『聖女業務』の属人化、解消します。 〜元コンサル聖女、隠居のための業務改革〜 作:すみふじの
ジークムント国王陛下への報告を終えた私は、執務室でも寝室でもなく、馬車の中にいた。人の手を借りた覚えがないので、どうやら自力でよじ登ったらしい。馬も繋がれていないので走りもしない、ただの箱の中で蹲っている。
馬の世話をしていた人にはかなり奇妙に見えただろうが、悪いが今はそれどころではない。
国王陛下から不意に告げられた「聖女の交代」。属人化しきっていて引退制度もないこの制度において、交代が意味するところなんてひとつに決まってる。
死ぬのか、私は。しかも若くして。
もしかしたら前世より若いうちかもしれない。
私が、聖女が何したってんだ。ふざけるな。
今度こそと掲げた、二度目の人生計画すら叶わないのか。
絶望と怒りがこんなにも渦巻いているのに、なぜか私は怒鳴り声のひとつも上げられなかった。
客室の扉と座席の間で、ただただ丸くなっている。頭の中ではぐるぐると死の一文字が回る。
頑張って手離れさせたところで早死するなら、今度こそ本当に、なにもかもぶん投げてしまおうか? もう、そのくらいは許されてもいい気がするんですけど? お願いします、神様。
私は目を閉じた。もう開かなくてもいいかも、ぐらいの気持ちで。
だが、それは戸を叩く音に遮られた。
「ルツィア様、どこかへ向かわれますか」
声の主は、私が置いてけぼりにした護衛だ。
さて、どうしたものか。
否、どうもしたくない。
私はまだだんまりを決め込んだ。
しかし、いつまでもこうしていても怪しい。この異世界においてはプライバシーがないどころか、人目から逃れられるプライベートゾーンすらないからだ。いくらかマシだろうと思った馬車の中でさえ、籠城しつづけていればさすがにバレてしまう。
私はとりあえず返事だけはすることにした。
「まだ、しばらくかかりまーす」
「承知しました」
さほど遠くない距離から返事が来た。
これでいま暫くの猶予ができた。
それができたところでなんだというささくれだった気持ちと、現実に戻らなくてはならないという理性が今まさに、殴り合いの喧嘩を繰り広げている。
そう、現実だ。
現実の今、この瞬間。私は護衛に追い抜かれず早歩きして馬車によじ登るくらいには体力がある。持病もない。自認、健康だ。この健康がどのように脅かされて死ぬのかは、まだ確かめていない。
世が乱れていた時、すなわち国内がごたついた時に王ひとりあたりにつき四人の聖女が交代するならば、五年~八年は在位していたのではないだろうか。世が乱れたといっても王政は王政のままなのだから、まあ二、三十年くらいは一代の王が務めるんじゃないか?知らんけど。
では今の私はどうか? 聖女一年目の新人である。
さすがに一年以内に手離れできるとは思っていない。年次や月次で発生の業務がどれだけあるかもまだ分からないし、データベースが出来たとしても入力にかかる時間もある。まあ三年くらい?知らんけど。
仮に手離れを三年でやり切ったとして、残り時間は二年~五年。老後にしてはあまりにも短い。残り時間を五体満足健康体で過ごせるのかも怪しかろう。
じゃあどうする? 負荷分散までやりきるしかないだろう。
もちろん負荷分散までやりきって、すっぱり引退するのがベストだ。そのために今までやってきた。でもそれはそれとして、私は今日このときまで隠居計画の最低勝利条件を「最悪は聖女業務のマニュアルだけ整備して、次の聖女がプロセスを他人と共有しながら(または分散させながら)業務を進められる状態」に位置づけていた。次の聖女にマニュアルの使い方だけ教えれば引退できるという見積もりだった。
だがしかし、今の制度運用では聖女が死ぬまで次の聖女が現れない。もっと言うと、仮に聖女の交代理由が業務過多による過労死とするならば、分散をしない限りはデータベースが完成しようとも——私が死ぬ。
仮に教会に頼み込んで権限の儀式を前倒しでやらせたとしても、この私がいなくなった瞬間に反発が起きて、過労死水準の業務量が次の聖女に戻ってしまう事態も起こり得る。つまりは分散した状態を維持する制度まで立てなければならない。
