『聖女業務』の属人化、解消します。 〜元コンサル聖女、隠居のための業務改革〜 作:すみふじの
聖女の交代、つまりは私が早死するという可能性があることを知らされてからも、私は変わらずに日々を過ごした。日々の聖女業務と、データベース構築のための研究と、聖女の神秘の術式の解読とで、頭の休まる暇が無い。特に難儀したのがデータベース構築以前の問題——テオフィルスを「ふさわしき者」にする工程だった。
アメリアの懸命の講義によって、テオフィルスも、アメリアとアーネストが起こした不完全成功まで、なんとかたどり着くことができた。不完全成功のために必要な条件は、アーネストが冗談交じりに口にしていたものだった。「初代聖女の名前を知っているかどうか」、正確に言えば「言い伝えられている初代聖女の名前が、本当の名前ではないこと」を知っているかどうかだった。その条件が判明した時に、なぜ冗談としてでもそう思いついたかを尋ねた。すると二人とも口を揃えて、なぜかそればかりを妙に繰り返し教えられていたからだと答えた。この謎は、素直に好奇心に従えば非常に気になる項目ではあったものの、本題とは直接関係ないものへ割くほどの時間はないので見送ることとした。
今振り返れば、私のその判断は正解だった。なぜなら、不完全成功から成功への取り組みが、さらに困難を極めたからだ。
「そろそろ成功したところが見たいんですけど? 本当に真面目にやってる?」
「うるせえな、ずっとやってるに決まってんだろ!」
今日だけでも、このやり取りを一体何往復しただろう。
テオフィルスの家の庭先で神秘の再現実験を開始してはや数日、いまだ完全成功には至っていない。それならばと私が「ふさわしき者」に必要な知識を習得した上で神官神秘——壁を築く神秘を試しても全くの無反応だったので、もはやテオフィルスに頼るほかはなかった。
そろそろ集中力も切れるかという頃合いで、アメリアが紅茶を運んでくる。
「お疲れ様です、そろそろ休憩にしましょう」
紅茶と茶菓子で脳を労いながら、私達はプロジェクトを少しでも前に進めるべく意見を交換する。
「なかなかうまくいかないものね……壁が飛び出そうな兆しもないんでしょう?」
テオフィルスは紅茶を飲んでから私の問いかけに頷く。このどうにもならない状況には、怒りを通り越して疲れ切った様子だ。
「……全然、からっきし。降りてくる感覚しか分からねえ」
「一体何が足りないのでしょう……やはり『誓約』なのでしょうか?」
アメリアも彼女なりに考えながら実験を見守っていたようで、心配そうに尋ねた。
「そうねえ……でも知識要件をクリアした日に、それっぽいことはしたじゃない?だから『誓約』の条件も通しているはずなんだけど」
禁書庫の資料を参照して壁の神秘を取り扱うことをテオフィルスに宣言させ、私達がそれを聞いた。資料から分かる範囲での儀式は行っているはずなのに、どうしても現象が起こらなかった。
「マナだかなんだか知らねえけど、とりあえず力自体は降りてきてんだ。もう本題に入ってもいいんじゃねーか?」
繰り返される失敗にテオフィルスも飽き飽きしてきたのか、次のステップに進みたがる。その勢いで進められるものなら私にとっても好都合だが、果たして最初の一歩も踏み出せないのに山に登れるのだろうか。でも、進捗の見えない日々がストレスになっているのは私も同じだ。データベース構築にあたって理解してもらわないといけない事柄も簡単ではない。私はテオフィルスの要望を受けることにした。
「データベースも気分転換になるほど軽い話じゃないけど、並行して進めましょうか」
この研究狂いが納得できる説明が出来るかどうか、正直に言えば自信はない。本来専門外の分野だけど、隠居のために必要ならばやるしかない。
私は腹を括った。
◆◇◆
「だから、リヒターの一族が頭で記憶している情報を魔力で魔力に刻むの。その一件ごとに用意したい項目はアーネストによく相談して設計するから、貴方には魔力で刻んだ情報を魔力として保存して、情報を横断的に検索して取り出せるようにする術を考えてくれって言ってるでしょうが!」
「それが意味分からねえって言ってんだよ! なんだ、魔力魔力って! もっと整理しろ!」
この異世界に存在しない技術を、異世界の言葉で説明することは困難を極めた。以前アメリアとヘルマンに標準化について説明できたことは、単純に専門分野だったからに過ぎなかったのだと痛感した。
