『聖女業務』の属人化、解消します。 〜元コンサル聖女の使命標準化計画〜 作:すみふじの
病魔が静かに、だが確実に王都内での感染者を増やしつつある中、アメリアたちは自らの指揮のもとでそれぞれの機能の試運転に入っていた。
「では改善検討会をはじめます。実際に担当部門を動かしてみた結果を、お一人ずつご報告をお願いします!では、まずは私から。」
アメリアとヘルマンは後から加わった二人よりは一日の長がある。そのため、アメリアは自ら報告の先頭をきった。
「混合の工程ですが、アーネスト様の案通りに部屋を分けて作業をする形で問題なく進んでいます。光に弱いので運搬の際には布を被せることにしました。この先気になることは、それぞれの部屋の担当者がお互いに配合比を情報交換してしまわないかという点ですが……大司教様のご意思をお伝えした上で、各部屋ごとに休憩時間をずらして取ってもらうようにしています。他になにか良い方法はありますでしょうか?」
アメリアの理路整然とした報告に、アーネストは称賛の拍手を贈った。そして上機嫌に頷いて言葉を返す。
「それはよかったです!情報漏洩の対策としても、その方法が今できる最善だと思います。入退室も今のところは他の作業員が紛れ込もうとする様子はないと報告を受けていますので、このまま維持していきたいですね。ヘルマン様、警備の観点からなにかご意見はありますか?」
アーネスト、そして残る二人もヘルマンの意見を待ったが、彼は首を横に振った。
「いえ、私もアーネスト様と同意見です。今後万が一怪しげな動きをする者がいたら、騎士や教会職員か身分の区別なく、すぐに知らせてください。」
自分の方針に誤りがないと分かればアメリアはほっと胸を撫で下ろした。アメリアの次に口を開いたのはテオフィルスだった。肘を曲げたまま怠そうに挙手をしているものの、その表情には悪態は見えなかった。アメリアが視線をもって発言を促す。
「魔法による火力と冷却のコントロールはまだ熟練工の見張りが必要そうだ。俺ともうひとりはほぼ完璧になってっから、うまく回して残った奴らの練度を上げるか辞めさせるかはもう少し経ってから判断する。」
「分かりました。練習が多く必要でも、休息を疎かにしないように配慮してくださいね。」
アメリアは興が乗ると熱しやすい魔術師たちに忘れずに釘を刺す。へーいと返事は相変わらずなテオフィルスをよそに、続いてヘルマンが手を挙げた。
「騎士たちがこの任務に就くにあたっての意識合わせはすでに団長にしていただいた。材料調達、混合、運搬および集団看護への誘導が必要な者がいないかを調査するための移動経路および人員配置も作成済みだ。市井の感染状況は日次、定刻でアメリアに報告するように伝達してあるから、生産量や集団看護の収容人数と照らし合わせてくれ。」
「お手配ありがとうございます。運搬した際には効果の良し悪しや製品不良がないかも併せて聞いていただくようにご指示に加えてください、なにか問題が起きたらいけませんので。」
「分かった。その調査も必須の任務に加える。」
つい最近効果の問題を解決したとはいえ、今までは兵士だけが使用していたポーションを、疫病が去るまでは市井の民にも使わせる。品質管理もそちらに標準を合わせなければならないと、アメリアは強く意識していた。かつて聖女ルツィアが巡礼を効率化させる際に伝えた教えである『業務には必ず出すべき成果や目的があるのです。そして業務プロセスは、目的達成のためだけにある。』というフレーズが今まさに必要とされていると、アメリアはその病床を案じて両手を組んだ。その祈る仕草を見て、一呼吸置いてからアーネストが発言をする。
「皆さん順調でなによりです。先ほども少し触れましたけど、入退室管理では今のところ問題はありません。材料の薬草もまだ生えている季節だと確認しました。調達の際には念の為詳しい者を同行させますね。」
