴き立てる資格など、誰にもありはしない。
「……でも、たしかに羽佐間刑事みたいな人なら、俺みたいなのよりよっぽどエイトマンに相応しいかもですね」
へっ、と自嘲気味に呟く。
自分自身、正義の味方なんてガラじゃないことは最初から百も承知だ。八幡にとって重要なのは、大層な
「そ、そうかね? あまり自分を卑下するもんじゃないと思うが……」
そんな八幡の極端な怠惰思考が顔に出ていたのだろうか、田中課長は少し呆れたように苦笑した。
「それにだな、わしは君のように、いい意味で『適当』な人間がエイトマンで本当に良かったと思っとるんだよ。これは本心だぞ」
「俺がですか? 言っちゃなんですけど、俺、正義とかこれっぽっちも興味ないですし、割とテキトーに生きてる人間ですよ」
「その『適当』だからこそいいんじゃないか。羽佐間のようにつよい正義感を持った奴は確かに好ましい。だが、それも過ぎれば、いつか誤った道に行かないとも限らん」
田中課長はいつになく真剣な、酸いも甘いも噛み分けた老刑事の目で八幡を見つめた。
「正義にしても、力にしてもそうだ。昨日まで弱気で大人しかった人間が、ひとたび銃を持った途端に気が強くなり、自分の力量を見誤って無茶をした結果、周囲だけでなく自分自身をも致命的に傷つける……」
田中は遠い過去の苦い記憶を呼び起こすように、視線を泳がせた。
「長いこと警察なんて泥臭いことをやってるとな、そんな人間を嫌というほど見てきたんだよ。警察官だけじゃない、わしがこれまでに捕まえてきた犯人の中にも、そういう奴はたくさんいた」
「力を持つ者の責任……ってやつですかね」
八幡の問いかけに、田中課長は小さく首を横に振った。
「そんな大層なもんじゃない。もっと根源的な『心の問題』だよ。力がどれだけ強くても、それを扱う心が子どものように幼ければ、力に呑まれて破滅してしまうということだ」
田中はふう、と肺腑の泥を吐き出すようにため息をついた。
「だからな、わしは君のように、常に一歩引いた客観的なところで自分の姿を見てやれる人間の方が、エイトマンの力を誤ったことに使わないだろうと考えとる。君に適当と言ったのは、そういう意味での『適宜適切』という意味だよ」
田中課長の言う「適当」。それはつまり、過剰な思想に偏ることなく、常に状況をフラットに、冷徹に見極めることができるという意味だろう。まさか自分のひねくれた陰キャの視点が、警察の上層部にここまで高く評価されるとは思ってもみず、八幡はなんだか奇妙な居心地の悪さを覚えていた。
「……買い被りですよ」
気恥ずかしさを誤魔化すように、つい否定の言葉が口をついて出る。
「いやぁ、買い被りなもんかね! 現に君は、その力で何人もの命を助けてきたじゃないか! それは賞賛されこそすれ、馬鹿にされることじゃないぞ! もっと胸を張りなさい、比企谷くん!」
ガハハハハ! と小気味いい大声で笑いながら、田中課長は八幡の背中をバシバシと豪快に叩いた。
(このおっさん、本当にスキンシップが過剰なんだよな……)
八幡は背中に受ける衝撃にセンサーを震わせつつも、その手の温かさに、決して悪い気分ではないなと内心で静かに思うのだった。