カビ臭い沈黙が支配する地下工房を後にし、一行は昇降機で地上へと向かった。
扉が開いた瞬間、ラヴニカの第十管区を包む暴力的なまでの喧騒と、重なり合う魔力の余韻が遊戯の五感を叩いた。
「……すごい。建物が空まで続いているみたいだ」
遊戯が思わず足を止め、見上げた先には、幾層にも重なる尖塔と、その間を飛び交う飛行機械や巨大な獣たちの影があった。
彼のいた童実野町も都会ではあったが、この「都市次元」が持つ、歴史と魔法が幾千年も積み重なった重厚な圧力とは比較にならない。
「感心している暇はないぞ。今のラヴニカは、見かけほど平穏じゃない」
前を歩いていたラル・ザレックが、ぶっきらぼうに言った。彼は自慢の青いコートの襟を立て、周囲を警戒するように視線を走らせる。
「ラルさん……案内してくれるんですか?」
遊戯の問いに、ラルは一瞬だけ口を継いだ。かつての彼なら、プレインズウォーカーとしての特権を謳歌し、次元から次元へと飛び回っていたはずだ。
だが、新ファイレクシアとの決戦後、彼は「灯(スパーク)」を失った。今や彼はこの次元に繋ぎ止められた、ただの優れた魔道士に過ぎない。
「……あのアジャニの旦那に、あんなボロ屋をあてがっちまったのは俺だ。イゼット団のギルドマスター代理として、最低限の礼儀ってやつだよ。それに、よそ者がこの迷宮で迷子になられても面倒だからな」
ラルの言葉には、皮肉の裏に隠しきれない寂寥感と、それでもなお自らの居場所を守ろうとする責任感が滲んでいた。
プレインズウォーカーではなくなった。その喪失感は、彼という男のプライドを削り取ったかもしれないが、同時に「足元にある世界」への執着をより強くさせたようにも見えた。
ケルシーは、ラルの横顔を観察するように見つめ、静かに口を開いた。
「個人の能力の変化は、必ずしも組織における価値の低下を意味しない。貴方のこの都市に関する知見は、現時点において、アジャニの情熱よりも我々の生存と目的達成に寄与する。……案内には感謝します、ラル・ザレック」
彼女の言葉は、以前のような難解さを排除していた。
遊戯の指摘を受けてか、より伝達効率を重視した簡潔なものに変わっている。それでも、相手の核心を無遠慮に突く鋭さは健在だった。
三人は、雑多な種族が行き交う大通りを進んだ。 そこには、明らかにラヴニカの住人ではない者たちの姿が混じっていた。
見慣れない防具に身を包んだ戦士や、怯えた瞳で周囲を見渡す異世界の商人。
彼らは「領界路」を通って、意図せず、あるいは希望を抱いてこの都市に流れ着いた者たちだ。
「……見てください。あの人たち、どこへ行けばいいかわからないみたいだ」
遊戯は、路地裏でうずくまる避難民のような一団に目を向けた。
彼の心に、小さな痛みが走る。平和な日常を奪われ、言葉も通じない異世界に放り出された恐怖。
それは、かつて闇のゲームに巻き込まれた人々が浮かべていた表情と同じだった。
その時だ。
向かいから歩いてくる群衆の中に、一瞬だけ、異質な「色」が混じった。
(……え?)
遊戯の視線が、一人の少女に釘付けになった。 周囲の重厚なファンタジーの装束とはあまりにかけ離れた、鮮やかなピンクと白と赤の配色。
それは、どこか学校の運動着(ジャージ)を思わせるデザインだった。
だが、その少女に活気はなかった。 かつては輝いていたであろうその衣装は泥に汚れ、袖口はボロボロに綻んでいる。
何よりも、その瞳。虚ろで、焦点が定まらず、何か「自分を救ってくれる崇高なもの」を求めて彷徨うような、飢えた執着と絶望が混ざり合った、余裕の無い表情。
「あの、すみません! 貴方は……」
遊戯が声をかけようと一歩踏み出した瞬間、横から荷車を引いた巨大なワームが通り過ぎ、二人の視界を遮った。
「おい、遊戯! ぼさっとするな、はぐれるぞ!」
ラルの鋭い声に呼び戻され、遊戯はハッと我に返った。
ワームが通り過ぎた後、そこにはもう、あのジャージ姿の少女はいなかった。ただ、喧騒の中に消えていく人波があるだけだった。
「……どうかしたのか?」ケルシーが足を止め、遊戯の様子を伺う。
「いえ……。見間違い、かもしれません。でも、すごく悲しい顔をした人がいたような気がして」
遊戯はもう一度、少女が消えた方角を見つめた。 この巨大な都市のどこかに、自分たちと同じように「別の世界」から流れ着き、独りで震えている誰かがいる。
その予感が、遊戯の胸に重くのしかかった。
「……行こう。まずはこの街の現状を知らなきゃ、何も始まらないんだ」
自分に言い聞かせるように呟き、遊戯は再び歩き出した。ラヴニカの空を覆う雲の間から、鈍い太陽の光が差し込んでいた。
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