薬草の名前や種類を明確に記憶していいのはリヒター家、というルールはいつまで堅持できるかは分からないが、極力守ろうという方向性で一致している。しかし増産への障りとなる場合には、騎士だけで調達ができる仕組みを作る。その判断には可能であればアメリア、少なくともアーネストの意思だけは反映させることまで、四人で意識合わせを行った。
それぞれの担当部門での報告と改善案が出切ったところで、アメリアは茶色の小瓶をそれぞれの目の前へと並べ置いた。魔術師を動員し、熟練工以外の職員による新しい工程で作成されたポーションの第一号だ。はじめて現物に触れるテオフィルスやアーネストは早くも興味津々といった様子で瓶のにおいを嗅いだり、瓶ごしに液色を見ようとしたりとやや落ち着きがない。アメリアは緊張した面持ちで栓を抜き、さながら乾杯をするように前へと掲げた。ヘルマンがその動きに続いて二人を一瞥すると、残る彼らも慌てて瓶を持ち直して掲げる。
「では、試作品の品質を確認しましょう。ポーションは体力の回復、滋養強壮、鎮痛といった効果があるべきものですので、疲れの癒える感覚があるかを確かめてくださいね。──せーのっ、」
掛け声に合わせ、全員が一斉にポーションを飲んだ。アメリアとヘルマンは、味や飲み口が元々のポーションと相違ないことを中心に確かめる。良薬だと納得させにくる味わいと、胃に落ちたであろう辺りですっと目の前が開けるような、朝日を浴びて背筋の伸びるにも似た体感を得る。この体験はどちらも旧体制と同様であったので、アメリアとヘルマンは互いに視線を交わして安堵した。テオフィルスは魔力に対する影響を考えているのか、明後日の方向を見ていた。そしてアーネストは──一瞬眉間に深い皺を刻む。しかし効果検証のためにえいやと飲み干した。その反応を見たアメリアは、ルツィアが倒れる直前に行われていた会議での万人の仕草を思い出し、あっと声を上げた。その声にアーネストは驚いて肩を揺らすと、瓶の中身を急いで飲み干し、何も異常はなかったと笑みを浮かべて返す。その作られた表情は実によく出来ていた。だがアメリアは見逃さなかった。いや、見逃すわけにはいかなかったのである。
「アーネスト様、今……どうお感じになられましたか?」
「え?あぁ、はい。目や肩の辺りに感じていた疲れが和らいだように感じます。これがポーションの効果なのですね。僕たちも疫病に罹らないように定期的に飲まなければいけませんね。」
「違います、そうではありません。──今、お顔を顰めていらっしゃいましたよ?もしかして飲みにくいのですか?これは
アメリアはその笑顔を真剣な眼差しで見つめたまま、首を左右に振った。彼女の放つ言葉に三人はしばし呆気に取られたが、やがてテオフィルスが納得したように頷いて、もう一度ポーションを口に含む。アメリアに気圧されたアーネストは所在なげに視線をあちこちと彷徨わせる。幼馴染に助けを求めようと見上げたが、テオフィルスもアメリアと同じく回答を迫った。
「効果があれば良いってモンかと思ったけどそれだけじゃなかったな。正直に言えよ。」
「うぅ……でも、飲めないことはなかったから……。」
アーネストの歯切れの悪い回答に、アメリアとテオフィルスがなおも食い下がろうと迫るのを、ヘルマンが制した。怪訝そうに眉を寄せて二人を交互に見遣る。
「待て。……一体何の話をしている?効果は確認できた、アーネスト様も現に定量を飲み干せているだろう。何故そこを掘り下げようとするんだ?」
ヘルマンの疑問は、ポーションが今まで通りの存在であったならば尤もであった。しかし、
「いいえヘルマン様、これは本当に必要なことです。新しいポーションは疫病のための薬です。子供が飲みにくいような味ではだめなのです、早急に対策をしなければいけません!」