と、ここまで思考をぶん回して、私ははたと気がついた。
変わったのは、最低勝利条件だけだった。
次の聖女を待てばいいやが通用しなくなった、それだけ。
さらに言えば、悠長に時間をかけて進められなくなった。もともと早ければ早いほどいいという気持ちでやってきていたが、優先順位が繰り上がった。ASAPどころではない、至急。
至急ならば、今この場でぐだぐだしている暇も惜しまなくては。
私は体を起こして外を見る。そこにはヘルマンの後頭部がある。
窓をコンコンと叩いて彼を呼び、乗り込んでくるよう促した。
ヘルマンを対面に座らせ、その目を見ながら考えを告げた。
「以前、私が聖女業務の属人化を解消したいという話はしましたね。あれは私の建前なしの本心です。より正確に言うならばこうです。私は私が元気なうちにそれを実現し、仕事から離れて暮らすことを本気で目指しています。いわゆる隠居です」
「はい」
短い相槌だけ返される。ヘルマンは私の野望を茶化すことなく聞いている。
「さきほど国王陛下から、聖女が早く交代すると聞きました。私もそれを目指します。ただし、すこぶる健康な状態で、次の聖女に負担を残さずにです」
「はい」
「その為には今まで以上に改革や研究を急ぐ必要があります。少しくらい無理をしなければならないでしょうが、過労で倒れない範囲で」
「……はい」
「なので、
「本当ですか」
ここに来て初めて疑問が返された。何に対しての疑いなのかはよく分からないが、私が答えることは決まっている。
「ええ、本当です。強いて言うならば、国王陛下のデリカシーの無さに対して好感度が下がったくらいです」
さすがにコメントをしづらい返答だっただろうか。私は返事がないことをいいことに、話を続ける。
「アメリアと貴方には今後も変わらず仕えてもらいます。私の最終目標はアメリアにはまだ話せていませんが、機を見て行います。なので伏せておいてください。聖女が早くに交代するという件も同様です」
「……承知しました」
私はここまで言い切って、ようやく一息をつく。ヘルマンに聞いてもらってはいたが、これは自分に言い聞かせるための問答だった。かなしいかな、人前でなければしゃんとできないのが人間というもの。少なくともくたびれた社会人である私はそうだった。
「護衛というのも大変な仕事よね。他人事とは言えあんなヘビーな話をいきなり聞かされるなんて。そのうえ上司は仕事嫌いだなんて、やる気もなくなるでしょう? ごめんなさいね」
「それもまた役目であると心得ております」
仕事だからやる、当然だ。常々この世界は仕事と人生の距離が近すぎるのが良くないとは思っているが、ヘルマンの割り切り方はどこか前世の職業人を彷彿とさせる。
「ルツィア様は仕事が嫌いとおっしゃいましたが、国難を回避すべく常に動いていらっしゃいます。口先だけで何も行わない者より、よほど信頼できます。アメリアも私と同じように答えるでしょう」
かえって気を遣わせただろうか。いや、ヘルマンはいつもこんな調子だったか。私は、いやいやそんなと首を横に揺らす。
私の側に仕えるということは、聞きたくもない重要機密も聞かされるということでもある。私が無事隠居を達成する時には、アメリアやヘルマンに危険が及ばないような第二の就職先を用意した方がいいのだろう。
そうこうするうちに、遠くから時間を告げる鐘の音が響いた。
「部屋へ戻られますか? もう随分と長い間アメリアは魔術師と二人でしょう。いえ、何もないとは思いますが……一応若い男女ではありますので」
私はヘルマンの言葉が一体何を言っているのか理解するのに数秒を要した。
え? いや、でも言われてみれば確かに? いやしかし、そんなはずは。いやいや違う、そうではない。たとえ一抹の不安であろうとアメリアに抱かせてはならない。職場の安全の問題だ。
「いけないいけない、そんなことは断固阻止ですよ! はやく帰りましょう!」
今すぐにでも飛び出さんと腰を上げた私よりも早く、ヘルマンが外へ降りる。その手を取って私も客車から下りれば、法衣の裾を摘んで勢い良く駆け出した。
自認、健康。
執務室に着くなりテオフィルスを理不尽に怒鳴りつけた時にはもう、死の文字は頭の隅へと追いやられていた。