『聖女業務』の属人化、解消します。 〜元コンサル聖女、隠居のための業務改革〜 作:すみふじの
小刻みに揺れる馬車の中で、私は神官からの状況説明を受けていた。王都をぐるりと囲んでいる国防の要“
だが私は、それ以上に今確認しなければならないことへ話を向けた。私の隣と斜向かいに座ってともに馬車に揺られている、二名の人物。かたや屈強な騎士、かたやメイドと修道女の間のような風体の少女だった。
「はい、状況はおおよそ理解しました。——で、こちらの方々は?」
話を振られると、隣に座っていた少女がぴっと背筋を伸ばし、私に正面を向けるように上体をずらした。
「はい! 侍女として聖女様にお仕えさせていただきます、アメリア・ベッカーと申します」
年の頃は十八歳前後だろうか——真面目そうな少女だった。濃紺の上質な木綿で仕立てられた、くるぶしまである長いワンピースをまとっている。その上から糊の効いた真っ白なエプロンを身につけている。その立ち居振る舞いには一点の曇りもなかった。溌剌とした声、頬に散ったそばかす、白いコイフから覗く亜麻色の三つ編み。そして何よりも印象的だったのは、澄み切った空色を映したかのような瞳だった。一切の嘘や疑いを知らない、あまりにも純粋な光を宿している。
彼女——アメリアが深く頭を下げた。丁寧に編まれ、ほつれもない三つ編みが動きに合わせて揺れる。それが彼女の仕事ぶりを表しているように見えた。
「そしてこちらが、」
続いて斜向かいに座っていた騎士が私に体を向けて、礼をする。
「お初にお目にかかります。国王陛下の名により聖女様の護衛騎士としてお仕えいたします、ヘルマン・フォン・ホーエンフェルスと申します」
その男性は、まさに“騎士”という言葉を体現したかのような人物だった。その身長は私より頭二つ分は高いだろうか。磨き上げられただけではなく使い込まれてもいる分厚い鋼鉄の鎧は、目覚めた時に並んでいた騎士たちとは明らかに違い、実戦の匂いがした。薄茶色の髪は短く刈りそろえられ、その顔立ちはまるで彫刻のように硬質で一切の甘さがない。しかし、その深い森のような緑色の瞳だけが驚くほど真っ直ぐに、私から逸らされることはなかった。
「聖女様の盾、ときには剣として私をお使いください。もちろん、何時如何なる時でも御身のご安全を最優先にお守りしますことを、騎士の名においてお誓い申し上げます」
その言葉を終えると、ヘルマンは片手を胸に添えて静かに礼を取った。低く、よく通る声には自らを飾る響きは一切なく、ただ発せられた言葉の重みだけが馬車内の空気を静かに震わせた。
(なるほど、地位はあるから人はつけてくれるのね)
(騎士に侍女……私の業務外の世話をしてくれるポジジョンか)
私は改めて二人の様子を観察した。そして、彼らの瞳や声に宿る隠しようもない実直さに、ひとり頷いた。
アメリアはきっと本当に私の身の回りのことをすべて任せたとしても何も問題ないだろう。小銭の一枚、ペンの一本さえなくなったりせずに整然と整えられるであろう自分のデスクが容易に想像がつく。
対してヘルマンもそうだ。教会からではなく王宮から派遣されているという点が、きっと先々重要な役を担うことになるだろう。そして彼ならば、揺るぎない忠誠心と真面目さでもって任務を果たしてくれるだろう。
(二人とも真面目そうだし、誠実そう。プロジェクト員は彼らで決まりね)
私は椅子から立ち上がり、まずはアメリアに、次にヘルマンに、力強く手を差し出した。前世では幾多のプロジェクトメンバーと交わしてきた、信頼の証。固く、握手を交わす。
「自己紹介ありがとう。アメリア、ヘルマン……今日から、どうぞよろしくね。」
手を握れば大きな青い目をさらに丸く見開いては頬を赤らめるアメリアの反応は素直そのもので、なんだかこちらがむず痒くなってしまうくらいだ。ヘルマンも力強く頷いて、実直そうな控えめの笑みで返してくれた。
ペンかなにか書くものを探さなければ、ときょろきょろと車内を見渡している私に、アメリアがさっそく声を掛けてくれた。
「聖女様、なにかお探しでしょうか?」
「ええ、なにか書くものがあればいいんだけど……さすがに無いか。では一旦、口頭での取り決めとしましょう」
一体何を始めるのだろうと言わんばかりに、彼らはきょとんとした目でこちらを見る。