「味など効果には関係ないだろう?こんな非常時に、そんなわがままな事は言ってられない。確かに子供には飲み慣れない味だろうが、親や看護者が無理矢理にでも飲ませるしかない!」
互いにつられるように語気が強くなり、アメリアははじめて自分に向けられたその迫力にぎゅっと唇を結ぶ。ヘルマンは決して怒りに任せて物を言う人物ではない。そう分かってはいるものの、いざ対峙すると、アメリアは自分が間違っているのではないかと卑屈さを引きずり出されるような心地を覚えた。しかし、ここは折れて良いところではない。アメリアは再び聖女の教えを反芻する。
「いいえ、いいえ違います。わがままではありません。体力のない者たちが障りなく飲めなければならないのです!このポーションを優先的に届けなければいけない、病に苦しむ子供や老人たちが……苦しんでいる最中に、飲むのもやっとの薬を飲み続けられるとは思えません!──アーネスト様、これは民の命に関わる問いです。どうかお答えください!」
震える手を胸の前で組んで抑え、半ば叫ぶように必要性を訴えてからアメリアはアーネストに膝をついた。アーネストはアメリアの決死の訴えに、自らのちっぽけな見栄による言い淀みを恥じるよう頭を下げた。
「……すみませんでした、正直にお答えします。僕には苦くて飲みにくいです。飲んだ瞬間に吐き出すとまではいかなかったですけど、実はすごくびっくりはしました。もっと幼い子供なら飲むのにかなりの我慢が必要になると思います。」
何を悠長な、とため息とともに吐き出してヘルマンは頭を抱えた。命に関わる非常事態だから泣き叫ばれたとしても飲ませなければならないという意見、そうであるからこそ飲みやすくあるべきだという意見は、真っ当であるがゆえに簡単には相容れなかった。この緊張状態の硬直に、テオフィルスがアメリアの前へと進み出て、ヘルマンと対峙した。
「貴族のあんたには想像もつかない話かもしれねえが、体力のない子供はマジですぐに死ぬぞ。あんたらとは違って、平民や貧民にとっては子供や老人ってのは丁重に扱うべき存在でもない。そういう運命だと諦めちまう奴もいるし、自分も罹ってたらそんな余裕はないんだ。ひと吐きが命取りになることは十分に起こり得るぜ。」
その言葉には非難の意図どころか何の感情も載せられず、テオフィルスの見てきた現実として、淡々と告げられた。『ハイリゲンシュタインの高き岩』と称される貴族たるヘルマンと、平民の生まれであるテオフィルスとでは自らの土台となる体験に歴然たる違いがある。それ故に、ヘルマンはテオフィルスの言葉に返す刀を持ち合わせていなかった。逆に、先の会議にて自分がアーネストに放った『人は高潔ではあり続けられない』という言葉が跳ね返る。しかし、貧しくとも跡取りである子供を第一にしない事があろうかと、信じきれない葛藤もあった。長く続いた沈黙の中、問題の発端であるアーネストがヘルマンに向けて、静かに口を開いた。
「……ヘルマン様。僕は元々貧しい生まれでしたからテオの話を身を以て理解しています。気持ちはあっても知恵がなく、行いが伴わない者もいます。まずくて飲まない人はいても、おいしいから飲まない人なんていないでしょう。僕は味の改良が必要だと考えます。」
不意に意外な出自を明かされアメリアは一瞬は驚きに瞳を瞬かせたが、一歩前に出てテオフィルスと並び立った。決断をするにあたっての最後の懸念材料について、『聖女の名代』としての判断を伝えた。
「ルツィア様なら、弱き者が犠牲になる可能性を少しでも下げられると分かれば改良を選ぶはずです。時間のかかる大きな見直しではなく──すぐに出来る方法で。私もそうしたいのです。」
アメリアの言葉に、ヘルマンは在りし日の聖女を見たような気がした。