「そもそも魔力で魔力に刻んだ情報ってなんだよ。刻むのはアーニー達が持ってる知識なんだろ?頭の中を魔法で覗けってのか?ンなもん無理に決まってんだろ!」
「そうじゃない!情報の入力……じゃない、情報を魔力に刻む行為自体はリヒターにやってもらいます。その刻むための仕組みを魔法で作りたいってこと!」
テオフィルスの顔にはまだ疑問符が浮かんでいるように見える。お互いにじわじわと、這うように認識をすり合わせている。いつものようにテンポ良くとはいかない。むしろ私の方がたじたじだ。
「待てよ、魔力で刻むのをアーニー達にやらせるとなると……あいつら全員に神秘を使わせる気か?取り出す術も神秘でやるんだったら、『ふさわしき者』が馬鹿みたいな数になるぞ!」
違う、そうだけどそうじゃない。私はなんと答えるべきか頭を抱えた。
データベースそのものの構築と、そこへのデータの入力、保存、検索、出力までの一連の仕組みを魔法で作ってほしいのだと、そのまま伝えたい。今のテオフィルスの懸念は異なる権限を付与したアカウント管理でクリアする。なので、追加で認証とユーザー登録の仕組みも必要です。ああ、もう……どうやって説明すればいいんだ!
「情報を刻むのが僕達で、情報を読む人とは区別するんですよね?疫病の時に作った仕組みをそのまま使えるんじゃないかなあ、魔力紋を使って」
「そう、それ!」
言いたかったことをまさに代弁してくれた声の主を確かめる前に、大きな声が出ていた。いつからいたのか、アーネストがそこに立っていた。同じく部屋に入っていたヘルマンが言うには、私達に何度も声をかけたが気付かなかったそうだ。
「ルツィア様がおっしゃりたいのは、テオにはその……魔力による書庫のような仕組みを、神秘の力を用いて作るから『ふさわしき者』になってもらった。でも、僕達や記録を読むだけの人達には神秘までは必要としない作りが望ましい、ということですよね?」
私は大きく首を縦に振った。アーネストの言う通りほとんどは書庫なのだが、私はあえてその言葉を避けていた。一点だけ致命的な違いがあるからだ。
「はい、その通りです。ただ、書庫は書庫ですが、本の表題や分類上の位置にとどまらず、書かれている内容そのものから必要な情報を探し当てられる仕組みにしたいのです」
書庫という言葉から連想した方が理解が早かったのか、テオフィルスが思索に入ったように見えた。その間に、私はアーネストへ来訪の目的を尋ねることにした。リヒター家でも突然現れた旅のエルフによって整理すべきことが膨大のようで、顔を合わせるのはその日以来だった。
「ああ、お話し中にすみません。まだ全てが片付いたわけではないのですが……『人々のマナ』について一旦のご報告と、今のお話を僕も改めて聞いておきたくて」
再び禁書庫に入る前に、直ぐに確認できる範囲で調べてくれていたそうだ。リヒター家ではマナを魔力とは別のものとして認識していた者はおらず、マナを魔力と訳していたために現在混乱が生じていること。『借りる者』『使う者』に関しては、神話時代の記述から前者が現在の神官の神秘にあたると考えてよさそうなこと。
「本当に旅のエルフが神秘の術を作ったのなら、『初代聖女が神より賜り、分け与えた秘法』という箇所も疑わなくてはなりません。ですからここからは教会や王宮が編纂した資料よりも——実際に聖女様が書かれていた資料にあたる方が確度が高くなるのでは、と考えています」
「建国神話の資料群には、あのエルフの存在は示されていなかったのですか?」
「はい、今のところは。でも妙ですよね? 初代リヒターの存在は確認できるものがあるなら、エルフを見落とすはずがないでしょうに……」
「確かに、仲間の一人として省略するにしては珍しい存在すぎますね……」
初代の王やリヒターとはかなり親しい様子だっただけに、その疑問は強く残る。もっと言うと、旅エルフの口からは名前はおろか聖女という言葉すら出ていなかった。アーネスト達との間でもそうだったのであれば、聖女史の根本から疑いたくもなるだろう。
しかし、歴史研究は私の仕事ではない。幸いなことに、エルフに会う前と後でも聖女の神秘の術にはなんの変化も起きていないのだ。
「私の業務範囲においては、人々のマナという存在は現状影響を及ぼしてはいません。ただ、問題は——」