「もういきなり働かせてしまっていて申し訳ないんだけど——やっぱり給料と勤務時間、年間休日とか納得した上でスタートしたいでしょう?」
え?とアメリアが間の抜けた声を漏らした。いやいや、こういうところはちゃんとしないと。私は彼らに雇用条件を羅列しながら意向を尋ねていく。
「まずは雇用条件を決めましょう、書面は後から作ります」
「始業は朝の祈りを始める30分前からとして、終業は日没までとかが一般的ですか? 休日は5日の勤務ごとに2日連続で必ず取得すること、理由は問いません」
「その他遅刻や欠勤のある場合は誰かを通じて連絡してもらって、お給料の支払いタイミングは……月末がいい、月初がいいとか希望はありますか? ないなら20日締めの当月25日払いで——」
矢継ぎ早に条件を並べていくと、二人とも鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしてこちらを凝視している。何もわからないといった様子だったが、私が言い終わる前にアメリアがばっと両腕を広げ、おさげを左右に揺らした。
「い、いけませんルツィア様! 私は聖女様に仕える身です。昼夜を問わず奉仕させていただけることが名誉であり、幸せなのです! そんな休日だなんて……ましてやお金など! いただけません!」
ヘルマンもその言葉に意識を取り戻したのか、鎧が鳴るほどに頷いてアメリアに続く。
「そ、そうです! 私も王命に従っているのです! ましてや護衛騎士が、なぜ守るべき貴方様のそばを離れて休めましょうか!? 俸禄も王宮よりしかといただいておりますし、ルツィア様がお気にかけることなどひとつもございません!」
私は思わず、えぇ……と引いた声を出してしまった。二人とも使命感が強いのは素晴らしいことだけど、24時間365日私について働くつもりなのか?中世ヨーロッパでも何もしない安息日くらいはあったのではないか?私のために働いてくれるのに、私が彼らに賃金を払えないというのもいただけない。
「そうは言っても、休みがないと疲れも取れないでしょう? 身の回りの世話も身辺警護も、体力に神経も使うのだから。私は貴方達まで過労で倒れさせるような上司にはなりたくないの」
「過労だなんてとんでもない、聖女様のために身を粉にして働けることこそが本望です」
私が何を言い返してもアメリアもヘルマンも頑として譲らない。
困ったな、二人の生真面目さがいきなり立ちはだかってきてしまった。ここで無理を通していきなり関係が悪化してしまうのは避けなければ。
私はひとまず彼らの想いを受け入れることにした。この先にかけてしまうであろう苦労を案じて長いため息をこぼす。
「……わかりました。もう無理に休めとは言いません。ですが私は貴方たちが私に仕えることで心身を害することはあってはならないと考えています。少しでも体調や気分がすぐれないときは報告すること。聖女の力をもって治療させてください。これでいいですね?」
すると二人は安心したように息をつき、力強く頷いた。
「聖女様の御手を煩わせることがないように、励みます!」
「聖女様の治療を受けられるなど、騎士の誉れです。身命を賭してお守りいたします」
……やれやれ、生真面目なこと。
雇用契約とはいかなかったけれど、休息の代わりとなるように「治療」が出来るのなら一旦よしとしておこう。私達三人の問答に所在なげに肩を小さくしていた神官が窓を見る。どうやら現場は近いようだ。そこからさほど時間も経たないうちに、馬が小さく嘶き、馬車はゆっくりと動きを止めた。
◆◇◆
「聖女様、魔物が発生した現場はこちらでございます」
馬車から降りると、目の前には広大な平原が広がっていた。ここは王都から西へ向かった城壁の先、そのはるか向こうには西の隣国であるヴェストファーレン連合が存在している。“大結界”は王国のみならず、魔物が隣国へ向かわないための防波堤的な役割もあり、それが両国の関係性の土台となっているのだった。なるほど、確かにこの場所では問題を長引かせるべきではないのだろう。神官は柱のごとく天へと伸びる白い光を見回しては、大きく肩を落とす。