聖女ルツィアは今まで“かくあるべし”とされてきた事柄を次々と分解、再構築していた。その行いに照らし合わせれば、今回も“そうあるべき”という各人の道徳よりも、“そうあるべき”結果が必ず得られる制度を構築するだろう。保身を顧みずに大司教に啖呵を切る背中を見ていたはずなのに、何故その場にいなかったアメリアよりも主の理解が浅かったのだろうか。ヘルマンは己に対し腸の煮えくり返る気がしたが、今はその感情に付き合う時ではないと切り捨てる。
ヘルマンはアメリアに向けて略式の礼をし、自らの間違いを認めて詫びた。
「──分かった。私の考えが浅かったようだ。皆の言う通り、今は生き延びることを信念ではなく仕組みで実現すべき時だ。すぐに味の改良に取り掛かろう。」
その言葉に、アメリアは抱えていた緊張から一気に解放されたからなのか、その瞳の縁に大粒の涙が堰を切ったように溢れ出した。口では礼を述べているのだろうが、何を言っているかは誰にも聞き取れなくなった。そんな彼女の肩を軽く叩き、テオフィルスはアーネストに打開策の有無を尋ねた。アーネストは薬学や博物的な知識はさすがに専門外だと答えたが、あくまでも自分の専門外であるだけで、一度屋敷に帰れば担当の者へ詳細に聞くことが出来ると加えた。
その後、リヒターとしての回答を待つ間にも、製造に動員されている者たちや苦みに耐えられる大人に飲ませればいいように製造の手は止めずに回し続けた。やがて「この配合から生じる苦みを香りで覆う新たな薬草」が特定され、早速熟練工を交えてレシピが開発された。各自の体感ではあるが薬効も確認することが出来たので、かくして『子供でも無理なく飲める程度の味』となったポーションを、正式に増産する運びとなったのだった。
◇◆◇
ポーションの増産が軌道に乗った頃、疫病もまた、その勢いを確かなものとしていた。日に日に教会へ運ばれてくる患者は増え、発見が遅れた者や元々病を抱えていた者たちは高熱に耐えられず亡くなっていった。幼い子供や赤子の犠牲も出ていた。なぜなら、ポーションは病の治療薬ではないからだ。
しかし、王令とされた手洗いうがいの実践に加えて、ポーションを運搬する騎士や教会職員によって現実味を帯びた行為として口布の着用が広まると、過去の文献ほどの被害にはならずに抑え込めているのではないかという実感を、アーネスト達は掴みはじめていた。
この国の異常事態に対しなぜ聖女が直接、その神秘をもって民を救わないのかという疑問は、生じる前に大司教によって手が打たれた。聖女もまた病床にあるが、その聖女の意思により口布の使用とポーションの民衆への提供が決まったと、教会職員の口から民に流布させていったのだ。王は大司教の行動を叱責したが、聖女が倒れてからなおも健在である大結界がその噂を否定するものになるだろうと考えを改めた。やがて、聖女が王の元にて「神秘をより民に広く用いられるものにしたい」という会談をしていた、その結果がポーションの解放であると大々的に宣伝をし始めた。それぞれの思惑はあれど、民の国への忠誠や教会への信仰は、聖女が不在で疫病が蔓延していく最中にあっても揺らぐことはなかった。
しかし、その状況が面白くない者がいた。教会と聖女の力を排し、ハイリゲンシュタインを王国の手に戻したいという信念を抱く魔術師、カスパー・フォン・ヴェーバーである。彼は表向きは王宮の者として騎士団に同行し、薬草の採取をしたりポーションの運搬にあたるなど、その忠誠に従って“聖女の加護”を担っていた。だがその裏では、病床にある聖女の居場所を探っていた。鼻の利く“聖女の従者”たちの警戒を掻い潜るべく慎重に、しかし確実に情報を集めていった結果、彼はついにその場所を探り当てることに成功したのだった。
『規定』の時刻に、『規定』の回数で扉が叩かれた。その音にテオフィルスは顔を上げ、もはや見飽きてきた見張りの騎士の顔を念の為確認するという“儀式”を行う。決まった人間が決まった時間に来ればもう確認も何もないだろうと文句を言ったことはあるが、何一つ受け入れられずに今に至る。