「神官の神秘の発動について、ですよね」
私も、アーネスト不在の間に積み上がった失敗の山々から今に至るまでを共有した。そうこうするうちにテオフィルが仕組みについてキリの良いところまで考え終えたのか、続きを催促する。
アーネストに対してデータベースの詳細を聞かせるという行いが招く結果を、私はいくつか想定してはいた。してはいたが、ついにその日が来てしまうのか。どう転ぶにせよ、私が見せられる誠意はただひとつ、嘘や誤魔化しをせず、伝え切ることだけだった。
◆◇◆
私はあの手この手で必死に伝えようと努力した。しかし、分かったような分からないような、重苦しい静寂が場を支配していた。おそらく実現したいこと自体は伝わっているが、その実現方法のところで詰まっているような気がする。
「一旦、要求については飲み込めた? まだ分からないことがあるならいくらでも聞いてください」
私の問いかけにテオフィルスは小難しそうな顔はしていたものの、ひとつ頷いた。アーネストも途中参加ではあるが、自分の領域に近い話であるからなのか腹落ちまではいかないものの理解はしているように見えた。
「メインの仕組みで使う魔力が魔法の規模じゃねえってことは確かだな。その情報を持ち続けるってとこが特に」
「そう。だから『ふさわしき者』として神秘の……えーと、人々のマナ?を借りて作る必要がある。神秘としての術式を作れることは、あのエルフが言ってましたからね」
旅のエルフは神秘のすべてを作ったと言っていた。彼女の存在を超常的な存在として考えた方がいいのかもしれないが、まずはやってみての判断だ。
「繰り返しにはなりますが……私はこのシステム——仕組みがあれば、私の業務を手順書として共有することで、聖女一人に頼り切りの体制が変えられます。また聖女が倒れても、偶然や幸運に頼らず結界を維持できます」
部屋の片隅でアメリアがうんうんと力強く頷いてくれているのが見えて、少々照れくさい。十分な紙がないという事態に直面して発生した情報インフラの構築ではあるが、これはあくまでも私の隠居計画の地続きなのだ。
これはテオフィルスに研究のための研究ではないと強く伝えるための言葉だったが、私の思惑とは異なり、先に反応を示したのはアーネストだった。
「ルツィア様のおっしゃることが正しいのは分かります。しかし、それが叶えば……ルツィア様以降の聖女が、役割を失ってしまうのではありませんか?」
この問いの意図するところは、聖女のことではない。しかしそうであっても、私の考え方は変わらない。初めてリヒターの家へ入った時の子どもたちの歌声が脳裏に蘇る。それがただのわらべ歌ではないことに気が付いた時のショックは、一度たりとも忘れたことはなかった。
「はい、現在のような唯一無二の存在ではなくなるでしょう。私はそれでいいと考えています」
「ではこの仕組みが完成することで……僕たち一族の存在意義がなくなることも、同様にお考えでしょうか」
アーネストの言葉には少しの躊躇があった。しかし、室内にはにわかに緊張感が走る。ぴんと張り詰めた静寂の中、テオフィルスが珍しく私の様子を窺っていた。私と自分と、どちらが先に口火を切るべきか迷ってのことだろう、私は先を譲ってもらうことにした。
「存在意義がなくなるとまでは考えていません。ただ、今までのようにリヒターの方々だけが単独で情報を集め、記録する使命を持ち続ける必要はなくなります」
「それは僕たちの使命がなくなることと同義ではないですか? 誰でも担えるようになれば、いてもいなくても変わりがないですよね」
アーネストは食い下がった。その反論は半分正解で、半分は違う。彼もそれを分かった上で、あえて聞いているのだろう。
「役割がなくなるのではなく変わると言う方が正確です。どのように変わるのか、私の見通しを聞いていただけますか?」
私はアーネストの静かな了承を得てから、想定される変化を挙げていった。完成してすぐに大きな変化は訪れないこと。今まで行ってきた情報の入手に加えて、既存の情報のデータベースへの入力と分類は引き続き担ってもらうこと。今協力してもらっているように、情報を求める人間を適切に案内すること。そして今後、第三者によって記録されていく情報について、その真贋の見極め、分類を適切に保つこと——つまり、データベースの管理を引き受けられるのは、情報管理・保存のための知識や経験を持つリヒター一族をおいて他にはいないこと。