「小型の魔物が発生しているので大結界のどこかが綻んでいることには違いないのですが……我々ではどうにもわからないのです。聖女様、やはり中央より神官の一団を結成させ、結界建立の儀式の準備をした方がよろしいでしょうか?」
問題の原因が分からず消沈している神官に、アメリアが神妙な面持ちながらも優しく言葉をかける。
「そうですね……。聖女様、こういった場合は教会としても儀式をもって聖女様の御力を高め、結界をより強固にしていただくものと伝え聞いております。ここを守る騎士団に早馬を借りるべきかと……」
私は目の前の“大結界”を見た。聖女の魔力で作られた、超巨大な電気柵のようなもの——そう、頭で分析することは出来た。しかし、それとはまったくの別次元で、結界の構造とその不具合の箇所が、まるで頭に設計図を直接流し込まれたかのように
何故分かるのか、問いを上げる暇もないまま、私の身体はまるでプログラムが自動で作動するかのように動き出していた。そっと綻びに手を伸ばす。絶えず循環しているはずの魔力が、この部分だけ薄くなっている。薄いのはいけない。均一に強く、同じだけの出力にしなくては。そう思った瞬間、口から『言葉』が自然に紡がれた。その『言葉』を合図に身体の中に力——魔力が巡るのがわかる。その力が腕に流れ、白い光となって大結界へ注ぎ込まれる。私には不思議と、この一連の動きに対してすべて確信があった。何かはわからないがとにかく
ほんの僅かの静寂を、アメリアの万雷の拍手がかき消した。
「素晴らしいです、聖女様! 神官様ですら原因のわからなかった大結界のひずみを、いとも簡単に修復されるなんて! なぜひずみがその場所だとお分かりになったのですか? 私達には、いつもどおりの大結界にしか見えていませんでしたのに」
——え?
アメリアの言葉を一度反芻しなかったら、また自然に答えてしまっていたかもしれないという事実に気がついてしまった。そう、私がもっとも避けるべき、改善すべき事象を、なんと自分が何食わぬ顔して起こしてしまっているではないか!
「うわあ~~!!」
私は法衣が土につくなど考える間もなくがくりとその場に膝をついた。両手で頭を抱え、髪を掻き乱す。アメリアやヘルマンがすかさず駆け寄ってくる。気が触れたとでも思われただろうか、いや、今は本当に気が触れてしまいそうなほどの悪夢に直面している。
(……なんてこった。何故分かったのか、どうやって直したのかが
大結界の前に立った瞬間に、私はすべてを直感的に理解してしまったのだ。そしてその解決もまた、身体に刻まれた動きをただ反復したくらいの無意識さでいとも簡単になし得てしまった。なのにこの理屈を言葉にすることがどうにも出来そうにないのだ。はいはいから二足歩行になった瞬間のことを説明できないように。アメリアや神官、ヘルマンや周囲の騎士団からは歓声が上がっている。まさしく聖女の御業であると。無邪気な称賛は私の心に重い影を残す。これでは……だめだと。
私は、私自身が『最大のブラックボックス』であり『究極の属人化要因』であるという、致命的な課題に直面してしまった。聖女の力だ!偉大な御力だ!興奮と喜びに沸く皆からの視線に、ひきつった笑顔で手を振り返しながら、背中には冷や汗が流れていた。しかし、それと同時に新たな闘志が燃え上がるのが分かった。
悪夢のように最悪な課題だが、その相手が自分であることは、最悪ながらも一筋の光明だった。
私は拳を握り締め、結界を見上げた。結界は煌々と輝き、周囲にはビルひとつない原野の風景が広がっている。掌に爪が食い込む感覚に、この異世界こそが今の私の現実だと、改めて知らしめられる。
(……面白い、上等じゃない)
(私自身という、最も厄介で、最も難解な“聖女システム”を、完全に解体し、マニュアル化してみせる)
(この属人化を抹殺した暁に、前世では叶わなかった隠居暮らしを手に入れるんだ)
私は大結界を背に、アメリアとヘルマンへと声を掛けた。
「用も済んだことですし、帰りましょうか。これから忙しくなりますよ」
二人が声を揃えて応答してから最後にもう一度だけ、肩越しに大結界を見る。
(魔法だろうが魔物だろうが、かかってこい。——唯一無二を、仕組みにしてやる)
こうして、“聖女業務の完全手離れ実現隠居プロジェクト(仮)”はスタートラインから進み出た途端、最初にして最大の“壁”にぶつかったのだった。