(どいつもこいつも似たような鎧を着て、似たように厳つい人相なんて覚えにくくて仕方がない。)
いつものように一言を交わして『異常なし』と伝えてから交代をする。そしてすれ違いざまに、退屈さへの憂さ晴らしがてら、小さく千切った紙片を交代する相手の投げつけて次の持ち場へ移動するのが常だった。今日も今日とて、やたらと目をギラつかせて隙あらば製法を知ろうとする魔術師の相手をしなければならない。それに隔日とはいえ頻度の高い寝ずの番から、あくびをもよおしたところ、テオフィルスの肩を嗅ぎ慣れた臭いが通り過ぎた。
その瞬間。
後先考えるよりも早く、魔力の矢が騎士に向かって放たれていた。
しかし、その『騎士』はその矢を避けた。避けられるということは、この臭い──すなわち
「もう完成していたんなら言えよ、カスパー。」
「言うはずないだろう、とっておきの魔法だ。」
テオフィルスの軽口を慣れた様子でいなす、その口ぶりもまさしくカスパーである。テオフィルスが咄嗟に放った魔力は速度を重視しすぎたのか、同じくカスパーに咄嗟に、かつ明確に急所を守るべく生み出された壁を穿つまでには至らなかった。魔術師を倒すのにもっとも確実性の高い瞬間は、互いが魔術師と認識する前である。最大にして一度きりのチャンスを逃したことにテオフィルスは舌打ちをした。カスパーは聖女を守るように立つ
「しかし情けないぞ、友よ。金に釣られたとはいえ稀代の魔女の護衛なんぞに落ちぶれるなんて。」
「誰が友だ、気持ち悪ィ。お前こそ、ご丁寧に変装までして寝首を掻こうだなんて小せえ卑怯者だとは思わなかったぜ。」
魔法はイメージの比重が強いとはいえ、予備動作なしに高火力を出せるものではない。一生涯にひとつの魔法だけの練度を高めるような魔術師であればそうなれるかもしれないが、自分たちはそうではないと知っていた。次にどちらかが攻撃すれば、そこから撃ち合いになる。魔術師同士の戦いは、始まってしまえば消耗戦だ。今はお互いに隙を探り合い、最初の一発を決める機会を狙っての心理戦の只中である。
──そう、カスパーは考えていた。
人を小馬鹿にしているため睨むにもやる気が感じられないテオフィルスの目が、ほんの僅かに見開かれた。いや、見開かれた“ように”見えた瞬間に閃光が生じ、頬を掠めた。その傷は浅いが焼けたような痛みをカスパーにもたらした。前後左右、部屋中から無数の光の矢のような魔力に狙撃されはじめ、カスパーは堪らず両手を掲げて詠唱し、全方位に対し障壁を張らされた。
(何が起きている?奴は詠唱もせず、動きもなかったはずだ。)
対象に向かうと光ってしまうのはテオフィルスの技術の限界だった。だがしかし、両手両足に一切その気配を見せずに広範囲から怒涛のように降る光線は、暗殺者の足を止めるには十分だった。しかし威力は防壁を貫くには至らない。カスパーは術の解明を捨て、矢の防御に必要な最低限の魔力を掴むことに集中した。自分の魔力があるうちに相手の魔法を打ち消す道理、または出力の加減さえ分かれば、魔術師は魔法による攻撃を攻略することができる。したがって、瞬間の威力で倒せない場合に最終的に勝敗を決めるのは、魔力の総力であった。消耗戦といわれる所以である。一般的に魔力は放出する方が消費が激しい。カスパーは定石に則って誘いに乗り、魔力切れもしくは術の合間を狙う。
その基本を選べるだけの魔力量を持っていたからだ。
「どうしたどうした、防戦一方じゃねえか!」
その定石に対して攻撃手が取れる手は、集中を乱すか、二の矢を打つかだ。当然カスパーも、防壁越しに次の動作を睨んでいた。しかし厄介なことに、光線が防壁に爆ぜる瞬間に一際眩しく光り始める。その数によって目眩ましのように術者の姿を隠す。
「…なんて性格の悪い魔法だ。しかしそんな小技、消耗を早めるだけだろう!」