その説明のすべてを、アーネストは真剣な面持ちで聞いていた。彼らリヒター一族は記憶を保持し続けるために一族の人間を増やし、その人生を捧げてきた。それは現時点で取れる手としては合理の極北であるが、同時に属人化の極みでもある。「使命を誇りに思っているが、使命以外のことができない」と、かつてアーネスト自身が私に教えてくれていた。このデータベースによって彼らを救えるとまでは考えていないが、どうせ作るのならば彼らにも役立ててほしい。他の生き方を選べるだけの余力が生まれるならば、それがいい。
私は説明を終えて、答えを待った。ヘルマンとアメリアも固唾を飲んで、事態の推移を見守っている。この重たい沈黙に耐えかねたのか、それとも背中を押すためなのだろうか。テオフィルスが黙ったままのアーネストをせっついた。
「……悩む理由なんてないだろ、なんで何も言わねえんだ」
「あるよ。これは僕たちの在り方に関わる重要なことだから」
「お前がこのままで良いと思ってるはずがねえ。いつかガタが来る、分かってるだろ?」
「分かってるよ、ルツィア様の書庫が僕たちにとって夢のようなものなのも分かってる。でも今のやり方がむちゃくちゃなものだったとしても、人の屍の上に立っているんだよ? 何人も見送って、その度にみんな必死になって継承し直して……それを、無駄なやり方に人生を使ってもらってましただなんて、とても言えないよ!」
私達は二人の言い争いに口を挟むこともできなかった。彼らには彼ら同士にしか分からない時間の積み上げがあるからだ。そしてアーネストの悲痛な激昂を最後に、室内は水を打ったように静まり返った。アーネストは机に手をついて立ち上がる。
「申し訳ありません、ルツィア様。僕はその書庫を作るための協力をするとは言えません。家に持ち帰って検討し、その結果によっては反対をしなければなりません」
「……ええ、皆様で決めて下さい。どのような結論が出ても、貴方達の決定を受け止めます」
深々と頭を下げるアーネストへ、私は、今伝えなくてはならない言葉を続けた。
「これだけは覚えておいてください。変えることは過去を責めることではありません。これからどう進めるかだけを問うものだと、私は考えています。……分からないことがあればいつでもおっしゃってください、時間を作っていくらでも説明いたしますので」
もう一度頭を下げた彼の表情は見えなかった。部屋を出ていくアーネストにテオフィルスも声を投げかける。
「……俺はやるからな、お前らが乗らなくても絶対に完成させて、使わせる。その時になってあーだこーだ言っても知らねえからな!」
まるで口喧嘩で負けた子どものような捨て台詞だったが、今までにない決意の言葉でもあった。アーネストの靴音が聞こえなくなってから、ヘルマンがこちらに進み出た。
「ルツィア様、よろしかったのですか? リヒター家の協力が得られない仕組みの構築や歴史調査の面で大きな遅れを取ってしまうのではないでしょうか」
「それは仕方がないことです。せめて翻訳と歴史調査については協力を続けてほしいけど……無理強いはできないわ」
「しかしそれでは……時間が」
時間。この時間が意味するところを知るのは私とヘルマンだけだ。早く完成して隠居できるに越したことはないが、そう願ったとて、いつだって取れる手段を取っていくしかない。私はそれ以上突いてこられないように、話の中心になる人物をずらした。
「そこはもう、偉大な魔術師に任せるしかないでしょう? 絶対完成させるって言ってくれたばかりですし」
ねえ?とテオフィルスに話を振ったつもりが、なんと全くの無反応だった。なにやら非常に深刻そうにどこか一点を見つめ、ぼそぼそと呟いている。これはテオフィルスによく見られる集中モードであるのは分かっていたが、今このタイミングで没頭するような事はあっただろうか。
「どうしたの? 要求について不明点でも出た?」
「……いや、そうじゃねえ」
私の声がけでこちらへ戻ってきたテオフィルスだったが、邪魔をしたのに文句のひとつもない。どうにもおかしい。咄嗟に寄せてしまった眉間を二本の指で広げつつ、私は様子を窺った。すると、テオフィルスはおもむろに手をかざした。手のひらの先——なにもない空間から、石板のようなシルエットの
「なんか、急にできるようになったぞ。マナを使っての魔法——いや、神秘が」