ならばと、カスパーは視界を広げるために防壁をより遠くへ展開して応戦した。着弾を視界から遠ざけると、術者はなんと目を閉じているではないか。テオフィルスは目を閉じていながらも、その瞬間を待っていたかのように中指を立てる。指の動きに合わせて足元を狙って光の刃が突き上げられる。刃の位置がその胴体よりも一寸手前であったため、カスパーは態勢を犠牲に後ろへと飛び退いて難を逃れた。床に鈍い音がずんと響く。手応えのなさに気付いたテオフィルスが目を開き、首を傾げる。
「あ?……ちっ、結構ズレてやんの。次行くぞ、次!」
そして再び瞼を伏せて四方八方からの狙撃を繰り出しながら、床から隙を狙い続けた。対するカスパーは足元にも障壁を貼らざるを得ない。意識する方向が増えれば、その分集中を要する。しかし何故テオフィルスは、ここまで広範囲に渡る注意を払いながら術を継続できているのか。足元への警戒のため壁を狭めれば視認を阻まれ、逆に壁の範囲を広げれば手薄な足元を狙われ、カスパーは打ち手を制限される。しかしテオフィルスも威力においてカスパー討つには至らず、攻め手を塞ぐまでに留まっていた。
膠着状況に焦りを強めたのはテオフィルスの方だった。この戦術はカスパーが内密に暗殺を図ろうとしている間に限り、有効だからだ。騒ぎになることを厭わず部屋ごと破壊するような術を放たれれば、守る対象のいる自分が圧倒的に不利になる。だからといって、“要人暗殺を厭わないような魔術師”相手と真正面から撃ち合うのも分が悪いと読んでいた。テオフィルスは魔力量については凡庸であり、攻撃手段としての魔法の研究は本来専門外だった。今回の
対するカスパーは、徐々に光の矢の正体に気付きはじめる。時間が経つごとに、矢が降ってくる方向は様々ではあるが全く同じ位置から発射されているものは無い。あらかじめ用意したものなら次の鐘が鳴るまでには撃ち尽くされるだろう。そうなってしまえば天秤はあっという間に傾くと、狙いを定めて守りへと専念した。その対処もまたテオフィルスの望まぬところではあったが、ある意味では狙い通りでもあった。護衛は一人ではないからだ。
扉が破られるような勢いで開け放たれ、ヘルマンが飛び込む。その予想よりも扉近くにカスパーがいたため、カスパーの扉を避ける反射的な後退に、切りかかる剣先はその背中を裂くに留まる。カスパーが展開していた魔力による障壁はあくまで魔力に対するものだった。悲鳴、返り血に一切の動揺を見せない騎士の返す刃は、その首を確実に斬り落とさんとする角度を狙う。──が、切っ先は首筋の手前で止まった。死を目の前にした刹那。カスパーはその生存本能からか、首から上だけを聖女ルツィアに変化させていた。騎士のその一瞬の動揺を見逃さず、カスパーは脱兎のごとく開け放たれた扉から逃げ出した。
「バカ野郎!なにやってんだ!」
刹那のやり取りから距離があり、ヘルマンが切らなかっただけに見えていたテオフィルスが叫ぶ。その声が届くよりも早く、ヘルマンは暗殺者を追って廊下に駆け出していた。
「手負いを追え!逃がすな!!」
ヘルマンと騒ぎに駆けつけた騎士の追跡も虚しく、血に塗れた姿に悲鳴を上げるシスターや職員を押し退けながらカスパーは逃亡した。その逃走経路上、途中から血痕が消えていたことから内部に協力者がいたとも考えられたが、その足取りは掴めなかった。
かくしてカスパーによる聖女暗殺は、未遂に終わった。
取り逃がしてしまった不始末の責任を取らんと、ヘルマンは事の次第をすぐに王宮に報告しようとしたが、アーネストが止めた。今から他の人材を育てる猶予などないからである。騎士の道理を無視し、疫病に対する合理のみで罰を望むヘルマンを諭した。それと同時に、王や大司教には迅速に情報共有し、逃走を防ぎようがなかったことも併せて飲ませた。ヴェーバー家への処遇や内通者の追跡などのすべてを王と大司教に委ね、四人はひたすらに疫病との戦いに身を投じた。